2019年06月30日

「仙山福連携」の一層の推進を(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その120

 5月16日に刊行された「東北復興」紙の第84号では「仙山福連携」、すなわち仙台と山形と福島という、南東北三県の県庁所在地同士の連携について取り上げた。4月に東北中央自動車道の山形と福島の間の区間が全線開通し、仙台と山形と福島の間が全て高速道路でつながることになった。これを機に、一層の三都市間連携が進むとよいなと思っている。

 以下がその全文である。


「仙山福連携」の一層の推進を

高速道路でつながった三都市
 4月13日、東北中央自動車道の南陽高畠インターチェンジと山形上山インターチェンジの区間が開通した。車で山形市から米沢方面に向かう際、国道13号線が片側一車線となるため一番時間が掛かる区間だったが、高速道路が開通したことで、その状況も劇的に改善することが期待できる。しかし、この区間の開通の意味はそれだけにとどまらない。この区間が開通したことで、仙台市と山形市、福島市という、南東北三県の県庁所在地が全て高速道路で一本に結ばれることになったのである。

 既に、仙台−福島間は東北自動車道、仙台−山形間は東北自動車道から分岐する山形自動車道によって結ばれていた。今回の区間の開通によって福島−山形間がつながり、それによってこの三都市が高速道路でつながった。元々、直線距離で仙台−福島間は67.7km、仙台−山形間は44.6km、福島−山形間は55.2kmと、これら三都市は互いに近い距離に位置している。

 そうしたこともあって、この三都市の連携や交流については、実はそれなりの歴史がある。1991年に結成された「南東北中枢広域都市圏構想推進協議会」がその嚆矢と見ることができるが、同協議会は仙台市、福島市、山形市だけでなく、宮城県、福島県、山形県、それに東北経済連合会と三県の商工会議所連合会で構成され、2007年までの間、マスタープランやアクションプログラムを策定するなどの活動を行っていた。

 2007年には「仙台・福島・山形三市観光・物産広域連携推進協議会」が設立され、仙台市、福島市、山形市の南東北三市による広域連携組織として、県を越えて三都市の魅力を連携して発信することによって相乗効果を狙い、三都市を中心とする南東北の認知度向上と誘客促進を目指している。

密な連携が進む仙台市と山形市
 仙台市と山形市の連携については、さらに密な取り組みがなされている。元々、仙台市と山形市は「お隣同士」である。県庁所在地同士が隣接している事例は、仙台市と山形市以外には、京都市と大津市、福岡市と佐賀市の二例があるだけである。もっとも、仙台市と山形市を結ぶJR仙山線、山形自動車道、国道48号線、国道286号線などは、いずれも他の自治体を経由しており、仙台市と山形市を直接結んでいるのは、林道二口線(当然砂利道で冬季は閉鎖である)ただ一つである。

 宮城県仙台地方振興事務所と山形県村山総合支庁とを中心に、仙台市など宮城県の14市町村と山形市など山形県の14市町でつくる「仙台・やまがた交流連携促進会議」がある。年に一回、「仙山交流連携促進会議」が開催され、関係する自治体職員が集まり、交流する場となっている。

 2007年には、両県の連携による目指すべき将来像やその実現に向けた施策の展開方向などを取りまとめた基本構想である「みらい創造!MYハーモニープラン」が策定された。昨年は、構想の策定から10年が経過したことを受けて、両県の連携した取組を一層強化していくための新たな基本構想「未来を共に創る新MYハーモニープラン」が策定された。

 宮城・山形の一体的な圏域の形成を目指す官民連携の推進組織「宮城・山形未来創造会議」も2007年に設置され、現在も活動中である。両県の交流活動団体や経済界、県民、行政などを対象に、地域の将来像や今後の連携の方向性について認識を深め、官民を通じた連携の更なる拡大・深化につなげていくための「宮城・山形未来創造フォーラム」も毎年一回開催されている。

 宮城・山形両県の連携・交流活動団体によるネットワークである「みやぎ・やまがた連携ネットワーク」もあり、連携交流に関する情報発信や交流会の開催を行っている。他に、2003年から続く「仙山交流味祭(あじまつり)」もある。仙山圏域とその周辺自治体で生産されたご当地特産物を一堂に集め、生産者が直接に販売する共同産直市で、仙台と山形の双方を会場に開催されている。

 もちろん、仙台市と山形市の間の連携も進んでいる。2016年には、「それぞれの有する資源を有効に活用しながら連携協力することによって、両市の活力を高め、持続的な発展を図る」ことを目的として、「仙台市と山形市の連携に関する協定」が締結された。連携分野は、防災、観光・交流、ビジネス支援、交通ネットワーク、「その他両市の発展に資する分野」の5分野に及ぶ。

 仙台市と山形市の交流が密であることは、高速バスのダイヤからも窺える。仙台−山形間の高速バスは実に80往復(平日)に上る。朝など5分刻みに運行されている時間帯もある。通常の路線バスなど及びもつかない「過密ダイヤ」である。これに対して、仙台−福島間の高速バスも1日27往復(土日祝日)と、仙台と他の都市を結ぶ高速バスよりは多いものの、その便数は仙台−山形間のそれには遠く及ばない。

三都市連携の課題
 高速バスから見えてくることは他にもある。先に見たように、仙台−山形はもちろん、仙台−福島の高速バスの便数も多い。しかし、これに対して福島−山形間は、高速バス自体が存在しない。これが何を物語っているのかと言えば、これら三都市の連携と言っても、それは端的に言えば仙台を軸にした連携、つまり仙台と山形、仙台と福島の連携の複合体であって、仙台、福島、山形が均等なトライアングルになるような形の連携ではないということである。三都市の連携を考えた場合に、何と言ってもこれが最大の課題である。高速道路が開通したことよって、福島−山形間の連携や交流が促進されることを期待したい。実際、先に開通していた福島−米沢間は、所要時間が格段に短縮されたことによって、行き来がかなり増えた実績もある。同様のことが福島−山形間でも起こる可能性はある。

 米沢市の名前が出たが、これら三都市を結ぶ線上、あるいはその周辺にある各市町村との連携・交流も忘れてはいけない。特に、福島と山形の中間にある米沢市、仙台と福島の中間にある白石市は重要である。

目指すべきは「連携中枢都市圏」
 これら三都市の目指す方向性として、三都市を中心とした「連携中枢都市圏」の形成を提案したい。「連携中枢都市圏」というのは、「地域において、相当の規模と中核性を備える圏域の中心都市が近隣の市町村と連携し、コンパクト化とネットワーク化により『経済成長のけん引』、『高次都市機能の集積・強化』及び『生活関連機能サービスの向上』を行うことにより、人口減少・少子高齢社会においても一定の圏域人口を有し活力ある社会経済を維持するための拠点を形成する」もので、第30次地方制度調査会「大都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービス提供体制に関する答申」を踏まえて制度化され、平成26年度から全国展開が行われている。

 この「連携中枢都市圏」は、「地方圏において、昼夜間人口比率おおむね1以上の指定都市・中核市と、社会的、 経済的に一体性を有する近隣市町村とで形成する都市圏」と規定されており、平成31年4月現在、34市32圏域が連携中枢都市圏を形成し、近隣市町村を含めた延べ市町村数も304に上っている。東北にはこれまでのところ、盛岡市を中心とする3市5町で形成する「みちのく盛岡広域連携中枢都市圏」、青森県八戸市を中心とする1市6町1村で形成する「八戸圏域連携中枢都市圏」、福島県郡山市を中心とする4市7町4村で形成する「こおりやま広域連携中枢都市圏」の三つがある。

 全国を見渡すと、県境を越えて連携中枢都市圏を形成している事例は、広島県福山市を中心に岡山県の2市、広島県の4市3町で形成している「備後圏域」と、広島市を中心に広島県の9市8町と山口県の2市5町で形成する「広島広域都市圏」、それに山口市と宇部市を中心とする山口県の6市に島根県の1町を加えた「山口県央連携都市圏域」の3例のみである。これらを見ても分かるように、県庁所在地同士が同じ連携中枢都市圏を形成している事例も、三県の市町村が同じ連携中枢都市圏を形成している事例も皆無である。仙台市、福島市、山形市を中心として三県の市町村が加わった連携中枢都市圏が形成されれば、そのポテンシャルはこれまでにある他の連携中枢都市圏をはるかに凌駕するものになると期待される。

 ただし、である。三都市を中心に連携中枢都市圏を形成する際に気を付けるべきことは、言うまでもなく仙台市への一極集中を助長する方向性に向かわないようにすることである。放っておいても、仙台市には人が集まる。従って、三都市を中心とする連携中枢都市圏で意識すべきは、仙台市から他の二都市に同じくらいの人が向かうための施策に重点を置くことである。連携や交流というのは決して一方通行ではあり得ない。お互いに行き来してこそ連携・交流は成り立ちうる。

 仙台市と山形市との関係で言えば、山形にあるもので仙台が逆立ちしても敵わないと仙台市民が思っているのは、さくらんぼとそばではないだろうか。毎年さくらんぼのシーズンには山形に向かう車がさくらんぼ狩りがお目当ての車で渋滞するし、秋の新そばのシーズンに山形に行ってそばを食べるというのも仙台市民にとっては普通の行為である。そのようなお互いの強みが見えれば、交流の方向性が見えてくる。

 ヨーロッパには複数の中心市がそれぞれ特化した機能を持ちつつ、互いのネットワークによって都市機能を集積しているような「多心型都市圏」があるという。仙台市、福島市、山形市を中心とする連携中枢都市圏も、そのような姿を目指すべきである。

「仙山福連携」が検索でヒットするような連携を
 さて、仙台市、福島市、山形市の三都市の連携を表す言葉として、「仙山福連携」あるいは「仙福山連携」という言葉を提案したい。ただ、この「仙山福連携」と「仙福山連携」、どちらがよいかちょっと迷うところもある。人口の順に並べると「仙福山連携」と言うべきなのだろうが、既に「仙山線」「仙山連携」という言葉があり、「仙山」という言葉がある程度定着している。かつ先に見たように、連携についても仙台市と山形市がこれまでのところ特に密であることを考えると、仙台市と山形市の連携をベースにさらに福島市を加えるという趣旨で、「仙山福連携」とした方がよいようにも思われる。

 今のところ、「仙山福連携」または「仙福山連携」はウェブで検索してもヒットしないワードだが、今後これら三都市の連携が進むにつれて、「仙山福連携」のヒット数も増加していくことに期待したい。まずはこの「東北復興」紙が検索でヒットするところから。


anagma5 at 01:54|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2019年06月29日

平谷美樹「義経暗殺」が面白い(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜東北に関係する書籍その10

 4月16日に刊行された「東北復興」紙の第83号では、平谷美樹の「義経暗殺」について取り上げた。平泉での源義経の死をミステリーの題材として取り上げたもので、史実をうまく取り込みつつ、完成度の高い作品となっている。

 以下がその全文である。


平谷美樹「義経暗殺」が面白い

義経暗殺義経の死を題材にしたミステリー
 ミステリーという小説の一ジャンルがある。謎が謎を呼び、最後に全ての謎が解き明かされるというスタイルである。このスタイルを貫徹するために、その舞台は作者によって隅から隅まで作り込まれる。当然、その舞台は現実世界とは異なる架空のもの。だから、仮にその舞台が歴史上の一時代のものであったとしても、その舞台は実際の歴史とは異なる架空のもの、であることがほとんどであった。

 ところが、最近読んだ平谷美樹(ひらやよしき)の「義経暗殺」。文庫書下ろしだというこの小説には唸らされた。歴史上実際に起こったと記録されている事件をしっかりと織り交ぜながら、それでいて無類のミステリーに仕上げられているのである。

 私は実はとにかく活字嫌いだったが、中学から大学に掛けて、まともに読んだほとんど唯一の活字がコナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズだった。そんな活字嫌いだった私が出版社に勤務しているのだから、本当に世の中何が起こるか分からないものだが、活字嫌いの唯一の除外がミステリーだったという私から見ても、この「義経暗殺」は実によくできていると思った。

博覧強記の実在の人物が主人公
 主人公の設定も秀逸である。本書で「謎解き探偵」の役を担うのは、これまた実在の人物である。その名も清原実俊。鎌倉幕府の公文書である「吾妻鏡」に、次のようなエピソードとともに登場する。

 奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、奥州藤原氏が支配していた陸奥出羽両国の台帳や土地・年貢を書き出した田文を取り寄せようとしたが、それらが平泉館と一緒に焼失してしまっていた。土地の古老に誰か知っている者がいないかと尋ねたところ、その古老は豊前介実俊とその弟の橘藤五実昌なら知っていると答えた。そこでその兄弟を呼び出して詳しく尋ねたところ、二人は確かにその内容を全て記憶しており、書き出して頼朝に提出した。余目一か所を書き漏らした以外には全く間違いがなかったので、頼朝は大いに感心して、二人をすぐに家来として仕えさせた。

 実在の人物としても、広大な陸奥出羽両国を管理する文書の内容を全てそらんじていた博覧強記の人物として記録に残されているわけだが、本書ではこの豊前介実俊こと清原実俊が探偵役に抜擢されている。ちなみに、小説の中では、兄実俊は頭脳明晰だが剣の腕前はからっきし、弟の実昌はそうした兄の弱点を補うかのような剣術の達人として描かれている。

 出版社による紹介記事は以下の通りである。

「1189年、兄頼朝に追い詰められ、平泉に逃げ込んだ義経。頼朝の圧力を受けて、奥州藤原氏・泰衡が衣川で義経を討ち取ったというのが歴史の定説である――しかし、この物語は通説を覆し、義経が妻子とともに自害したところから始まる。ただ、自害とするには現場の状況、義経の心理面などを洞察すれば不自然なことも多い……この謎に『吾妻鏡』に驚異の博覧強記としてその名が上がる、“頭脳の人”清原実俊が挑む。中級の文官である実俊だが、たとえ泰衡相手でも、強気の姿勢を崩さない豪放な性格である。それを苦心して諫めているのが従者の葛丸(男装しているが、実は女性)。泰衡、頼朝の刺客、弁慶、藤原一族。実俊がさまざまな“容疑者”を調べ、推理していく、傑作歴史ミステリー小説」。

 ミステリーが好きで、かつ奥州藤原氏や源義経に興味がある人にとっては、手に取って読まずにはいられない紹介文である。

謎が謎を呼ぶ歴史ミステリー
 物語は、義経が妻子を殺害し自害した姿で見つかるというところから始まる。史実でもそう伝えられるが、小説の中では、それが起きたとされる1189年の旧暦閏4月30日の3日前という設定である。奥州藤原氏四代目の御館泰衡は、その現場の状況に不審な点があると考え、清衡実俊に真相究明を命じる。

 姿を消した義経の郎従常陸坊ら12人の郎従の謎。このエピソードも「常陸坊を初めとして残り十一人の者ども、今朝より近きあたりの山寺を拝みに出でけるが、そのまま帰らずして失せにけり」と、「義経記」に出ている。

 死んだ義経も妻子も旅衣装だった。彼らはいったいどこに向かおうとしたのか。自害なのか、自害を装って殺害されたのか。殺害されたとすれば、誰が殺害したのか、その理由は何か。「容疑者」も数多い。御館泰衡、その兄国衡、弟の忠衡、祖父藤原基成、姿を消した義経の郎従常陸坊の一行、弁慶ら残された郎従、頼朝が放った細作(スパイ)…。その誰にも義経を殺害する動機があるように見え、真相はなかなか見えてこない。

 謎が謎を呼ぶまさにミステリーの王道を行く展開である。そしてまた話は義経が平泉に逃れて半年後に突然亡くなった先代の秀衡の死の真相にも迫る。そしてその翌年2月に秀衡の六男頼衡が殺されたその訳とは。史実通りに事態が展開していく中に、謎を盛り込んでいく作者の構成力は実にお見事というほかない。

 もちろん、奥州藤原氏と弁慶を始めとする義経郎従との合戦(衣川の合戦)、頼朝の奥州侵攻と奥州藤原氏の滅亡(文治五年奥州合戦)も、避けられない現実として、この小説の中でも起こる。そしてまた秀逸なのは、その裏にあったものについて、作者は歴史ミステリーの形を取りながら、敗者の心中をしっかり語らせていることである。

 清原実俊の御館泰衡に対する温かい目線や、泰衡が決して凡愚な君主としては語られていない様子には、取りも直さず作者の泰衡に対する目線が表れている。家督を継げなかった長男国衡にその思いを語らせているところも実に面白い。また、蝦夷を母に持つ国衡には、それだけでなく、奥州人としての思いも語らせているのも興味深い。

東北人としての叫び
 作中では、主人公清原実俊は景迹(きょうじゃく=推理)の達人として描かれている。特に、初対面の相手に対して、実俊は「プロファイリング」を行う。御館泰衡に対してはこうである。

「国のためなら己を滅する。己の感情よりも、まず国の利益になるかどうかを考えて、あるべき御館の姿を演じている」、「度量が大きく何事にも動じない。威厳がありながらも偉ぶることをせず、腹の立つ態度をとるおれのような者の言葉も辛抱強く聞き、目まぐるしく頭を回して、相手の真意を読みとろうとする。己が賢しいことを知っているが、その限界も知っているゆえ、おれに相談しに来たか。うむ。確かにおれの方が汝より賢しい」

 泰衡はその言葉を実俊の景迹の通り笑って聞くが、それ以外の登場人物は例外なく怒る。しかし、その登場人物も極めて魅力的に描かれている。御館泰衡はもちろん、国衡、忠衡、家臣の長崎太郎(これまた義経記に登場している)、そして最初は主人公に「帝に仕えるよりも平泉藤原家と結んだ方が美味い汁を吸えると思った狡っ辛い男」とけちょんけちょんに酷評された藤原基成さえも、最終場面では主人公清原実俊に対して温かいまなざしを向け、的確なアドバイスを送る人物として描かれる。

 これに対して、頼朝、梶原景時の描かれ方と言ったら…。作者の平泉に対する並々ならぬシンパシーが感じられる。

 作中で実俊は陸奥出羽両国の未来についてこう予測する。

「平泉藤原家が源九郎を匿ったことを理由に、源二位が攻めてくる。そして、平泉藤原家は滅びる。庇護者を失った出羽、陸奥国は、俘囚の国よとさげすまれ、常に搾取されるばかりとなる。百年、二百年、千年たってもそれは変わらぬであろう。平泉は、出羽、陸奥国は、衰退し、いずれ鎌倉に劣る田舎となる。ただただ米を、馬を牛を、都へ送るために存在する国となり、住む者たちは奴婢と同様に扱われるのだ」。

 そして、「考えなければならぬのは、これから先、当来(未来)のことだ」、「出羽、陸奥の民がこれから歩まなければならぬ修羅の道には、灯りが必要だ」と強調する。その「灯り」が何だったのかは本書を読んでいただくとして、その主人公の叫びは、作者そのものの叫びだったのだろう。作者の平谷氏は岩手県久慈市の出身である。

 同じ東北に住む一人として、私にも、奥州藤原氏を滅ぼし、奥羽を我がものとした頼朝に対するモヤモヤした感情はある。他にも東北に住む少なからぬ人が恐らく、多かれ少なかれ同じ思いを持っているのではないかと思う。本書でも、奥州藤原氏の滅亡を目の当たりにした主人公にそうした思いを持たせていることにも共感が持てる。そして、その張本人である頼朝の最期(それも記録に残っている内容だ)が、そうした主人公の復讐心の結果だったのではと想像させる記述になっているところも、東北人としては溜飲が下がる思いもした。

 本書の裏表紙の記載は、「百年の平和と映画を誇る奥州平泉にとって、落ちのびてきた源義経はまるで疫病神であった。新たに派遣を握った源頼朝が、追討令が出ている義経を口実に、奥州藤原氏を潰しにかかるは必定――。対応を巡って意見が対立する中、突如として義経は死んだ。あたかも妻子を伴っての自害に見えるが……。平泉の天才文官・清原実俊が、従者の葛丸らとともに真相解明に乗り出す。運命に翻弄される者たちの熱誠が胸を打ち、恐るべき真実が結末に待ち受ける、歴史ミステリーの傑作がここに誕生!」である。

 この文章にそそられた人にはぜひ、ご一読をお勧めしたい。


2019年06月28日

8回目の3月11日(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その119

 「東北復興」紙の第82号が3月16日に刊行された。毎年この3月に出る号には震災関連の記事を寄稿しているが、そうすると3月11日くらいになってから入稿することもしばしばである。それでも16日の刊行に間に合わせてくださる砂越編集長には頭が上がらない。

 今回も「8回目の3月11日」と題して、3月10日に開催された「仙台防災未来フォーラム」の話題と、翌11日の仙台市若林区荒浜の様子を紹介した。このうち、荒浜の様子については、このブログの3月11日付の記事とほぼ同じ内容であるので、前半の「仙台防災未来フォーラム」の話題についてのみ、ここに再掲する。


8回目の3月11日

WP_20190310_08_51_14_Rich_LI仙台防災未来フォーラムの意義
 震災から丸8年となる前日の3月10日、仙台国際センターで「仙台防災未来フォーラム2019」が開催された。4年前に国連世界防災会議が仙台で開催され、「仙台防災枠組」が採択されたが、それを契機にその翌年から年に一度、東日本大震災の経験や教訓を今後の防災につなげるために開催されている仙台市主催のイベントである。

 今回は防災に携わる74団体が出展し、市民など4,000人超の参加があったそうで、震災から8年が経とうとしているこの時期でもそれだけの参加があるというのはいいことだと思う。今年は「しまじろうスペシャルステージ」など子ども向けの企画もいくつかあって、親子連れもたくさん参加していた。震災から8年が経過して、震災後に生まれた、震災を体験していない子どもたちが年々増えている中、このような子ども向け企画を充実させていくのは防災教育の上でとてもいい試みであると思う。

 しまじろう、グッジョブ!である。

震災復興をどう考えるか
 東北大学災害科学国際研究所主催の連携シンポジウム「震災8年シンポジウム〜東日本大震災教訓の共有と継承を考える〜」では、2004年のインド洋大津波被災地、インドネシアのアチェの復興も参考にしながら東北の復興を考えるという興味深い企画であった。アチェはまさに震災復興の先輩であり、私もかつて自分のブログでそのことを書いたことがある。

 シンポジウムでは、仙台の復興公営住宅での社会的孤立と、アチェの個人の力ではなく家族の力を活かした再建が対比されていました。一方で、日本はそうした家族や地域のしがらみから離れて一人でも生きていける社会を追求してきた結果として現在があるという実情があり、であればだからこそできることを考え、よい点を伸ばすべきとの意見もあった。

 各シンポジストの言葉で印象に残った言葉は以下のようなものであった。

西芳実氏(京都大学東南アジア地域研究研究所准教授)
・大文字の復興(共通の目標)と小文字の復興(個別の目標)がある。
・復興だけを考えるのではなく、被災前からの課題に着目し、災害に限定せず災害後を考えることが必要。

本江正茂氏(東北大学大学院工学研究科准教授)
・復興に深刻になりすぎない方がいい。語るトーンを優しく、違う角度からも見てみる。面白がってやる。

マリ・エリザベス氏(東北大学災害科学国際研究所情報管理・社会連携部門准教授)
・復興と防災を一緒に考えるべき。復興には終わりはない。

笠原豊氏(東北放送報道部ディレクター)
・冷静に考え、検証する段階に来ている。その部分でメディアと研究者の連携は重要。

 他のセッションのうち、AiNest(アイネスト)主催の「健康寿命を延ばして災害弱者を減らすまちづくり」では、地域の防災力を高めるに、自分で判断・行動できる「災害弱者にならない事前対応」が望まれるとして、高齢者の健康寿命を延伸し、災害弱者を減らすまちづくりの事例が紹介された。

 東北大学工学研究科フィールドデザインセンターとNTTサービスエボリューション研究所による「ステルス防災:防災・減災の行動を日常にインストールする」では、普段後手に回りがちな防災を、日常の負担を軽減、あるいは日常の中に織り込まれたような形で提供される試みについて提案された。そのネーミングと共に興味深い取り組みであった。

 東北福祉大学主催の「障がいと地域防災−情報提供・支援のあり方とは−」では、障がい者が積極的に周囲と関係性を構築することによって、災害発生時に支援される側から支援する側に回る可能性について言及されたことが印象的であった。

(※以下の内容は本ブログ2019年3月11日の記事を参照)


2019年05月16日

「記憶の記録プロジェクト『田』」の5年間の活動〜私的東北論その118

v4ttGKdJJTJqx5i1557992092_1557992134 主に仙塩地区の医療介護福祉職の人たちによる任意の集まりである「夜考虫。」の中に、医療介護福祉関係の方々の震災に関する記憶を記録して発信するプロジェクトである「記憶の記録プロジェクト『田』」がある。私も4人いるそのメンバーの一人として活動を続けてきたが、早いもので2014年の活動開始から丸5年となった。
 これまで毎年、年度末に活動報告書を作成してきたが、今回は5年の区切りということで、これまでの5年間の活動報告書をまとめ、加筆などもしてみた。こうして振り返ってみると、本当にたくさんの人にお話を聞かせていただいたことを改めて実感する。その情報を埋もれさせることなく広く世に発信していくことが、聞かせていただいた者の責務だと思うので、今後も機会ある毎に震災に関する情報を伝え続けていくつもりである。

 まずは一区切りとしてこの5年間の活動報告書を公表すると共に、追ってこれまでお話を聞かせていただいた方々にも個別にお送りする予定である。これからの5年間に向けて今年も、できる範囲でではあるが、活動を続けていこうと思う。

 なお、活動報告書は上の画像をクリックしていただくか、ここをクリックしていただくと表示される(はずである)。

2019年03月23日

キリンとアサヒがコラボした東北産ビールが飲みたい!〜私的東北論その117

WP_20190321_13_13_00_Rich_LI (3) 以前、キリンが誇る東北産ホップ「IBUKI」について書いた。国産ホップの約96%を占める東北産ホップ、その約70%はキリンの契約栽培による「IBUKI」を中心とするホップである。国内で圧倒的シェアを持つこの「IBUKI」ホップを、キリンは東北を中心とするクラフトビールブルワリーにも卸し始めている。それによって、東北産ホップを使ったビールがクラフトビールブルワリー各社から登場するようになった。キリンはこのホップを通じて東北のクラフトビールブルワリー各社や自治体と連携を強め、いわて蔵ビール、秋田あくらビール、仙南シンケンファクトリー、遠野麦酒ZUMONA、やくらいビール、田沢湖ビール、さくらブルワリーの東北のクラフトビールブルワリー7社でつくる「東北魂ビールプロジェクト」に参画すると共に、東北産ホップの一大産地である岩手県遠野市と秋田県横手市におけるホップを通じた地域活性化事業にも力を注いでいる。

 一方、アサヒは東日本大震災の被災地支援の一環として、2014年から「東松島みらいとし機構」と連携して、宮城県東松島市の津波の被害を受けた土地で、塩害に強い大麦「希望の大麦」の栽培を進めている。収穫された大麦は当初、やくらいビールがその醸造を請け負い、「グランドホープ」という名のビールとして発売したが、その後アサヒ自らも醸造して「希望の大麦エール」として発売するとともに、今年は穀町ビール、ベアレンビールもこの「希望の大麦」を使ったビールを醸造、発売している。

 さて、ビールに欠かせない原料は麦芽とホップ、及び酵母と水であるが、東北に住むビール好きとしての興味は、この2つの東北のビール原料、すなわち「希望の大麦」の麦芽と「IBUKI」ホップを使ってビールを造ったらどんなビールになるのだろうということである。キリンの「IBUKI」ホップを使った代表的ビールである「とれたてホップ一番搾り」を始め、「IBUKI」ホップを使った東北のクラフトビールブルワリー各社のビールも、麦芽については特段表記がない。恐らく通常のビール同様、海外産の麦芽が使われているのだろう。

 一方、アサヒの「希望の大麦エール」も麦芽こそ「希望の大麦」だが、ホップに関しては表記がない。恐らくはやはり海外産のホップを使用しているのだろう。唯一、アサヒの東北限定販売の「クリアアサヒ東北の恵み」は山形産ホップ使用と明記されているが、肝心の「希望の大麦」は「一部使用」に留まり、何より「クリアアサヒ」は「ビール」ではない(リキュール類)。

 そこで、キリンの「IBUKI」ホップとアサヒの「希望の大麦」麦芽を使ったビールに興味が湧くわけである。この2社がコラボして、それぞれ「IBUKI」ホップと「希望の大麦」麦芽を使ったビールを造ってくれないものだろうかと思うのである。同じ原料を使っても、恐らくキリンとアサヒとでは全く味の方向性が異なるだろう。その味の違いにも興味が湧く。

 キリンとアサヒと言えば、トップシェアを競い合う、いわばライバル中のライバルなわけで、常識的に考えればそんなこと実現するはずはないというのが大方の見方だろう。そうかもしれないが、だからこそ余計にこのコラボが実現すれば相当のインパクトがあるだろうと思う。
 今日、ライバルというのは、競争するだけの相手ではない。時には、「協奏」あるいは「共創」してもよいのではないだろうか。上り調子のクラフトビール市場を除けば、ビール市場全体は年々縮小傾向である。ここは業界1位と2位が強力にコラボして、ビール市場を盛り上げてもらいたい。狭くなったパイの中で奪い合うのではなく、手を携えてまずはパイ自体を広くして、その上で切磋琢磨してもよいのではないだろうか。

 そんなわけで、キリンとアサヒのコラボしたビールの誕生に期待したい。単なる私の勝手な期待だが、復興支援を旗印にすれば前代未聞のこのコラボにも取り組みやすいのではないだろうか。かつて「地ビール」と呼ばれたビールは現在、「クラフトビール」と呼ばれるようになってきていおり、「地ビール」という言葉は以前ほど聞かれなくなってきている。しかし、かねてから言っているが、私はこの「地ビール」という言葉は今後、その土地の原材料を使って醸造されたビールに冠される用語となるべきだと思うのである。その意味では、ビールの主要原料である麦芽とホップに東北産の「希望の大麦」と「IBUKI」ホップを使ったビールは、紛れもない東北の「地ビール」である。しかも、大手二社が力を合わせて造った空前絶後の「地ビール」である。

 よく見てみると、「IBUKI」ホップを使ったビールも、「希望の大麦」麦芽を使ったビールも、どちらも手掛けているブルワリーが存在する。やくらいビールである。まずはやくらいビールが両社の仲立ちをして、このコラボの実現に向けて動いてくれるとよいなと思う次第である。


2019年03月18日

東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その116

 2月16日刊行の「東北復興」第81号では、「地域元気指数調査2018」の結果から見えてくるものについて書いてみた。47の評価要素を数値化した「地域元気指数」では上位には表れてこないが、個別に見ていくと、東北らしさと言えるものが見えてくる。以下がその全文である。


東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から

「地域元気指数」とは
 地域のリサーチ・マーケティング、コンサルティングなどを手掛ける株式会社アール・ピー・アイは、1月16日「全国『地域元気指数調査』2018」の調査結果を公表した。同社あはこの調査を2015年から実施しており、今回が4回目となる。全国の20〜69歳の男女約10万人に調査したとしている。

 「地域元気指数」とは同社の造語で、「全国の都道府県別・市町村別の元気度や元気の評価要素を共通のモノサシで測定する」ことを目的に、「地域の総体的な元気度及び、元気の源となる47の評価要素を数値化したもの」である。

 より詳細に見てみると、まず「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合いを10段階で評価した平均値」である「地域元気指数」と、「地域の元気度合いの要因を詳細に分析する」という「地域元気の5つの視点」、その5つの視点それぞれに「地域元気の評価要素」が9〜11要素ずつ、合計47要素が割り振られている。「地域元気の5つの視点」とは、〆J襪蕕靴討い訝楼茲慮悗蠅箘γ紊砲弔い董↓∈J襪蕕靴討い訝楼茲瞭わいについて、今暮らしている地域の住みやすさについて、ずJ襪蕕靴討い訝楼茲侶从儚菷度・安定度について、ズJ襪蕕靴討い訝楼茲離灰潺絅縫謄の充実度について、の5つである。

調査結果から見えてくるもの
 調査結果をざっと見ていくと、全都道府県における地域元気指数トップ10は、沖縄県と東京都が同率(地域元気指数6.17)で第一位、以下神奈川県(6.02)、兵庫県(5.94)、愛知県と石川県(5.91)、福岡県(5.89)、大阪府(5.87)、熊本県(5.81)、滋賀県(5.76)と続く。地域元気指数の全国平均は5.69とのことである。

 続いて、地域元気指数そのものの増減を前年との比較で見てみると、宮崎県がトップ(+0.21)で、次いで熊本県(+0.20)、福島県(+0.18)、宮城県(+0.15)、兵庫県(+0.14)となっている。この点について、調査サマリーでは「復興と特徴を活かした地域づくりが地域元気を上昇させたと考えられる」と考察している。

 市町村で見ていくと、まず市では(605市の平均5.77)、愛知県長久手市(7.60)が3年連続一位で地域元気指数も前年より0.39ポイント上昇。以下、千葉県浦安市(6.97)、沖縄県石垣市(6.94)、兵庫県西宮市(6.87)、神奈川県海老名市(6.81)、東京都武蔵野市(6.79)、沖縄県豊見城市(6.75)、宮城県富谷市(6.72)、石川県野々市市(6.70)、千葉県印西市(6.66)となっている。

 町村では(237町村平均5.50)、一位が沖縄県北谷町(7.35)、次いで福岡県新宮町(7.32)、沖縄県南風原町(7.26)となっており、以下熊本県菊陽町、沖縄県西原町、静岡県長泉町、福岡県那珂川町、沖縄県中城村、北海道倶知安町、沖縄県与那原町という結果だった。トップ10に沖縄県から5町村がランクインしているのが目を引く。

 同調査では、地域元気指数が高い市町村の理由を先述の「地域元気の評価要素」である47の要素に分けて調査し、その秘訣を探ってみている。その結果、地域元気指数が高い市町村では、「新しいものを受け入れる風土がある」「地域に楽しめる場所がある」「地域内で若い人の姿を多く見かける」「地元で買い物をする人が多い」「再開発などで街が変化し地域が魅力的になった」などの割合が高く、そうした要素が地域の元気をつくる秘訣となっているとのことである。調査サマリーでは「総じて、商店街や集客施設等、人が集まる場の活気が、地域の元気を支えている結果となった」とし、「ヒト・モノの流動と人が集まる場所の活気が、地域の元気を支えている」とまとめている。

 ちなみに、見てきたように、東北の都道府県と市町村でトップ5までにランクインしているのは、唯一宮城県富谷市のみである。富谷市は仙台市の北側に位置し、仙台市のベッドタウンとして人口増が続いている。国道4号線沿いに大規模商業施設が相次いでオープンし、県内屈指の集客力を誇る。そうしたところが「元気」と判断されたのだろう。

自己評価と他者評価が一致しない項目に東北の県が現れる理由

自己評価・他者評価が比較的不一致 この調査で面白いのは、都道府県別に自己評価と他者評価についても調べていることである。その結果、「観光客がたくさん訪れている」「交通基盤が整っている」「にぎやかで楽しい」「活力がある」などでは自己評価と他者評価の一致度が高かったが、「食べ物がおいしい」「人が優しい」「地域の人同士のつながりが強い」「子育て環境が整っている」などは自己評価と他者評価の一致度が低いことが分かった。

 確かに、一致度が低いとされた項目は元々主観に左右される要素が大きそうな項目であるように見える。ちなみに、「食べ物がおいしい」の自己評価第一位は断トツで山形県(そう思う75.3%)で、青森県も第五位(68.8%)に入っているが、一方の他者評価での第一位は北海道(93.0%)で、以下福岡県、熊本県と来て、第四位に秋田県がランクインしている。

 「人が優しい」の自己評価では第五位に岩手県(そう思う56.0%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、二位に青森県(70.6%)、三位に福島県(70.5%)、四位に秋田県(68.1%)と、東北が三県もランクインしている。

 「地域の人同士のつながりが強い」では第五位に山形県(そう思う40.6%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、やはり青森県が二位(78.2%)、四位に秋田県(66.2%)、五位に福島県(65.6%)がランクインしている。

 「食べ物がおいしい」の山形県の自己評価はいい意味で非常に好ましいと思う。自分たちの土地の食を極めて肯定的に見ていることがよく分かる。確かに種類豊富な果物、そば、芋煮、伝統野菜、米沢牛、三元豚など、数え上げればきりがないくらい美味しい食がある。他者評価との差は、その魅力がまだ十分他地域の人に伝わっていないということなのだろう。自己評価五位の青森県にも同様のことが言えるに違いない。

  「人が優しい」、「地域の人同士のつながりが強い」の他者評価で上位にランクインしている青森県、福島県、秋田県は、そのような他者評価がされているということを、積極的にPRしてみてはどうだろうか。「人が優しい」などは観光客を呼び込む際のPR材料としてうってつけである。

 「地域の人同士のつながりが強い」は、今国がその実現に向けて施策を立案している「地域共生社会」における重要な要素でもある。他者評価で上位にランクしているやはり青森県、秋田県、福島県の三県は、その強みを再認識し、その実際の姿について積極的に情報発信してみてはどうだろうか。「地方は末端ではなく、国の先端なり」と言ったのは元沖縄県読谷村長で現在参議院議員の山内徳信氏だが、「地域の人同士のつながりが強い」と他者から評価されているこれらの県は、まさに「国の先端」と言うべきだろう。

 五位以下の順位は調査サマリーでは記載がなく不明ではあるが、恐らくは東北の他の三県もこれらの項目についてはさほど順位が下ではないものと考えられる。自己評価と他者評価が一致しないということは、少なくとも東北に住む人自身は、きっとあまりに当たり前過ぎて、自分たちが「優しい」とか「つながりが強い」などとは思っていないということなのだろうが、自分たちの「強み」が何かということは、他の地域からの方がよく見えるものなのかもしれない。

 「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合い」を評価するという「地域元気指数」において東北の各県、各市町村が上位にランクインしないということは、東北に住む人自身が、自分たちの地域はそれほど元気でないと評価している表れであると言うこともできるが、一方でその自分たちの地域は「優しさ」や「つながり」において他地域から評価される存在であるということは大いに誇るべきことである。

anagma5 at 19:01|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2019年03月11日

震災から8年〜私的東北論その115

あの日から8年である。
8回目の3月11日は、朝から強い風と雨。
この8年で雨の日は初めてだろう。
あの日、地震に追い打ちをかけるように雪まで降ってきたことを思い出す。

8年経っても、この日だけはいつもと違う心持ちになる。
心の中が何となくざわついているような、何か胸に引っかかるものがあるような、何とも落ち着かない気分である。
その傾向は地震発生時刻の14時46分に向けて強くなるような気がするので、とても平気な顔して仕事を続ける気にもなれず、毎年この日は午後休みを取って、弟の最期の場所、仙台市の沿岸、荒浜に足を運んでいる。

WP_20190311_14_04_18_Rich_LI今年もまず、弟がいた若林区役所を訪れる。
献花場は、昨年から近くの若林区文化センターに移されたので、そちらに行って献花する。
会場では仙台市の追悼式も開催されようとしているところだったが、出る気にはならず、今年もあの日弟が通ったであろう道を自転車で一路荒浜に向かった。






WP_20190311_15_12_02_Rich_LI今年は雨風が強かったためか、例年より随分人は少なかったが、それでも旧浄土寺の慰霊碑の前や荒浜慈聖観音の前では、一心に手を合わせる人の姿があった。










WP_20190311_15_14_20_Rich_LI大津波でほとんどが倒れてしまった松林、少しずつ新たに植林が進んでいた。
何十年後か、またこの海沿いに見事な林が復活することだろう。









WP_20190311_15_17_21_Rich_LI防潮堤に登って見下ろすこの日の海は、強い風を受けて大きな波が打ち寄せていたが、はるか向こうで波しぶきが立っているだけで、あの日この防潮堤を易々と超えていった大津波とは比べるべくもない。









WP_20190311_15_52_51_Rich_LIこの地に大津波が押し寄せた15時54分に合わせて、今年も弟の遺体が見つかった南長沼に赴いて手を合わせる。
これで何がどうなるということでもないが、今や自分の中では毎年の恒例行事である。







WP_20190311_16_20_49_Rich_LI帰りに、霞目にある「浪分神社」に寄る。
江戸時代にこの地を襲った大津波が、ここで南北に分かれたと伝えられている。
つまり、過去の津波到達地点を示す神社であり、実際今回の地震でもこの神社の近くまで津波が押し寄せたが、この神社の津波に関わる伝承は残念ながら広く伝わってはいなかったそうである。
どんな教訓も、伝わらなければ意味がない。
今回の地震の教訓も、伝える努力を続けなければいけないと改めて思った。

WP_20190311_23_28_20_Rich_LIなどと振り返りながら、家に帰ってお気に入りのビールを飲む。
震災以来、この日はどんなイベントがあろうと、誰からお誘いがあろうと、家に帰ってあの日を思い起こしながら飲んでいる。
つまみは必ず、子どもの頃、弟とおやつに食べてたやきとりの缶詰である。
二人とも特に皮のついたところが大好きで、でもケンカせずに仲良く分け合って食べてたことを覚えている。
今年は昔二人の憧れだった大きな缶が手に入らなかったので、小さい缶を4段重ねである。

こうして飲み食いできるのも、生きていればこそ。今日生きていられることに感謝しつつ、もしまた明日が来てくれたなら、またいつもの一日を送りたいと思う。



2019年02月24日

東北で地ビールが飲める店その83〜岩手県大船渡市&陸前高田市

 大船渡市は、岩手県の三陸沿岸南部にある人口約36,000人の市である。後に紹介する陸前高田市、そして宮城県気仙沼市と共に、いわゆる「気仙地域」の中心部を構成しており、文化的にも心理的にもこれら3市はつながりが深い。

WP_20190112_21_54_25_Pro_LI BRTの大船渡駅近くにある複合スペース「キャッセン大船渡」の中にある「湾岸食堂」は大船渡産の牡蠣を中心とした料理が食べられる店である。ビールも国内外のビールが10種類置いてあり、特に岡山の宮下酒造の「牡蠣に合う白ビール」があるのがよい。





WP_20190112_23_24_27_Rich_LI 地元で知り合った方に教えていただいたのだが、やはり大船渡駅の近くにあるダイニングバー「Bobbers(ボバーズ)」には、樽生が5種類、瓶が10種類、ビールがある。ベアレンビール、遠野麦酒ズモナなど岩手のビールの他、海外のビールもある。ビールに合いそうな魚介類や肉類の料理もある。




WP_20190112_23_29_08_Rich_LI もう一軒教えていただいた「バー&カフェ ロビン」は生フルーツのカクテルが美味しい店だが、タップマルシェがあるのでクラフトビールも楽しめた。








 一方の陸前高田市は、大船渡市の南に位置する人口約19,000人の市である。ちなみに、読み方は「りくぜんたかた」である。震災前は海岸沿いの松林「高田松原」で有名だったが、東日本大震災の大津波で1本を除いて全て流された。残った1本は「奇跡の一本松」として、人々に勇気と希望を与えてくれた。

1029_792449937549471_625050140520665904_n BRT脇ノ沢駅から徒歩10分のところにある「農家カフェ フライパン」では、いわて蔵ビールのオイスタースタウトが飲める。いわて蔵ビールのオイスタースタウトは、ここ陸前高田市の広田湾の牡蠣の身と殻を使って造られている。それだけでなく、地元産の「米崎りんご」を使っていわて蔵ビールが醸造したオリジナルビール「りんごエール」も飲める。地元の野菜などを使ったフードもいろいろ揃っていて、ピザやパスタも美味しいが、私のお気に入りは月替わりで提供される本格的なカレーである。

 









WP_20190112_18_25_32_Rich_LI この地域で楽しみな話もある。昨年、「三陸の農産物、海産物を使ったビールを造ることで三陸の魅力を発信していきたい」と、南忠佑さん夫妻が「三陸ブルーイング・カンパニー」を立ち上げた。そこで造られるビール、その名も「三陸ビール」、今は他の醸造所の醸造設備を使って醸造しているが、ゆくゆくは大船渡市内に醸造所を造りたいとのことである。

 1月12日には上で紹介した陸前高田市内の「農家カフェフライパン」を会場に、「三陸ビールを楽しむ会」も開催され、大入り満員だった。この地域の代表的な酒蔵である酔仙酒造と同じように、三陸ビールもきっと、大船渡と陸前高田にまたがって活動していくのだろうと感じた。

 現在の主力は、地元でお茶にする「ヤブツバキ」の葉を加えたベルジャンホワイトスタイルの「週末のうみねこ」と、三陸産の牡蠣の身と殻を使ったオイスタースタウト「ばばばスタウト」である。今後も三陸や首都圏で出店して、いろいろなスタイルのビールを醸造していくそうである。


東北で地ビールが飲める店その82〜福島県喜多方市

170915-171330 喜多方市は福島県の西部、会津地域にある人口約47,000人の市である。その名の通り(以前は「北方」と表記した)会津の中心地である会津若松市の北方にあり、「蔵とラーメンの町」として有名である。特に「喜多方ラーメン」は、日本三大ラーメンの一つに数えられることもあり、全国的にファンが多い。週末などは人気店に長蛇の列ができる。

 喜多方を含む会津地域は日本酒が有名で、11年前に「会津麦酒」がなくなって以来、昨年南会津に「南会津マウンテンブルーイング」ができるまでの10年間、福島県の約4割を占めるこの広大な地域に、地ビールは「猪苗代ビール」が孤軍奮闘状態であった。会津全体がそのような状況であるので、喜多方市内でもその御多分に漏れず、地ビールが飲める店は今まで見つけられていなかった。

 というような話を2年前の9月くらいに、会津若松で行きつけの「時さえ忘れて」でしたところ、マスターから喜多方市役所裏にある「醸造酒バー二代目Kogiku」を教えていただいた。ちょうどその半年くらい前に、店を前の人から受け継いだのだそうで(だから店名が「二代目」)、その名の通り、醸造酒である日本酒、ワイン、そしてビールがいろいろ揃っていた。ビールは福島路ビール、ブルックリンラガー、ヒューガルデン、ベルビュー・クリークが樽生で置いてあった。その後、タップマルシェも入った。醸造酒に合いそうな料理もいろいろと揃っていていい店である。

東北で地ビールが飲める店その81〜山形県川西町

WP_20190108_18_02_28_Rich_LI 川西町は山形県の内陸南部、置賜地域にある人口約15,000人の町である。置賜地域の中心である米沢市の西隣に位置している。日本最大規模の観光ダリア園である「川西ダリア園」で有名である。

 町の中心部はJR羽前小松駅の西側で、役場も駅から徒歩4分のところにある。その反対の東側、町民総合体育館に向かう途中に「Spice kitchen GARBANZO(スパイスキッチン・ガルバンゾー)」(東置賜郡川西町中小松2236-5、TEL0238-33-9174、11:30〜14:30※土日祝は〜15:00、17:00〜22:00、水曜定休)がある。スパイスカレーが美味しく、かつクラフトビールも揃う、いい店である。

 ビールは、地元の米沢ジャックスブルワリーのビールやタップマルシェなど樽生7種に、国内外の瓶ビールが13種ある。カレーの看板メニューは「濃厚バターチキンカレー」だが、「厳選スパイスのキーマカレー」など、いろいろある他のカレーも美味しい。

 米沢方面から向かう際にはJR米坂線を利用することになるが(路線バスは時間が掛かる上に平日3便のみの運行である)、夜に行ってビールを飲もうとすると、米沢に戻る最終列車が最寄りの羽前小松駅19:37発(米沢駅20:02着)なので、行きは米沢駅17:03発の列車に乗りたい(羽前小松駅17:25着)。羽前小松駅から店までは徒歩10分弱である。