2020年08月18日

なぜに少ない東北の感染者数(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その133

 8月16日発行の「東北復興」第99号では、東北の新型コロナウイルス感染者が他地域に比べて明らかに少ないということについて書いた。10万人当たりの感染者数で見ると、東北六県は全て一ケタ台に抑えられている。地域全体でこのような低い数値に抑えられているのは東北だけである。その理由は全く不明だが、これは東北に住む我々にとってアドバンテージとも言えるかもしれない。ニュースや新聞だけ見ていると、大都市圏などの感染拡大の報道に接して、あたかも自分たちの地域も危機的な状況にあるような錯覚に陥ってしまいがちだが、しっかり足元のデータを見てどのような状況なのか判断したいものである。以下がその全文である。

 なお、通常であれば、新聞の発行から概ね一月が経過してからこのブログに再録していたが、今回のこの話は今すぐにでも知ってもらいたい内容であるので、発行からあまり日が経っていないがこちらでも公開することにした。


なぜに少ない東北の感染者数

新型コロナウイルスの感染再拡大
 新型コロナウイルスによる感染症が再拡大している。その理由については、緊急事態宣言が解除されて人の往来が再開されたこと、若年層の感染者が特に増えていることからこの世代の行動が感染に結びついていること、PCR検査の実施件数が増えたこと、など様々に指摘されているが、そうした事情が複数関与している可能性がある。感染が確認された人の数が増えた割に、重症者や死亡者があまり増えていないという状況からは、検査対象を自覚症状がある人以外に、自覚症状のない感染者の濃厚接触者にも拡大し、積極的に検査を行うようになったことなども影響していることが窺える。

 このPCR検査の実施数は都道府県によってけっこうばらつきがある。もちろん、感染者数にも左右され、人口にも左右されるので、当然と言えば当然なのだが、よく見てみると検査数に占める感染者数の割合もまた、都道府県によって随分異なる。検査に対する都道府県の姿勢の違いもあるのかもしれない。検査数の多さの割に感染者数が少ない県は、積極的に検査を行う方針を掲げていることが考えられる。一般に、検査数を増やせばその分、特に無症状の感染者を発見するケースも増えるので、感染者数は増える。

都道府県別に感染状況を見てみると
都道府県別新型コロナウイルス感染状況 そのようなわけで、そもそもの検査数やそれによって確認された感染者数には都道府県による差異がありそうで、なかなか単純な比較は難しいのであるが、とりあえず8月8日現在の都道府県ごとの感染の状況をまとめてみた。これに人口と人口密度も加えてみた。こちらは今年4月1日現在の推計値である。

 ざっと見ていただくとすぐ分かることだが、検査件数に占める感染確認者の割合も、人口に占める検査件数の割合も、都道府県によって大きな差がある。もちろん、感染確認者の数自体もである。東京は感染が確認されいた人の数が14,645人と圧倒的に多いが、一方で人口も圧倒的に多い。

 このように、感染が確認された人の数だけ見ていても、その都道府県で感染者が多いのか少ないのか分からないので、人口10万人当たりの感染確認者数を出してみた。すると、東京は人口10万人当たりで見ても105.0人と、他の道府県と比べてやはり感染者数が突出して多いことが分かる。他に、大阪は58.3人、福岡が48.5人、埼玉が36.6人、京都が35.0人、愛知が33.6人、神奈川が32.1人、千葉が31.8人と大都市圏を抱える府県がやはり軒並み10万人当たりの感染確認者が多いことが分かる。沖縄も最近感染が急拡大したことを受けて、人口10万人当たりの感染確認者数が53.9人と、急増している。

 この人口10万人当たりの感染確認者数を見ていくと気づくのが、東北六県におけるその少なさである。最近まで感染者が確認されていなかった岩手県を始め、六県全てで人口10万人当たりの感染確認者数が一ケタ台と、100人を超えている東京はもちろん、二ケタ台の他の多くの道府県と比べてもその少なさが際立っている。その地方を構成する全ての都道府県が揃って感染確認者数が少ないという地方は他にない。敢えて言えば、中部地方の中の新潟、長野(信越)、中国地方の中の鳥取、島根(山陰)も少ないが、それらが目につくくらいで、東北六県のような広い地域で同じように感染確認者数が少なく抑えられている地方は他に日本のどこにも存在しないのである。

東北にも「ファクターX」が?
 こう書くと、こういう見方が出てくるかもしれない。東北地方は面積は広いが人口は少ない。人口密度が低く、自ずとソーシャルディンスタンスが確保できているので、感染確認者数が少ないのではないかと。それで人口密度も表に加えておいたのであるが、これを見てみると、例えば百万都市仙台を抱えて東北の中では感染確認者数が多めの宮城県の人口密度は、これまた東北では最も高い316.27人である。同じような数値の県と比べてみると、同様に百万都市広島市を抱え、人口密度が331.14人の広島は人口10万人当たりの感染確認者数は13.8人であるし、同様の人口密度である栃木、群馬、三重、滋賀、奈良、佐賀、長崎などと比べてみても、やはり宮城は低く抑えられている。

 大都市圏を抱える都府県の感染確認者数が多いために人口密度が高いと感染確認者数も多くなるように見え、事実その傾向はありそうだが、個別に見てみるとその中でもかなりばらつきがある。例えば、宮城を除く東北の5県並みに人口密度が低い高知が、人口密度が高い他の四国3県よりも人口10万人当たりの感染確認者数がかなり多かったりということも見て取れる。

 ノーベル賞受賞者の山中伸弥氏は、日本人に新型コロナ死亡者が少ない背景にある何らかの隠れた要因を「ファクターX」と呼んだが、こうして見てみると、さらに東北には人口10万人当たりの感染確認者数が他地域よりも少ない「ファクターX」が存在するようにも思える。もちろん、東北だけが他の地域よりもことさらに人の移動を自粛してきたということは考えられない。では、その「ファクターX」があるとしたらそれは何なのか、遺伝的な形質なのか、気質なのか、生活習慣なのか、摂取している食物によるのか、あるいは何か複合的な要因があるのか、現段階では皆目分からないが、「三密」を避ける、手指の清潔を保つ、マスクを着用する、などのこれまでの対策はこれからもしっかり継続しつつ、少なくとも東北の域内の移動や交流は大いに増やしていくべきと考える。

 新型コロナウイルスは確かに怖い。いまだ分からないことも少なからずあり、特に発症して回復した人の中に後遺症とも言うべき症状が残るケースがあることもも気掛かりである。感染に対する備えは怠りなく続けつつ、必要な交流についてはこの東北は、このような状況下だからこそしっかり行っていくべきであり、かつ今の東北はそれが可能な状況だということを大いに訴えたいと思う。


anagma5 at 19:18|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2020年08月17日

「複合災害」にどう対応するか(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その132

 7月16日発行の「東北復興」第98号では、「複合災害」について取り上げた。この新型コロナ禍の状況下でも容赦なく自然災害が発生している。とりわけ近年増えている豪雨災害が今年も起こった。それにどう対処すべきか、考えてみた。いかがその全文である。


「複合災害」にどう対応するか

「100年に一度」が毎年?
日本の年平均気温偏差 「100年に一度の大雨」というフレーズをよく耳にするようになった。「100年に一度」をいうフレーズを100年に一度どころか、毎年聞いているのが実情である。もちろん、日本中のあらゆる地域が毎年100年に一度の大雨に襲われているわけではなく、あちこちの地域が代わる代わる100年に一度規模の大雨に見舞われているために、そのフレーズをしょっちゅう耳にすることになっているわけであるが、それにしてもあまりに聞きすぎてしまって「100年に一度」のフレーズが耳慣れてしまってはいないだろうか。それが油断につながってしまっては危険である。

日降水量100mm以上の年間日数 それにしても、である。近年、あまりにも自然災害、とりわけ豪雨による災害が増えてはいないだろうか。「顕著な災害を起こした自然現象」については、実は気象庁が名称を定めている。「防災関係機関等による災害発生後の応急・復旧活動の円滑化を図るとともに、当該災害における経験や貴重な教訓を後世に伝承することを期待する」ための措置とされている。すなわち、大きな自然災害については、気象庁が特にネーミングを行っているわけである。

 この気象庁がネーミングした風水害について見てみると、何と言っても死者4,697名、行方不明者401名という空前の被害を出した1959年の伊勢湾台風が目を引く。その前年の1958年にも死者888名、行方不明者381名という被害の狩野川台風がある。東北では、北上川の氾濫によって岩手県一関市を中心に死者・行方不明者700名超の犠牲者を出した1948年のアイオン台風とその前年にやはり同様に一関市などで大きな被害が出たカスリーン台風がある。

 その後、治水事業の進展などもあって、数百人、数千人といった規模の犠牲者を出す風水害はなくなった。1981年から2000年の20年で気象庁がネーミングした風水害の数はわずかに3つである。ところが、2001年から昨年までの19年で見てみると、その数は既に13にも上る。明らかに近年大きな被害をもたらす風水害の数が増えているのである。

 気象庁は定期的に「気候変動監視レポート」を出しているが、昨年公表した「気候変動監視レポート2018」を見ると、日本の年平均気温は年々上昇しており、一方で大雨の目安となる日降水量100ミリ以上の雨量となる年間日数も年々増加している様子が窺える。まさに「100年に一度の大雨」が増えているという実感とも合致している。


九州を襲った今回の豪雨災害

 7月3日から熊本県など九州各地に大きな被害をもたらした豪雨は、「令和2年7月豪雨」とネーミングされた。過去20年で14番目となる、ネーミングされた風水害である。7月12日現在で、熊本県を中心に68名が亡くなり、1名が心肺停止状態、12名がいまだ行方不明である。

 昨年の台風19号の際にも頻発した、河川の本流と支流がぶつかる地点で越水、あるいは堤防が決壊する「バックウォーター現象」が今回も各地で発生したようで、中でも氾濫した球磨川沿いにあった特別養護老人ホームで14名の入所者が亡くなった。高齢者施設の入所者に大きな被害が出たという点では、岩手県岩泉町のグループホームで入所者9名が亡くなった2016年の台風10号による豪雨災害を想起させる。

 この時の災害を受けて、国は浸水想定地域、土砂災害警戒区域内にある福祉施設に「避難確保計画」の作成と訓練を義務付けた。今回人的被害を出した特別養護老人ホームでどのような対応がされていたかは不明だが、今回は熊本県と鹿児島県に「大雨特別警報」が出されたのが4日の午前4時50分であり、施設では夜勤帯で職員数も限られ、入所者の避難が間に合わなかった可能性がある。

 避難確保計画は、様々な想定の下で機能するような実効あるものである必要がある。避難訓練も同様である。深夜や早朝の時間帯で職員だけで全ての入所者を避難させるのはほとんど不可能である。ではどうするか。

 まずは地域住民との連携である。日頃から地域住民との良好な関係を築き、避難訓練も地域住民と合同で行う。いざと言う時には入所者の避難に協力もしてもらう。そのような体制をつくっておくことが必要である。

 また、そもそも、浸水想定地域や土砂災害警戒区域に福祉施設を建設しない、という判断も必要である。高齢者や障害者などは「災害弱者」であることが多く、いざ避難するとなった場合に、人手も時間も掛かる。すぐには実現しないかもしれないが、施設の改築などのタイミングで、ハザードマップ等を確認して、より安全な場所に移転することが求められる。


避難所での感染対策
 避難したら終わり、ではない。避難した先での対応も必要である。避難所での生活がある。この新型コロナウイルスによる感染が収まっていない状況下での避難所の設営については、通常とはまた異なる対応が求められる。つまり、避難所での感染拡大を防ぐ対応である。これは高齢者だけでなく、全ての避難者に対して求められる。

 この点については、内閣府から「新型コロナウイルス感染症対策に配慮した避難所運営のポイント」が出されており、それに基づいて各自治体で避難所における感染症への対応策が講じられている。また、関連する学会でつくる「防災学術連携体」も、「感染症と自然災害の複合災害に備えて下さい」とする緊急メッセージを5月に出している。

 「緊急メッセージ」では、「感染リスクを考慮した避難が必要」として、避難所の数を増やし、学校では体育館だけでなく教室も使い、避難者間のスペースを確保し、ついたてを設置する、消毒液などの備品を整備するなどの対応が必要」とし、感染者や感染の疑いのある人がいる場合には「建物を分けるなど隔離のための対策も必要」と指摘している。また、避難場所は必ずしも公的避難所である必要はなく、より安全な親戚や知人の家、その地区の頑丈なビルの上層階を避難場所とする、自宅での居住が継続できる場合は自宅避難とする、などの対応も求めている。

 ただ、この「避難所の数を増やす」ということについては、避難所となりうるような学校や公的施設などは既に大方避難所となっているであろうことから、普通に考えると困難を伴いそうである。そこで考えるべきなのは、他でもない新型コロナウイルスによる感染拡大の状況下で進めた、ホテルや旅館の活用である。感染拡大で医療機関の病床不足が懸念されたことから、一部の自治体において、軽症者と無症状者について、宿泊療養とするためにホテルや旅館を確保した事例があった。国も災害時の避難所としてこうしたホテルや旅館の活用に向けた準備を進めるよう、各都道府県に事務連絡を出しており、こうした対応が進んでいけば、避難所の数を増やすことができる。

 ホテルや旅館の避難所としての活用のメリットは、単に数を増やすことだけではない。ホテルや旅館は基本的に個室である。避難所でよく問題になる避難者のプライバシーの確保という点でも好都合であり、感染者と感染疑い者の隔離という点でもメリットがある。

 新型コロナウイルス感染症がいまだ収束しない状況であるが、自然災害はそのような事情お構いなしに襲い来る。風水害だけでなく、地震や火山噴火などがこのような状況下で発生しないと誰が断言できるだろうか。今回は新型コロナウイルス感染症と大雨被害の「複合災害」であったが、今後また別の「複合災害」が起きる可能性もある。早急にそれを見越した対策を講じておきたい。


anagma5 at 19:53|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2020年07月21日

苦境の飲食業、観光業をどう支えるか(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その131

 6月16日発行の「東北復興」第97号では、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って厳しい状況が続いている飲食業、観光業について取り上げた。このところ、再び感染拡大の傾向が見られ、難しい局面ではあるが、どちらも同じ地域の人たちの支えこそが必要である。以下がその全文である。


苦境の飲食業、観光業をどう支えるか

期限付酒類小売業免許のもたらしたもの
 新型コロナウイルスの感染拡大は経済に深刻なダメージを与えた。とりわけダメージが大きかったのが飲食業、観光業であると言われる。このうち、飲食業については、緊急事態宣言が出され、不要不急の外出を自粛するよう要請が出されたことを受けて、外食や外飲みの需要は激減した。それまで公私共によく飲食店で飲食していた私自身、3月下旬以降、飲食店での飲食を取り止めていた。

 仙台の場合、私も何度か行ったことのあるイギリス風のパブでクラスター感染が発生した。店内客計8人が感染し、そこから2次、3次、4次感染まで発生した。このような状況では、いつ自分も知らずに感染し、知らずに感染させてしまうか分からない。そのようなことから、飲食店での飲食を自粛していたのである。

 同様の対応をする人は多かったようで、感染拡大防止には寄与したのかもしれないが、一方で飲食店は来店者の減少に伴う売上減に悩むことになってしまった。私が時たま足を運んでいたアイリッシュパブもこうした状況の中で10数年の店の歴史に幕を閉じてしまった。痛恨の極みである。

 このような中、4月9日に国税庁から出された一つの通達は、こうした苦境に立つ飲食店にとっては、ほんの少し助けとなるものであった。「在庫酒類の持ち帰り用販売等をしたい料飲店等の方へ(期限付酒類小売業免許の付与について)」と題されたものである。

 これまで飲食店(国税庁の言う「料飲店」)は、自分の店の中でしか酒類を提供できなかった。要は、お店の中で飲むためにお客に酒類を提供するのはOKだが、「テイクアウト」はNG、ということである。

 持ち帰り用に酒類を販売するためには「酒類小売業免許」が別に必要なのだが、これは既存の酒類小売業の店(要は酒屋)と競合することになるため、飲食店にはなかなか付与されなかった。

 来店者数が減ったことによって、飲食店はお客に提供するために仕入れていた酒類の在庫を抱え込むことになってしまった。提供できる見込みもなく、消費期限だけがどんどん近づいてくる。とりわけ深刻なのは、樽生のビールである。一旦開栓してしまうと概ね一週間以内に消費しなければいけないが、このご時世で10〜20Lもの量のビールを空にするのは並大抵のことではない。消費しきれなかったビールは廃棄を余儀なくされることになる。飲食店にとっては痛いダメージである。

 今回国税庁から出された「期限付酒類小売業免許」というのは、こうした酒類の在庫を抱えた飲食店にとってメリットのあるもので、6カ月という期間限定ではあるが、飲食店が申請すれば速やかに免許を付与する、というものであった。この免許を取得することにより、飲食店は大手を振って持ち帰り用の酒類を販売できるようになり、来店者数減による売上減を少しでも補うことができるようになる。

 この反響はかなり大きく、申請する飲食店が相次いだようである。速報値だが、4月10日から5月29日までの間に全国で22,000件近くの免許が付与された。東北六県で見ても960件付与されている。それこそ、藁をもつかむ思いで申請した飲食店も多かったのではないだろうか。

消費者にとってもあるメリット
グラウラーを使うと樽生ビールをテイクアウトできる この期限付酒類小売業免許を取得する飲食店が相次いだことは、消費者である我々にとってもメリットがある。今まで、行きつけの店や馴染みの店を支援したくても、感染拡大への対応との兼ね合いでなかなか店での飲食は難しいというジレンマがあったわけだが、この期限付酒類小売業免許の取得によって酒類のテイクアウトが可能になれば、店内で飲食はできなくても店で購入した酒類を持ち帰って家で楽しむという形で店の支援をすることができるようになるからである。

 もう一つのメリットは、これまで家で飲むことはなかなか難しかったビールや樽生のビールを持ち帰って飲むことができるようになったということである。こと最近消費が拡大しているクラフトビールに関して言えば、通常酒店で購入するのが難しい他地域のクラフトビールを豊富に仕入れている飲食店があったり、そもそも瓶や缶では流通していない業務用の樽生のみのクラフトビールがあったりする。そうしたビールを持ち帰って家で楽しむことができるというのは、今までになかったことである。

 ただ、樽生ビールをテイクアウトする際に注意すべき点がある。持ち帰り用の容器が必要になるわけだが、これはよくあるステンレス製の水筒は使えないということである。元々これらの水筒は炭酸飲料やスポーツドリンクなどには使えないと記載されているのだが、もし入れてしまった場合、炭酸によって内圧が高まることによって蓋が開かなくなったり、開けた途端中身が飛び出したりということがある。

 こうしたトラブルを避けるためには、専用の容器を用いることが望ましい。「グラウラー」というビール専用の保存容器があり、中にはステンレスの水筒のように保冷機能が備わったものがある。これならお店で詰めてもらった樽生ビールが家でもそのまま楽しめる。店によっては、このグラウラーを貸し出ししてくれるところもある他、再利用が可能な瓶やペットボトルに詰めてくれるところもあるので、店のホームページやSNSなどで情報を確認してみるのがよい。

 また、店によっては、こうしたこだわりのビールに合うフードも併せてテイクアウト可としているところもあり、店内で飲食するのと同様に家でその店の料理とビールを楽しむことができたりもする。「美味しいビールを出すお店は料理も美味しい」というのが私の経験則だが、今回のこの措置によって、その美味しい料理と美味しいビールのマリアージュが、テイクアウトでも可能になったというのは嬉しいことである。

 この期限付酒類小売業免許の申請は6月30日までとなっている。もしまだ申請していない飲食店でぜひ申請したいというところは、早めに申請する必要がある。

 なお、東北のエリア内で樽生ビールのテイクアウトが可能であることが確認できている店については、拙ブログ内でまとめている。興味ある方はぜひ参考にしていただきたい。

観光地をまずは地元が支える
 もう一つの観光業についても、厳しい状況が続いている。例えば、宮城を代表する観光地、日本三景の松島では、昨年264,000人訪れたGWの観光客が、今年は1,000人だったという。首都圏などからの観光客が多かったようで、県境をまたいだ移動の自粛の影響を直接受けた形である。緊急事態宣言が解除された後もやはり客足は戻っていないようで、今も休業している宿泊施設や土産物店も多いそうである。

 恐らく、首都圏からの観光客が早期に増えることは期待できないと思われる。さらに言えば、いまだ毎日新規感染者が確認されている東京など首都圏から観光客が訪れることに抵抗を感じる地元の人もいるかもしれない。そう考えると、早期に他地域から観光客を呼び込むのは難しいのではないだろうか。

 ここは飲食店と同様に考えたい。地域をまたいだ人の交流が元のように再開されるまでは、それぞれの地元で、自分たちの大事な観光地を支える、という姿勢こそが今求められる。折しも、不要不急の外出への自粛要請が行われたこともあり、久しく近所ではない場所への移動をしていないという人も多いと思われる。テレワークなど移動を伴わない在宅での勤務も拡大し、家からほとんど出ていないという人もいるだろう。ストレスの蓄積を訴える声もある。

 そうした人たちに勧めたいのが、身近な場所にある観光地への訪問である。先に例に挙げた松島を取ってみれば、いったいどれだけの地元の人が松島を堪能した経験があるだろうか。「四大観(しだいかん)」(松島湾に浮かぶ260余りの島々を一望できる4つの名所)を全て回ったことのある人がどれだけいるだろうか。

 この1カ月以上、幸いなことに東北六県では新規感染者が確認されていないが、だからと言って一足飛びに県外へ移動することには今なお抵抗のある人も少なからずいると思われる。であれば、この機会に、もう一度自分たちの住む地域にある観光地を訪れてみてはどうだろうか。目的地まで移動し、綺麗な景色を見、美味しいものを食べ、可能であれば宿泊もし、土産物を買うことは、苦境にある観光業に携わる人たちへの支援にもなり、身動きが取れず鬱々とした気分を蓄えていた自身にとっても気分転換になる。大いにお勧めしたい。

 観光業に従事する方々にもぜひその目線で観光地の魅力を再発見できるような情報発信をお願いしたい。今回のこの新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたものはいろいろあると思うが、その一つは、自分たちの地域に対する目線の重要さではないかと思う。観光においては、いかに訪日外国人観光客を呼び込むか、という目線ばかりがクローズアップされ過ぎてきたきらいがあるように感じられる。まず、その良さをアピールすべき相手は、実は地域の人たちであったのではないだろうか。いくら観光業に携わる人だけが情報発信してもその広がりにはおのずと限界がある。そうではなく、その良さを十分理解した地域の人たちと一体となって、様々な機会、様々な方法で、自分たちの地域の良さを伝え続けていくことが、結局のところ、海外を含めた他地域の人たちにその良さを分かってもらう有効な方策なのではないだろうか。

 今の状況をそのためのチャンスと捉えて、まずは足元から、もう一度自分たちの地域の魅力が何なのか、一緒に考える機会としたいと切に願うものである。

anagma5 at 19:36|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2020年06月30日

「東北・新潟緊急共同宣言」は現代版「奥羽越列藩同盟」か(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その130

  5月16日発行の「東北復興」紙第96号では、新型コロナウイルス感染拡大に伴って東北六県と新潟県、それに仙台市と新潟市が共同で出した「東北・新潟緊急共同宣言」について取り上げた。原稿を書き上げた翌日に「東北・新潟共同メッセージ」が新たに出されたので、そのことも追記した。

 以下がその全文である。


「東北・新潟緊急共同宣言」は現代版「奥羽越列藩同盟」か

7県2市による異例の宣言
 新型コロナウイルスの感染拡大防止を巡って、5月の大型連休前の4月24日に一つの動きがあった。「東北・新潟緊急共同宣言」の発表である。この宣言が画期的だったのは、その名の通り、県境を越え、東北六県と新潟県の知事、それに政令指定都市である仙台市と新潟市の市長による共同宣言だったことである。過去、このような7県と2市が共同で何か事を為したことがあったかと考えるとまったく記憶にない。それだけこの新型コロナウイルスの感染拡大が脅威だということなのだろうが、ともあれその意味でも異例のことである。

 宣言の内容は、7県の県民に「心をひとつに故郷を守ろう」と呼び掛けるもので、国の新型コロナウイルス感染症に関する「緊急事態宣言」の対象地域が全都道府県に拡大されたことを受けて、「私たちは、感染拡大の防止と早期の終息を目指し、不退転の決意で、地域一丸となって取り組んでいくことをここに宣言します」とした上で、大型連休期間を前にして、改めてヽ綾个亮粛、∋業者における感染防止対策の徹底についての協力を求めている。

 ,砲弔い討蓮◆崚賈漫新潟県の圏域内での往来や関東・関西方面等他地域との往来,旅行・帰省等を含め,都道府県をまたいだ不要不急の移動の自粛」を求め、「繁華街の接待を伴う飲食店等への外出自粛」は特に強く求めている。また、通院や生活必需品の買い物等のために外出をする場合は「三密(密閉・密集・密接)を避けることを徹底」するよう呼び掛けている。

 △砲弔い討蓮◆嶌濛雍侈海篁差通勤など人と人との接触の機会を低減する取組」、「従業員や取引先,利用客に対する感染防止対策を確実に行う」、「発熱等の症状が見られる従業員の出勤停止」等の徹底を求めている。店舗等においては、「利用者が密集しないよう工夫するなどの感染防止対策」を求めている。

 内容を見ると分かるように、7県の県民に向けての協力要請であるのだが、7県2市という大きなまとまりでの共同宣言は大いに注目を集め、マスメディアなどでも取り上げられたので、首都圏など大都市圏から東北・新潟各県への、旅行や帰省などによる人の流入を減少させる効果もあったものと思われる。


「共同宣言」が出された経緯
 この「東北・新潟緊急共同宣言」、ネット上でも話題になっていた。東北六県だけでなく、新潟も足並みを揃えていたことが目を引いたらしく、「奥羽越列藩同盟だ」とする書き込みもあった。東北六県と新潟県が一緒に行動したことがやはりインパクトとなったようである。

 そもそも今回のこの共同宣言、どのような経緯で出されたのだろうか。その経緯についてはマスメディア等では報じられていないが、各県のサイトで知事の記者会見録などをチェックしてみたところ、発端は山形県の吉村美栄子知事であることが分かった。

 吉村知事の記者会見での発言によると、4月15日に開催された山形県内の医療専門家会議において、複数の専門家の方から、東北全県が県域を越えて連携し、協力して取り組むことが有意義なことだとの提案があったという。それを受けて吉村知事がその提案のことを宮城県の村井知事に伝えたところ、「それはいいね、みんなでやりましょう」ということになったとのことである。

 吉村知事は記者からの質問に対して、緊急事態宣言の対象区域が全都道府県に拡大され、県境を越えての移動・往来を避けることが求められたことに対して、隣同士の東北六県、新潟県と協力して取り組むことは、より大きな発信となって多くの県民に伝わるのではないかと思った、とも答えている。

 この記者会見では、今回のこの共同宣言の文案が東北の知事会の幹事県である青森県によって作成され、その後各県で調整したということも明らかにされている。また、東北六県に新潟県が加わった経緯については、知事会の東北ブロックには、ずっと以前から東北六県に新潟県も入っており、東北観光推進機構で外国に東北のPRに行く時も新潟も一緒だったということなどを例に挙げながら、この7県の枠組みというのは「昔からの伝統的な枠組みだというふうに捉えている」と吉村知事は語っている。


新潟の「帰属問題」
 よく話題になるのが、この新潟がどの地方に属するかという、新潟の「帰属問題」である。日本の地方区分として最も一般的な8地方区分では、新潟県は中部地方に属する。中部地方は9県からなる大きな地方であるが、地域として一体感があるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。そこで中部地方はよく、さらに北陸(石川、富山、福井)と甲信越(新潟、山梨、長野)、東海(岐阜、静岡、愛知に三重が加わる)に分けられる。ここでは新潟は甲信越地方に属することになる。ただ、北陸に新潟が加わる場合もある。

 東北に新潟が加わる例としては、戦後のいわゆる「東北開発三法」における地域区分、全国総合開発計画や国土形成計画における地域区分などが挙げられる。地方行政連絡会議法で規定される東北地方行政連絡会議にも新潟県が加わっている。新潟県が加わった東北と東北六県の東北とを区別するために、東北六県の場合を東北地方とし、新潟が加わった7県の場合には「東北圏」と呼ぶ場合もある(国土形成計画など)。

 なお、新潟は「東北・新潟緊急共同宣言」が発表されてから4日後の4月28日、今度は長野、山梨、静岡と共同で、「中央日本四県知事共同宣言」を発表している。こちらの共同宣言は、他地域の人に向けて、四県の観光地への来訪の自粛を強く要請するものであった。ちなみに、「中央日本四県」とは、「日本の中央に位置する新潟県、長野県、山梨県、静岡県」とのことで、これら4県は平成26年度から、知事同士が意見交換を行う「中央日本サミット」を開催し、4県合同の移住相談会や観光PRなど連携した事業を展開しているそうである。「東北圏」だけが新潟の立ち位置ではないということが分かる。

 一方、歴史的には北陸三県との関わりが深い。現在の福井から新潟までは古来、「越国(こしのくに)」と呼ばれる一つの地域であった。福井が越前、富山が越中、新潟が越後と呼ばれるのも大宝律令制定後の西暦704年以来一貫しており(その後越前から能登と加賀が分立)、地域的なつながりはこちらの方が強そうである。

 今回の「東北・新潟共同宣言」が出された後、こうした新潟の「帰属問題」がネット上でも再燃していた。当の新潟の人は実際どう思っているのだろうか。マイナビニュースが2015年に新潟県の会員に「新潟県はどの地方に属していると思いますか」と聞いたところ、最も多かったのはやはり北陸地方(36.7%)で、次いで中部地方(27.5%)、甲信越地方(19.3%)、東北地方(12.8%)、関東地方(3.7%)の順であった。一方、Jタウンネットの2017年の調査では、「新潟県は『何』地方?」との問いに、新潟県の答えで最も多かったのは北信越(※北陸三県と長野と新潟)(37.6%)だったが、次が何と「独立」で24.8%、三番目が北陸地方(18.0%)という結果だった。


今後も東北と新潟は緊密な連携を
 地図を見ると、東北地方に新潟が大きく食い込んだ形になっている。そのため、新潟と東北は非常に長い距離で接している。具体的には、福島と新潟はおよそ160km、長野と新潟もおよそ145km接しているが、山形と新潟も約130km接している。群馬と新潟は約90km、富山と新潟が約30kmである。こうして見ると、東北と新潟は300km近く県境を接していることになり、少なくとも地理的な近接感はかなりあるように思われる。ただ、肝心の精神的な近接感は必ずしも多くあるとは言えなさそうである。

hardoff 先の、新潟が地域として独立しているという答えの多さに配慮したというわけでもないだろうが、「ハードオフ」の店舗検索ページでは、新潟が中部地方にも入らず、独立した形になっている。この地図を見ていると、確かに新潟一県で一つの地域とも見えてくる。北東は東北、南は関東、南西は中部地方と接し、多様な地域にアクセスできる新潟の特色が見える。

 東北が新潟と共同歩調を取る場合、それはガチガチの構成メンバーとしてではなく、こうした特色を踏まえた「准メンバー」として参画を乞う、というスタンスがよいのではないか。今回の共同宣言のように、何か事を起こすに当たって、東北六県に新潟も加わってもらうことでより大きなインパクトが得られるということが期待できる他、必要があれば新潟に仲立ちしてもらうことで甲信や北陸などとコラボレートする道も開けてくる。東北地方の一部とは思っていない人が多数という事実を踏まえつつ、東北としてはこれからも新潟とは緊密に連携していきたいものである。


(5月9日追記)
 5月8日に、東北六県と新潟の知事と仙台と新潟の市長による「東北・新潟共同メッセージ」が発表された。本文で取り上げた「東北・新潟緊急共同宣言」に続くもので、「心をひとつに故郷を守ろう」とのサブタイトルも同一である。

 内容は、 「私たちの地域においては、外出の自粛や感染防止対策の徹底により、新規感染者数が減少傾向となってまいりました」と、これまでの県民・市民の対応を評価すると共に、国の「緊急事態宣言」が5月31日まで延長されたことを受けて、再度のまん延や医療崩壊を防ぐために引き続きの協力を要請し、「東北・新潟が一丸となって、新型コロナウイルス感染症の終息に向けて取り組んでまいりましょう」と呼び掛けるものとなっている。 

 具体的には、今回は「県境をまたぐ移動等の自粛の継続」と共に、新たに「三つの密」を避ける、手洗いやマスクの着用、人と人の距離の確保、在宅勤務・時差出勤などの「新しい生活様式の定着」を要請している。


anagma5 at 23:27|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2020年05月28日

新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたもの(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その130

 4月16日発行の「東北復興」紙第95号では、新型コロナウイルスの感染拡大について書いた。全国に出されていた「緊急事態宣言」は、東北を含む39県について5月14日に解除され、残る8県についても5月25日に解除となった。もちろん、感染が完全に終息したわけではなく、首都圏や北海道ではまだ新規感染者が日々確認され、福岡県のようにこのところ気になる増え方をしている県もある。「これで終わり」ではなく、「第二波」が来ることを絶えず意識しながら行動する必要がある。

 以下がその全文である。なお、3月16日発行の第94号には、このブログの3月12日の記事とほぼ同じ文章が掲載されているので、再録は省略する。


新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたもの

新型コロナウイルスの感染拡大
 新型コロナウイルスによる感染拡大が止まらない。2019年11月に中国の武漢市で確認された新しいコロナウイルスによる感染症は、中国全土に広がり、次いで世界各国でも感染が確認された。日本で初めて感染が確認されたのは今年1月14日、神奈川県内においてである。その後しばらく感染者数の増加は緩やかであったが、3月下旬になって首都圏を中心に感染者が急増し始めた。その結果、今月7日に「緊急事態宣言」が出されるに至ったのは周知の通りである。

 NHKの調べによると、4月13日現在、国内の感染者数は7,404人で、うち重症者は117人、死者137人、退院者714人となっている。都道府県別に見ると、東京が2,068人と抜きん出て多く、次いで大阪が811人、神奈川544人、千葉467人、埼玉415人と続いている。

東北の状況は
 東北で最初に感染者が確認されたのは2月29日、仙台市内においてであった。その後、東北でも感染者数が少しずつ増え始め、4月13日現在、宮城の51人を筆頭に、福島と山形が38人、青森が22人、秋田が15人で、岩手はまだ感染が報告されていない。

 今のところ、増加のペースは遅いが、いつ何時首都圏のように急激な増加曲線を描くようになるか分からない。現在の宮城の状況は3週間前の東京の状況と同じだという専門家の指摘もある。実際、宮城県は先週6日には感染者が26人だったので、6日間でほぼ倍になったことになる。他県でも、福島は16人が38人に、山形は13人が38人、青森は11人が22人、秋田が11人が15人と、依然感染者が確認されていない岩手を除いて、いずれも感染者が増加している。東京に見られるような感染の急拡大の再現を阻止すべく、あらゆる対応が求められる時期に入ってきていると言える。首都圏に出されている緊急事態宣言とそれに基づく要請は東北にとっても他人事ではない。これに準じた行動を自主的に取ることによって、さらなる感染拡大が防げるのではないかと考える。

新型コロナウイルスについて分かってきたこと
 SARS-Cov-2と名付けられた今回のコロナウイルスは、新型と言う通り、新しく確認されたコロナウイルスである。これまで人に感染するコロナウイルスは6種類が知られており、うち4種類はいわゆる風邪の原因となるものである。残る2種は、2003年に流行し、重症急性呼吸器症候群を引き起こしたSARSウイルス(SARS-Cov)、2012年に流行し、中東呼吸器症候群を引き起こしたMARSウイルス(MARS-Cov)で、致死率がいずれも10%前後にも達する、恐ろしいウイルスであった。

 今回の新型コロナウイルスはその名の通り、このSARSウイルスにゲノム構造が近いことが分かったのだが、致死率が当初1%未満とされ、SARSウイルスほど高くなかったために、感染対策にも油断を招いてしまった節がある。しかし、時間が経つにつれて、この新型ウイルスが実に狡猾で、油断のならない危険な存在であることが分かってきた。

 これまで分かっていることをまとめてみると、潜伏期間は1から14日、インフルエンザと違ってこの潜伏期間中も他人に感染させるリスクが高い。環境中の感染力保持時間は最大で実に3日間に達するとの論文報告がある。当初、高齢者や慢性疾患を持つ人が重症化するとされていたが、その後基礎疾患のない若い人でも死亡例が確認され、乳児の感染も確認されている。熱帯でも流行していることからインフルエンザのように気温が高くなると終息するわけでもない。

 現在のWHOの発表では致死率は2%で、インフルエンザと比較すると高いが、SARSウイルスよりははるかに低い。にもかかわらず、こうした特徴を持つが故に、SARSウイルスとは比較にならないくらい広範囲に感染が広がり、その結果死亡者数も比較にならないくらい多数に上っている。SARSの患者数は全世界で8,439人、そのうち死者は812人だった。しかし、今回の新型コロナウイルスでは現在までに全世界でおよそ174万人が感染し、死者も108,000人余りに上っている。致死率が高いながらも感染者数自体がそれほど多くならないうちに封じ込めに成功したSARSウイルスよりもはるかに手ごわく、人類に対する大きな脅威となっていることが分かる。

「医療崩壊」への危機と対応
 医療従事者の感染も拡大している。感染予防に関する知識を備えている医療従事者が感染するというのはよほどのことである。イタリアでは何と109人もの医師が新型コロナウイルスの感染症で命を落としたという。その背景には、防護用の資材が不足していることが挙げられている。新型コロナウイルスの感染症ではない別の疾患や事故などで運び込まれた患者が陽性だったという事例も報告されている。一たび院内感染が起こると、重症化する患者が出る一方、医療従事者は働き続けることができなくなり、残った医療従事者への負担が増し、対応し切れなくなるリスクが生じる。

 このような時こそ、医療機関同士の連携、協働が重要になる。東北には東北地域感染危機管理ネットワークがある。元々、仙台市内の18の医療機関が連携してできた宮城感染コントロール研究会がその始まりだが、今や6県、500施設が参加しており、感染対策情報を共有すると共に、感染対策でも協力、連携を行い、感染症相談窓口の設置や施設の枠を超えた院内感染対策ラウンドを実施するなどの活動を行っている。このような取り組みが今後ますます重要な意味を持つに違いない。

 医療機関同士の連携の他、市民向けにも、東日本大震災の折に避難所での感染予防のためのマニュアルを配布するなどの支援活動を行ってきたが、今回の新型コロナウイルス感染症についても、いち早く市民向けの感染予防ハンドブックを公開した。ウェブ上でダウンロードできる。

閉店を余儀なくされる店
 一方、飲食店や旅行業など、人が集まることや人が移動すること、すなわち今回の新型コロナウイルス対策で禁忌とされてしまった行動に関わる業種は厳しい状況にさらされている。私の足を運んでいた飲食店のうち、2つの店が今月末で閉店することになった。新型コロナウイルスが早期に終息しなかった場合に、どれくらいの飲食店が同じ道を辿るのか想像もつかない。

 もちろん、支援の動きも出てきている。例えば、仙台では仙台市内、宮城県内の飲食店を応援しようと「愛する店ドットコム仙台」というプロジェクトが立ち上がった。クラウドファンディング形式で、自分が支援したい飲食店に対して「食事券」の購入という形で支援ができる。2,000円から10万円の間で支援し、支援の見返りとして後日支援した金額の一割増の食事券を受け取れるというものである。

 このような形の支援をもっと大々的にできないものだろうか。国による支援はあまりに遅いし、しかも不十分である。支援の姿勢も消極的にすら見える。とすれば、そちらをあてにするのは後回しにして、民間ベースで互いにできる支援を考えていきたい。

 飲食店側も手をこまねいて見ているわけではない。テイクアウトやデリバリーに対応する店が増えてきた。感染拡大防止の観点から、店内で飲食するのは憚られるにしても、他人と濃厚接触するリスクが低いテイクアウトならという需要は間違いなくある。よく引用されるダーウィンの言葉、「変化に対応するものが生き残れる」、まさにその通りである。厳しい状況だが、諦めずに生き残るために知恵を絞りたい。

時化の時の仕事
 新型コロナウイルスは個人の生活にも大きな影響をもたらした。密閉・密集・密接の「三密」の回避、不要不急の外出の自粛などがその典型的なものだが、これによって人と人とが集って交流する機会が大きく奪われることになった。仲間と毎月開催してきた交流の場「せんカフェ」も中止を余儀なくされている。毎回楽しみにしていた方からは「みんなと話ができなくて寂しい」との声もいただいているが、感染拡大に歯止めが掛からないうちは再開するのは残念ながら難しそうで、本当に申し訳ない思いでいっぱいである。

 一方で、こうした状況に対応して新たな形での会の開催に乗り出したところもある。滋賀県東近江市でやはり集いの場を設けてきた「三方よし研究会」は、今月の会をZOOMを用いたウェブ会議とYouTubeのライブ配信で開催する、とのことである。今まで、遠方にいる私はこの会にはおいそれとは参加できず、毎回の活動報告に目を通すくらいしかなかったのだが、この方法であれば何の負担もなく「参加」できる。新型コロナウイルスの感染拡大への対応が別のメリットをもたらすということもあるのである。

 そしてまた、こうした時だからこそやるべきこともひょっとしたらあるのではないだろうか。「時化の時には時化の時の仕事がある」と漁師は言う。時化で海が荒れている時には船は出せない。しかし、そういう時には倉庫に籠もり、普段はできない大掛かりな網直しや道具の手入れ、改良などを行うのだそうである。そして、時化の後にはたくさんの魚が獲れることが多いという。今の状況はまさに「時化」の時と言えるに違いない。それも並の時化ではない、大時化である。しかし、だからこそ、今できることにも目を向けたい。本紙で創刊号から共に連載を続けてきた盟友のげんさんは現在休載している。この状況を受けて、ご自分の創作活動に専心するとのことである。

 今月8日の日本経済新聞でフランスの経済学者であるジャック・アタリ氏へのインタビュー記事が掲載されていた。氏は、「日本はどう危機から脱するでしょうか」との記者の質問にこう答えている。

 「日本は危機対応に必要な要素、すなわち国の結束、知力、技術力、慎重さを全て持った国だ。島国で出入国を管理しやすく、対応も他国に比べると容易だ。危機が終わったとき日本は国力を高めているだろう」

 今はまさに、未曽有の危機に対応しつつ、一人ひとりが力を蓄えるための時期と捉えたい。あの時のことがあったら今がある、と後で言えるような。


anagma5 at 19:10|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2020年04月22日

東北で生ビールをテイクアウトできる店(※9/9更新)〜東北で地ビールが飲める店 番外編その41

00100trPORTRAIT_00100_BURST20200501003306630_COVER~2毎年、東北のビールイベントについて情報をまとめて発信していた。
今年のものも別稿にあるが、今年は件の新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、既に多くのイベントが中止、または延期となっている。
この傾向は新型コロナウイルスの感染が終息するまで続くものと考えられる。

一方、不要不急の外出自粛の要請などもあり、飲食店においても厳しい経営状況を余儀なくされている。
私としても行って飲食していくらかでも支援できたらとは思うが、この状況ではそれも憚られる。

飲食店の苦境に、ほんの少し、本当に細い光が射したと言えるのが、国税庁による「料飲店等期限付酒類小売業免許」の付与という対応である(参照サイト)。
これまで飲食店は、自分の店の中でしか酒類を提供できなかった。要は、「テイクアウト」はダメ、ということで、持ち帰り用に販売するためには「酒類小売業免許」が別に必要なのだが、これは既存の酒類小売業の店(要は酒屋)と競合することになるため、飲食店(国税庁の言う料飲店)にはなかなか付与されなかった。
今回、6カ月という制限付きではあるが、この免許を取得することで、飲食店が在庫の酒類を持ち帰り用に販売することができるようになった。しかも、もちろん、ビールもそうで、瓶ビールはもとより、生ビールも専用の容器(グラウラー)や炭酸飲料用のペットボトルなどに詰めてもらうことができるようになった。

東北で美味しいビールを出す飲食店の中でも、早速この免許を取得してビールのテイクアウトを始める動きが出てきた。
お店に行って飲めない、でも、美味しいビールが飲みたい、という私のようなビール好きのニーズにも応えてくれる、ありがたい対応である。

しかも、国税庁でも状況を鑑みて、迅速な手続きで免許を付与するということである。実際、取得した飲食店で聞いたところ、土日を除いて3、4日で取得できた、とのことである。もしまだ取得していないお店はぜひ取得してほしいと思う。
「美味しいビールを出すお店は料理も美味しい」というのが私の経験則だが、今回のこの措置によって、その美味しい料理と美味しいビールのマリアージュが、テイクアウトで可能になることになる。これはやらない手はない。
特に、瓶や缶のビールではなく、樽生のビールは個人ではなかなか入手しづらい。
それが持ち帰れるというのは朗報である。

ここでは、現段階で樽生ビール(一部瓶ビールも)のテイクアウトが可能であることが確認できているお店をまとめてみた。お店のサイトの他、最新情報についてはfacebookページ等にアップされることが多いので、そちらも併記しておいた。随時追加予定である。

青森県

八戸市
Bar Chit Chat
HP
SNS
クラフトビールのテイクアウト可。

HOP BEAT
HP
SNS
国内外のクラフトビール4種がテイクアウト可。1mL1.4〜2.0円。
詳細


弘前市
Be Easy Brewing

HP 
SNS
樽生4種、1L単位でテイクアウト可。瓶ビールの販売も始まり、こちらもテイクアウト可である。
詳細


大鰐町
大鰐町地域交流センター鰐come(わにかむ)
HP
SNS
樽生津軽路ビールのプラカップによるテイクアウトが可能。
詳細


岩手県
盛岡市
ベアレンビール
HP
SNS
直営レストランでベアレンビールが100mL100円(菜園クラフトビールは100mL120円)。別売りで持ち帰り用のスナッパーボトルあり。500mL用100円、2L用800円。

Aeron Standard
HP
SNS
50種類以上のクラフトビールが店内価格の10%引きでテイクアウト可。
詳細

fu-dao
HP
SNS
台湾のクラフトビールが数種、テイクアウト可。
詳細



花巻市
BREWBEAST TAP ROOM(Lit work place 2F)
グラウラーを持ってきてもらえればテイクアウト可能とのこと。


遠野市
遠野醸造 TONO BREWING COMPANY
SNS
生ビール、瓶ビールのテイクアウト可。要事前予約(5/6まで)。グラウラーの購入可(市内の人には貸出あり)。
詳細


秋田県
秋田市
秋田あくらビール
HP
SNS
100mL税別150円、現段階では要容器持参。
詳細

酒場 戸隠
HP
SNS
100mL200円で500mL、1L、1.5L、2Lで販売。要容器持参。
詳細

BEER FLIGHT
HP
SNS
テイクアウト可(500mL〜)。
詳細

サミット
HP
SNS
樽生4種100mL税込200円で、500mL、1L、1.5L、2Lで販売。要容器持参。
詳細

YA-YA Stazione B
SNS
HP
田沢湖ビールのテイクアウトが可能。
詳細


横手市
Hostel&Bar CAMOSIBA
SNS
500mL、1Lで販売。クラフトビールは要予約。レンタル容器1週間200円。
詳細


宮城県
仙台市
ベルギービール ダボス
HP
SNS
樽生1種(当面)、瓶ビールテイクアウト可。要容器持参。
詳細

夕焼け麦酒園
HP
SNS
樽生6種、500mL900円、1L1,800円。テイクアウト用ペットボトルあり(有料)。
詳細

癒.酒.屋わおん
HP
SNS
樽生8種、瓶15種あり。樽生は1L1,500〜2,000円。グラウラーの無料レンタルあり。
詳細

アンバーロンド
HP
SNS
テイクアウトは店内価格の10%off。ドライブスルー対応もあり。
詳細

チェスコ屋
HP
SNS
樽生ビール、瓶ビールのテイクアウト可。
詳細

グッドビアマーケット エン ichibancho
HP
SNS
ビールのテイクアウト可。
詳細

麦酒食堂 3F-22
HP
SNS
プラカップ(350mL)は店内価格、グラウラーでの販売は500mL300円off、1L600円off、2L1,200円off。瓶は350mL200円off、500mL300円off、700mL400円off。
詳細

Craftsman Sendai クラフトマン
HP
SNS
5/9から。国内産クラフトビール1mL税別1.3円、海外産クラフトビール1mL税別1.5円、容器代税別100円。
詳細

ブッチャー・リパブリック 仙台 シカゴピザ&ビア
HP
SNS
5/7からテイクアウト可の予定だったが店舗休業の延長に伴い5/14からに延期。要容器持参。
詳細

東北カフェ&バル トレジオン エスパル仙台店
HP
SNS
5/11からテイクアウト可。
詳細

宮千代BASE
HP
SNS
グラウラーなどでのテイクアウト可。瓶ビールも販売。
詳細

Brasserie Lloyd ブラッスリー ロイド
HP
SNS
樽生、ボトルビールが店内価格の20〜30%off。樽生持ち帰り用のリターナブル瓶も用意。
詳細

菅原酒店
HP
SNS
タップマルシェのクラフトビールをテイクアウト可能。
詳細

タクデリ(ハミングバード)
HP
SNS
フード2,000円以上注文で松島ビールへレス注文可。仙台市中心部に配達可能。

日仏食堂ラトリエ・ドゥ・ヴィーブル
HP
SNS
瓶のガージェリービールのテイクアウトが可。
詳細

CRAFT BEER Market 仙台国分町店
HP
SNS
10種類の樽生クラフトビールをテイクアウト可。テイクアウト専用のペットボトルは100円。
詳細

ハムとソーセージの店 アインベルク
HP
SNS 
ドイツビール瓶6種がテイクアウト可。3本以上のまとめ買いで割引あり。
詳細

多国籍料理&バー リチクク
HP
SNS
店内で取り扱っている各国のビールをテイクアウト可能。
詳細


石巻市
松ばる
HP
SNS
樽生クラフトビールがテイクアウト可(要ペットボトル持参)。
詳細


塩竈市
アルゴン・ブリューイング
HP
SNS
複数の証言から、テイクアウト可の模様。


気仙沼市
Black Tide Brewing
HP
SNS
BTBオリジナルのビールを含むクラフトビールがテイクアウト可。
詳細


登米市
BEER BAR Fillmore
SNS
HP
店内の樽生ビール5種が15%引き価格でテイクアウト可。
詳細


柴田町
村田や
HP
SNS
樽生ビールテイクアウト可。要容器持参。
詳細


山形県
山形市
BeerStorage
SNS
生ビール、瓶ビールのテイクアウト可。生ビールは要容器持参。
詳細

RoughroLL
HP
SNS
瓶ビール4種各500円でテイクアウト可。
詳細

Day & Coffee
HP
SNS
長井ブルワリークラフトマンの「ひょう」「くきたち」「きなこ」のテイクアウト可。
詳細

ブルーマーケット ブラザーズ
HP
SNS
国内のクラフトビール、海外ビールの瓶7種がテイクアウト可。
詳細


天童市
桜桃の花 湯坊いちらく
HP
SNS
自家醸造の「SOBA DRY」がテイクアウト可能。自家製のローストビーフとのセットもあり。
詳細



米沢市
極楽麦酒本舗
HP
SNS
オリジナル発泡酒瓶、テイクアウト、出前可。
詳細


酒田市
CRAFT BEER BAR JAMPY
HP
SNS
各種ビールのテイクアウト可。
詳細


福島県
福島市
肴や KIHACHI
HP
SNS
樽生クラフトビール4種(タップマルシェ)がテイクアウト可能。
詳細

マジー・ノアール
HP
SNS
福島路ビールのアメリカンIPA樽生を税込250円/100mLでテイクアウト可。
詳細

tachinomi kakato
HP
SNS
樽生クラフトビール4種がテイクアウト可。
詳細


いわき市
橋本酒店
SNS
HP
瓶ビール5種がテイクアウト可。2本以上購入でタイの揚げたてえびせんのプレゼントあり。

Bar Quartet
HP
SNS
店内の樽生、缶、ボトルのクラフトビールをテイクアウト可。樽生は持参したグラウラー持参か500mlプラカップでの提供。
詳細


郡山市
Piccolo Bar Tigre
SNS
HP
箕面ビール数種が瓶でテイクアウト可。
詳細


会津若松市
洋食屋セピア
HP
SNS
クラフトビールが3L(恐らくタップマルシェ)か瓶でテイクアウト可能。
詳細

ビアカフェ third place
HP
SNS
3タップの国内クラフトビールがテイクアウト可。


南会津町
南会津マウンテンブルーイング / taproom beer fridge ビア フリッジ
HP
SNS
樽生ビール、瓶ビール、缶ビールのテイクアウト可。


浅川町
和食の店 天麩羅 まるみ/酒かふぇ まるみ
HP
SNS
八海山ライディーンビール(330ml)と八海山特別純米酒生詰(180ml)と特製おつまみの3点がセットになった「家飲みセット」が1,800円。



2020年04月20日

新旧銀河高原ビール比較〜東北で地ビールが飲める店 番外編その40

 このブログで「銀河高原ビール」のことを書いたのは2005年3月のことだった(当時の記事)。それ以前から飲んでいたことは間違いないが、少なくとも15年以上の付き合いであることは間違いない。

 前回の「さらば!岩手の銀河高原ビール」でも書いたが、そのように思い入れのあるビールだったので、岩手・旧沢内村からの撤退、樽生ビールや限定ビールの製造中止といった一連の措置は返す返すも残念だったが、銀河高原ビールブランドを残すために必要なことだったとするのならばやむを得ない面もあるとは思う。

P1002794 さて、そんな中、現在の親会社であるヤッホーブルーイングのある長野県内で造られ、缶のデザインも変更となった新しい銀河高原ビールがこの4月から出回り始めたので、早速買って、今までのと飲み比べてみた。










P1002795 左が新しい「小麦のビール」、真ん中がかつてのフラッグシップ、熱処理をしていない「ヴァイツェン」、右が3月までの「小麦のビール」である。「ヴァイツェン」は既に昨年9月末で製造を終了しており、手元に残っていたのはちょうど今月中旬が賞味期限のものだったので、飲み比べはギリギリのタイミングであった。






P1002798 飲み比べてみるとよく分かるのだが、味は同じ銀河高原ビールでも違っている。一番濃厚に感じられるのは旧「小麦のビール」で、「ヴァイツェン」はそれよりも少し軽やかでフレッシュな感じ、新「小麦のビール」は「ヴァイツェン」と同じ方向性を目指したようにも思ったが、もっとスッキリ目であっさりしてる感じであった。






P1002797 その辺りは見た目にも現れてて、色合いは旧「小麦のビール」が一番濃くて、次いで「ヴァイツェン」、新「小麦のビール」の順の濃さである。濁り具合はまた差が際立ってて、旧「小麦のビール」と「ヴァイツェン」はグラスを持つと向こう側の指は全然見えないが、新「小麦のビール」はちゃんと指が見えた。







P1002796 新「小麦のビール」はあっさりした味で、「地ビールはクセがあってちょっと…」という人にもあまり抵抗なく飲んでもらえる感じに仕上がっているが、かつての味に慣れ親しんだ人からすると、ちょっとスマートになってよそ行きの顔になってしまったようにも感じた。ただ、では銀河高原ビールではないか、と言われると、いや、これはこれでちゃんと銀河高原ビールの系譜を受け継いでいるようにも感じる。「やまや」の店頭などには今まだ岩手・旧沢内村産の銀河高原ビールが並んでいるので、それがあるうちはそちらを飲むが、それがなくなったらこの新しい銀河高原ビールを飲もうと思う。

 なお、新しい銀河高原ビール、当初、セブンアンドアイグループのスーパー「ヨークベニマル」と一部のファミリーマートにあったが、現在はいずれも品切れ状態で、出足はなかなか好調のようである。現在は、一部のローソンでも販売が始まったので、そちらを探してみるのがよいと思う。


2020年04月10日

さらば!岩手の銀河高原ビール(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その129

 2月16日発行の「東北復興」第93号では、銀河高原ビールについて書いた。岩手の山あい、屈指の豪雪地帯である旧沢内村(現西和賀町沢内)に1996年に誕生した銀河高原ビールは、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーなどの国内大手ビールメーカーが造るピルスナータイプのビールとは全く違う、ヴァイツェンというスタイルのビールが看板ビールだった。

 私がビールの奥深さを知るきっかけとなったビールでもあり、それだけに思い入れもあるビールだったのだが、今年3月末で発祥の地である旧沢内村での醸造を止めることになった。4月からは現在の親会社であるヤッホーブルーイングのある長野県軽井沢町で「小麦のビール」一種のみが造り続けられることになった。

 以下が寄稿した全文である。


さらば!岩手の銀河高原ビール

「岩手のビール」でなくなる!
 昨年末、衝撃的なニュースが飛び込んできた。銀河高原ビールが、岩手県内にある醸造所での生産をやめ、樽生ビールや瓶ビールの生産も終了する、というのである。

 銀河高原ビールと言えば、岩手県の山あい、旧沢内村(現西和賀町沢内)に醸造所(ブルワリー)を構えるビール会社である。今、クラフトビールと呼ばれるようになった小規模のブルワリーが造ったビールがかつて「地ビール」と呼ばれていた時代からあった。

 全国各地に地ビールブルワリーができるようになったのは、1994年4月の酒税法改正によって、ビールの最低製造数量基準がそれまでの2,000kLから60kLへと緩和されたことがきっかけである。これによって全国各地に小規模の醸造所が相次いで誕生した。大手メーカーのビールと違って地域密着でその地域のみで流通することがほとんどで、また既にあった日本酒における「地酒」呼称になぞらえて、これらは地ビールと呼ばれるようになった。

 全国初の地ビールは1995年2月に誕生した新潟のエチゴビールだったが、銀河高原ビールもその翌年1996年7月に誕生しており、この業界では老舗と言っていい存在である。誕生のきっかけは、旧沢内村の「村おこし」であった。地元岩手県の住宅メーカーである東日本ハウス(現日本ハウスホールディングス)創業者の中村功氏が東日本ハウスの子会社として銀河高原ビール株式会社を設立したのである。

 一時は、大手メーカーに続くビール会社を目指して、沢内の他に、那須、飛騨高山、阿蘇にもブルワリーを設立し、広く全国展開していた時期もあったが、地ビールブームの沈静化などの影響を受けて、次第に規模を縮小させ、ブルワリーは発祥の地沢内だけになった。会社は二度の特別清算を経て、2017年11月からは、クラフトビール業界で最大手と目されている長野のヤッホーブルーイングの完全子会社となっていた。

 それでも経営は上向かず、ブルワリー併設の沢内銀河高原ホテルの休館、生きたビール酵母入りのヴァイツェン缶とスターボトルの一時の値上げを経ての販売終了など、残念なニュースが次々と飛び込んできていた。その最後に最も残念なニュースに接することになってしまったのである。

私と銀河高原ビール
 創業者の中村功氏の銀河高原ビールに掛けた思いについては、例えばウェブ上にある「日食外食レストラン新聞」の233号(2001年8月6日)に掲載されたインタビュー記事でも確認できるが、その中で中村氏は、「日本のビールは、確かにのどが乾いたときの清涼飲料水としてはよいが、食事をしながら飲むビールとしては物足りないと思っていた」、「日本の大手四社が造るビールとは違った、もう一つこんなビールがあるんだという思いで造ったのが『銀河高原ビール』」、「食べ物のメニューは一〇〇種類あってもビールは一種類。これからはビールも選ぶ時代だ」などと述べている。

 その思いはビール好きの私にとっても共感できるものである。そもそも、私がビール好きとなるきっかけとなったビールがこの銀河高原ビールだった。大手メーカーのビールはいずれもピルスナーというスタイルのビールで、しっかりとした苦みとのど越しのよさが特徴である。当時の私は、このスタイルのビールにはまるで馴染めなかったのだが、何かのきっかけで銀河高原ビールを飲んだ時に、大手メーカーのビールとは全く違う、看板ビールであるヴァイツェンというスタイルのビールの、フルーティーな香りと苦みがあまり感じられないまろやかで優しい味に驚いたものである。そこからピルスナー以外に多種多様なビールが存在することを知り、少しずつビールの世界に入り込んでいって今に至るのであるのである。大手メーカーが造るピルスナーだけではないビールの奥深さを教えてくれたビールであり、そしてまた、今も家で飲む晩酌の定番ビールであった。

銀河高原ビールの功績
 銀河高原ビールの大きな功績としては、このピルスナーではないビールの存在を知らしめたことも挙げられるが、もう一つ重要なこととして、ビール酵母が生きたままのビールを初めて全国に流通させたということも挙げられる。ビール酵母というのは、ビールの原料である麦芽(大麦を発芽させたもの)を栄養にして、アルコールと炭酸を生成する、ビールを造るのに欠かせない微生物である。ただ、発酵が終わった後もビール酵母がビールの中に存在するとそこからさらに発酵が進んでビールの味が変わってしまう恐れがあるため、大手メーカーのビールは全てこのビール酵母を完璧にろ過して味が変わらないようにしている。それによって常温での保管や輸送ができるのだが、銀河高原ビールはこのビール酵母をろ過せず、チルドでの輸送とすることでビール酵母が働かないようにして、できたままのビール本来の味を味わえるようにしたのである。銀河高原ビールの味のまろやかさはこのビール酵母のお陰もある。

 大手メーカーはろ過した後の、いわば「産業廃棄物」であるビール酵母を固めて錠剤にしてサプリメントとして販売したりしている。サプリメントとして販売されていることからも分かる通り、ビール酵母は麦芽の栄養をその中に溜め込んでいる。ならば、いっそのこと、ろ過などせずにビールと一緒に摂取すれば栄養面でもいいのではないか、ということも言える。

 そもそも、乳酸菌をろ過したヨーグルト、麹をろ過した味噌がないのに対して、ビールはビール酵母をろ過するのが当たり前のようになってしまっている。そうしたビールを全否定するつもりはないが、そうではないビールも選べるという、ビールの選択肢を限られた地域ではなく全国に広げてくれたという点で、銀河高原ビールの功績は大である。

銀河高原ビールの今後
 この、生きたビール酵母のビールはこれまで、ヴァイツェン缶、スターボトル(瓶)、そして飲食店向けの樽で味わえていたのだが、これらもヴァイツェン缶とスターボトルは昨年9月末で終売となり、残った樽も沢内の醸造所が閉鎖となる3月末の出荷を以て終売となることになった。季節ごとに販売されていた限定ビールも全てなくなる。

 辛うじて残るのはただ1種、「小麦のビール」という缶のみとなる。これはヴァイツェンに熱処理を加えることによってビール酵母の働きを止め(要は「殺菌」して)、常温での輸送を可能にしたもので、もちろんヴァイツェンの味わいも残ってはいるが、熱を加えたことにより、本来あった生ビールならではのフレッシュさがなくなってしまっているように感じられる。今年4月以降は、この「小麦のビール」缶のみが、岩手県内ではない、どこか別の地域の工場で造られることになるということである。

 ただ、銀河高原ビールのホームページには、「ビール造りにおいて、水質はビールの味と品質を決める重要な要素です。銀河高原ビールでは、岩手県和賀岳の伏流水をくみ上げて使用しています。適度なミネラルを含む天然水は仕込み水として最適です」と書いてある。4月以降は、この大きな「売り」だった和賀山系の天然水ではない水で造られることになるので、ひょっとしたら「小麦のビール」自体の味わいも違ってきてしまうことも考えられる。

 それでも、と思う。いろいろと残念な結果とはなってしまったが、「銀河高原ビール」の銘柄自体はギリギリ残ることになったわけである。ここまでしなければいけなかったというのは、状況が傍で見ている以上によくなかったということであろう。最悪、銀河高原ビールそのものがなくなってしまうかもしれなかった状況だったということも考えられる。そう考えれば、もちろん返す返すも残念ではあるが、その名前が辛うじて残ったのはまだよしとするべきなのかもしれない。

 なお、生きたビール酵母が入った銀河高原ビールは、今はまだ飲食店向けの樽が流通しているので、取り扱っている飲食店に行けば、少なくとも3月末までは飲むことができる。例えば仙台であれば、駅近くにある「夕焼け麦酒園」がそうであるし、盛岡と北上にある「アリーヴ」、盛岡の「沢内甚句」、「居酒屋坊ちゃん」、会津若松の「会津葡萄酒倶楽部」などでも飲むことができる。興味ある向きにはぜひ、まだあるうちに飲んでみていただきたい。

受け継がれるその思い

 なくなるブルワリーもあれば、新しくできるブルワリーもある。銀河高原ビールは岩手県内からはなくなるが、一方で、東北各地に新しいブルワリーが誕生し、あるいはこれから誕生する予定になっている。新しく立ち上がるブルワリーの方々と話をすると、何となく共通する思いがあるように感じられる。それは地域への愛着である。ビールを通じて自分たちの地域を盛り上げたい、地元の材料を使ったビールを造って地域をPRしたい、そういった言葉が口々に出てくる。これはまさに、24年前に銀河高原ビールが生まれた時の思いに酷似している。村おこしの起爆剤としていち早くビールに着目した銀河高原ビールの思いは、新たに立ち上がる同じ東北のブルワリーへとしっかり受け継がれているのである。

 そして、銀河高原ビールのこの味わいも、この世から消えてなくなるわけではない。銀河高原ビールで長らく醸造責任者として活躍していた方は、いずれ都内に新しくブルワリーを立ち上げ、そこで銀河高原ビール本来の味のビールを再現させようとしている。これも楽しみな話である。

 また、実はこの銀河高原ビールには「お手本」が存在する。銀河高原ビールを立ち上げる際、主要メンバー3人がドイツに行って、いろいろなビールを飲んでどんなビールを造ろうかと検討したらしいのだが、その時行った3人が一致して「これがウマい」となったのが、世界最大のビールイベント「オクトーバーフェスト」が開催されるドイツのミュンヘンにある、1328年からの歴史を誇る市内最古のブルワリー、アウグスティナーのヴァイスビア(ヴァイツェン)で、銀河高原ビールはこのアウグスティナーのヴァイスビアをお手本に造られているのだそうである。アウグスティナーは残念ながら、国外には出荷されていないのだが、ドイツ・ミュンヘンに行けば、銀河高原ビールの原点となったビールが味わえるわけである。

2020年03月12日

あの日から9年〜私的東北論その128

あの日から9年。
別にこの日だけが震災のことを振り返る日というわけでもないのだが、毎年この日だけはやはりいつもと同じ心持ちではいられない気がする。
心にさざ波が立っているような、居ても立っても居られないような感じなのが自分でも分かる。
そのようなわけで、毎年この日は午後仕事を休んで、弟の最期の地、仙台市の沿岸、荒浜地区へ出掛けていっているが、今年も足を運んできた。

荒浜への出発地は、毎年同じ若林区役所である。
P1002553今年も献花場が設置されていた。
















P1002554入ろうとしたら、知り合いとすれ違った。
とっさに「献花しに」と伝えたが、「献花」って言葉、普段言い慣れてないので、発音がおかしくて「ケンカしに」って聞こえてたらどうしようかと、ちょっと思った。










今年は新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、震災関連の行事が軒並み中止か規模縮小を余儀なくされている。
仙台市内でも、今年は宮城の体育館で開催予定だった「東日本大震災仙台市追悼式」は規模を縮小して、献花のみの開催となった。
当初予定していた勾当台公園市民広場での中継放送も中止となった。
「せんだい3.11メモリアル交流館」も3月いっぱいの休館が決まっており、当初予定していた献花場の設置は取りやめとなった。

あの日弟がたどったであろう道を通って一路荒浜へ。
P1002556事前の雨予報が外れて、例年通り風は強かったものの、晴れのいい天気になった。
この日を除いて普段、荒浜に足を運ぶことはほとんどないので、1年前との違いもよく分かる。
街中から荒浜に向かう県道荒浜原町線には、津波から避難する方向を示した標識ができていた。






P1002558あの日、大津波は、遮るもののない仙台平野に容赦なく襲い掛かった。
海岸線から実に3km以上も内陸まで押し寄せ、全てを押し流し、盛土構造の仙台東部道路に至ってようやく堰き止められた。
この時の教訓から、海岸に沿って走る県道塩釜亘理線は、同様の防潮堤機能を持たせるために高さ6mかさ上げされることになっていたが、その工事も終わり、昨年10月から「東部復興道路」として供用されている。
今日も車が頻繁に行き来していた。



「東部復興道路」を越えて荒浜地区に入る。
P1002564この地域唯一の寺院だった浄土寺の跡地では、今年も慰霊法要が営まれ、今は災害危険区域となってしまったこの地域にかつて住んでいた方々がたくさん訪れて手を合わせていた。











P1002570寺院自体は既に4年前に仙台東部道路近くの内陸に移転し、新本堂も完成している。
来年からはそちらの新寺院の方で法要が営まれるとのことである。











この地域の人たちがあの日避難して助かった仙台市立荒浜小学校の校舎は、震災遺構として大津波に襲われたままの当時の状況を伝えてくれている。
校舎は館内の修繕工事のために1月14日から3月3日まで休館となっていたが、修繕工事が終わった後も3月末まで休館が延長されることとなった。
P1002580この荒浜小学校に加えて昨年8月、この地域にもう一つ震災遺構が誕生した。
「仙台市荒浜地区住宅基礎」と名付けられたこの新しい震災遺構は、大津波で基礎だけが残った住宅跡6戸と津波による浸食地形が保存され、エリア内は見学用通路が整備されている。








P1002581写真や証言を掲載した説明看板も設置されており、大津波の恐るべき破壊力と共に、かつてここにあった人々の暮らしの営みの痕跡も伝えてくれている。











P1002594荒浜地区の海岸は、かつて深沼海水浴場として知られていた場所だが、いまだ海水浴場は再開していない。この日も風が強かったせいもあって波も高かったが、当然ながらあの日のように防潮堤を越えてくるようなことはない。










P1002597防潮堤から仙台市街の方向を見てみると、建物が立ち並ぶ中心地と大津波によってなにもかもなくなったこの地域とがあまりに対照的に映る。











P1002599荒浜小学校以外にはどこにも逃げ場がなかったあの日の反省から、「東部復興道路」の西側には津波避難タワーが、海に近い東側には「避難の丘」が整備されている。











P1002605荒浜小学校の南側にできる予定の一番規模の大きな避難の丘は未完成だったが、荒浜小学校の北側に完成した「海岸公園」の一角には、高さ約10mの「避難の丘」ができていた。











あの日の大津波で、江戸時代、仙台藩祖伊達政宗が命じて植林された「潮除須賀松林(しおよけすかまつりん)」はほとんど根こそぎ倒され、流されてしまった。
政宗は慶長6年(1601年)に仙台入りしたが、その10年後の慶長16年(1611年)に慶長三陸地震に遭遇している。
仙台平野はこの地震で今回同様広い範囲が浸水したと見られ、それを受けて政宗はこの「潮除須賀松林」を整備し、沿岸に貞山堀を掘り、今で言う「多重防護」の備えをつくった。
同時に、奥州街道を内陸寄りに移し、城下町も海岸から離れた内陸寄りに構えたとされる。
P1002604荒浜地区を始め仙台市の沿岸では、もう一度防災林を復活させようと、植樹作業が続いている。
再び植えられた黒松も着々と育っているのが分かる。










P1002611弟が見つかった南長沼で今年も手を合わせた。
私にとっては弟が間違いなく生きていた、地震発生時刻14時46分よりも、この地に大津波が押し寄せた15時54分の方が重要である。
帰ろうとしたら入れ替わりにやってきた人がいた。
きっとこの人もこの地で大切な誰かを失ったのに違いない。






P1002612荒浜を離れ、再び若林区役所へ。
あの日ここまで戻ってこれなかった弟を悼んで有志の方々が中庭につくってくれた「3.11不忘の碑」には、たくさんの花が手向けてあった。











普段飲み歩いていることの多い私だが、この日だけは何があろうと大人しく家に帰る。
P1002615子どもの頃、よく弟と食べたやきとりの缶詰、今日は特大サイズのものを取り寄せてみた。
内容総量、実に1750g、通常サイズが1缶85gなので、その20缶分を超える分量である。
1L缶のビールが小さく見える。










P10026171缶はいつもあっという間になくなってしまうので、20缶分くらい楽勝と思ったが、思いのほか食べ応えがあった。
当たり前である(笑)。











P1002613あまり知られていないことだが、やきとりの缶詰の中で元祖であり、最も有名と思われるこの缶詰、実は気仙沼で造られている。












ともあれ、このようなバカなことができるのも、生きていればこそのことである。
何年経っても、あの日の痛みが消えることはないのだろう。
それはそれとして抱えつつ、また明日から日々、気の向くまま、足の向くまま、生きていこうと思う。


2020年02月21日

20回目の「平泉文化フォーラム」にて平泉の世界遺産登録を考える(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その127

 12月16日発行の「東北復興」第91号では、年1回開催されている「平泉文化フォーラム」の模様を伝えながら、平泉の世界文化遺産登録について、改めて考えてみた。以前から繰り返し書いているが、「世界遺産以外の遺産にももっと焦点を当てよ」というのが私の持論である。その延長で、「拡張登録」には私はどちらかと言えば慎重な立場である。その辺りも含めて改めて書いてみた。以下がその全文である。初出時には入れるスペースがなかったが、今回はフォーラムの写真も入れてみた。

 なお、平泉文化フォーラムについては、「来年度以降については、新たな形での研究とフォーラムのあり方を現在検討しているところ」とのことである。当日のアンケートにも書いたのだが、研究者だけではなく、平泉に関心を持つ市民らによる情報発信の場もあるとよいと思う。私など、発信したいネタが目白押しである。(笑)


20回目の「平泉文化フォーラム」にて平泉の世界遺産登録を考える

平泉に対する関心を喚起する場
P1001709 「平泉文化フォーラム」という催しが年に1回、開催されている。「平泉文化研究の先端的な調査研究成果を公開する場」と位置づけられ、平成12年度から毎年1月か2月に2日間の日程で開催されてきた。今年は第20回という節目の年に当たり、記念大会として11月30日に1日のみの日程で開催された。

 今年の2月に開催された平成30年度のフォーラムのアンケートでは、平泉町、並びに隣接する奥州市、一関市以外からの参加者が51%と過半数を占め、かつフォーラムに参加したことによって「平泉への関心が高まった」という回答が79%あったとのことで、毎年1回のこのフォーラムが地元のみならず、他の地域の人にとっても、平泉に対する関心を喚起する場となっていることが窺える。

「柳之御所遺跡」の出土
 「平泉文化フォーラム」の開始は、平泉の文化遺産の世界遺産登録と密接に関連している。最初に平泉の史跡を世界遺産にという声が出たのは平成9年のことだが、その声が出るにきっかけとなったのは、昭和63年の「柳之御所遺跡」の出土である。この一帯が一関遊水地の堤防と国道4号線バイパスの工事予定地となり、それに伴う事前の緊急発掘調査が行われた。その結果、予想だにしなかった建物の遺構や多数の遺品が出土し、これが北上川に削られて大半が失われていたと思われていた、奥州藤原氏の「政庁」であった平泉館(ひらいずみのたち)、通称「柳之御所」の跡であるのではないかという話になった。

 当初は埋め戻して予定通り工事が行われることになっていたのだが、これに対して全国的な保存運動が起こり、平成2年には柳之御所遺跡保存に関する20万人もの署名簿が当時の建設省や文化庁などに提出された。平成4年にはこの遺跡が平泉館であることが研究者らでつくる平泉遺跡発掘調査指導委員会による答申で明記されたこともあり、平成7年に遺跡を含む一帯を大きく迂回する形でバイパスルートが変更された。遺跡の保存を目的に当初計画が変更されたのは当時としては画期的なことであり、平泉の文化遺産が改めて注目されるきっかけともなった。

日本で初めての「登録延期」決議
 この柳之御所遺跡の保存で高まった平泉の文化遺産への関心が、世界遺産登録への大きな原動力となった。とは言え、その歩みは決して平坦なものではなかった。世界遺産登録への第一段階としては、各国が概ね5年から10年以内に世界遺産へ推薦するために作成している「世界遺産暫定リスト」に登載されることが必要となる。「平泉の文化遺産」は平成12年に文化財保護審議会の決定を受けて「暫定リスト」に登録され、翌13年にユネスコ世界遺産センターの「暫定リスト」にも登録された。「平泉文化フォーラム」はまさにこのタイミングで始まったことが分かる。

 その後、平成17年に推薦資産が、中尊寺境内、毛越寺境内、柳之御所遺跡、無量光院跡、金鶏山、達谷窟、骨寺村荘園遺跡、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡の9つに確定し、構成資産の周囲に緩衝地帯が設定され、そのエリアの開発規制や景観保全を行うための景観条例も制定された。

 翌18年には世界遺産登録への推薦書類も作成、提出された。登録名は「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観−」と決まり、日本として推薦することが正式に決定した。その翌年、平成19年には専門機関による現地調査も行われ、全ては順調に進んでいるかのように見えた。

 ところが一転、平成20年、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関であるイコモスから「登録延期」の勧告が出され、ユネスコ世界遺産委員会で「登録延期」が決議されたのである。日本の推薦遺産としては初めてのことであった。イコモスの勧告の理由は「普遍的価値の証明が不十分」というもので、要は「構成資産が『浄土思想を基調とする文化的景観』を現わしている」とは判断してもらえなかったわけである。

 当然、地元を中心としてこの「登録延期」の決定は衝撃的だったが、その理由には納得するところもある。「浄土思想を基調とする」とすると当然「浄土思想」なる思想についての説明が必要になるが、これを説明し、特に仏教徒でない委員に納得してもらうのは至難ではなかったろうか。まして、構成遺産の中には、この浄土思想とどんな関係があるのかよく分からないものもある。これでは確かに世界遺産登録に必須の「普遍的価値の証明」が不十分との指摘は免れ得ないものだったろう。

「仏国土(浄土)」を表す遺産
 日本で初めての「登録延期」という結果を踏まえて、推薦書が再提出されることになった。その中で、当初の構成資産を削減しなければ「普遍的価値の証明」をすることは困難という結論になり、当初の9つの資産について、2年後に再推薦して短期的に登録を目指す5資産と、調査研究をさらに継続した上で「拡張」により登録を目指す4資産とに区分されることになった。

 翌21年には絞り込んだ5資産で登録を再度目指すことが決定し、さらに毛越寺境内から観自在王院跡を分離して6資産とすることになった。再提出された推薦書では、登録名は「平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群−」となった。これは前回のものより直截的で分かりやすい表現である。これであれば、複雑な「浄土思想」の説明ではなく、「浄土」とは何かだけを説明し、その浄土をこれらの構成遺産が表現していることを説明すればよいことになる。

 こうして再度日本としての推薦が決定し、平成22年に現地調査が行われ、翌23年、東北が東日本大震災による甚大な被害にさらされているさ中の6月26日(現地25日)、ユネスコ世界遺産委員会において、晴れて世界遺産登録が決議されたのである。

 このような平泉の世界遺産登録を巡る紆余曲折の中でも、「平泉文化フォーラム」は平泉文化の発信の場として毎年欠かさず開催されてきたのである。

難しい残る遺産の「拡張登録」
 平泉の文化遺産については、先に述べた通り、「登録延期」になった際に除外された遺産の拡張登録が目指されている。当初、構成遺産にあり、登録延期となった際に除外した達谷窟、骨寺村荘園遺跡、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡、そして、登録の際に除外された柳之御所遺跡の5つがその対象である。

 しかし、これらの拡張登録はかなり難しいのではないかと私は見ている。なぜなら、今回の登録名が「平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群−」だからである。つまり、「仏国土(浄土)」を表す建築や庭園、遺跡でないと、この登録名の世界遺産には加えることはできないわけである。

 ところが、これら5つの構成遺産は必ずしも「仏国土(浄土)」との関係が明確ではない。「仏国土(浄土)」を表す建築や庭園を残した奥州藤原氏の居館跡である柳之御所遺跡ですら、構成遺産になり得てないのである。ユネスコがこの登録名をかなり厳格に解釈している様が窺える。そもそも柳之御所遺跡と骨寺村荘園遺跡を除く3遺跡、達谷窟、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡は、その奥州藤原氏との関連すら明確ではない。それらを奥州藤原氏がこの地で可視化しようとした「仏国土(浄土)」との関連で登録してくれ、というのはかなり無理筋でないかと思われる。

 3遺跡のうち唯一達谷窟は、毘沙門堂の南側に位置する蝦蟇が池が発掘調査の結果、往時には池中の中央に中島を配した、玉石護岸を伴う園池であったことが判明しており、仏堂の前面に設けられた浄土庭園であったと考えられることから、「仏国土(浄土)」との関連を説明することはできるかもしれない。しかし、一方で「平泉」との関連が弱いので、そこを強調すべきだろう。達谷窟(の毘沙門堂)は坂上田村麻呂の創建とされているが、奥州藤原氏初代の清衡と二代基衡が七堂伽藍を建立したとの伝承も残っている。その伝承を丁寧に掘り起こし、奥州藤原氏とのつながりを強調し、既存遺産との関連を伝えない限り、世界文化遺産「平泉」への登録は難しいのではないだろうか。

構成遺産は「代表選手」
P1001704 さて、今回の「平泉文化フォーラム」のテーマは、「平泉研究−平成から令和へ、課題と展望−」で、基調講演、報告4題、それにパネルディスカッションが行われた。このうち、平泉遺跡群調査整備指導委員会委員長で大阪府文化財センター理事長の田辺征夫氏による基調講演「日本の遺跡保存と活用、この30年−世界遺産“平泉”誕生の意義に寄せて−」で、氏は世界遺産としての平泉が誕生した意義について、

・限られた地域の限られた時代の資産でありながら普遍的価値が認められた。
・一つのまとまりのある地域で浄土思想という仏教の世界観が体感できる稀有な場所である(京都や奈良とは違う平泉固有の臨場感)。
・建築や庭園だけでなく発掘成果が「考古学的遺跡群」として明確に位置づけられた。
・長年の地道な調査研究と地域だけでない広い視野があった。

の4点を挙げていた。その上で、平泉の今後については、

・奥州藤原氏四代の歴史と資産だけでなく、その後の継承や伝承も含めた幅広い視野と分野への視点が必要。
・地域の人々の誇りが最大の発信力。
・世界遺産の価値は登録された資産にだけあるのではない(登録遺産はあくまで「代表選手」)。

といった指摘をした。

 「世界遺産の価値は登録された資産にだけあるのではない」との指摘は、平泉観光があまりに世界遺産のみに依存している現状を勝手に憂いて、一昨年のフォーラムの後に「世界遺産以外の平泉オススメ観光スポットマップ」を作成した私も全面的に賛成である。

 世界遺産の拡張登録に遮二無二進むよりも、今ある世界遺産の構成遺産以外の遺産をどのように世界遺産の構成遺産と関連付けて伝えていくか、世界に向けて情報発信していくかということを考えることの方がむしろ必要なのではないだろうか。

 今の平泉を取り巻く観光施策を見ていると、「世界遺産に入らないと意味がない」とでも考えているように見えるが、決してそんなわけではない。田辺氏の指摘する通り、登録された5資産は「代表選手」であり、その代表選手の背後にはそれを支えるたくさんの選手の存在があるのである。

 そもそも、世界遺産は「資産」と「緩衝地帯」からなる。「緩衝地帯」には現在の平泉町内の大半が含まれるが、この「緩衝地帯」の活用という面はこれまでほとんど検討されていない。この点では、同じ東北の世界遺産である白神山地におけるアプローチが参考になる。平成5年に東北初の世界遺産(自然遺産)として登録された白神山地では、「資産」である登録区域は、森林生態系保護を目的として管理・保護されており、入山が制限されている。そのため、その周辺の緩衝地帯を、気軽に世界自然遺産に触れることができる場所として活用している。これに対して平泉では、緩衝地帯などほとんど意識されていない。ここに今後の平泉の文化遺産活用の可能性が大いに秘められているように思うのである。

anagma5 at 13:11|PermalinkComments(0)clip!私的東北論