2019年05月16日

「記憶の記録プロジェクト『田』」の5年間の活動〜私的東北論その118

v4ttGKdJJTJqx5i1557992092_1557992134 主に仙塩地区の医療介護福祉職の人たちによる任意の集まりである「夜考虫。」の中に、医療介護福祉関係の方々の震災に関する記憶を記録して発信するプロジェクトである「記憶の記録プロジェクト『田』」がある。私も4人いるそのメンバーの一人として活動を続けてきたが、早いもので2014年の活動開始から丸5年となった。
 これまで毎年、年度末に活動報告書を作成してきたが、今回は5年の区切りということで、これまでの5年間の活動報告書をまとめ、加筆などもしてみた。こうして振り返ってみると、本当にたくさんの人にお話を聞かせていただいたことを改めて実感する。その情報を埋もれさせることなく広く世に発信していくことが、聞かせていただいた者の責務だと思うので、今後も機会ある毎に震災に関する情報を伝え続けていくつもりである。

 まずは一区切りとしてこの5年間の活動報告書を公表すると共に、追ってこれまでお話を聞かせていただいた方々にも個別にお送りする予定である。これからの5年間に向けて今年も、できる範囲でではあるが、活動を続けていこうと思う。

 なお、活動報告書は上の画像をクリックしていただくか、ここをクリックしていただくと表示される(はずである)。

2019年03月23日

キリンとアサヒがコラボした東北産ビールが飲みたい!〜私的東北論その117

WP_20190321_13_13_00_Rich_LI (3) 以前、キリンが誇る東北産ホップ「IBUKI」について書いた。国産ホップの約96%を占める東北産ホップ、その約70%はキリンの契約栽培による「IBUKI」を中心とするホップである。国内で圧倒的シェアを持つこの「IBUKI」ホップを、キリンは東北を中心とするクラフトビールブルワリーにも卸し始めている。それによって、東北産ホップを使ったビールがクラフトビールブルワリー各社から登場するようになった。キリンはこのホップを通じて東北のクラフトビールブルワリー各社や自治体と連携を強め、いわて蔵ビール、秋田あくらビール、仙南シンケンファクトリー、遠野麦酒ZUMONA、やくらいビール、田沢湖ビール、さくらブルワリーの東北のクラフトビールブルワリー7社でつくる「東北魂ビールプロジェクト」に参画すると共に、東北産ホップの一大産地である岩手県遠野市と秋田県横手市におけるホップを通じた地域活性化事業にも力を注いでいる。

 一方、アサヒは東日本大震災の被災地支援の一環として、2014年から「東松島みらいとし機構」と連携して、宮城県東松島市の津波の被害を受けた土地で、塩害に強い大麦「希望の大麦」の栽培を進めている。収穫された大麦は当初、やくらいビールがその醸造を請け負い、「グランドホープ」という名のビールとして発売したが、その後アサヒ自らも醸造して「希望の大麦エール」として発売するとともに、今年は穀町ビール、ベアレンビールもこの「希望の大麦」を使ったビールを醸造、発売している。

 さて、ビールに欠かせない原料は麦芽とホップ、及び酵母と水であるが、東北に住むビール好きとしての興味は、この2つの東北のビール原料、すなわち「希望の大麦」の麦芽と「IBUKI」ホップを使ってビールを造ったらどんなビールになるのだろうということである。キリンの「IBUKI」ホップを使った代表的ビールである「とれたてホップ一番搾り」を始め、「IBUKI」ホップを使った東北のクラフトビールブルワリー各社のビールも、麦芽については特段表記がない。恐らく通常のビール同様、海外産の麦芽が使われているのだろう。

 一方、アサヒの「希望の大麦エール」も麦芽こそ「希望の大麦」だが、ホップに関しては表記がない。恐らくはやはり海外産のホップを使用しているのだろう。唯一、アサヒの東北限定販売の「クリアアサヒ東北の恵み」は山形産ホップ使用と明記されているが、肝心の「希望の大麦」は「一部使用」に留まり、何より「クリアアサヒ」は「ビール」ではない(リキュール類)。

 そこで、キリンの「IBUKI」ホップとアサヒの「希望の大麦」麦芽を使ったビールに興味が湧くわけである。この2社がコラボして、それぞれ「IBUKI」ホップと「希望の大麦」麦芽を使ったビールを造ってくれないものだろうかと思うのである。同じ原料を使っても、恐らくキリンとアサヒとでは全く味の方向性が異なるだろう。その味の違いにも興味が湧く。

 キリンとアサヒと言えば、トップシェアを競い合う、いわばライバル中のライバルなわけで、常識的に考えればそんなこと実現するはずはないというのが大方の見方だろう。そうかもしれないが、だからこそ余計にこのコラボが実現すれば相当のインパクトがあるだろうと思う。
 今日、ライバルというのは、競争するだけの相手ではない。時には、「協奏」あるいは「共創」してもよいのではないだろうか。上り調子のクラフトビール市場を除けば、ビール市場全体は年々縮小傾向である。ここは業界1位と2位が強力にコラボして、ビール市場を盛り上げてもらいたい。狭くなったパイの中で奪い合うのではなく、手を携えてまずはパイ自体を広くして、その上で切磋琢磨してもよいのではないだろうか。

 そんなわけで、キリンとアサヒのコラボしたビールの誕生に期待したい。単なる私の勝手な期待だが、復興支援を旗印にすれば前代未聞のこのコラボにも取り組みやすいのではないだろうか。かつて「地ビール」と呼ばれたビールは現在、「クラフトビール」と呼ばれるようになってきていおり、「地ビール」という言葉は以前ほど聞かれなくなってきている。しかし、かねてから言っているが、私はこの「地ビール」という言葉は今後、その土地の原材料を使って醸造されたビールに冠される用語となるべきだと思うのである。その意味では、ビールの主要原料である麦芽とホップに東北産の「希望の大麦」と「IBUKI」ホップを使ったビールは、紛れもない東北の「地ビール」である。しかも、大手二社が力を合わせて造った空前絶後の「地ビール」である。

 よく見てみると、「IBUKI」ホップを使ったビールも、「希望の大麦」麦芽を使ったビールも、どちらも手掛けているブルワリーが存在する。やくらいビールである。まずはやくらいビールが両社の仲立ちをして、このコラボの実現に向けて動いてくれるとよいなと思う次第である。


2019年03月18日

東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その116

 2月16日刊行の「東北復興」第81号では、「地域元気指数調査2018」の結果から見えてくるものについて書いてみた。47の評価要素を数値化した「地域元気指数」では上位には表れてこないが、個別に見ていくと、東北らしさと言えるものが見えてくる。以下がその全文である。


東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から

「地域元気指数」とは
 地域のリサーチ・マーケティング、コンサルティングなどを手掛ける株式会社アール・ピー・アイは、1月16日「全国『地域元気指数調査』2018」の調査結果を公表した。同社あはこの調査を2015年から実施しており、今回が4回目となる。全国の20〜69歳の男女約10万人に調査したとしている。

 「地域元気指数」とは同社の造語で、「全国の都道府県別・市町村別の元気度や元気の評価要素を共通のモノサシで測定する」ことを目的に、「地域の総体的な元気度及び、元気の源となる47の評価要素を数値化したもの」である。

 より詳細に見てみると、まず「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合いを10段階で評価した平均値」である「地域元気指数」と、「地域の元気度合いの要因を詳細に分析する」という「地域元気の5つの視点」、その5つの視点それぞれに「地域元気の評価要素」が9〜11要素ずつ、合計47要素が割り振られている。「地域元気の5つの視点」とは、〆J襪蕕靴討い訝楼茲慮悗蠅箘γ紊砲弔い董↓∈J襪蕕靴討い訝楼茲瞭わいについて、今暮らしている地域の住みやすさについて、ずJ襪蕕靴討い訝楼茲侶从儚菷度・安定度について、ズJ襪蕕靴討い訝楼茲離灰潺絅縫謄の充実度について、の5つである。

調査結果から見えてくるもの
 調査結果をざっと見ていくと、全都道府県における地域元気指数トップ10は、沖縄県と東京都が同率(地域元気指数6.17)で第一位、以下神奈川県(6.02)、兵庫県(5.94)、愛知県と石川県(5.91)、福岡県(5.89)、大阪府(5.87)、熊本県(5.81)、滋賀県(5.76)と続く。地域元気指数の全国平均は5.69とのことである。

 続いて、地域元気指数そのものの増減を前年との比較で見てみると、宮崎県がトップ(+0.21)で、次いで熊本県(+0.20)、福島県(+0.18)、宮城県(+0.15)、兵庫県(+0.14)となっている。この点について、調査サマリーでは「復興と特徴を活かした地域づくりが地域元気を上昇させたと考えられる」と考察している。

 市町村で見ていくと、まず市では(605市の平均5.77)、愛知県長久手市(7.60)が3年連続一位で地域元気指数も前年より0.39ポイント上昇。以下、千葉県浦安市(6.97)、沖縄県石垣市(6.94)、兵庫県西宮市(6.87)、神奈川県海老名市(6.81)、東京都武蔵野市(6.79)、沖縄県豊見城市(6.75)、宮城県富谷市(6.72)、石川県野々市市(6.70)、千葉県印西市(6.66)となっている。

 町村では(237町村平均5.50)、一位が沖縄県北谷町(7.35)、次いで福岡県新宮町(7.32)、沖縄県南風原町(7.26)となっており、以下熊本県菊陽町、沖縄県西原町、静岡県長泉町、福岡県那珂川町、沖縄県中城村、北海道倶知安町、沖縄県与那原町という結果だった。トップ10に沖縄県から5町村がランクインしているのが目を引く。

 同調査では、地域元気指数が高い市町村の理由を先述の「地域元気の評価要素」である47の要素に分けて調査し、その秘訣を探ってみている。その結果、地域元気指数が高い市町村では、「新しいものを受け入れる風土がある」「地域に楽しめる場所がある」「地域内で若い人の姿を多く見かける」「地元で買い物をする人が多い」「再開発などで街が変化し地域が魅力的になった」などの割合が高く、そうした要素が地域の元気をつくる秘訣となっているとのことである。調査サマリーでは「総じて、商店街や集客施設等、人が集まる場の活気が、地域の元気を支えている結果となった」とし、「ヒト・モノの流動と人が集まる場所の活気が、地域の元気を支えている」とまとめている。

 ちなみに、見てきたように、東北の都道府県と市町村でトップ5までにランクインしているのは、唯一宮城県富谷市のみである。富谷市は仙台市の北側に位置し、仙台市のベッドタウンとして人口増が続いている。国道4号線沿いに大規模商業施設が相次いでオープンし、県内屈指の集客力を誇る。そうしたところが「元気」と判断されたのだろう。

自己評価と他者評価が一致しない項目に東北の県が現れる理由

自己評価・他者評価が比較的不一致 この調査で面白いのは、都道府県別に自己評価と他者評価についても調べていることである。その結果、「観光客がたくさん訪れている」「交通基盤が整っている」「にぎやかで楽しい」「活力がある」などでは自己評価と他者評価の一致度が高かったが、「食べ物がおいしい」「人が優しい」「地域の人同士のつながりが強い」「子育て環境が整っている」などは自己評価と他者評価の一致度が低いことが分かった。

 確かに、一致度が低いとされた項目は元々主観に左右される要素が大きそうな項目であるように見える。ちなみに、「食べ物がおいしい」の自己評価第一位は断トツで山形県(そう思う75.3%)で、青森県も第五位(68.8%)に入っているが、一方の他者評価での第一位は北海道(93.0%)で、以下福岡県、熊本県と来て、第四位に秋田県がランクインしている。

 「人が優しい」の自己評価では第五位に岩手県(そう思う56.0%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、二位に青森県(70.6%)、三位に福島県(70.5%)、四位に秋田県(68.1%)と、東北が三県もランクインしている。

 「地域の人同士のつながりが強い」では第五位に山形県(そう思う40.6%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、やはり青森県が二位(78.2%)、四位に秋田県(66.2%)、五位に福島県(65.6%)がランクインしている。

 「食べ物がおいしい」の山形県の自己評価はいい意味で非常に好ましいと思う。自分たちの土地の食を極めて肯定的に見ていることがよく分かる。確かに種類豊富な果物、そば、芋煮、伝統野菜、米沢牛、三元豚など、数え上げればきりがないくらい美味しい食がある。他者評価との差は、その魅力がまだ十分他地域の人に伝わっていないということなのだろう。自己評価五位の青森県にも同様のことが言えるに違いない。

  「人が優しい」、「地域の人同士のつながりが強い」の他者評価で上位にランクインしている青森県、福島県、秋田県は、そのような他者評価がされているということを、積極的にPRしてみてはどうだろうか。「人が優しい」などは観光客を呼び込む際のPR材料としてうってつけである。

 「地域の人同士のつながりが強い」は、今国がその実現に向けて施策を立案している「地域共生社会」における重要な要素でもある。他者評価で上位にランクしているやはり青森県、秋田県、福島県の三県は、その強みを再認識し、その実際の姿について積極的に情報発信してみてはどうだろうか。「地方は末端ではなく、国の先端なり」と言ったのは元沖縄県読谷村長で現在参議院議員の山内徳信氏だが、「地域の人同士のつながりが強い」と他者から評価されているこれらの県は、まさに「国の先端」と言うべきだろう。

 五位以下の順位は調査サマリーでは記載がなく不明ではあるが、恐らくは東北の他の三県もこれらの項目についてはさほど順位が下ではないものと考えられる。自己評価と他者評価が一致しないということは、少なくとも東北に住む人自身は、きっとあまりに当たり前過ぎて、自分たちが「優しい」とか「つながりが強い」などとは思っていないということなのだろうが、自分たちの「強み」が何かということは、他の地域からの方がよく見えるものなのかもしれない。

 「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合い」を評価するという「地域元気指数」において東北の各県、各市町村が上位にランクインしないということは、東北に住む人自身が、自分たちの地域はそれほど元気でないと評価している表れであると言うこともできるが、一方でその自分たちの地域は「優しさ」や「つながり」において他地域から評価される存在であるということは大いに誇るべきことである。

anagma5 at 19:01|PermalinkComments(0)clip!私的東北論 

2019年03月11日

震災から8年〜私的東北論その115

あの日から8年である。
8回目の3月11日は、朝から強い風と雨。
この8年で雨の日は初めてだろう。
あの日、地震に追い打ちをかけるように雪まで降ってきたことを思い出す。

8年経っても、この日だけはいつもと違う心持ちになる。
心の中が何となくざわついているような、何か胸に引っかかるものがあるような、何とも落ち着かない気分である。
その傾向は地震発生時刻の14時46分に向けて強くなるような気がするので、とても平気な顔して仕事を続ける気にもなれず、毎年この日は午後休みを取って、弟の最期の場所、仙台市の沿岸、荒浜に足を運んでいる。

WP_20190311_14_04_18_Rich_LI今年もまず、弟がいた若林区役所を訪れる。
献花場は、昨年から近くの若林区文化センターに移されたので、そちらに行って献花する。
会場では仙台市の追悼式も開催されようとしているところだったが、出る気にはならず、今年もあの日弟が通ったであろう道を自転車で一路荒浜に向かった。






WP_20190311_15_12_02_Rich_LI今年は雨風が強かったためか、例年より随分人は少なかったが、それでも旧浄土寺の慰霊碑の前や荒浜慈聖観音の前では、一心に手を合わせる人の姿があった。










WP_20190311_15_14_20_Rich_LI大津波でほとんどが倒れてしまった松林、少しずつ新たに植林が進んでいた。
何十年後か、またこの海沿いに見事な林が復活することだろう。









WP_20190311_15_17_21_Rich_LI防潮堤に登って見下ろすこの日の海は、強い風を受けて大きな波が打ち寄せていたが、はるか向こうで波しぶきが立っているだけで、あの日この防潮堤を易々と超えていった大津波とは比べるべくもない。









WP_20190311_15_52_51_Rich_LIこの地に大津波が押し寄せた15時54分に合わせて、今年も弟の遺体が見つかった南長沼に赴いて手を合わせる。
これで何がどうなるということでもないが、今や自分の中では毎年の恒例行事である。







WP_20190311_16_20_49_Rich_LI帰りに、霞目にある「浪分神社」に寄る。
江戸時代にこの地を襲った大津波が、ここで南北に分かれたと伝えられている。
つまり、過去の津波到達地点を示す神社であり、実際今回の地震でもこの神社の近くまで津波が押し寄せたが、この神社の津波に関わる伝承は残念ながら広く伝わってはいなかったそうである。
どんな教訓も、伝わらなければ意味がない。
今回の地震の教訓も、伝える努力を続けなければいけないと改めて思った。

WP_20190311_23_28_20_Rich_LIなどと振り返りながら、家に帰ってお気に入りのビールを飲む。
震災以来、この日はどんなイベントがあろうと、誰からお誘いがあろうと、家に帰ってあの日を思い起こしながら飲んでいる。
つまみは必ず、子どもの頃、弟とおやつに食べてたやきとりの缶詰である。
二人とも特に皮のついたところが大好きで、でもケンカせずに仲良く分け合って食べてたことを覚えている。
今年は昔二人の憧れだった大きな缶が手に入らなかったので、小さい缶を4段重ねである。

こうして飲み食いできるのも、生きていればこそ。今日生きていられることに感謝しつつ、もしまた明日が来てくれたなら、またいつもの一日を送りたいと思う。



2019年02月24日

東北で地ビールが飲める店その83〜岩手県大船渡市&陸前高田市

 大船渡市は、岩手県の三陸沿岸南部にある人口約36,000人の市である。後に紹介する陸前高田市、そして宮城県気仙沼市と共に、いわゆる「気仙地域」の中心部を構成しており、文化的にも心理的にもこれら3市はつながりが深い。

WP_20190112_21_54_25_Pro_LI BRTの大船渡駅近くにある複合スペース「キャッセン大船渡」の中にある「湾岸食堂」は大船渡産の牡蠣を中心とした料理が食べられる店である。ビールも国内外のビールが10種類置いてあり、特に岡山の宮下酒造の「牡蠣に合う白ビール」があるのがよい。





WP_20190112_23_24_27_Rich_LI 地元で知り合った方に教えていただいたのだが、やはり大船渡駅の近くにあるダイニングバー「Bobbers(ボバーズ)」には、樽生が5種類、瓶が10種類、ビールがある。ベアレンビール、遠野麦酒ズモナなど岩手のビールの他、海外のビールもある。ビールに合いそうな魚介類や肉類の料理もある。




WP_20190112_23_29_08_Rich_LI もう一軒教えていただいた「バー&カフェ ロビン」は生フルーツのカクテルが美味しい店だが、タップマルシェがあるのでクラフトビールも楽しめた。








 一方の陸前高田市は、大船渡市の南に位置する人口約19,000人の市である。ちなみに、読み方は「りくぜんたかた」である。震災前は海岸沿いの松林「高田松原」で有名だったが、東日本大震災の大津波で1本を除いて全て流された。残った1本は「奇跡の一本松」として、人々に勇気と希望を与えてくれた。

1029_792449937549471_625050140520665904_n BRT脇ノ沢駅から徒歩10分のところにある「農家カフェ フライパン」では、いわて蔵ビールのオイスタースタウトが飲める。いわて蔵ビールのオイスタースタウトは、ここ陸前高田市の広田湾の牡蠣の身と殻を使って造られている。それだけでなく、地元産の「米崎りんご」を使っていわて蔵ビールが醸造したオリジナルビール「りんごエール」も飲める。地元の野菜などを使ったフードもいろいろ揃っていて、ピザやパスタも美味しいが、私のお気に入りは月替わりで提供される本格的なカレーである。

 









WP_20190112_18_25_32_Rich_LI この地域で楽しみな話もある。昨年、「三陸の農産物、海産物を使ったビールを造ることで三陸の魅力を発信していきたい」と、南忠佑さん夫妻が「三陸ブルーイング・カンパニー」を立ち上げた。そこで造られるビール、その名も「三陸ビール」、今は他の醸造所の醸造設備を使って醸造しているが、ゆくゆくは大船渡市内に醸造所を造りたいとのことである。

 1月12日には上で紹介した陸前高田市内の「農家カフェフライパン」を会場に、「三陸ビールを楽しむ会」も開催され、大入り満員だった。この地域の代表的な酒蔵である酔仙酒造と同じように、三陸ビールもきっと、大船渡と陸前高田にまたがって活動していくのだろうと感じた。

 現在の主力は、地元でお茶にする「ヤブツバキ」の葉を加えたベルジャンホワイトスタイルの「週末のうみねこ」と、三陸産の牡蠣の身と殻を使ったオイスタースタウト「ばばばスタウト」である。今後も三陸や首都圏で出店して、いろいろなスタイルのビールを醸造していくそうである。


東北で地ビールが飲める店その82〜福島県喜多方市

170915-171330 喜多方市は福島県の西部、会津地域にある人口約47,000人の市である。その名の通り(以前は「北方」と表記した)会津の中心地である会津若松市の北方にあり、「蔵とラーメンの町」として有名である。特に「喜多方ラーメン」は、日本三大ラーメンの一つに数えられることもあり、全国的にファンが多い。週末などは人気店に長蛇の列ができる。

 喜多方を含む会津地域は日本酒が有名で、11年前に「会津麦酒」がなくなって以来、昨年南会津に「南会津マウンテンブルーイング」ができるまでの10年間、福島県の約4割を占めるこの広大な地域に、地ビールは「猪苗代ビール」が孤軍奮闘状態であった。会津全体がそのような状況であるので、喜多方市内でもその御多分に漏れず、地ビールが飲める店は今まで見つけられていなかった。

 というような話を2年前の9月くらいに、会津若松で行きつけの「時さえ忘れて」でしたところ、マスターから喜多方市役所裏にある「醸造酒バー二代目Kogiku」を教えていただいた。ちょうどその半年くらい前に、店を前の人から受け継いだのだそうで(だから店名が「二代目」)、その名の通り、醸造酒である日本酒、ワイン、そしてビールがいろいろ揃っていた。ビールは福島路ビール、ブルックリンラガー、ヒューガルデン、ベルビュー・クリークが樽生で置いてあった。その後、タップマルシェも入った。醸造酒に合いそうな料理もいろいろと揃っていていい店である。

東北で地ビールが飲める店その81〜山形県川西町

WP_20190108_18_02_28_Rich_LI 川西町は山形県の内陸南部、置賜地域にある人口約15,000人の町である。置賜地域の中心である米沢市の西隣に位置している。日本最大規模の観光ダリア園である「川西ダリア園」で有名である。

 町の中心部はJR羽前小松駅の西側で、役場も駅から徒歩4分のところにある。その反対の東側、町民総合体育館に向かう途中に「Spice kitchen GARBANZO(スパイスキッチン・ガルバンゾー)」(東置賜郡川西町中小松2236-5、TEL0238-33-9174、11:30〜14:30※土日祝は〜15:00、17:00〜22:00、水曜定休)がある。スパイスカレーが美味しく、かつクラフトビールも揃う、いい店である。

 ビールは、地元の米沢ジャックスブルワリーのビールやタップマルシェなど樽生7種に、国内外の瓶ビールが13種ある。カレーの看板メニューは「濃厚バターチキンカレー」だが、「厳選スパイスのキーマカレー」など、いろいろある他のカレーも美味しい。

 米沢方面から向かう際にはJR米坂線を利用することになるが(路線バスは時間が掛かる上に平日3便のみの運行である)、夜に行ってビールを飲もうとすると、米沢に戻る最終列車が最寄りの羽前小松駅19:37発(米沢駅20:02着)なので、行きは米沢駅17:03発の列車に乗りたい(羽前小松駅17:25着)。羽前小松駅から店までは徒歩10分弱である。


2019年02月21日

東北で地ビールが飲める店その80〜福島県西郷村

 西郷村(「さいごう」ではなく「にしごう」と読む)は、福島県の中通り南部、手打ち麺がメインの「白河ラーメン」で有名な白河市の隣にある、人口約20,000人の村である。この20,000人という人口、村としては多いなと思って調べてみたら、やはり日本の村の中で3番目の多さだそうである。東北新幹線の駅の中で、東北の最南端の駅である新白河駅は、実は白河市ではなく、この西郷村に位置している。新白河駅は、全国の新幹線駅の中で唯一、「村」にある駅なのである。

 この、村内に新幹線駅がある西郷村に、昨年地ビール醸造所ができたと聞いたので行ってみた。他の地域のことは知らないが、少なくとも東北では初めての、村にできた地ビール醸造所である。

WP_20190123_14_29_15_Pro_LI その地ビール醸造所「ハイランドポートブルワリー」は、新白河駅からだと徒歩50分(4km)、東北本線の白坂駅からだと徒歩40分(3km)であるが、平日であれば福島交通の路線バスも利用できる。ハイランドポートブルワリーの最寄り停留所は「千本桜入口」で、同ブルワリーは12:00〜17:00の営業なので、「新白河駅高原口」12:45発の「南部循環大平・役場回り」(所要12分)か15:10発の「南部循環西原・役場回り」(所要25分)が利用できる。帰りは15:35発の「新白河駅高原口」行(所要15分)か17:30発の「白河駅前」行(新白河駅まで17分、白河駅まで27分)がある。

 あとは、飲んだ帰りは押して帰る定めとなるものの、東北本線の白河駅に併設されている観光案内所でレンタサイクルを借りて、7kmの道を行くという方法もある。ただし、3〜10月は18時まで、11〜2月までは17時までに返却しなければいけないので、それに間に合うように注意が必要である。ちなみに、軽快車(いわゆるママチャリ)は無料、クロスバイクは3時間1,000円、1日2,000円である。

 本筋とは関係のない話だが、同案内所では、レンタカーが1時間500円で借りられるので、それと比較してしまうとクロスバイクは何とも割高な料金設定のように感じる。ただ、東北の多くのレンタサイクルが冬期間は休業となってしまう中で、冬期間もレンタルできるようになっているのはありがたい。東北の特に太平洋側は冬であっても路面に全く雪のない日も多いので、こういうところがもっと増えてくれるといいなと、冬でも雪がなければ自転車に乗っている私は思う。

WP_20190123_14_20_29_Pro_LI さて、現地に足を運ぶと、自宅を開放したカフェ「お家パン オブ」があり、離れの倉庫にハイランドポートブルワリーの醸造設備がある。ハイランドポートブルワリーのビールは常時7,8種類あるが、「お家パン オブ」ではそのうち樽生が1種類つながっており、残りは瓶で飲める。大谷さんご夫妻が切り盛りしているカフェで、旦那さんがビールを造り、水曜日であれば奥さんの焼いた天然酵母の手づくりパンや焼き菓子が食べられる。ビールとパンは麦と酵母つながりである。

WP_20190123_16_47_13_Pro_LI 「ハイランドポートブルワリー」の名前の由来をお聞きしてみたところ、醸造所が新白河駅の2つある出口のうち「高原口」側にあることから、それを英訳した名前をつけたとのことである。ビールはペールエール、IPA、スタウト、ラガー、ヴァイツェンなど多彩でどれも美味しいが、ユニークなのは、ホップの使用量と地域の標高が連動したネーミングになっていることで、あまりホップを多く使わないヴァイツェンは「白河ヴァイツェン」(標高356m)、ホップを大量に使うIPAは「三本槍岳IPA」(標高1916.9m)などとなっている。西郷村特産の赤いルバーブを使った赤いビールもある。気候がよくなったらイベントなども企画したいとのことで、楽しみである。なお、村内の「まるごと西郷館」でも、ここのビールと手づくりパンを購入することができる。

2019年02月20日

ようこそ「せんカフェ」へ(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その114

せんカフェフライヤー 1月16日に発行された「東北復興」第80号では、昨年4月に始めた「せんカフェ」のことについて紹介させていただいた。左がそのフライヤーである。そこに書いてある通り、毎月1回、第3火曜日の夜7時から仙台市中心部の「エル・パーク仙台」の5階「創作アトリエ」&「食のアトリエ」が会場のカフェスペースである。

 それにしてもこの「東北復興」紙もついに80号である。編集長の砂越さんには心から敬意を表したい。












ようこそ「せんカフェ」へ

食べ物と「想い」を持ち寄るカフェ
 昨年4月から「せんカフェ」を始めた。毎月第3火曜日の午後7時から、仙台市の中心部、一番町にある公共施設、エル・パーク仙台が会場である。参加する人には、食べ物一品と自分の「想い」を持ち寄ってもらう。こちらからは飲み物を提供し、ソフトドリンクのみの人は500円、アルコール類も飲む人は1,500円を会費として支払ってもらう。医療や介護の資格のあるなし、病気や障害のあるなし、老若男女問わず、いろんな人が「ごちゃまぜ」で自分たちの地域の医療や福祉やまちづくりなどについて自由に語らう集いの場である。今回はこの「せんカフェ」について紹介したい。

「地域連携」の変遷
 私が仕事で担当している雑誌は、医療側から見た地域連携がテーマである。一昔前まで、医療は多くの場合、一病院完結型で提供されていた。つまり、入院して治療してリハビリして完治して退院、という流れだった。しかし、どこの病院もそのような体制だと、効率が悪い。それで、地域にあるそれぞれの病院が自院の強みを活かして急性期や回復期、慢性期などの医療をそれぞれ担い、連携して医療を提供する、地域完結型の医療が進められるようになった。日常の医療はまず地域のかかりつけ医となっている診療所で行い、生命の危機に関わる疾病を発症した場合はそこから紹介されて急性期の病院に入院、生命の危機を脱した後は回復期の病院に移ってリハビリなどを進め、さらに療養が必要な患者は慢性期の病院に移る、といった流れに変わった。

 そこで必要になったのが、病院内で対外的な調整を行うための部署で、それが地域連携室、医療連携室、といった名称の部署だった。そのようなわけで病院の中では比較的新しい部署だが、その連携室がまず手掛けたのは地域で患者のかかりつけ医となっている診療所との連携だった。「病診連携」と言われる。病診連携がある程度出来上がってくると、次の課題は機能の異なる病院同士の連携だった。急性期を脱した患者が円滑に次の医療を担う病院に移れるための「病病連携」である。医療の連携が密になっても、それだけでは患者の問題は解決しない。高齢化に伴い、介護が必要な患者も増加し、介護事業者との連携も必要になった。そこで「医療介護連携」のための取り組みが進んだ。

 どのようにして連携を密にしていくか、まず顔を合わせる機会をつくることが有効である。そのようなわけで、全国各地に医療職同士や医療職と介護職が交流できる場ができた。それによって医療や介護の連携は大いに進んだし、それによって医療や介護が必要な人にとっても大いにメリットがあったに違いない。

 病診連携、病病連携、医療介護連携と進んできた連携は現在、もう一ステップ先に行きつつある。医療や介護の専門職ではない、地域の様々な構成員、例えば地元の自治会、民生委員、商工会、学校などと連携する必要性が指摘されるようになってきたのである。本来の意味での「地域連携」とも言えるが、従来の連携と明確に区別するためにこうした専門職同士に依らない連携を「社会連携」と呼ぶ研究者もいる。

 ともあれ、医療同士から医療と介護へと進んだ連携は、今や医療や介護領域に限らない地域全体との連携へと駒を進めつつあるわけである。「せんカフェ」もそうした流れの中で捉えることが可能である。

「せんカフェ」の「言い出しっぺ」のこと
 さて、「せんカフェ」の「言い出しっぺ」は、実は私ではない。地域包括支援センターに勤める介護支援専門員で、一緒に「せんカフェ」の共同代表を務める荒井裕江女史こそが言い出しっぺである。彼女とは最初、仙台市内で介護職が集まっての飲み会で普通に名刺交換をしたのだが、その後小学校の時に同じクラスにいた人だということに気づいた。また、彼女とは目指す方向性に似通ったところがあった。要は、つながることの重要性、つながれる場をつくることの重要性への認識が共通していたのである。それでそれ以降、医療や介護の関係者が集まれるイベントごとを一緒に企画する機会が多くあった。

 私は先述のように、仕事柄、地域の医療や介護を成り立たせるためには関係者間でお互いの顔が見えるつながりをつくることが重要だと、様々な事例を見聞きする中で強く感じていた。彼女は彼女で、普段の仕事を通して、やはり関係職種がつながることの重要性を実感していたのだろう。

 違うのは、そこからの行動力である。「せんカフェ」にはお手本がある。東京の世田谷でやっている「せたカフェ」である。その情報を、やはり「せたカフェ」をお手本に宮崎の日南市で「にちなんもちよりカフェ」を運営していた宮崎県立日南病院の医師、木佐貫篤氏から聞くや否や、彼女は「せたカフェ」を主宰しているノンフィクションライターの中澤まゆみ氏にコンタクトを取り、実際に「せたカフェ」に参加した。それが、一昨年の9月下旬。実際に見てみて「仙台でも同じ場を作りたい!」と思ったようで、11月初めには「もちよりカフェ、仙台でも開催しない?」と連絡が来た。彼女は、医療介護の壁を超えて、一般の人も気兼ねなく集える会をつくりたい、そこでいろんな人をつなぎたい、と考えたのである。

 私は私で、仕事柄、地域の中での専門職同士のつながる場ができて、実際にそこで得たつながりが医療介護の現場でも活かされていることも見てきた。仙台市内はもとより、東北の各地域でも活発に活動している連携の会も多くある。ただ、先述のように、医療や介護を取り巻く連携が新たな段階を迎えつつある中で地域全体のことを考えた時に、専門職同士がつながるだけでは不十分だとも感じていた。専門職同士の熱意ある取り組みが地域に見えるためには、地域に開かれた場も必要なのではないか、そう考えていたところに、彼女からそのような相談があったので、もろ手を挙げて賛成して一緒にやることになったのである。

 木佐貫氏や中澤氏のことは私もよく存じ上げているし、中澤氏からは「ぜひ一度せたカフェに」、とのお誘いもいただいていたが、日々のバタバタに追われて行けないでいたところに、彼女はあっという間に行動に移して、「仙台にもみんなが気軽に集える場をつくる!」と決意して帰ってきたのである。そのパワーたるや、お見事というほかない。

 彼女は会場もみんなが集まりやすいところがいいということで中心部、少ない予算でやりくりするので公共の施設ということでエル・パーク仙台をリストアップし、出掛けていって会の趣旨を説明して協力を依頼した。そうしたところ、ロッカーやメールボックスが使用できて、会場も一般の貸出開始日よりも前に予約することができる「ロッカー・ワークステーション利用団体」として認定してもらえた。

 また、デザインに強い知り合いにリーフレット作成を依頼し、必要部数を印刷して、仙台市内の公共施設に足を運んで置いてもらえるよう依頼したり、趣旨に賛同して協力してくれそうな人たちに声を掛けて運営に協力してもらえる仲間を募ったりするなど、とにかく周りを巻き込んで精力的に動き回った。その結果、「せたカフェ」の視察からわずか半年後に「せんカフェ」をスタートすることができた。

 私がこだわったことと言えば、毎月決まった日に開催するようにしたいということであった。皆、仕事を持ちながら手弁当での運営となるので、準備の大変さなどを考慮して隔月の開催にした方がという意見もあったのだが、私としては毎月決まった日にそこに来れば必ずみんながいる、という場を作りたかった。隔月の開催だとその月はせんカフェがある月かどうか参加したい人が迷ったりすることも考えられたので、毎月開催という部分は通させていただいた。そして具体的にいつがいいか検討した結果、毎月第3火曜日夜7時からの開催ということになったわけである。

毎月第3火曜日は「せんカフェ」の日
 そのようにして、昨年4月17日(火)に、第1回の「せんカフェ」開催にこぎつけた。会場の定員ぎりぎりの50名の方に参加していただいたが、医療や介護の専門職はもちろん、障害を持った人や家族に障害を持った人がいる人も含めて様々な人に集まっていただけた。「せんカフェ」の最重要のキーワードは「ごちゃまぜ」だと常々荒井女史とは話し合っているので、その意味でもとてもよかった。

 会ではまず、会の趣旨を説明し、参加者に守っていただきたい「3つの約束」を読み上げた後、あらかじめお願いしておいた参加者お一人に「話題提供」をしていただく。参加者一人ひとり、話してみると実に多様なバックグラウンドを持っていることが分かる。その一端を披歴していただくことはとても勉強になる。その意図通り、毎回実に多彩な話題が提供されている。その後、持ち寄った食べ物を食べ、用意した飲み物を飲みながら自由に対話してもらう。グループワークではないので、テーマも定めないし、もちろんどんな話をしたか発表してもらうこともしない。一人ひとりが自由に食べ、飲み、話し、その結果今までつながっていなかった人とつながり、あわよくばそこからまた新たな何かが生まれれば、と考えている。

 第1回から第3回までは毎回定員ぎりぎりの参加があったのでできなかったが、参加者数が40名前後に落ち着いてきた第4回以降は、1人1分以内の自己紹介タイムを設けた。それによって参加しているお互いのことを知ることができればと考えてのことである。第7回以降は、定員自体を40名として、毎回自己紹介タイムを設けている。

 荒井女史は言う。「結局、地域包括ケアシステムにせよ、地域共生社会にせよ、医療介護の専門職だけじゃどうにもできなくて、その地域に住んでいる人が主役、と言うか、当事者のわけだから、その人たちと話をしないと地域は変わらないよね」と。また、「仕事で疲れた時でもフラっと参加出来て、志が一緒の方々に会えたり、繋がる事で力を貰えたり。ホッとした時間を過ごせる会が出来たらいいね」とも。「せんカフェ」は小さな取り組みではあるが、参加してくれる人にとってそのような場であればよいと私も思う。

 「毎月第3火曜日は『せんカフェ』の日」ということが定着するよう、今後も地道に、着実に「せんカフェ」を続けていきたいと考えている。もし関心のある人がいれば、ぜひ第3火曜日夜7時にエル・パーク仙台5階の「創作アトリエ&食のアトリエ」に来ていただければと思う。そこにはいつも、笑顔での対話がたくさんあるはずである。


2019年02月16日

消えた道州制論議(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その113

 昨年12月16日に刊行された「東北復興」第79号では、「道州制」について取り上げた。今は昔の話となってしまった感があるが、10年ちょっと前、道州制導入を目指した取り組みが進んでいた時期があった。その現在までの動きについて振り返ってみた。以下がその全文である。


消えた道州制論議

道州制を巡るこれまでの動き
 首相の諮問機関である第28次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を公表したのは2006年2月のことであった。いわゆる「平成の大合併」で市町村合併が進展したことを踏まえ、また都道府県を越える広域行政課題が増加しているとの認識の下、地方分権改革の確かな担い手として道州を据えた。単に都道府県制度の改革に留まらず、「国のかたち」の見直しにかかわる改革と位置づけ、「国と地方双方の政府を再構築し、新しい政府像の確立を目指す」と謳った。基本的な制度設計としては、現在都道府県が実施している事務を大幅に市町村に移譲すると共に、国とりわけ地方支分部局が実施している事務をできる限り道州に移譲し、同時に適切な税源移譲を実施するものとしていた。その上で、「道州制の導入が適当」と結論していた。

 同じ年の9月には第一次安倍内閣で道州制担当大臣が配置され、3年以内に「道州制ビジョン」を策定するという方針が示され、翌2007年1月に政府の「道州制ビジョン懇談会」が設置された。4月には道州制特区推進法が施行されて、北海道に対して8つの事務が漸次移譲されることになった。同年6月には自民党の道州制調査会が「道州制に関する第2次中間報告」を公表し、その中で「導入時期は、今後8〜10年を目途」とすると明記した。翌2008年3月には「道州制ビジョン懇談会」が中間報告を公表し、「2018年までに道州制に完全移行」するとした。

 振り返ってみると、この時期が最も道州制に向けてのアクションが活発だったように思える。同じ2008年3月には経団連も「道州制の導入に向けた第2次提言」の「中間とりまとめ」を公表、7月には自民党の道州制推進本部が「道州制に関する第3次中間報告」を公表、11月には経団連が第2次提言の最終案を公表するなど、各方面の動きが活発だった。一連の動きからは、確かに近い将来道州制が実現するのではないかと感じられたのも事実である。

 潮目が変わったのは2009年の政権交代と2011年に発生した東日本大震災だったように思える。まず政権交代で政権を握った民主党は道州制導入には反対で、「道州制ビジョン懇談会」も解散された。新たに置かれた「地域主権戦略会議」では、「地域のことは地域に住む住民が決める」という趣旨から、都道府県ではなく市町村の権限強化が主たるテーマとなった。2011年に発生した東日本大震災の後には、道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念も出されるようになった。

 第3次安倍内閣以降は、道州制担当大臣は置かれず、代わって地方創生担当の内閣府特命担当大臣が置かれたが、少なくとも道州制に関して目立った動きは見られない。道州制そのものを扱う部門ではないが、民主党から政権を奪還した第2次安倍内閣の肝いりでつくられた地方分権改革推進本部も、設置された2013年には4回開催されたが、2016年、2017年は1回ずつの開催に留まっている。

 今年はまさに「道州制ビジョン懇談会」が中間報告で「道州制に完全移行」すると明記した2018年であるが、道州制に完全移行どころか、道州制に関するアクションがほとんど見られない年となっている。2012年に「道州制基本法案」の骨子案まで公表した自民党の道州制推進本部も、今年10月ひっそりと廃止された。

道州制に対する批判

 進まない理由は結局のところ、道州制に対する慎重なあるいは批判的な見方が根強いこと、そしてまた先の第28次地方制度調査会の答申に盛り込まれたように、道州制移行には不可欠と見られた事務や税源の移譲が進まないことの2点に集約されるように思われる。福井県知事の西川一誠氏は、2008年に「幻想としての道州制」を中央公論に寄稿している。タイトルで分かる通り、氏は道州制反対論者であるが、そこで指摘されていることは、今後道州制を考える上で重要なポイントがいくつも含まれているように見える。

 氏は、道州制論について、「全体としては理想主義の色彩を帯びていながらも、観念的な期待感に満ちあふれているだけの議論に終始している」として、その例として「経済の活性化については、道州制により区域が自立し、道州間の競争も生まれて、経済活動が盛んになるといった、前提条件を無視した『抽象論』。また、官僚制の弊害の除去については、中央官庁の権限を道州に大幅に委譲できるという極めて単純な『期待論』。行政改革については、ただちに規模の経済が動くという算術的な『効率論』。地方分権について言うと、導入を機に道州の条例制定権や課税自主権が抜本的に見直されるべきという『べき論』に留まっている」と批判している。確かに、道州制を導入するだけで同時に国からの権限移譲も進むという見方はあまりに楽観的に過ぎる。見かけは道州制、しかしその実単なる都道府県合併に過ぎないという形になる可能性も大いにある。そのような道州制では確かに意味はない。

 氏はまた、北海道と九州を比較する。北海道は道州の規模を持つが、北海道全体に占める札幌市の人口比は2005年で約33%、これに対して九州に占める福岡市の人口比は約10%であることを挙げ、「地域が県に分かれ、七つの県都がある九州では福岡市への集中は緩やかである。一方、広大な地域に県都が一つの北海道においては札幌市への集中が著しい」と指摘し、「道州制は結局、道州の中にミニ東京と周辺過疎を作り出すことになろう。それはブロック内の新たな集権化である」と主張している。これもまさにその通りである。東北が一つの州になるとしても州都を仙台にしてはいけない、というのが私の持論だが、それはまさにこうしたことを懸念してのことである。ただでさえ人口が多い仙台が州都になると、まさに札幌のように、一極集中を招くことになるに違いない。

 氏はまたこうも指摘する。「州都の道州首長が、何百キロメートルも離れた各地方の教育や福祉を、日頃の行政や選挙などを通じ、わがこととして理解するには大きな困難が伴う。このような組織を持った道州は、住民にとっても身近な自治体というよりほとんど国と同様な政体となる」。つまり、住民にとって道州は都道府県よりも遠い存在になると指摘しているわけである。こうした懸念があるからこそ、道州制は単なる都道府県合併であってはならないわけである。すなわち、これまで都道府県が担っていた業務を道州が担うのではなく、国が担っていた業務を道州が担い、都道府県が担っていた業務を市町村が担うというようにしていかなければならない。そうした体制が実現できれば、国より近い道州、都道府県より近い市町村ができる。まさにこの部分が道州制の肝であるように思う。

まずは連携の実績を積み重ねる
 権限移譲のない道州制にはさほど意味はないとすれば、その権限を手放そうとしない中央官庁を前にして、道州制を前に進めていくのはかなりの困難を伴うことは火を見るよりも明らかである。権限の委譲に関しては、「二重行政」の批判がつきまとう国の出先機関を廃止し、その業務を都道府県に移管するというのがその端緒となる。しかし、この国の出先機関の廃止についても2007年から延々議論されてきているものの、いまだにほとんど何の成果も上がっていない。今後もすんなり進むようには到底見えない。

 そしてまた問題だと感じるのは、道州制を含む地方分権に関する地方からの発信が、このところ少なすぎるのではないかということである。地方が声を上げないものを中央があえて取り上げることはないに違いない。かつてのように地方からもっと声を上げていかなければならない。それは、自治体にだけ任せていればよいのではなく、地方に住む我々一人ひとりが事あるごとに、あらゆる機会を捉えて声を上げていくことこそが求められる。

 とは言え、声を上げたからといって簡単に実現するものでないことは、これまでの経緯からも明らかである。ひと頃、道州制導入の旗振り役の一角であった経団連は、今年「広域連携」の推進を目指す方向に舵を切った。道州制導入が一足飛びに進まないことを見越してのことである。一見後退に見えるかもしれないが、このアプローチはありだと思う。まず連携できるところから連携して、実績を積み上げることでその先の議論を喚起するということも可能である。東北も、六県で一緒に取り組む機会を増やしていくこと、その中で自治体職員だけでなく、住民同士の交流も活発にしていくことをまずは目指していくのがよいのではないだろうか。そうした中できっと、「やはり同じ東北だ」と実感する機会は多くあるはずである。

 観光や災害時対応など、六県が一緒になることで大きなメリットが得られるテーマは数多くある。そうしたテーマを取っ掛かりにして、六県の連携をまずは進めていばよい。道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念があることを紹介したが、逆に仮にあの時六県の連携体制が確立していたならば、物資の輸送や人員の派遣などでより迅速な対応ができた可能性もある。よく言われることだが、普段できていないことは災害発生時にはできない。平時から、緊急事態発生時にも機能する連携体制を構築しておくべきである。

 道州制に関する動きが活発だった頃の、かなり以前の調査だが、財団法人経済広報センターによる「道州制に関する意識調査報告書」(2008年7月)でも、「道州制の議論を進めること」について「賛成」と答えた人の割合は、東北では43%と、九州・沖縄地方と並んで全国で最も高く、北海道が42%でそれに次いでいた。日本世論調査会の2006年12月の全国世論調査でも、道州制に「賛成」あるいは「どちらかといえば賛成」と答えた人の割合は北海道、東北、四国で多かった。東北を始め、北海道、四国、九州に共通しているのは、地域的に一体感があるということである。

 ここで特筆したいのは、北海道、四国、九州が海で他の地域と仕切られた地域であるのに対し、東北は本州の一部で他地域と陸続きであるにも関わらず一体感があるということである。東北の一体感というのは地理的につくられた一体感というよりは、文化的にあるいは心情的に醸成された一体感であると言えるのではないだろうか。これは東北にとっての何よりの宝であろうと思う。その宝を大事に活用していきたい。

anagma5 at 17:33|PermalinkComments(0)clip!私的東北論