2006年07月05日 

東北の歴史のミステリーその8〜実際にあった?さだ六とシロの悲劇

5880cab9.jpg 子どもの頃、毎週土曜の夜欠かさず見ていたTBS系のアニメ「まんが日本昔ばなし」が、今水曜の夜に再放送されている。主題歌なども当時のままで、懐かしさのあまり時たま何気なく見てみたりするが、半年くらい前に「さだ六とシロ」(アマゾン該当ページ )という話をやっていた。この話、秋田の北部、鹿角での話だとのことで興味深く見た。

 話のあらすじはこうである。鹿角の山奥に、さだ六という鉄砲打ちの名手がいた。さだ六は他国の領地でも自由に猟をすることを許された将軍さまの証文を持っている。冬のある日、愛犬のシロと一緒に猟に出かけたさだ六は、他国の領地で珍しい青猪を仕留めた。ところが、関所の役人に将軍さまの証文を見せようとして、さだ六はそれを家に忘れてきたことに気づく。証文がなければ、明日、処刑される。主人の危機を察したシロは、証文を取りに家に駆け戻るが、シロが戻ってみると既にさだ六は処刑された後だった。シロは亡き主人の遺体を口にくわえて幾日も運び、山の中に埋めた。そうして毎晩毎晩山中で空に向かって悲しげに吠えていたが、やがてシロはその姿のまま岩になってしまった、という。

 太宰治の「走れメロス」の「間に合わなかったバージョン」とでも言うような、悲しい話である。なんとなく印象に残った話だったので調べてみたところ、鹿角の隣の大館の葛原という集落の山中に、この忠犬シロを祀った老犬神社という神社があることが分かった(写真参照)。人ではなく、動物が神社に祭神として祀られるのはとても珍しい例である。いかにも忠犬ハチ公を輩出した秋田らしいと言えばそうであるが。現実に神社として祀られているくらいであるから、このさだ六とシロの話は単なるつくり話ではなく、それに類するような出来事がかつて実際にあったのかもしれない。

 そこで、実際に老犬神社に行ってみた。神社の入り口にある案内板によれば、この話は江戸時代の中ごろの話で、南部領の草木というところにさだ六(「定六」と記されていた)という又鬼(マタギ=猟師)がいた。定六の先祖は、源頼朝が富士で巻狩を行った際、目覚しい働きをしたということで全国通用の「子孫永久又鬼免状」を頼朝より拝領し、それを代々相伝している家柄であったという。

 定六を襲った悲劇については、概ね「まんが日本昔ばなし」で紹介された通りのことが書かれていたが、案内板では、定六が追いかけた獲物がカモシカであったこと、シロ(案内板には犬の名は記されていない)は定六の妻と一緒に葛原に移り住んだ後、食を一切取らずに定六の後を追って死んだことなどが紹介されており、これらの部分が異なっていた。また、定六が入り込んだのが三戸領内(現在の青森県三戸町周辺)だったことも記されていた。そして、村人はシロの忠義の心に感じて現在の地にシロの遺骸を葬って祀ったとあった。

 この話は他にも、大館にある社団法人秋田犬保存会のサイト内(該当ページ)や大館市のサイト内(該当ページ)、鹿角市のサイト内(該当ページ)でも確認することができ、地元では有名な話であるようである。

 秋田犬保存会のサイトでは、さだ六は「佐多六」と記され、シロは「白」と記されている。そして、佐多六を埋めて毎晩白が山中で咆哮を続けた後間もなく、この地に地震が起こり、佐多六を殺した人々は何れも死んだと書かれている。

 また、大館市のサイトでは、さだ六は「貞六」と記され、定六の妻とシロが葛原に移った後、シロの姿が見えなくなり、ある日白骨化した死骸が近くの丘で発見されたとされている。それから後、武士が馬でこの丘を通りかかると突然馬が暴れだし、落馬して大けがをする、ということが幾度となく繰返されたため、村人は主を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れ、供養しようと山腹に神社を建ててシロを祀ったと書かれており、神社にあった案内板とはシロを祀った動機が異なって紹介されている。

 一方、鹿角市のサイトでは、さだ六は「左多六」と記され、シロが三戸城に向かって恨みの遠吠えを幾夜も続けた森が今でも「犬吠森」と言われていることや、左多六の死後、三戸には地震や火事など良くないことばかり続き、町の人が左多六の崇りだと噂したということ、左多六の罪のために左多六の妻とシロは所払いとなって南部領の草木から秋田領の葛原に移ったこと、災難にあった葛原の村の人を何度も助けたシロがいつからか「老犬さま、老犬さま」と呼ばれるようになったこと、あるとき村人の乗った馬が村外れでまったく歩けなくなり、不思議に思ってその辺りを探してみたらシロが死んでいたこと、村人はシロを哀れに思って南部領の見える丘にシロを埋めたこと、などが紹介されている。

 それぞれのサイトで語られている内容は少しずつ異なっているが、いずれもさだ六とシロにまつわる悲劇をそれぞれの語り口で伝えている。私にとってもう一つ印象的だったのは、さだ六が持っていた「他国の領地でも自由に猟をすることを許された将軍さまの証文」の将軍さまというのが、このブログで何度も登場している、かの源頼朝だったということである。とすると、さだ六の祖先がこの証文をもらったのは1200年頃、そこから江戸時代の中ごろというのだから1700年代とすると、さだ六の代まで延々500年くらいにわたってさだ六の家は猟師を続け、その間この頼朝の証文を後生大事に持っていたということになる。ちなみに、秋田犬保存会のサイトによると、この「又鬼猟師免状証文」は、宝物として今も老犬神社に残っているという。

 この老犬神社、毎年4月17日に祭典が行われるということだが、その日は地元はもとより遠方からも愛犬家がたくさん訪れるとのことである。また、社殿には全国から奉納された「犬の絵馬」が所狭しと飾ってある。昔も今も変わらない人間と犬との関わりを、この老犬神社は物語っているようである。

 この老犬神社のある場所は非常に説明しにくいが、老犬神社からそう遠くないところにある松下酒店のサイトの中にある案内が分かりやすい(該当ページ)。

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この記事へのコメント

1. Posted by ハウンド   2010年11月25日 15:47
5 うちの子どもとyoutubeで「さだ六とシロ」を見て、気になったので検索したところ、このページにたどり着きました。詳細な情報をありがとうございました。お名前が「おおともこうへい」。「ドッグ」つながりですね。重ねてお礼もうしあげます。
2. Posted by 大友浩平   2010年11月26日 11:04
ハウンドさん、コメントありがとうございました。
って、お名前がやっぱり犬つながりですね(笑)。
お役に立てて何よりでした。

「さだ六とシロ」の話、印象的でしたよね。
「まんが日本昔ばなし」、残念ながら終わってしまいましたが、なるほどYouTubeで見られるのですね。
今度見てみたいと思います。

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