2006年10月17日 

東北の歴史のミステリーその12〜平泉の人も知らなかった秀衡寄進の仏像

fcc5722d.jpg  岐阜県に郡上郡の7町村が合併してできた郡上市がある。その中の旧白鳥町内の石徹白(いとしろ)地区は、白山の麓にある山奥の集落であるが、ここに白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)という、西暦83年、景行天皇の頃に開かれたという古い神社がある。

 私がこの神社に興味を持ったのは、この神社に奥州藤原氏の三代秀衡が銅造虚空蔵菩薩坐像を奉納し、それが今も残っていると聞いたからである。秀衡は白山を深く信仰していたらしく、それでこの虚空蔵菩薩坐像を1185年に奉納したそうであるが、奉納するに当たり「上村十二人衆」と称する選りすぐりの家来をこの地に派遣し、この大事な虚空蔵菩薩坐像を守らせたのだという。

 奥州藤原氏はそれから4年後に源頼朝に攻め滅ぼされてしまうが、この地に住み着いた上村十二人衆の子孫の方々は、その後もこの仏像を争乱、一揆、打ち壊し、火災、盗難などから大切に守り続けてきた。

 この仏像にとって最大の危機は、明治維新の際に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐だった。他の多くの仏像と同じく、この仏像も危うく焼かれるところだったが、上村十二人衆の子孫の方々が当局に何度も掛け合い、やっとのことで廃仏を免れた。実際、白山中居神社にあった他の仏像のほとんどは廃仏毀釈の憂き目に遭ってしまい、今は残っていない。

 とは言え、神社には置いておけなくなったため、子孫の方々は、神社から2kmほど離れた場所に大師堂というお堂を作り、そこに虚空蔵菩薩を安置させ、大師講という講を作り、以来、今も引き続きこの仏像を大切に守っている。820年もの間、先祖代々この仏像を守り続けてきた方々の姿に心底頭の下がる思いである。その方々のお蔭で、この貴重な仏像をこの目で拝見することができた。現在の講元である上村修一さんにご案内いただいたが、虚空蔵菩薩坐像は今もその荘厳なお姿のまま鎮座しておられた(写真参照)。上村さんのご好意でこのように写真も撮らせていただくこともできた。

 私は以前平泉の中尊寺の住職の方の講演を聞いて、この仏像の存在を知ったのだが、その時驚いたのは、中尊寺も含め平泉側の人々がこの仏像の存在を知ったのは、なんと昭和55年になってからのことだったということである。

 その辺りの経緯を上村さんにお聞きしたところ、文化庁の調査で全国の文化財調査が行われた際、この虚空蔵菩薩坐像は即座に国の重要文化財となることが決まったのだそうであるが、そうすると火災や盗難から守るために鉄筋コンクリートの保管庫に収めなくてはならなくなり、今までの大師堂に置いておけなくなったのだという。その代わりに今までのお堂には、虚空蔵菩薩のお姿を写した掛け軸を飾ろうということになって、その掛け軸の虚空蔵菩薩の開眼供養をお願いするために上村さんが中尊寺に連絡を取ったことが、この仏像の存在が平泉側に知られることになったきっかけだったのだそうである。

 およそ800年の時を超えて、再びこの仏像の存在が「故郷」に知られることになったわけで、今のこの情報通信機器が発達した時代には信じられないような話であるが、だからこそ逆に、それまで誰に誇ることもなく、ただ地道に、しかし確実に、大切な仏像を守り続けてきた方々の凄さが、ひしひしと伝わってくる気がするのである。

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この記事へのコメント

1. Posted by shizuko komata   2012年08月10日 11:48
谷村氏の白鳥伝説で読みました
2. Posted by 大友浩平   2012年09月07日 15:11
shizuko komataさん、コメントありがとうございます。
おっしゃっている本は↓これでしょうか。

谷川健一「白鳥伝説」
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4087725480

まだ読んだことはないですが、なかなか面白そうな内容ですね。
早速入手してみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

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