2011年04月05日 

私的東北論その17〜「千年に一度の大地震」とどう向き合うか

110318-174712 今回のこの東北地方太平洋沖地震が、起こることが確実視されていた宮城県沖地震とはまったく規模の異なる地震であることは前回触れたが、どうやら今回の地震は「千年に一度の大地震」だったようである。

 最近、貞観(じょうがん)地震という言葉をよく耳にするようになった。仙台平野はこれまで、リアス式海岸が連なる三陸沿岸とは違って、津波による被害が少ないと考えられてきた。宮城県沖地震発生時に仙台平野に押し寄せる津波の高さも、最大で2〜3mと想定されていたことも前回触れた。その高さであれば、仮に浸水したとしても、その範囲は限られる。

 ところが、それよりもはるかに内陸まで津波が押し寄せた地震が歴史上確認されている。それが貞観地震である。その名の通り、貞観年間の西暦869年に起こったこの地震では、建物の倒壊や地割れによって多くの被害が出たこと、大津波が発生して城下(今回も深刻な被害を受けた多賀城と思われるが別の見解もあるようである)まで押し寄せ千人が溺死したこと、原野も道路も全て海のようになってしまったことが、「日本三代実録」という書物に記されているそうである。

 この記述が現実のものであったことは、仙台平野や石巻平野の地層における津波堆積物の調査で裏付けられている。それによると、貞観地震による津波では、仙台平野で海岸線から1〜3km、石巻平野で3km以上もの範囲にわたって浸水したことが明らかになっている(佐竹・行谷・山木、2008)。実際にはそれよりもさらに奥まで浸水した可能性もある。

 事実、別の調査では、現在の海岸線より4km内陸まで津波堆積物を追うことができ、仙台市における調査では仙台東部道路の仙台東IC付近にまで貞観地震の津波の痕跡が確認されたという(澤井・岡村・宍倉・松浦・Than・小松原・藤井、2006)。私も弟を探しに何度も現地に足を運んだ際にその付近を通ったが、まさにこれは今回の地震における津波の浸水範囲とほぼ一致している。

 さらに驚くべきことに、調査では貞観地震の津波堆積物の下にも数カ所、津波堆積物が発見されたという。その間隔は、600〜1300年だったそうである。つまり、これまであまり知られてこなかったが、仙台平野は過去数千年の間に、実に千年前後もの長い周期で繰り返し大津波の被害を受けていたわけである。

 仙台平野が最後に受けた大津波の被害がこの869年の貞観地震によるものだったとすれば、今回の地震との間隔は1142年。確かに、地層の調査から明らかになった大津波の周期に合致する。私たちは、30〜40年に一度の地震ではなく、およそ千年に一度の地震に遭遇してしまったわけである。

 この地震がまったくの想定外だったことは、国の地震調査委員会の阿部委員長も認めている。今回の地震は、宮城県から茨城県沖で予想されていた4つの大地震の想定震源域が連動して動いて巨大地震につながった。阿部委員長は記者会見で、「4つの想定域が連動するとは想定できなかった。地震研究の限界だ」と述べたという。地震の規模も想定外、その後押し寄せた大津波も想定外、そしてもちろん、その後起きた福島第一原子力発電所のトラブルも想定外のことだったのだろう。

 地形上、平野部よりも津波が増幅される三陸沿岸地域では、仙台で観測された10mよりもはるかに高い津波が押し寄せた。宮古市ではなんと、最大でおよそ38mもの高さまで大津波が押し寄せたという。まったく想像のつかない高さの途轍もない水の壁がすべてを押し流したのである。同市の田老地区には、地元の人が「万里の長城」とも呼んでいた、高さ10mの防潮堤が長さおよそ2.5kmにもわたって、しかも二重に張り巡らされていた。今回の大津波は、この地域の人達の想定を超え、安心の拠り所だったその防潮堤をやすやすと乗り越え、あまつさえ一部では倒壊すらさせて多くの被害をもたらしたそうである。

 もちろん、貞観地震について調査研究を行った研究者たちは、その再来について警鐘を鳴らしていた。貞観地震も今回「想定外」とされた東北沿岸の複数の震源域が連動して起こった巨大地震であったとされる。そのことを踏まえて、今回深刻なトラブルに見舞われている福島第一原子力発電所を抱える東電に対しても、貞観地震について研究を進めた一人である産業技術総合研究所活断層研究センター長の岡村行信氏がその再来について再三指摘していた。

 岡村氏は、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所の敷地付近も含め、福島県の浜通りの内陸部でも貞観地震の津波堆積物が確認されたことから、09年6月に開かれた経産省の審議会で、「津波に関しては比べものにならない非常にでかいものがくる」と指摘して、対策の再検討を求めたのに対して、東電側は「被害がそれほど見当たらない。歴史上の地震であり、研究では課題として捉えるべきだが、設計上考慮する地震にならない」と答えたにとどめたとのことである。「歴史上の地震」は「考慮する地震」ではない、すなわち今起きたことではないからと検討の対象から除外したわけだが、起きてしまってからでは取り返しがつかないのは、今の状況が何よりも雄弁に物語っている。

 平均寿命が世界一長いと言っても、私たちの命は百年にも届かない。そのような私たちが、自分自身が生きている時間の10倍もの千年の単位で物事を考えるのは、確かにとても難しいことである。しかし、「歴史は繰り返す」、「備えあれば憂いなし」、「古きを温めて新しきを知る」と言われてきた。先人たちはそれでもそうしなければいけない必要性を知っていた。「日本三代実録」の筆者は、貞観地震の教訓が今に生きなかったことをとても残念に思っているかもしれない。

 「想定外」だらけの今回の地震だったが、一度遭遇してしまえばそれは次には「想定内」の出来事となる。私たちはもう一度、千年後この地に生きる人のためにも、今回のこの地震のことを余す所なく伝え継いでいかなければならないし、一方で、この地に豊かな恵みをもたらし、時にものすごい災厄をももたらす自然とどう対峙するかについて、ゼロから考えなおさなければいけない。


 写真は大津波の爪跡が今も生々しく残る、仙台市若林区荒浜地区で見た夕暮れ時の空である。なぜ夕焼けの空は、このような時にも美しいのだろうか。



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