2011年04月21日 

私的東北論その20〜被災地から「復興の狼煙」を上げよう

20110412-0412201055 2004年12月に起きたスマトラ島沖大地震とそれに伴うインド洋大津波は、死者・行方不明者合わせて22万人以上という甚大な被害をもたらした。スマトラ島沖大地震は、今回の東北地方太平洋沖地震をも上回るM9.1という巨大地震であった。その中でもインドネシアのアチェ州は、17万人以上の死者・行方不明者を出すという最大の被害を受けたが、現在では見事に復興している。このアチェ州の復興は、概ね「成功した」と評価されているそうだが、その成功の原動力は「アチェ・ニアス復興再建庁」という政府機関だったそうである。

 地震発生後にインドネシアのユドヨノ大統領の直命で発足した復興再建庁は、アチェ州の州都であるバンダアチェに本拠を置き、中央政府を通さずに被災地で直接復興の陣頭指揮を執ったそうである。総額72億ドルをつぎ込み、恒久住宅14万戸、道路3,600km、空港・滑走路12、港湾20、学校1,500、病院・医療施設1,100、政府施設987などを建設して同州を復興させ、発足から4年後の09年4月に解散した。

 復興再建庁の長官を務めたクントロ・マンクスブロト氏(現・開発制御監視・大統領執務室室長)は、地震前にはエネルギー相だったが、長官就任後、直ちに家族と共にアチェに移住し、800以上の国際援助組織などと被災者との間の調整役となるなど、ありとあらゆる復興活動に奔走したそうである。朝日新聞(4月4日付)と毎日新聞(4月15日付)に相次いでそのクントロ氏のインタビュー記事が載った。また、私は見ないでしまったが、4月16日放送のNHK「海外ネットワーク」でも、クントロ氏へのインタビューが放映されたそうである。

 朝日新聞の記事でクントロ氏は、「復興担当機関で大切なのは政府、地方自治体、国軍、国際組織のすべてから信頼されることだ」として、そのために,箸砲くやる∩覗瓩ぢ弍4岼磴┐燭蘢召舛暴だ、をモットーにしたと語っている。そして、その一例として「ワン・ストップ・ショップ・ユニット」を地元に開設したことを挙げている。これは、中央政府を通さずに外国人支援者に迅速にビザや労働許可証、通関証明書などを発行する機関だそうである。

 クントロ氏が長官として政府に求めたことは、人選と予算などの権限だった。「中央のお役所仕事に任せたら、何年たっても復興できない」からだそうである。それで、ビザ発行は外務省から、治安は国軍からと出向者を集めたという。

 こうした復興機関の必要性については、「複数で担当すると、必ず政治的になって進まなくなる。1機関に任せるのが良いと思う」と答えている。その責任者に求められるものとしては「突破力と慣習にとらわれない知恵」を挙げ、その上で「あとは助けたいという意思と犠牲精神、ガッツがあれば何とかなる」と強調しておられた。

 一方の毎日新聞のインタビューでは、復興再建庁の必要性について「被災地は複数の行政区域にまたがっていた。現地で状況を管理する機関が求められていた」と振り返っている。人選については、「熱意と専門能力を基準に省庁や民間から」選抜して、その人達と被災地を回ったとのことである。アチェ州は、独立を求める武装勢力との紛争が長らく続いたこともあって、住民の政府への信頼が他地域より薄かったそうで、そのためクントロ氏は「再建の意思決定を住民に委ね、関係を築いていった」そうである。

 この話は、同じ紙面に掲載されていた地元公務員のザインノーデム氏の話からも裏付けられる(参照サイト)。それによると、現地では集落ごとに住民の中から「調整役」を選び、住民同士の主張が対立すれば調整役を中心に住民自身で協議を重ねたそうである。ザインノーデム氏は、「政府など外部の人間に任せると、かえって住民間の不信が高まることに気づいた。誰もが信頼できる地域リーダーの存在と、住民間の決定を受け入れる政府の柔軟性が求められた」と振り返っている。

 クントロ氏は当初、海岸線から一定地域を居住禁止にしようと考えたそうだが、多くの被災者が元の場所に戻ることを望んだため、それを尊重して「津波のエネルギーを逃がす特殊構造の4階建て避難所を設置した上で、住宅建築を認めた」そうである。そして、「権利関係が複雑に絡む復興事業に必要なのは、強い指導力と柔軟性、そして現場に政治的対立を持ち込まないことだ」と総括していた。

 クントロ氏の話は、すべてご自身が体験してこられたことであるだけに、非常に説得力があると思う。そして、同様に大きな被害からの復興を目指すこの東北の地においても、大いに参考にすべきところがあるのではないかと思う。

 ところが、翻って我が国における対応を見ると、このようなアチェ州復興の道筋とは程遠い現実があるように思える。そもそも、インドネシアにおいて復興の強力なエンジンとなった復興再建庁に当たるような組織が見当たらない。自民党の佐藤正久氏がまとめた図表が分かりやすいので引用させていただくが、東日本大震災に対応するための組織の数が、何だかものすごいことになっている。これらの各組織がどのように役割分担をしてそれぞれどのような権限を持っているのか、この組織図を見ただけではさっぱり分からない。

 クントロ氏が「複数で担当すると、必ず政治的になって進まなくなる。1機関に任せるのが良いと思う」と指摘している通りの現実が今、ここで起こっているように見える。18日衆議院予算委員会では案の定、公明党の加藤修一氏から「20近くの会議があるが、閣僚や総理大臣はその会議の名前を今言えるのか?」と突っ込まれていた。我らが首相はその質問に正面から答えなかったが、それは多分、本当に全部の名前を答えられなかったからなのだろう。

 この図で「今後設置を予定している」となっている「復興構想会議」はその後正式に発足したが、原発問題を議題に含める含めないで初回の会合からもめたようであるし、そこですったもんだ議論しても提言が出てくるのはなんと6月のことだという。ならば、6月までは復興に向けた取り組みが一切行われないということなのだろうか。それとも、復興構想会議のアイディアを待たずして復興は進めていこうというのだろうか。

 そもそも被災した岩手・宮城・福島の3県の知事も加わっているとは言え、東京のど真ん中で話し合いをして、被災者のニーズに合致し、かつ実効性のある内容の提言が出来上がってくるものなのだろうか。防災担当相である松本龍氏が記者会見で、復興構想会議について「これから東北でやるというぐらいの気持ちがなきゃダメ。東北でやるべきだ」と発言したのはまことに首肯できる話である。

 とにもかくにもここで、クントロ氏の掲げた3つのモットーを、東京にいる偉い人たちには思い出していただきたい。,箸砲くやる∩覗瓩ぢ弍4岼磴┐燭蘢召舛暴だ、である。その意味では、まず復興が必要なのは、被災地ではなく実は政治なのではないかとさえ思えてくる。

 被災地にいる我々も、このような中央のドタバタに一喜一憂しているべきではない。クントロ氏の言う通りかもしれない。「中央のお役所仕事に任せたら、何年たっても復興できない」。まだまだ大変なことは山ほどあるが、復興はやはり自らの手でという気概を一人ひとりが持つことがまず必要なのだろう。

 その復興の端緒となるような素晴らしい取り組みが一つ、始まっているのを見つけた。「復興の狼煙」ポスタープロジェクトである。盛岡に住むフリーランスカメラマンの馬場龍一郎氏が仲間と一緒に始めたプロジェクトとのことである。釜石で馬場氏が撮った人々の写真一枚一枚に、まさに「復興の狼煙」となるような言葉が添えられている。

 「前よりいい町にしてやる。」
 「大笑いできるその日まで。」
 「続く未来に胸張れるよう。」
 「心まで壊されてたまるか。」
 「夢は勝つ。必ず勝つ。」
 「埃も泥も、思い出にする。」


 復興はこうして一人ひとりがあちこちで狼煙を上げていくことから始まるのだろう。ここにあるポスターに記された言葉は、本当に胸に迫ってくる。どこぞの首相の放つ言葉とは雲泥の差である。

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