2011年05月06日 

私的東北論その21〜帰ってきてくれた弟へ

110429-152957 東北地方太平洋沖地震以来、行方不明になっていた弟が見つかった。4月28日のことだった。

 弟が行方不明になった荒浜地区では、その後も自衛隊、消防、警察による捜索活動が連日行われていた。その尽力のお陰で、あのおびただしい瓦礫がいまだ山積してままの荒浜地区ではあるが、その捜索はほぼ終了していた。残る行方不明者のうちの幾人かは、地区内にある南長沼という沼の中にいるのではないかということになり、その南長沼を集中的に捜索することになった。私が何回か足を運んでいた時は辺り一面浸水していたので、沼があることすら分からなかったが、沼とは言っても、縦300m、横100mくらいあるけっこうな大きさの沼のようで、その沼の水を抜きながら捜索するとのことだった。

 もし津波が引いた時に一緒に海まで流されていたとすると、恐らく見つかるのは相当難しいと思っていたので、何とかその南長沼で見つかればと願っていたが、果たしてその沼に沈んでいた瓦礫の下から弟は見つかった。知らせを受けてすぐ遺体安置所に駆けつけ、両親と落ち合い、検死が終わるのを待ってやっとのことで会いたかった弟と対面した。警察の方からは、日数が経って遺体はかなり損傷していると聞いていたので、どんなに変わり果てた姿になったのかと思っていたが、実際に見てみると、ずっと水の中にいたせいか、思っていたような損傷もなく、見ればすぐ弟だと分かる姿形だった。

 地震発生から四十九日に当たる、GWの前日に出てくるというのも、いかにも弟らしいと思った。四十九日を過ぎても出てこないとなれば、両親の悲しみはいかばかりかと考えたのかもしれない。GW前日なら兄の私も仕事を休まなくても済むと考えたのかもしれない。そう思わせられるようなタイミングだった。弟が入職して最初にお世話になった先輩は、弟が「『自分は後で構わないからまず亡くなった市民の方々を先に探してあげてください』と言っていたように思えてならない」、そう言ってくださった。

 私が以前このブログで弟について書いたものを読んでくださった弟の友人からは、「本当にあのブログに書かれているとおりで、どうやって相手を喜ばそうか、喜んだらそれが自分の喜びにもなるからいっそう励んで他人を喜ばす、そんな方でしたね」と言っていただいた。先の先輩からも、ご自分が趣味でやっているオーケストラのコンサートの時に、必ず弟は大きな花束を持って駆けつけていたと聞いた。仕事の都合で足を運べない時には、自宅に花を届けに行っていたそうである。告別式の折にも「純平さんには本当にいろいろと助けていただいて」と言って泣いてくださった職場の方も数多くおられた。

 私にとって嬉しかったのは、弟の優しさがそのように、両親や私といった身内にのみ向けられたものではなく、弟が関わった相手すべてに向けられていたということである。自慢じゃないが、私などとても同じようなマネはできそうにない。改めて、我が弟ながら、本当にいい奴だったんだなあとしみじみ思う。だからきっとあの日、弟は荒浜地区に出掛けていったんだろうなと思う。

 仕事の話などはお互いにあまりしないでしまったが、ブログを読んでメールをくださった方々から仕事のことも聞くことができた。泉岳少年自然の家に勤務していた時には、泉ヶ岳に生えたり住んだりしているすべての種類が揃っているんじゃないかと思うような膨大な種類の植物・動物・昆虫などの写真を撮り、その一つひとつに丁寧な解説文をつけていた。それは今も泉岳少年自然の家のサイト内で見ることができる。仙台市内の小学校では5年生になるとたいていそこで泊まりがけの野外活動を行うが、恐らくそこを訪れる子供たちの学習の助けになればと考えてコツコツとつくっていたのだろう。仙台市博物館に勤務していた時には、地震が発生すると自動ドアを自動的に全開放にするシステムを導入したそうである。細かいところによく気のつく弟らしい話である。「仙台市にとっても本当に大きな損失でした」と言って泣いてくださった弟のかつての上司の方もいた。故人を偲ぶ言葉とは言え、そこまで言ってもらえるのは、弟が本当に職場で真摯な姿勢で仕事をしていたということなのだろうなと思う。自慢じゃないが、もし私が死んでも、私の職場の上司からはお世辞であっても決してそのようなセリフは聞かれないだろう(笑)。

 無言の帰宅ではあったが、住み慣れた家に連れて帰ることができたし、火葬もして、通夜も葬儀・告別式も行うことができた。だからと言って寂しさがなくなるわけではないが、とりあえず一区切りはついたと感じられた。と同時に、いまだ行方の分からない方々が一万人以上いる現実の重さに思いは至る。その一万人以上の行方を探し、あるいは帰りを待つ、一万人以上のその数倍もいるであろう方々の心中やいかばかりであろうか、と。遺体が見つかって葬儀まで行って一区切りついた、と私が感じたということは、まだ遺体が見つかっていない方の家族・親戚・友人・知人の方々の中には、いまだご自分の気持ちに整理や区切りをつけられないままの方も数多くおられるに違いない。自衛隊、消防、警察の方々も、一人でも多くの遺体を肉親の元へ返そうと、それだけを思って捜索活動を続けておられると聞く。どうか一人でも多くの遺体が、待つ人の元へ早く帰れるよう、今はそれだけを強く願いたい。


 写真は、弟が見つかった南長沼である。今も捜索活動が続いている。荒浜地区での行方不明者は、弟が見つかってあと54名となったそうである。一人でも多くの方がここで早く、見つかってくれればと思う。


追記(2011.5.31):弟がかつて勤務していた仙台市博物館では、6月7日(火)から8月下旬まで1階エントランスホールで「震災復興パネル展」を開催する(入場無料)。

 展示内容は/椋劵僖優襦仙台平野の歴史地震と津波」、⊆命織僖優襦仙台市博物館の四季」、メモリー・オブ・ザ・ワールド推薦記念パネル「支倉常長と国宝〜慶長遣欧使節関係資料」の3つだが、このうちの写真パネル「仙台市博物館の四季」で展示される博物館周辺の四季折々の写真40点は、弟が撮影したものである。市民の方々への癒しと、弟への追悼の意味を込めて企画してくれたものだそうで、大変ありがたいことである。

 弟は、博物館に勤務していた折、周辺の四季折々の景色を自分のカメラに収めていたばかりではなく、それを写真アルバム「博物館の風景」としてまとめ、博物館に寄贈していたそうである。同じ写真は、来館者用の情報提供システムのパソコンのスクリーンセーバー画像としても使用されているそうである。展示される写真はこうした写真の中から選ばれたもので、写真に付けられるキャプションもアルバムに弟が記載した文章がそのまま使われるそうである。




純平へ
両親を始め、本当にたくさんの人がお前の早過ぎる死を悼んでいっぱい泣いてくれた。
お前は本当に、周りのすべての人に対して、その時に自分ができる目いっぱいのことをいつもやってきたんだな。
オレの弟とは思えないくらい、えらいヤツだったな。
そのことにお前が死んでから気づくとは、オレはお前の何を見てたんだろうな。
ゴメンな。
でも、この上オレまで泣くとお前は心配するだろうから、オレは泣かない、笑って送ると決めた。
お前はいなくなってしまったけど、お前と一緒にいた時間は、忘れっぽいオレにもかけがえのない貴重な思い出として、心の中にいつもある。
だから今、オレは笑って、お前にこう言いたい。

「38年間、オレの弟でいてくれて、本当にありがとう」

またきっと会おうな。

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 佐久間   2011年05月06日 16:53
5 弟さんが還られて何よりです。四十九日に戻らせるなんて、本当に家族想いな方だったんですね。残念ながら面識の機会はありませんでしたが、御冥福を祈らせて下さい。
2. Posted by 高橋   2011年05月07日 19:37
メールを頂きまして有り難うございました。

震災四日後に携帯がつながるようになり
純平に大丈夫か?とメールをしたのですが
その後、返信はありませんでした。
まさかこんなことになるとは…。
今もどこか信じられない気持ちです。
参列させていただいた友人たちも
彼の訃報には大変驚いておりました。

葬儀後、国分町のそば屋で友人たちと
純平の生前の思い出を語り合い
偶然、安否不明者で名前を見つけたのも
きっと彼が俺たちに教えてくれたんだろうと
話しておりました。

勇気ある行動に友人一同誇りに思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
3. Posted by 秋田市より   2011年05月08日 17:16
弟さん 自宅に戻ってこられたのですね。
お葬式や四十九日といった儀式があって、
家族は気持を整理していくように思います。
けれど向き合うには相当の時間がかかるはずです。
どうか無理をなさらずに、お疲れでしょうから
大友さんご自身のお身体も大事にしてください。
弟さんのご冥福をお祈りします。

4. Posted by 中山 つくばから   2011年05月09日 12:12
ご冥福をお祈り申し上げます。でも会えてよかったですね。ブログ読んで言葉につまりました。残った私達が精一杯やることが努めですよね。また一緒にがんばりましょう。
5. Posted by 大友浩平   2011年05月11日 18:01
佐久間さん

コメントありがとうございました。
本当に家族思いの優しい弟でした。
兄の私に爪の垢でも煎じて飲ませてほしかったです(笑)。
また秋田戸隠でお会いしたいですね。
6. Posted by 大友浩平   2011年05月11日 18:13
高橋さん

弟の葬儀では弔辞までお願いさせていただいて大変お世話になりました。
きっと皆さんで集まった国分町のそば屋さんには、弟も一緒にいたのではないかと思います。
あのような性格であるがゆえに命を落としてしまった面もあると思いますが、そのような心優しい人間が確かにいたのだということを忘れないでいていただけたら、兄の私としてはこの上なく嬉しく思います。
7. Posted by 大友浩平   2011年05月11日 18:20
秋田市よりさん

お気遣い、ありがとうございます。
そうですね、丈夫で元気なの(だけ)が取り柄だと思っていますが、確かに知らず知らずに疲れが蓄積していることもあると思いますので、ムリせずに少しずつ前に進んでいければと思います。
8. Posted by 大友浩平   2011年05月11日 18:22
中山さん

いつもお世話になっています。
コメントありがとうございました。
そうですね、残った私たちで復興を成し遂げることが亡くなった人へのせめてもの手向けだと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔