2011年05月27日 

私的東北論その22〜仙台を「防災先進都市」に

無題 弟が見つかって、実に地震から50日ぶりの帰宅を果たした翌日の5月2日、仙台市長の奥山恵美子氏が、弟が両親と住んでいた自宅に弔問に来てくださった。

 市長は「慈しみ育てられた息子さんがこのようなことになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」と涙ながらに謝罪してくれた。そして、「今更このようなことを申し上げても繰り言になってしまいますが」と前置きしてから、「職務に当たって十分な安全性の確認をもっとできなかったのか、職員の命を預かる責任者として自分自身に何度も問いかけています」ともおっしゃってくれた。事前にいろいろな職員に弟のことを聞いてくれていたのであろう。弟がこれまでに勤務したそれぞれの職場での弟の働き振りなどについても両親に話してくれた。今回の反省を踏まえて防災マニュアルについても見直す考えであることも伝えてくれた。

 そのように市長と両親が交わす会話を聞きながら私はふと、市長に面と向かってものを言える機会など今後もそうはないだろうなと思った。ならば、言っておくべきことは弟のためにもぜひとも言っておかなければと考えた。

 そこで私は市長に言った。

「市長、ぜひ『防災先進都市』をつくりましょう。想定を超えるような災害が来ても、市民も職員も命を落とさずに済む、世界に誇れるような街をつくっていきましょう」

と。

「市長のお話を伺っていると、今回の地震の対応に当たっての課題や問題は既に把握していただいていることが分かります。その対策はぜひ早急に進めていただきたいと思います。一方で、前回の宮城県沖地震以来の地道な取り組みの積み重ねが功を奏して、想定を超えるような今回の地震でも、建物の倒壊で亡くなった方はほとんどいませんでした。そうした建物の耐震性は今後もさらに高めつつ、あとは弟やたくさんの市民の命を奪い去ったあの津波さえ何とかできれば、仙台は世界に冠たる『防災先進都市』になれると思います。『さすがは仙台、あのどん底から這い上がってこのような街へと復興を遂げるとは』と言ってもらえるような、そんな街に仙台をしましょう」

そう申し上げた。市長はうなずきながら黙って聞いてくれた。

 5月4日に行われた葬儀・告別式では、稲葉信義副市長が出席して、奥山市長の弔辞を代読してくれた。その中に、以下のような一節があった。

「二度とこのような悲劇を繰り返さないように防災マニュアルの見直し等を行ってまいります。そして今後は仙台の復興に向けて全身全霊を賭して取り組み、どんな地震や津波がきてもあなたがその身を挺して守ろうとした、仙台市民の皆様が安心して暮らしていける防災都市を目指し、街づくりを進めていくことをここにお誓い申し上げます」

 これは、奥山市長からの回答だと、私は思った。そのような街が本当に実現できるように、弟の代わりに見守りたいと思う。と同時に、私も自分のできることからやっていこうと思う。


 写真は、弟が好きだった泉ヶ岳である。弟本人が撮影したものである。

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