2012年01月17日 

私的東北論その32〜笑顔で、たくさん「いいね!」が言い合える年に

image 2011年は東日本大震災、それに新潟・福島豪雨や台風12号・15号による被害など、自然災害に見舞われた年だった。東日本大震災からの復興については、いまだ道半ばどころか、緒についてすらいない地域もまだまだ多い。新しい年にはなったが、だからと言って状況が一夜で劇的に改善するわけではない。私の住んでいる仙台はほぼ旧に復したが、ひとたび沿岸に足を運ぶと、まだ何も解決していない現状がそこにはある。福島第一原発の問題も依然そのままである。避難した先で不自由な暮らしを強いられている人、職がなくなって仕事を探している人、一日一日を必死の思いで過ごしている人は数多くいる。

  だからこそ、あえて言いたい。今年は笑顔で過ごそう、と。笑っている場合ではない、笑う気など起きない、その気持ちは分かる。まさに、そのような人にこそ本当に笑いが必要なのである。

 アルフォンス・デーケン氏という、長らく上智大学で教鞭を取った哲学者がいる。氏は「死生学」が専門で、日本において「死の準備教育(Death Education)」の必要性を説き、それを実践してきた。私は以前、氏を取材させていただいたり、講演会を企画して講師にお招きしたりしたことがあったが、いつも実に示唆に富むお話をしていただいた。

 特に印象に残っているのは、ドイツにおける「ユーモア」の定義である。ドイツでは、「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うこと」だそうである。氏によれば、困難な状況で苦しんでいるにもかかわらず、相手に対する思いやりとして、笑顔を示す、それが「ユーモア」だということであった。

 氏は、「ジョーク」と「ユーモア」を明確に区別していた。ジョークは「頭から頭へのテクニック」、それに対してユーモアは「心から心への愛の表現」と言っていた。悩みや苦しみのまっただ中にあっても、それに流されず溺れずに相手に笑顔を向けようとするやさしさや思いやりこそが、ユーモアの原点だと強調していた。だから、ユーモアはセンスだとか生まれつきの才能だとかではなく、ましてや物事が順調に運んでいる時の心の余裕がもたらすものなどではなく、もっともつらいときにこそ発揮されなければならないものなのだ、ということだった。

 氏はかつて、こうも言っていた。「愛する相手を失うかそうでないかは運命的なものです。でも、その後どう生きるかは、自分自身が選ぶことができる。それは運命的なものじゃないのです」と。同じ生きるなら、笑顔がいっぱいの方がいいな、と私などは思う。そう言えば、デーケン氏の笑顔は、写真のように、その温かい人柄がにじみ出たような笑顔で、とても素敵だった。

 笑いたくないのに相手のために(仕方なく)笑う、というのはあまりに悲壮に過ぎると思われるかもしれない。でも、笑いは相手のためだけではない、笑うことは自分をも励まし、勇気づけ、力になると思う。「情けは人のためならず」ではないが、笑いも相手のためだけでなく自分のためにもなると思う。そう言えば、心理学の学説に、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という「ジェームス=ランゲ説」がある。学問的には賛否両論ある説だが、それを援用すれば「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」となる。自分では無理と思ってもまず笑ってみれば、自分自身の気分が上向く可能性もある。

 話は変わるが、最近Facebookを使っている。実のところ、mixiTwitterは長続きしなかったのだが、Facebookは今のところまだ続いている。何が理由だろうかと考えてみたが、その理由の一つが「いいね!」ボタンだったのではないかと思う。

 「いいね!」ボタンというのは、友人の投稿につけられる簡単なレスポンスである。全部の投稿についてコメントを残すのは難しくても、「いいね!」ボタンを押して、「読んだ」ということ、そしてそれが「よかった」ということを伝えることはできる。それが私にとってはよかったように思う。しかもまさに私がFacebookについて「いいね!」と思うのは、「いいね!」ボタンはあるが「よくない!」といった「ダメ出し」ボタンはないことである(笑)。

 ちなみに、「いいね!」ボタンはアメリカでは「Like!」だそうである。「Like!」を日本語版で「いいね!」としたのはなかなかよいと思う。これが「好きだ!」ではちょっとおいそれと押せなかったかもしれない。英語版では「Like!」になる前は「Awesome!」だったらしいが、こちらはより「いいね!」というニュアンスが強いようなので、その趣旨が日本語版の「いいね!」に生きていると言えるのかもしれない。

 「ダメ出し」がなくて、「いいね!」だけがある、これは「ポジティブフィードバック」だけがあるということである。よくないと思ったら、Facebookではあえてそれを表立って言うのではなく、「いいね!」ボタンを押さなければそれで済むのである。この姿勢は、現実の世界でも使えるのではないだろうか。

 ニュースや新聞の報道に接すると、そこで報じられていることにはネガティブな情報がひどく多いことに気づく。しかし、世の中決して悪いことばかりがあるわけではない。それを数の上で圧倒的に上回るいいことがあるから、世の中は成り立っているのだと思う。特に、震災で大きなダメージを受けた地域で、思わず「それはいいね!」と言いたくなる取り組みはそれこそたくさんある。そうした取り組みに対しては、なるべくたくさん「いいね!」と伝えたいと思う。

 結局のところ、いいものに対して「いいね!」と言うことを続けることこそが、今一番必要なのだと思う。「いいね!」と言われることがたくさんあれば、それだけ間違いなく復興は進んでいるということである。今年は「笑顔」で「いいね!」と言うことがたくさんある年になれば、と強く思う。

 なお、日本財団図書館のサイト内に、デーケン氏の「老いと死とユーモア」と題した講演の講演録がある。

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