2012年03月14日 

私的東北論その33〜地震から1年が経って

120311-160836 地震発生から1年経った。3月11日には、弟が見つかった仙台市若林区荒浜にある南長沼に久々に足を運んで、花を供えてきた。

 南長沼には先客がいた。以前、このブログにもコメントを寄せてくれた「ブルーバードつながりの知人さんだった。「ブルーバードつながりの知人」さんは、弟とは弟の愛車だったブルーバード(ただのブルーバードではない。U12型のSSS ATTESA LIMITEDという、知る人ぞ知るマニアックなスポーツカーである)が縁で知り合ったそうである。弟がたまたま駐車場で車いじりをしていた際に声を掛けてくれてそれ以来親交が始まったとのことだった。

 聞けば「ブルーバードつながりの知人」さんは、この日だけではなく、なんと月命日である11日には毎月この南長沼を訪れて弟の冥福を祈ってくれていたらしい。両親もこの南長沼で「ブルーバードつながりの知人」さんとばったり顔を合わせたことがあったそうである。実の兄である私がこの南長沼を訪れるのなど昨年5月以来10か月ぶりだと言うのに、弟は本当にいい友達を持ったものである。もっとも、ずぼらで知られる私との比較があまり意味のあることではないのは言を俟たない(笑)。

 さて、この1年いろいろなことがあった。もちろん、これだけの大きな地震であるから、復興は途上であるが、それぞれに新たな歩みを始めている。先日ドクター・ディマティーニの講演を聴く機会があったが、氏は、起きた出来事はすべてニュートラル、どんなことにも必ずプラスとマイナスがあると話していた。その両方に目を向けることが大事で、プラスにだけ目を向けるのはファンタジー、マイナスにだけ目を向けるのは悪夢だと強調していた。震災に関するこの1年の動きにももちろん、プラスもマイナスもある。肝心なのは、ファンタジーに生きるのではなく、さりとて悪夢の中に生きるのでもない、絶えず現実を見据えて一歩ずつ進むことである。

 震災関連で最近よく耳にするのは震災瓦礫の広域処理問題である。仙台にいる私から見ると、もちろん放射線量の高い地域の瓦礫は放射性物質の拡散を防ぐ意味でも域外に持ち出すべきではないと思うが、放射線量が高くない地域のがれきで域内処理が追いつかない分についてはもう少し協力が得られてもいいのではないか、という印象を持つ。ただ、きっと受け入れる側にとっては、東北は押し並べて放射性物質に汚染されていると見えるのだろう。

 誰が作成したものなのか不明だが、それが分かるような秀逸な図がネット上にアップされていた。東電と政治家の認識はネタだろうが、東北と他地域の汚染地域についての認識の差は、確かに概ねこのようなものだろうと思う。岩手県宮古市のがれきの受け入れに福島第一原発からほぼ同じ距離にある神奈川県で反対運動が起こる、原発の放射性物質の影響がほぼないに等しい青森県の雪を使ったイベントが沖縄で中止になる、といった事態は、まさにそうした認識の差の現れであると言える。そのような中でも、東京や静岡に加えて青森、秋田、山形の同じ東北の3県が瓦礫受け入れを表明してくれているのはやはり心強く、ありがたいことである。

 しかし、だからと言って、がれきを受け入れない自治体を東北にいる我々が責めてはいけないと思う。受け入れは現在のところ、義務ではなくあくまで受け入れ側の善意・好意によるものであるからである(今後は国が法律に基づいて自治体に要請するということだそうだが)。我々としては、受け入れてくれる自治体には感謝しつつ、さりとて受け入れてくれない自治体を恨みに思わず、受け入れられない分については、自分たちで何とか処理する方法を考える機会を与えられたと考える方がよいと思う。

 実際、自治体の首長からも、がれき処理を雇用対策の事業として自前でやりたいという意見が出されていることでもあるし(岩泉町長のインタビュー陸前高田市長のインタビュー)、多くの自治体が計画している沿岸部の海岸防災林の復旧や「復興の森」構想にもがれきは使える。まさに知恵の出しどころである。

 海岸防災林について言えば、今回仙台平野の沿岸に植えられていた松は軒並み津波に倒され、それだけでなくがれきの一部となってかなり内陸の方にまで押し流された。津波そのものはもちろんだが、この倒れた松がぶつかったことによって倒壊した住宅もあったのではないだろうか。ところが、よくよく見てみると、同じ仙台平野でもほとんど根こそぎ松が倒された地域と、かなりの密度で松が残った地域がある。地形の面から言って、仙台平野に押し寄せた津波にそれほど地域差があったとは考えられないので、その違いは何なのか気になっていた。

 そうしたところ、この記事(海岸林が発揮した防災機能)を読んで謎が解けた。やはり、沿岸の松(クロマツ)が根こそぎ押し倒された場所と、倒れずに津波を受け止め、津波が住宅地に押し寄せる時間を遅らせた場所があったのだそうである。そして、そのクロマツが津波を押しとどめた時間のお蔭でその地域の住民は仙台空港に逃げ込むことができたというのである。仙台平野の防潮林は今回の大津波に全面敗北したわけではなかった。場所によってはしっかりその役割を果たしていたのである。その違いは、記事によれば盛り土をして植林したか、海岸の砂に直接植林したかだったそうである。盛り土をせずに植えられたクロマツは砂の上では十分に根を張ることができず、わずかな力で倒れてしまう。それが津波によって倒された松と、踏みとどまって住民の命を救った松との違いだったのである。

 実際に「復興の森」となるような海岸防災林をつくるとすれば、このようにいざという時に、津波を完璧に防ぐことはできなくても、その威力を弱め、近隣住民が避難できる時間をつくることができる森にしなければいけない。この記事(がれきも生かし、自然植生で「森の防波堤」を作ろう)によれば、そのためにはぜひともがれきが必要だというのである。倒壊した家屋の木材やレンガ、コンクリートといった多くのがれきをある程度の大きさに砕いて土と交ぜれば、「森の防波堤」のマウンド(土台)作りに活用できるのだそうである。そのマウンドの上に、松だけでなくその土地本来の常緑広葉樹を中心に混植していけば、15〜20年後には多層群落の「本物の森」が育つ。その根は地中深く育つのでマウンドのがれきをしっかりと固定でき、かつがれきで土中にすき間ができるため、根が呼吸できるというのである。誰も引き受けたがらないがれきだが、実は防災にとって欠かすことのできない重要なアイテムともなり得るのである。

 もう一つ復興の上で避けては通れないのは、まさにがれきの広域処理が進まない大きな要因となっている原発事故を抱えるその福島の問題である。先日、ある人からこう言われた。「宮城県として福島県に救いの手を差し伸べているのか」、と。これには虚を突かれた思いであった。同じ被災地であって、こちらは津波による甚大な被害、あちらは津波プラス原発事故による影響。しかし、福島は大変だということは重々承知しつつ、こちらも被災地であるという思いがどこかにあって、それでこちらから積極的に支援の手を差し伸べてはこなかったのではないかと気づかされた。

 福島を失っては、東北は東北でなくなる。福島を助けることが、東北全体が立ち上がるためには不可欠である。もちろん、まだまだ大変なことも多いが、その大変な中でも決して福島のことを忘れず、できることは助力を惜しまないという意識が、この先も長く続く復興のためには必要なことだと思う。

 南長沼で弟には、とりあえず元気でやっているということくらいしか報告することができなかった。来年、この地を訪れる時にはもっと多くのことを報告できるようにしたいと思う。

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この記事へのコメント

1. Posted by 高橋   2012年04月17日 01:47
ご無沙汰しております。

お彼岸にご実家へお伺いしお線香を上げさせていただきました。
図々しくも長居してコーヒーをご馳走になった上に
帰りにたくさんのお土産までいただいてしまいました。
ご両親様によろしくお伝えください。
2. Posted by 大友浩平   2012年04月22日 13:14
高橋さん、こちらこそご無沙汰です。
わざわざ実家に足を運んでいただいたのですね。
両親もそうして足を運んでいただいて弟の生前の話を聞かせていただくのはありがたいことだと申しておりました。
弟のことを忘れずに訪ねてきてくださって本当に感謝です。
弟はいい友達に恵まれたとつくづく思います。
ありがとうございました。
3. Posted by まお   2012年10月31日 00:06
はじめまして。
東北のブログを検索したところ、こちらのブログを見つけました。
・・大友純平さんは、私の良い先輩でした。
H9年若林区で一緒でした。本当にやさしく指導していただきました。
採用1年目の新人だったため、丁寧に・・
今も思い出しては泣きそうです。
お葬式、行けなくて申し訳ありませんでした。
やはりまだ受け入れたくなかったこともあります。
今も悲しいです。大友さん、一度お兄さんのことを話していたんですよ。
自分とお兄さんの名前は太平山からとったって。笑顔でそんな話していました。
本当にお葬式、行けなくてごめんなさい。
でも、お盆やお彼岸、近くを通った時は必ず手を合わせています。
絶対に忘れません。大友さんの笑顔も指導も。
絶対に。約束します。
4. Posted by 大友浩平   2012年11月20日 13:41
まおさん、コメントありがとうございます。
そうですか、若林区役所で一緒だったのですね。
本当に、兄の私が言うのも何ですが、よくできた弟でした。
気配りができて面倒見がよく、しっかり者で責任感が強いのが弟で、自慢じゃありませんがその反対が私です(笑)。
「賢弟愚兄」とはまさに私たち兄弟のためにあるような言葉でしたね。
名前の話もしてましたか。
そう、確かに私たちの名前の「平」は、秋田にある太平山の「平」の字をもらったのだそうです。
祖父が太平山三吉神社の流れを汲む神主さんだったので。
弟のことを忘れずにいてくれて、とても嬉しいです。
仕事上縁のあったまおさんが今後もお元気でいてくだされば、きっと弟も喜ぶのではないかと思います。
自分のことよりも周りの人のことを自分の喜びにするような弟でしたので。
どうぞこれからもお元気でお過ごしください。

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