2012年06月27日 

私的東北論その34〜「東北独立」を旗印に東北を一つに(「東北復興」紙への寄稿原稿)

イメージ 1 砂越豊さんからメールをいただいたのは昨年の9月のことだった。「東北 道州制」で検索していて、このブログがヒットしたそうで、拙論を読んでいただいたとのことだった。砂越さんは株式会社遊無有という出版社を立ち上げ、自らも「もう一つの構造改革」「立ち上がれ、オジサン!」などの著作を持つ文筆家兼編集者であった。

 震災後の東北の復興や東北の今後について持っておられた問題意識に共通するものを感じたので、仙台に来られる機会があったらぜひ東北を酒の肴に飲みましょうとお誘いした。砂越さんは宮城県内のご出身で現在でも月に一度ほどのペースで帰省されているとのことだったので、その時手掛けておられた震災後の東北復興のあり方を世に問う新著「東北独立」が脱稿するのを待って昨年12月に初めてお会いした。

 その際、このブログにも何度かコメントいただいたげんさん(げんさんのブログ「奥羽越現像 番外地通信」)や、私があちこちの公開講座や講演会でよくお会いしたやはり東北について造詣の深い鉄休さん(鉄休さんのブログ「エミシの森」)もお誘いして、4人で東北について大いに語り合った。それ以降も月に1回程度、砂越氏の帰省に合わせて集まって飲み食いしながらあれやこれや話している。その他に、Facebook内にも「東北独立っ!」と称するグループを作り、そこで日々情報交換を行っている。

 ちなみに、この飲み会の正式名称はまだない。私は「東北をどうする会(仮)」と呼んでいるが、げんさんは「東北を語ろう会」、砂越さんは「東北を考える会」と言っておられる。どれもみな同じ飲み会のことを指している(笑)。

 そうした中、砂越さんは東北の復興や今後について明確なメッセージを発信する媒体が必要だと考え、自ら「『東北魂』を鼓舞する電子新聞」を創刊することを決めた。それが月1回発行の電子タブロイド紙「東北復興」である。文筆家兼編集者であった砂越さんは、創刊に向けて今度は記者としても、今年は盛岡で行われた東北六魂祭の現地取材や東北復興へのキーパーソンと見られる人物への取材などを精力的にこなした。

 そして、この「東北復興」には、私やげんさんも寄稿することになった。創刊号が今月16日に発行されたが、そこに寄せた拙論が以下である。


「東北独立」を旗印に東北を一つに

今、なぜ「東北」の「独立」?
 この新聞を手掛けている砂越豊氏は、「東北独立」というタイトルの書籍を上梓している。「東北」の「独立」?恐らく、東北に住む多くの人にとってはまったく寝耳に水、それこそ想定外の話であろうと思う。「なぜわざわざ独立しなければいけないのか」「東北が独立したってやっていけないことは目に見えているじゃないか」、そう言う人も少なからずいるに違いない。ただ、ここでそれが本当にそうなのか、あるいは単なる思い込みであるのかを考えてみることは意味のあることではないかと思う。
 
 「独立」、つまりここでは「日本国からの独立」ということであるが、この「独立」について将来取りうる選択肢の一つとして検討してきた人がいる地域は、実は東北以外には存在している。具体的には、北海道や沖縄などである。最近では黒岩神奈川県知事が神奈川県の「独立」を目指すことを表明して話題になった。北海道では、例えば白井暢明氏が「北海道独立論」を以前から展開している。白井氏の試算によると、「独立」に伴う収入減は北海道全体で実質七千〜八千億円、道民一人当たり、年間約十三万円とのことである。つまり財政的には、一人年間十三万円を負担する覚悟があれば、「独立」は可能ということになる。

 そうまでしてなぜ独立しなければならないのか。そう思う向きもあるだろう。そこには「自分たちのことは自分たちで決めたい」という強い思いがある。白井氏によれば、北海道は炭鉱依存型経済から北海道開発庁中心の公共事業依存型経済へと転換して生き延びてきたということだが、その予算も年々減額され、その額はいまや往時の半分にも満たない五千億円弱にしか過ぎない。減らされる一方の国の予算に依存し続けるのではなく、雄大な自然、それを基盤とした大規模な農業、豊富な水産資源、美しい景観といった「資源」を生かした独自の「国づくり」に挑戦すれば、北海道の明るい未来も描けるのではないか、というのが白井氏の主張である。

 その北海道の「お手本」となる「国」がある。イギリスのスコットランドである。スコットランドも北海道と実によく似た境遇にあった。古くは石炭の産地として栄え、その後スコットランド開発公社が多額の開発予算を投じて公共事業を行い、地域経済を支えてきていた。そのスコットランドは一九九九年、ブレア政権の地方分権政策の下で、事実上の内政独立を果たしている。外交や防衛についてはイギリス政府に委ねるものの、「自分たちのことは自分たちで決める」体制が実現しているのである。

 北海道もスコットランドの動向には大いに注目していたらしく、「独立」から四年後の二〇〇三年に視察団を派遣して調査を行っている。その調査報告書は今も北海道のサイト内で閲覧できる。

一向に進まない「地方分権」
 さて、翻って我らが東北である。東北では少なくとも「独立」という話は寡聞にして聞かない。その理由は何なのだろうか。かつてこの地域は「蝦夷(えみし)」という「異民族」が住む、朝威の及ばない化外の地とされていた。奥州藤原氏の時代の前に東北に起こった二つの大きな戦はそれぞれ「前九年の役」「後三年の役」と呼ばれている。戦いに「役」という言葉がつくのは、元寇と呼ばれる「文永の役」「弘安の役」を見ても分かるように、「対外戦争」のみである。すなわち、「蝦夷」の住むこの地は、「日本」とは見なされていなかったのである。

 蝦夷の族長アテルイは、朝廷軍の「侵略」に対し、自分たちの「独立」のために敢然と戦った。それ以外にも東北の地は度々中央から攻め込まれてきた。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした「文治五年奥州合戦」、豊臣秀吉による「奥州仕置」、そして明治維新に伴う「戊辰戦争」など、いずれも東北は中央から敵とされ、新体制樹立に向けた総仕上げの対象とされた。東北に住む人はそうした悲劇がもう二度と繰り返されないように、ことさらに「ここは日本の一部である」と意識し、理不尽なことにも黙って耐えるようになってきたのではないだろうか。

 もちろん、中央集権国家と呼ばれるこの国で、中央が地方の実情を地方以上によく知り、それに応じた施策を適時に打ち出しているのなら別に問題はない。しかし、現状がそうであると考える人はほとんど皆無というのが実情ではないだろうか。それができないのなら、「地方のことは地方に」ということで権限の委譲が実現すればよいのだが、それも望むべくもないようである。

 今回の震災における対応を見て分かったことは、「中央」は予算も権限も「地方」に委ねようとする考えを全く持っていない、ということである。鳴り物入りで設置された復興庁は単なる国の出先機関以外の何物でもなく、復興を推し進めようという「エンジン」よりは、地方のアイディアに待ったをかける「ブレーキ」としての役割に秀でているようである。この辺りは、インドネシアがかのスマトラ地震の後に被災地に設置し、強力な権限を持って復興を推し進めた「復興再建庁」とは対照的である。

 本来、政権交代が実現した暁には、中央集権政治から「地域主権政治」への転換が実現しているはずであったが、多くの他のマニフェストと同様、まったく実現する気配すらない。都道府県を全国で九〜十三の「道州」に再編する「道州制」も第二八次地方制度調査会で答申されたが、その後具体的なアクションは何も起こっていない。この未曾有の大震災を経てすら国の統治構造が変わらないのであれば、今後も自ら変わることは期待できないに違いない。

 よく、道州制を議論する際によく話題になるのが、自分たちの県がどの道州に入るのかという「区割り」の問題だが、道州制については、道州を受け皿とした権限の移譲もセットで進めないと、単に都道府県が合併しただけの結果になりかねない。それでは何も変わらない。今の北海道と同じくらいの面積は持つものの、自分たちのことを決める権限を何ら持たない「名ばかり道州」ができるだけである。

広域連携すら遠い東北の現状
 本当に権限を持った「自分たちのことは自分たちで決める」体制をつくるためには、「道州制」をゴールとしては恐らくダメである。結果的に予算と権限を持った道州制に落ち着くにしても、それを実現させるためにはそれよりももっと大きな目標を持つことが不可欠である。それくらいの「大風呂敷」を掲げてそれに向かってアクションを起こしていった結果が、各道州が実質的権限を持った道州制になる、そうしたプロセスは大いに有り得る。では、その「大風呂敷」とは何かと言った場合に、その旗印としてふさわしいのが、「東北独立」である。「東北独立」を掲げて、中央からの権限と予算の大幅な移譲を要求していく。その落とし所が道州制ということであれば、よもや「なんちゃって道州制」となることはないと思われる。

 ただ、現下の一番の懸念は、「東北独立」に向けて協働すべき東北六県の知事の道州制に対するスタンスがあまりに違いすぎるということである。かつては、特に北東北三県は二〇一〇年の「合併」を視野にまさに協働していたが、それぞれの県で「政権交代」が起こった結果、結局この合併は現在に至るまで実現していない。六県知事の中では村井宮城県知事が道州制に前向きだが、村井知事が道州制に前のめりになればなるほど、仙台への一極集中を懸念する他の五県知事が後ずさりするという構図がある。これでは東北が一つになることなど不可能である。かねてから震災復興のために、まさに東北が一つとならなければいけない時であるのに、道州制への呼び水となるのを恐れてか、広域連携への道筋すら立っていないのは見ていて歯噛みする思いである。

 村井知事は仙台を「州都」にしたいのかもしれないが、ここは道州内での「権限移譲」も進めるべきである。域内で最大の人口と経済規模とを誇る仙台がそのまま東北の「州都」となってしまっては、結局東京への一極集中の問題を抱えた今の日本の「縮小コピー」しか生まれないのではないか。そのような東北州には、宮城以外の五県の知事は協力しようとはしないだろう。

 そこで村井知事に提案したいのは、「道州制が実現した暁には州都は仙台以外に定める」ということを他の五県知事に対して確約するということである。

「州都」は平泉がいい
 さらに言えば、「州都」は平泉がいい、と私は考えている。そう、昨年世界文化遺産となって震災後の東北を勇気づけてくれた、あの平泉である。

 当時、東北地方のほぼ全域を支配した奥州藤原氏初代の清衡は、平泉の地に本拠を構えた。なぜ清衡は平泉に本拠としたのか。それは、「国土の均衡ある発展」を企図してのことだった。奥州藤原氏の前に奥六郡と呼ばれた岩手県南部を支配した安倍氏の拠点は平泉より北の衣川(現在の岩手県奥州市衣川区)にあった。その場所を引き継がず、敢えて南下した理由は、何より平泉がまさに「東北の中心」だったからである。北緯三七度に位置する東北の南端、白河の関(現在の福島県白河市)から、北緯四一度に位置する東北の北端、外ヶ浜(現在の青森県青森市)のちょうど中央、北緯三九度地点に平泉はある。奥州藤原氏が支配した地域のちょうど中央が平泉だったのである。

イメージ 1a 現在でも、平泉を中心にして東北を見てみると、平泉から北八〇kmに盛岡市があり、南八三kmに仙台市がある。こ
れら二都市は南北から平泉を支えると同時に、他の都市とも有機的に連携する役目を担える。盛岡市の北に青森市、西に秋田市があり、仙台市の西に山形市、南に福島市がある。すなわち、平泉を中心にその外側に盛岡、仙台、さらにその外側に青森、秋田、山形、福島という現在の県庁所在地が配置され、そしてそれらはすべて新幹線及び高速道路でつながっている、という非常にバランスの取れた構図が浮かび上がる。これはまさに「国土の均衡ある発展」のためにふさわしい形である。これに対して、仙台は東北全体から見るといかにも南に寄り過ぎである。

 現在の平泉は面積約六三平方キロ、人口約八千人の小さな町である。この小さな町に東北全体の州都を置いて事足りるのかという懸念もあるかもしれない。私はこの小ささが逆によいと考える。州都は必要最小限の権限を持ち、あとは各地域がより大きな権限を持つべきである。それには平泉の「小ささ」はうってつけである。仙台などに州都を置いたら、それこそ何でもかんでも仙台が抱え込んでしまうことにもなりかねない。「一極集中」を許さない物理的な好条件を、平泉は持っているのである。

九〇〇年前の「自治政府」を再建する
 平泉が栄えた時代は、東北が一つとなって栄えた時代でもあった。奥州藤原氏初代清衡が後三年の役を生き延びてから、四代泰衡が源頼朝に滅ぼされるまでのおよそ百年の間、東北には大きな戦乱がなかった。今の世界にも誇れる理念を掲げ、それを具現化した仏教文化が平泉を中心に東北各地に花開いていた。その意味で平泉は、東北の統合と繁栄の象徴的存在である。それもまた「州都」にふさわしい要件である。

 村井知事には、このような論拠を以て、ぜひ「仙台以外の州都」を宣言してもらい、他の知事の疑心暗鬼を払拭してもらいたいと思う。仙台は、「ワシントン」ではなく「ニューヨーク」になればよいのである。

 東北の古代・中世史研究の第一人者、高橋富雄氏はその著書「平泉の世紀」の中で、奥州藤原氏の政治について、「(奥羽では)朝廷も国府も、摂関も院政もそのまま上にいただきながら、実際にはこれを名目上の主権に棚上げし、その執行権の全権を掌握した『委任統治制度』を実現していた。『在国司』と呼ばれるこの奥羽行政権は『事実上の自治政府』として、『幕府政治』のはじまりになっていくものである」といみじくも指摘している。今、東北が目指すべき道は、この、九〇〇年前に東北の地に実現していた「自分たちのことは自分たちで決める」仕組みを、もう一度つくり上げることである。それこそがまさに「東北の独立」なのだろうと思う。そのために必要なこと、それはまず九〇〇年前にこの地にいた人たちが持っていた気概を取り戻すことである。そして、今、目の前にある現実を当たり前のもの、変わらないものと捉えるのではなく、変わる余地のあるもの、自分たちの手で変えられるものと捉える、すべてはそこから始まるに違いない。


anagma5 at 19:34│Comments(0)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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