2012年09月27日 

私的東北論その37〜志を持つ人の「新天地」としての東北(「東北復興」紙への寄稿原稿)

イメージ 4 「東北復興」の第4号が9月16日に刊行された。今回の号で砂越氏は、東北の復興に手をこまねいている既存の政治家を批判し、自ら「東北復興を実現する政治家」を目指すことを勧め、そのための政治研究会設置についての意見交換も呼び掛けている。

 また、今号からは私も存じ上げている仙台在住の画家の古山拓氏の連載が始まった。旅行作家YASUYUKI氏の連載も始まった。「笑い仏」も順調に福島に向けての行脚を続けているようである。

 その第4号に寄せた拙文が以下である。




志を持つ人の「新天地」としての東北

白河の関史上初の「快挙」に寄せて
 この稿が掲載された紙面が発行される頃にはもはや旧聞に属することになってしまっていることだろうが、今年の全国高校野球選手権大会で青森の光星学院が昨年夏から春夏合わせて三度連続となる準優勝を成し遂げた。

 「成し遂げた」と表現したが、もちろん選手、監督や関係者は、「準」の取れた「優勝」を郷里、そして東北にもたらしたかったに違いない。青森のみならず東北の高校野球関係者の間では「真紅の大優勝旗を『白河の関』を越えて持ち帰る」ことが大きな目標となっているからである。
 とは言え、三度連続の準優勝は長い高校野球の歴史の中でも史上初の快挙である。選手達の大健闘を讃えたい(写真は東北の南端福島県白河市に残る
白河の関跡)。

「隣県の応援」は当たり前?
 さて、東北に住む人にとっては当たり前すぎて誰も突っ込まないことで、他の地域から見ると「何で?」と思われることが、実は高校野球についてはある。曰く「なぜ東北の他の県も応援するの?」である。上で「優勝」を「東北にもたらしたかった」と書いたが、これは意外に他の地域にしてみると、違和感とまではいかないようだが、「へえ」と思うことであるらしい。
 
 そう、東北地方の住人は自分の県の高校だけではなく、東北の他の県の高校のことも当たり前のように応援するのだ。最近は東北の高校も強くなってきて、一回戦で全て姿を消すなどということはなくなったが、寄ると触ると「あとどこの県が残ってる?」「どこそこの県は今年強いから何とか優勝狙ってほしい」といった会話になるものである。東北勢同士が当たろうものなら、我が身を引き裂かれる思い、とまでは言い過ぎだが、くじ運を恨みつつ、どちらを応援したらよいか真剣に悩む。

 東北の人にとって、「甲子園」というのはそのようなものである。しかし一方、他の地域から見るとなぜ自分の県ではない高校をそこまで応援するのか分からないものであるらしい。

白河の関2優勝旗は「白河の関」を越えたが…
 このようになった一因には、ちょっと書いたように、かつて東北各県の高校が他地域に比べてお世辞にも強豪とは言えず、一回戦敗退が珍しくなかったということがあったのかもしれない。甲子園の楽しみがあっという間に終わってしまうので、それを補うために隣県も応援するというようなことからこの「慣習」は始まったのかもしれない。
 
 しかし、隣県と言っても、北海道はまず応援しないし、北関東の茨城・栃木・群馬も応援しない。新潟もこと高校野球に関しては積極的に応援してはいないように見える。あくまで東北六県の範囲内での応援なのである。

 東北がかつてより負けなくなった昨今でも、東北六県の高校を互いに応援し合うという慣習は続いている。するとこれは、単に弱かったからというだけではない理由がそこにはあるのではないかと考えられるのである。

 「白河の関」越えということで言えば、北海道で駒大苫小牧高校が優勝を果たしているので、実は既に「白河の関」は越えているのであるが、「白河の関」を越えただけでなく、津軽海峡も越えていってしまったので、東北の高校野球関係者としては目指していたことと少し違う。「『白河の関』を越えてそこにとどまる」、というのが新たな目標になったわけである。

 この点を以ってしても、やはり北海道と東北は隣接地域ではあるものの異なる地域ということが分かる(写真の中世の館跡の周囲には空堀の跡などが今も残る)。

東北は「六つで一つ」
 ではなぜ、東北の人たちは自分の県以外の県の高校も応援するのか。それはやはりこの東北地方が「一つの地域」としてのアイデンティティを有していることによるのではないか、と思うのである。

 それぞれの市町村に属している、それぞれの県に属している、という意識の上に、東北に属している、という意識が、この地域に住んでいる人の中にはあるのではないか、ということである。これは大きなまとまりで地域を考える上ではとても重要なことである。

 「東北人」という言葉がある。日本の地方区分名+「人」ということでウィキペディアに載っているのは、東北人だけである。「関西人」もあるではないかという意見があるかもしれないが、「関西」は大阪を中心とした京阪神地域とその周辺地域を概念的に表現した言葉である。地方区分名で言えばこの地域は「近畿地方」である。

 考えてみれば、東北のような複数の県からなるこれだけ大きな地域が一体感を保っていられるというのはすごいことのように思う。大きさで言えば中部地方が東北に匹敵する大きさを持つが、中部は北陸、甲信越、東海に分割されることが多く、同じ地域という印象が薄い。

 近畿地方は学校教育では京都・大阪・兵庫・滋賀・奈良・和歌山・三重の二府五県を指すが、三重は東海地方に含まれることもあるし、逆に北陸地方の福井、中国地方の鳥取、四国地方の徳島などが近畿地方に含まれることもあり、実際には状況に応じて二府四県から二府八県にまで変化する。

 北海道はもちろん一体性を保っているが、それと同様に東北六県も「六つで一つ」という一体性を持っているように思うのである。

東北に住む人が「東北人」
 かと言って、東北がそこに住む人だけで固まっている内向きな地域というわけでもない。第二回で取り上げた奥州藤原氏は、遡れば都の藤原氏に連なる。奥州藤原氏の前に東北で大きな勢力を誇った清原氏や安倍氏は蝦夷と思われていたが、最近では異論があり、やはり藤原氏と同様に中央から東北に来て定着したのではないかという説も有力となってきている。

 鎌倉幕府滅亡後に鎮守大将軍となって東北に陸奥将軍府を打ち立てた北畠顕家も中央の貴族である。もちろん、伊達政宗を始め、東北の多くの戦国大名も東北以外の出自である。

 古来、東北は中央の政争で敗れた人が落ち延びる先でもあったし、罪人の流刑地でもあった。奥州藤原氏滅亡後に東北入りした武将たちは「新天地」を目の当たりにして胸を躍らせたことだったろう。東北には理由の如何を問わず様々な人がやってきた。東北の地に住む人はそうした人たちを拒絶せず、同化し、力のあるリーダーであれば上に押し頂いてきたのである。

 「東北人」というのは必ずしも東北生まれの人だけを指すわけではない。かつて東北に住む人は中央から「蝦夷(えみし)」と呼ばれたが、それは決して特定の民族を指すのではなく、東北に住む人間を指す言葉であった。奥州藤原氏は先に書いたように土着の東北人ではなかったが、中央からは蝦夷扱いされた。

 「東北人」という言葉もこの「蝦夷」と似たところがあるように思う。すなわち、東北にいる人すべてが「東北人」である。

東北は今も「新天地」
 「よそ者・若者・ばか者」という言葉がある。地域活性化に必要な人材のことであるそうである。折しも東日本大震災からの復興支援に全国各地から支援の手を差し伸べていただいている。これまでの現地の既成概念、固定観念にとらわれない復興のために、まさに東北にこそ「よそ者・若者・ばか者」の力が必要である。

 そして、東北に来て東北を支援してくれる「よそ者・若者・ばか者」も「東北人」である。そうした人たちが東北の地で元からいる人と交流し、融合することで、新たな東北が生まれると確信する。

 しかし、そうした方々に伝えたいのは、決してボランティア的な目的で東北に来る必要はないということである。東日本大震災後の東北は、いわば今も「新天地」だからである。

 一例を挙げる。原発事故問題に揺れる福島県内の医療状況はよくない。被曝を恐れた医師・看護師らが県外に逃れたからである。しかし、その一方で福島での勤務を希望して赴任する医師もいる。彼らは決して自己犠牲の精神で福島を目指すのではないそうである。

 福島県内での勤務は、志のある医師にとって実は非常にやりがいのある仕事なのだという。世界中から注目されている福島で診療活動を行い、丁寧に臨床データを積み重ねていけば、被曝医療について間違いなく後世に素晴らしい成果を残せる、というのがその理由だそうである。

 同様に津波で町が壊滅的な被害を受けた沿岸地域の復興はようやく緒についたばかりである。困難も多い。しかし、一から町を作り上げる場など、日本の他のどの地域にもない。これも他では決して得られない、やりがいと意義のある仕事である。

 他地域から東北を目指す人にとってだけではない。東北に住む我々にとってもそれは同じことである。高校野球でよく言われる言葉がある。「ピンチの後にチャンスあり」。今の東北はまさにそれである。住んでいる地域を問わず、志を持ち、その実現を図りたい人にとって、東北の大地は昔も今も、大いに魅力ある場所だと言えるのである。


anagma5 at 19:43│Comments(4)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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この記事へのコメント

1. Posted by 森羅万象   2012年10月23日 23:57
>そして、東北に来て東北を支援してくれる「よそ者・若者・ばか者」も「東北人」である。そうした人たちが東北の地で元からいる人と交流し、融合することで、新たな東北が生まれると確信する。

いくら何でも、被災地を懸命に支援している方々に対して、ばか者は失礼ではないですか。
2. Posted by 大友浩平   2012年11月01日 12:57
森羅万象さん、読んでいただいてありがとうございます。
「ばか者」表記について不快な思いをなさったのであればすみませんでした。
「ばか者」についてはもちろん、本来の、バカな人、愚かな人、という意味ではなく、周囲が思わず「そんなバカな」と言ってしまうような発想をする人、行動をする人という意味だと私は捉えています。
「よそ者」「若者」という言葉についても、地域活性化の上で期待されているのは「ばか者」と同様、そうした発想と行動力のことだと解釈しています。
3. Posted by 森羅万象   2012年11月01日 19:14
お返事がいただけると思いませんでしたので、ありがたく思います。改めてよろしくお願い致します。

私が「ばか者」という言葉に反応したのには理由があります。被災地の方々は、どうも全国の自治体の支援やボランティアなどの他地域からの支援に対し、何ら感謝をしていないのではないかと感じるからです。被災地自治体の首長が、これらの支援に対し感謝の気持ちを表明した報道がありません。また被災者の方々が支援に対し感謝している報道も非常に少ない。

むしろ瓦礫受け入れ問題等で、他地域に対して怒りを表す方々が、少なからず報道で見受けられました。話は飛びますが、阪神淡路大震災の時は、アスベストの問題がありました。アスベストの問題で、ほとんどの自治体は、瓦礫受け入れを拒否しました。結局ほとんどの瓦礫は、兵庫県と大阪府で3年かけて処理したのです。

兵庫県と大阪府の面積などたかが知れています。東北三県の面積の方が遙かに広い。被災地でかなりの瓦礫を処理することができると思います。またその方が、被災地に雇用が生まれ、復興が進むと思います。そのようにおっしゃる被災自治体の首長さんもおられます。しかし、被災地からの報道では、被害者意識をむき出しにして他地域を攻撃される方が多い。

話が少し外れてしまいましたが、「ばか者」ではなく、せめて「かぶき者」が良いのではないでしょうか。
4. Posted by 大友浩平   2012年11月20日 14:18
神羅万象さん、お返事ありがとうございます。
被災地の外からの目線についてお知らせいただいてとても参考になります。
今回の震災後の報道を見聞きしてつくづく思うのは、マスメディアはネガティブでエキセントリックな事柄をより多く報道して、ポジティブで穏健な事柄についてはあまり取り上げないな、ということでした。
被災地から見ていてよく目につくのはガレキ受け入れ反対の抗議行動のニュースですし、逆に森羅万象さんが他地域から見ていて目にするのはそのことに対する被災者の怒りの声だったりするわけですね。
これらはどちらも震災を取り巻く状況の極々一部でしかないと私は思っています。
震災直後から寄せられた、そして今も続く支援には、多くの被災者は言葉で言い尽くせないほど感謝しています。
ガレキ受け入れについても、以前ブログにも書きましたが、受け入れていただける分はありがたく受け入れていただいてあとはこちらで何とかすることを考えるべきで、そのことに対して恨みつらみを言うべきではないと考えています。
これは決して私だけの考えではないと思います。
ただ、マスメディアとしては、そうではない激しく反対する人の映像の方がニュースとして「絵」になるのでしょう。
「若者、よそ者、ばか者」というキャッチフレーズは、一橋大学教授で地域経済振興に詳しい関満博氏が最初に指摘して以来、随分あちこちで耳にするようになりました。
三つ揃えるために、そして最後に一番インパクトのある言葉を持ってこようとしたためにこのような表現になったのでしょうが、「ばか者」の語感がよくないのは確かですね。
「かぶき者」のご提案、いいですね。
「若者、よそ者、かぶき者」とつなげても全く違和感がありません。
むしろ、1つめ、2つめに続けて3つめも4音とするより、5音のかぶき者を充てた方がしっくりくるようにも思います。
被災地復興はこれで行きましょうか。

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