2012年10月31日 

私的東北論その38〜「憂いのない備え」のために「伝家の宝刀」を(「東北復興」紙への寄稿原稿)

イメージ 5 「東北復興」の第5号が10月16日に発行された。今回の1面は「1年半後の岩手沿岸部のいま」と題した砂越さんのレポート。その実態をつぶさに見て、「『忘れない』ではなく、『何とかせよ』に切り替えるべし」と訴えている。
 
 2・3面は「遠野まつり」のレポートである。私はまだ実際に目にしたことはないが、げんさんからそのすごさについては何度か聞いていた。どのようにすごいかは砂越さんのレポートを見ていただくとして、同じ紙面ではそのげんさんも遠野まつりについて書いているので、遠野まつりについて多面的に知っていただくことができるかもしれない。7面では古山拓さんが東北への思いについて書いておられる他、「笑い仏」様も引き続き順調に福島への歩みを続けておられるようである。

 この第5号に寄せた拙文が下記である。


「憂いのない備え」のために「伝家の宝刀」を

「自然災害ワーストワン」は宮城県?
 「都道府県のワーストを描いた地図」というものがネット上にある。その中で宮城県の全国ワーストワンは「自然災害」である。この地図は東日本大震災の一か月ほど前に作成されたものであるので、それを踏まえてのものではない。しかし、住んでいて風水害が顕著であるとは思えないので、これはほぼ間違いなく地震のことであると推測できる。

 地図の作成に参照されたデータをよくよく読んでみると、宮城県における二〇〇八年の人口一人当たりの自然災害被害額が他の都道府県に抜きん出て大きいということから「ワーストワン」となったようである。二〇〇八年に何があったかと思い返してみると、その年は岩手宮城内陸地震があった。被害額が大きいのは恐らくそのことによるのであろう。

 岩手宮城内陸地震はいわば想定外の地震だったが、それ以外にも宮城県はおよそ三〇〜四〇年に一度の間隔で、宮城県沖地震と呼ばれるM七・五規模の地震に襲われてきた。考えてみれば、日本全国でこれだけ定期的に大きな地震に襲われている地域は他にないのではないか。その意味では、確かにここ宮城県は、自然災害ワーストワンと言えるかもしれない。

 直近では一九七八年、M七・五の地震が発生し、二八名の死者を出した。死者のうち一八名は倒壊したブロック塀の下敷きとなって亡くなった。当時のブロック塀には鉄筋が入っていないものが多く、地震の際に脆くも崩れたのである。

 この時のことを教訓に、三年後に建築基準法が改正され、建築物の耐震基準が大きく強化された。そのお陰で、それ以後に建てられた建物やブロック塀はこの時の地震と同等以上の地震に襲われてもたやすく倒壊しないものとなった。

研究成果の活用前に起きた大地震
 東日本大震災発生から一年半が経過した。昨年三月一一日に発生した地震は、一九七八年の地震から三三年が経過し、いつ起こってもおかしくないと言われていた宮城県沖地震ではなく、それを恐ろしいまでに大きく上回るM九・〇の超巨大地震 であった。マグニチュードが〇・一大きくなると地震のエネルギーは約一・四倍、一大きくなるとおよそ三二倍にもなる。今回の地震は、想定されていた宮城県沖地震のエネルギーを、実に一八〇倍近く上回る地震だったわけである。

 地震考古学という学問がある。過去の地震について、残っている文献や遺跡に残る地震の痕跡の調査などからその規模や被害状況などを推定する学問である。また、ボーリングによる津波堆積物の調査も大きく進歩した。その結果、宮城県沖を震源とする、三〇〜四〇年周期の地震とは異なる超巨大地震について、今回の地震の少なくとも四年前にはある結論が導き出されていた。それによると、宮城県を始めとする太平洋の沿岸地域においては、およそ八〇〇〜一、一〇〇年の周期で今回の東日本大震災と同規模の超巨大地震とそれに伴う大津波に襲われていたというのである。

 「日本三大実録」という文献に残されていた記述から、今回の地震の前の地震は八六九年の貞観地震であることも分かっている。その記述や津波堆積物調査の結果から、貞観地震においても巨大津波が発生し、その浸水域は今回の東日本大震災とほぼ一致することも判明した。

 惜しむらくは、こうした地震学における研究の成果が実際の地域防災計画に反映される前に、今回の地震が起きてしまったことである。例えば、宮城県沖地震で想定されていた津波の高さは「平成一四年度仙台市地震被害想定調査報告書」によれば、〇・三〜一・一 mである。M七・五程度の宮城県沖地震を想定したものであるためにこのような予測となったが、今回の地震で仙台平野を襲った津波は少なくとも高さ七・二mに達した。

 これに対して今回、M九・〇という超巨大地震に襲われたものの、最大震度七を観測した宮城県栗原市でも建物の倒壊に伴う死者はなかった。これは、もちろん阪神淡路大震災のような直下型の地震ではなかったという要素はあるものの、前回の宮城県沖地震を教訓とした建物の耐震性の強化の成果と言える。

 実際、仙台市の地震被害想定調査報告書でも、宮城県沖地震と同程度のM七・五の地震が起きた際には三、七四〇棟の建物が倒壊し、最大で二七人の死者が出ると予測していたのである。それを大きく上回る規模の地震が今回起き、全壊と判定された建物は二九、九一二棟に上ったが、それでも建物の倒壊による死者は、正確なところは分からないものの仙台市内でもほとんどなかったのではないか。これは特筆すべきことである。

「森の防波堤」で防災とがれき処理を
 一方、今回の地震における死者のほとんどは津波によるものであった。防潮堤を過信しない、大きな地震の後はすぐ高台に避難する、といったこの地に住む我々がしっかり認識しておくべきソフト面での対策もより強化する必要があるが、とは言え、やはりハード面の整備も必要である。

 今回、仙台平野沿岸の防潮林は、津波によって根こそぎ倒されてしまった地域も多かった。しかしその一方で、防潮林がしっかり残った地域もある。この違いはいったい何だったのだろうか。

 実は、残った防潮林は、盛り土をしてしっかり土台をつくったところに松が植えられていたものだった。対して、根こそぎ倒された防潮林は、砂地に直接植林されたものがほとんどであったのである。

 そして、残った防潮林の中には何と、伊達政宗の時代に遡るものも多くあったそうである。先ほど、今回の地震に匹敵する地震は八七四年まで遡ると書いたが、こと大津波に関してはそれだけではなく、平均するとほぼ二〇〇〜四〇〇年に一度仙台平野を襲っていることが分かっている。前回は一六一一年の慶長三陸地震、その前は一四五四年の享徳地震である。そのうち一六一一年の地震は、伊達政宗が居城を仙台に移して一〇年後に起こっている。この時の大津波は、政宗の城下町づくりにも大ダメージを与えたと伝えられる。

 しかし、政宗は、戦国武将として合戦に強かっただけではなく、領主としても極めて有能だった。大津波の襲来を踏まえて沿岸にしっかり土台をつくった上で防潮林をつくり、その後背地には貞山掘という運河を掘った。今で言う多重防護の仕組みを作ったのである。そして、津波浸水地域は除塩をした上で水田として復興させた。今回の地震でこの政宗の防潮林が津波の勢いを減殺した地域では、そこでできた時間的余裕の間に住民が避難できたということもあったそうである。

 今、震災がれきの処理が復興の大きな課題となっている。広域処理を唱える環境省に対して、がれきを受け入れる側の自治体では、放射線に対する不安から受け入れ反対の住民運動が起きたりしている。

 そうした中、がれきを有効活用して防潮林を再生させようという取り組みが始まっている。がれきを細かく粉砕して、砂地の上の土台づくりに活用すれば、しっかり根を張った、いざという時に役立つ防潮林がつくれるというのである。横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏が「森の防波堤」として提唱し、宮城県内ではその主張に賛同した人たちが実際に取り組みをスタートさせている。

 ところが、がれきの広域処理にこだわる環境省は、この防潮林再生の取り組みには消極的なのだという。つくづく東京のど真ん中にいると現地のことがまったく見えないのだと実感する。今、仙台の高台に立って沿岸を見ると、櫛の歯が欠けたような防潮林が見える。これを一刻も早く再生させ、がれきを土台に自然の防潮堤を作れば、今回の地震でひとまず震源域のエネルギーは解放されたという宮城県沖地震が三〇〜四〇年後に再びこの地を襲ったとしても、それによる津波で人命が失われるような結果にはならないはずである。

 「備えあれば憂いなし」、「天災は忘れた頃にやってくる」、いずれも先人たちの貴重な教えである。今回の地震の教訓を風化させてはならない。復興の足を引っ張る国など差し置いてでも、次なる地震に対する備えを進めるべきである。

今こそ地方自治体は「伝家の宝刀」を
 それに関して言えば、もちろん津波対策だけでは足りない。津波によるあまりに大きな被害に目を奪われてあまり耳目を集めないでしまったものの、仙台市の隣にある利府町では、地震で郊外型の大規模ショッピングセンターの天井が落下し、お母さんと買い物に来ていた六歳の子が亡くなるという痛ましい事故が起きている。国土交通省の調査では、今回の地震では何と約二、〇〇〇施設の天井が崩落し、五人が死亡し、七二人が負傷していたことが分かったという。

 これらの施設では建物自体は倒壊していない。にも関わらず、なぜ天井は落下したのか。実は、こうした大規模施設の天井は「つり天井」なのだという。それが地震の際に、釣られている天井同士ぶつかるなどして釣っているワイヤーから外れて落下したのである。これを放置していては、次なる地震の発生時にまた犠牲者を出す恐れがある。国土交通省でもこの点を問題視して、つり天井の対策ガイドラインを出しているが、強制力があるものではなく、改善は進んでいないようである。

 ところで、地方自治体には「伝家の宝刀」がある。「上乗せ条例」、「横出し条例」の制定である。法律より厳しい基準を課す条例を「上乗せ条例」、法律が定めていないことについて規制する条例を「横出し条例」と言う。記憶に新しいのは、首都圏八都県市の連帯で国に先駆けてディーゼル車の走行規制を実現した首都圏環境確保条例の制定である。

 既存・新設を問わず、つり天井を持つ施設に対して崩落対策を義務付けるという条例を、少なくとも四〇年以内にまた大きな地震が来ることが予測されている宮城県並びに県内の自治体は制定すべきではないだろうか。

 何度でも言うが、国に任せていては、迅速かつ実効性のある地震対策は望むべくもない。再び宮城県沖を震源とする地震が起きて実際に被害を受けるのは、霞が関や永田町ではなくこちらなのである。今回の地震の教訓を余すところなく次なる地震への対策に活かして「防災先進地域」をつくる。それが未曾有の大地震を経験し生き残った我々の義務なのではないかと思うのである。


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この記事へのコメント

1. Posted by みちのくの放浪子   2012年11月30日 06:47
5 はじめまして。東北の復興の一助を担いたいと考え九州の福岡からまいりましたみちのくの放浪子と申します。
東北の現状の情報を得たいと考えネットをうろうろしていてこちらへたどりつきました。大変参考になる情報が満載で敬服いたしました。また時々参考にまいらせて頂きたいと思います。
2. Posted by 大友浩平   2012年12月06日 17:36
みちのくの放浪子さん、コメントありがとうございました。
福岡から復興支援に駆けつけてくださり、本当にありがとうございます。
サイトを拝見させていただきました。
東北の復興の情報などを発信していただいてありがたいです。
今後とも情報交換などさせていただければと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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