2012年12月28日 

私的東北論その40〜「東北独立」論から10年(「東北復興」紙への寄稿原稿)

イメージ 2 紹介するのが遅くなってしまったが(と言うか、既に次の第7号も出てしまっているが…)、「東北復興」の第6号が11月16日に発行された。

 今回、砂越氏は「東北って何だろう?東北人って何だろう?」と問いかける。 これは東北に住む我々にとっては根源的な問いである。その問いについての論考を進めていく中で、「お仕着せの『東北』という呼び名を返上するという議論があってもいいのではないか」と指摘している。確かに、「東北」という呼称は、中央から見たこの地のある方角しか指し示していない。この地、あるいはこの地に住む人のことを表している呼び名ではない。

 「東北」という名になったのは明治以降のことだが、それ以前の東北地方の主に太平洋側の地域を示す「陸奥」も「道の奥」すなわち「みちのく」から来ているが、誰にとって「道の奥」なのかと考えると、少なくてもこの地に住む人にとってのことではない。そのようなことから考えても、それでは自分たちを表す言葉が何なのかを考えることは重要なことであると思う。

 もっとも、現在、世界にある国名も、その意味を見てみると「え?そんな意味だったの?」というものが少なくない(すべて正しいかどうか不明だが例えば「国名を意味通り訳した地図を作ってみた」など)。それを考えると、この地をどう呼ぶかということについては、自分たちとは何かを考えるきっかけにはなるかもしれないが、と言って、あまり「唯一無二の名前」を作るということに拘泥しなくてもよいようにも思える。 

 さて、その第6号に寄稿した拙文が以下である。


「東北独立」論から10年

野田一夫氏の「東北独立」論
 野田一夫氏が「東北独立」を提唱してから、今年で十年になる。長年に亘り、大学教育の改革、企業経営の改革を推進してきた行動派の経営学者として知られる氏は、宮城大学の初代学長として一九九七年から二〇〇一年まで仙台におられた。それまで約六〇年東京で暮らした氏だが、盛岡は父祖の地であるとのことで、宮城県に県立大学を創設する際に協力要請に応じたのも、「東北の都」である仙台に素晴らしい大学を創りたかったからだと振り返っておられる。
 
 ところが、実際に宮城大学の学長として仙台に赴いてみると、それまで知らなかった東北の姿が見えてきた。特に、中央権力との関係における東北人の不甲斐なさに驚きと怒りを募らせたそうである。氏は言う。「田村麻呂の蝦夷征伐から戊辰の役までの約千年間に、東北は中央権力によって実に五回にわたって故なき攻撃の対象とされながら、只の一回も反撃勝利を収めえず、屈辱的支配に服した。維新から今日までの百数十年間、わが国は日清・日露戦争および第一次大戦後と、太平洋戦争後と二回にわたって工業化による目覚ましい経済発展を遂げたが、その間東北は常に『食糧と労働力の供給基地』という裏方に回され、不当な貧しさに甘んじた」。

 その上で氏は、「私は『東北の独立』を視野に入れた自主的な東北の開発を、断然志向したいのだ」と主張し、次のように述べる。「府県は事実上日本政府の出先機関にほかならないから、東北を七県によって構成された一地域と考えるかぎり、東北はこれからも経済的には日本国中最も恵まれることのない辺境に甘んじさせられるのが歴史的運命に思える。それより、一時の空しい豊かさの後にいま早くも頽廃と混迷の道を急ぐ日本国と決別し、東北人の総力を結集してもっと健全で、国際的にももっと魅力のある国家の建設を目指すべきだ」と。

 氏のこうした主張が盛り込まれた「『東北の独立』は幻想でも願望でもない」が、燈台舎の月刊パロス第六号に掲載されたのは二〇〇二年六月のことであったが、それから十年を隔てた二〇一二年の今年を見ても、東北は独立どころかますます国への依存を深めているようにすら見える。

「総合特区」に見る「東北独立」の現状
 「独立」への歩みが遅々として進まない東北に嫌気が差したのか、氏は東北から次第に距離を置き始めたように見えた。その後も秋田の国際教養大学や今年開学した東京の事業構想大学院大学の創設に関わるなど、八五歳になった今でも氏のその独創性や行動力に全く陰りは見られないどころか、さらに磨きがかかったとすら感じられる。とりわけ私が感嘆したのは、東北で牛歩の如く動かなかった「独立運動」を、氏は縁あって淡路島に所を変えて継続しておられたことである。

 今年四月に刊行された氏の最新刊である「悔しかったら、歳を取れ!〜わが反骨人生」(幻冬舎ゲーテビジネス新書)の中で、氏は「仙台で何を……?」といぶかる東京の友人たちを「東北独立運動をしている」と煙に巻いたエピソードなどを紹介しながら、「目下の僕の抱負」として、「“淡路共和国”建設を通しての日本再生」を高らかに宣言しておられる。
 
 それによれば、「少しでも実現の可能性のある“日本改造”の手がかりはないものか?」と真剣に考え続けた結果、シンガポールをロールモデルとする「淡路共和国」の建設構想が生まれたとのことである。きっかけは、菅政権時代に打ち出された「新成長戦略」の一つ、「総合特区制度」だったのだという。
 
 なるほど、東日本大震災発生時の対応のまずさなど、とかくネガティブなイメージが伴う菅政権時代だが、その中でとりあえず成果と言えるものの一つがこの「総合特区制度」であることは確かであると私も思う。
 
 総合特区は、小泉政権下で生まれた構造改革特区が個別の規制の特例措置を対象として、税制・財政・金融措置はその対象としなかったのに対して、複数の規制の特例措置に加えて税制・財政・金融上の支援措置などを総合的に実施することを「売り」にしている。また、構造改革特区が地方公共団体のみを対象としたのに対し、総合特区では企業なども含む「要件を満たす地域」にその対象を拡大し、また国と実施主体の「協議の場」を設け、国と地域が一体となって推進することを謳っている。使いようによっては確かに、創設時の触れ込み通り、「地域主権改革を加速する突破口」ともなり得るアイテムである。
 
kokusen_map ところが、ここでも他地域に比して東北の足取りの重さが浮き彫りになっている。なんとなれば、全国に第一次指定から第三次指定まで、国際戦略総合特区が七、地域活性化総合特区が三二ある中で、東北には何と秋田の「レアメタル等リサイクル資源特区」の一つしか総合特区は存在しないのである。地域ごとの濃淡は、首相官邸のサイト内にある「総合特区一覧」を見れば一目瞭然である(図参照)。東北地域の「空白」、これこそが残念ながら東北の現状を如実に物語っている。 
 
「淡路共和国」への道程
 さて、野田一夫氏が挙げておられるシンガポールは周知のように、一九六五年にマレーシア連邦から独立を果たし、リー・クワンユー初代首相の下、短期間に驚異的経済成長を遂げた。人口は五〇〇万人を超え、一人当たりGDPでも二〇〇九年に日本を抜いてアジア一となっている。シンガポールの国土の面積約七〇〇平方キロメートルに対して、淡路島も約六〇〇平方キロメートルとほぼ同じ「国土」を持つ。しかし、淡路島の人口は現在、わずか約十四・五万人である。高齢化率でも日本の平均を遥かに上回る、超高齢社会を絵に描いたような地域である。

 しかし氏は、淡路島の「可能性」に言及する。「平成の大合併」により、淡路市、洲本市、南あわじ市の三つの市から構成されることになった淡路島は、日本列島の中心部に立地している。それだけでなく、世界第四位の規模を持つ関西経済圏に近接し、気候は温暖、地勢は穏やかで、風光は明媚であると。そして、「やり方いかんでは、『一国』としては最高の条件を具備している」と確信しておられる。

 その上で氏は、「淡路島=淡路三市の活性化のための七ヵ条」を挙げる。その七ヵ条とは、

 〜躪臚旦茲稜Р勅萋生綢やかに、あくまでも非公式ながら“共和国”を宣言する。
 ∋飴堋垢聾濮または交代制で大統領および副大統領を名乗り、自覚を強める。
 F本国憲法の趣旨に沿い、より具体的・魅力的な「淡路共和国憲法」を制定する。
 い△蕕罎觀舛痢伴治権”を絶えず実質的に拡大することに努力しつづける。
 ヌノ賄な政策を果断に実行することにより、国内外から各種の有為の人財を集める。
 社会の活性化→経済的繁栄を実現させ、日本に“共和国建設ブーム”を引き起こす。
 У羔謀には、日本国を「多種多様な個性に溢れた共和国によって構成される“日本連邦(The United Republics of Japan)”」化させることによって再生する。

である。「注」として、「“共和国”はあくまで擬制国家であるから、淡路共和国の成功を契機に、全国に“共和国”が増え、相互に結束力が十分固められた時点で、本国=日本国と議論を重ねた末に、新しい日本国の形態を決める」とある。この構想を世に問うてからまだ一年足らずだそうだが、既に淡路島の三市長と会談するなど、着々と歩みを進めておられるようである。
 
  氏は言う。「日本は将来、(米国の一州以上の権限を有する)国内の自治体群による“連邦国家” になっていくべきです。先ず総合特区“淡路共和国”が、卓越した指導者のもと希望あふれる政策を続々実行に移し、国内はもとより世界各国から続々人材を結集して繁栄の道を示せば、『淡路』に習って次々に誕生していく国々が、日本を必ず力強く再生していくことでしょう」と(はがき通信ラポール八〇五、二〇一〇年十二月十四日)。

 国の統治機構改革につながる狼煙を東北からも
  「私にとって、『東北の独立』は今や幻想でもなければ願望でもなく、残りの人生をかけた一大事業なのである」と主張しておられた氏から見て、今の東北がどのように映っているのか、今なお「独立」を進めるとすればどこから手をつけていくのがよいのか、一度お聞きしてみたいとかねてから思っていた。そうしたところ、折しも去る一〇月二六日、仙台市内で氏の講演会が開催された。講演会の中では質疑応答の時間はなかったが、その後に懇親会が催されたので、ここぞとばかりにその場で、短い時間ではあったが氏に「東北独立」について改めて尋ねてみた。
 
 氏からは、「東北はあまりに大きい。まずは淡路島のように小さく限定された地域で実績を重ねてそれを周辺にも広げていくという戦略で臨むべき」、「君のような若い意欲もある人が中心となって進めていかなければ結局のところ何も進まない」といったアドバイスをいただいた。その上で、「協力は惜しまないから、いつでも東京の事務所を訪ねていらっしゃい」と、とてもありがたい言葉もいただけた。

 氏によれば、淡路島以外にも「独立」に向けた歩みを進めている地域があるそうである。同時多発的にそうした取り組みが進んでいけば、国の統治機構の改革にも過たずつながっていくのではないかと思える。そのための狼煙を東北からも上げていかなければならない、と改めて考えさせられた。


anagma5 at 00:40│Comments(2)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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この記事へのコメント

1. Posted by 菊地 敦   2013年01月18日 09:46
 東北はヤマトの連中に、いいように扱われ過ぎていると思います。「白河以北、一山百文」などと言わせない為にも、復興を早急に進めて、より高度な発展をとげる必要があると思います。
 僕は東北の有能な人材を如何にして首都圏への流出を防ぎ尚且つ、首都圏の有能な人材を如何にして東北の地に招致できるかが、今後の東北の発展を握るカギになるのではと思います。
 それには、魅力ある東北、活力溢れる東北をアピールしていかねばならないと思います。
2. Posted by 大友浩平   2013年03月14日 12:53
返事遅くなってすみません!
その通り、結局は「人」の問題に尽きるのだと私も思う。
ただ、その件に関しては、震災をきっかけに全国の志と行動力のある人たちが続々東北に集まってくれて、東北のあちこちで今後につながるような取り組みをしてくれているのが本当にありがたい。
マスコミ報道では、被災地から人口流出、といったようなマイナスのことがよく報じられるが、その一方でこの先の東北再生に向けた芽は既にいっぱい出ているのだね。
昨日も原 亮さんの素晴らしいスライドを見て、その思いを新たにしたところだ。

「新生東北の門出、 前途は実に洋々たり」
http://www.slideshare.net/hararyo/it20130311?fb_action_ids=510151955693887&fb_action_types=slideshare%3Aupload&fb_source=og_timeline_photo_robotext

今度飲みながらじっくり話そう。(^O^)/

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