2013年12月31日 

私的東北論その50〜東北楽天日本一に寄す(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku18 「東北復興」紙の第18号が11月16日に刊行された。この号では11月3日の東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一について書いた。本当なら、この号の原稿は遅くとも前月末までに入稿しなければいけなかったので、明らかに遅い入稿だったが、やはりこの号ではこの話題について書かなければと我儘をさせていただいた。

 文中では、私よりもさらに熱心にこの9年間東北楽天ゴールデンイーグルスを応援し続けた、友人の佐藤尚太氏にコメントを寄せていただき、また優勝が決まった瞬間の写真もお借りした。

 同じ紙面では発行人の砂越氏もこの話題についてトップで取り上げており、やはりこの話題が東北にとって大きなインパクトがあったことが窺える。以下が、私の書いた記事の全文である。


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東北楽天日本一に寄す

球団設立当初からは想像もできなかった日本一
 東北楽天ゴールデンイーグルスが、球団創設九年目にして初のリーグ優勝を成し遂げ、そしてクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに出場、セリーグの覇者、東京読売ジャイアンツを四勝三敗で下し、初の日本一に輝いた。
 
 振り返れば、まさかこんなに早く日本一になるとは思いもよらなかった。プロ野球球団が東北にできるということで喜んだのもつかの間、シーズン一年目は三八勝九七敗一分で、その年リーグ優勝したソフトバンクからは実に51・5ゲームも離された。勝率二割八分一厘は、一流のバッターの打率よりも低いなどと嘲笑まじりに揶揄されたものである。私自身は「何とか一〇〇敗しなくてよかった」と思ったことを覚えている。
 
 オリックスブルーウェイブと近鉄バッファローズの合併に伴って、プロテクトのかかっていない、いわば「いらない選手」ばかりが集まったチームという経緯があり、期待度が低くても当然、それでもとにかくよくぞ仙台に来てくれた、と私を含め地元では感謝の念の方が大きかったように思う。何より東北は「判官贔屓」の土地である。「判官贔屓」の語源となった、奇跡的な活躍をしながら実の兄に追われ、平泉で悲劇の最期を遂げた源義経に対するシンパシーは今も強い。東北はそもそも、弱いものに温かいのである。
 
 下馬評を裏切らず、一年目、二年目は最下位に沈んだが、五年目に野村克也監督の下、二位に躍進し、クライマックスシリーズに進出した。この時も感慨深いものがあった。この年、五年前に「いいとこどり」をしたはずのオリックスは何と最下位に沈んでいたのである。その一方での東北楽天の二位は、「ダメと言われたヤツだって、やりようによってはちっともダメじゃないんだ!」というメッセージを力強く訴えてくれたと思う。

被災者のために勝ち取った日本一
 それにしても正直、今回の日本シリーズにおける東北楽天は、常軌を逸していた。第五戦で完投勝利したばかりの則本が第七戦で七、八回を投げ、挙句には前日一六〇球を投げた田中が九回のマウンドに立つ。中継ぎ陣が打ち込まれたとは言え、およそここ最近の投手起用のセオリーからは明らかに逸脱している。メジャーリーグでは今世紀に入ってから一五〇球以上投げたピッチャーなど皆無だそうである。たいていは一〇〇球前後で交代で、ノーヒットノーランなどの記録が掛かっている時だけ投げ続けることがあるとのことである。
 
 何がそこまで彼らを駆り立てたのか。もちろん、初の日本一に向けて遮二無二のことだったことは分かる。では、何のための日本一だったのかと考えると、決して彼らは自分たちのためだけに日本一を目指したのではなかったのではないかと思う。インタビューに答えた星野監督の言葉にもあったが、今も大震災からの復興途上にある被災者を少しでも力づけられれば。彼らの思いはまさにそこにあったのではないだろうか。その思いが強く伝わってきたからこそ、最後のあの場面に東北の皆は大いに歓喜し、涙したのである。
 
 特に何と言っても田中である。シーズン中一度も負けることなく24の勝ち星を積み上げて東北楽天のリーグ優勝に貢献し、「絶対エース」とも呼び習わされた彼が、第六戦では四失点という今季一度もなかった事態を招いた。それでも田中は、星野監督が勧めた降板を断固拒否し、最後まで投げ抜いた。九回表は最後、逆転タイムリーを打たれた高橋由伸を渾身のストレートで空振り三振に切って取った。
 
 思えば、結果的に負けながらも最後まで投げ抜いたあの気迫が、次の日の東北楽天の先制攻撃につながったようにも思えた。実は私は不安だった。「絶対エース」で一気に日本一を奪取する心積もりだったところがまさかの敗戦。不敗のエースの敗北で東北楽天のチームの士気は下がり、第七戦は一方的に敗れてしまうのではないか、とさえ思った。
 
 しかし東北楽天の勇者たちはそうではなかった。美馬が素晴らしい好投をし、則本も好救援。打線も四回までに三点を奪った。そしてあの九回の田中のマウンド。普通に考えればどう見てもベストなコンディションであるはずがない。前日一六〇球を一人で投げ抜いたばかりなのだ。事実、降りしきる雨の影響もあったのかもしれないが、無敗を誇ったシーズン中の絶妙な制球力は影をひそめ、得意のツーシームが大きく外れる場面もあった。
 
 にもかかわらずストレートは150kmに達し、ピンチは招いたものの最後は代打の切り札矢野を空振り三振に仕留めたのである。前日の負けを乗り越え、勝利を、そして日本一をもぎ取ったあの姿がどれほど東北の人を勇気づけ、奮い立たせたか知れない。
 
 天下分け目の戦いとなったこの第七戦で、勝利を呼び寄せる、決定的な三点目を叩き出した牧田のホームランも素晴らしかった。牧田は実は、球団設立当初から東北楽天に在籍する、いわば「いらない」と言われた選手の代表なのである。その牧田が、あの場面で王者ジャイアンツからホームランを打つというのも何か強いメッセージを感じる。本当によくぞ打ってくれたものだと思う。

チーム名に「東北」があることの強み
 今回東北楽天が日本一に輝いたことに際し、チーム名によくぞ「東北」の名を冠してくれたものだとつくづく思う。もちろん、本拠地は仙台にあるわけだが、プロ野球全12球団のうち、本拠地の人口を都道府県単位で見ると、宮城県は最も少ない二三二万八千人である。広島カープが本拠地を置く広島県はその次に少ないが、それでも二八四万人を擁しているのである。そのことも、チーム名に「宮城」または「仙台」を冠しなかった理由の一つであったのかもしれないが、ともかくチーム名に「東北」とつけてくれたことは今思えば、楽天のプロ野球球団が来てくれたことの最大のメリットだったと言えるかもしれない。
 
 本州の実に約三割を占める広大な面積を持つ地域が一つにまとまっているのは、東北ならではのことである。もちろん、北海道は当初から一つの地域だが、面積的に東北と同規模の中部地方は北陸、甲信越、東海という地域からなり、必ずしも一つにまとまっているようには見えない。もしプロ野球球団がこの地域に来たとしても、「北陸」、「甲信越」、「東海」という名前は冠せても、「中部」という名前はつけにくかったのではないかと思う。
 
 そしてまた、以前ここに書いたことがあるが、東北は元々、高校野球で自分の県だけでなく、同じ東北の他県も応援するという土地柄である。その一点を取っても、東北に住まう人たちにとって、東北の各県は同じ地域の中にあるとの認識が強いことを感じさせられる。今回の東北楽天の日本一を仙台、あるいは宮城県だけではなく、東北全体で一緒に喜べたことは本当に何よりもよかったことだと思う。

プロスポーツの頑張りに報いるには
 スポーツで被災地を勇気づけるということでは、震災のあった二〇一一年のベガルタ仙台の頑張りも決して忘れることはできない。東日本大震災が発生した3月11日は、ベガルタ仙台にとって、実にホームでの開幕戦の前日であった。東日本大震災では、外国人選手が一時帰国あるいは退団したり、避難所生活を強いられる選手が出たりと、チーム自体も大きなダメージを受けた。そのような中、チームは実に開幕から一二試合無敗(六勝六分)というJ1記録を打ち立てた。これはあの震災直後の過酷な状況の中、「決して負けない」というメッセージを強力に伝えてくれたと思う。
 
 東北楽天と言い、ベガルタと言い、つくづく、スポーツというものはその見る人々に強いメッセージを送り得るものだということを実感する。東北楽天もベガルタも、いずれもチームも被災者を勇気づけ、励ますために、これ以上ない働きをしてくれた。その恩に報いるには、とにかく何年掛かっても、どんなに困難でも、自分たちの復興を飽くことなく成し遂げる以外にはないだろう。復興が成って初めて、東北楽天の選手たちも、ベガルタの選手たちも、自分たちの働きが東北の復興の一助になったことを思い起こし、喜んでくれると思うのである。
 
 写真は、友人の佐藤尚太氏が撮影したものである。第七戦のまさに最後、田中が空振り三振を奪って日本一を決めた瞬間のパブリックビューイングの様子である。
 
 前日の第六戦では、日本製紙クリネックススタジアム宮城正面で行われていたパブリックビューイングに一万人を超える観客が集まり、安全確保のために入場制限まで行われた。この日の第七戦では、球場に隣接する仙台市陸上競技場に場所を変更してパブリックビューイングが行われた。
 
 球場には二万五千人を超える観客が集まったが、球場の外でもたくさんの観客が一緒に応援していたのである。
 
 佐藤氏は言う。
 
「あの瞬間、写真の通りKスタ宮城に隣接する陸上競技場で迎えておりまして。六、七戦はチケット持たず新幹線に飛び乗り、仙台へ行きましたが、最終決戦は多くの仲間と盛り上がりたいなと思い、あえてPVでの観戦を選択しました。東北の人々が待ちに待ったこの瞬間。野球に興味がある人もない人も、一つになったと実感しています。
 
 楽天イーグルスの日本一はもっと時間が掛かるのではないかと思っていましたが、創設10年経たずに達成できたのは本当に素晴らしいことです。来年はみんなで勝ち取ったペナントがなびく中、野球が見られる事が物凄く幸せです!」
 
 佐藤氏は、9年前の球団創設の折から、誰よりも情熱を傾けて応援をし続けていた。この日も東京から駆け付けてくれた。今回の日本一は私以上に感慨深いものがあったに違いない。



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