2014年04月11日 

私的東北論その55〜3回目の「3・11」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku-fukko22 「東北復興」の第22号が3月16日に発行された。この号で砂越氏は、「東北二段階復興論」を提言している。

 「とにかく東北を語る会」の案内も載っている。そう言えば、このブログでお伝えするのが遅くなってしまったが、以前このブログにコメントを寄せていただいたげんさんと、このブログを見てメールをくださった砂越さんとは、定期的に会って東北について話し合っていた。その「会」の呼び方も3人バラバラで、私は「東北をどうする会」、げんさんは「とにかく東北を語る会」、砂越さんは「東北を何とかする会」と呼んでいた。すべて同じ会のことを指している(笑)。今年から、東北に関心を持つ他の人にも集まっていただこうということになったのを機に正式名称を検討したが、結局げんさんの呼称に一本化することになった。次は5月25日(日)の予定である。

 私はこの号では、震災後3回目の「3・11」について取り上げた。「東北復興」に掲載された分は、スペースの関係で写真が載せられなかったが、ここでは3月11日に訪れた仙台市若林区荒浜地区の写真も併せて掲載したいと思う。

3回目の「3・11」

復興の現状
 3月11日は言うまでもなく、東日本大震災発災の日である。この日が近づくにつれて、新聞各紙やテレビで震災をテーマにした特集記事・番組が増える。その中では、震災からの復興における課題や問題点などについても数多く取り上げられている。実際に課題や問題点があるのは事実であるのだろうが、それらについてはここでは繰り返さない。
 
 復興の現状については、復興庁が定期的にまとめている。復興に関する客観的なデータが把握でき、有用である。最新のものは1月17日のものであるが、その内容は概ね以下の通りである。

・避難者数は1年で約32万1千人から約27万4千人に減少。
・仮設住宅等への入居戸数は減少しはじめている。
・被災3県における人口は減少傾向にあるものの、社会増減率は沿岸市町村においても震災前の水準に戻りつつある。
・災害廃棄物(がれき)は福島県の一部地域を除き、平成26年3月末までに処理可能な見込み。
・公共インフラの復旧・復興については、海岸対策、海岸防災林の再生は概ね6割弱の着手、1割台の完了。河川対策、水道施設、下水道、災害廃棄物の処理は概ね9割超完了。復興住宅、防災集団移転、土地区画整理、漁業集落防災強化は概ね6割前後の着工、1割前後の完了。医療施設、学校施設等は概ね9割超完了。復興道路・復興支援道路は37%完了。港湾は77%完了。農地は63%完了。漁港は37%完了。養殖施設は84%完了。
・鉄道については被災総延長2350・9劼里Δ繊運行再開区間2079・7辧運休区間271・2辧
・現在の売上げ状況が震災直前の水準以上まで回復していると回答した企業の割合は、36・6%。・平成24年度の被災3県の工場立地件数は、前年度より31件増(+48%)の95件。
・農業・水産業・観光業も改善が見られるが、本格的な復興が今後の課題。
・被災企業の復興に向けた進捗状況は地域格差が顕著。・税制上の特例の適用を受けることができる指定事業者による投資見込額は約1兆1300億円、雇用予定数は約82600人。
・福島県では、避難指示区域等からの避難者数が約10・2万人、福島県全体で約14・2万人。うち福島県外への避難者数約5・1万人。
・除染の進捗状況については、国直轄除染地域では対象11市町村のうち、9市町村の全域又は一部地域において除染の作業中、1市で除染が終了。市町村除染地域では、94市町村において特に子ども空間や公共施設において除染が進捗し、予定した除染の終了に近づきつつあるが、全体が終了するまでには更に数年はかかる見込み。

 一方、株式会社マクロミルは、「震災白書2014」を公表している。全国と岩手・宮城・福島の東北3県在住の20〜69歳の男女を対象に「東日本大震災に関する調査」を実施した結果をまとめたものである。その中では生活の復旧状況についても聞いている。
それによると、日常生活が東日本大震災前の状態に「完全に戻った」と答えた人の割合は、全国で54%、東北三県では39%と差があることが報告されている。復興の現状は概ねそのような状況である。

震災の「風化」をどう捉えるか
 今、頓に震災の「風化」が言われている。先の「震災白書」でも震災に関する情報が減ったと回答した人は7割にも上る。
 
 しかし、情報が減ったから風化が進んでいるのかと言うと、そのせいばかりではあるまい。風化させているのは震災からの「時間」である。それは被災地においては、過酷な体験、悲しい体験に対する痛みを、忘れることで軽減しようとする人間の正常な反応である。

 また、被災地以外の地域に住む人にとっては、震災に関する情報の上に日々、日常の情報が積み重なっていくわけであるから、やはり震災のことが次第に薄れていくのはやむを得ないことであると思う。

 ただ、被災地の人が「風化」によって何を恐れているのかと言えば、いまだ復興していない自分たちが忘れ去られてしまうことであろうと思う。忘れられないためには、まさに「百聞は一見に如かず」と言う通り、実際に他地域から被災地に足を運んでいただいて、その目で現状がどうなっているのか見ていただくのが最良の方法だと思う。

 「震災白書」でも、全国で69%の人が東北地方への観光意向があるとの調査結果が示されている。しかし、その一方で、復興庁の「復興の現状」の中では、観光客中心の宿泊施設の延べ宿泊者数が、震災前の平成22年との比較において、いまだにマイナスとなっている現状が紹介されている。

 このギャップの原因は何なのか。そこには被災地以外の人に躊躇があるようである。「震災白書」の自由記述の欄にも、「観光に行っても良いものか?考えてしまう。被災地では、大変な生活を送っている人も、まだ多くいるのに、その地域に楽しみ目的の旅行は抵抗を感じる…」という声があった。

 これについては、被災地でも「ぜひ現状を見てほしい」という声は少なからずある。足を運んでみれば感じるものが必ずある。実際に現地を訪れて、その目で見て回ることそれ自体も被災地支援であると考えて、ぜひとも東北に出掛けてほしいものである。

決して「風化」させてはならないもの
 震災で直面したことが時間と共に風化していくのはある程度やむを得ないことであるとしても、決して風化させてはいけないものがある。そのうちの一つは防災に対する意識である。これまで風化させてはならない。東日本大震災で被災地が得た教訓、ノウハウ、並びにそうしたものに基づく防災意識は、ぜひこの地域に住まう人にはもちろん、他地域の人にも持ち続けてほしい。それが来たるべき次の災害への何よりの備えとなる。

 もっと根源的には、生かされていることへの意識も風化させてはならない。3年前のあの日、最も強く思ったことは、昨日の次に今日が来て、今日の次に明日が来るのが当たり前と思っていた日常が、いともたやすく崩れるということであった。ある日突然、来るべき明日が奪い去られてしまうことがあり得るということであった。何の前触れもなく、突然命が断ち切られてしまうことが起こり得るということであった。

 こうした意識が、3年を経て、日常の中に埋没して薄らいでしまっていることを私自身、強く感じている。そうして、昨日の次の今日を実に迂闊に生きてしまっていることを思う。

 毎年来る3月11日は、否が応でもあの日のことを思い返させてくれる。3年前の今頃何をしていたか、どんな状況だったか、やはり意識する。

 改めて思う。誰でも、いつ人生を「チェックアウト」することになるか分からない。ならば、今日チェックアウトするとして、果たしてそれを受け入れられるのかどうか。それを日々自分に問い掛けたいと、この日が来る度に思う。

貞観地震からの復興
 今回の地震と類似性が指摘される地震がある。貞観11年(869年)のいわゆる貞観地震である。
この年の5月26日夜、マグニチュード8・4以上とされる巨大地震が陸奧国(現在の岩手・宮城・福島三県)を襲った。この地震によって、家屋が倒壊、土地は地割れし、多賀城内の城郭・倉庫・門・櫓・築地塀なども倒壊した。また、城下に押し寄せた大津波による溺死者が1000人に達するなど、この地が壊滅的な被害を受けたことが「日本三代実録」に記されている。津波堆積物の研究から、貞観地震における津波浸水域が、今回の東日本大震災におけるそれとほぼ重なっていることが明らかになっている。

 この地震における甚大な被害からの復興の様子も一部、同書には記されている。それによると、朝廷はまず9月7日に紀春枝という人物を「検陸奥国地震使」に任命し、陸奥国に派遣した。10月13日には、天皇の詔が出され、税を免除すると共に、独力で生活できない住民に食料を配給している。併せて、各地の神社で祈祷を行わせている。また、当時高い技術を持っていた新羅人10名を「陸奥国修理府」という復興の拠点に派遣している。

 その後、これらの復興策がどのようになったについては同書では触れられていないが、その後元慶2年(878年)に出羽国で起きた元慶の乱の際に、陸奥国から2000もの兵が派遣されていることから、この頃にはある程度復興が成し遂げられていたものと推察される。

今年の「3・11」
140311-142528 3月11日、仙台市の沿岸、荒浜地区に足を運んでみた。がれきこそすべて撤去されたものの、それだけである。







140311-141955この日は猛烈な北西の風が吹いていたにも関わらず、海は波静かで、3年前のこの日、この地で起きたことが信じられないくらいであった。
 






140311-143835 地区内にある浄土寺は津波で本堂始め建物を全て流されてしまったが、現在同じ場所にプレハブの仮本堂を建てている。毎年この日には地区の合同法要を行っているとのことで、今年も普段は別の地域で避難生活を送っている住民が集まり、住職の読経に手を合わせていた。住職はこの地で亡くなった人の名前を一人ひとり挙げて供養していたが、なかなか途切れないその数に、改めてこの地で亡くなった人の多さを改めて実感する。


140311-152456 地区にある仙台市立荒浜小学校。津波が校舎の2階部分にまで押し寄せた痕跡が今も残る。これが証拠となって、あの日仙台平野を襲った津波が、平野部の津波としては観測史上世界一の高さであったことが判明した。









140311-153252その校庭では、地元荒浜の復興・街づくりを中心としたプロジェクト「HOPE FOR project」が、集まった地元の人と一緒に花の種を入れた風船を大空高く飛ばしていた。荒浜から飛ばした花の種が、どこかの地で芽を出し、花を咲かせるかもしれない、と考えると、まさにそれは一つの「HOPE」である。



 1140年前の大地震からも東北は復興を遂げていた。しかし、それは決して2、3年のスパンでのことではなかった。ここからも、復興においては、最低10年のスパンを持って見ていく必要があることが分かる。

 幸い、東北人は地道に取り組むことに長け、粘り強いと評される。腰を据えて復興に取り組んでいくのは得意なはずである。目の前のできることを一つひとつやっていく。その積み重ねの先に、復興の成就はあるに違いない。


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