2015年02月16日 

私的東北論その64〜特殊公務災害逆転認定までの経緯 孱嫁半にも及ぶやり取り」

10480101_834560373238510_19171634336791573_o 昨年2014年6月13日の朝刊各紙に一斉に弟のことが載った。仙台市職員だった弟の殉職に関してはこのブログでも何度か取り上げているが、両親はそれについて、特殊公務災害に認定してもらえるよう申請していた。その特殊公務災害への認定の申請が地方公務員災害補償基金仙台市支部で非該当の決定となり、地方公務員災害補償基金仙台市支部審査会への審査請求も却下と、二度に亘って退けられた後、地方公務員災害補償基金審査会への再審査請求でこれらが取り消されて逆転認定された。この三度目の逆転認定が前例のないことだということで、マスメディアでも注目されたようである。私は見ていないが、6月12日のTVニュースでも取り上げられたそうである。

 この特殊公務災害、一般にはあまり耳慣れない言葉だが、公務員が「高度に危険が予測される職務」で死亡、負傷した場合に適用されるもので、単に公務遂行中に労働災害に遭遇した場合の公務災害認定に比べて補償金も増額されるが、その代わり目撃証言など含めて「高度に危険が予測される職務」であったことの証明が必要とされる。公務に従事していた際に遭遇した災害については民間企業の労働災害と同様、公務災害として認定されるが、公務員にはさらに、命に関わるような公務に就いていた際に遭遇した災害について別枠で認められる制度があるわけである。

 公務災害、特殊公務災害とも、ちょうど裁判の三審制のように、認定のチャンスは三度ある。冒頭に書いた通り、まずは地方公務員の公務災害に関する補償を担う地方公務員災害補償基金の都道府県並びに政令指定都市の支部。弟は仙台市職員だったので、地方公務員災害補償基金仙台市支部に特殊公務災害の認定を申請したわけである。ここで特殊公務災害非該当の決定となるなど、その決定に不服がある場合は有識者等第三者でつくる支部審査会に審査請求をする。仙台の場合は地方公務員災害補償基金仙台支部審査会がある。そして、この支部審査会の裁決にも不服がある場合はさらに、支部の審査会ではなく中央の地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求をする、という流れである。

 ただ、建前上3回のチャンスがあるとは言え、それは、「3回に亘って当事者からも話を聞いて慎重に検討して決定しましたよ」という既成事実を作ることにはなっても、そのプロセスの中で最初の決定が覆ることはめったにない。弟の例でも、一度目に特殊公務災害非該当との決定が下され、二度目の支部審査会への審査請求でもその判断が覆らなかった。私は二度目の支部審査会への審査請求時に意見書を提出しているが、その意見書への反論が、何度読んでも論理的に納得のいく内容ではなかった。にも関わらず結論が特殊公務災害非該当とされて審査請求が却下されているということは、これは非該当という結論だけが先にあって、その結論に合わせるために無理な理由付けをしているのだと私は考えた。

 とすると、恐らくこの先も一旦下された判断が覆ることは難しいだろう。そう思った私は、争い事に身を投じたままではいつまでも安寧な日は訪れないのではと思い、両親に、弟が最後まで頑張ったことは我々3人が一番よく知っているのだから、そのことを以て矛を収めるという道もあるのではないか、と言ってみた。しかし、両親は「これは子を亡くした親の戦いだから」と言って、諦めようとしなかった。そう言われてしまうと、私は「子を亡くした親」ではないし何も言えないので、その後は黙って推移を見守ってた。

 両親は支部審査会への審査請求の段階から、労働災害に詳しい土井浩之弁護士の助けも借りて、反論書の提出、そして口頭陳述を行った。支部審査会で審査請求が却下された後は、逆転認定に向けての最後の機会となる本部審査会での裁決に向けて、意見陳述の準備をしていた。そこではまさに無念の死を遂げた我が子の最後の働きに報いたいという親としての執念を感じた。

 そうしたところ、日本共産党の高橋千鶴子衆議院議員がこのことを知って、衆議院の予算委員会第二分科会の場で、弟の実名を挙げて取り上げてくれた。そしてまた、答弁に立った新藤義孝総務大臣も、判断の見直しに前向きな答弁をしてくれた。その後、地方公務員災害補償基金補償課長名で特殊公務災害の認定の取扱いについての事務連絡が発出されて、基金の方針転換を呼び、晴れて特殊公務災害該当という決定に至ったわけである。仙台市支部審査会とは異なり、宮城県支部審査会では地方公務員災害補償基金宮城県支部で不認定とされた特殊公務災害認定の申請について多数の逆転認定を行っていたが、それも後押しとなった。

 言ってみれば、両親の諦めない思いが動かないと思われた事態を動かした形になったわけで、わが両親のことながらお見事だったと思う。もちろん両親は、補償金の増額が目当てだったわけではなく、(兄の私と違い)人一倍優しく親思いでしっかり者だったわが子の生涯最後の仕事が、地域住民のために文字通り生命を賭して遂行したものだったということを認めてほしい、ただそれだけの思いで動いていた。新聞各紙のうち、河北新報には父親の、朝日、毎日、日経の各紙には母親のそうした思いのコメントが載った。

 この一連の動きを時系列で示してみると以下のようになる。

平成23年(2011年)12月6日:特殊公務災害認定の申請
平成24年(2012年)1月12日:地方公務員災害補償基金仙台市支部事務長より地方公務員災害補償基金補償課長宛に特殊公務災害の認定について照会
平成24年(2012年)6月26日:地方公務員災害補償基金補償課長より地方公務員災害補償基金仙台市支部事務長宛に特殊公務災害非該当との回答
平成24年(2012年)9月18日地方公務員災害補償基金仙台市支部長(仙台市長)が特殊公務災害非該当の決定
平成24年(2012年)11月5日:地方公務員災害補償基金仙台市支部審査会に審査請求、被災職員兄(=私)意見書提出
平成25年(2013年)1月22日:地方公務員災害補償基金仙台市支部長(仙台市長)より同支部審査会長宛に意見書に対する弁明書提出
平成25年(2013年)2月22日:弁明書に対する反論書の提出(土井弁護士)
平成25年(2013年)6月5日:地方公務員災害補償基金仙台市支部審査会にて口頭陳述(両親)
平成25年(2013年)8月29日:地方公務員災害補償基金仙台市支部審査会より審査請求棄却の回答
平成25年(2013年)9月20日:地方公務員災害補償基金審査会長宛に再審査請求、理由書提出(土井弁護士)
平成26年(2014年)2月26日:地方公務員災害補償基金審査会にて口頭陳述(両親、土井弁護士)
同日:高橋千鶴子衆議院議員が衆議院予算委員会第二分科会で質疑
平成26年(2014年)5月1日:地方公務員災害補償基金補償課長より地方公務員災害補償基金岩手県支部、宮城県支部、福島県支部、仙台市支部事務長宛に事務連絡「東日本大震災に係る特殊公務災害の認定の取扱いについて」が発出
平成26年(2014年)5月28日:地方公務員災害補償基金審査会より支部の処分と支部審査会の裁決を取り消す逆転裁決
平成26年(2014年)6月12,13日:新聞各紙、TVニュースが一斉報道

このように、震災の年の12月から始まって、逆転認定までには実に2年半近くにも及ぶ期間を要したのである。

 私は、申請から逆転認定に至る一連の経緯を書き留めておくことも、震災に関わる記録の一つとして必要と考えていた。にも関わらず、上の表で分かる通り、逆転裁決が出てから今まで、実に8ヶ月以上、なかなかまとめようという気にならなかった。その大きな理由は、基金仙台市支部の決定通知書と、支部審査会の裁決書を読み返すことが正直、嫌だったからである。これらを読むと、いまだにあの当時の何とも言えない複雑な感情が甦る。通じて当然と思った理屈が一向に通じないことへの焦り、苛立ち、全く筋の通っていない弁明に対する何とも言えない割り切れない気持ち、納得のいく理由がないにも関わらず決定が覆らないことに対する無力感など、できれば二度と体験したくない気持ちがこれらを読むとまたぞろ沸き起こる。そのことに心理的な抵抗があってなかなか資料を開く気にならなかったのである。…と言い訳しておく(笑)。

 しかし、いつまでもそのままにしておくわけにもいかない。時間が立てば立つほど、ディテールは曖昧になり、記憶も風化していってしまう。それではこの先同じような事態が起こった時に何ら役に立つ情報を提供できないことになる。そこで、とりあえず現段階で手元にある資料などを読み返しつつ、特殊公務災害認定に至る経緯をこれから何回かに分けてまとめてみたい。


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