2015年03月01日 

私的東北論その65〜阪神・淡路大震災と東日本大震災の間(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku-fukko32 「東北復興」紙の第32号が2月16日に発行された。今回は1月に起きた阪神・淡路大震災と3月に起きた東日本大震災の間の月ということで、阪神・淡路大震災から、東日本大震災を経験した我々が学べることについて考えてみた。

 今年は阪神・淡路大震災から20年となることもあって、改めてこの震災を振り返ろうという動きが随所で見られた。本文でも書いたが、この震災では東日本大震災とはまた違う地震の恐ろしさが浮き彫りとなっており、東日本大震災に遭遇した我々が改めて学ぶべきことも多くある。ことに、神戸市と同様に直下に活断層を持つ仙台市は阪神・淡路大震災クラスの地震に対する備えについて、再点検すべきであると思う。

 ちなみに、次の3月16日に発行される第33号の原稿の締切がもうそろそろなのだが、まだ何を書くかも決まっていないことは編集長の砂越氏には内緒である。(汗)


阪神・淡路大震災と東日本大震災の間

阪神・淡路大震災から20年
 1月17日は阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の発生から20年となる節目の日であった。3月11日は言うまでもなく、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震発生の日である。震災発生から20年の節目ということもあり、改めて阪神・淡路大震災について振り返る報道も多かった。そうした情報に接して改めて阪神・淡路大震災について考えさせられることもいろいろとあった。1月の阪神・淡路大震災と3月の東日本大震災の間にある今月2月は、そこを掘り下げてみたい。

阪神・淡路大震災と東日本大震災
 阪神・淡路大震災での死者は6,434名、行方不明者3名、地震の規模はM7.3であった。これに対して東日本大震災では2015年1月9日現在、死者は15,889人、行方不明者は2,594人である。地震の規模はM9.0でこれは世界の観測史上でも4番目の大きさである。地震の規模を示すM(マグニチュード)が0.1大きくなるとエネルギーは約1.4倍となるので、東北地方太平洋沖地震のエネルギーは兵庫県南部地震のエネルギーの実に約500倍に相当するわけである。
 
 では、阪神・淡路大震災の地震の規模をはるかに上回る地震を体験した東北地方の太平洋岸の我々が、阪神・淡路大震災から学ぶことは何もないのかと言えば、決してそのようなことはない。世界で4番目の地震に直面したからと言って、地震に関する全てを体験したわけではない。地震のことを全て分かったつもりになっていては、次に地震に遭遇した時にまた「想定外」という言葉を持ち出さなければいけなくなるに違いない。

 兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震、この2つの地震はその性格も、もたらした被害も、今さら言うまでもないが、全く異なる。もちろん、震災後のまちづくり、コミュニティづくりの面でいろいろと学ぶことはあるが、それは今までも事ある毎に指摘されてきており、ここでは取り上げない。一方で、防災対策という面から学ぶことはまだまだたくさんある。
 
 東日本大震災における死者・行方不明者の大半は周知の通り、大津波によるものであった。これに対して阪神・淡路大震災における死者のほとんどは建物の倒壊、それに大規模火災によるものであった。東日本大震災を経験した私たちは、阪神・淡路大震災で発生したこれらのことをほとんど経験していない。それは兵庫県南部地震が直下型の地震で、それに対して東北地方太平洋沖地震は海底を震源とする海溝型地震という違いによるところが大きい。
 
 もちろん、地震の規模の割に建物の被害が少なかったのは、特に宮城県は25〜40年に一度の周期で、宮城県沖地震に襲われてきたという経緯があったことも関係している。1978年の宮城県沖地震でもブロック塀の倒壊などによって28名の死者を出したこともあって、建物の耐震化も他の地域に比べれば進んでいたという要因も考えられる。しかし、それ以上に震源が市街地直下ではなかったということが大きかった。次にもし直下型地震に襲われる可能性があると考えれば、その時どのようなことが起きるかは、阪神・淡路大震災にその多くを学ぶことができる。

地震による建物倒壊と火災発生にどう対応するか
 先述のように、阪神・淡路大震災における死者の8割以上は、老朽化した住宅の倒壊による圧迫や窒息が原因であったとされる。これはほとんど東日本大震災では体験されていない。この阪神・淡路大震災で倒壊した住宅のほとんどは、1978年の宮城県沖地震を契機に1981年に改正された建築基準法の成立以前に建築されたものであったそうである。一方で、この改正された建築基準法の新耐震基準に合致した建築物には、震度7の揺れがあった地域であってもほとんど被害は見られなかったという。したがって、直下型地震による住宅の倒壊を防ぐ最良の手段は耐震補強である。特に、1981年以前に建てられた建物については、仮に震度7の地震が来ても人命を守れるように必要な補強や改修をすることが必要である。
 
 もう一つ、阪神・淡路大震災では、火災による被害も甚大であった。東日本大震災で発生した大規模な火災は「津波火災」、すなわち津波をきっかけに発生した火災が主であった。津波で破壊された石油タンク、建物やLPガスボンベ、自動車が主な出火原因と考えられるとされている。日本火災学会の地震火災専門委員会の調査によると、東日本大震災で発生した火災325件のうち162件が津波によるものであった。
 
 一方、阪神・淡路大震災当時、特に神戸市長田区では木造住宅が密集していた地域を中心に大規模な火災が発生した。消防庁の資料によると、地震後に少なくとも合計285件の火災が発生した。そのうちの7割は地震発生当日の火災であるが、地震直後の午前6時までに出火した件数は87件にとどまり、地震発生から一定時間が経過した後の火災発生が相当数あったことが分かる。地震翌日以降の出火もあった。これらの火災によって実に7,000棟を超える住宅が焼失し、焼損面積は80万平方メートルに上った。
 
 それにしても、いったいなぜ地震で火災が発生するのか。しかも、なぜ地震直後のみならず、一定時間が経過した後や翌日以降に火災が発生するのだろうか。阪神・淡路大震災における火災のうち、出火原因が判明したのは全体の約半数だが、そのうち最も多かったのが電気機器や配線に関係する火災であった。建物が倒壊したり、家具や家電が転倒、散乱したりする状況の中で、電気ストーブや照明器具が可燃物と接触したことにより、火災が発生したと見られている。また、地震翌日以降の出火では、送電の再開に伴うものがかなりあったという。地震発生後にはほとんどの地域で停電が起こった。その後、電気が復旧した際、通電状態となった電気ストーブや観賞魚用のヒーター、地震によって損傷を受けた配線から出火する火災が相次いだのである。電気関係の火災以外では、ガスコンロや石油ストーブ、仏壇のローソクからの出火が原因の火災もあったそうである。
 
 こうした経緯から考えるべきことは、地震発生時には使用中の電気機器類のスイッチを切る、避難時にはブレーカーを遮断する、地震後に電気機器を再使用する際には配線などの安全確認を行う、といったことである。また、日頃から電気機器のそばに可燃物を置かず落下物がないように配慮する、不要な電気機器のプラグは抜いておく習慣を身につける、ブレーカーの位置を把握しておく、といったことも必要である。地震を感知すると通電を遮断する感震ブレーカーも開発されているが、コスト高で普及していないのがネックである。なお、都市ガスやLPガスの方には震度5弱以上の揺れでガスを遮断する装置が必ず設置されているので、こちらの方はあまり心配する必要はないようである。

来るべき直下型地震に備えて
長町−利府断層の地震による想定震度分布図 東北地方太平洋沖地震は「1000年に一度の地震」と言われた。実際、これだけの規模の地震がこの地域を襲ったのは、869年のいわゆる貞観地震以来のことである。しかし、だからと言って、この地域がその間全く地震に襲われなかったということではない。今回の地震が起こる前に「津波は来ない」という誤った常識がまかり通っていた仙台平野を含め、東北地方の太平洋沿岸地域は、度々津波を伴った地震に襲われている。残念なのは、そのことが地域に十分伝承されていたとは言えないということである。
 
 したがって、これだけの人的な被害をこの地域にもたらす地震はあと1000年はやってこない、などとはとてもではないが言えることではない。個人的に、特に想定しておかなければならないと考えているのは、まさに兵庫県南部地震と同様の市街地での直下型地震である。
 
 よく知られていることだが、仙台市から利府町にかけては、「長町−利府断層」と呼ばれる、南北約40kmにも亘る活断層がある。この断層ではおよそ3000年に一度の割合で地震が発生していると考えられているが、前の地震は約16000年前以後だったとはされているものの具体的にいつだったか正確には分かっていない。

 この断層によって起こる地震の規模はM7.0〜7.5と、まさに阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震とほぼ同規模であると想定されている。この地震によって、旧仙台市のほぼ全域で震度6強の揺れが起こると予測されている。そうすると仙台市内でも特に建物が集中している地域が最も強い揺れに襲われることになる。予測される地震の規模と言い、市街地直下の震源と言い、ひとたびこの地震が起きればまさに、仙台市内は阪神・淡路大震災と同様の被害に見舞われる恐れがあるのである。このことがあまりよく認識されていないのではないだろうか。
 
 この長町−利府断層による地震が今後30年以内に発生する確率は1%以下と考えられており、それならばまず起きることはないと思ってしまいがちであるが、決してそうではない。兵庫県南部地震の30年以内の発生確率を地震後に計算してみたところ、0.02〜8%という結果になったそうである。つまり、発生確率が低いと言ってもそれは決して起こらないことを意味するのではなく、いつ起こるか分からないことを意味していると解釈すべきである。この市街地直下型の地震への備えが、特に今の仙台には決定的に足りないように思う。これこそ、阪神・淡路大震災に改めて学ぶべき最大のポイントであると考える。
 
 もちろん、今回同様の太平洋沖を震源とする地震に対する備えも怠るべきではない。東日本大震災を起こした東北沖の震源域で、プレートにかかる力の状態が早くも地震前と同じ水準まで回復していることを示唆するデータが得られた、とする発表が今月、筑波大とスイス連邦工科大などの研究チームからあった。復興は次の地震への対応と両睨みで進めるべきということである。
 
 地震予知連絡会は、東北地方太平洋沖地震時に、25〜40年周期でやってくる宮城県沖地震も同時に発生していたとの見解を発表している。すると次の宮城県沖地震は少なくとも四半世紀後かと思いたくなるが、実際には宮城県沖地震とされた地震の中には前の地震から数年しか経っていないにも関わらず起こっているものもいくつかある。

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは、まさにありふれた言葉が真実を突いていることの好例であるが、実際には、忘れてなくても「まだ来ないだろう」と油断しているうちにやってくるものでもあるのではないだろうか。阪神・淡路大震災と東日本大震災の間にある今の時期、もう一度天災に対する日頃からの備えについて振り返っておきたい。


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この記事へのコメント

1. Posted by のり   2015年04月12日 23:57
3 直下型と海溝型の違いの最大の要因は、揺れのスピードです。私は両方とも直に体感しましたが、阪神淡路の時の揺れは瞬間的に襲ってきて、破壊し尽くしたのはわずか10-20秒です。わずかなその間に逃げないといけませんが、(阪神淡路を体感した私からすれば)東日本はゆったりとした大きな揺れが長く続いたので、いくらでも身動き取れました。
これ、あまり語られてませんが、直下型と海溝型の揺れの違いを無視すると、対策はずれます。
直下型でブレーカーを落としてとか、不可能です。そんな悠長な時間ないです、家がつぶれないでも、家具やダンス、その中身がなどが崩れてくるまで、わずか数秒です、逃げるしかありません。
よく、原発は震災でも耐えた、問題は津波だとおっしゃる方いますが、直下型の地震の違いを理解してないなと思うばかりです。。
2. Posted by 大友浩平   2015年05月04日 00:22
のりさん、コメントありがとうございます。
直下型と海溝型両方のご経験をされたのですね。
体感的にも両者の揺れが全く異なるということがよく分かりました。
揺れの最中にブレーカーを落とすなどの動作はまず無理そうで、身の安全の確保が最優先ですね。
そうするとやはり感震ブレーカーが必要になってきますね。
それから建物の耐震構造についても、「震度7の揺れにも耐える」などの言い方がされますが、その中身はどのようなものなのか吟味が必要ですね。
こちらでもあの地震の折、栗原市が震度7を記録しましたが、死者は出ませんでしたし。
ぜひまたいろいろ教えてください。

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