2015年03月12日 

私的東北論その67〜震災から4年目の3月11日

150311-130028震災発生から4年目の今日は午後休みを取って、まず若林区役所へ行ってみた。

いつもある献花場がない、と思ったら、今年は若林区文化センターに会場が移動になっていた。




150311-131216同センターでは地震発生の時刻に合わせて追悼式も行われるようだったが、それには出ず、献花した後に区役所に戻り、折からの強い西風に背中を押されながら、自転車あの日弟が通ったであろう道を通って、一路荒浜へ向かった。
 




150311-133318県道塩釜亘理線沿いに「希望」という名前の茶房を発見した。

災害危険区域に指定されている荒浜地区でやっている店は恐らくここくらいだろう。

しかし、今日は休みのようであった。
 


150311-134956かつての深沼海水浴場の入り口付近に立つ荒浜慈聖観音。

今日はひっきりなしに人が訪れていた。
 
その深沼海水浴場は防潮堤工事のために現在立ち入り禁止である。




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移動販売車で石焼き芋を無料で配っている方がいた。

荒浜に来るのは初めてとのことだが、震災以来毎年この日は無料で石焼き芋を配っているとのこと。

「どうして無料で配ってるんですか?」との私の問いに、「いやぁ、だってみんなあっての私だから」なんて言葉がさらっと出てくる石焼き芋屋さん、素敵すぎである。
 
いただいた石焼き芋は、とても温かかった。
 
150311-140659その後、荒浜地区唯一の寺院、浄土寺で行われた追悼法要に出席。








150311-141942大人が数十人でかかっても倒すことなど到底不可能そうな大きな石標が横倒しのまま。

津波の凄まじさを如実に物語っている。

同寺は今年で創建から390年を迎えるそうだが、これからも毎年この日には追悼法要を営み続けるとのことである。


150311-153711昨年参加した地元の「HOPE for project」の風船リリースは、今年は追悼法要が終わる前に始まってしまったので間に合わずじまいだった。

「届いても 届かなくても 思いを伝えること」という同プロジェクトの趣旨は、その通りだと思う。

ちなみに、大空高く放った風船は、太陽光で自然分解され、落下したら土に還るエコバルーンだそうである。
 
会場となった荒浜小学校には、いまだ見上げる高さに津波襲来の痕跡が残っている。
 
150311-154549この界隈に津波が押し寄せた15時54分には、弟が見つかった南長沼に。
 
あの日、海の向こうから10mもの高さの水の塊がものすごいスピードで押し寄せてきた様を想像してみた。

強風が吹き荒れているにも関わらず、沼は波静かであった。



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帰りに立ち寄ったシベールの「仙台いちごケーキフェア」でどのケーキも美味しそうだったので全部買ってしまったり、今日も美味しいビールを1L缶で飲めたりするのも、生きていればこそのこと。
 
あの日思ったことは、昨日の次に今日が来て、今日の次に明日が来る、ということは、決して当たり前のことではないということ。

にも関わらず、その後、今日の次に明日が来る毎日が続いているために、迂闊にも、ついそのことを忘れがちなこの頃。

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明日はないかもしれない、と思って今日を生きること、その大切さを改めて思い起こさせてくれた、あの日から4回目の3月11日であった。


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この記事へのコメント

1. Posted by まお   2016年03月12日 00:01
すいません、今年のブログがなかったので、こちらに書かせていただきます。
5年経ちました。
1番に広報車に乗り避難を最後まで訴えた純平さん、私は忘れません。
他の市町村職員は
天使だとか女神だとか言われて注目されていたのに、一切報道されていないのも悔しいです。
いつも優しく仕事が出来ない私に先回りして資料作ってくれたこと、たぶん、震災当時も一人でも多くの人を救うことで頭がいっぱいだったと思います。
止めても、引き止めても行ったと思います。
そういう人でした。
泣いても戻ってこないですが、本当にありがとうといいたいです。
私は未だに仕事できる職員ではありません、大友さんに教えてもらったこと、未だにできません。
でも、大友さんのことは絶対、絶対に忘れません。
どうか、純平さんにお伝えください。
私は一生忘れません。
2. Posted by 大友浩平   2016年03月16日 12:43
まおさん、ご無沙汰です。
コメントありがとうございます。
今年の震災関連の投稿は翌日になってしまいました(汗)。
そうですね、報じられる人、報じられない人、様々ですが、少なくともこのブログでは今後も弟のことを発信していきます。
弟のこと、忘れないでいてくれて、本当にありがとうございます。
未だに仕事できる職員ではない、とのことですが、それでもきっと、弟と仕事をしていた頃と比べれば、随分たくさんのことができるようになっているのではないですか?
弟がまおさんの今の仕事ぶりを見れば、恐らくそんなようなことをもっと的確な表現で言っていたことと思います。
弟が愛してやまなかった仙台の街、そこでのお仕事、ぜひこれからもできることを少しずつ増やして、続けていっていただけたら、と思います。

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