2016年05月20日 

私的東北論その81〜東北の来し方行く末をウェールズに学ぶ(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 2月16日発行の「東北復興」第45号では、東北とイギリスのウェールズに共通するものについて考えてみた。イギリスの中で言うと、地方分権絡みではスコットランドに注目が集まるが、実はウェールズは東北にとってとてもシンパシーの感じられる国だということが分かる。

 以下がその全文である。


東北の来し方行く末をウェールズに学ぶ

4つの国からなる「イギリス」
 我々が「イギリス」と呼ぶ国は、正式にはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国と言う。連合王国と言う通り、ロンドンを抱えるイングランドの他にスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4か国で構成される国である。サッカーやラグビーのワールドカップなどではこれら4か国が別々に出場するので、ユニオンジャックとは異なるそれぞれの国の国旗を見る機会も多い。

 よく東京の一極集中が指摘される日本から見ると、「イギリス」を構成する4か国はそれぞれが一つの国ということで日本よりもはるかに分権が進んでいるように見える。実際、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドには議会が設置され、制限はあるものの立法権を持っている。

 国内で地方分権の拡大、地方自治の拡大を推進しようとする人の間ではその中でもとりわけ、スコットランドの取り組みに注目が集まることが多い。2014年のスコットランド独立住民投票は世界的にも大きな注目を集めたが、分離独立までは考えていなくても、スコットランドにおける自治権拡大に向けた動きは、わが国で中央集権国家から地方分権国家へ移行させようとする、主に地方にいる人たちにとっても参考になるものと映る。実際、北海道などは平成15年にスコットランドを視察し、その結果を「スコットランドの分権改革に関する調査研究報告書」という詳細な報告書にまとめている。

東北はスコットランドではなくウェールズ
 さて、私には東北の主だった都市、それは県庁所在地に限らず地方都市も含むが、だいたいよく行く飲み屋がある。大抵は美味しいビールが飲める店で、それらは拙ブログでも紹介しているが、先日山形市の行きつけの店の一つで飲んでいたところ、かつてその店で意気投合した佐藤 明氏と数年ぶりに再会した。佐藤氏は、好きなアーチストがたくさんいるという理由から、ウェールズに造詣が深かった。

 その佐藤氏が言うには、「東北はスコットランドではなくウェールズではないか」ということであった。独立を求める住民投票を実施するようなあのスコットランドの押し出しの強さは、我らが東北ではなく、むしろ関西に通ずるのではないか、とも言った。なるほど、確かに、世間の注目を集め、一気呵成に物事を進めていく様は、前・大阪市長の橋下 徹氏のイメージとも重なる気がする。

 ただ、正直なところ、私はウェールズについて明確なイメージを持ち合わせていなかった。せいぜい首都がカーディフであることと、イギリス皇太子が「プリンス・オブ・ウェールズ」と称されることと、あとはアーサー王伝説くらいである。しかし、考えようによっては、そのように、世界の耳目を集めるスコットランドと比べても明確なイメージがあまり湧かない慎ましやかなウェールズは、何か我らが東北に相通じるものがあるようにも思える。

ウェールズと東北に共通するもの
 そこで遅まきながらウェールズについて調べてみた。調べてみると、東北と共通するような事柄がけっこうあることに気づく。国土の面積は20,716屬如日本で言うと四国4県に東京都と合わせたほどの大きさである。人口は2011年の統計で約306万人である。その年のイギリス全体の人口は約6,318万人なので、ウェールズの人口はその約4.8%でそれほど多くないわけである。

 ちなみに、2015年現在の東北六県の人口は約897万人で、日本全体の人口は1億2,688万人であるから、東北人の占める割合は約7.1%である。まあ、ウェールズも東北もどちらも「少数民族」ではある。

 東北人から見て最も共感できそうなのはそのルーツである。ウェールズ人のルーツは、ノルマン人やサクソン人が侵略してくる前からブリテン島に住んでいたケルト系のブリトン人である。ウェールズは古代から度々ブリトン人の後にブリテン島に渡ってきたノルマン人やサクソン人の侵攻を受けてきた。ウェールズはその都度強硬に抵抗し続ける。ウェールズに侵攻してきたサクソン人を撃退したというブリトン人の王、アーサー王は、東北で言えば蝦夷のリーダーだった阿弖流為(アテルイ)か安倍貞任に比せられるかもしれない。

 しかし、こうした抵抗もついにその終焉を迎え、1282年、ルーワリン最後王がエドワード一世に敗れて討ち死にし、ウェールズはイングランドの支配下に置かれるのである。この辺り、源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の話を彷彿とさせるものがある。ただ、すごいのは、イングランド支配下に組み込まれてもウェールズはその独立性を失わず、決してイングランド人に同化されることはなく、むしろこの地に進出してきたイングランド人が逆にウェールズ人化していったということである。

 そうしたこともあって、ウェールズには、ウェールズ人独自の文化が今も色濃く残っているそうである。キリスト教伝来のはるか前から、ウェールズにはドルイド僧を中心とする宗教があり、自然物のなかに霊魂が宿ることや輪廻転生があることなどが信じられていたという。この辺りは万物に神が宿るという日本の神道や、因果応報によって輪廻転生があるという仏教の思想に近いものが感じられる。

 言葉に関して最も親近感を覚えたのはそもそもの「ウェールズ」という言葉である。「ウェールズ」とは、ウェールズを征服したサクソン人の言葉「ウェリース」が元で、その意味は「よそ者」だそうである。ここはまさに大和朝廷に「蝦夷」と呼ばれ蔑まれた東北にそっくりである。ちなみに、ウェールズ語ではウェールズのことは「カムリ」と言うそうで、これは「同胞・仲間」という意味だそうである。

 もう一つ、ウェールズでは古代から「ウォルシュ・ゴールド」と称される金が産出した。今では底をついてしまったそうだが、今もあるウォルシュ・ゴールドはプラチナよりも希少価値が高いとされているそうである。これも古代中世における一大産金地であった東北と共通する点である。

東北に住む者みな蝦夷
 先に触れたように、今の東北地方に住む人はかつて蝦夷と呼ばれた。よく議論されることに、蝦夷はアイヌ民族と同じか否かというものがある。それについての結論はまだ出ていないが、個人的には、イコールではないものの、蝦夷の中には後にアイヌ民族と呼ばれることになる一群もいたのだろうと思う。しかし、それだけではなく、いわゆる大和民族もいたはずである。稲作の遺跡が東北の北端、青森県内でも見つかっていることから、渡来系の弥生人が東北まで北上して定住していたことは疑い得ない。一方で、アイヌ語で説明できる地名が東北には数多く残っていることから、アイヌ民族と同族がいたか、あるいはアイヌ民族そのものが南下してきたかして、そうした一族がいたことも確実である。要は、そうした多様な民族が当時の東北にはいて、それらの人が後に朝廷から征服する対象として十把一絡げに蝦夷と呼ばれたというのが真相ではなかったかと思うのである。

 すなわち、蝦夷というのはある特定の民族のことを指すのではない。まさに、東北に住み、東北の人間であることを自覚する人が蝦夷なのである。この辺り、ウェールズに進出してきたイングランド人さえもウェールズ人化させていったというウェールズとも通ずるものがあるように思う。戦乱に明け暮れた、そしてそれはほとんどすべて外から攻められたことによる戦乱だが、そうした東北に百年の平和をもたらした奥州藤原氏は、元をたどれば京の摂関家の藤原氏に連なる一族である。だが、その初代清衡は自らを、本紙第41号でも紹介したが、中尊寺供養願文の中で「東夷の遠酋」(東の果ての蝦夷集団を束ねる遠い昔からの酋長の家柄に属する者)、「俘囚の上頭」(朝廷に服属する蝦夷集団の頭領)と称した。奥州藤原氏の全盛期を築いた三代秀衡さえも、京の摂関家藤原氏の九条兼実から「奥州の夷狄(未開の蛮人)」と呼ばれている。自他ともに認める蝦夷だったわけである。

蝦夷の末裔であることを誇りに思おう
 沖縄の人は自分たちのことを「うちなーんちゅ」、九州以北の人のことを「やまとんちゅ」と呼ぶが、「やまとんちゅ」とは「大和人」ということなので、住む人がその大和人に蝦夷と呼ばれた地である東北にいる身からすると、「やまとんちゅ」と言われることにはちょっと違和感を覚えたりする。この辺りは、ウェールズ人が自らをイングランド人とは全く別と考えていることに少し通ずるところがあるかもしれない。

 思えば、奥州藤原氏はそうした「やまとんちゅ」に対する蝦夷からの強烈な自己主張だった。中尊寺供養願文の「東夷の遠酋」、「俘囚の上頭」という言葉、これは従来、清衡が自分の立場を卑下して「中央」の天皇家、摂関家を立てるためのへりくだった表現だと言われてきたけれども、実はそうではなかったのではないかと思う。清衡は誇りを持って自らのことを「東夷の遠酋」、「俘囚の上頭」と称していたのではないかと思うのである。清衡はここで自分を、朝廷の支配する地域とは異なる国のリーダーであることを高らかに宣言したのではないだろうか。これまた第41号で書いたが、奥州藤原氏は、天皇家の祭神の伊勢、摂関家藤原氏の祭神の春日、鎮護国家の軍神で源氏の祭神の八幡、蝦夷征伐の神の鹿島・香取などは一切平泉に入れなかった。奥州藤原氏は摂関家藤原氏に連なるその立場よりも、蝦夷のリーダーとしての立場を取ったのである。

 そうそう、蝦夷とは元々は強い者、荒ぶる者を指し、それがやがて朝廷に従わない者、朝廷の文化とは異なった文化を持つ者を指すようになったという説がある。とすれば、それはむしろ東北に住む人間にとっては褒め言葉とも言えるのではないだろうか。その蝦夷の末裔であることを、今東北に住む一人として誇りに思いたい。過去を受け継ぐ者が今どうあるか、ウェールズには今後さらに学びたいものである。


anagma5 at 23:54│Comments(0)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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