2017年03月23日 

私的東北論その92〜奥会津に学ぶ地域の支え合い(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 12月16日に発行された「東北復興」第55号では、11月に参加した「第4回町内・集落福祉全国サミット in 奥会津」で見聞きしたことについて紹介した。奥会津の町村は、全国でも屈指の高齢化率の、いわば日本の最先端を行っている地域であるが、そこにあったのは住民同士のゆるやかかつ自然な形での支え合いであった。「限界自治体」などと称される奥会津の町村だが、高い高齢化率、決して充分とは言えない医療介護資源といった制約条件を超えて地域が生き延びていくためのヒントが随所にあった。
 以下がその全文である。そうそう、第5回の全国サミットは、今年11月25、26日に淡路島で開催されることが決定した。


奥会津に学ぶ地域の支え合い

奥会津で開催された「全国サミット」

 11月26日(土)、27日(日)に奥会津4町村で「第4回町内・集落福祉全国サミット in 奥会津」が開催された。今回、会場となった4町村のうち、メイン会場となる金山町は高齢化率が実に59.7%、交流会と分科会が開催された2つの町村、昭和村が55.3%、三島町が51.4%と、高齢化が進んでいる東北の中でも、奥会津のこれらの3町村だけが高齢化率50%超のいわゆる「限界自治体」とされている。

 この全国サミットは、人口減少や高齢化が進む中、新しい福祉制度の効果的な運用や地域の福祉・生活課題について、全国の先進的な事例を学び、その解決に向け検討することを目的に、福祉関係者や行政関係者らを対象に年1回開催されている企画である。

 その第4回がこの奥会津で開催されたことはとても意義深かったと思う。奥会津は高齢化、人口減少が進む一方、医療や介護の地域資源は決して十分とは言えない地域である。豪雪地帯でもある。にも関わらず、そこに住む人々が生活を続けていけるのには訳がある。この地域では、人々の日常のつながりと支え合いがその生活を支えているのである。

 現在、「地域包括ケアシステム」という、団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、たとえ重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される仕組みが市町村ごとに構築されようとしているが、奥会津の日常のつながりと支え合いは、この地域包括ケアシステムの構築にとって大きなヒントを与えてくれそうな取り組みなのである。

 人口の半分以上が高齢者で占められるというこの地域は、ともすると地方の衰退の象徴と見られがちかもしれない。ところがそうではないのである。今回はこの奥会津における、つながりと支え合いの実際について、全国サミットを通じて見聞きしたことを中心に紹介していきたい。

昭和村における支え合いの例

 以前、宮城県主催の地域包括ケアシステム関連の会合を取材させていただいたことがある。その折に、今回の開催地の一つである昭和村の事例発表を聞いたが、そこでの地域の人たち同士の支え合いの仕組みがとても印象的であった。

 例えば、同村内の野尻地区では、新聞は集落の一角にある「集合型新聞受け」に配達され、毎朝そこに新聞を取りに来なければならない。一見不便なようだが、それが支え合いにつながっている。新聞が配達される時間帯には住民が新聞受けの場所に集まってくる。そこで毎朝井戸端会議が自然発生的に行われる。取りに来ない人の家には誰かが新聞を持って訪ねていくので、安否確認にもなる。

 この野尻地区に商店は一軒あるだけだが、この商店もまた集落の人の集う「サロン」になっている。店主は81歳の女性だが、お店に来る人にお菓子や料理をふるまい、皆売り場の奥にある居間でお茶飲みをしている。お店に来る人もそこで買い物をするのはもちろん、野菜や山菜を差し入れたりする。顔なじみの客がしばらく姿を見せないと店主や常連客が電話や訪問で様子を伺う。

 このように、お互いの支え合いが実に自然な形で行われているのである。

「便利さが豊かさなのではない」

 今回の全国サミットでは、初日は金山町を会場に、基調講演、基調鼎談、活動発表とディスカッション、パネルディスカッションが行われた。開会で挨拶した町長の長谷川盛雄氏の「ないものねだりでなく、あるものを磨き上げる。ここにしかないものを磨き上げて全国に発信したい」との言葉はとても印象的であった。

 基調講演で内閣官房の「まち・ひと・しごと創生本部」で総括官を務めた山崎史郎氏がいみじくも「『地域づくり』と『人の支え合い』は、実は同じことを言っている」と言っていたが、ここ奥会津で展開されているのはまさにそうしたことである。山崎氏によると、人口減少地域の地方創生には地域資源の洗い出しとその最大活用などいくつかの共通点があるという。長谷川町長の主張通りである。奥会津のような地域でこうしたことが進んでいる背景には、地域全体の危機感がある。他人任せではなく、自分たちで何とかしないと日々の暮らしが守れないのである。この点、都市部にはこの危機感がまだ薄いと言わざるを得ない。

 「奥会津の暮らしに学ぶ、支え合う地域づくりのコツ」と題した活動発表とディスカッションでは、今回会場となった4町村における地域活動の一端が、当事者の口から語られた。三島町の小柴ヨシノ氏は、代表を務める「西方カタクリの会」の取り組みを発表した。会では廃校となった小学校を宿泊研修施設として再活用している。「社員」は地域の高齢者ばかりだが、地元食材を使った郷土料理や温かいもてなしが好評で、それが皆のやりがいにつながっているそうである。小柴氏の「小さなことでも人の役に立つ、地域の役に立つことをやりたい」「お互いに自分の能力を発揮できる環境で、自分のできる範囲でやっていくことが大事」との言葉が印象的であった。

 金山町の「山入近隣会」という会の一員である栗城英雄氏は、山入地区における集落営農による集落の維持と活性化について語った。農作業の他、水路や道路の保全、道路脇の花壇整備、旅行といった取り組みを通じて活発に交流して孤立を防いでいる。9月に開催する芸能発表会の最後を飾る山入歌舞伎は町内外から多くの観客を呼ぶ。11月の農作物品評会には自分たちの自慢の作物が200点近く集まり、そこで表彰されることが農作物づくりのやりがいにもつながっているという。栗城氏は、「身の丈に合った自分にできることをやっている」としつつ、「誰でも一歳ずつ年齢を増していくが、住んでいる地域で最後まで暮らしたい。そのために、お互いを理解し、支え合い、年をとっても楽しく暮らしていけるよう集落全員で取り組んでいきたい」と結んでいた。

 昭和村の野尻集落の山内常一氏は、「地域の景観をよくしたい、地域に貢献したい」と設立された野尻営農生産組合における耕作放棄地の農地再生作業についても紹介した。その思いとして山内氏は、「荒れた土地を畑にしておけば、都会から来た人が定住しても野菜を作ることができる」「県外にいる家族たちが安心して暮らせるように、『田舎は我々が守っているよ』と伝えつつ、いつでも帰ってこれる状態をつくっておくことが自分たちの課題」と語っていた。何より印象的だったのは、「便利さが豊かさなのではない。たとえ不便でも周りで助け合うことが豊かさだ」という言葉である。都市部に住んでいると、こうした地域での暮らしについてともするとよく事情を知りもせずに「不便そう」、「大変そう」などと考えてしまいがちだが、それは決してその地に住んでいる人の実感ではないのである。

 会津美里町の斎藤やよい氏は、毎月「日々草クラブ」という会を開いている。使われていなかったコミュニティーセンターを活用し、「身近な場所にたまり場」をつくろうと始めた。料理、手芸、歌、体操など、参加者が自分たちで活動計画を立てて活動しているが、毎回最後はお茶飲みの時間を設けて、会話を楽しみながら交流を深めている。斎藤氏は、こうした取り組みは「硬く考えないで1人、2人からでも肩ひじ張らずに気軽に始める」のがよいとして、「常日頃の積み重ねでコツコツやっていきたい」と語っていた。

「お茶飲み」を中心とした支え合い
 2日目は4町村に分かれての分科会だった。私が参加した金山町分科会のテーマは「日常のつながりに注目!〜超高齢化社会を生き抜くヒントは、地域の中の小さな支え合い〜」で、金山町内の本名地区、西谷地区の西谷あゆみ会、越川・西部地区の住民の方々が登壇した。

 町内の各集落では、日々の「お茶飲み」を中心とした、自然な形での住民同士の支え合いが行われていた。そのうちの一つ、本名地区でご自宅が近所の住民の「お茶飲み」の場になっている御年86歳の渡部ツトム氏の「こんないいところに来ていただいて、私たち最高に幸せです」という言葉がとても印象に残った。東北人はとかく謙遜しがちなものだが、自分たちがいいと思っているこの地域をいいと言って、たくさんの人が訪れたことへの感謝も伝えるという渡部氏のこの言葉からは、ご自分が住む地域への限りない愛着が感じられた。

 81歳の渡部英雄氏は、地域の300世帯のガスの検針を行っていて、その際に必ず住民と「お茶飲み」をし、頼まれれば電池や電球の交換、買い物代行なども行っている。また、自分が近くの温泉に行く際には近所の住民も誘い、会津若松まで足を運ぶ際には通院する必要のあったり買い物をしたかったりする住民を同乗させる。渡部氏は、「皆さんの御用ができる限りはお役に立ちたい。毎日毎日が楽しく、明日のことは考えず今日健康に過ごせればいいと思っているが、こうしたことができるのは健康そのものだと喜んでいる」と言っていた。

 分科会の開催に先立って金山町副町長の山内建史氏は、「互いに思いやれる、気に掛ける、一人ひとりが必要とされ、大切にされる風土がここにはある。これは地域における一つの『処方箋』だ」と話したが、金山町内における取り組みからはまさにそうした気風が感じられた。

奥会津に学ぶ地域づくり

 ここまで見てきた奥会津における取り組み、すべてそこに住む人同士のつながりから始まっていることが分かる。そしてまた、異口同音に言うように、そこに住む人が自分のできることをできる範囲で、肩肘張らずに自然体でやっていることも特徴的である。

 先に紹介した通り、奥会津の町村は東北でもとりわけ高齢化が進み、いわば未来の日本の姿を先取りしている地域であるが、そこでのこうした支え合いの仕組みは他の地域にとってもきっと参考になるのではないかと思われる。何より、登壇した地元の方のほとんどは70代、80代である。この地で一番元気なのは実にこの年代なのだと考えると、これからの日本でお手本にすべきはまさにこの地域なのではないかという気がする。活動発表をされた4町村の方々の生き生きとした様子がとても印象的で、結局地域づくりというのは、地域にこうした表情をする人が多くいることなのだと強く感じさせられた2日間であった。


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