2017年07月31日 

私的東北論その95〜震災から6年ということ(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 だいぶ間が空いてしまい、その間、またしても「東北復興」紙に寄稿した記事の再録が滞ってしまっていた。以下は3月16日に刊行された「東北復興」紙第58号に寄稿した原稿の全文である。この時期はどうしてもやはりこの話題である。


震災から6年ということ

6年という歳月

 今年の3月11日で、東日本大震災の発災から丸6年になる。先日、同じ仙台市内に住む知り合いと打ち合わせの日程調整のやり取りをしていて、「3月11日は空いてますか」と聞かれた。その日は静かに故人に思いを馳せる日にしたいので、そのように返事したところ、「そう言えばそうでしたね」という答えが返ってきた。別にその人が無神経というわけではない。震災から6年という年月は、そのような時間だということである。

170310-025005 他人事ではない。私の左手首にはいつも水晶のブレスレットがある。震災で亡くした弟の遺体が地震発生からちょうど49日目に見つかって、これでようやく葬式をあげることができるとなった時に、手元に数珠がないことに気づいた。どれだけそれまで、死から縁遠い日常を送っていたのかと思ったが、ともあれ急いでお気に入りの石である水晶で数珠を作ってもらった。その時余った水晶の玉でブレスレットを作ってもらったのである。

 弟の死を忘れないように、そして、いつ死がやってくるか分からないということを忘れないようにという意図を込めて、その日以来、このブレスレットを肌身離さず身につけてきた。ところが、先日、温泉に行った時に、なんと脱衣所にこのブレスレットを忘れてきてしまった。すぐに思い出して取りに戻って事なきを得たが、我が身にしてそうである。そもそもこのブレスレット、震災から6年が経って、毎日身につけることは習慣になってはいても、これを見て死を意識するということは本当に少なくなってきているのを感じている。


3月11日に行われるイベント
 仙台市内では、2年前に開催された国連防災世界会議をきっかけに昨年開催された「仙台防災未来フォーラム」が、今年も3月12日(日)に仙台国際センターを会場に開催される。フォーラムでは、震災経験の伝承、地域防災の次代の担い手づくり、人々の多様性と防災などのさまざまなテーマから、「伝える」ことの大切さや今後の課題について理解を深め、経験や教訓を世界へ、そして将来へどのように受け継いでいけばよいのかを考えることとなっている。

 このフォーラムには今年も足を運ぶつもりで、恐らく来月のこの欄でその模様を紹介できると思うが、このフォーラムに伴って開催される関連イベントの中に、フォーラムの前日の11日に開催されるものがかなりある。もちろん、震災のその日に震災について考える趣旨のイベントを開催することを否定するものではないが、私としては追悼のための行事ならともかく、先に書いたように震災当日は静かに故人を偲ぶ日にしたいと思っているので、震災当日に開催されるこのようなイベントには、恐らく今年も、これからも、ずっと参加しないだろうなと思っている。

 来年は3月11日が日曜日となる。この「仙台防災未来フォーラム」も来年は3月11日に開催されてしまうのだろうか。願わくは、来年はどうか3月11日以外の別の日曜日の開催となることを。


「カレンダー記事」の功罪
 毎年この時期になると、新聞やテレビで東日本大震災関連の記事や特集番組が増える。このように定期的に報じられる新聞記事のことは「カレンダー記事」、「あれから何年もの」と呼ばれるようである。ジャーナリストの烏賀陽弘道氏や作家の相場英雄氏はこうした「カレンダー記事」を批判している。烏賀陽氏は、カレンダー記事はその日が来たら自動的に記事が発生するので記者の能動性を奪うものとし、「思索を深めるための記事がいつの間にか自己目的化」していると批判する。相場氏も、カレンダーに合わせた取材態勢が継続されることから、関連する報道が逆にその時期まで減ってしまうことを批判する。特に相場氏は「在京の大メディア」にその傾向が強いとして、逆に岩手、宮城、福島の地元紙、テレビのことは、「自らが震災の被害に遭っている上に、身内同然の同胞が苦しんでいる姿を、地元メディアは今も追っているのだ」と、その報道姿勢を高く評価している。

 確かに、岩手日報や河北新報、福島民報、福島民友などは、「カレンダー」によらず継続的に震災関連記事を配信している。ただ、必ずしも地元だけではなく、例えばNHKは「東日本大震災プロジェクト」を組んで、「明日へ つなげよう」を合言葉に6年前から変わらずに震災関連の番組を提供しているし、最近では朝日新聞も「てんでんこ」というタイトルで、東日本大震災を中心に「日本の『いま』と『これから』を見つめ直して」いくという趣旨の連載記事を毎日掲載している。

 考えてみれば、地震発生から6年が経って、多くの地域で復興はまだ道半ばという状況ではあっても、日常押し寄せるたくさんのニュースがそうした東北各地の状況の上に積み重なっていく現状では、自ずと震災関連のニュースは少なくなっていかざるを得ない。その意味では「自動的に記事が発生する」という「カレンダー記事」であっても、毎年定期的に震災のことを多くの人に思い出してもらえるきっかけにはなるのではないかと思う。


復興「てんでんこ」
 「てんでんこ」という言葉については以前この欄でも取り上げたことがあるが、元々は、「てんでんばらばらに」の意味で、地震が来たら一人ひとりが必死で逃げろという三陸沿岸に伝わる教訓である。震災から6年を迎えるに当たり、そこから一歩進めて、一人ひとり震災について考える、一人ひとりこれから先の生き方を考える、という意味での「てんでんこ」があるのではないだろうか。

 震災以後、一人ひとり置かれた状況は全く異なる。衣食住を取り巻く環境も全く違う。仙台市や宮城県岩沼市のように、仮設住宅が全てなくなった地域もあれば、岩手県の釜石市や大槌町、山田町、陸前高田市のようにいまだ3,000人前後の人が仮設住宅での暮らしを続けている地域もある。

 避難指示区域を抱える福島県の浜通り地域の町村では、避難指示区域が昨年9月時点で3分の2にまで減少しており、この春に飯舘村、川俣町、浪江町、富岡町にある地域が解除されればさらに避難指示区域は減少するが、解除イコール復興ではない現状がある。先日、浪江町に行ってきたが、そこで目にした「町おこしから町のこしへ」の文字は胸に突き刺さった。震災前はいかにして町おこしをするかを考えていた。ところが、震災後は「おこす」前にいかにして「のこす」かを考えなければいけない状況に置かれてしまったわけである。

 このように、当然地域によって状況が全く異なるわけで、そうすると当然そこに住む人の心持ちもそれぞれ異なる。その胸の内は、そこに住んでいるその人にしか分からない。十把一絡げにして、「被災地の復興は」などと語ることはもともと不可能なのだ。

 未曽有の大災害を経て、何かを参考にしてということも難しいし、この先どうしていくのがよいのかの答えが見えているわけでもない。だからこそ、「てんでんこ」なのである。一人ひとりがそれぞれ自分のこれからを考える。自分にとってどうなることが復興なのか、そのために今何をしていくのがよいのか。

 一人ひとり、目指すところは違っても、また歩み具合は違っても、少なくても目指すところに向かってちょっとずつでも歩いていれば、その積み重ねが復興になるのではないかと思う。もちろん、疲れたら休めばいい。道のりは長い。飛ばし過ぎれば息切れする。目の前にあることを、一つずつ、少しずつ、である。


忘れることと忘れてはいけないこと
 震災から時が経つにつれて、震災のことが忘れられてしまうことへの懸念がある。しかし、どんな出来事であっても記憶の風化、忘却からは免れ得ない。他地域の人のみならず震災を体験した人であっても、つらい体験をそのままの形で抱えてその先を生きていくことはしんどいことである。忘れることは人間の偉大な能力であるともいう。そう考えれば、冒頭に紹介した知り合いは、3月11日イコール震災という束縛を超えて、すっかり震災前の日常に戻れたのだ、と解釈することもできるかもしれない。

 ただ、忘れることはできても、なかったことにすることはできない。たくさんの人が亡くなったあの震災から得た教訓だけは、しっかりとこの地の次の世代に引き継いで、また他の地域の人にもしっかりと伝えて、二度と同じような被害が起きないようにしていかなければならない。

 その意味では、先に紹介した「仙台防災未来フォーラム」はとてもよい取り組みであると思うし、各地域における震災遺構の整備も本当に意義のあることであると思う。忘れられることを心配するより、本当に忘れてほしくないことを発信し続けること、それこそが大切なのであるに違いない。

 私としても、ここでこの時期にこのように書いていることが「『カレンダー記事』じゃないか」と言われないように、これからも震災のことは折に触れて発信し続けていきたいと思う。


anagma5 at 23:42│Comments(0)clip!私的東北論 | 震災関連

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