2017年08月03日 

私的東北論その98〜斉藤竜也さんのこと(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 6月16日に発行された「東北復興」紙の第61号には、前月の5月に急逝した青森の斉藤竜也さんのことについて記した。生きていればきっと、青森をもっともっと変えていったことだと思う。本当に残念である。しかし、死がすべての終わりでないということをも、斉藤さんは教えてくれた気がする。以下がその時書いた全文である。


斉藤竜也さんのこと

12640273_447731762094105_277118839127586074_o 今回は東北・青森に生きた一人の人について書いておきたい。

 斉藤竜也さんは北海道出身の37歳。大学院を修了した後、青森市の介護事業所へ就職。ヘルパーステーションの管理者として仕事をする傍ら、「Link with」という任意団体を立ち上げて活動していた。

 「Link with」は、青森市内の医療職や介護職つないで仕事でも連携できる関係性を構築する場をつくることで、そこに住む人が医療や介護が必要になった時に切れ目なくよりよい医療や介護を受けられる地域をつくろうとしていた。

 設立は2014年9月、そこからわずか2年8か月の間に、「Link with」は少なくとも15回のイベントを開催し、地域をつくるたくさんの人と人とをつなげてきた。「Link with」は「つなぐ」、「結びつける」、「きずな」の意味だという。青森県はかねてから、団塊の世代が75歳となる2025年に向けて、「保健・医療・福祉包括ケアシステム」を構築しようと取り組みを進めていた。その実現のためには、保健、医療、福祉それぞれの関係者が自らの枠を超えてつながり、連携していくことが必要となる。「Link with」はそうした面においての「つながる機会の創出」を会の目的としていた。

 斉藤さんは「Link with」のブログにこう書いていた。

「同じ職種や分野、職能団体で顔を合わせたり研修をする機会はそれぞれあるしネットワークもないわけではないけれど、それを越えて情報交換をしたり集まる機会はほとんどないよね。だとしたら、飲み会からでもいいからそういう場を作れたら、もっと地域に自分たちができることを探っていけるし自分自身の幅にもなっていくよね。じゃぁ、まずは自分たちのお知り合いに声をかけて、交流会をしてみよう!!」

 北海道から青森に来たということで元々の知り合いが少なかったであろう斉藤さんはきっと、地元の人以上に知らない者同士がお互いがつながることの重要さに気づいていたのだろう。仲間と共に「Link with」を立ち上げ、2014年11月15日に「Link with」として初めての「福祉と医療の情報交流会」を開催した。そこには行政、医療、福祉関係者ら52名が集まった。今までになかったつながりが生まれた瞬間だった。

 実は、斉藤さんが立ち上げた「Link with」と同じような活動をしている団体が仙台にもある。「ささかまhands」という団体である。「ささかまhands」は「Link with」ができる前年の2013年3月に設立された。仙台での地域包括ケアシステムの具現化を目指し、そのために多職種がスムーズに連携できるよう、各種交流会や研修会を企画していた。

 代表の須藤健司さんは、そうした取り組みについて、2014年3月に開催された全国介護事業者協会(民介協)の「第8回全国事例発表会」で発表していたが、その発表を斉藤さんが会場で聞いていて、終了後須藤さんに声をかけて、青森でも同じようなことをやりたいんだと話したそうである。

 翌2015年2月7日、その「ささかまhands」が主催した「自分らしい暮らしが出来る仙台を考えるシンポジウム」が仙台市内で開催され、そこに斉藤さんも参加した。この時のことについて斉藤さんは、自身のfacebookで、「ささかまhands、シンポジウム(総勢250名の参加)と懇親会(総勢100名の参加)と参加させていただきました!いや〜規模がでかい!」と綴っている。私はこの場で斉藤さんと初めてお会いした。自分の住んでいる地域をよりよいものにしたいという思いが言葉の端々から感じられて、初対面ながらすっかり意気投合した。

 その後、斉藤さんは青森でほぼ2〜3ヶ月に1回のペースで多職種が集う会合を企画した。毎回キャンセル待ちが出るくらいの盛況で、青森の多くの専門職がこのような場を求めていたことが如実に表れている。

 青森県内では、こうした様々な専門職による自主的な団体が相互に交流する集い「青森サミット」を2015年から開催し始めた。その第2回の「青森サミット」が2016年9月10日、「Link with」の主催で青森市内で開催された。1年半前、斉藤さんが驚いた「ささかまhands」シンポジウムの2倍もの約500名の参加者が会場に集結した。斉藤さんは三村青森県知事に講演を依頼し、青森県の目指す保健・医療・福祉包括ケアシステムについて話してもらっていた。

 この日のことについて斉藤さんは、「参加総数500名弱、今日の準備のために約1年、でも今日という日はあっと言う間の1日でした。そして一生忘れられない1日になりました。協力いただいた方々に感謝感謝!」と書いている。しかし、斉藤さんは本当は2,000名くらいの人に来てもらうことを目指して準備を進めていた。この「青森サミット」の開催に当たって、斉藤さんは勇美記念財団から助成金を得ていたが、その報告書の中で、参加者数が目標に達しなかったことに触れ、「『地域包括ケア』につて知らない方が多い、興味のある方が少ないという事が言えると考えます。『地域包括ケア』の主役は地域住民ですので、主役無しで専門職だけが地域のために行動しないよう心掛けなければいけません。地域に必要な事・モノを知るために、地域に暮らす住民と対話をする場をつくる事が課題です。そしてその場をつくる事ができる一つのツールとして自主団体がある事を、継続して広めていきたいと考えています」と振り返っていた。

 これはまさに斉藤さんの書いている通りで、人が自分の住み慣れた場所で最期まで暮らしていける地域をつくるためには、専門職だけの力では足りず、何よりその地域に住む人自身が当事者として専門職と一緒に地域づくりを考えていく必要がある。「Link with」の次の展開として、斉藤さんは地域住民を巻き込んだ動きを考えていたようである。

 その前提としてはやはり専門職同士の分野を超えた結束を深めていく必要があり、斉藤さんはその後もそうした人たちが集う場をつくり続けた。2017年4月22日の第11回企画「好きです青森〜あなたのために、私ができること〜」には、小野寺青森市長も駆けつけた。その小野寺市長には、8月19日に第13回企画として「好きです青森!青森市長 小野寺晃彦さんと話そう」のテーマで講演してもらう予定になっていた。人をつなぎ、地域をつくる、そんなみんなの輪の中にはいつも、斉藤さんがいた。

 2017年5月13日、斉藤さんは急逝した。4月に37歳になったばかりであった。その日、出勤せず、連絡もつかないことを心配した職場の上司が斉藤さんの自宅を訪ねたところ、ベッドの中で斉藤さんが既に亡くなっていた。警察による検死の結果、就寝中に心不全を発症したとのことであった。

 5月17日に北海道から来たご両親と一緒に、斉藤さんの遺体はフェリーで故郷に向けて出発した。青森港には、斉藤さんの死を悼む仲間がおよそ50名集まり、「まいける ありがとう」の横断幕を掲げて見送った。斉藤さんは「麺屋まいける」と称しており、仲間たちは彼のことを「まいける」と呼んでいた。「麺屋」はラーメン好きのところから、「まいける」はマイケルジョーダンが好きだったところから考えたらしい。

 設立してから3年弱の間にたくさんの人と人をつなぎ、斉藤さんは、旅立った。青森県内に職種を超えた新しいつながりをつくり続けた。人と人をつなぎ続け、ものすごい速さで人生を駆け抜けていってしまった。

 亡くなるほんの数時間前の5月12日23時32分。斉藤さんは、「ささかまhands」が毎年開催し、私も実行委員として協力している「MEDプレゼン@仙台」への参加を申し込んでいた。私も実は8月19日の「Link with」の集まりには参加するつもりでいた。何もなければ、今年は斉藤さんと二度、仙台と青森で話をすることができたはずであった。そうして話ができたならどんなによかっただろう。しかし、それが叶わなかった現実は何と悲しいのだろう。つくづくそう思った。

 しかし、斉藤さんが亡くなったという事実は消せなくても、斉藤さんがつないだつながりはこれからもずっと決して消えない。斉藤さんが亡くなったという連絡をくれたのは、斉藤さんと一緒に「Link with」の活動を行ってきた仲間の人だった。もちろん、私は面識もないし、話したこともなかった。そのような人と何人もつながれた。斉藤さんが仙台に来るつもりだったということを知って、斉藤さんの仲間が2人、「MEDプレゼン@仙台」に参加してくれ、会って話すことができた。斉藤さんは自らの死を以てすら、人と人とをつなげたのである。

 斉藤さん亡き後の「Link with」がどうなるのか心配だったが、仲間の皆さんが引き続き斉藤さんの思いを引き継いで活動を続けるとのことである。斉藤さんが目指した、大切な一人ひとりがつながってつくる地域。これからも同じ東北の中で、一緒に人をつなぎ、そうした地域をつくることを続けていきたい。人をつなぐ者同士がつながり、さらにそのつながりを広げていきたい。この東北の地に生まれ、育ち、暮らしている人が、「ここで生きてよかった」と感じられる地域を、一緒につくっていきたい。

 「小さな思いを形にするために、何ができるか まずはやってみよう! 私たちの未来のために行動しよう!」

斉藤さんの言葉である。

 昨日の次に今日が来て、今日の次に明日が来るとは限らないのだ、ということは、6年3カ月前に嫌というほど痛感したことであった。いつの間にかまた、そうしたことを忘れかけて、迂闊にもあたかもずっと変わらないかのような毎日を送り続けていたことに思い至った。もし明日が来なかったとしても、今日できることを今日のうちにやっておく。少なくとも今日、自分の目指す方向にちょっとでも向かうことができた、そう思える日々を重ねていくことが、何にも増して大事なことなのだ。斉藤さんからそのことを改めて教えてもらったように思う。


anagma5 at 00:03│Comments(0)clip!私的東北論 

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