2017年08月18日 

私的東北論その99〜「観光都市としての仙台を三都市の比較で考える」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 7月16日刊行の「東北復興」第62号では、観光都市としての仙台について考えてみた。5月に機会があって前橋市と金沢市を訪れた際にそれぞれ印象的だったことがあったので、この2つの都市と仙台との比較の中から何か新しい視点が見出せないかと考えてみた次第である。

 以下がその全文である。


観光都市としての仙台を三都市の比較で考える

前橋、金沢、仙台

 東北における観光については、本連載でも何度か取り上げている。その中では特に、東北各県同士の観光領域における連携の促進について書いて来たように思う。今回は、東北全体ということではなくて、一都市に絞って見てみようと思う。具体的には私の住む仙台市である。

 今年5月に、前橋市と金沢市に足を運ぶ機会があった。観光に関してそれら2都市で感じたことはいろいろとあった。仙台が何かの領域で比較される場合、比較の対象となるのは大抵同じ政令指定都市であることがほとんどである。観光についてもしかりで、都市間比較の対象というのは仙台の場合、同じ政令指定都市、とりわけ札幌市、広島市、福岡市辺りと比較されることが多かった。

 もちろん、前橋市、金沢市と仙台市とでは、人口など都市の規模の面では異なるわけで、それで今まであまり比較されてこなかったわけだが、そうした差異をこの際度外視して見てみると、仙台の今後を考える際に参考になりそうなことが意外に多くあることに気がつく。

 今回はそうしたことについて取り上げてみたい。

三都市の比較
 まず三都市の比較である。前橋市は人口約33万5千人、金沢市は約46万6千人、仙台市は約108万5千人である。面積は前橋市が311.59㎢、金沢市が468.64㎢、仙台市が786.3㎢である。人口は仙台市が最も多く、前橋市が最も少ないが、仙台市は面積も大きく、前橋市は面積も小さいので、人口密度は三都市でそれほど大きな差はない。1平方キロメートル当たり前橋市が1,080人、金沢市が994人、仙台市が1,380人である。

 次に、三都市の特徴を見てみる。三都市とも県庁所在地で旧城下町であることは共通しているが、まず前橋市は赤城山の南麓に位置する内陸の都市で、寒暖の差は大きい。冬は「赤城おろし」と呼ばれるからっ風が吹き下ろし、雪は少ない。市の中心部にあるJR前橋駅は上越新幹線や上越線からは外れており、高崎駅での乗り換えが必要である。この高崎駅のある高崎市は人口で前橋市を上回っており、両市は群馬県内において「ライバル」と見なされることが多いようである。この辺りは福島県における県庁所在地福島市と人口で上回る郡山市の関係に似ているかもしれない。前橋市も仙台市と同様、戦災で市街地が焼けた歴史を持つ。かつ仙台市と同様、ケヤキが街路樹として植えられており、また街中を「広瀬川」が流れている。農業産出額は全国の市町村中16位で、特に畜産業の産出額は全国6位である。豚と乳用牛が突出しているが、前橋市では「TONTONのまち前橋」と銘打って、オリジナル豚肉料理を売りにしている。

 金沢市は、言わずと知れた旧加賀藩百万石の城下町であり、戦災の被害を受けなかったことから今でも江戸時代以来の街並みが残る。国の出先機関や企業の支社・支店が置かれることが多く、北陸三県の中の中心的都市でもある。日本海側気候で冬期の積雪は多い。元々、日本三名園の一つである兼六園や市内に3か所ある茶屋街、長町武家屋敷跡などの歴史的な建造物、加えて金沢21世紀美術館などの観光資源は特に著名だったが、北陸新幹線が延伸したことで首都圏からのアクセスが飛躍的に向上し、観光客増につながっている。伝統野菜である加賀野菜と豊富な海産物を用いた加賀料理、老舗の和菓子、日本酒などの評価も高い。最近では金沢カレーも有名である。加賀友禅、金沢箔などの伝統工芸もよく知られている。

 最後に仙台市である。伊達六十二万石の城下町として栄えたが、戦災によって歴史的建造物はあまり現存していない。江戸時代から防風・防火のための植林が奨励されたために伝統的に街中に樹木が多く、そのために明治時代の終わり頃から「杜の都」と称されている。この伝統は戦災復興の際にも受け継がれた。太平洋側気候で冬期の積雪は東北の中でも少ないが、奥羽山脈から乾燥した北西の季節風が吹き下ろすことが多く体感温度は低く感じる。夏期は海風の影響で気温はあまり上昇せず、真夏日や熱帯夜は比較的少ない。夏の「仙台七夕まつり」を始め、「仙台青葉まつり」、」「SENDAI光のページェント」、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」、「みちのくYOSAKOIまつり」など一年を通して様々なイベントが開催される。主な産業は卸売業・小売業、サービス業で、総生産額の約8割を占める。食では牛たん、笹かまぼこ、ずんだ餅などが有名で、三陸の魚介類、仙台牛、ブランド米も知られる。

 私の理解している範囲では三都市はだいたい以上のようなプロフィールを持っている。

観光に関する三都市の現状
 さて、それではこれら三都市の観光についての現状を見てみよう。

 前橋市の観光入込客数は2015年に668万2千人。群馬県内からが528万9千人で、県外からは139万3千人である。宿泊客数は25万9千人である。群馬県全体の数字しか見つからなかったが、宿泊客のうち東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県の一都三県で全体の約6割を占め、外国人宿泊客の割合は0.8%となっている。この割合を前橋市の宿泊客数に当てはめてみると外国人宿泊客数は3千人弱と際立って少ない。東京が近いことがあって、前橋市に宿泊するという外国人は少ないのであろう。

 金沢市の観光入込客数は北陸新幹線が開業した2015年に1006万4千人と初めて一千万人を超えた。このうち兼六園には308万9千人、金沢21世紀美術館には237万3千人が訪れていて、この2つが金沢市内で最大の観光資源であると言える。一方、金沢市近郊の湯桶温泉には6万4千人と、それほど多くの人は訪れていない。観光客の発地は、石川県内が350万8千人、関東が251万5千人で新幹線開業前の139万人から倍近い伸び、関西からは105万2千人となっている。宿泊客数は約343万6千人である。若干古いデータになるが、2013年の外国人宿泊客数は15万6千人であった。

 仙台市の観光入込客数は2015年で2229万4千人と初めて二千万人を超えた。宿泊客数は575万2千人であり、このうち外国人宿泊客数は11万6千人である。市内の主要観光地への観光客数は、秋保温泉が116万1千人、宮城県総合運動公園に147万3千人、楽天koboスタジアム宮城に141万4千人、仙台城址・瑞鳳殿・仙台市博物館が90万人、定義如来に84万9千人、八木山動物公園等に69万8千人となっている。

 興味深いのはイベントへの参加人数で、最も人が多く集まるイベントは今や「仙台七夕まつり」ではなく「SENDAI光のページェント」で301万人、次いで「仙台七夕まつり」が217万7千人、その次は「みちのくYOSAKOIまつり」で96万7千人、以下「仙台青葉まつり」96万人、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が70万人などとなっている。

 仙台市は前橋市の3.3倍、金沢市の2.2倍の観光客が訪れているわけだが、人口比で見ると前橋市は人口の19.9倍、金沢市は21.6倍、仙台市は20.5倍で、さすがに金沢市が若干高いが、三都市でそれほど大きな違いはない。際立って異なるのは外国人宿泊客数で、前橋市が極めて少なく、仙台市は全体の数の割に金沢市よりも外国人宿泊客数が少ない。金沢市が前橋市、仙台市より明らかに外国人宿泊客数が多いのは、歴史遺産の数の差であるように思われる。戦災で焼け野原となった前橋市と仙台市は、歴史を感じさせる建造物やスポットが金沢市に比べて圧倒的に少ない。その差が外国人宿泊客数の差となって現れているのではないだろうか。

 金沢市を訪れた際に特に印象的だったのは、平日だったにも関わらず、観光客の数が非常に多いということであった。兼六園とそれに隣接する金沢城はもちろん、ひがし茶屋街、近江町市場など、どこに行っても観光客と思しき人たちが大挙して歩いていた。特に目立ったのはやはり外国人観光客であった。

検討に値する四ツ谷用水の復活
 ところで、私が金沢市でいいなと思ったのは、街中に江戸時代からの水路が今も残っていることである。表通りから一本路地に入るとそこには鞍月用水が流れていた。他にも中心部には辰巳用水、大野庄用水という、合わせて3本の水路があり、これが都市景観に文字通り「潤い」を与えている。前橋市でも金沢市ほどの規模ではないが、同様に水路があった。先に書いた「広瀬川」が実は江戸時代に整備された用水で、現在は河畔緑地が整備されてやはり素晴らしい都市景観をつくり出している。

 仙台の広瀬川は街中からはやや外れたところを流れているため、街中でこうした「水のある風景」を見ることはない。実は仙台にも江戸時代に造られた「四ツ谷用水」という用水があり、現在の市街地の至るところを流れていた。ところが、上下水道の整備によって生活用水としての利用が減少したことや、車社会の到来で水路にフタがされたことによって、地上から姿を消す部分が多くなり、今では街中ではほとんどその姿を見ることができなくなっている。

 一度地上から姿を消した用水を復活された事例が仙台市の隣の山形市にある。同じく旧城下町である山形市にもかつて山形五堰と呼ばれる水路があったが、やはり時代の移り変わりと共に暗渠となり、その存在すら知らない市民も多かったという。そうした現状に対して、街中にオアシスのような空間を創造するということで、中心部の七日町商店街の店主らがまちづくり会社「七日町御殿堰開発株式会社」を設立、7年前に五堰の一つ「御殿堰」を「水の町屋七日町御殿堰」として街中に復活させたのである。この御殿堰、新たな観光スポットとして市民や観光客の憩いの場となっている。

 仙台でも昨年、四ツ谷用水の一部である「桜川」を歴史遺産として復活させようという「仙台『桜川』を復活する市民の会」が立ち上がった他、仙台市の環境共生課も6年前から「四ツ谷用水再発見事業」として各種イベントを開催している。こうした官民の動きがうまく合わされば、四ツ谷用水の復活も現実味を帯びてくるのではないだろうか。

 現在、戦災で焼失した仙台城の大手門を復元させる動きも出ているが、合わせて四ツ谷用水も復活させることで、より旧城下町に相応しい歴史を感じさせる街並みとなるに違いない。

 これまで「杜の都」として売ってきた仙台市だが、四ツ谷用水を復活させて旧仙台藩の時と同様、樹木が豊富で水路が巡る「杜と水の都」としてバージョンアップできれば、観光都市としての仙台市の魅力はより高まるのではないかと考える。


anagma5 at 00:48│Comments(0)clip!私的東北論 

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