2018年02月07日 

私的東北論その102〜「東北・みやぎ復興マラソンが初開催!」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 昨年10月16日に発行された「東北復興」第65号では、初開催された「東北・みやぎ復興マラソン」について書いた。私にとっても初のフルマラソンで、相当シンドい思いもしたが、沿道の温かい声援は本当に力になった。人が誰かを思って発する言葉の持つ力について改めて思い至った。


「復興」の名を冠したマラソン
 10月1日、「東北・みやぎ復興マラソン」が開催された。東日本大震災の大津波で大きな被害を受けた宮城県の沿岸部、名取市・岩沼市・亘理町にまたがるエリアを走る、震災後の宮城県内で初となる公認フルマラソン大会である。津波対策としてかさ上げされた県道塩釜亘理線を走り、岩沼の震災復興のシンボルでかつ災害時の避難場所でもある「千年希望の丘公園」や建設中の防潮堤などを望むコースである。

 この大会の目的として、「被災地復興の”今”をマラソンというスポーツを通じて、日本や世界に伝え」ると共に、「震災を風化させることなく、今なお続く『復興』を走ることによって支援する」ことが挙げられていた。復興への願いを込め、被災地の復興に役立ちたいという想いで「復興マラソン」という名を冠し、その名に恥じない大会にするべく、開催に掛かる多額の費用を、開催場所が被災地である点を考慮して開催自治体には補助金の拠出以外の部分での協力を求め、参加ランナーの参加料と開催趣旨に賛同した企業の協賛金のみで賄うことを目指したという。

 また、マラソン大会運営そのものだけでなく、集まった資金の中から被災地に役立つ復興支援策を実施するとして、「子どもたちの健全な心身と地域への愛情の育成」、「震災の『風化を防止』し、全国・世界の支援者との強固な絆の構築」、「被災地域のにぎわい創出・交流人口や定住人口の拡大」の3つの支援策を揚げ、継続的な復興支援を行っていくとしている。具体的には今回は、12の被災自治体のスポーツ少年団にスポーツ用品を、1つの被災自治体に「防災・減災広報車」を贈呈し、また大会を一過性のものにすることなく、ランニング文化を育むことを目指すとして今回のマラソンコースに距離表示看板を設置した。

いざ、参加!
 そのような趣旨のマラソンであるこの「東北・みやぎ復興マラソン」、「東北」と「復興」という、私にとって重要なキーワードが2つも含まれている。関心は大いにあったのだが、当初参加に関しては迷っていた。理由は何のことはない、私自身がフルマラソンを走ったことがないからである。毎年5月に開催される「仙台国際ハーフマラソン」には、一般参加ができるようになった2012年から毎年参加しているが、ハーフマラソンですら毎回ヨロヨロになりながらゴールする有様であるので、その倍の距離を走り切れるとは到底思えなかったのである。

 そんなわけで気が付いたら応募締切日を過ぎてしまっていたのだが、そうしたらなんと、定員に達せず締切を大幅に延長することになったと聞いた。初開催ということで知名度がまだそれほど高くなかったこと、上記のような趣旨から参加料が14,000円と高額(東京マラソンでも10,800円である)だったことなどが影響したようである。それなら完走できるかどうか分からないけれども参加してみようかと思った。

 私のような人が他にもたくさんいたのだろうか。ふたを開けてみれば、フルマラソンは結局当初予定の12,000人がエントリーして、問題なく開催となった。12,000人が走るので、スタートはウェーブスタートというそうだが、4回に分けて行うことになった。私は第2ウェーブのスタートだったが、10分間隔で3,000人ずつスタートの号砲が鳴った。

 案の定、スタートから20kmくらいまでは何とか走れたが、そこから先の未知の世界では本当にゴールが遠かった。普段通勤で乗っている自転車とは違い、速度が遅いために周囲の景色の移り変わりが遅くじれったくなること、脚を止めたらその先一歩も進まないことなどで正直かなりしんどかった。

 それでもやはり沿道の声援は本当に力になった。仙台国際ハーフマラソンでも聞く、「頑張って!」、「ファイト!」という声に混じって、「ありがとう!」という声が多かったのには驚いた。震災後、人の賑わいが遠ざかっていた沿岸の集落の方々からすると、12,000人ものランナーが大挙して訪れるということに対しては、まさに「ありがとう!」という気持ちだったのかもしれない。

 沿道で声援を送ってくれる方々の中には、大きなざるにたくさんの塩タブレットを入れて、道行くランナーに「どうぞ持って行ってください」と声を掛けてくれたり、後半になると走る脚のトラブルが生じるランナーが出てくるということを見越して、エアーサロンパスを準備して「エアーサロンパスあります!最後まで頑張ってください」と声を掛けてくれたり、単に声援を送るだけでない人も多数見掛けた。こちらこそ「ありがとう!」である。と同時に、この辺りのことが実に東北らしいとも思った。

「BACK TO THE HOMETOWN」
 そう、この復興マラソンの特徴は他にもある。集落の名前を冠したスペシャルエイド「BACK TO THE HOMETOWN」である。今回のコース上には、「閖上」、「小塚原」、「美田園」、「北釜」(以上名取市)、「相野釜」、「藤曽根」、「二野倉」、「長谷釜」、「蒲崎」、「新浜」(以上岩沼市)、「荒浜」(亘理町)の合わせて11の集落があった。しかし、すべての集落が大津波によって甚大な被害を受けた。集落に住んでいた方々は長期の避難生活を余儀なくされた。11の集落のうち岩沼市にあった6つの集落は、災害危険区域となった先祖伝来の土地からの集団移転を決意して、海岸から内陸に3キロ入った玉浦地区の西側に新しい街をつくった。現地再建を選んだ残りの5つの集落でもまだ震災前の状態には戻っていない。これらの集落があった場所に今回、「BACK TO THE HOMETOWN」と名づけられたエイドステーションが設けられた。「BACK TO THE HOMETOWN」には当日、かつての住民が再び集い、ボランティアの人と一緒に水やスポーツドリンクを準備してくれただけでなく、地域に伝わる郷土料理を提供してくれたり、伝統芸能を披露してくれたりもした。

 当日は「はらこめし」(醤油などの調味料で煮込んだ鮭を込んだ煮汁で炊き込んだ鮭といくらの「親子丼」)、「せり鍋」(昆布や鰹節の出汁に鶏肉とせりを根っこの部分まで入れて醤油などで味付けして食べるなべ)、「岩沼とんちゃん」(ジンギスカン用の鍋で焼く豚のモツを用いたホルモン焼き)、「浜焼き」(水揚げされた新鮮な海産物を炭火で焼いたもの)などが振る舞われた。

 フルマラソン開催日に「当時の集落の賑わいを復活させたい」という実行委員会の思いで実現したまさに特別なエイドステーションである。このマラソンは今後も年に1回開催される予定であり、「年に一度、故郷が『BACK TO THE HOMETOWN』として蘇る」という趣旨で今後も設置され、ランナーと地域の人との交流の場となるに違いない。

雄勝石の「Finisher Stone」
18839530_1076395292494506_6791376177430904705_o さて、結局私の方はと言うと、筋肉痛で痛む脚に鞭打ちつつ、沿道の声援に背中を押していただいて、何とかかんとか3時間41分で完走できた。もう二度とやるものかと思ったが、ゴールして嬉しかったのは完走した人がもらえる「Finisher Stone」である。要は、石で造ったメダルなのだが、この石が何と、石巻市雄勝町特産の「雄勝石(おがついし)」だったのである。

 雄勝町は震災前、国内の硯の9割を占める圧倒的なシェアを持っていたが、その理由が町内で産出する「雄勝石」だったのである。硯だけでなく、高級な屋根材や庭石としても珍重されているそうだが、その歴史は古く、室町時代にまで遡るという。

 今回の「Finisher Stone」は、震災の大津波で流失し、地元の方々やボランティアの方々が回収した雄勝石を使っているとのことで、まさに復興の名を冠するマラソンに相応しい素敵な記念品となった。大会事務局では、「大震災を乗り越えた石!復興の象徴の石」として、「42.195kmという通常では考えられない距離に挑戦し、見事に乗越えられた『強い固い、意志=いし』を持つランナーの方々に相応しいメダルを贈りたい」との思いを込めたそうである。

被災地のグルメを堪能できる「復興マルシェ」
 スタートとゴールの会場である岩沼海浜緑地では、「復興マルシェ」も開催された。各ブースでは、宮城県内の30超の市町村、それに福島県、岩手県、熊本県のグルメが味わえた。ランナーだけでなく、会場を訪れたすべての方が楽しめるという趣旨のイベントで、実際たくさんの人で賑わっていた。

 こうして各地域の名物料理が一堂に会する様を見ているとつくづく、東北には豊かな自然の恵みが多くあることを実感する。この時期の亘理町の名物である「はらこめし」など特に人気のある名物料理はあっという間に品切れになっていた。私の好きな宮城県加美町のやくらいビールも、私がゴールする頃には全種類品切れとなっていた。マラソンで走らなくても、被災地各地のグルメを横断的に堪能できる場としても、この「東北・みやぎ復興マラソン」は貴重であると思った。

被災地の今を知り、交流する場に
 今年初開催となった「東北・みやぎ復興マラソン」、シャトルバスの運用などいくつかの点で次年度への課題を残したようであるが、何より全国から(今回全都道府県からエントリーがあったそうである)多数の人が被災地を訪れ、復興の現状をつぶさに見て、また各被災集落の方々とスペシャルエイドステーションである「BACK TO THE HOMETOWN」で交流できるというのは素晴らしい取り組みであると思う。

 毎年継続して開催されることで、その時々の復興の状況をつぶさに見ることもできる。震災の記憶の風化が指摘されるが、毎年のこの復興マラソンの模様が報じられる度に、現地の復興の状況についても触れられたり映像で伝えられたりすることも期待できるわけである。

 5年後、10年後、コースから見える景色はどのように変わっているのだろうか。ぜひ今後の継続的な開催を期待したい。


anagma5 at 23:41│Comments(0)clip!私的東北論 | 震災関連

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