2019年02月20日 

ようこそ「せんカフェ」へ(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その114

せんカフェフライヤー 1月16日に発行された「東北復興」第80号では、昨年4月に始めた「せんカフェ」のことについて紹介させていただいた。左がそのフライヤーである。そこに書いてある通り、毎月1回、第3火曜日の夜7時から仙台市中心部の「エル・パーク仙台」の5階「創作アトリエ」&「食のアトリエ」が会場のカフェスペースである。

 それにしてもこの「東北復興」紙もついに80号である。編集長の砂越さんには心から敬意を表したい。












ようこそ「せんカフェ」へ

食べ物と「想い」を持ち寄るカフェ
 昨年4月から「せんカフェ」を始めた。毎月第3火曜日の午後7時から、仙台市の中心部、一番町にある公共施設、エル・パーク仙台が会場である。参加する人には、食べ物一品と自分の「想い」を持ち寄ってもらう。こちらからは飲み物を提供し、ソフトドリンクのみの人は500円、アルコール類も飲む人は1,500円を会費として支払ってもらう。医療や介護の資格のあるなし、病気や障害のあるなし、老若男女問わず、いろんな人が「ごちゃまぜ」で自分たちの地域の医療や福祉やまちづくりなどについて自由に語らう集いの場である。今回はこの「せんカフェ」について紹介したい。

「地域連携」の変遷
 私が仕事で担当している雑誌は、医療側から見た地域連携がテーマである。一昔前まで、医療は多くの場合、一病院完結型で提供されていた。つまり、入院して治療してリハビリして完治して退院、という流れだった。しかし、どこの病院もそのような体制だと、効率が悪い。それで、地域にあるそれぞれの病院が自院の強みを活かして急性期や回復期、慢性期などの医療をそれぞれ担い、連携して医療を提供する、地域完結型の医療が進められるようになった。日常の医療はまず地域のかかりつけ医となっている診療所で行い、生命の危機に関わる疾病を発症した場合はそこから紹介されて急性期の病院に入院、生命の危機を脱した後は回復期の病院に移ってリハビリなどを進め、さらに療養が必要な患者は慢性期の病院に移る、といった流れに変わった。

 そこで必要になったのが、病院内で対外的な調整を行うための部署で、それが地域連携室、医療連携室、といった名称の部署だった。そのようなわけで病院の中では比較的新しい部署だが、その連携室がまず手掛けたのは地域で患者のかかりつけ医となっている診療所との連携だった。「病診連携」と言われる。病診連携がある程度出来上がってくると、次の課題は機能の異なる病院同士の連携だった。急性期を脱した患者が円滑に次の医療を担う病院に移れるための「病病連携」である。医療の連携が密になっても、それだけでは患者の問題は解決しない。高齢化に伴い、介護が必要な患者も増加し、介護事業者との連携も必要になった。そこで「医療介護連携」のための取り組みが進んだ。

 どのようにして連携を密にしていくか、まず顔を合わせる機会をつくることが有効である。そのようなわけで、全国各地に医療職同士や医療職と介護職が交流できる場ができた。それによって医療や介護の連携は大いに進んだし、それによって医療や介護が必要な人にとっても大いにメリットがあったに違いない。

 病診連携、病病連携、医療介護連携と進んできた連携は現在、もう一ステップ先に行きつつある。医療や介護の専門職ではない、地域の様々な構成員、例えば地元の自治会、民生委員、商工会、学校などと連携する必要性が指摘されるようになってきたのである。本来の意味での「地域連携」とも言えるが、従来の連携と明確に区別するためにこうした専門職同士に依らない連携を「社会連携」と呼ぶ研究者もいる。

 ともあれ、医療同士から医療と介護へと進んだ連携は、今や医療や介護領域に限らない地域全体との連携へと駒を進めつつあるわけである。「せんカフェ」もそうした流れの中で捉えることが可能である。

「せんカフェ」の「言い出しっぺ」のこと
 さて、「せんカフェ」の「言い出しっぺ」は、実は私ではない。地域包括支援センターに勤める介護支援専門員で、一緒に「せんカフェ」の共同代表を務める荒井裕江女史こそが言い出しっぺである。彼女とは最初、仙台市内で介護職が集まっての飲み会で普通に名刺交換をしたのだが、その後小学校の時に同じクラスにいた人だということに気づいた。また、彼女とは目指す方向性に似通ったところがあった。要は、つながることの重要性、つながれる場をつくることの重要性への認識が共通していたのである。それでそれ以降、医療や介護の関係者が集まれるイベントごとを一緒に企画する機会が多くあった。

 私は先述のように、仕事柄、地域の医療や介護を成り立たせるためには関係者間でお互いの顔が見えるつながりをつくることが重要だと、様々な事例を見聞きする中で強く感じていた。彼女は彼女で、普段の仕事を通して、やはり関係職種がつながることの重要性を実感していたのだろう。

 違うのは、そこからの行動力である。「せんカフェ」にはお手本がある。東京の世田谷でやっている「せたカフェ」である。その情報を、やはり「せたカフェ」をお手本に宮崎の日南市で「にちなんもちよりカフェ」を運営していた宮崎県立日南病院の医師、木佐貫篤氏から聞くや否や、彼女は「せたカフェ」を主宰しているノンフィクションライターの中澤まゆみ氏にコンタクトを取り、実際に「せたカフェ」に参加した。それが、一昨年の9月下旬。実際に見てみて「仙台でも同じ場を作りたい!」と思ったようで、11月初めには「もちよりカフェ、仙台でも開催しない?」と連絡が来た。彼女は、医療介護の壁を超えて、一般の人も気兼ねなく集える会をつくりたい、そこでいろんな人をつなぎたい、と考えたのである。

 私は私で、仕事柄、地域の中での専門職同士のつながる場ができて、実際にそこで得たつながりが医療介護の現場でも活かされていることも見てきた。仙台市内はもとより、東北の各地域でも活発に活動している連携の会も多くある。ただ、先述のように、医療や介護を取り巻く連携が新たな段階を迎えつつある中で地域全体のことを考えた時に、専門職同士がつながるだけでは不十分だとも感じていた。専門職同士の熱意ある取り組みが地域に見えるためには、地域に開かれた場も必要なのではないか、そう考えていたところに、彼女からそのような相談があったので、もろ手を挙げて賛成して一緒にやることになったのである。

 木佐貫氏や中澤氏のことは私もよく存じ上げているし、中澤氏からは「ぜひ一度せたカフェに」、とのお誘いもいただいていたが、日々のバタバタに追われて行けないでいたところに、彼女はあっという間に行動に移して、「仙台にもみんなが気軽に集える場をつくる!」と決意して帰ってきたのである。そのパワーたるや、お見事というほかない。

 彼女は会場もみんなが集まりやすいところがいいということで中心部、少ない予算でやりくりするので公共の施設ということでエル・パーク仙台をリストアップし、出掛けていって会の趣旨を説明して協力を依頼した。そうしたところ、ロッカーやメールボックスが使用できて、会場も一般の貸出開始日よりも前に予約することができる「ロッカー・ワークステーション利用団体」として認定してもらえた。

 また、デザインに強い知り合いにリーフレット作成を依頼し、必要部数を印刷して、仙台市内の公共施設に足を運んで置いてもらえるよう依頼したり、趣旨に賛同して協力してくれそうな人たちに声を掛けて運営に協力してもらえる仲間を募ったりするなど、とにかく周りを巻き込んで精力的に動き回った。その結果、「せたカフェ」の視察からわずか半年後に「せんカフェ」をスタートすることができた。

 私がこだわったことと言えば、毎月決まった日に開催するようにしたいということであった。皆、仕事を持ちながら手弁当での運営となるので、準備の大変さなどを考慮して隔月の開催にした方がという意見もあったのだが、私としては毎月決まった日にそこに来れば必ずみんながいる、という場を作りたかった。隔月の開催だとその月はせんカフェがある月かどうか参加したい人が迷ったりすることも考えられたので、毎月開催という部分は通させていただいた。そして具体的にいつがいいか検討した結果、毎月第3火曜日夜7時からの開催ということになったわけである。

毎月第3火曜日は「せんカフェ」の日
 そのようにして、昨年4月17日(火)に、第1回の「せんカフェ」開催にこぎつけた。会場の定員ぎりぎりの50名の方に参加していただいたが、医療や介護の専門職はもちろん、障害を持った人や家族に障害を持った人がいる人も含めて様々な人に集まっていただけた。「せんカフェ」の最重要のキーワードは「ごちゃまぜ」だと常々荒井女史とは話し合っているので、その意味でもとてもよかった。

 会ではまず、会の趣旨を説明し、参加者に守っていただきたい「3つの約束」を読み上げた後、あらかじめお願いしておいた参加者お一人に「話題提供」をしていただく。参加者一人ひとり、話してみると実に多様なバックグラウンドを持っていることが分かる。その一端を披歴していただくことはとても勉強になる。その意図通り、毎回実に多彩な話題が提供されている。その後、持ち寄った食べ物を食べ、用意した飲み物を飲みながら自由に対話してもらう。グループワークではないので、テーマも定めないし、もちろんどんな話をしたか発表してもらうこともしない。一人ひとりが自由に食べ、飲み、話し、その結果今までつながっていなかった人とつながり、あわよくばそこからまた新たな何かが生まれれば、と考えている。

 第1回から第3回までは毎回定員ぎりぎりの参加があったのでできなかったが、参加者数が40名前後に落ち着いてきた第4回以降は、1人1分以内の自己紹介タイムを設けた。それによって参加しているお互いのことを知ることができればと考えてのことである。第7回以降は、定員自体を40名として、毎回自己紹介タイムを設けている。

 荒井女史は言う。「結局、地域包括ケアシステムにせよ、地域共生社会にせよ、医療介護の専門職だけじゃどうにもできなくて、その地域に住んでいる人が主役、と言うか、当事者のわけだから、その人たちと話をしないと地域は変わらないよね」と。また、「仕事で疲れた時でもフラっと参加出来て、志が一緒の方々に会えたり、繋がる事で力を貰えたり。ホッとした時間を過ごせる会が出来たらいいね」とも。「せんカフェ」は小さな取り組みではあるが、参加してくれる人にとってそのような場であればよいと私も思う。

 「毎月第3火曜日は『せんカフェ』の日」ということが定着するよう、今後も地道に、着実に「せんカフェ」を続けていきたいと考えている。もし関心のある人がいれば、ぜひ第3火曜日夜7時にエル・パーク仙台5階の「創作アトリエ&食のアトリエ」に来ていただければと思う。そこにはいつも、笑顔での対話がたくさんあるはずである。


この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔