2019年11月13日
高等教育と人口移動(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その125
10月16日発行の「東北復興」第89号では、東北地方からの人口移動について取り上げた。第86号で論じた東北の人口減少についての続編のようなもので、以下がその全文である。
高等教育と人口移動
東京に住む東北出身者は低学歴?
7月16日発行の本紙第86号では、東北の人口減少について取り上げた。1995年に983万4千人だった東北地方の人口は、今年6月時点で868万2千人と、何と115万人も減少しているのである。仙台市の人口が現在108万人だが、それを上回る数の人が東北地方からいなくなったことになっているわけである。
その大きな理由の一つが少子化による出生率の低下にあることは言うまでもないのだが、それ以上に問題なのは東北地方から主に首都圏への人口流出である。少子化についても人口流出についても、なかなか抜本的な解決策が講じられず、この現状を打破することは容易なことではないが、考えられることについて書いてみた。
そんな中、最近の週刊誌に気になる記事があった。「都市部の東北出身者に『非大卒』が多いのはなぜか」という記事で、女性セブン2019年10月10日号に掲載されているようである。
元々、東北六県の大学進学率は低い。文部科学省のデータを調べてみると、2017年度の短大を含む大学進学率は全国で54.8%と、既に半数を超えている。その一方で同年度の東北各県の進学率を見ると、宮城が最も高いがそれでも49.2%と半数に届いていない。都道府県別の順位でも27位である。他の5県はさらに低く、高い順から福島45.6%(34位)、秋田と山形が45.3%(35位)、青森44.5%(39位)、岩手43.6%(43位)となっており、総じて東北の大学進学率は他地域に比べて元々低い。
ちなみに、高い方では、京都66.2%、東京65.9%、神奈川61.3%、広島と兵庫が60.7%などとなっており、10位まで見てもランクインしているのは首都圏と西日本の各都道府県である。
記事中に登場する早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二氏によれば、「この進学率の差は、そもそも地方の大学定員が少ないことが少なからず関係していますが、それだけではありません。特に、東北地方には、特有の傾向が見られます。東京在住者を対象に、東京、千葉、神奈川などの南関東出身者、東北出身者、関西や九州などそれ以外の出身者と、3グループに分けてそれぞれ行った調査によると、大卒者の割合は、南関東で44.9%、それ以外で52.5%、東北では17.9%と、東北の大卒割合が他の地域に比べて著しく低かった。反対に、非大卒者の多い労働者階級の割合は、東北出身者は67.9%と最も高く、南関東は50%、それ以外では38.9%でした」とのことである。
つまり、東京にいる東北出身者は、他地域の出身者に比べて非大卒者の割合が明らかに高いというのである。このことについて同氏は、「東北地方の大学進学率がもともと低いこともありますが、一般に、多くの地方出身者は高度な知識や経験、技術などを発揮できる職を求めて上京するため、大卒の地方出身者が多くなるのに対し、東北では、大卒者は地元で就職することが多く、非大卒者は職を求めて上京する傾向が強いのではないかと思います」としている。やはり同記事中に登場する作家の橘玲氏は、「他人と比べて、何らかのアドバンテージを持つ地方出身者は都市部に行こうとする傾向が強い。学歴による収入格差はあるものの、地方にとどまる人よりも、経済的に豊かになる傾向は強いでしょう」と指摘しているのだが、こと東北に限って見ると、橘氏の見方は当てはまらなさそうに見える。
橋本氏は進学率の差が地方の大学定員の少なさにあるとしたが、実際はそうでもなさそうである。東北六県の大学の入学定員を人口で割ってみると、青森0.0027、岩手0.0019、宮城0.0049、秋田0.0021、山形0.0025、福島0.0018である。これに対して先ほど大学進学率が上位にあった都道府県を見てみると、京都は0.0123、東京は0.0102と、人口当たりの入学定員は東北各県と1ケタ違うが、神奈川は0.0050、広島は0.0047、兵庫は0.0049と、宮城とそれほど変わらないことが分かる。すなわち、大学入学定員が少ないから進学率が低いということではなさそうである。
ではなぜ、東北六県の大学進学率は低いのか。恐らく、大学進学だけに価値を見出しているのではない人の割合が高いのではないだろうか。例えば、農業や漁業など、親の代あるいはそれ以前の代から続いてきた職業を継ぐなどのケースがそれに当たる。
一方で、橋本氏の指摘する、「都市部の東北出身者に『非大卒』が多い」という指摘は、確かに記事中のグラフ(左図参照)を見ると一目瞭然のように見える。ただ、このグラフで注意しなくてはならないのは、どの世代のことなのか明記されていないということである。老若男女問わずとにかく東北出身者ということであれば、ある程度説明はつくように思われる。要は、かつて集団就職で上京して職に就いた多くの東北出身者の存在である。集団就職は1976年に廃止されたが、その時までに上京した人は60歳が下限となるわけで、いまだその多くが東京に住んでいると考えられる。「金の卵」ともてはやされて故郷を離れ、東京に住んだこれらの人がどのような職業人生を送ったのか、これまであまり表に出ることはなかったように思うが、一度お話を聞いてみたい気がする。
今も尾を引く「戊辰戦争」の影響
東北地方の大学定員が他地域に比べて少ないわけではないということは分かったが、ある学部に限って見ると、違った姿が見えてくることもまた事実である。ある学部とは、医学部である。こと医学部に限って見てみると、様相はガラリと変わるのである。
現在、全国に医学部は80ある。各都道府県に最低一つ、医学部はあるので一見そこに差はないように見えるが、よく見ると実はかなり差がある。その辺りのことについては、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が詳細に論じている。
氏は指摘する。「九州の人口は1,320万人ですが、10の医学部があり、年間約1,000人の医師を養成します。四国の人口は401万人で、4つの医学部があります。ちなみに、このレベルは、人口1,300万人で11の医学部がある東京と同レベルです。一方、千葉・茨城・埼玉県の人口は合計1,630万人ですが、医学部は4つしかありません。うち一つは防衛医大のため、地域医療への貢献は限定的です」。ちなみに、東北は四国の倍以上の868万人の人口でありつつ、医学部は長らく6つのみであった。その後、東日本大震災を受けて、東北の医師不足への対応と被災地復興の支援を目的として1校だけ医学部新設が認められ、現在は7つである。
上氏はこの「格差」の理由について、重要な指摘を行っている。こうした医学教育の格差が生じるのに重大な影響を与えたのが「戊辰戦争」だというのである。戊辰戦争とは言うまでもなく、王政復古を経て明治政府を立てた薩摩藩・長州藩・土佐藩などを核とした新政府軍と、旧幕府軍や東北諸藩が結成した奥羽越列藩同盟が戦った我が国の「内戦」である。
氏によれば、九州地区の医学部は歴史が古く、長崎大、鹿児島大、熊本大は長崎奉行書西役所医学伝習所や藩医学校を前身としており、それが明治以降、地域の中核医学部として発展している。九州は維新以降も重点的に開発され、九州大と久留米大学は1903年、1928年に設立されている。一方、賊軍とされた幕府側は医学部教育でも憂き目を見ており、その代表が会津藩だという。会津藩には日新館という当時全国有数の藩校があり、その中には医学校もあったが、戊辰戦争で焼失し、その後再建されることはなかった。福島県に医学校ができるのは、終戦直前の1944年である。福島女子医専、現在の福島県立医大である。人口200万の福島県に医学部はこの1校しかなく、人口当たりの医師数は全国平均を大きく下回っている。
氏は強調する。「学校教育や西洋医学などの近代の社会システムの根幹が形成されたのは明治期です。そして、そのグランドデザインを描いたのは薩長を中心とした維新の志士たちです。彼らは出身地へ重点的に資源を投資したと考えるのが妥当でしょう。一方、関東の多くは幕府直轄領、あるいは親藩・譜代大名の領地です。戊辰戦争後の戦後処理で、冷遇されたのも無理ありません」。「教育は人材養成の根幹です。高等教育機関が出来れば、そこへの入学を目指し、中学・高校が切磋琢磨して裾野が広がります。例えば、九州には、北は修猷館高校から、南は鶴丸高校まで全国レベルの公立進学校が、多数存在します。修猷館、鶴丸高校は何れも藩校に由来します。一方、東京以外の関東圏の進学校は、千葉高や浦和高校など少数です。これらは、明治期に創設された旧制中学が前身です。九州の雄藩が、如何に教育に力を入れていたかお分かりでしょう」。
その影響は今も続いている。これについては相馬中央病院内科医の森田知宏氏が論じている。氏は、国立大学医学部のない県に着目する。そして、国立大学医学部がないということは、教育格差を表していると指摘する。国立大学は国がつくり、運営交付金という形で国が補助する。総額1兆1千億円程度が国立大学に支払われるが、その額は大学によって多寡があり、多く支払われている大学は全て医学部を持っている。
しかし、一部の県には国立大学の医学部がない。国立では年間の授業料が50万円強なのに対し、私立では年間300万円、場合によっては1,000万円近く必要なところもある。これでは私立大学の医学部に行ける高校生は限られてしまい、「教育の平等という視点から考えれば、由々しき問題」と氏は指摘する。東北で国立大学医学部のない県は岩手と福島である。特に岩手は私立の岩手医大が唯一の医学部を持つ大学であり、岩手の高校生が国公立の医学部を受験しようとした場合、他県の大学を受験しなければならない。なおかつ、関東にも国公立大学の医学部は6校しかなく、関東の高校生が距離的に近い東北の国公立大学を狙うため、岩手の高校生にとっては東北の国公立大学の医学部を狙うのは自ずとハードルが高くなるというのである。
他県から入学した医学部生は卒業するとその多くが地元に戻るため、東北でいくら医学生を養成しても地元はいつまで経っても医師が不足したままという状況になる。氏もその状況について、「1886年の帝国大学令から続く大学の歴史は明治維新と切り離せません」と強調する。同じように国立大学医学部のない和歌山は「御三家」の一つ、国公立大学医学部が少ない関東一円は幕府のお膝元で、「山口や鹿児島に旧藩主サポート下の県立医学校が1800年台から存在したことと対照的」と指摘する。東北の状況も同様の理由だということである。
明治以来続くこうした状況が一足飛びに変わるとは考えられない。であっても、現状を少しでも変える取り組みは必要である。具体的には、もちろん簡単なことではないにしろ、他地域から大学入学をきっかけに東北に住んだ医学生が、卒業後も引き続き愛着を持って住み続けてもらえるような、そのような地域をつくっていかなければ、東北の先行きは成り立たないということである。