2004年08月27日 

私的東北論その1〜東北は六つで一つ

7ec442d9.jpg 夏の高校野球が終わった。今年は南北海道の駒大苫小牧が北海道勢として初めて優勝した。ベンチ入りした18人全員が道内の中学校の出身とのことで、お見事と言う他ない。優勝旗が白河の関(福島県白河市;東北と関東の境界)を越え、そこにとどまらず津軽海峡も越えていったことで、東北の人たちの悲願だった「真紅の優勝旗の白河越え」は実現されたのやらそうでないのやら、よく分からない状況になっている。

 東北の人は、自分の県以外の他の東北の県の高校も応援する。例えば、私は仙台に住んでいるから私の周りはもちろん東北高校を応援したが、それ以外にも青森の青森山田、岩手の盛岡大附属、秋田の秋田商業、山形の酒田南、福島の聖光学院の勝ち負けも話題に上り、その結果に一喜一憂するのである。

 仙台育ちの私はそうしたことはごく自然なことだと思っていたが、私の職場の上司によれば他の地方では決してそうではないと言う。私の上司は静岡の中部の出身である。静岡は伊豆を含む東部、静岡市を中心とする中部、浜松市を中心とする西部の3つの地域に分かれるが、上司のところでは、静岡代表が中部以外の東部や西部の高校だとそれほど熱心に応援しなかったし、ましてや他県の高校など応援しなかったそうである。

 たまたま私の上司の周りには心の狭い人しかいなかったのか、それとも一般的にそういう傾向があるのか詳しく調べたわけではないが、確かに東北という地方は他の地方よりも「一体感」のようなものがあるような気はする。

 例えば、静岡県のある中部地方は、面積という点では東北に匹敵する広さを持つが、その中にさらに東海、甲信越、北陸という異なる風土、文化を持つ3つの地域が含まれ、地域としてそれほど一体感があるようには見えない。東北では「東北六県」という言葉が日々ニュースや新聞に登場するが、中部九県(愛知・岐阜・静岡・山梨・長野・福井・石川・富山・新潟)という言い方はあまり聞いたことがない。近畿地方は二府五県からなるが(京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重)、その中で三重は愛知や静岡と共に東海に入れられることもあり、線引きは必ずしも明確ではない。

 それに対して、東北はもちろん県によって言葉や文化に差異はあるが、それでも全体としては「東北の一部」であるという意識が強いように思われる。これには歴史的な経緯も関係しているのだろう。その昔、東北は陸奥(太平洋側)と出羽(日本海側)の二国しかなく、どちらの国にも朝廷にまつろわぬ人々(=蝦夷)が住んでいた。いずれ書こうと思うが、12世紀には奥州藤原氏が陸奥、出羽二国を実効支配し、事実上独立国のようになっていたし、近世でも明治維新の折に奥羽越列藩同盟が結ばれ、新政府軍と対峙した。

 最近、地方分権の論議と共に道州制の導入が話題となっている(第28次地方制度調査会)。道州制実現の暁には、他の地域ではどの県とどの県が一つになるか議論になるかもしれないが、恐らく東北では東北六県が一つとなった「東北州」が誕生するに違いない。それは、奥州藤原氏以来、800年を超える年月を隔てて再び東北が一つになることでもある。

 しかし、懸念もある。東北が一つとなってしまったら、夏の高校野球の出場枠は一つに減らされるか、よくても北東北と南東北の二つになってしまうだろう。そうしたら、確率的に東北の高校の優勝の可能性は減ってしまう。東北の高校球児には、ぜひとも東北が一つになる前に優勝してほしいものである。

anagma5 at 18:36│Comments(1)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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この記事へのコメント

1. Posted by nyaまたはk2002   2004年09月11日 20:25
はじめまして、偶然たどりつきました。
福島市民です。

この夏の高校野球は、燃えました。一瞬ですけど^^;
東北の人は、東北六県の出場校ならばたとえ他県でも応援する、というのは
すばらしい指摘だと思いました。
そうなんです。
ですけどそれは、弱いからだと思っていました。
自分ちの出場校は(福島は特に)すぐ負けちゃうんで、つまらないからよその学校を応援するのかなあと思います。

しかし終わったことですけど、聖光学院の試合は勝てる試合だったんです(泣
後日、地元の新聞記事では、監督が「采配ミスだった」と言っていたらしいです。くやしいです。
ですが負け慣れしてる福島市民は、「あ〜バカバカ〜」とつぶやいた後、
何事もなかったかのように仕事に戻ったのです(笑

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