2004年09月03日 

私的東北論その2〜東北の「首都」は平泉に

a7c38816.jpg 青森、岩手、秋田の北東北三県で、将来の合併を念頭に置いた様々な取り組みが始まっている。三県は、産業廃棄物税の共同導入や三県合同の事務所の設置、三県知事によるサミット、三県の若手職員による北東北広域政策研究会の活動などの実績を積み重ねてきた。

 同研究会は昨年8月に出した最終報告書の中で「2010年に対等合併して『北東北特別県』となり、さらにその後5年から10年をかけて東北六県による『東北州』実現」を提言しており、恐らく将来の道州制の実現に一番近い位置にいるのがこれら三県だと思われる。

 野田一夫氏という高名な経営学者がいる。若かりし頃はP.F.ドラッガーの著書を日本で初めて翻訳して紹介し、最近では多摩大学宮城大学など、既存の枠にとらわれない大学を作ったことで話題を呼んだ。

 野田氏は宮城大学学長の職を辞した後も、社会開発研究センターの理事長として、仙台にとどまり、週の半分は仙台にいる。というのも野田氏の生まれは岩手の盛岡であり、かつては岩手の野田村の有力者だった家柄だそうで、東北には殊のほか思い入れが強いからなのだそうである。その野田さんがここ数年主張しているのが、「東北独立」である。中央権力に依存せず、東北が独立して自主的な開発をすべきだとしている(参考サイト)。

 独立国というのは一つの比喩で、独立するくらいの気概を持って東北は一体となって進めというメッセージだと私は思っており、それには大賛成である。ただ、野田氏は東北が独立した際には仙台はその「首都」となれと言っている。確かに、人口、都市機能など見ても仙台はそれにふさわしい要件を備えているように思える。

 しかし、私はあえて「首都」には、仙台でない地を選ぶべきと思っている。具体的には、私は東北が独立した暁の「首都」、あるいは東北が一つの州になった際の「州都」として、岩手県の平泉町を推したい。以下そう考える理由を述べたい。

 まず、地域全体のバランスである。仙台は東北全体を考えた際に南に偏り過ぎている。北三県から見て遠い「首都」は、「国土」の均等な発展を考えた際に果たしてふさわしいかどうか。今ですら仙台への一極集中が言われている。その状態がそのまま引き継がれるようでは、一つになった後の状況が心配である。仙台がそのまま「首都」になると、東京にすべてが集中している今の日本をそのまま「縮小コピー」したような変わり映えのしない「国」ができてしまう公算が高い。

 ましてや、先に触れたように、現在統一への動きは北三県で盛んである。北東北三県が合併した後に、南三県がそれに合流するという形で東北が一つになる可能性もある。そうした時に、合併した後の「首都」が南の仙台というのでは、北三県としては「今までの自分たちの苦労をよそに後から来た仙台がおいしいところを取っていってしまう」というような思いを抱くのではないだろうか。

 それに対して、平泉は岩手にある古都である。藤原清衡がここを本拠と定めたのにはもちろん理由がある。東北の南端の白河の関(現在の福島県白河市)から北端の外ヶ浜(現在の青森市)までのちょうど中間に位置していたのである。現在の地理的条件を見ても、平泉から北80kmに盛岡市があり、南83kmに仙台市がある。そして、その盛岡市の北129km先に青森市、西90km先に秋田市があり、仙台市の西46km先に山形市、南66km先に福島市がある(いずれも直線距離)。

 こうして見ると、実に絶妙の位置に平泉はある。平泉を「首都」と定め、仙台、盛岡が南北から平泉を支えつつ、それぞれ福島・山形、青森・秋田と平泉とをつなぐ役割を果たせば、北東北三県も「疑心暗鬼」に陥ることなく、一つとなった東北について一緒に考えていけるはずである。

 もう一つ、平泉を「首都」とするメリットは、平泉の「小ささ」である。三方を山に囲まれた平泉の土地には限りがある。さらに、平泉は現在世界文化遺産登録を目指しており(参考サイト)、重要な史跡なども数多く、安易に開発できない。それがよいのである。地域を元気にするためには、それぞれの地域の裁量を増やすことが必要である。今地方分権の論議が活発なのもそれが理由だが、東北州(あるいは東北国)においても「大きな政府」はいらない。平泉の町に収まる規模の「小さな政府」があればよいのである。

 平泉は早晩世界文化遺産に登録されるだろうが、その世界文化遺産を抱えた「首都」の誕生に期待したい。(写真は平泉にある毛越寺の浄土庭園のもみじ)

anagma5 at 19:12│Comments(0)TrackBack(0)clip!私的東北論 

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