私的東北論  

2019年11月13日

高等教育と人口移動(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その125

 10月16日発行の「東北復興」第89号では、東北地方からの人口移動について取り上げた。第86号で論じた東北の人口減少についての続編のようなもので、以下がその全文である。


高等教育と人口移動

東京に住む東北出身者は低学歴?
 7月16日発行の本紙第86号では、東北の人口減少について取り上げた。1995年に983万4千人だった東北地方の人口は、今年6月時点で868万2千人と、何と115万人も減少しているのである。仙台市の人口が現在108万人だが、それを上回る数の人が東北地方からいなくなったことになっているわけである。

 その大きな理由の一つが少子化による出生率の低下にあることは言うまでもないのだが、それ以上に問題なのは東北地方から主に首都圏への人口流出である。少子化についても人口流出についても、なかなか抜本的な解決策が講じられず、この現状を打破することは容易なことではないが、考えられることについて書いてみた。

 そんな中、最近の週刊誌に気になる記事があった。「都市部の東北出身者に『非大卒』が多いのはなぜか」という記事で、女性セブン2019年10月10日号に掲載されているようである。

 元々、東北六県の大学進学率は低い。文部科学省のデータを調べてみると、2017年度の短大を含む大学進学率は全国で54.8%と、既に半数を超えている。その一方で同年度の東北各県の進学率を見ると、宮城が最も高いがそれでも49.2%と半数に届いていない。都道府県別の順位でも27位である。他の5県はさらに低く、高い順から福島45.6%(34位)、秋田と山形が45.3%(35位)、青森44.5%(39位)、岩手43.6%(43位)となっており、総じて東北の大学進学率は他地域に比べて元々低い。

 ちなみに、高い方では、京都66.2%、東京65.9%、神奈川61.3%、広島と兵庫が60.7%などとなっており、10位まで見てもランクインしているのは首都圏と西日本の各都道府県である。

 記事中に登場する早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二氏によれば、「この進学率の差は、そもそも地方の大学定員が少ないことが少なからず関係していますが、それだけではありません。特に、東北地方には、特有の傾向が見られます。東京在住者を対象に、東京、千葉、神奈川などの南関東出身者、東北出身者、関西や九州などそれ以外の出身者と、3グループに分けてそれぞれ行った調査によると、大卒者の割合は、南関東で44.9%、それ以外で52.5%、東北では17.9%と、東北の大卒割合が他の地域に比べて著しく低かった。反対に、非大卒者の多い労働者階級の割合は、東北出身者は67.9%と最も高く、南関東は50%、それ以外では38.9%でした」とのことである。

 つまり、東京にいる東北出身者は、他地域の出身者に比べて非大卒者の割合が明らかに高いというのである。このことについて同氏は、「東北地方の大学進学率がもともと低いこともありますが、一般に、多くの地方出身者は高度な知識や経験、技術などを発揮できる職を求めて上京するため、大卒の地方出身者が多くなるのに対し、東北では、大卒者は地元で就職することが多く、非大卒者は職を求めて上京する傾向が強いのではないかと思います」としている。やはり同記事中に登場する作家の橘玲氏は、「他人と比べて、何らかのアドバンテージを持つ地方出身者は都市部に行こうとする傾向が強い。学歴による収入格差はあるものの、地方にとどまる人よりも、経済的に豊かになる傾向は強いでしょう」と指摘しているのだが、こと東北に限って見ると、橘氏の見方は当てはまらなさそうに見える。

 橋本氏は進学率の差が地方の大学定員の少なさにあるとしたが、実際はそうでもなさそうである。東北六県の大学の入学定員を人口で割ってみると、青森0.0027、岩手0.0019、宮城0.0049、秋田0.0021、山形0.0025、福島0.0018である。これに対して先ほど大学進学率が上位にあった都道府県を見てみると、京都は0.0123、東京は0.0102と、人口当たりの入学定員は東北各県と1ケタ違うが、神奈川は0.0050、広島は0.0047、兵庫は0.0049と、宮城とそれほど変わらないことが分かる。すなわち、大学入学定員が少ないから進学率が低いということではなさそうである。

 ではなぜ、東北六県の大学進学率は低いのか。恐らく、大学進学だけに価値を見出しているのではない人の割合が高いのではないだろうか。例えば、農業や漁業など、親の代あるいはそれ以前の代から続いてきた職業を継ぐなどのケースがそれに当たる。

seven1936_P52 一方で、橋本氏の指摘する、「都市部の東北出身者に『非大卒』が多い」という指摘は、確かに記事中のグラフ(左図参照)を見ると一目瞭然のように見える。ただ、このグラフで注意しなくてはならないのは、どの世代のことなのか明記されていないということである。老若男女問わずとにかく東北出身者ということであれば、ある程度説明はつくように思われる。要は、かつて集団就職で上京して職に就いた多くの東北出身者の存在である。集団就職は1976年に廃止されたが、その時までに上京した人は60歳が下限となるわけで、いまだその多くが東京に住んでいると考えられる。「金の卵」ともてはやされて故郷を離れ、東京に住んだこれらの人がどのような職業人生を送ったのか、これまであまり表に出ることはなかったように思うが、一度お話を聞いてみたい気がする。

今も尾を引く「戊辰戦争」の影響
 東北地方の大学定員が他地域に比べて少ないわけではないということは分かったが、ある学部に限って見ると、違った姿が見えてくることもまた事実である。ある学部とは、医学部である。こと医学部に限って見てみると、様相はガラリと変わるのである。

 現在、全国に医学部は80ある。各都道府県に最低一つ、医学部はあるので一見そこに差はないように見えるが、よく見ると実はかなり差がある。その辺りのことについては、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が詳細に論じている。

 氏は指摘する。「九州の人口は1,320万人ですが、10の医学部があり、年間約1,000人の医師を養成します。四国の人口は401万人で、4つの医学部があります。ちなみに、このレベルは、人口1,300万人で11の医学部がある東京と同レベルです。一方、千葉・茨城・埼玉県の人口は合計1,630万人ですが、医学部は4つしかありません。うち一つは防衛医大のため、地域医療への貢献は限定的です」。ちなみに、東北は四国の倍以上の868万人の人口でありつつ、医学部は長らく6つのみであった。その後、東日本大震災を受けて、東北の医師不足への対応と被災地復興の支援を目的として1校だけ医学部新設が認められ、現在は7つである。

 上氏はこの「格差」の理由について、重要な指摘を行っている。こうした医学教育の格差が生じるのに重大な影響を与えたのが「戊辰戦争」だというのである。戊辰戦争とは言うまでもなく、王政復古を経て明治政府を立てた薩摩藩・長州藩・土佐藩などを核とした新政府軍と、旧幕府軍や東北諸藩が結成した奥羽越列藩同盟が戦った我が国の「内戦」である。

 氏によれば、九州地区の医学部は歴史が古く、長崎大、鹿児島大、熊本大は長崎奉行書西役所医学伝習所や藩医学校を前身としており、それが明治以降、地域の中核医学部として発展している。九州は維新以降も重点的に開発され、九州大と久留米大学は1903年、1928年に設立されている。一方、賊軍とされた幕府側は医学部教育でも憂き目を見ており、その代表が会津藩だという。会津藩には日新館という当時全国有数の藩校があり、その中には医学校もあったが、戊辰戦争で焼失し、その後再建されることはなかった。福島県に医学校ができるのは、終戦直前の1944年である。福島女子医専、現在の福島県立医大である。人口200万の福島県に医学部はこの1校しかなく、人口当たりの医師数は全国平均を大きく下回っている。

 氏は強調する。「学校教育や西洋医学などの近代の社会システムの根幹が形成されたのは明治期です。そして、そのグランドデザインを描いたのは薩長を中心とした維新の志士たちです。彼らは出身地へ重点的に資源を投資したと考えるのが妥当でしょう。一方、関東の多くは幕府直轄領、あるいは親藩・譜代大名の領地です。戊辰戦争後の戦後処理で、冷遇されたのも無理ありません」。「教育は人材養成の根幹です。高等教育機関が出来れば、そこへの入学を目指し、中学・高校が切磋琢磨して裾野が広がります。例えば、九州には、北は修猷館高校から、南は鶴丸高校まで全国レベルの公立進学校が、多数存在します。修猷館、鶴丸高校は何れも藩校に由来します。一方、東京以外の関東圏の進学校は、千葉高や浦和高校など少数です。これらは、明治期に創設された旧制中学が前身です。九州の雄藩が、如何に教育に力を入れていたかお分かりでしょう」。

 その影響は今も続いている。これについては相馬中央病院内科医の森田知宏氏が論じている。氏は、国立大学医学部のない県に着目する。そして、国立大学医学部がないということは、教育格差を表していると指摘する。国立大学は国がつくり、運営交付金という形で国が補助する。総額1兆1千億円程度が国立大学に支払われるが、その額は大学によって多寡があり、多く支払われている大学は全て医学部を持っている。

 しかし、一部の県には国立大学の医学部がない。国立では年間の授業料が50万円強なのに対し、私立では年間300万円、場合によっては1,000万円近く必要なところもある。これでは私立大学の医学部に行ける高校生は限られてしまい、「教育の平等という視点から考えれば、由々しき問題」と氏は指摘する。東北で国立大学医学部のない県は岩手と福島である。特に岩手は私立の岩手医大が唯一の医学部を持つ大学であり、岩手の高校生が国公立の医学部を受験しようとした場合、他県の大学を受験しなければならない。なおかつ、関東にも国公立大学の医学部は6校しかなく、関東の高校生が距離的に近い東北の国公立大学を狙うため、岩手の高校生にとっては東北の国公立大学の医学部を狙うのは自ずとハードルが高くなるというのである。

 他県から入学した医学部生は卒業するとその多くが地元に戻るため、東北でいくら医学生を養成しても地元はいつまで経っても医師が不足したままという状況になる。氏もその状況について、「1886年の帝国大学令から続く大学の歴史は明治維新と切り離せません」と強調する。同じように国立大学医学部のない和歌山は「御三家」の一つ、国公立大学医学部が少ない関東一円は幕府のお膝元で、「山口や鹿児島に旧藩主サポート下の県立医学校が1800年台から存在したことと対照的」と指摘する。東北の状況も同様の理由だということである。

 明治以来続くこうした状況が一足飛びに変わるとは考えられない。であっても、現状を少しでも変える取り組みは必要である。具体的には、もちろん簡単なことではないにしろ、他地域から大学入学をきっかけに東北に住んだ医学生が、卒業後も引き続き愛着を持って住み続けてもらえるような、そのような地域をつくっていかなければ、東北の先行きは成り立たないということである。

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2019年09月18日

パネルディスカッションで伝えてきたこと(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その124

  9月16日に発行された「東北復興」第88号では、前号に続いて先の第23回日本看護管理学会学術集会でお話させていただいたことをまとめてみた。

 以下がその全文である。

 なお、当日使用したスライドの内容はこのようなもの(PDF)である。

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パネルディスカッションで伝えてきたこと

 前号でも紹介した通り、8月23、24日に新潟市内で開催された「第23回日本看護管理学会学術集会」のパネルディスカッション1「大規模災害における看護管理者の役割」において、パネリストを務めさせていただいた。限られた時間ではあったが、私からは‥貽本大震災の概要、看護管理者の方々からの伝言、「経験知」は正しいか、ご埜邊浜者の皆さんに伝えたいこと、の四点についてお話してきた。その内容について、備忘録の意味も含めて以下にそれぞれ紹介していきたいと思う。

東日本大震災の概要
 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震は、世界の観測史上4番目に大きな規模の地震であった。これまでに観測された地震の中で最大の地震は日本にも大きな津波被害をもたらした1960年のチリ地震で、そのマグニチュードは実にM9.5であった。東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0である。9.5と9.0ではそれほど違いがないように見えるが、マグニチュードは0.1大きくなるごとに地震のエネルギーは約1.4倍になるので、チリ地震は東北地方太平洋沖地震の1.4の5乗、すなわち約5.4倍ものエネルギーを持った地震ということになる。

 東日本大震災の人的被害は改めて言うまでもなく甚大で、消防庁の発表によれば、死者は震災関連死を含めて19,689九人、行方不明者もいまだ2,563人いる。毎月月命日の11日には今も消防や警察、ボランティア、それに肉親を捜す家族によって捜索が続いているが、発見に至る件数は年々減少している。震災直後の一年間で10,806人が見つかったが、次の一年間では311人、その後はずっと二桁台か一桁で、昨年3月からの1年間で見つかった人数は6名に留まっている。

看護管理者の方々からの伝言
 パネルディスカッションのテーマは「看護管理者の役割」であるが、私自身は看護管理者ではないので、お付き合いのある看護管理者の方々に、/椋丗慮海魴个討海裡固間、看護管理者として力を入れてきたことは何か、どんな思いを持っているか、⊃椋劼悗糧え、対応について全国の同じ看護管理者の方々に一番伝えたいことは何か、の2点についてお話を伺い、その概要について紹介した。その内容については、前号で紹介した通りである。震災において引き起こされた様々な事態に対応し、患者や職員の身を守り、地域の医療・看護を守り抜いてきた方々の言葉には、本当に説得力があった。私のお話した内容の中でも、ここが最も重要だったと考えている。

「経験知」は正しいか
 震災における「経験知」が貴重なものであることは間違いないが、ただし、その「経験知」が普遍的なものかどうかについては十分な検証が必要ということで、いくつかの「経験知」について、以前この連載でも検証した。今回は、…吐箸料阿砲楼き潮がある、∪臑翳震遒膨吐箸詫茲覆ぁ↓B腓な地震の時には津波が来る、38年に一度宮城県沖地震が起こる、ゥ魯供璽疋泪奪廚鯑に入れて行動する、Α崢吐箸討鵑任鵑魁廚力擦弔砲弔い銅茲蠑紊欧拭,砲弔い討蓮引き潮がなくても津波は来ること、△砲弔い討蓮∈2鵑鯲磴飽くまでもなく歴史上度々襲来していること、については東日本大震災を上回る死者を出した1896年の明治三陸地震を例に、震度の小さい地震でも津波は起こり得る、ということをお伝えした。

 い砲弔い討蓮江戸時代からの記録を調べてみると、概ね26年から42年の間隔で地震が発生しているものの、中には前の地震の翌年や3年後に発生していることもあり、決して「38年に一度」ではないこと、にも関わらず、何となく「次に大きな地震があるとしてもそれはここ以外」という感覚が被災地全体にあることについて、「災害は忘れた頃にやってくる」ではなく「災害は忘れる前にやってくる」かもしれない、ということで警鐘を鳴らさせていただいた。

 イ砲弔い討蓮弟の事例を引きながら、仙台市の震災前の津波ハザードマップが震災による被害を受けて大きく改定されたことを紹介した。その上で、ハザードマップはある条件内で想定される被害予測であり、実際にはその条件を上回る災害が起こることもあること、従ってハザードマップはその時点でのもので、今後も改訂されていくものであることを指摘して、ハザードマップは参考にはしても、決して絶対のものと考えてはいけない、ということをお伝えした。

 Δ砲弔い討蓮以前この連載でも紹介したが、「てんでんこ」とは岩手県三陸地方の言葉で「各自」「めいめい」「てんでんばらばら」という意味で、「津波てんでんこ」は「津波から逃げる時はてんでんばらばらに逃げろ」、「命てんでんこ」は「命はめいめいが守れ」という、いずれも三陸地方に伝わる教訓であることを紹介した。そして、この「津波てんでんこ」に「自分さえ助かればそれでいいのか」という批判の声があるが、「津波てんでんこ」で大事なのは非常時より平時のアクションの方であることを指摘して、いざという時にめいめいが自分のことだけを心配して逃げればいいように、普段から非常時のアクションについて話し合い、その通りに行動するように申し合わせておくことがベースにあること、それによっていざという時には家族、知人も同じように避難していると考えて、 自分の身を守ることだけに専念できる態勢になれることを指摘して、日常からの相互の信頼関係があってこその「てんでんこ」であるということをお伝えした。

看護管理者の皆さんに伝えたいこと
 私がこれまで経験したり、見聞きしたり、調べたりしたことの中で、看護管理者の皆さんにお伝えしたいこととして、仝妬現顱γ楼茲療曽気房を傾ける、BCPから地域連携BCPへ、自分の命を守ることを最優先に、ぢ慮海靴燭海箸鯏舛続けること、の四点を挙げさせていただいた。

 ,砲弔い討蓮東日本大震災と同じ規模の大地震である西暦869年の「貞観地震」の記録が「日本三大実録」にあること、そしてその内容について紹介した。「海は、数十里乃至百里にわたって広々と広がり、どこが地面と海との境だったのか分からない有様であった。原や野や道路は、すべて蒼々とした海に覆われてしまった」という表記が、今回の仙台平野を襲った状況と全く同じであること、砂質堆積物の地質調査で貞観地震による浸水範囲と今回の地震の浸水範囲とがほぼ一致することなども紹介した。

 また、仙台市若林区にある浪分神社に、江戸時代に仙台平野を襲った津波(慶長三陸地震津波)の際、この神社のある場所で波が分かれて引いた、との伝承があったものの、そのその伝承が震災前には地域に伝わっていないかったこと、今回の地震でも神社のすぐ近くまで津波が押し寄せたことを挙げて、どんな伝承も教訓も伝わらなければ意味がないことを強調した。

 もう一例、岩手県宮古市姉吉地区にある「大津波記念碑」についても取り上げた。「 高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」との記載のあるこの碑は1933年の昭和三陸沖地震の後に建てられた。姉吉地区は明治三陸沖地震の津波で壊滅したが、その教訓が伝えられず昭和三陸地震でも甚大な被害を出している。今回の東日本大震災でも、石碑より低い場所には大津波が押し寄せたが、教えを守った全一一世帯の家屋は被害を免れており、悲劇は二度繰り返されたが、三度目は被害を最小限に食い止めたということをお伝えした。

 △砲弔い討蓮東日本大震災を受けて厚生労働省が平成24年に「災害時における医療体制の充実強化について」という医政局長通知を出してBCP(事業継続計画)の作成を各病院に要請しており、翌平成25年には「病院におけるBCPの考え方に基づいた災害対策マニュアルについて」において「BCPの考え方に基づいた病院災害対応計画作成の手引き」も示しているものの、いまだ全病院のうち、BCPを策定している割合が25パーセントに留まっていることをまず紹介した。

 その上で、まずBCPを策定するのは必須であるものの、策定されたBCPが本当に災害時に機能するものかどうか検証が必要と指摘して、日常の医療が「一病院完結型」から「地域完結型」へと転換していることを踏まえて、災害時のBCPも他病院など関係機関との連携を前提にすべきで、地域の病院同士が互いにBCPを持ち寄って、発災時の役割分担や連携の方法を検討し、それを再度各病院のBCPに反映させてより実効あるBCPとすることで災害時の地域医療を守る「地域連携BCP」の策定を提案させていただいた。「備え」とは、ただ単にないものをつくるというものではなく、いざという時に機能するものをつくることであるということも付け加えさせていただいた。

 については、特に専門職は、発災時に自分の能力の限界を超えて完璧を目指してはいけない、ということを強調して、まず自分の命を守ることを最優先にしてほしいと呼び掛けた。そして、自分を助けることが、その先何人もの患者、地域住民を助けることにつながること、そのことを看護スタッフ一人ひとりにも繰り返し伝えてほしいことをお伝えした。

 い砲弔い討蓮∨困譴覆い海函伝え続けることによって、次の災害による被害を最小限に防ぐことができること、一人ひとりの経験を「知」として共有することで、「想定外」の領域を狭くできること、そうしたことが災害を「非日常」としてでなく、「日常」の一部として捉えることにもつながることをお伝えした。

 ただし、決してムリをしないことが重要であることも併せてお伝えした。避難と同じように、復興も一人ひとり「てんでんこ」でよいと私は考えていて、一人ひとりがムリせず続けられることが息の長い取り組みにつながっていくと考えているからである。

 最後に、「災害発生時に一人でも犠牲になる人が少なくなるよう、一人ひとりが、できることを地道に着実に、やり続けましょう」と呼び掛けて、私の話を終えた。どれだけ役に立つ話ができたかは心配なところはあるが、今後も機会があれば、引き続き伝えるべきことは伝えていきたいと考えているところである。


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2019年09月10日

被災地の看護管理者からの伝言(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その123

 8月16日に発行された「東北復興」第87号では、4人の看護管理者の方に改めて語っていただいた東日本大震災についてのお話を紹介した。元々は、去る8月23日、24日に新潟市内で開催された第23回日本看護管理学会学術集会のパネルディスカッションで話をする際に紹介するつもりでお話をお聞きしてきたものだが、震災に関する貴重な証言でもあるので、文字として残しておこうと思ったものである。

 以下がその全文であるが、初出時から体裁を変更している。


被災地の看護管理者からの伝言

 東日本大震災の発災から8年5カ月が経った。この間、医療や介護の専門職がどのようなことを考え、どのような行動を取ったかといったことについては、マスメディア等でもあまり多く報じられてこなかった感がある。しかし、実際には、地域住民や患者、利用者のために獅子奮迅の働きをしていたのである。

 今回、第23回日本看護管理学会学術集会のパネルディスカッション1「大規模災害における看護管理者の役割」にパネラーの一人としてお招きいただいたことを機に、以前からお付き合いのある看護管理者の方々に、改めて震災の発災から今に至る経過の中で、看護管理者として力を入れて取り組んできたことや、全国の同じ看護管理者に特に伝えたいことについてお話を伺った。その大枠について、ここに紹介しておきたい。

福島第一原発至近の病院にいて
 西山幸江さんは福島県の浜通り、福島第一原発が立地していた双葉町にある双葉厚生病院で看護部長をしていた。地震の後、津波は辛うじて病院の手前で止まったものの、福島第一原発の全電源喪失という予想だにしなかった事態を受けて、避難指示が出された。重症者も含めて病院の全入院患者と職員が、避難を余儀なくされた。指示命令系統が混乱する中、過酷な避難を強いられて、亡くなった患者も何人も出たことが痛恨の極みだったと語ってくれた。西山さんは双葉厚生病院が閉鎖された後、系列の中通り南部にある塙厚生病院の看護部長、白河厚生総合病院の看護部長を歴任し、現在は福島市内にある福島第一病院の看護部長としてご活躍中である。その西山さんのお話である。

[呂鯑れてきたこと、思い
原発事故には理不尽さと見えない恐怖を感じた。重要なのは平時の対応。震災前は、原子力は安全だと聞かされていて、災害対策に関心があまりなく、常日頃やっていなかったが、日頃の備えがやはり重要と痛感した。日々の活動の結果が災害時に出る。
・仕事では震災を機にいろいろな経験をさせてもらった。何もなかったらこうしたことは経験できなかった。
・でも、仕事を離れるといまだに心に傷がある。震災の話は嫌という気持ちがいつもある。震災のことを思い出すと心が切れて、泣きそうになる。今も戻れない故郷の双葉町には、今ここにないものがたくさんあった。なくすことの影響がこれだけあることを痛感する。心が満たされていないのを感じる。ずっとこの思いは死ぬまでもっていくのだと思う。

伝えたいこと
災害対応は年間を通してやるべきこととして、医療安全や感染対策と同じように常に日常に組み込まれないといけない。「火事場の馬鹿力」は一瞬のことであり、その後の持続力が大事。
つくづく思うのは人間関係の大事さ。地域の人と仲良くしておくことが災害時にも活きる。日頃やったことの答えが災害時に出る。

巨大津波に見舞われて
 長かおるさんは宮城県の沿岸、女川町にある女川町立病院で看護師長をしていた。女川町立病院は海沿いの高台、標高16メートルの場所にあったが、巨大津波はそこにも容赦なく押し寄せ、病院の一階部分が水没した。当初は患者に加え、避難してきた地域住民への対応に追われた。震災後、町から移管されて地域医療振興協会が指定管理者となった女川町地域医療センターで看護介護部長として今もご活躍中である。その長さんのお話である。

[呂鯑れてきたこと、思い
・震災時に多職種の支援チームで始まった状況確認のためのミーティングが、今も「女川町地域包括ケアネットワーク会議」として続いている。震災の体験が今も活きている。
患者・利用者の安全を守るには、スタッフが元気なことが前提。そのためにスタッフの思いを聞き取る機会をつくることが有効だった。
あの震災を乗り越えたからこそ今がある。震災を経験して、自分の力ではどうにもできないことが起こり得ると腹を括った。その経験知は伝えていきたい。

伝えたいこと
「自分の命は自分で守る」を身につけるべき。専門職として、自身が要救護者にはならないように意識したい。
発災時には病院は「安心の場所」として、避難者もやってくる。災害対策を立てる時はそのことを踏まえた覚悟も必要。一方で、スタッフも被災者であることを忘れずに。
備蓄は分散させること。その中で、自分たちの分は自分たちで日常的に確保しておく。
連携ネットワークは平常時から構築しておかないと、いざという時に機能しない。

 横井智美さんは、同じ女川町で当時、町立病院に隣接した女川町老人保健施設の看護師長として勤務していた。発災時、施設には44名の入所者と8名の通所リハビリテーションの利用者がいた。避難マニュアルでは施設の一階に避難することとされていたが、大津波警報が出されたことで三階屋上に避難することを決断して難を逃れた。現在は女川町地域医療センターで外来看護師長を務めている。その横井さんのお話である。

[呂鯑れてきたこと、思い
・震災前には「震度4以上で参集」という基準があったが、参集の途中で生命の危険に遭遇した職員がいた。まずは自分の命と家族の命を守ることが先決と、優先順位を改めた。
・発災後は、協力し合って、応援が来るのを信じて、しのぐ、つなぐという思いだった。
ネットワークは平時からつくらなければ、いざという時につながらない。
・いつでも管理者がいるとは限らない。いる人たちでリーダーシップを発揮して対応できるように日頃からしておかないといけない。いつでも備える気持ちが必要。

伝えたいこと
・自分たちが体験したことは皆さんの命をつなぐヒントになるかもしれない。次世代につないでいかないと、という意識を持っている。
「自分だけは大丈夫」という思いは禁物。人は自分の都合のよい考え方をするものと思っておく。マニュアル通りでなく、臨機応変に自分を守る行動をしてほしい。
・被災時に自分たちの状況を発信するすべがなかった。情報を伝えるすべを確保しておきたい。

風評被害を乗り越えて
 鈴木のり子さんは福島県の浜通り南部、東北第二の都市いわき市にある、いわき市立総合磐城共立病院で看護師長をしていた。震災時、いわき市は福島第一原発と同じ浜通りにあるということで、風評被害から物資が届かなくなり、医薬品や医療材料などが極端に不足する中、病院一丸となって懸命に地域医療を守った。老朽化が進んだ病院から患者を避難させ、安全が確認できてからまた院内に戻すなどの対応にも追われた。震災後、副看護部長、副院長兼看護部長を歴任して、現在は昨年12月に移転新築していわき市医療センターという名称となった新しい病院で患者サポートセンターの副センター長としてご活躍中である。その鈴木さんのお話である。

[呂鯑れてきたこと、思い
マニュアルをもっと実用的なものにしなくては、と痛感した。ただ、震災時は動転しながらも年2回やっていた防災訓練に準じて動けた。
震災後は防災訓練も「ブラインド訓練」にした。震災後、DMATを編成、他地域に応援に行ける体制をつくった。看護部としても災害支援看護師を多く育成し、災害対策委員を置いた。
自主避難して戻ってきた人、避難せずに残った人、お互いに苦しかった。お互いの気持ちを聞きながら、時間は掛かっても理解し、認め合うことに努めた。悲しみや苦しみは乗り越え、教訓は忘れないという思いで。

伝えたいこと
専門職として、命を落としてはいけない。
災害は他人事ではない。備えだけは忘れないでほしい。その思いは今後もつないでいきたい。
なぜ看護師になったか、なんのために看護しているのか、看護・医療に対する価値観、倫理感、看護観を意識的に自分の中に育んでいってほしい。いざという時に迷ったり後悔したりしないように。最後は自分で判断できるように。
・震災前は地域との連携が弱かった。困ったときはどう助け合うのか、地域を回って、お互いの状況を話し合い、確認し合った。顔が見える、困ったときに困ったと言える関係の構築が必要。お互い様で、有事に備えよう。
自分の施設の備えの総点検をしてほしい。

「備え」をもう一度見直して

 これら看護管理者の方々の言葉は、自ら体験したことに基づいたものであるだけに、説得力がある。どこにいても、災害の発生を免れることは困難である以上、日頃からの備えが重要であることが、これら四人の看護管理者のお話からも窺える。

 「備え」というのは、ただ単にそれまでないものをつくればいいというものではない。いざという時に機能するものをつくって、初めて「備え」と言えるのである。

 東日本大震災の発災から八年が経過して、その体験の風化が指摘される。一方で、東南海トラフ地震を始めとして、近い将来に予測されている地震災害も複数あり、その備えのために、やはり東日本大震災における経験知は有用である。これからも、機会ある毎に、そうした震災体験による経験知を他の地域の人、この地域のこれからの人に向けて、積極的に発信していきたいと考えている。


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2019年08月18日

東北の人口減少をどうするか(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その122

 7月16日発行の「東北復興」第86号では、東北の人口減少について取り上げた。平成7年に983万4千人だった東北地方の人口は、今年6月時点で868万2千人と、何と115万人も減少しているのである。仙台市の人口が現在108万人だが、それを上回る数の人が東北地方からいなくなったことになる。

 その大きな理由の一つが少子化による出生率の低下にあることは言うまでもないのだが、それ以上に問題なのは東北地方から主に首都圏への人口流出である。少子化についても人口流出についても、なかなか抜本的な解決策が講じられず、この現状を打破することは容易なことではないが、考えられることについて書いてみた。以下がその全文である。


追記(2019.8.19):少子化対策について、永井一石氏がご自身のブログで興味深い提案を行っていた(「デフレを脱却してインフレになるには少子化対策が最優先なのは経済の基本でしょ」)。国債発行を少子化対策の資金として、「子供が生まれたら学校を卒業するまで1人月50000円支給」のような制度をつくることを主張している。

 「子供が多く生まれれば国債の発行額も増えるが、多く生まれている時点で将来の納税者が増え、消費も拡大するのが明確ですからまったくリスクがないんですよ。成功報酬ですからね」と。

 オーストラリアでは実際にそのような子ども手当を実施していて、世帯収入が年間53,728ドル以下だと2週間ごとに子供1人あたり237.86ドルもらえるそうである。実際に、オーストラリアでは田舎で5人くらい子供を作ると、育児だけで食べていけるそうで、「これ、狡くもなんともない。国のために将来の納税者を育てる立派な仕事です。『納税者育成事業』という業種ですな」と、永井氏は指摘している。

超長期人口推計 本文中で挙げた北野幸伯氏もロシアを例に引きながら、著書の中で同様の提案をしている。こうした施策によって例えば、出生率がオーストラリアやロシア並の1.8前後に上がって、将来的に2.1まで持っていけると、人口は下げ止まり、9,500万人前後で安定するという推計を首相官邸自らが出している(「ストップ少子化・地方元気戦略」(要約版))。

 国をこの先も発展させていくために何に投資していくかを考えた際に、この国をこれから支えていく人に投資するというのは極めて合理的な選択であると思う。


東北の人口減少をどうするか

地方と東京の関係性
 地方のことを論じる際に無視できないのが、地方と東京並びにその周辺地域との関係である。東京とその周囲にある神奈川、埼玉、千葉を合わせて「東京(都市)圏」と言うが、東京圏の人口は実に3,544万人。日本の人口の3割弱が居住している計算になる。これは世界の都市圏の中でも文句なしに最多であり、一つの都市圏に3,000万人を超える人が住んでいる地域は、東京圏以外にはインドネシアのジャカルタ(3,228万人)があるだけである。

 東京圏1都3県の人口は、日本全体の人口が減少する中でもさらに増えている。国勢調査の結果によれば、東京都の人口は、2010年から2015年の5年間で35万6千人増加している。ちなみに、東京都の合計特殊出生率(以下、出生率と略す)は全国最低の1.20であるが、にもかかわらず人口が増加しているのは、低い出生率による自然減をはるかに上回る、地方から東京への人の移動による社会増があるからである。

東北における人の出入り
宮城県地域ブロック別純移動数 では、この人口の移動による社会増減はどれくらいあるのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の「第8回人口移動調査」の結果から見てみよう。まず宮城県を見てみる。棒グラフの一番右、2017年には東北各地から4,956人の転出があったが、それを上回る5,357人が東京圏に転出しており、差し引き401人の社会減である。これを見ると、宮城県における東京圏への人口流出を堰き止める防波堤の役割は、残念ながら限定的であることが分かる。





青森県地域ブロック別純移動数 東北の各県についても見てみる。青森県は2017年に東北他県(恐らく大半は宮城と思われる)に1,172人の転出があるが、東京圏にはその3倍超の3,756人が転出している。











岩手県地域ブロック別純移動数 岩手県は2017年に東北他県に877人が転出、東京圏にはやはりその3倍近い2,611人が転出している。














福島県地域ブロック別純移動数 福島県は2017年に東北他県には958人が転出し、東京圏にはその5倍超の4,975人が転出している。東北他県に比べて東京圏への転出が多いのは、地理的な近さが関係しているのかもしれない。














秋田県地域ブロック別純移動数 秋田県は2017年に東北他県には1,135人が転出、東京圏にはその倍の2,288人が転出している。














山形県地域ブロック別純移動数 山形県は2017年に東北他県に814人が転出、東京圏にはその3倍近い2,400人が転出している。














 つまり、宮城を除く東北5県は、同じ東北エリア内への転出の2倍から5倍の数の人が東京圏に転出しているのである。自然減に加えてこの社会減によって、人口減に一層拍車が掛かっているのである。日本全体の人口が減少する中で東京圏の人口だけが増加し続け、一方で東北など地方の人口は社会減によって一層人口が減る、という状況が続いている限り、東京の一極集中の解消など絵空事でしかない。

震災復興に対する全国からの支援
 もう一つ、これを見て分かるのは、震災が起きた2011年以降の状況である。青森、岩手、宮城、福島、秋田、山形、それぞれに特徴があることが分かる。宮城県を見てみると、2011年は東京圏に2017年よりもはるかに多い6,396人が転出しているが、この中には震災からの避難ということも多くあったことだろう。これに対して翌2012年以降は東北以外からの転入者が多い。東京圏への転出も2012年は一転して1,888人と減少している。この棒グラフは転入と転出の差を見ているので、これは単に宮城県から東京圏への転出が減ったということを意味しているのではなく、東京圏からかなりの数の人が転入しているということを暗示している。

 つまり、震災を機に、他地域から宮城県内への転入が大きく増えていたのである。これは言うまでもなく、他地域から、被災地の復興支援のために、住民票を移して、すなわち一時的な来県という形ではなく来てくれた人が大勢いたということである。私たちはこのことを決して忘れてはいけないと思う。

 青森を見ると、2011年は東北他県への移動数がほとんどない。これは青森から東北他県に転出したのとほぼ同数の転入者があったことを示している。恐らく岩手、宮城、福島からの避難であろう。岩手を見ると、2011年は東北他県から、2012年以降は他地域からの転入が増え、東京圏への転出が減っている。震災の年は東北各県から、翌年以降は他地域からの、復興支援のための転入が増えたことが窺える。秋田も青森と同様の傾向で、2011年は東北他県からの転入がプラスになっていて、被災地からの避難者が秋田に転入したことが窺える。山形はその傾向がさらに顕著で、2011年の東北他県からの転入が1,770人に上り、翌年も転出者数を打ち消すくらいの転入者があった。恐らくは隣県の福島からの避難者が山形を頼ったということなのだろう。

 福島のグラフにはその苦難が如実に表れている。2011年の転出者は3万人を超え、転出先も全国各地に及んでいる。2012年も東北他県に3,525人、東京圏に6,085人が転出している。2013年以降は傾向がガラリと変わり、他地域からの転入が増え、東京圏への転出者数も減って見える。ここからは、他地域からの支援者が岩手、宮城よりも遅れて福島入りしていることが分かる。原発事故で出されていた避難指示が順次解除されたタイミングとも重なって見える。

東京では子どもを産み育てられない
 東京の出生率が低いということは、統計的に見て、東京に住むと子どもが生まれない(生めない)ということである。端的に言えば、出生率を上げたいのなら、東京に住む人の数を減らせばよい、ということになる。実際、地方の方が出生率が高い傾向がある。「子どもを生み、育てたかったら地方に住もう」、ということが言えそうなのだが、ここで困ったことがある。地方と言っても、東北は東京ほどではないにせよ、出生率がそれほど高くないのである。宮城の1.30が最低だが、秋田も1.33、岩手1.41、青森1.43、山形1.48となっている。唯一福島だけが1.53と、1.5を超えているが、西日本、特に九州と比べると特に高いというわけでもない。九州は沖縄の1.89を筆頭に、宮崎1.72、鹿児島1.70、熊本1.69、長崎1.68など、軒並み高い。

 東京圏は、東京以外は埼玉と千葉が1.34、神奈川が1.33なので、東北で言えば秋田並で、宮城よりむしろ高い。「地方に住めば子どもを生み育てられる」というのは、少なくとも宮城や秋田に関してはあまり言えなさそうである。

 不思議なのは、この東北の出生率の低さである。東京圏に比べて保育園待ちが深刻というわけでもない、同居や近居の親世代がいる割合も高い、地域とのつながりも大都市圏に比べれば残っている、といった環境は、東北も九州も共通しているのだが、にもかかわらずなぜ出生率がこれだけ違うのか、納得できるような説明はなかなか困難であるように思われる。

 先進国を見てみると、やはり日本と同様に少子化が進んでいるが、その中でも北欧やフランスは比較的高い出生率を維持している。その背景には福祉政策全般に対する信頼感や、出産・子育てに関する手厚い支援の存在などがあると考えられるが、日本国内においてはそれほど支援制度に大きな差がないと考えられる中で出生率にこれだけ差が生じているのは、何か別の要因が関係しているに違いない。

 この点について、ニッセイ基礎研究所の天野馨南子氏は興味深いレポートを公表している。各都道府県における第一子出産時の父親の年齢、母親の年齢とその都道府県の出生率との間には強い負の相関があるというのである。父親の年齢と出生率の間の相関係数−0.74、母親の年齢と出生率の間の相関係数は−0.71とのことで、父親・母親とも第一子出産時の年齢が高い都道府県ほど出生率が低いということが言えるというわけである。

 とすれば、少子化の重要な解決策の一つは、なるべく第一子出産時の年齢を下げるということになる。では、なぜ第一子出産時の年齢が高くなっているかと言えば、晩婚化が進んでいるからである。晩婚化の理由としては、仕事との関係など様々あるだろうが、若くして子どもを持つ傾向が低いのには、経済的な不安があることが予測される。子育てに掛かる費用が高額であることは広く知られているが、一般的に若いと給与水準も低いため、その給与水準で子どもを持つことに躊躇が生まれると考えられる。そこで出産を後押しするためには、若くして生むほど、高い子育て支援金を支給するという仕組みが必要なのではないだろうか。今の議論は第一子でいくら、第二子でいくら、というものだが、若くして生むほど経済的な負担が相対的に大きいのだから、若い人ほど手厚い支援が必要なのである。

 国際関係アナリストの北野幸伯氏によれば、1999年当時のロシアの出生率は今の日本をも下回る1.16だったが、2015年には何と1.75まで回復したという。それを可能にした政策の一つが「母親資本(マテリンスキー・カピタル)」という制度で、これは子どもが2人生まれたら、ロシアにおける平均年収の倍ほどにもなる支援金が支給されて、住宅の購入や修繕、教育などに使えるというものだそうである。先ほど、挙げたフランスも同様にやはり子どもが2人以上生まれた家庭への手厚い経済的保護を実施しているとのことである。

 こうしたロシアやフランスの支援策から見ると、つい先日閣議決定された「まち・ひと・しごと創生基本方針2019」を見ても実に小粒な印象で、「これで人口が増えるに違いない」、との実感に乏しいのが現状である。少子高齢化の最先端を行っている日本だからこそ、ロシアやフランス並みかそれらを上回るレベルでのドラスティックな出産・子育て支援を行わなければ、出生率に関しての大きな改善は期待できないのではないだろうか。


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2019年07月25日

東日本大震災から8年3カ月、宮城県沖地震から41年(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その121

 6月16日に発行された「東北復興」第85号では、先の震災で犠牲となった弟の慰霊碑がかつての勤務先であった若林区役所の敷地内にできたことを紹介しつつ、発生から41年が経った宮城県沖地震についても振り返った。

 東日本大震災の発災から既に8年3カ月、次の地震への備えを決して怠らないようにしないといけない時期になっている。ブロック塀については、昨年の大阪北部地震で改めてその危険性が浮き彫りになった。仙台市では、「生垣づくり助成事業」を行っている。この取り組みをもう少し積極的に進めて、設置から30年以上経ったブロック塀は全て生垣に転換させる方向で働き掛けるのがよいのではないだろうか。「杜の都」の景観としても相応しい。

 以下が「東北復興」紙に寄稿した全文である。


東日本大震災から8年3カ月、宮城県沖地震から41年

「3.11不忘の碑」

3.11不忘の碑 東日本大震災の発災から8年3カ月の6月11日、「3.11不忘の碑(わすれじのひ)」の除幕式が行われた。震災当時、弟が勤務していた若林区役所の方々や友人の方が「3.11慰霊碑設置準備会」を結成して、およそ100人の方がお金を出して、区役所の敷地内に設置する許可も得て、この日、晴れてお披露目となったものである。

 除幕式には、震災当時市長だった奥山恵美子さんを始め、当時若林区長だった山田文雄さん、設置準備会の会長も務めた清水俊明前区長、現区長の白川由利枝さん、そして弟の当時の上司・同僚の方々や、弟が一緒に仕事をしていたまちづくり協議会の方々が参加してくださった。

 あの日弟は、地震発生の後、沿岸部荒浜地区の住民に避難を呼び掛けに同じ課の先輩と市の広報車で出掛け、そのまま帰らぬ人となった。

 挨拶に立った清水さんは、「2人を失った痛みは8年3カ月が経っても消えない」と言い、白川さんは毎年職員を前に訓示を行う際に必ず震災で殉職した仲間がいたことを話すという取り組みを紹介しながら、「大事な仲間を震災で失った事実を伝え続けることが私たちの責任」と言ってくれた。

宮城県沖地震から41年
 翌6月12日は、宮城県の「みやぎ県民防災の日」、仙台市の「市民防災の日」で、県内各地で総合防災訓練が行われた。41年前の1978年のこの日、宮城県沖を震源とするM7.4の地震が発生し、28名の犠牲者を出した。私は当時8歳だったが、この地震のことはよく覚えている。夕方、母親はちょうどPTAの会合か何かがあって出掛けていて、留守番中の私と弟がテレビアニメを見ていたところ、突然大きな揺れが来て、揺れの最中に停電になったのかテレビは切れ、弟の頭上にあった花瓶が落ちてきたので、慌てて弟の手を引いてあまりものが置かれていない別の部屋に逃げて揺れが収まるのを待った。電気はつかないし、どんどん暗くなってくるしで、母親が帰ってくるまでの時間がとても長かったように感じた。

 この地震では、仙台市で住宅の全半壊が4,385戸、一部損壊が86,010戸に上るなど、甚大な被害が生じた。この地震がきっかけとなって3年後に従来の建築基準法が改正された。その主眼は建築物の耐震基準が強化で、「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から7程度の大規模地震でも倒壊は免れる」という耐震基準が設定された。

 また、この地震の死者28名のうち、実に18名が倒壊したブロック塀の下敷きとなって亡くなっている。これら倒壊したブロック塀には鉄筋が入っておらず、単にブロックが積み上げられていただけのものであったため、この地震の後、やはり規制が強化され、太さ10ミリ以上の所定のJIS規格を満たす鉄筋を、横方向は400ミリ間隔、縦方向は400から800ミリ(主壁の高さや控壁の有無、鉄筋の太さなどによって異なる)で配することが義務づけられた。

 しかし、昨年6月に発生した大阪北部地震では、高槻市で小学校のブロック塀が倒壊し、登校途中の小学生が犠牲となるという痛ましい被害が発生した。宮城県沖地震から40年が経過してなお、その教訓が活かされていない現状があることは非常に残念なことである。ただ、高槻市ではこの事態を受けて、公共施設のブロック塀を2028年までに全て撤去する方針を決めた。これは英断と言ってよいと思う。

 一方の宮城県内でも他人事ではない現状が明らかになっている。危険なブロック塀はむしろ増加しているというのである。要は、鉄筋が入っていても、年月の経過と共にその鉄筋が劣化してくる他、先の東日本大震災で強度が低下しているブロック塀も多数あるというのである。元々ブロック塀の耐用年数はおよそ30年とされる。41年前の悲劇を繰り返さないためには、30年サイクルで建て替えるか、それが無理なら高槻市のように撤去を進めていくことが必要である。

「繰り返されない」ためのアクション
 「3.11不忘の碑」に刻まれている文言の中には、「若林区役所の職員として地域のために共に働き、そして津波から一人でも多くの住民を守るために命をかけられたことを忘れずに、また、あってはならないこの悲しみが二度と繰り返されないことを強く願い、この碑を建立します」とある。

 弟のことを忘れずに、8年3カ月を経てこうした碑を建ててくれたことは兄として率直にありがたいことである。そして、「二度と繰り返されないことを強く願」ってこの碑が建てられたことにも共感できる。

 もちろん、二度と繰り返されないことを「強く願う」だけでなく、そのための具体的なアクションが必要であることは言うまでもない。その点でも、仙台市は既に様々なアクションを起こしている。「国連防災世界会議」の誘致と「仙台防災枠組2015-2030」の採択、スイスの防災ダボス会議と連携した2年に一度の「世界防災フォーラム」の開催、毎年3月の「仙台防災未来フォーラム」の開催、「防災環境都市・仙台」を合言葉とした防災環境都市づくりへの取り組みなど、震災の教訓を忘れず、考え、発信・実践していくための取り組みが様々に進められている。

 そうした公の取り組みだけではない。仙台市職員による自主勉強会「Team Sendai(チーム仙台)」は、東日本大震災における体験の記録と伝承に取り組んでいる。その手法も多彩で、震災の対応に当たった本人から話を聞く「語り部の会」を開いたり、そうして聞き取った体験談を震災後に入庁した職員に朗読させてその教訓を共有したり、市職員が震災で判断に迷った体験を災害時の行動を選択させる防災カードゲーム「クロスロード」の仙台編を作成する際に取り入れたり、とあの手この手で震災における体験を残し、伝える活動を行っているのである。こうした取り組みが職員の間で自主的に現在に至るまで続けられていることも特筆に値すると言える。

自分の命を守ることを最優先に
 今、私が危機感を覚えていることがある。東日本大震災ほどの巨大な地震に遭遇したからか、次に大きな地震が起こるにしても、それはここではないどこか他の地域で起こるに違いない、というように思っている人が結構多くいるように感じられることである。これは極めて危険な考え方である。油断と言ってもいい。地震調査研究推進本部の地震調査委員会が公表した「長期評価による地震発生確率値」によれば、宮城県沖でM7.0から7.5程度の地震が起こる確率は今後30年以内で実に90パーセント程度とされているのである。M8.6から9.0のいわば今回の東日本大震災に近い規模の巨大地震の起こる確率も30年以内に30パーセント程度ある。

 宮城県沖地震の平均発生間隔は38年である。しかし、これはあくまでも平均値であって、ちょっと調べれば分かることだが、前の地震と次の地震の間が5、6年しか空いていないこともあった。先の震災から既に8年3カ月である。既にいつ次の地震が起こってもおかしくない時期に差し掛かっているのである。決して他人事ではない。再びこの地に地震が起こることは間違いのないことなのである。ゆめゆめ備えを怠ってはならない。

 慰霊碑の除幕式の後、区長の白川さんとしばしお話したが、その中で印象的なエピソードがあった。区役所での防災訓練の際、職員は様々なミッションを課せられる。そのミッションを決められた時間内に完了できませんでした、と報告してくる職員に対して、白川さんは「完全に終えられなくてもいいから、とにかく時間内に帰ってくることを最優先して」と強くアドバイスしている、というのである。これは非常に、この上なく重要なことである。弟と先輩は、あの日、住民の避難が完了しなかったがために、あの場所に留まって、最後まで避難を呼び掛け続けて津波に飲まれたのである。責任感の強い職員ほど、課せられた任務を最後まで完璧にこなそうとするに違いない。しかし、そのために自分の身まで犠牲にしてはならないのである。

 同行した私の母親も、白川さんに「職員の皆さんはまず自分の命を守ることを最優先してほしい。生きていればこそ、その後も長く住民の助けとなれるのだから」と強調していた。我が母ながら実にいいことを言う。まさにその通りである。

 「3.11不忘の碑」は、若林区役所の南側にある庭園の一角に設置されている。区役所に足を運んだ際には、ちらっとでも見てみていただければ幸いである。


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2019年06月30日

「仙山福連携」の一層の推進を(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その120

 5月16日に刊行された「東北復興」紙の第84号では「仙山福連携」、すなわち仙台と山形と福島という、南東北三県の県庁所在地同士の連携について取り上げた。4月に東北中央自動車道の山形と福島の間の区間が全線開通し、仙台と山形と福島の間が全て高速道路でつながることになった。これを機に、一層の三都市間連携が進むとよいなと思っている。

 以下がその全文である。


「仙山福連携」の一層の推進を

高速道路でつながった三都市
 4月13日、東北中央自動車道の南陽高畠インターチェンジと山形上山インターチェンジの区間が開通した。車で山形市から米沢方面に向かう際、国道13号線が片側一車線となるため一番時間が掛かる区間だったが、高速道路が開通したことで、その状況も劇的に改善することが期待できる。しかし、この区間の開通の意味はそれだけにとどまらない。この区間が開通したことで、仙台市と山形市、福島市という、南東北三県の県庁所在地が全て高速道路で一本に結ばれることになったのである。

 既に、仙台−福島間は東北自動車道、仙台−山形間は東北自動車道から分岐する山形自動車道によって結ばれていた。今回の区間の開通によって福島−山形間がつながり、それによってこの三都市が高速道路でつながった。元々、直線距離で仙台−福島間は67.7km、仙台−山形間は44.6km、福島−山形間は55.2kmと、これら三都市は互いに近い距離に位置している。

 そうしたこともあって、この三都市の連携や交流については、実はそれなりの歴史がある。1991年に結成された「南東北中枢広域都市圏構想推進協議会」がその嚆矢と見ることができるが、同協議会は仙台市、福島市、山形市だけでなく、宮城県、福島県、山形県、それに東北経済連合会と三県の商工会議所連合会で構成され、2007年までの間、マスタープランやアクションプログラムを策定するなどの活動を行っていた。

 2007年には「仙台・福島・山形三市観光・物産広域連携推進協議会」が設立され、仙台市、福島市、山形市の南東北三市による広域連携組織として、県を越えて三都市の魅力を連携して発信することによって相乗効果を狙い、三都市を中心とする南東北の認知度向上と誘客促進を目指している。

密な連携が進む仙台市と山形市
 仙台市と山形市の連携については、さらに密な取り組みがなされている。元々、仙台市と山形市は「お隣同士」である。県庁所在地同士が隣接している事例は、仙台市と山形市以外には、京都市と大津市、福岡市と佐賀市の二例があるだけである。もっとも、仙台市と山形市を結ぶJR仙山線、山形自動車道、国道48号線、国道286号線などは、いずれも他の自治体を経由しており、仙台市と山形市を直接結んでいるのは、林道二口線(当然砂利道で冬季は閉鎖である)ただ一つである。

 宮城県仙台地方振興事務所と山形県村山総合支庁とを中心に、仙台市など宮城県の14市町村と山形市など山形県の14市町でつくる「仙台・やまがた交流連携促進会議」がある。年に一回、「仙山交流連携促進会議」が開催され、関係する自治体職員が集まり、交流する場となっている。

 2007年には、両県の連携による目指すべき将来像やその実現に向けた施策の展開方向などを取りまとめた基本構想である「みらい創造!MYハーモニープラン」が策定された。昨年は、構想の策定から10年が経過したことを受けて、両県の連携した取組を一層強化していくための新たな基本構想「未来を共に創る新MYハーモニープラン」が策定された。

 宮城・山形の一体的な圏域の形成を目指す官民連携の推進組織「宮城・山形未来創造会議」も2007年に設置され、現在も活動中である。両県の交流活動団体や経済界、県民、行政などを対象に、地域の将来像や今後の連携の方向性について認識を深め、官民を通じた連携の更なる拡大・深化につなげていくための「宮城・山形未来創造フォーラム」も毎年一回開催されている。

 宮城・山形両県の連携・交流活動団体によるネットワークである「みやぎ・やまがた連携ネットワーク」もあり、連携交流に関する情報発信や交流会の開催を行っている。他に、2003年から続く「仙山交流味祭(あじまつり)」もある。仙山圏域とその周辺自治体で生産されたご当地特産物を一堂に集め、生産者が直接に販売する共同産直市で、仙台と山形の双方を会場に開催されている。

 もちろん、仙台市と山形市の間の連携も進んでいる。2016年には、「それぞれの有する資源を有効に活用しながら連携協力することによって、両市の活力を高め、持続的な発展を図る」ことを目的として、「仙台市と山形市の連携に関する協定」が締結された。連携分野は、防災、観光・交流、ビジネス支援、交通ネットワーク、「その他両市の発展に資する分野」の5分野に及ぶ。

 仙台市と山形市の交流が密であることは、高速バスのダイヤからも窺える。仙台−山形間の高速バスは実に80往復(平日)に上る。朝など5分刻みに運行されている時間帯もある。通常の路線バスなど及びもつかない「過密ダイヤ」である。これに対して、仙台−福島間の高速バスも1日27往復(土日祝日)と、仙台と他の都市を結ぶ高速バスよりは多いものの、その便数は仙台−山形間のそれには遠く及ばない。

三都市連携の課題
 高速バスから見えてくることは他にもある。先に見たように、仙台−山形はもちろん、仙台−福島の高速バスの便数も多い。しかし、これに対して福島−山形間は、高速バス自体が存在しない。これが何を物語っているのかと言えば、これら三都市の連携と言っても、それは端的に言えば仙台を軸にした連携、つまり仙台と山形、仙台と福島の連携の複合体であって、仙台、福島、山形が均等なトライアングルになるような形の連携ではないということである。三都市の連携を考えた場合に、何と言ってもこれが最大の課題である。高速道路が開通したことよって、福島−山形間の連携や交流が促進されることを期待したい。実際、先に開通していた福島−米沢間は、所要時間が格段に短縮されたことによって、行き来がかなり増えた実績もある。同様のことが福島−山形間でも起こる可能性はある。

 米沢市の名前が出たが、これら三都市を結ぶ線上、あるいはその周辺にある各市町村との連携・交流も忘れてはいけない。特に、福島と山形の中間にある米沢市、仙台と福島の中間にある白石市は重要である。

目指すべきは「連携中枢都市圏」
 これら三都市の目指す方向性として、三都市を中心とした「連携中枢都市圏」の形成を提案したい。「連携中枢都市圏」というのは、「地域において、相当の規模と中核性を備える圏域の中心都市が近隣の市町村と連携し、コンパクト化とネットワーク化により『経済成長のけん引』、『高次都市機能の集積・強化』及び『生活関連機能サービスの向上』を行うことにより、人口減少・少子高齢社会においても一定の圏域人口を有し活力ある社会経済を維持するための拠点を形成する」もので、第30次地方制度調査会「大都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービス提供体制に関する答申」を踏まえて制度化され、平成26年度から全国展開が行われている。

 この「連携中枢都市圏」は、「地方圏において、昼夜間人口比率おおむね1以上の指定都市・中核市と、社会的、 経済的に一体性を有する近隣市町村とで形成する都市圏」と規定されており、平成31年4月現在、34市32圏域が連携中枢都市圏を形成し、近隣市町村を含めた延べ市町村数も304に上っている。東北にはこれまでのところ、盛岡市を中心とする3市5町で形成する「みちのく盛岡広域連携中枢都市圏」、青森県八戸市を中心とする1市6町1村で形成する「八戸圏域連携中枢都市圏」、福島県郡山市を中心とする4市7町4村で形成する「こおりやま広域連携中枢都市圏」の三つがある。

 全国を見渡すと、県境を越えて連携中枢都市圏を形成している事例は、広島県福山市を中心に岡山県の2市、広島県の4市3町で形成している「備後圏域」と、広島市を中心に広島県の9市8町と山口県の2市5町で形成する「広島広域都市圏」、それに山口市と宇部市を中心とする山口県の6市に島根県の1町を加えた「山口県央連携都市圏域」の3例のみである。これらを見ても分かるように、県庁所在地同士が同じ連携中枢都市圏を形成している事例も、三県の市町村が同じ連携中枢都市圏を形成している事例も皆無である。仙台市、福島市、山形市を中心として三県の市町村が加わった連携中枢都市圏が形成されれば、そのポテンシャルはこれまでにある他の連携中枢都市圏をはるかに凌駕するものになると期待される。

 ただし、である。三都市を中心に連携中枢都市圏を形成する際に気を付けるべきことは、言うまでもなく仙台市への一極集中を助長する方向性に向かわないようにすることである。放っておいても、仙台市には人が集まる。従って、三都市を中心とする連携中枢都市圏で意識すべきは、仙台市から他の二都市に同じくらいの人が向かうための施策に重点を置くことである。連携や交流というのは決して一方通行ではあり得ない。お互いに行き来してこそ連携・交流は成り立ちうる。

 仙台市と山形市との関係で言えば、山形にあるもので仙台が逆立ちしても敵わないと仙台市民が思っているのは、さくらんぼとそばではないだろうか。毎年さくらんぼのシーズンには山形に向かう車がさくらんぼ狩りがお目当ての車で渋滞するし、秋の新そばのシーズンに山形に行ってそばを食べるというのも仙台市民にとっては普通の行為である。そのようなお互いの強みが見えれば、交流の方向性が見えてくる。

 ヨーロッパには複数の中心市がそれぞれ特化した機能を持ちつつ、互いのネットワークによって都市機能を集積しているような「多心型都市圏」があるという。仙台市、福島市、山形市を中心とする連携中枢都市圏も、そのような姿を目指すべきである。

「仙山福連携」が検索でヒットするような連携を
 さて、仙台市、福島市、山形市の三都市の連携を表す言葉として、「仙山福連携」あるいは「仙福山連携」という言葉を提案したい。ただ、この「仙山福連携」と「仙福山連携」、どちらがよいかちょっと迷うところもある。人口の順に並べると「仙福山連携」と言うべきなのだろうが、既に「仙山線」「仙山連携」という言葉があり、「仙山」という言葉がある程度定着している。かつ先に見たように、連携についても仙台市と山形市がこれまでのところ特に密であることを考えると、仙台市と山形市の連携をベースにさらに福島市を加えるという趣旨で、「仙山福連携」とした方がよいようにも思われる。

 今のところ、「仙山福連携」または「仙福山連携」はウェブで検索してもヒットしないワードだが、今後これら三都市の連携が進むにつれて、「仙山福連携」のヒット数も増加していくことに期待したい。まずはこの「東北復興」紙が検索でヒットするところから。


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2019年06月28日

8回目の3月11日(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その119

 「東北復興」紙の第82号が3月16日に刊行された。毎年この3月に出る号には震災関連の記事を寄稿しているが、そうすると3月11日くらいになってから入稿することもしばしばである。それでも16日の刊行に間に合わせてくださる砂越編集長には頭が上がらない。

 今回も「8回目の3月11日」と題して、3月10日に開催された「仙台防災未来フォーラム」の話題と、翌11日の仙台市若林区荒浜の様子を紹介した。このうち、荒浜の様子については、このブログの3月11日付の記事とほぼ同じ内容であるので、前半の「仙台防災未来フォーラム」の話題についてのみ、ここに再掲する。


8回目の3月11日

WP_20190310_08_51_14_Rich_LI仙台防災未来フォーラムの意義
 震災から丸8年となる前日の3月10日、仙台国際センターで「仙台防災未来フォーラム2019」が開催された。4年前に国連世界防災会議が仙台で開催され、「仙台防災枠組」が採択されたが、それを契機にその翌年から年に一度、東日本大震災の経験や教訓を今後の防災につなげるために開催されている仙台市主催のイベントである。

 今回は防災に携わる74団体が出展し、市民など4,000人超の参加があったそうで、震災から8年が経とうとしているこの時期でもそれだけの参加があるというのはいいことだと思う。今年は「しまじろうスペシャルステージ」など子ども向けの企画もいくつかあって、親子連れもたくさん参加していた。震災から8年が経過して、震災後に生まれた、震災を体験していない子どもたちが年々増えている中、このような子ども向け企画を充実させていくのは防災教育の上でとてもいい試みであると思う。

 しまじろう、グッジョブ!である。

震災復興をどう考えるか
 東北大学災害科学国際研究所主催の連携シンポジウム「震災8年シンポジウム〜東日本大震災教訓の共有と継承を考える〜」では、2004年のインド洋大津波被災地、インドネシアのアチェの復興も参考にしながら東北の復興を考えるという興味深い企画であった。アチェはまさに震災復興の先輩であり、私もかつて自分のブログでそのことを書いたことがある。

 シンポジウムでは、仙台の復興公営住宅での社会的孤立と、アチェの個人の力ではなく家族の力を活かした再建が対比されていました。一方で、日本はそうした家族や地域のしがらみから離れて一人でも生きていける社会を追求してきた結果として現在があるという実情があり、であればだからこそできることを考え、よい点を伸ばすべきとの意見もあった。

 各シンポジストの言葉で印象に残った言葉は以下のようなものであった。

西芳実氏(京都大学東南アジア地域研究研究所准教授)
・大文字の復興(共通の目標)と小文字の復興(個別の目標)がある。
・復興だけを考えるのではなく、被災前からの課題に着目し、災害に限定せず災害後を考えることが必要。

本江正茂氏(東北大学大学院工学研究科准教授)
・復興に深刻になりすぎない方がいい。語るトーンを優しく、違う角度からも見てみる。面白がってやる。

マリ・エリザベス氏(東北大学災害科学国際研究所情報管理・社会連携部門准教授)
・復興と防災を一緒に考えるべき。復興には終わりはない。

笠原豊氏(東北放送報道部ディレクター)
・冷静に考え、検証する段階に来ている。その部分でメディアと研究者の連携は重要。

 他のセッションのうち、AiNest(アイネスト)主催の「健康寿命を延ばして災害弱者を減らすまちづくり」では、地域の防災力を高めるに、自分で判断・行動できる「災害弱者にならない事前対応」が望まれるとして、高齢者の健康寿命を延伸し、災害弱者を減らすまちづくりの事例が紹介された。

 東北大学工学研究科フィールドデザインセンターとNTTサービスエボリューション研究所による「ステルス防災:防災・減災の行動を日常にインストールする」では、普段後手に回りがちな防災を、日常の負担を軽減、あるいは日常の中に織り込まれたような形で提供される試みについて提案された。そのネーミングと共に興味深い取り組みであった。

 東北福祉大学主催の「障がいと地域防災−情報提供・支援のあり方とは−」では、障がい者が積極的に周囲と関係性を構築することによって、災害発生時に支援される側から支援する側に回る可能性について言及されたことが印象的であった。

(※以下の内容は本ブログ2019年3月11日の記事を参照)


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2019年05月16日

「記憶の記録プロジェクト『田』」の5年間の活動〜私的東北論その118

v4ttGKdJJTJqx5i1557992092_1557992134 主に仙塩地区の医療介護福祉職の人たちによる任意の集まりである「夜考虫。」の中に、医療介護福祉関係の方々の震災に関する記憶を記録して発信するプロジェクトである「記憶の記録プロジェクト『田』」がある。私も4人いるそのメンバーの一人として活動を続けてきたが、早いもので2014年の活動開始から丸5年となった。
 これまで毎年、年度末に活動報告書を作成してきたが、今回は5年の区切りということで、これまでの5年間の活動報告書をまとめ、加筆などもしてみた。こうして振り返ってみると、本当にたくさんの人にお話を聞かせていただいたことを改めて実感する。その情報を埋もれさせることなく広く世に発信していくことが、聞かせていただいた者の責務だと思うので、今後も機会ある毎に震災に関する情報を伝え続けていくつもりである。

 まずは一区切りとしてこの5年間の活動報告書を公表すると共に、追ってこれまでお話を聞かせていただいた方々にも個別にお送りする予定である。これからの5年間に向けて今年も、できる範囲でではあるが、活動を続けていこうと思う。

 なお、活動報告書は上の画像をクリックしていただくか、ここをクリックしていただくと表示される(はずである)。

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2019年03月23日

キリンとアサヒがコラボした東北産ビールが飲みたい!〜私的東北論その117

WP_20190321_13_13_00_Rich_LI (3) 以前、キリンが誇る東北産ホップ「IBUKI」について書いた。国産ホップの約96%を占める東北産ホップ、その約70%はキリンの契約栽培による「IBUKI」を中心とするホップである。国内で圧倒的シェアを持つこの「IBUKI」ホップを、キリンは東北を中心とするクラフトビールブルワリーにも卸し始めている。それによって、東北産ホップを使ったビールがクラフトビールブルワリー各社から登場するようになった。キリンはこのホップを通じて東北のクラフトビールブルワリー各社や自治体と連携を強め、いわて蔵ビール、秋田あくらビール、仙南シンケンファクトリー、遠野麦酒ZUMONA、やくらいビール、田沢湖ビール、さくらブルワリーの東北のクラフトビールブルワリー7社でつくる「東北魂ビールプロジェクト」に参画すると共に、東北産ホップの一大産地である岩手県遠野市と秋田県横手市におけるホップを通じた地域活性化事業にも力を注いでいる。

 一方、アサヒは東日本大震災の被災地支援の一環として、2014年から「東松島みらいとし機構」と連携して、宮城県東松島市の津波の被害を受けた土地で、塩害に強い大麦「希望の大麦」の栽培を進めている。収穫された大麦は当初、やくらいビールがその醸造を請け負い、「グランドホープ」という名のビールとして発売したが、その後アサヒ自らも醸造して「希望の大麦エール」として発売するとともに、今年は穀町ビール、ベアレンビールもこの「希望の大麦」を使ったビールを醸造、発売している。

 さて、ビールに欠かせない原料は麦芽とホップ、及び酵母と水であるが、東北に住むビール好きとしての興味は、この2つの東北のビール原料、すなわち「希望の大麦」の麦芽と「IBUKI」ホップを使ってビールを造ったらどんなビールになるのだろうということである。キリンの「IBUKI」ホップを使った代表的ビールである「とれたてホップ一番搾り」を始め、「IBUKI」ホップを使った東北のクラフトビールブルワリー各社のビールも、麦芽については特段表記がない。恐らく通常のビール同様、海外産の麦芽が使われているのだろう。

 一方、アサヒの「希望の大麦エール」も麦芽こそ「希望の大麦」だが、ホップに関しては表記がない。恐らくはやはり海外産のホップを使用しているのだろう。唯一、アサヒの東北限定販売の「クリアアサヒ東北の恵み」は山形産ホップ使用と明記されているが、肝心の「希望の大麦」は「一部使用」に留まり、何より「クリアアサヒ」は「ビール」ではない(リキュール類)。

 そこで、キリンの「IBUKI」ホップとアサヒの「希望の大麦」麦芽を使ったビールに興味が湧くわけである。この2社がコラボして、それぞれ「IBUKI」ホップと「希望の大麦」麦芽を使ったビールを造ってくれないものだろうかと思うのである。同じ原料を使っても、恐らくキリンとアサヒとでは全く味の方向性が異なるだろう。その味の違いにも興味が湧く。

 キリンとアサヒと言えば、トップシェアを競い合う、いわばライバル中のライバルなわけで、常識的に考えればそんなこと実現するはずはないというのが大方の見方だろう。そうかもしれないが、だからこそ余計にこのコラボが実現すれば相当のインパクトがあるだろうと思う。
 今日、ライバルというのは、競争するだけの相手ではない。時には、「協奏」あるいは「共創」してもよいのではないだろうか。上り調子のクラフトビール市場を除けば、ビール市場全体は年々縮小傾向である。ここは業界1位と2位が強力にコラボして、ビール市場を盛り上げてもらいたい。狭くなったパイの中で奪い合うのではなく、手を携えてまずはパイ自体を広くして、その上で切磋琢磨してもよいのではないだろうか。

 そんなわけで、キリンとアサヒのコラボしたビールの誕生に期待したい。単なる私の勝手な期待だが、復興支援を旗印にすれば前代未聞のこのコラボにも取り組みやすいのではないだろうか。かつて「地ビール」と呼ばれたビールは現在、「クラフトビール」と呼ばれるようになってきていおり、「地ビール」という言葉は以前ほど聞かれなくなってきている。しかし、かねてから言っているが、私はこの「地ビール」という言葉は今後、その土地の原材料を使って醸造されたビールに冠される用語となるべきだと思うのである。その意味では、ビールの主要原料である麦芽とホップに東北産の「希望の大麦」と「IBUKI」ホップを使ったビールは、紛れもない東北の「地ビール」である。しかも、大手二社が力を合わせて造った空前絶後の「地ビール」である。

 よく見てみると、「IBUKI」ホップを使ったビールも、「希望の大麦」麦芽を使ったビールも、どちらも手掛けているブルワリーが存在する。やくらいビールである。まずはやくらいビールが両社の仲立ちをして、このコラボの実現に向けて動いてくれるとよいなと思う次第である。


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2019年03月18日

東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その116

 2月16日刊行の「東北復興」第81号では、「地域元気指数調査2018」の結果から見えてくるものについて書いてみた。47の評価要素を数値化した「地域元気指数」では上位には表れてこないが、個別に見ていくと、東北らしさと言えるものが見えてくる。以下がその全文である。


東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から

「地域元気指数」とは
 地域のリサーチ・マーケティング、コンサルティングなどを手掛ける株式会社アール・ピー・アイは、1月16日「全国『地域元気指数調査』2018」の調査結果を公表した。同社あはこの調査を2015年から実施しており、今回が4回目となる。全国の20〜69歳の男女約10万人に調査したとしている。

 「地域元気指数」とは同社の造語で、「全国の都道府県別・市町村別の元気度や元気の評価要素を共通のモノサシで測定する」ことを目的に、「地域の総体的な元気度及び、元気の源となる47の評価要素を数値化したもの」である。

 より詳細に見てみると、まず「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合いを10段階で評価した平均値」である「地域元気指数」と、「地域の元気度合いの要因を詳細に分析する」という「地域元気の5つの視点」、その5つの視点それぞれに「地域元気の評価要素」が9〜11要素ずつ、合計47要素が割り振られている。「地域元気の5つの視点」とは、〆J襪蕕靴討い訝楼茲慮悗蠅箘γ紊砲弔い董↓∈J襪蕕靴討い訝楼茲瞭わいについて、今暮らしている地域の住みやすさについて、ずJ襪蕕靴討い訝楼茲侶从儚菷度・安定度について、ズJ襪蕕靴討い訝楼茲離灰潺絅縫謄の充実度について、の5つである。

調査結果から見えてくるもの
 調査結果をざっと見ていくと、全都道府県における地域元気指数トップ10は、沖縄県と東京都が同率(地域元気指数6.17)で第一位、以下神奈川県(6.02)、兵庫県(5.94)、愛知県と石川県(5.91)、福岡県(5.89)、大阪府(5.87)、熊本県(5.81)、滋賀県(5.76)と続く。地域元気指数の全国平均は5.69とのことである。

 続いて、地域元気指数そのものの増減を前年との比較で見てみると、宮崎県がトップ(+0.21)で、次いで熊本県(+0.20)、福島県(+0.18)、宮城県(+0.15)、兵庫県(+0.14)となっている。この点について、調査サマリーでは「復興と特徴を活かした地域づくりが地域元気を上昇させたと考えられる」と考察している。

 市町村で見ていくと、まず市では(605市の平均5.77)、愛知県長久手市(7.60)が3年連続一位で地域元気指数も前年より0.39ポイント上昇。以下、千葉県浦安市(6.97)、沖縄県石垣市(6.94)、兵庫県西宮市(6.87)、神奈川県海老名市(6.81)、東京都武蔵野市(6.79)、沖縄県豊見城市(6.75)、宮城県富谷市(6.72)、石川県野々市市(6.70)、千葉県印西市(6.66)となっている。

 町村では(237町村平均5.50)、一位が沖縄県北谷町(7.35)、次いで福岡県新宮町(7.32)、沖縄県南風原町(7.26)となっており、以下熊本県菊陽町、沖縄県西原町、静岡県長泉町、福岡県那珂川町、沖縄県中城村、北海道倶知安町、沖縄県与那原町という結果だった。トップ10に沖縄県から5町村がランクインしているのが目を引く。

 同調査では、地域元気指数が高い市町村の理由を先述の「地域元気の評価要素」である47の要素に分けて調査し、その秘訣を探ってみている。その結果、地域元気指数が高い市町村では、「新しいものを受け入れる風土がある」「地域に楽しめる場所がある」「地域内で若い人の姿を多く見かける」「地元で買い物をする人が多い」「再開発などで街が変化し地域が魅力的になった」などの割合が高く、そうした要素が地域の元気をつくる秘訣となっているとのことである。調査サマリーでは「総じて、商店街や集客施設等、人が集まる場の活気が、地域の元気を支えている結果となった」とし、「ヒト・モノの流動と人が集まる場所の活気が、地域の元気を支えている」とまとめている。

 ちなみに、見てきたように、東北の都道府県と市町村でトップ5までにランクインしているのは、唯一宮城県富谷市のみである。富谷市は仙台市の北側に位置し、仙台市のベッドタウンとして人口増が続いている。国道4号線沿いに大規模商業施設が相次いでオープンし、県内屈指の集客力を誇る。そうしたところが「元気」と判断されたのだろう。

自己評価と他者評価が一致しない項目に東北の県が現れる理由

自己評価・他者評価が比較的不一致 この調査で面白いのは、都道府県別に自己評価と他者評価についても調べていることである。その結果、「観光客がたくさん訪れている」「交通基盤が整っている」「にぎやかで楽しい」「活力がある」などでは自己評価と他者評価の一致度が高かったが、「食べ物がおいしい」「人が優しい」「地域の人同士のつながりが強い」「子育て環境が整っている」などは自己評価と他者評価の一致度が低いことが分かった。

 確かに、一致度が低いとされた項目は元々主観に左右される要素が大きそうな項目であるように見える。ちなみに、「食べ物がおいしい」の自己評価第一位は断トツで山形県(そう思う75.3%)で、青森県も第五位(68.8%)に入っているが、一方の他者評価での第一位は北海道(93.0%)で、以下福岡県、熊本県と来て、第四位に秋田県がランクインしている。

 「人が優しい」の自己評価では第五位に岩手県(そう思う56.0%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、二位に青森県(70.6%)、三位に福島県(70.5%)、四位に秋田県(68.1%)と、東北が三県もランクインしている。

 「地域の人同士のつながりが強い」では第五位に山形県(そう思う40.6%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、やはり青森県が二位(78.2%)、四位に秋田県(66.2%)、五位に福島県(65.6%)がランクインしている。

 「食べ物がおいしい」の山形県の自己評価はいい意味で非常に好ましいと思う。自分たちの土地の食を極めて肯定的に見ていることがよく分かる。確かに種類豊富な果物、そば、芋煮、伝統野菜、米沢牛、三元豚など、数え上げればきりがないくらい美味しい食がある。他者評価との差は、その魅力がまだ十分他地域の人に伝わっていないということなのだろう。自己評価五位の青森県にも同様のことが言えるに違いない。

  「人が優しい」、「地域の人同士のつながりが強い」の他者評価で上位にランクインしている青森県、福島県、秋田県は、そのような他者評価がされているということを、積極的にPRしてみてはどうだろうか。「人が優しい」などは観光客を呼び込む際のPR材料としてうってつけである。

 「地域の人同士のつながりが強い」は、今国がその実現に向けて施策を立案している「地域共生社会」における重要な要素でもある。他者評価で上位にランクしているやはり青森県、秋田県、福島県の三県は、その強みを再認識し、その実際の姿について積極的に情報発信してみてはどうだろうか。「地方は末端ではなく、国の先端なり」と言ったのは元沖縄県読谷村長で現在参議院議員の山内徳信氏だが、「地域の人同士のつながりが強い」と他者から評価されているこれらの県は、まさに「国の先端」と言うべきだろう。

 五位以下の順位は調査サマリーでは記載がなく不明ではあるが、恐らくは東北の他の三県もこれらの項目についてはさほど順位が下ではないものと考えられる。自己評価と他者評価が一致しないということは、少なくとも東北に住む人自身は、きっとあまりに当たり前過ぎて、自分たちが「優しい」とか「つながりが強い」などとは思っていないということなのだろうが、自分たちの「強み」が何かということは、他の地域からの方がよく見えるものなのかもしれない。

 「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合い」を評価するという「地域元気指数」において東北の各県、各市町村が上位にランクインしないということは、東北に住む人自身が、自分たちの地域はそれほど元気でないと評価している表れであると言うこともできるが、一方でその自分たちの地域は「優しさ」や「つながり」において他地域から評価される存在であるということは大いに誇るべきことである。

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2019年03月11日

震災から8年〜私的東北論その115

あの日から8年である。
8回目の3月11日は、朝から強い風と雨。
この8年で雨の日は初めてだろう。
あの日、地震に追い打ちをかけるように雪まで降ってきたことを思い出す。

8年経っても、この日だけはいつもと違う心持ちになる。
心の中が何となくざわついているような、何か胸に引っかかるものがあるような、何とも落ち着かない気分である。
その傾向は地震発生時刻の14時46分に向けて強くなるような気がするので、とても平気な顔して仕事を続ける気にもなれず、毎年この日は午後休みを取って、弟の最期の場所、仙台市の沿岸、荒浜に足を運んでいる。

WP_20190311_14_04_18_Rich_LI今年もまず、弟がいた若林区役所を訪れる。
献花場は、昨年から近くの若林区文化センターに移されたので、そちらに行って献花する。
会場では仙台市の追悼式も開催されようとしているところだったが、出る気にはならず、今年もあの日弟が通ったであろう道を自転車で一路荒浜に向かった。






WP_20190311_15_12_02_Rich_LI今年は雨風が強かったためか、例年より随分人は少なかったが、それでも旧浄土寺の慰霊碑の前や荒浜慈聖観音の前では、一心に手を合わせる人の姿があった。










WP_20190311_15_14_20_Rich_LI大津波でほとんどが倒れてしまった松林、少しずつ新たに植林が進んでいた。
何十年後か、またこの海沿いに見事な林が復活することだろう。









WP_20190311_15_17_21_Rich_LI防潮堤に登って見下ろすこの日の海は、強い風を受けて大きな波が打ち寄せていたが、はるか向こうで波しぶきが立っているだけで、あの日この防潮堤を易々と超えていった大津波とは比べるべくもない。









WP_20190311_15_52_51_Rich_LIこの地に大津波が押し寄せた15時54分に合わせて、今年も弟の遺体が見つかった南長沼に赴いて手を合わせる。
これで何がどうなるということでもないが、今や自分の中では毎年の恒例行事である。







WP_20190311_16_20_49_Rich_LI帰りに、霞目にある「浪分神社」に寄る。
江戸時代にこの地を襲った大津波が、ここで南北に分かれたと伝えられている。
つまり、過去の津波到達地点を示す神社であり、実際今回の地震でもこの神社の近くまで津波が押し寄せたが、この神社の津波に関わる伝承は残念ながら広く伝わってはいなかったそうである。
どんな教訓も、伝わらなければ意味がない。
今回の地震の教訓も、伝える努力を続けなければいけないと改めて思った。

WP_20190311_23_28_20_Rich_LIなどと振り返りながら、家に帰ってお気に入りのビールを飲む。
震災以来、この日はどんなイベントがあろうと、誰からお誘いがあろうと、家に帰ってあの日を思い起こしながら飲んでいる。
つまみは必ず、子どもの頃、弟とおやつに食べてたやきとりの缶詰である。
二人とも特に皮のついたところが大好きで、でもケンカせずに仲良く分け合って食べてたことを覚えている。
今年は昔二人の憧れだった大きな缶が手に入らなかったので、小さい缶を4段重ねである。

こうして飲み食いできるのも、生きていればこそ。今日生きていられることに感謝しつつ、もしまた明日が来てくれたなら、またいつもの一日を送りたいと思う。



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2019年02月20日

ようこそ「せんカフェ」へ(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その114

せんカフェフライヤー 1月16日に発行された「東北復興」第80号では、昨年4月に始めた「せんカフェ」のことについて紹介させていただいた。左がそのフライヤーである。そこに書いてある通り、毎月1回、第3火曜日の夜7時から仙台市中心部の「エル・パーク仙台」の5階「創作アトリエ」&「食のアトリエ」が会場のカフェスペースである。

 それにしてもこの「東北復興」紙もついに80号である。編集長の砂越さんには心から敬意を表したい。












ようこそ「せんカフェ」へ

食べ物と「想い」を持ち寄るカフェ
 昨年4月から「せんカフェ」を始めた。毎月第3火曜日の午後7時から、仙台市の中心部、一番町にある公共施設、エル・パーク仙台が会場である。参加する人には、食べ物一品と自分の「想い」を持ち寄ってもらう。こちらからは飲み物を提供し、ソフトドリンクのみの人は500円、アルコール類も飲む人は1,500円を会費として支払ってもらう。医療や介護の資格のあるなし、病気や障害のあるなし、老若男女問わず、いろんな人が「ごちゃまぜ」で自分たちの地域の医療や福祉やまちづくりなどについて自由に語らう集いの場である。今回はこの「せんカフェ」について紹介したい。

「地域連携」の変遷
 私が仕事で担当している雑誌は、医療側から見た地域連携がテーマである。一昔前まで、医療は多くの場合、一病院完結型で提供されていた。つまり、入院して治療してリハビリして完治して退院、という流れだった。しかし、どこの病院もそのような体制だと、効率が悪い。それで、地域にあるそれぞれの病院が自院の強みを活かして急性期や回復期、慢性期などの医療をそれぞれ担い、連携して医療を提供する、地域完結型の医療が進められるようになった。日常の医療はまず地域のかかりつけ医となっている診療所で行い、生命の危機に関わる疾病を発症した場合はそこから紹介されて急性期の病院に入院、生命の危機を脱した後は回復期の病院に移ってリハビリなどを進め、さらに療養が必要な患者は慢性期の病院に移る、といった流れに変わった。

 そこで必要になったのが、病院内で対外的な調整を行うための部署で、それが地域連携室、医療連携室、といった名称の部署だった。そのようなわけで病院の中では比較的新しい部署だが、その連携室がまず手掛けたのは地域で患者のかかりつけ医となっている診療所との連携だった。「病診連携」と言われる。病診連携がある程度出来上がってくると、次の課題は機能の異なる病院同士の連携だった。急性期を脱した患者が円滑に次の医療を担う病院に移れるための「病病連携」である。医療の連携が密になっても、それだけでは患者の問題は解決しない。高齢化に伴い、介護が必要な患者も増加し、介護事業者との連携も必要になった。そこで「医療介護連携」のための取り組みが進んだ。

 どのようにして連携を密にしていくか、まず顔を合わせる機会をつくることが有効である。そのようなわけで、全国各地に医療職同士や医療職と介護職が交流できる場ができた。それによって医療や介護の連携は大いに進んだし、それによって医療や介護が必要な人にとっても大いにメリットがあったに違いない。

 病診連携、病病連携、医療介護連携と進んできた連携は現在、もう一ステップ先に行きつつある。医療や介護の専門職ではない、地域の様々な構成員、例えば地元の自治会、民生委員、商工会、学校などと連携する必要性が指摘されるようになってきたのである。本来の意味での「地域連携」とも言えるが、従来の連携と明確に区別するためにこうした専門職同士に依らない連携を「社会連携」と呼ぶ研究者もいる。

 ともあれ、医療同士から医療と介護へと進んだ連携は、今や医療や介護領域に限らない地域全体との連携へと駒を進めつつあるわけである。「せんカフェ」もそうした流れの中で捉えることが可能である。

「せんカフェ」の「言い出しっぺ」のこと
 さて、「せんカフェ」の「言い出しっぺ」は、実は私ではない。地域包括支援センターに勤める介護支援専門員で、一緒に「せんカフェ」の共同代表を務める荒井裕江女史こそが言い出しっぺである。彼女とは最初、仙台市内で介護職が集まっての飲み会で普通に名刺交換をしたのだが、その後小学校の時に同じクラスにいた人だということに気づいた。また、彼女とは目指す方向性に似通ったところがあった。要は、つながることの重要性、つながれる場をつくることの重要性への認識が共通していたのである。それでそれ以降、医療や介護の関係者が集まれるイベントごとを一緒に企画する機会が多くあった。

 私は先述のように、仕事柄、地域の医療や介護を成り立たせるためには関係者間でお互いの顔が見えるつながりをつくることが重要だと、様々な事例を見聞きする中で強く感じていた。彼女は彼女で、普段の仕事を通して、やはり関係職種がつながることの重要性を実感していたのだろう。

 違うのは、そこからの行動力である。「せんカフェ」にはお手本がある。東京の世田谷でやっている「せたカフェ」である。その情報を、やはり「せたカフェ」をお手本に宮崎の日南市で「にちなんもちよりカフェ」を運営していた宮崎県立日南病院の医師、木佐貫篤氏から聞くや否や、彼女は「せたカフェ」を主宰しているノンフィクションライターの中澤まゆみ氏にコンタクトを取り、実際に「せたカフェ」に参加した。それが、一昨年の9月下旬。実際に見てみて「仙台でも同じ場を作りたい!」と思ったようで、11月初めには「もちよりカフェ、仙台でも開催しない?」と連絡が来た。彼女は、医療介護の壁を超えて、一般の人も気兼ねなく集える会をつくりたい、そこでいろんな人をつなぎたい、と考えたのである。

 私は私で、仕事柄、地域の中での専門職同士のつながる場ができて、実際にそこで得たつながりが医療介護の現場でも活かされていることも見てきた。仙台市内はもとより、東北の各地域でも活発に活動している連携の会も多くある。ただ、先述のように、医療や介護を取り巻く連携が新たな段階を迎えつつある中で地域全体のことを考えた時に、専門職同士がつながるだけでは不十分だとも感じていた。専門職同士の熱意ある取り組みが地域に見えるためには、地域に開かれた場も必要なのではないか、そう考えていたところに、彼女からそのような相談があったので、もろ手を挙げて賛成して一緒にやることになったのである。

 木佐貫氏や中澤氏のことは私もよく存じ上げているし、中澤氏からは「ぜひ一度せたカフェに」、とのお誘いもいただいていたが、日々のバタバタに追われて行けないでいたところに、彼女はあっという間に行動に移して、「仙台にもみんなが気軽に集える場をつくる!」と決意して帰ってきたのである。そのパワーたるや、お見事というほかない。

 彼女は会場もみんなが集まりやすいところがいいということで中心部、少ない予算でやりくりするので公共の施設ということでエル・パーク仙台をリストアップし、出掛けていって会の趣旨を説明して協力を依頼した。そうしたところ、ロッカーやメールボックスが使用できて、会場も一般の貸出開始日よりも前に予約することができる「ロッカー・ワークステーション利用団体」として認定してもらえた。

 また、デザインに強い知り合いにリーフレット作成を依頼し、必要部数を印刷して、仙台市内の公共施設に足を運んで置いてもらえるよう依頼したり、趣旨に賛同して協力してくれそうな人たちに声を掛けて運営に協力してもらえる仲間を募ったりするなど、とにかく周りを巻き込んで精力的に動き回った。その結果、「せたカフェ」の視察からわずか半年後に「せんカフェ」をスタートすることができた。

 私がこだわったことと言えば、毎月決まった日に開催するようにしたいということであった。皆、仕事を持ちながら手弁当での運営となるので、準備の大変さなどを考慮して隔月の開催にした方がという意見もあったのだが、私としては毎月決まった日にそこに来れば必ずみんながいる、という場を作りたかった。隔月の開催だとその月はせんカフェがある月かどうか参加したい人が迷ったりすることも考えられたので、毎月開催という部分は通させていただいた。そして具体的にいつがいいか検討した結果、毎月第3火曜日夜7時からの開催ということになったわけである。

毎月第3火曜日は「せんカフェ」の日
 そのようにして、昨年4月17日(火)に、第1回の「せんカフェ」開催にこぎつけた。会場の定員ぎりぎりの50名の方に参加していただいたが、医療や介護の専門職はもちろん、障害を持った人や家族に障害を持った人がいる人も含めて様々な人に集まっていただけた。「せんカフェ」の最重要のキーワードは「ごちゃまぜ」だと常々荒井女史とは話し合っているので、その意味でもとてもよかった。

 会ではまず、会の趣旨を説明し、参加者に守っていただきたい「3つの約束」を読み上げた後、あらかじめお願いしておいた参加者お一人に「話題提供」をしていただく。参加者一人ひとり、話してみると実に多様なバックグラウンドを持っていることが分かる。その一端を披歴していただくことはとても勉強になる。その意図通り、毎回実に多彩な話題が提供されている。その後、持ち寄った食べ物を食べ、用意した飲み物を飲みながら自由に対話してもらう。グループワークではないので、テーマも定めないし、もちろんどんな話をしたか発表してもらうこともしない。一人ひとりが自由に食べ、飲み、話し、その結果今までつながっていなかった人とつながり、あわよくばそこからまた新たな何かが生まれれば、と考えている。

 第1回から第3回までは毎回定員ぎりぎりの参加があったのでできなかったが、参加者数が40名前後に落ち着いてきた第4回以降は、1人1分以内の自己紹介タイムを設けた。それによって参加しているお互いのことを知ることができればと考えてのことである。第7回以降は、定員自体を40名として、毎回自己紹介タイムを設けている。

 荒井女史は言う。「結局、地域包括ケアシステムにせよ、地域共生社会にせよ、医療介護の専門職だけじゃどうにもできなくて、その地域に住んでいる人が主役、と言うか、当事者のわけだから、その人たちと話をしないと地域は変わらないよね」と。また、「仕事で疲れた時でもフラっと参加出来て、志が一緒の方々に会えたり、繋がる事で力を貰えたり。ホッとした時間を過ごせる会が出来たらいいね」とも。「せんカフェ」は小さな取り組みではあるが、参加してくれる人にとってそのような場であればよいと私も思う。

 「毎月第3火曜日は『せんカフェ』の日」ということが定着するよう、今後も地道に、着実に「せんカフェ」を続けていきたいと考えている。もし関心のある人がいれば、ぜひ第3火曜日夜7時にエル・パーク仙台5階の「創作アトリエ&食のアトリエ」に来ていただければと思う。そこにはいつも、笑顔での対話がたくさんあるはずである。


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2019年02月16日

消えた道州制論議(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その113

 昨年12月16日に刊行された「東北復興」第79号では、「道州制」について取り上げた。今は昔の話となってしまった感があるが、10年ちょっと前、道州制導入を目指した取り組みが進んでいた時期があった。その現在までの動きについて振り返ってみた。以下がその全文である。


消えた道州制論議

道州制を巡るこれまでの動き
 首相の諮問機関である第28次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を公表したのは2006年2月のことであった。いわゆる「平成の大合併」で市町村合併が進展したことを踏まえ、また都道府県を越える広域行政課題が増加しているとの認識の下、地方分権改革の確かな担い手として道州を据えた。単に都道府県制度の改革に留まらず、「国のかたち」の見直しにかかわる改革と位置づけ、「国と地方双方の政府を再構築し、新しい政府像の確立を目指す」と謳った。基本的な制度設計としては、現在都道府県が実施している事務を大幅に市町村に移譲すると共に、国とりわけ地方支分部局が実施している事務をできる限り道州に移譲し、同時に適切な税源移譲を実施するものとしていた。その上で、「道州制の導入が適当」と結論していた。

 同じ年の9月には第一次安倍内閣で道州制担当大臣が配置され、3年以内に「道州制ビジョン」を策定するという方針が示され、翌2007年1月に政府の「道州制ビジョン懇談会」が設置された。4月には道州制特区推進法が施行されて、北海道に対して8つの事務が漸次移譲されることになった。同年6月には自民党の道州制調査会が「道州制に関する第2次中間報告」を公表し、その中で「導入時期は、今後8〜10年を目途」とすると明記した。翌2008年3月には「道州制ビジョン懇談会」が中間報告を公表し、「2018年までに道州制に完全移行」するとした。

 振り返ってみると、この時期が最も道州制に向けてのアクションが活発だったように思える。同じ2008年3月には経団連も「道州制の導入に向けた第2次提言」の「中間とりまとめ」を公表、7月には自民党の道州制推進本部が「道州制に関する第3次中間報告」を公表、11月には経団連が第2次提言の最終案を公表するなど、各方面の動きが活発だった。一連の動きからは、確かに近い将来道州制が実現するのではないかと感じられたのも事実である。

 潮目が変わったのは2009年の政権交代と2011年に発生した東日本大震災だったように思える。まず政権交代で政権を握った民主党は道州制導入には反対で、「道州制ビジョン懇談会」も解散された。新たに置かれた「地域主権戦略会議」では、「地域のことは地域に住む住民が決める」という趣旨から、都道府県ではなく市町村の権限強化が主たるテーマとなった。2011年に発生した東日本大震災の後には、道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念も出されるようになった。

 第3次安倍内閣以降は、道州制担当大臣は置かれず、代わって地方創生担当の内閣府特命担当大臣が置かれたが、少なくとも道州制に関して目立った動きは見られない。道州制そのものを扱う部門ではないが、民主党から政権を奪還した第2次安倍内閣の肝いりでつくられた地方分権改革推進本部も、設置された2013年には4回開催されたが、2016年、2017年は1回ずつの開催に留まっている。

 今年はまさに「道州制ビジョン懇談会」が中間報告で「道州制に完全移行」すると明記した2018年であるが、道州制に完全移行どころか、道州制に関するアクションがほとんど見られない年となっている。2012年に「道州制基本法案」の骨子案まで公表した自民党の道州制推進本部も、今年10月ひっそりと廃止された。

道州制に対する批判

 進まない理由は結局のところ、道州制に対する慎重なあるいは批判的な見方が根強いこと、そしてまた先の第28次地方制度調査会の答申に盛り込まれたように、道州制移行には不可欠と見られた事務や税源の移譲が進まないことの2点に集約されるように思われる。福井県知事の西川一誠氏は、2008年に「幻想としての道州制」を中央公論に寄稿している。タイトルで分かる通り、氏は道州制反対論者であるが、そこで指摘されていることは、今後道州制を考える上で重要なポイントがいくつも含まれているように見える。

 氏は、道州制論について、「全体としては理想主義の色彩を帯びていながらも、観念的な期待感に満ちあふれているだけの議論に終始している」として、その例として「経済の活性化については、道州制により区域が自立し、道州間の競争も生まれて、経済活動が盛んになるといった、前提条件を無視した『抽象論』。また、官僚制の弊害の除去については、中央官庁の権限を道州に大幅に委譲できるという極めて単純な『期待論』。行政改革については、ただちに規模の経済が動くという算術的な『効率論』。地方分権について言うと、導入を機に道州の条例制定権や課税自主権が抜本的に見直されるべきという『べき論』に留まっている」と批判している。確かに、道州制を導入するだけで同時に国からの権限移譲も進むという見方はあまりに楽観的に過ぎる。見かけは道州制、しかしその実単なる都道府県合併に過ぎないという形になる可能性も大いにある。そのような道州制では確かに意味はない。

 氏はまた、北海道と九州を比較する。北海道は道州の規模を持つが、北海道全体に占める札幌市の人口比は2005年で約33%、これに対して九州に占める福岡市の人口比は約10%であることを挙げ、「地域が県に分かれ、七つの県都がある九州では福岡市への集中は緩やかである。一方、広大な地域に県都が一つの北海道においては札幌市への集中が著しい」と指摘し、「道州制は結局、道州の中にミニ東京と周辺過疎を作り出すことになろう。それはブロック内の新たな集権化である」と主張している。これもまさにその通りである。東北が一つの州になるとしても州都を仙台にしてはいけない、というのが私の持論だが、それはまさにこうしたことを懸念してのことである。ただでさえ人口が多い仙台が州都になると、まさに札幌のように、一極集中を招くことになるに違いない。

 氏はまたこうも指摘する。「州都の道州首長が、何百キロメートルも離れた各地方の教育や福祉を、日頃の行政や選挙などを通じ、わがこととして理解するには大きな困難が伴う。このような組織を持った道州は、住民にとっても身近な自治体というよりほとんど国と同様な政体となる」。つまり、住民にとって道州は都道府県よりも遠い存在になると指摘しているわけである。こうした懸念があるからこそ、道州制は単なる都道府県合併であってはならないわけである。すなわち、これまで都道府県が担っていた業務を道州が担うのではなく、国が担っていた業務を道州が担い、都道府県が担っていた業務を市町村が担うというようにしていかなければならない。そうした体制が実現できれば、国より近い道州、都道府県より近い市町村ができる。まさにこの部分が道州制の肝であるように思う。

まずは連携の実績を積み重ねる
 権限移譲のない道州制にはさほど意味はないとすれば、その権限を手放そうとしない中央官庁を前にして、道州制を前に進めていくのはかなりの困難を伴うことは火を見るよりも明らかである。権限の委譲に関しては、「二重行政」の批判がつきまとう国の出先機関を廃止し、その業務を都道府県に移管するというのがその端緒となる。しかし、この国の出先機関の廃止についても2007年から延々議論されてきているものの、いまだにほとんど何の成果も上がっていない。今後もすんなり進むようには到底見えない。

 そしてまた問題だと感じるのは、道州制を含む地方分権に関する地方からの発信が、このところ少なすぎるのではないかということである。地方が声を上げないものを中央があえて取り上げることはないに違いない。かつてのように地方からもっと声を上げていかなければならない。それは、自治体にだけ任せていればよいのではなく、地方に住む我々一人ひとりが事あるごとに、あらゆる機会を捉えて声を上げていくことこそが求められる。

 とは言え、声を上げたからといって簡単に実現するものでないことは、これまでの経緯からも明らかである。ひと頃、道州制導入の旗振り役の一角であった経団連は、今年「広域連携」の推進を目指す方向に舵を切った。道州制導入が一足飛びに進まないことを見越してのことである。一見後退に見えるかもしれないが、このアプローチはありだと思う。まず連携できるところから連携して、実績を積み上げることでその先の議論を喚起するということも可能である。東北も、六県で一緒に取り組む機会を増やしていくこと、その中で自治体職員だけでなく、住民同士の交流も活発にしていくことをまずは目指していくのがよいのではないだろうか。そうした中できっと、「やはり同じ東北だ」と実感する機会は多くあるはずである。

 観光や災害時対応など、六県が一緒になることで大きなメリットが得られるテーマは数多くある。そうしたテーマを取っ掛かりにして、六県の連携をまずは進めていばよい。道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念があることを紹介したが、逆に仮にあの時六県の連携体制が確立していたならば、物資の輸送や人員の派遣などでより迅速な対応ができた可能性もある。よく言われることだが、普段できていないことは災害発生時にはできない。平時から、緊急事態発生時にも機能する連携体制を構築しておくべきである。

 道州制に関する動きが活発だった頃の、かなり以前の調査だが、財団法人経済広報センターによる「道州制に関する意識調査報告書」(2008年7月)でも、「道州制の議論を進めること」について「賛成」と答えた人の割合は、東北では43%と、九州・沖縄地方と並んで全国で最も高く、北海道が42%でそれに次いでいた。日本世論調査会の2006年12月の全国世論調査でも、道州制に「賛成」あるいは「どちらかといえば賛成」と答えた人の割合は北海道、東北、四国で多かった。東北を始め、北海道、四国、九州に共通しているのは、地域的に一体感があるということである。

 ここで特筆したいのは、北海道、四国、九州が海で他の地域と仕切られた地域であるのに対し、東北は本州の一部で他地域と陸続きであるにも関わらず一体感があるということである。東北の一体感というのは地理的につくられた一体感というよりは、文化的にあるいは心情的に醸成された一体感であると言えるのではないだろうか。これは東北にとっての何よりの宝であろうと思う。その宝を大事に活用していきたい。

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2019年02月15日

東北の大きな恵み「ホップ」(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その112

 昨年11月16日に発行された「東北復興」第78号では、ビールに欠かせない原料の一つである「ホップ」について取り上げた。このブログでも度々取り上げているが、国産のホップの約96%は東北産である。

 そのことはこれまであまり知られていなかったが、岩手県遠野市や秋田県横手市のように、この「ホップ」をまちづくりに積極的に活かす地域が出てきた。国産ホップを7割を使用しているキリンビールもこの動きを支援しており、官民一体となった取り組みが進んでいる。以下はその全文である。


東北の大きな恵み「ホップ」

秋こそビールのシーズン
 今年もビールのシーズンがやってきた。…と言うと、「ビールのシーズンは夏ではないのか」という意見が出るかもしれない。もちろん、暑い時に飲むビールの美味しさを以て夏をビールのシーズンとする意見にも相応の根拠はあるだろうが、こと原料の面から見てみると、ビールのシーズンは間違いなく秋である。

 ビールの醸造にはいろいろな原料が使われるが、欠かせない原料は麦芽とホップと酵母と水である。このうち、麦芽の原料である大麦は6月くらいに収穫される。一方のホップは8月くらいに収穫される。その年取れたこれらの原料を使ってそこからビールの仕込みを始めると、早くても出来上がるのは9月である。

 オクトーバーフェストなどビールの大きなイベントがこの時期に開催されるのも、その年の新しいビールのお披露目を兼ねていることにもよる。屋外で飲むビールは殊の外美味しいが、それがその年取れた原料を使って造った出来立てのビールであれば、美味しさはひとしおである。

東北産ホップによる地域づくり
 今年4月の第71号でも紹介したが、ビールづくりに欠かせない原料のうち、ホップは国内産の約96%が東北産であり、特に、岩手県、秋田県、山形県、青森県が主な産地である。ただ、シェアは依然高いのだが、ホップ農家の高齢化や後継者不足などにより、栽培面積は年々減少しており、昭和40年代に1,200haあった栽培面積は、平成22年には189haにまで減少している。それに伴い生産量も減少し、その傾向は近年も続いていたが、東北でも最大の生産量を誇る岩手県のデータを見てみると、昨年の生産量は116tと前年の101tより約15%増となり、回復の兆しが見えることは喜ばしいことである。

 第71号ではホップを地域づくりの資源として活用する動きについても取り上げたが、そうした結果、ホップ産地を自任する地域同士の競争も起きつつあるようである。これまでホップ生産量日本一の市町村は長らく岩手県遠野市であったが、昨年これを秋田県横手市が逆転し、「生産量日本一」の地であることを前面に出してPRを行っている。

 今年は遠野のホップを通じたまちづくりに着目して、8月25、26日に開催されたホップの収穫を祝うイベントである「遠野ホップ収穫祭」、10月20日に開催されたその年取れたホップで造ったビールを楽しむイベントである「フレッシュホップフェスト in 遠野」に参加したが、いずれも大いに盛り上がっていた。特に「フレッシュホップフェスト in 遠野」は、昨年までは「遠野産業まつり」の中の一イベントとして開催されていたが、今年は単独のイベントとして別の日程で開催された。そうしたことからもこの、ホップにかける地元の人たちの思いが伝わってきた。

 その折に紹介していただいたが、遠野には昨年2名の若者がホップ栽培を志して首都圏から移住した。横手にも同様の事例があるという。地元だけでなく、遠野や横手という地域、ホップという資源の魅力に惹かれて他の地域から名乗りを上げる人が出てくるのはとてもありがたいことである。とりわけ、昨今クラフトビールが注目を集めるにつれ、その風味や香りに決定的な影響を与えるホップにも関心が注がれている。東北が誇る、華やかな香りを特徴とするホップを作ってみたい、あるいはこのホップを使って独創的なビールを造ってみたい、という人がこれからもどんどん東北に集まってくるといいなと思う。

国内産ホップだからこそできる使い方
 こうした「ホップを通じたまちづくり」にCSV活動の一環として積極的に関与しているキリンビールが主催する「IBUKI BREWER'S MEETING」が今年も10月29日にキリンビール仙台工場で開催された。「IBUKI」というのは遠野や横手などでキリンビールとの契約で栽培されているホップの品種である。同じ東北でも、青森や岩手県北でサッポロビールとの契約で栽培されているホップは「ホクトエース」という別の品種である。ただ、国内全体の生産量のうち、キリンビールはその70.0%を買い入れており、次いでサッポロビールが24.1%、アサヒビールが5.6%、サントリーが1%未満と、国内産ホップに占めるキリンビールの存在は殊の外大きいと言える。

 キリンビールは東北で取れたこの「IBUKI」ホップを100%使ったビールを、毎年秋に「キリン一番搾りとれたてホップ」として限定発売している。そこには国産ホップならではの使い方がある。ホップという作物のうち、ビールに使用するのはその雌花だが、それは放っておくとどんどんしぼんで枯れてしまう。そこで普段は乾燥させて粉末にしたものをペレットと呼ばれる塊にして使用するのだが、乾燥のために熱を用いた時点でホップに含まれる数百と言われる香りの成分のいくつかは揮発してしまう。

 そこで、東北で取れたこの「IBUKI」ホップは収穫と同時に生のまますぐに急速冷凍され粉砕されるのである。こうすることで、新鮮なホップの香りをそのまま閉じ込めることが可能となる。ビール醸造時にはこの凍結・粉砕させたホップを使用するが、そうして出来上がったビールは普通のビールと比べて、非常に香り立つビールとなる。これは、普通の一番搾りと「一番搾りとれたてホップ」とを飲み比べてみると実によくわかる。鼻に抜ける香りが全然違う。こうした収穫して即冷凍という工程が取れるのも、国内で栽培しているホップだからこそで、輸入ホップで同じようなことをやろうとしてもコストの面からとても不可能とのことである。

 国産ホップというと、これまで華やかな香りなど卓越したメリットはあるものの、輸入ホップに比べた場合の価格の高さや安定数量の確保の難しさなど、使用する点で課題とされる面があったのだが、現地でそのよさをフルに活かした加工がしやすいといったメリットに着目することで、これまでにない価値を提供することができるようになったわけである。

ホップに関係する人たちが一堂に会する場
 第47号でも書いたが、キリンビールの偉いところは、この素晴らしい「IBUKI」ホップを自分のところだけで使うことをやめ、東北を中心としたクラフトビール醸造所にも卸すことにしたことである。これは英断といってもよいと思う。同業他社を競争相手として排除するのではなく、共にビールシーンを盛り上げる「協創」相手としてコラボレーションする方向に舵を切ったと見ることもできる。

 「IBUKI BREWER'S MEETING」はこのホップを中心に、生産者、醸造者、提供者、消費者が一堂に会して、「IBUKI」ホップをめぐる取り組みについて共有すると共に、今年取れた「IBUKI」ホップを使って東北のクラフトビール醸造所が腕を競って造ったビールを東北の郷土料理と一緒に味わう、というイベントで、昨年から開催されている。

 今回参加したのは、横手の大雄ホップ農協、遠野ホップ農協、江刺ホップ組合の方々、遠野でホップを通じたまちづくりを手掛ける「BEER EXPERIENCE」、横手でホップを通じたまちづくりを手掛ける「よこてホッププロジェクト」の方々、「いわて蔵ビール」を造る岩手県一関市の世嬉の一酒造、「遠野麦酒ZUMONA」を造る岩手県遠野市の上閉伊酒造、「あくらビール」を造る秋田市のあくら、「仙南クラフトビール」を造る宮城県角田市の加工連、「やくらいビール」を造る宮城県加美町の加美町振興公社、キリンビール系のクラフトビール醸造所であるスプリングバレーブルワリー、仙台市内でクラフトビールを提供する飲食店9店、そして我々のようなビール好きの消費者50名であった。

 このようなビールに関する様々な立場の人が一堂に会する場というのも貴重な場である。ビールのイベントに行けば醸造者とは会えるし、飲食店に行けば飲食店の店主には会える。ホップ畑を訪ねていけば生産者にも会えるかもしれない。しかし、そうした関係する人たちが同時に同じ場所に集って、ビールを飲みながら互いに話ができる機会というのは、考えてみれば今までなかったことである。

 私にとっても、東北のクラフトビールの造り手の方々や仙台市内の飲食店の方々とはお蔭様で顔見知りだが、ホップを作っている方々と直接お話をして、その込められた思いに触れるというのは本当に貴重な機会であった。しかも、つくづく感じたのは、「東北のホップで造ったビールは実にうまい!」ということであった。それはもちろん、東北のホップのよさ、それを最大限に引き出す使い方、ホップの作り手、ビールの造り手の思い、それらが見事に融合した結果の賜物であろう。

 会場では、東北のクラフトビール醸造所5社のビール、スプリングバレーブルワリーのビール、そしてキリンの「とれたてホップ一番搾り」の計7種類の「IBUKI」ホップを使ったビールが味わえたが、どれもそれぞれに個性がありながら、そのどれもがまた美味しかった。こうしたビールを味わえるのは同じ東北にいる者として、本当に嬉しいことである。個人的には、東北のホップ生産量がこれからも上昇に転じて、この素晴らしいホップを使ったビールが秋の一時期だけではなくて、年中飲めるようになれば、そのビールを目当てに各地から東北を訪れるビール好きも増え、まさにホップを通じた地域づくりにも弾みがつくのではないかと期待している。

「IBUKI」ホップを使ったビールを味わう方法
 さて、この「IBUKI」ホップを使ったビールを味わう最も簡単な方法はスーパーか酒屋で「一番搾りとれたてホップ」を缶か瓶で購入することだが、この時期東北の飲食店でキリンビールを扱っているところではこのビールを樽生で提供していることも多い。缶と瓶は全国で購入できるが、樽生で飲めるのは東北だけである。これまた貴重である。

 また、東北の地ビール醸造所が造った「IBUKI」ホップを使ったビールは、全国各地のビアバーなどで飲める。東北では、青森県弘前市にある「デギュスタ」、青森県十和田市にある「奥入瀬麦酒館」、岩手県遠野市にある「遠野醸造TAPROOM」、岩手県平泉町にある「ザ・ブリュワーズ平泉」、秋田県仙北市にある「田沢湖ビールレストラン」、仙台市にある「アンバーロンド」、「クラフトマン仙台」、「クラフトビアマーケット仙台国分町店」、宮城県加美町にある「レストランぶな林」などで味わえる。「IBUKI」ホップを使ったビールは「一番搾りとれたてホップ」も含めていずれも限定醸造であり、なくなり次第終了となる。「東北の恵み」である東北産ホップを使ったビール、ぜひ今のうちに味わってみていただきたい。


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2019年01月30日

東北には住みたくない?(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その111

 昨年10月16日に発行された「東北復興」第77号では、Jタウン研究所の「2018年版・都道府県別調査」のアンケート結果について取り上げた。宮城と福島を除く東北の4県が、軒並み最下位近辺にランクされるという結果だった。
 以下がその全文である。


東北には住みたくない?

 Jタウン研究所が「どの都道府県に住んでみたいですか?【2018年版・都道府県別調査】」と題したアンケート調査の結果を10月5日に公表した。この調査は今年の1月11日〜10月2日までの265日間実施したもので、全国の3,714人が回答した。なお、同研究所は2015年にも同様のアンケートを行っているが、その時の調査期間と今回の調査期間は異なっており、回答を寄せた人数も全く異なっているため、今回は前回の調査結果との比較はしないことにする。

住みたい都道府県の上位は
 今回の調査で、住んでみたい都道府県の第1位となったのは岡山県で、全体の6.6%に当たる245票を獲得してダントツの一位だった。次いで、第2位が沖縄県(188票、5.1%)、第3位が東京都(115票、3.1%)、第4位が北海道(109票、2.9%)第5位が同率で神奈川県と福岡県(107票、2.9%)という結果であった。

 岡山県の人気ぶりは、移住者の多さにも現れている。同研究所の記事の中でも紹介されているが、山陽新聞によると、16年度に県外から岡山県に移住した人は前年度比919人増の1845世帯、2773人であり、これは3年連続で増加しているとのことである。

 岡山県への移住が多い理由については、県内の各市町村窓口が転入者向けに行ったアンケートでは、「災害が少ない」や「気候が温暖」を挙げる回答が多かったという。また、特徴的なのは、県庁所在地である岡山市にだけ移住者が偏るのではなく、他の都市にも分散しているということである。転入者数は岡山市が396人で最も多いが、倉敷市にも307人、井原市にも217人が移住していることが明らかになっている。

 岡山県に次ぐ2位の沖縄県、3位の東京都、4位の北海道は、他の調査でもたいてい上位に顔を出す「常連」の都道府県である。5位には神奈川県と福岡県が同票数で並んでいるが、この両県はいずれも大都市を擁する県の強みが現れているように見える。

東北の4つの県が
 同研究所の記事では上位5つと下位5つの都道府県のみが紹介されているが、逆に住んでみたい都道府県のワーストを見てみると、第42位が和歌山県(22票、0.6%)、第43位が同率で青森県、岩手県、群馬県(19票、0.5%)、第46位が同率で秋田県と青森県(18票、0.5%)というものであった、下位5県の中に何と、東北の4県がランクインしているという残念な結果になっているのである。これはいったいどうしたことだろうか。

 同記事では、「沖縄県や北海道といった自然環境で強みを持ち県が人気を集める一方、都心からの近さや交通アクセスの便利が『住みたい』と思わせる大きな要因なのかもしれない」、「10位までには大阪府や埼玉県、千葉県もあることから、自身の就業状況を踏まえた現実的な考えから、大都市の近郊を選択した読者が多かったのかもしれない」と分析している。回答した3,714人の属性は不明なので、確かにこのように推測するほかはないのだろうし、この3,714人が統計的に日本全国の全人口の忠実なサンプルとなっているわけでもないので、あまり深刻に真に受ける必要もないのかもしれないが、少なくともとある集団が投票した中で、東北六県のうち4つもの県が下位に沈んだというのはやはりそれなりに気になる結果ではある。

福島県の奮闘ぶり
住みたい都道府県2018 残りの2県、宮城県と福島県であるが、記事中ではどこにランクインしているか不明だったので、得票数のデータを基に、全都道府県のランキングを表にしてみた。その結果、宮城県は京都府と並ぶ13位、福島県は新潟県、徳島県と並んで28位にランクインしていることが分かった。

 宮城県が上位にランクインしている理由は、その前後に京都府や兵庫県や愛知県や埼玉県、千葉県がランクインしているのと同じ理由であろう。すなわち、いずれも政令指定都市という大都市を擁する府県であるということである。

 福島県が28位に入っているのは、東北の他の4県が最下位周辺にある中で健闘と言ってよいのではないかと思う。そして、この結果からは、少なくとも今回投票した3,714人の中では、という限定付きではあるが、「住みたい」都道府県を考えた場合に、福島県に対するネガティブな見方は概ね解消していることが窺える。

 言わずもがなのことだが、東日本大震災に伴う福島第一原発事故の負の影響に福島県はこれまで嫌と言うほど苦しめられてきた。その影響はもちろん今も色濃く残ってはいるが、今回の調査結果からはその負の影響がそれほど大きくなくなってきているように見える。これは朗報に違いない。

 もちろん、現在でも福島第一原発の立地していた大熊町、双葉町は依然帰還困難区域である。避難指示が解除された自治体でも住民の帰還が思うように進んでいない現実も厳然としてある。にもかかわらず、福島県に「住みたい」と推す票は、全都道府県の中で中位にあるのである。東北の4県が下位に沈んだのは残念だったが、この福島県のことだけは今回の調査でよかったと言えることである。

 では、何が福島県と他の4県の間を分けたのか。もちろん、福島県は東北では最南端で、関東地方に接していて、東北の中でも首都圏と最も近い距離にあるという「地の利」はあるに違いない。しかし、それだけで原発事故による負のイメージを乗り越えることは不可能だったに違いない。福島県にあったのは、これ以上ない危機意識とそれに基づく具体的なアクションだったのだろう。「まちおこし」どころか「まちのこし」から始めなければならなかった震災後。福島県の人たちは自分たちの故郷を残すために必死の努力をした。そしてそのことを全国に向けて一生懸命発信した。良くも悪くも福島県は震災後注目を集めたが、それはそれだけたくさんの情報が全国に向けて発信されたということでもある。故郷のために粉骨砕身の努力を続ける現地の人々、海の幸、山の幸の豊富な恵み、変化に富んだ豊かな自然、そうした情報が他の都道府県に比べて多く発信されたことによって他地域の人たちの福島県に対する親近感が増し、それが「住みたい」という票の上積みにつながったのではないかと思われるのである。

岡山県の取り組みに学ぶ
 岡山県の取り組みも参考になる。岡山県への移住者の多さは決して、「自然災害が少ない」といった理由から来るだけではない。岡山県はもちろん、岡山市、和気町など県内の自治体のサイトでも移住・定住支援のページがかなり充実している。岡山県は東京都内のみならず大阪市内にも「IJU(いじゅう)アドバイザー」という専門の相談員を常駐させ、岡山県内への移住を検討している人に対してフェイストゥフェイスで相談に乗っている。移住・定住に関するイベントも定期的に開催している。このことに象徴されるように、力の入れ具合が他の都道府県に比べて際立っているように見える。

 そして、先ほども少し紹介したが、岡山県への移住は決して都市部だけで進んでいるのではない。これもすごいところである。例えば山陰地方との境にある山あいの村、西粟倉村などは既に人口の約1割が全国各地からやってきた移住者とその家族で、それによって子どもの数が増えてきているという。

 同村では、周辺自治体との合併をしない選択をし、面積の約95%を占める森林を「誇れる財産」と位置付けて、森に興味を持つ人の移住を募った。移住者の多くは村内で起業し、地域内にお金を落とす仕組みも回り始めた。そのような情報を全国に発信することでさらに移住を希望する人に訴求するという循環もできてきた。

 このような取り組みは、同様の山間地を多く抱える東北各県でも大いに参考にできるのではないかと思われる。この連載で何度も触れてきたことであるが、やはり基本は自分たちの地域の強みは何か、魅力は何か、を探し、見つけ、磨いて、それを果敢に発信していくことである。

移住・定住促進に向けた県の役割の大きさ
 加えて、県の役割も重要であると思われる。岡山県では自らを、県全体で降水量が少なく日照時間が長いことから「晴れの国おかやま」と呼び、それに則って上手にイメージづくりをしている。その「晴れの国おかやま」の下で、それぞれの市町村が特色ある魅力をPRしているという構図である。移住・定住促進を考える際に、個々の市町村の取り組みだけではなく、都道府県が統一された全体のイメージをつくっていくことが求められる。

 もちろん、東北各県は自然環境の豊かな土地柄ではあるが、それだけにイメージをつくるといった場合にも、そのことに頼り過ぎるきらいがある。それはそれとして当然PRしていく必要はあるが、それ以外の魅力をPRすることが必要である。

 例えば、秋田県はよく知られていることだが、小中学校の全国学力テストで1位も含め上位にランクインする常連県である。17年度の調査では小中学生の自己肯定率も全国一高い。また、刑法犯認知件数や重要犯罪認知件数、性犯罪認知件数などはいずれも全都道府県中最も低い。こうしたことから、秋田県は安心して子育てができる、しかも子どもの学力を伸ばせる県だとPRすることもできよう。このように、様々なデータから、他の都道府県にない魅力を抽出することはまだまだ可能なはずである。

 その意味で言うと、東北六県の中で一番心配なのは、実は宮城県である。今回のランキングでも上位にランクインし、実際、震災後東北各県からの移住が増えて仙台圏を中心に人口が増加している。それだけに、東北の他県よりも危機感が薄いのではないかと危惧されるのである。そしてまた、宮城県の弱みは仙台市の知名度頼みの部分が大きいということである。仙台市を除いて考えた場合に宮城県にどんな魅力があるのか、今のうちにもっと真剣に考えた方がよい。そして、仙台市なしでも宮城県の他にない魅力をPRしていけるよう、今のうちから準備しておくべきである。

 当然ながら、宮城県も手をこまねいて見ているわけではない。宮城県でも東京都内にみやぎ移住サポートセンターを設置し、移住を検討している人の相談に乗っている。県のサイトでは、県内各市町村の該当ページにもリンクも張っている。移住・定住推進広報パンフレットや移住定住支援ハンドブックも作成している。ただ、そのキャッチフレーズが、「すべてに『ちょうどいい』と感じられる」いうことでの「ちょうどいい、宮城県。」ではインパクトに欠ける感がある。もちろん、情報発信はやりながら、反応を見ながらブラッシュアップしていくべきものであるわけで、今後に期待である。

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2018年12月28日

世界遺産だけじゃない!ならどこへ行く?平泉観光の穴場スポット(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その110

 9月16日に刊行された「東北復興」第76号では、平泉観光の穴場スポットについて取り上げた。今年は「東北復興」紙でも、このブログでも、東北の旅行ガイドを請け負っている「LINEトラベル.jp」でも、「平泉は世界遺産だけの町にあらず!」という観点から記事を書いているが、第76号ではその中でも特におススメのスポットについて解説してみた。以下がその全文である。


世界遺産だけじゃない!ならどこへ行く?平泉観光の穴場スポット

 ここの連載でも、自分のブログでも、「平泉は世界遺産だけの町じゃない!」ということを再三に亘って主張している。「ほら、ここにも、ここにもあるよ」と紹介した私の「世界遺産以外の平泉オススメスポットマップ」には、現在67箇所ものオススメスポットが記載されている。
 これだけ多いと、「平泉は世界遺産だけの町じゃない!」ということはしっかり示せているとしても、実際にどこに行けばよいのかかえって分かりにくいかもしれない。そこで今回は、その中でも特にオススメの場所を紹介したいと思う。私のオススメは「鎮守社」と「月山」である。

9つある平泉の鎮守社
 鎮守社というのは、その都市を守護する役割を持った神社のことである。通常、国府所在地にしかなかった鎮守社が平泉にあったということは、平泉が国府所在地と同クラスの都市であった証左でもある。その平泉の鎮守社について、鎌倉幕府の公文書「吾妻鏡」には、中央に惣社(そうじゃ)、東方に日吉(ひよし)、白山(はくさん)の両社、南方に祇園(ぎおん)社、王子(おうじ)諸社、西方に北野天神(きたのてんじん)、金峯山(きんぷせん)、北方に今熊野(いまくまの)、稲荷(いなり)等の社があったと記されている。少なくとも平泉には、中央に1つ、東西南北に2つずつ、合計9つの鎮守社があったことが分かる。

 これらの鎮守社があった場所を順に紹介していこう。まず、東方鎮守の日吉社と白山社である。平泉駅を出て二つ目の信号、「毛越寺口」の交差点を右に曲がって県道300号線を300mほど北に行くと、右手に白山妙理堂(はくさんみょうりどう)という古いお堂がある。これがかつての東方の鎮守、日吉社と白山社である。以前はこれら両社が並び立っていたらしいが、現在はその名の通り白山社のみである。周辺の低地はかつてあった「鈴沢の池」という池の跡である。

 続いて、南方鎮守の祇園社と王子諸社である。平泉駅から白山妙理堂に向かった「毛越寺口」交差点を逆に左に曲がって県道300号線を南に1.2kmほど行くと、右手に八坂神社(やさかじんじゃ)がある。この八坂神社があるのは平泉町の祇園地区であるが、実は、この八坂神社が明治時代以前までは祇園宮と呼ばれていた、かつての南方の鎮守社、祇園社である。疫病退散の神として信仰されてきたそうである。

 県道300号線を挟んで八坂神社の向かいに細い路地がある。その路地を80mほど進むと、左手に「王子社跡」という案内板がある。現在はただ小さな祠が2つ残っているだけですが、ここがかつての王子諸社である。2つの祠のうち、大きめの方の祠には木製の神像が祀られているのが外からも見える。

 西方鎮守の北野天神には、平泉駅を背に真っすぐ、毛越寺に向かう県道31号線を行く。毛越寺を通り過ぎて、上を東北自動車道が走るガードをくぐって160mほど行った、駅からだと1.3kmくらい来たところにあるT字路を右に曲がる。そこから300mほど登り坂の道を行くと、正面に長い階段が見えてくる。ここがかつての西方の鎮守社、北野天神社である。歩いて1分弱ほど階段を登っていくと、社殿がある。

 もう一つの金峯山については、世界遺産の一つである金鶏山が金峰山になぞらえていたようである。その山麓に金峯山社があったとされているが、それが平泉文化遺産センターの南側にある花立廃寺跡だと言われている。県道31号線を毛越寺の手前にある観自在王院の角を右に曲がって650mほど坂を登っていくと平泉文化遺産センターがあるが、センターの南側に芝生の公園があって、その一画に石で建物跡が示された花立廃寺跡がある。

 北方鎮守については、この平泉文化遺産センターの向かいに熊野三社という神社がある。これがかつての北方の鎮守社、今熊野社である。かつては今熊野社に加え、子守社と勝手社という末社もあったそうであるが、それらが合祀されて現在の熊野三社となった。

 もう一つの稲荷社だが、実は場所が特定されていない。どこにあったのか話題になることもないようだが、江戸時代の文書などを調べてみると、隆蔵寺というお寺が別当を務める西方鎮守の稲荷社が確かに存在していたことが分かる。ただ、その隆蔵寺は明治になって火災で焼失してしまっている。恐らくその時に、近くにあった稲荷社も一緒に失われてしまったものと考えられる。

 この隆蔵寺のあった場所は分かっている。先ほど北野天神に行ったT字路のもう一つ手前のT字路、東北自動車道のガード下からは90mほどのところを右に曲がって300mほど坂を登っていくと、毛越地区の公葬地(共同墓地)がある。その下には一面に田んぼが広がっているが、この田んぼの一画に隆蔵寺があったとのことである。従って、稲荷社もこの田んぼのどこかにあったのだろう。

 最後に中央の惣社である。惣社というのは、その地域の神をすべて合祀した神社のことだが、実はこの惣社があった場所も分かっていない。いくつかの説があって、今のところ最も有力と思われるのが、金峯山社があった場所に惣社もあったというものである。ただ、金峯山社が惣社も兼ねていたというのではなく、同じ敷地に金峯山社と惣社が併設されていたのではないかと考えられる。金峯山社と見なされている花立廃寺跡の北に隣接する平泉文化遺産センターの玄関付近から、かつて礎石建物跡が出土しているので、それがあるいは惣社跡だったのではないかと推測できる。

 以上が9つの鎮守社である。先ほど江戸時代の文書に稲荷社が西方鎮守として記載されていると書いたが、位置関係から考えてみても、最初に紹介した吾妻鏡にある「西方」の金峯山社と「北方」の稲荷社は、方角が取り違えられている可能性が高い。実際には、北方の今熊野(熊野三社)の向かいにある金峯山社(花立廃寺跡)は西方ではなく北方の鎮守、西方の北野天神の近くにあった稲荷社は北方ではなく西方の鎮守であったのだろうと考えられる。
 これら9つの鎮守社のうち、白山妙理堂、八坂神社、王子社跡、北野天神社、花立廃寺跡は、「見ルベキモノアリ」として国の特別史跡にも指定されている。それぞれに風情のある場所であり、もっともっと知られてほしいスポットである。なお、鎮守社については、前述のマップと別に、「平泉の鎮守社(五方鎮守)マップ」を作成したので、そちらを参照していただきたい。

中尊寺の奥の院・月山
 もう一つのオススメスポットは月山である。と言っても、出羽三山の一つ、夏スキーで有名な山形の月山ではない。中尊寺のある丘陵と衣川を挟んだ向かいにも月山という名前の山があるのである。厳密には平泉ではなく隣の奥州市衣川区であるが、標高120mという小さな山ながら、円錐形のキレイな形をした山である。古来、霊峰として崇敬されており、中尊寺や毛越寺を開山したと伝わる慈覚大師円仁が勧請したという月山神社が山頂に鎮座している。奥州藤原氏初代の清衡が再興し、かつては毎年正月に中尊寺の僧が参拝し、中尊寺の奥の院として栄えたとも伝えられている。

 その月山神社を始め、麓には三峯神社、月山神社へ向かう参道の脇には荒沢神社、月山神社と同じ山頂には和我叡登挙神社と、この小さな山に4つもの神社が祀られている。他に月山神社と三峯神社と荒沢神社には境内社もあり、まさに神の山であることを実感する。

 三峯神社は源頼義、義家が前九年の役で安倍氏に苦戦していた折、日本武尊が東夷征討に際して武州三峰山に登って諾冊二尊を奉祀したという故事にあやかって陣中で諾冊二尊を奉祀し、安倍氏を討った後に祠を立てたというのが事の起こりで、その後、江戸時代の享保元年に秩父にある三峰神社から改めて分霊が勧請されたそうである。一つの山に奥州藤原氏に関係する神社とその敵役となった源氏に関係する神社が共に祀られているというのも興味深いことである。

 山頂の月山神社に向かう道は二つあり、一つは山の東側にあるこの三峯神社の境内を通って登っていく道、もう一つは山の北側にある鳥居をくぐって階段を登っていく道で、後者の方が本来の参道なのだろう。この鳥居の脇にある階段を少し登ったところにある荒沢神社は、かつて月山神社が女人禁制だったことと関係しており、この荒沢神社は女性でも参拝できたということである。

 そして、何より興味深いのは和我叡登挙神社である。月山の山頂にはどちらの道を行ってもおよそ10分もあればたどり着くが、山頂にある鳥居をくぐると正面に月山神社、右手に境内社がある。正面の月山神社を参拝したら「あとは下っていくか」と思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。鳥居の正面にあるのは拝殿だが、その拝殿を回り込んで後方に行くと、月山神社の本殿があるのである。そして、その本殿の前には何気なく巨石があるが、この巨石こそが和我叡登挙神社である。東北の土着の神と言われる荒覇吐(あらはばき、荒吐(あらばき)とも)の神を祀っている。東北で拝殿を持たない巨石を祀った神社は概ね荒覇吐神を祀ったもので、同じ衣川区にある磐(いわ)神社、花巻市東和町にある丹内山(たんないさん)神社などがその代表例である。これらの神社も和我叡登挙神社と同様に拝殿がなく、巨石をご神体として祀っている。

 中尊寺の奥の院として栄えた月山神社と同じ敷地に荒覇吐神を祀った神社があることも極めて興味深い。奥州藤原氏の仏教文化が、実は東北古来の神とも結びついていたことを物語っているとも言える。

 先ほど、山頂に向かう道は2つあると書いたが、せっかくなので登りと下りとで違う道を通ってみるのがよい。三峯神社経由の道の途中には、眼下に衣川や北上川を見下ろせる展望スポットもある。月山とそこにある神社の場所については、先述の「世界遺産以外の平泉オススメスポットマップ」を参考にしていただきたい。


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2018年12月20日

「ファンクラブ」活用のススメ(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その109

 毎度連載している「東北復興」の、5月16日発行の第72号から8月16日発行の第75号までの4回は、東北にあるさまざまなファンクラブについて取り上げてみた。
 私自身、会津ファンクラブや奥会津ファンクラブに入会しているが、会津ファンクラブから届く会報や年一回のファンクラブの集い、奥会津ファンクラブから毎年届く「奥会津歳時記カレンダー」はいつも楽しみである。東北には私が調べた限り、以下のようなファンクラブが存在するが、活用しない手はないと思う。見てみて、面白そうと思うものがあったらまず入会してみることをおススメしたい。
 以下がその全文である。全4回、一挙公開である。(笑)


「ファンクラブ」活用のススメ 訴‥膰編

地域にもあるファンクラブ
 どこかに旅行することが決まった時、旅行先の風光明媚なスポット、美味しい料理が食べられるお店、地域の名産品といった情報について、ガイドブックやインタ―ネット等を使って調べてみることは多いと思われる。
 そうした情報に加えてぜひ調べてみてもらいたいのが、「ファンクラブ」についての情報である。ここ東北にも、各地域に様々なファンクラブが存在している。それらのファンクラブは概ね、その地域に関心があったりその地域がお気に入りだったりする人なら誰でも入会でき、入会金や年会費は無料である場合が多く、かつ会員向けに様々な「特典」が用意されている。
 「特典」の代表的なものとしては、各種施設の入場料の割引、地域内の飲食店を利用した場合の割引や優待サービスの提供、関連イベントの開催、地元の情報が盛り込まれた会報の送付などであるが、こうした地域のファンクラブを有効活用することで、旅行がさらにお得に充実したものとなったり、好きな地域への愛着や理解がより深まったりする可能性がある。ぜひ一度、これから行こうとしている地域やお気に入りの地域にファンクラブがないかどうか、調べてみてほしい。
 ここ東北にも様々なファンクラブが存在する。それらを4回に亘って順次紹介していきたい。今回は福島県である。

ふくしまファンクラブ
 福島県が運営する「ふくしまファンクラブ」は、福島県がふるさとの人や福島県に愛着を持っている人など誰でも入会できるファンクラブである。入会費、年会費は無料で、‐霾麕載のファンクラブ会報が年4回届く、⊇椶幣霾鵑鬟瓠璽襯泪ジンで配信、8内外130の施設・店舗で会員証を提示して割引やサービスを受けられる、じ外開催の福島関連イベント情報が届く、などの会員特典がある。

会津ファンクラブ
 会津若松観光ビューローが運営する「会津ファンクラブ」は、会津が好きな人なら誰でも加入できる、会津をこよなく愛する人のためのファンクラブである。やはり入会金、年会費は無料で、_馗鼎量ノ肋霾麕載の会報誌が年数回届く、会員特製カードを進呈、L50の協賛店舗や施設で割引などの優待サービスが受けられる、げ駟鷸鐺發硫餔限定プレゼントに応募できる、ゲ馗泥侫.鵐ラブ公式フェイスブックにて情報発信といった会員特典がある。
 また、「会津ファンクラブ」では、年に1回「会津ファンの集い」というファンクラブ会員を対象としたイベントを現地で開催している。会津若松市は「産業観光」にも力を入れているが、「会津ファンの集い」でもそうした姿勢を反映して、蔵元の見学や日本酒の仕込みの体験、会津木綿の工場見学、ダムの視察など、様々なイベントが企画される。仕込んだ日本酒は完成後、専用のラベルが貼られて各会員の元に送られてくるなど、手が込んでいる。会津の郷土料理や地酒を楽しみながらの交流会も開催され、会津が好きな者同士、大いに盛り上がる。

奥会津ファンクラブ

 会津地域は全国第3位の面積を誇る福島県のうちの4割を占める広大な地域であるが、会津若松から西の山あいには、奥会津と呼ばれる四季折々の美しい自然を満喫できる地域がある。この奥会津を流れる只見川は全国屈指の水力発電の川として知られるが、只見川電源流域振興協議会が運営する「奥会津ファンクラブ」は、「奥会津を応援したい!!」という人であれば誰でも入会できるファンクラブである。入会費、年会費は無料で、’1回奥会津の四季折々の風景写真が載った「奥会津歳時記カレンダー」が届く、奥会津の旬な情報が載ったメールマガジンが月1〜2回届く、という会員特典がある。メールマガジンは、有料とはなるが冊子での送付も可となっている。
 「奥会津ファンクラブ」で特筆すべきは、この「奥会津歳時記カレンダー」である。奥会津を知り尽くした郷土写真家の星賢孝氏が撮影した奥会津の四季とそこを走るJR只見線の写真が32ページにわたって掲載されているもので、写真の美しさから毎年欠かさず購入するというファンも多いカレンダーである。買えば540円するこのカレンダーが、会員には毎年無料で送られてくるというのも、奥会津ファンクラブの魅力となっている。

喜多方グリーン・ツーリズムファンクラブ「るーらるきたかた」

 会津地域では他に、ラーメンと蔵で有名な喜多方市の喜多方市グリーン・ツーリズムサポートセンターが運営する「喜多方グリーン・ツーリズムファンクラブ『るーらるきたかた』」がある。喜多方が好きな人なら誰でも参加できるファンクラブで、やはり入会金、年会費は無料、入会特典として古代文字名前入りオリジナル会員証(缶バッジ製)が届く。会員特典として、‐霾麕載のメールマガジンが定期的に届くほか、東北最大規模の三ノ倉高原のひまわり畑のひまわり1本のオーナーになれる、という珍しい特典がある。

こおりやまファンクラブ
 「こおりやまファンクラブ」は、郡山市が運営している、郡山市外に住む人を対象に郡山をPRしてもらうことを目的としたファンクラブである。入会費、年会費無料。会員特典は、〃柑鎧堝發鮹羶瓦箸垢詭80の店舗や施設で割引などの優待サービスが受けられる、▲侫.鵐ラブ会報にて、観光、食、イベントなどの情報が届く、7柑海隆儻情報メールマガジンが配信される、づ豕都内を始めとした県外での物産展の情報が届く、である。

天栄村サポーター会員

 天栄村サポーター会員は、天栄村観光協会が運営する「天栄村を支える応援団」の位置付けである。毎年先着500名、年会費3,000円で、特典として4,000円相当の天栄村特産品が送られてくる他、宿泊施設料金が10%割引になるなどの特典付き会員証が進呈される。

福島フードファンクラブ「チームふくしまプライド。」
 「チームふくしまプライド。」は、復興庁が支援し、(一社)東の食の会と(株)エフライフが運営する、「誇りを持った生産者と彼らを応援する人々が集う福島の食のファンクラブ」である。入会費、年会費は無料。会員特典は、\源瑳圓らの直送の商品が会員の中から抽選で当たる毎月開催のプレゼント特典、∪源瑳圓判舒えるツアーに優先して参加できる、旬の食材の情報など、福島の食に関する様々な情報が優先して届く、である。

うつくしま農林水産ファンクラブ

 福島県が運営する、県産農林水産物の良さを広くPRするためのファンクラブが、「うつくしま農林水産ファンクラブ」である。県内に居住するか勤務している人、事業所が対象。入会金、年会費無料。|了の署名が入った「うつくしま農林水産ファンクラブ」会員の「会員証」を発行、∋業所ファンクラブ会員には地産地消推進の取組みを多くの方々に周知・広報できるようPR資材を提供、会員活動の円滑な推進や相互の連携を支援するため情報交換の場を提供、ぁ屬Δ弔しま農林水産ファンクラブ通信」をはじめ地域のイベントやお知らせなどの情報を提供、ゥ侫.鵐ラブ会員の活動を会員本人の了解を得て福島県農林水産部の地産地消ホームページ等で広く紹介、といった会員特典がある。

福島県観光物産館ファンクラブ

 「福島県観光物産館ファンクラブ」は、福島県観光物産館を運営する(公財)福島県観光物産交流協会によるファンクラブである。入会費、年会費無料。入会特典として、県産ジュース「桃の恵み」1本プレゼントされる他、.侫.鵐ラブポイントカードによる割引(福島県観光物産館での買い物の際、1,000円毎に1ポイント押印、20ポイントで500円割引、発行日より1年間有効)、▲ぅ戰鵐箸覆品‥膰観光物産館情報のメール発信、2餔向けに開催する「ファンクラブ交流会」に参加できる、といった会員特典がある。

野岩鉄道ファンクラブ
 栃木県の鬼怒川温泉近くの新藤原駅と会津高原尾瀬口駅を結ぶ野岩(やがん)鉄道が運営する、野岩鉄道に興味を持ち、利用する人のためのファンクラブが、「野岩鉄道ファンクラブ」である。入会金、年会費無料。入会特典として会員限定缶バッジがプレゼントされる。会員特典として、会員証を提示することによって、接続する会津鉄道の沿線にある店舗、施設で優待サービスが受けられる。

SLばんえつ物語ファンクラブ

 「SLばんえつ物語ファンクラブ」は、JR東日本新潟支社が運営する、「SLばんえつ物語」号に乗る人のためのファンクラブである。入会金、年会費無料。(卞撮渦鷯莠嵋茲鵬,気譴SL乗車スタンプの数に応じてSLオリジナルグッズがプレゼントされる、▲瓮鵐弌璽坤ードでSL車内で販売している「SLばんえつ物語」グッズ(ミニプレート、光るキーホルダー)が10%引きで購入できる、が会員特典である。

福島空港ファンクラブ

 「福島空港ファンクラブ」は、福島県が運営する、「福島空港を応援したい!」という人のためのファンクラブである。住んでいる地域に関わらず誰でも入会できる。入会金、年会費無料。(‥膰内外の協賛店で特典サービスが受けられる、▲瓠璽襯泪ジンで福島空港や就航先などについての情報が届く、という会員特典がある。


「ファンクラブ」活用のススメ◆禅楙觚編

気仙沼ファンクラブ

 東北にあるファンクラブの第2回、今回は宮城県のファンクラブについて紹介しようと思う。まず紹介したいのは沿岸北部にある気仙沼市が運営している「気仙沼ファンクラブ」である。市外に住む気仙沼ファンの人が対象で、「気仙沼を応援したいという気持ち」が入会条件となっている。
 会員特典はまず、「会員番号を刻んだ世界に一つだけのオリジナル会員証」である。これは、気仙沼のゆるキャラ「ホヤぼーや」をモチーフにして市民有志が手作りした会員証で、震災が発生した平成23年3月11日時点の気仙沼市の人口74,247人の次の人数である74,248人目からの会員番号が刻印されており、会員が「準」市民であることを示している。また、気仙沼の旬な情報を発信する「気仙沼ファンクラブ通信」もメールで配信している。復興の様子や地元民しか知らない気仙沼の魅力などの情報を発信しているが、会員からの質問やリクエストにも応えてくれる。
 気仙沼市役所の産業部観光課の窓口で会員証を提示すると、「特製ホヤぼーやストラップ」ももらえる他、市内の飲食店での飲食や物販店などでの買い物の際に会員証を提示することにより様々な特典が受けられる。入会金・年会費は無料である。

伊達なわたりファンクラブ

 沿岸南部の亘理町にある亘理町観光協会が運営するファンクラブである。年会費は10,000円掛かるが、入会すると入会プレゼントとファンクラブ加盟店で使える会員証、亘理町の見どころが全て分かる観光ガイドブックが送られてくる他、年2回亘理町の旬の特産品が届き、亘理町の最新の観光情報のダイレクトメールも届くといった会員特典がある。

七ヶ宿ファンクラブ

 内陸南部にある七ヶ宿町の株式会社七ヶ宿くらし研究所が運営するファンクラブである。ー轡宿町が好きな人、町内外に関わらず七ヶ宿町を楽しく応援したい人、七ヶ宿町との交流を大切にしたい人を対象に、まちづくりのサポーターとなって地域行事やイベントを一緒に盛り上げてくれる人を募集している。入会費500円、年会費は個人1,000円、団体10,000円で、町民、町内の団体・企業は無料である。
 会員特典としては、ファンクラブ会員向けイベントへの参加、イベント情報などのいち早いお知らせ、会員限定グッズのプレゼント、裏メニュー的な「なおらい」(神社のお祭りの最後にお供えした食べ物やお酒を参加者皆でいただく行事)等への参加、となっている。

里浜貝塚ファンクラブ

 奥松島縄文村歴史資料館が運営するファンクラブ。「縄文村で遊ぼう!」を合言葉に、会員には縄文村の「村びと」になってもらって、「縄文村」という「村=自治体」を、村びと全員参加型の村政で盛り上げていくという趣旨で会員が気軽にイベントに参加し、縄文村を楽しむことを最大の目標にしている。
 「村びと」になるには一世帯につき、年会費(村民税)500円を払う。一世帯何人でも金額は変わらない。「村びと」になって縄文村発行の会員証を提示すると、一年を通して入館料が無料になる他、イベントの様子や縄文コラムなど縄文村の情報が詰まった「村報 縄文村」が季刊で届く。

松島ファンクラブ

 日本三景の一つ松島を擁する松島町が運営するファンクラブである。松島が好きな人なら誰でも入会できるので、町民も入会できる。年会費は無料で、会員特典は、観瀾亭・福浦橋への無料入場、協賛店でのお得な会員サービス、である。

田の浦ファンクラブ
 NPO法人田の浦ファンクラブが運営するファンクラブ。同法人は「南三陸町歌津地区田の浦において、東日本大震災で被災した地域の再生、コミュニティの再生、生業の再生等まちづくりの推進を目指し、田の浦の歴史、生活文化、生業、自然環境、人財などの地域資源を活かし、つながりを創造し、地域の未来を育むことを目的とする団体」である。
 田の浦ファンクラブは〜換顱∩汗こΔ療弔留坤侫.鵝支援者、田の浦の現地でまちづくり活動を推進する地元の人間で構成された「田の浦チーム」、田の浦チームをサポートする他のNPO法人で構成されている。
 年会費は正会員6,000円、賛助会員は一口3,000円となっている。義援金付き書籍「宮城県南三陸町 田の浦漁師が伝える海と人との暮らしかた」(1,000円)や購入すると賛助会員として登録される「3.11Tanoura(3.11田の浦の記憶)」(500円)などの書籍も刊行されている。

宝の都(くに)・大崎ファンクラブ

 県中央部にある米どころ大崎市が運営するファンクラブである。寄附金額5,000円以上で会員登録され、会員証が発行される他、会員特典として、「広報おおさき」の1年間送付、温泉の無料入浴券(ペア)、市内施設の入場無料券 (ペア)のいずれか1つを選べる。

フィッシャーマン・ジャパン公式ファンクラブ「CLUB MERMAN」
 一般社団法人フィッシャーマンジャパンが運営するファンクラブ。同法人は「漁師とともに漁業を創る」をモットーに、三陸で活躍する若い漁師たちを中心に、未来の世代が憧れる水産業の形を目指している。「CLUB MERMAN」はその活動をサポートするための会員制度である。
 会員制度は、特典の内容に応じた4つのプランと無料会員プランから選ぶことができる。レギュラー会員は年会費5,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン1,000円分、ECクーポン500円分、会員限定バッジ、限定イベント、会報年1回が特典。シルバー会員は年会費15,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン3,000円分、ECクーポン2,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年1回5,000円分、公式牡蠣むきナイフが特典。ゴールド会員は年会費30,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン10,000円分、ECクーポン5,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年1回5,000円分、公式牡蠣むきナイフ、オリジナルTシャツが特典。プラチナ会員は年会費100,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン20,000円分、ECクーポン10,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年4回5,000円分、公式牡蠣むきナイフ、オリジナルTシャツ、名刺、魚谷屋スペシャル特典、漁師体験ツアー招待、年度事業報告会招待が特典となる。無料会員は、クーポンをはじめ、お得な情報が載ったメールマガジンが届く。

南三陸応縁団
 一般社団法人南三陸町観光協会が南三陸町からの委託を受け、運営する事業である。今までの「支援」から「協働」へ、そして「交流」への発展を目指し、支援者と町民をつなぐ架け橋となって様々な「ご縁」を育む交流プロジェクトである。団員特典としては、ウェブサイトとメールマガジンによる団員向けの南三陸町情報の発信、応縁団員を対象とした交流イベントの開催、農業や漁業の「おでって」(お手伝い、ボランティア)、限定ツアーや団員限定のポイントカードなど団員限定コンテンツへの参加、などがある。

さとうみファンクラブ

 南三陸町歌津にある一般社団法人さとうみファームが運営するファンクラブ。同法人では、羊の飼育を手掛けており、「育てること、食べること、活かすこと。『共生』を体験する牧場」を目指している。ファンクラブは、運営方針に賛同する人、南三陸の地域活性化を応援したい人が対象で、年会費は2,000円、会員特典としては、季刊誌「さとうみ通信」による活動報告、各種イベントへの招待などがある。

東北復興支援プロジェクト「希望の環」サポーター
 「希望の環」は、一般社団法人希望の環が運営する、生産者同士、小売店、消費者、その他支援者との東北復興支援の環を広げるプロジェクト。サポーターに登録すると、定期的に「希望の環 通信」として、生産者の日々の活動や復興への想い、また被災された町の復興に関する明るい希望を感じるニュースなどがメールマガジンとして届く。サポーターからの生産者への応援メッセージも届けてくれる。

登米市観光のまちづくり応援団
 内陸北部にある登米市の「観光のまちづくり」を推進するため、全国から登米市のPRと観光物産の振興発展を応援してくれる団員を募集している。対象は‥佇道毀院↓登米市にゆかりのある人、E佇道圓離侫.鵑如活動内容としては、特設サイトによる登米市の情報の発信、団員によるレアな情報や気づきなどの発信、新たな魅力を発見・創設する企画の提案、登米市見学ツアーなどへの参加、講演会・イベントの案内、会報の発行、会員証の発行などである。

日本酒サポーターズ倶楽部・宮城
 宮城県酒造組合が運営する日本酒愛好家の方々の集い。20歳以上なら誰でも入会でき、入会金・年会費も無料。登録すると各種イベントの案内がメールで届く他、会員限定イベントやセミナーにも招待される。


「ファンクラブ」活用のススメ〜山形編

 東北にあるファンクラブの第3回、今回は山形県のファンクラブについて紹介しようと思う。山形県にも多くのファンクラブがある。特に、県南部の置賜地方を中心として、自治体、並びにその関連団体が運営するファンクラブが多いのが特徴である。

西川のまちづくり応援団

 山形県のほぼ中央に位置し、出羽三山のうち月山と湯殿山を擁する西川町が運営している、西川町出身の人、西川町をふるさとと思う人、西川町に関心を持っている人が対象の、「西川町のまちづくりを考えながら、西川町を側面から応援する(応援してもらう)ため」の会である。年会費は3,000円で、加入すると「団員」となって、毎月西川町から応援団会報や町広報誌、資料、観光パンフレット、イベントの案内などが送られてくる。また、毎年「関東ブロック総会」、「東北ブロック総会」、「仙台七夕交流会」、「ふるさと植樹祭・交流会」といった交流イベントに参加できる。
 団員としての活動は、 崋分のふるさと西川町はこんなところです」(友人・知人への西川町のPR)、◆屬海鵑覆海箸鯏垈颪凌佑牢待しています」(都会のニーズ調査)、「こんなことをすれば西川町はもっとよくなるのでは?」(町への提言)、ぁ崟樟酊に住みたい人を知っているので紹介します」(IJUWターン希望者の紹介)、ァ崟樟酊の特産品を友人に贈ろう」(特産品の購入)、Α崟樟酊の特産品はこんな店で扱ってもらえるのでは?」(販売店等の紹介)、А崋分の周りには同郷の人がいます。今度遊びに行ってみよう!」(西川町への観光旅行)、─屬佞襪気叛樟酊へ寄付をします」(ふるさと納税)、をできる範囲内でして、西川町を応援する、となっている。1997年(平成9年)発足という、山形県内はもとより、東北地方全体の同種の会の中でも屈指の歴史を持つ。

ながいファン倶楽部

 山形県の南部にあって、桜、白つつじ、あやめ、萩などの花で知られる長井市の(一財)置賜地域地場産業振興センターが運営する、長井市内に住んでいる人、全国各地の長井にゆかりのある人ほか、誰でも入会できる「山形県長井市を応援するみなさんの交流の場」である。年会費無料の無料会員の他、年会費1,000円の「一般会員」、5,000円の「特別会員」、10,000円の「プラチナ会員」、30,000円の「ダイヤモンド会員」があることが特徴である。
 無料会員は、長井市の旬の話題を届けるメールマガジンの配信、協賛店での会員特典サービス、「道の駅 川のみなと長井 オンラインショップ」での購入のポイント進呈などの特典が得られる。有料会員は入会・更新時にプレゼントがある他、オンラインショップでの進呈ポイントの割増、「道の駅 川のみなと長井」での購入時の割引、プラチナ会員には年1回、ダイヤモンド会員には年4回長井市が誇る特産品が届く。また、交流ツアーなどの催事の案内が届く他、都市圏で行う物販の案内とプレゼント引換券ももらえる。

いいで"Fun"Club

 山形県の南部、飯豊連峰のふもとにある飯豊町の飯豊町観光協会が運営する、「心身をリフレッシュするとともに、そこに住む『いいで人』も活力を見出しながら共に『めざみの里』を体感できる、飯豊町を愛する人たちの組織」。ちなみに、「めざみ」とは、フランス語の"MESAMIES"(「親しい友達・仲間」の意)で、「みんなで仲良く明日への町づくりをめざす、またはめざめるという希望」が込められているとのことである。
 年会費1,000円の「トクトク情報コース」と、年会費3,000円の「特選旬の味コース」がある。5年間有効会員パスポートが発行されて、年4回飯豊町の情報紙が届き、町内の提携施設で特典が受けられる他、年1回会員を対象とした「これぞ飯豊町と言える"お楽しみツアー"」に参加でき、来町に際して目的や季節に応じたモデルコースを提案してもらえる会員相談窓口も利用できる。「特選旬の味コース」はさらに飯豊町の「旬の食材」が届く。

いまっとファンクラブ
 山形県の中部にあって、「隠れそばの里」、鮎、それにホップの産地としても知られる白鷹町の白鷹町観光協会が運営するファンクラブ。「いまっと」は「もっと」や「もう少し」という意味で、「いまっと白鷹を好きになってほしい」「いまっと白鷹に興味をもってほしい」「いまっと白鷹の暮らしを体験してほしい」という願いが込められている。白鷹町外の人が入会でき、ネット会員は年会費無料、一般会員は年会費1,000円である。
 入会すると「特製会員パスポート」が発行され、来町時会員証の提示で協賛店からサービスが受けられる他、白鷹町の旬の情報が毎月郵送で届く(ネット会員にはメールで届く)。年1回、「白鷹町体感の交流会」が開催される他、白鷹町に来町する際には同ファンクラブが相談窓口となるなどの特典がある。

ふながたファンクラブ
 山形県の北部にあって、やはり鮎で知られる舟形町のふながた観光物産協会が運営するファンクラブ。舟形町出身の人もそれ以外の出身の人でも、舟形町に興味がある、暮らしたい、訪れてみたいという人のファンクラブである。入会費・年会費は無料で、舟形の旬の情報やイベント情報などが満載のメールマガジンの配信サービスが受けられる。今後、会員限定イベント、協賛店でのお得なサービスなど様々な企画を展開する予定だとのことである。

鳥海山・飛島ジオパーク八幡ファンクラブ

 山形県の沿岸庄内地方にあって、「平成の大合併」で酒田市と合併した旧八幡町にある酒田市八幡総合支所が運営する、鳥海山やジオパークの魅力を広く伝えるためのファンクラブである。庄内地方と秋田県の県境にある鳥海山と、日本海に浮かぶ飛島を含む地域は「鳥海山・飛島ジオパーク」に指定されている。
 「鳥海山と八幡地域が大好きな方」なら誰でも入会でき、入会するとオリジナル会員バッジが進呈され、そのバッジの提示で協賛店でサービスが受けられる他、ジオパーク関連イベントの情報が届き、ファンクラブミーティングなどジオパークイベントにも参加できる。

川西ファン倶楽部
 山形県の南部にあり、ダリヤで知られる川西町が運営するファンクラブである。登録すると、川西町内の店舗、事業所などの新商品、限定品、割引商品、ランチの情報などがメールで届く。

山形ファンクラブ

 山形県アンテナショップ「おいしい山形プラザ」が運営する、「『山形を知っていただく』『山形県産品を買っていただく』『山形に来ていただく』など、山形の魅力を堪能していただく」ためのファンクラブである。
 年会費は無料で、会員になると、メールマガジンで山形県の旬の情報が届く他、アンテナショップでの購入や飲食の金額によるポイント特典で山形県産品がプレゼントされる。また、協賛店でのサービスや割引がある他、「おいしい山形 料理教室」など会員限定イベントや「ファンクラブ会員限定!モニターツアー」などにも参加できる。

ペロリンファンクラブ

 山形県農林水産部6次産業推進課内にある「おいしい山形推進機構事務局」が運営するファンクラブである。「ペロリン」とは、山形県産農産物などの統一シンボルマークである。山形県産農林水産物のファンなど誰でも入会可能で、入会すると、メールマガジンにて山形県産農林水産物の情報やイベント・キャンペーン情報が届く。

伝国の杜ファンクラブ

 「米沢市上杉博物館」と「置賜文化ホール」を含む「伝国の杜」を運営する(公財)米沢上杉文化振興財団 が運営するファンクラブである。年会費は一般2,500円で、米沢市上杉博物館の常設展示室・企画展示室に何度でも自由に入館でき(同伴者1名は団体割引で入場可)、置賜文化ホール自主事業チケットの先行予約・割引販売(会員1名につき2枚まで)、年7回程度「伝国の杜だより」やファンクラブ会報、各種事業チラシの送付、ファンクラブ会員向けの講座・イベントへの参加、募集制ワークショップへの無料参加(1回無料券の進呈)、ミュージアムショップでの展覧会図録・オリジナル商品10%割引、ミュージアムカフェでの10%割引(同伴者3名まで)などの特典が得られる。

庄内みどりファン倶楽部

 JA庄内みどりが運営するファンクラブ。入会金・年会費とも無料で、ファン倶楽部通信が届く他、厳選した旬の食材の頒布会(定期宅配)の申込ができ、購入時に貯まるポイントを各種商品と交換できるなどの特典がある。

 これらのファンクラブ以外にも、今年度は寒河江市が運営する「寒河江ファンクラブ」が創設される予定である他、小国町にも「小国ファンクラブ」を創設する計画があるとのことである。


「ファンクラブ」活用のススメぁ阻姪賈綿

 東北のファンクラブ、最終回の4回目は岩手県、秋田県、青森県の北東北三県である。三県まとめて一度に紹介できることからも分かるように、これまで紹介してきた南東北三県と比べるとファンクラブの数自体は少ないが、その中にはなかなか個性的なファンクラブがいろいろ存在している。

岩手県

IGR銀河ファンクラブ

 盛岡駅と青森県の目時駅を結ぶIGRいわて銀河鉄道の利用促進、沿線地域の活性化、交流人口の拡大を目的に活動しているファンクラブ。会費は個人会員が年間2,000円、子ども会員が年間1,000円、賛助会員が年間20,000円で、会員への特典も充実している。
 具体的には、。稗韮劼い錣洞箍賄監残庄津絞泙任琉み物などのサービス、個人会員への初回IGRオリジナルキャラクター「ぎんがくん」「きらりちゃん」がプリントされたモバイルバッテリー、IGRオリジナルパスケース、リールクリップ、ストラップのプレゼント(モバイルバッテリーとパスケースはファンクラブ限定品)、子ども会員への初回ハンドタオルのプレゼント、2年目以降更新の会員にはIGR1日フリー乗車券のプレゼント、せ申会員への盛岡駅でのB1判ポスター掲出1か月無料サービス、シ兮廓数に応じた会員証のグレードアップ、Σ餔証の提示による提携施設における各種特典、毎年1回「ファンミーティング(会員の集い)」の開催、─峩箍賄監擦泙弔蝓廚任硫餔限定のプレゼント、年2回会報誌「銀河ファンクラブマガジン」の送付、岩手の鉄道会社ならではの岩手旅、こだわりのIGR沿線旅の会員特別価格での提供、となっている。

三鉄ファンクラブ
 岩手県の沿岸、三陸海岸を走る三陸鉄道を応援するためのファンクラブ。会費は個人会員が1年2,000円、5年9,000円、家族会員(4名まで)が1年4,000円、5年18,000円で、会員特典としては、〇偉ε監擦離ぅ戰鵐函⊂ι覆両霾鵑覆匹鯏舛┐襦屬気鵑討直亟蕕世茲蝓廚稜4回の送付、⇔△三陸鉄道の1日フリー乗車券になっている「三鉄ファンクラブ会員証」の送付がある。

いちのせきファンクラブ「あばいんクラブ」
 岩手県の内陸南部にある一関市が運営する、「一関に行ってみたい・もっと知りたい」という市外在住の一関ファンに一関を知ってもらい、楽しんでもらうためのファンクラブ。会費は年間10,000円で、会員特典として、 屬△个い鵐ラブ会員証」の送付、∋垤報誌や観光パンフレットなど一関市関連情報の情報誌の送付、主要観光施設の特別割引、ぐ豐愡圓僚椶両霾鵑鮠匆陲垢襯瓮襯泪の配信、セ堝盻蒜饂楡瀝用券10,000円分、一関名物の餅料理の食事券2,000円分、選べる特典2,000円分の送付、が提供される。

なかほらファンクラブ

 岩手県岩泉町の北上山地で「山地(やまち)酪農」という、牛舎がなく牛が年間を通して山で自由に過ごすスタイルの酪農を実践している「なかほら牧場」のファンクラブ。年会費は10,000円で、会員特典としては、’2回(誕生日とその半年後)、なかほら牧場の商品(送料込5,500円以上分)の進呈、▲侫.鵐ラブイベント(不定期)の開催、2駟鵝壁堋蟯)、イベント・セールの案内の送付、げ餔証の発行、ゥンライン店舗で使えるお得なクーポンの進呈がある。

遠野ファンクラブ
 岩手県の内陸中部にある、「民話の里」として知られる遠野市で、「遠野を知りたい!遠野に行きたい!遠野に住みたい!という人たちにいつでも遠野を身近に感じてもらい、移住・定住を応援する市民(サポート市民会議)と行政(遠野市)が一体となった定住推進組織」である「で・くらす遠野」が運営するファンクラブ。ファンクラブ会員は、「で・くらす遠野市民」に登録するという形で、年会費(1,000円、5,000円、10,000円)に応じた特典が得られる。
 年会費1,000円の「ちょこっと で・くらす遠野市民」は、,如Δらす遠野市民証の送付、△如Δらす遠野市民限定の情報誌「で・くらす遠野」の送付、「遠野馬の里」での乗馬体験の特別割引、ぜ舁彜儻施設でので・くらす遠野市民だけの特別割引、の特典がある。年会費5,000円の「のんびり で・くらす遠野市民」は、「ちょこっと で・くらす遠野市民」の特典に加えて、遠野ブランド新鮮野菜「農の匠」の年1回発送か、市内で使える宿泊交通利用券4,000円分のいずれか一つを選べる。年会費10,000円の「どっぷり で・くらす遠野市民」は、「ちょこっと で・くらす遠野市民」の特典に加えて、「遠野ジンギスカンと地ビールセット」など「食の匠」8種類のうちの一つか、「農の匠」の年2回発送か、宿泊交通利用券8,000円分のいずれか一つを選べる。

大槌応援団OCHAN'S

 岩手県の沿岸、三陸海岸中部にある大槌町が運営する、「おおつちファン」の交流サイト。「おおつちファン」とは、大槌町民と、大槌に関わりや関心のある人のことで、「大槌応援団 OCHAN'S」は、おおつちファン同士の交流、連携を深めるためのサイトである。おおつちファンによるサイトの活用を通じて、大槌の魅力が全国に発信される仕組みになっている。
 「大槌応援団」としてサイトに登録(無料)すると、さまざまな機能が利用できるが、.汽ぅ汎發法崑臘箸亡悗垢襪海函廚覆蕾燭任OKのブログを開設できる、大槌に関する写真の投稿、閲覧ができる、B臘箸亡悗垢襯ぅ戰鵐箸両霾鵑魴悩椶任、カレンダーにまとめられる、といった機能がメインである。

雫石ファンクラブNet.

 「雫石ファンクラブNet.」は岩手県の内陸北部にある雫石町の観光ポータルサイトの名称である。従って、会員特典などは存在しないが、雫石町内の観光スポットなどについて分かりやすく紹介されている。


秋田県

大館能代空港ファンクラブ
 大館市産業部移住交流課が事務局を務める大館能代空港利用促進協議会が運営するファンクラブ。入会金、年会費は無料で、メール会員になると、空港のおトクな情報や空港周辺のイベント情報などがメールで届く。入会は同協議会のホームページ「大館能代空港どっと混む」から可能。

秋田犬"のの"ファンクラブ
 秋田県大館市の大町商店街にあるゼロダテアートセンターにいる、「あいにいける秋田犬」である「のの」が好きな人のためのファンクラブ。オンラインで会員登録で、イベントでの割引や会員限定の特典が用意されている。


青森県


七戸ファンクラブ
 青森市の東、八甲田山の東麓に位置する七戸(しちのへ)町の商工観光課が運営するファンクラブ。会員にはファンクラブカード「NANAカード」が発行される。「NANAカードポイント加盟店」と「サイモンズ加盟店」、「サイモンズポイントモール」での買い物の金額に応じてポイントが貯まり、貯まったポイントは1ポイント1円で使用できる。ポイントの有効期限は翌年の12月31日で、期限切れのポイントは自動的に七戸町に寄付されて絵本などの児童図書購入費として利用される。
 町内の図書館の図書利用カードも兼ねるが、現在町内に住んでいる町民だけでなく、ふるさとを離れた人でも、七戸町を「心のふるさと」と思っている人でも発行が可能。

青い森の翼ファンクラブ〜A-wing〜
 青森県が運営する、「青森空港と三沢空港、青森県にある2つの空を応援してくださる方々とともに、青森の空を盛り上げていくためのファンクラブ」である。入会金、年会費は無料だが、入会すると会員限定の特典が得られる。
 具体的には、_餔証の交付、搭乗前に使える青森空港有料ラウンジの無料クーポン券の交付(年4回、無料で青森空港有料ラウンジが利用できる)、9匐情報やイベント告知、お得な旅行商品の情報などが載ったメールマガジンの配信、じが主催する航空関連イベントに来場された人などを対象とした会員限定グッズの配付、ゲ餔限定イベントへの参加やツアーへの応募ができる、といった特典がある。

地酒FAN倶楽部
 青森県酒造組合が運営する、1. 青森の地酒を知り、飲み、楽しみ、伝えること!!、2. 青森の文化を知り、飲み、楽しみ、伝えること!!、3. 青森の食を知り、食し、楽しみ、伝える!!、の3つの趣旨に賛同する20歳以上の人であれば誰でも入会できるファンクラブ。
 青森の豊かな自然、移ろいゆく美しい四季、そこに育まれる旬の食と醸し出される旬の地酒といった青森の素晴らしさを楽しみ、広めていくことを目的とする。
 入会すると、青森県内で行われる酒造組合主催のイベントの案内が届く他、倶楽部会員全員を対象としたプレゼント企画「旬の地酒プレゼント」が行われ、毎年10名に旬の地酒が送付される。

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2018年07月31日

ホップとビールでまちを盛り上げる!(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その108

 4月16日に発行された「東北復興」第71号には、「ホップとビールでまちを盛り上げる!」と題して、東北特産のホップを巡る話題を取り上げた。ビールに欠かせない原料で、最近その成分についての研究も進んでいるホップについては、依然東北が国内全体の約96%と圧倒的なシェアを占めるが、その生産量は年々低下しているという現状もある。その一方でこのホップをまちづくりに活かそうという動きも東北各地に見られ、これからの展開が楽しみでもある。以下がその全文である。


ホップとビールでまちを盛り上げる!

減り続ける国内産ホップ
 ビールに欠かせない原料の一つにホップがある。世界最古の食品関連の法律とされるドイツの「ビール純粋令」には、「ビールは大麦、ホップ、水、酵母のみを原料とすべし」とあるが、逆に言えばビールづくりにこの4つは欠かせないものであると見ることもできる。

 このうち、ホップは、ビールの苦みと香りをつけるのに欠かせない原料である。このホップについては、以前書いたことがあるが、国内では東北地方のシェアが極めて高い。東北では宮城と福島を除く4県でホップが栽培されており、2011年時点で、国内産ホップに占める東北産ホップのシェアは98.9%と圧倒的である。最近では、クラフトビール市場が拡大するにつれて、他地域でも栽培が始まっているが、それでも昨年時点で約96%が東北産と聞いているので、いまだに日本でホップと言えば東北、という状況が続いている。

 しかし、大きな問題がある。シェアは依然として高いものの、生産量は年々減少してきているのである。国内全体で見ると、ホップの生産量が過去最大だったのは1968年の3,295トンだが、これが2011年時点で330トンと、実に10分の1にまで減少している。東北の中でも最大のホップ生産県は国内産ホップのうち5割の生産量を誇る岩手だが、その岩手を見ても、平成に入った1989年に647トンだった生産量は、2016年には101トンにまで落ち込んでいる。その理由は生産者の高齢化と後継者不足で、そのために生産者が減少し、栽培面積も減少するという状況に陥っているのである。栽培戸数を見ても、1989年に538戸だったのが、2016年には何と79戸にまで減少しているのである。東北の他県でも概ね同じような状況であり、この状況が続くと、近いうちに東北産ホップを使ったビールが飲めなくなるという大いなる懸念がある。

キリンビールによる地域活性化への取り組み
 こうした現状に危機感を募らせている企業がある。キリンビールである。実は、国内産ホップのうちのおよそ70%をキリンビールが購入している。キリンビールは岩手の中でも最大の生産量である遠野を始め、江刺、秋田県の大館周辺、大雄、山形県南など、東北各地に契約栽培地を持っている。サッポロビールやアサヒビールも東北で契約栽培を行っているが、その購入量はキリンビールに遠く及ばない。

 このキリンビールが、CSV活動の一環として、国産ホップの価値化に取り組み始めた。具体的な取り組みの一つとして、ホップの契約栽培を通じておよそ50年の付き合いがある岩手県遠野市とコラボレートして、共同で地域活性化に取り組んでいる。遠野市とキリンビール、遠野ホップ農業協同組合などが「TK(遠野・キリン)プロジェクト」を立ち上げ、「ホップの里」から「ビールの里」へを合言葉に、単なるホップの栽培地からホップを核としたまちづくりを進めているのである。具体的には、毎年夏に「遠野ホップ収穫祭」を開催すると共に、ホップの収穫体験や農家への民泊体験などを含めた「遠野ビアツーリズム」の実施、「フレッシュ・ホップ・フェスト」というその年に取れたホップを使って造ったビールの解禁を祝うイベントの開催、親子を対象とした「遠野ホップ畑生きもの観察会」の開催など、ホップをキーワードとした交流人口を増やすための様々な取り組みを行っている。同様の取り組みは、やはりホップの契約栽培を行っている秋田県横手市でも行われている。

 キリンビールの取り組みはそれだけにとどまらない。昨年10月末には「IBUKI BREWER'S MEETING」を開催した。東北で栽培されているホップ「IBUKI」をテーマに、ホップ生産者、クラフトビール醸造者、そしてビール消費者が一堂に会しての集まりで、当日はキリンビールの担当者から国産ホップについてのキリンの取り組みについて説明があった後、キリンビールを始め、青森で奥入瀬ビールを造るOIRASE Brewery、秋田であくらビールを造るあくら、岩手でズモナビールを造る上閉伊酒造、いわて蔵ビールを造る世嬉の一酒造、キリンビールのクラフトビール会社であるスプリングバレーブルワリーがそれぞれ「IBUKI」を使って醸造したオリジナルビールを飲み比べできた。同じホップを使っても、多様なビールができるということが、飲み比べをするとよく分かった。

東北産ホップの利用拡大に向けた動き
 実は、東北のクラフトビール各社が東北産のホップを使えるようになったのは、ごく最近のことである。先述の通り、国内では圧倒的なシェアを持つ東北産ホップだが、そのほとんどがキリンビールを始めとする大手ビールメーカーの契約栽培によるものであり、当然納入先はそれら大手メーカーであるので、同じ地元にあるとは言え、東北のクラフトビール各社は、自社栽培するなどごく一部の例外を除けばこの東北産ホップを自由に使うことはできなかったのである。

 それが大きく変わったのは昨年4月、キリンビールが国内のクラフトビール各社を対象に契約栽培の東北産ホップ「IBUKI」を供給することに踏み切ってからである。それまで東北産のホップを使ったビールと言えば、毎年秋にキリンビールやサッポロビールが発売する限定ビールで味わう以外なかったが、これによって東北産のホップを使った東北のクラフトビールが飲めるようになったのである。

 キリンビールが国内産ホップを使用する割合は、キリンビールが使用する全ホップのうちの約9%だという。全体から見ればごくわずかとも言える割合だが、それでもキリンビールが国内産ホップを支援する理由について、「IBUKI BREWER'S MEETING」ではキリンビールの担当者からは「国産のホップの品質は素晴らしい」、「国産ホップでしか味わえないビールがある」、「国産ホップを通じて日本のビール文化をもっと面白くしたい」といった話があった。

 ビールに発泡酒、「第三のビール」を加えたビール系飲料の出荷量は昨年まで13年連続で減少しており、昨年は過去最低を更新している。その一方で、2009年まで年間15,000Lほどでほとんど増減がなかったクラフトビールの出荷量は、その後増加に転じ、2014年には26,824Lとそれまでのおよそ1.8倍にもなっている。こうした状況を踏まえて、大手各社もクラフトビールの醸造に相次いで参入してきているが、中でも特に意欲的なのがキリンビールである。先述のスプリングバレーブルワリーの立ち上げ以外にも、クラフトビール最大手と見られ、「よなよなエール」で知られるヤッホーブルーイングと業務・資本提携をするなど、クラフトビールへの関与を強めている。昨年11月には東北のクラフトビール7社が参加して共同でビールを醸造する「東北魂ビールプロジェクト」にも参画し、キリンビールが「IBUKI」ホップを提供し、スプリングバレーブルワリーが醸造に加わった。

 こうした取り組みを通して、クラフトビールがさらに勢いづけば、ビール市場全体の活性化にもつながる。また、国内産ホップの需要が高まれば、遠野などホップ生産地が活性化して、ホップづくりを志向する人材が増えて生産量が増加に転じることも期待される。

東北各地で始まっているビールとホップによる地域活性化
 昨年仙台には「穀町ビール」ができ、秋田県羽後町には「羽後麦酒」ができた。「穀町ビール」を造る今野さんにも、「羽後麦酒」を造る斎藤さんにも話を聞いたことがあるが、いずれも自分たちの地域の活性化を強く意識していた。今野さんは「ぜひ仙台に来て飲んでほしい」ということで通販などは行わず、一方で市内の飲食店には卸していて、地元密着でビールづくりと販売を進めている。斎藤さんは地元で採れたイチゴやブルーベリー、そして食用菊などを使ったビールづくりを積極的に進めている。

 件の遠野市にも、昨年秋に「遠野醸造」が立ち上がった。既に醸造を始め、今月中にも地元産のホップを使ってビールを造るブルーパブ(醸造設備のあるビアパブ)をオープンさせるとのことである。それ以外にも今年は、私が知る限り、宮城県内に2箇所、福島県内に1箇所、新たにブルーパブが立ち上がる予定である。いずれも「ビールで自分たちの地域を盛り上げていきたい」と志す人たちが立ち上げており、今後がとても楽しみである。

 以前、埼玉に行った折に、さいたま市で初のクラフトビール「氷川ブリュワリー」併設のパブ「氷川の杜」に行ってみた。ちょうど創業者の菊池さんがおられて、いろいろと話が聞けたが、そこでも仙台同様クラフトビールがなかったさいたま市に初めてつくるということで、その意義についていろいろと考えたそうで、その結果、「ビールを通じて人と人とをつなぐ」、「地域への愛着を深めてもらう」、「地域づくりに貢献する」、といったことを重視したいということになったそうである。この考えは、東北各地でビールに携わっている多くの人にも共通する姿勢である。

 ホップそのものの栽培も広がろうとしている。宮城県石巻市では「イシノマキファーム」がホップ栽培を始めた。昨年収穫したホップはいわて蔵ビールに醸造を委託してクラフトビール「巻風エール」として石巻市内で販売された。石巻市ではもう一つ「鈴木ファーム」が栽培したホップを使って向陽ホールディングスがやはりいわて蔵ビールに醸造を委託してできたクラフトビール「石巻日和」もある。当初3種類の展開だったが、今年2月には、地元のゆずを使った第2弾となるビールを発売した。「羽後麦酒」もそうだが、地元産原料の使用というのも今後の東北のクラフトビールを考える上で、一つの重要なキーワードとなるに違いない。最近は以前の「地ビール」という言葉よりも「クラフトビール」という言葉の方が、各地に生まれた小規模のビール醸造所で造られたビールを表現するのに一般的な用語となりつつあるが、恐らく今後「地ビール」は、地元産の原材料を用いて造られたその土地ならではのビールを表す言葉として使われていくようになるのではないかと思う。

 また、福島県田村市では、「ホップジャパン」が地元農家とタイアップしてホップ栽培を始めた。地元で作ったホップを使ったクラフトビールを醸造し、ホップ栽培の6次産業化を目指すという。醸造所は早ければ今年秋、遅くても来年春には開業するとのことで、こちらも楽しみである。宮城と福島という、現在ではホップ栽培が途絶えていた地域でこうした動きが相次いで起きていることは大変興味深い。

 普段ビールを飲む際にホップのことはあまり意識しないが、ビールの苦みも香りも大部分はホップに依っている。このホップに着目した地域づくりが今、東北のあちこちで始まっているのである。今後のさらなる展開に大いに期待したい。

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2018年04月02日

私的東北論その107〜「平泉町観光振興計画(案)」への意見書(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 2月16日に発行された「東北復興」第69号では、「平泉町観光振興計画(案)」について私が平泉町観光商工課に送った意見書について取り上げた。1月下旬に岩手県一関市で開催された「第18回平泉文化フォーラム」に参加するのに合わせて、久々に平泉町内を回ってみて感じたことがいろいろあった。ちょうど平泉町が5年ぶりに新しい観光振興計画案を作成し、それについての意見を求めているところだったので、大きなお世話と思いつつも、その時感じたことなどを基に、意見書をまとめて送ってみたのであった。そしてまた、「東北復興」の連載記事の締切も間近だったので、その意見書を中心に原稿もまとめてしまったというわけである(笑)。

 以下がその全文であるが、意見書の中で言いたかったことは、端的に言えば、\こΠ篁紺奮阿隆儻資源についてもしっかり情報発信を奥州藤原氏時代の遺跡等が残っている自治体と一層の連携をL襪盂擇靴な神瑤、という3点である。特に、が私にとっては重要である(笑)。

DSCN1118 ちなみに、意見書の中で触れている「観自在王院辺りの道」の雰囲気というのはこんな感じである。あと、「ザ・ブリュワーズ平泉」の「夜カフェ」については以前別稿で紹介したことがあったが、このようなものである。

 それと、記事中に出てくる西川雅樹さんのサイトはここである。東北の湯治宿の他に、東北のB級グルメについてもものすごい情報量である。

追記(2019.2.25):公表された「平泉町観光振興計画(本編)」であるが、下記の私の意見書の内容に関係することで「(案)」から追加されたこととしては唯一、P.9の「1−2 主な観光資源」の中の「1−2−1 史跡・名勝等」のところに、私が「平泉は世界遺産だけじゃない!例えば…」として挙げた「白山妙理堂」と「熊野三社」と「照井堰」の写真が加えられたくらいであった。それなら「花立廃寺跡」とか「八坂神社」とか「北野天神社」とか「王子社跡」とか、もっといろいろ例を挙げればよかった。(笑)


「平泉町観光振興計画(案)」への意見書

 1月27日、28日の2日間、岩手県一関市で「第18回平泉文化フォーラム」が開催され、私も参加してきた。毎年基調講演、発掘報告、研究発表が行われ、平泉研究の最先端に触れることのできるイベントである。

 今回、1日目終了後の宿泊は、あえて一関市内ではなく、平泉町内にしてみた。これまで平泉は何度も訪れているが、訪れるのはいつも昼間だけで、夜の平泉がどのような感じか興味を惹かれたのである。また、2日目は午前中で終了だったので、終了後再度平泉を散策した。2日間平泉を訪れて感じたことがいろいろあった。折りしも平泉町が新しく「平泉町観光振興計画(案)」を作成し、それについての意見を募集していた。そこで、今回の平泉散策で感じたことや、以前から平泉観光について考えていたことなどについて意見書としてまとめて、平泉町観光商工課宛に送付した。

 以下がその意見書である。

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 「平泉町観光振興計画(案)」を興味深く拝見しました。その上で考えたことについてお伝えしたいと思います。要点は以下の3点です。

 \こΠ篁紺奮阿隆儻資源の活用について
 ∧神観光において連携すべき相手について
 「夜の平泉観光」の仕掛けについて


\こΠ篁紺奮阿隆儻資源の活用について
 ,砲弔い討任垢、私は今回、一関市内で2日間開催された「平泉文化フォーラム」に出席しました。その折に、1日目の宿を平泉町内に取り、また2日目終了後に久しぶりに平泉町内を散策しました。その際に感じたことは、端的に申し上げれば、平泉観光は現在、あまりに世界遺産に頼り過ぎているのではないかということです。平泉駅内の観光案内所で入手できる町内のマップには、世界遺産の構成遺産5つと追加登録を目指している達谷窟毘沙門堂、柳之御所遺跡、それに高館義経堂などが掲載されています。今回の「平泉町観光振興計画」(案)の「1−2 主な観光資源」のうち「1−2−1 史跡・名勝」として挙げられているのもこれらですし、「資料4 平泉町の観光資源の再確認」で挙げられているのも概ねこれらですが、平泉の観光資源はそれらのみに留まるものではありません。

 白山妙理堂や熊野三社は奥州藤原氏と白山信仰、熊野信仰との関わりが感じられて興味深いですし、照井堰なども高館合戦の折にその名前が登場する照井太郎高春の伝承があり、興味を惹かれます。歴史好きにとっては、芭蕉の「おくのほそ道」にも出てくる泉ヶ城(和泉が城)も目にしたい場所でしょうし、国衡や高衡(隆衡)の館の比定地もあります。四方に配置したという鎮守社跡を巡るのも楽しそうです。

 これらは現在学校であったり民有地であったりと、観光スポットとするには難しい面もあるでしょうが、園地として整備せずとも今の伽羅御所跡のように、可能な場所に案内板を設けるだけでも散策ルートとなり得ることでしょう。

 そうした隠れた観光資源についても積極的にPRしていかなければ、平泉は一度来て構成遺産を一通り見たらそれで終わりで、二度とは訪れないスポットとなってしまいかねません。そうではなく、最初は有名な世界遺産、その次は少しマニアックな、ディープな場所を巡る、というように、次にも来る楽しみがあるようなことが分かる情報提供が必要であると考えます。

 今回、観光案内所におられたガイドの方に「世界遺産と達谷窟、柳之御所、義経堂以外にどこか見るべき場所はありますか?」と尋ねたところ、「それらを見てるんならあとは特にないねぇ」とのお返事で、少し残念な思いをしました。

 私としては、「平泉は単に世界遺産だけの町ではない」ということを強く訴えたいです。他にももっとあまり知られていない、でも魅力的な場所が平泉町内には本当にたくさんあります。まずは地元の方々こそにそのことを再度確認していただければと願います。

∧神観光において連携すべき相手について
 △砲弔い討任垢、「4−1 観光施策の内容」では、「基本方針3 広域連携による平泉町の魅力の向上―多様な交流・連携の促進―」で「広域観光体制の充実」について既存の方向性を踏襲する旨記載されています。そのうち「東北地方との連携強化」では、十和田市や仙台市との広域的連携を強化する方針が挙げられています。

 周知の通り、奥州藤原氏は平泉のみならず、全盛期には現在の東北地方のほぼ全域に影響を及ぼしました。従って、奥州藤原氏に関係する遺跡・史跡も広く東北地方全域に点在しています。広域連携を考える場合、こうした奥州藤原氏に関係する遺跡・史跡を有する自治体とのより一層の連携も考えていただきたいと強く願います。

 平泉の世界遺産の登録名は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」ですが、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は平泉のみならず、東北全域に存在します。最も端的なのは、福島県いわき市にある「白水阿弥陀堂」や宮城県角田市にある「高蔵寺阿弥陀堂」ですが、これら奥州藤原氏の影響下にあって同様に「仏国土(浄土)」を表した遺跡・史跡を持つ自治体との広域連携も進めるべきと考えます。

 他にも、秀衡ゆかりの徳姫が泰衡の子と共に36人の家臣に守られて逃れたという山形県酒田市、泰衡終焉の地である秋田県大館市、泰衡の家臣たちが藤原の姓を名乗って隠れ住んだという伝承がある秋田県鹿角市、その他奥州藤原氏時代の金山があったと考えられる東北各地の自治体も連携の対象となり得ます。また、平泉の柳之御所遺跡で多数出土することから「平泉セット」と名付けられた、平泉型てづくねかわらけや白磁四耳壺が出土する遺跡が、青森から福島まで、平泉以外にも東北地方にはたくさんあります。これらの遺跡を有する自治体とも連携して、平泉遺産の面的な広がりを重視していただければと考えます。

 平泉の歴史遺産は平泉だけのものではなく、かつ平泉の歴史遺産は平泉だけに留まるものではありません。平泉とこれらの地域とをつないで共同で行う観光キャンペーンや情報発信などを通して、平泉と関係する自治体とがWin-Win となるような方策をぜひ講じていただきたいです。

「夜の平泉観光」の仕掛けについて
 についてです。「2−2 町の観光の問題点・課題、可能性」の中で、「多くの観光客が通過型の観光」と指摘されていますが、私も実は平泉町内に宿泊したのは初めての経験でした。平泉にはこれまで何度も足を運んでいますが、いつも昼間のうちに町内を回り、夕方には移動するという形でした。

 その理由を考えてみますと、まず宿泊できる場所の少なさがあります。ツアー以外の個人客が宿泊場所を探す際に利用するのは多くは「楽天トラベル」や「じゃらんネット」などの宿泊予約サイトであると思われますが、平泉町内の宿泊施設は「楽天トラベル」、「じゃらんネット」とも3軒の登録にとどまります。それ以外の宿泊施設については、平泉町観光協会のサイト内で紹介されていて、少なくとも町内には7軒の宿泊施設があることが分かりますが、「平泉町 宿泊」で検索してもこの平泉観光協会のサイトは30番目(つまり3ページ目の一番下)にようやくヒットする状況で、これでは恐らくあまり見てはもらえないことでしょう。町が後押しするなどして宿泊サイトへの登録を進めることや、町内の宿泊情報がより上位にヒットするような対応策を講じることが必要と考えます。

 宿泊できる場所の数を増やす手段として「民泊」の活用も考えられますが、その際にはそれぞれの民泊場所の特色があるとよりよいです。例えば、「平泉の古老から平泉の歴史について話が聴ける民泊」などがあれば、歴史好きの観光客は「ぜひ泊まって話を聞いてみたい」と考える可能性が高いです。

 もう一つ平泉観光が通過型に留まってしまう理由として、夜楽しめる場所がないということが挙げられます。平泉町内の飲食店は多くが夕方までに閉店してしまい、夜は一部の居酒屋や焼肉店が営業するのみだということが今回分かりました。この現状では、夜も平泉で過ごすという行動にはなかなかつながりにくいと考えます。「平泉夕食堂」のパンフレットも入手して、その部分の改善に取り組んでいる様子も窺えましたが、それでも大半の店は19時くらいまでの営業であり、その時間帯であればその後の移動もできてしまうため、滞在することにつながるかどうかは正直微妙なところです。

 昨年できた「ザ・ブリュワーズ平泉」がこの1月から「夜カフェ」を実施し、3日前までの予約が必要ではあるものの、予約客が1人でも「夜カフェごはん」を提供してくれ、+1,500円で地ビールを含む飲み放題もつけられる、という取り組みを始めたことは注目に値します。このような特色のある取り組みをより多くの店が始めれば、夜の平泉の魅力はさらに増します。

 夜の平泉を今回初めて散策しましたが、観自在王院辺りの道は周囲の建物と柔らかな光の街灯とがマッチして、とても風情があるように感じました。このような雰囲気づくりを町内のさらに多くの場所に広げたり、例えば週末の夜は駅から毛越寺に至る道の両側に篝火を焚くなど、夜の平泉散策が楽しくなるような仕掛けを施したりすることによって、平泉に滞在する人はより増えるのではないかと考えます。

 以上3点について意見を述べさせていただきました。平泉を大事に思う同じ東北の一人の意見として、いささかなりとも参考になるのであれば幸いです。今後も平泉が、東北の一つの時代の在りようを伝える貴重な場所として、たくさんの人に知られ、訪れられる場所であり続けることを願っております。

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 この手の意見募集というのは、「広く意見を求めてそれらも取り入れて作りました」という体裁を整えるために、半ば形式的に行われることが多く、今回提出した意見書の内容もどれほど参考にしてもらえるものか不明ではあるが、とりあえず私としては、感じたこと、考えたことについては概ね伝えられたつもりでいる。

 平泉を散策した当日のfacebookに、「ブラブラしてて思ったのが、平泉は世界遺産に頼りすぎじゃないか?ってことでした」と書いたら、友人の西川さんが「黒毛和牛ステーキ屋なんかも黒毛和牛であることに頼り切ってる店が多くて、独自の価値観を訴求できる店がほとんどないんですよね」とコメントしてくれた。平泉が「黒毛和牛であること以外PRできないステーキ店」になってはいけない。それは平泉の魅力を矮小化してしまうことになる。

 西川さんは関西出身で現在仙台で仕事をされているが、東北の湯治宿に魅せられてご自身のサイトでその魅力を余すところなく伝えてくれている。その西川さんはこうもコメントしてくれた。「地元のヒトはえてして地元の魅力に疎いですよね、東北の湯治宿は情けないほど閑散としてるし」、と。まさにその通りである。だからこそ、魅力に気づいたなら、気づいた者の責務として、これからも情報発信をしていきたいと思う。


anagma5 at 23:13|PermalinkComments(0)clip!

2018年03月11日

私的東北論その106〜震災から7年の仙台・荒浜

 今年も3月11日がやってきた。震災発生から7年。今年も新聞各紙が一面で伝え、NHK、民放各社とも特別番組を企画するなど、忘れずに取り上げてくれるのはありがたいことである。仙台の街中にいると、震災の爪跡を見つけることはもうほとんどないが、それでもやはりこの日だけは毎年、普段とは違った心持ちになる。

WP_20180311_14_02_07_Rich 今年も出発点は若林区役所である。今日は日曜日ということで閉庁日だったが、献花台は今年も設けられ、人がひっきりなしにやってきていた。ここでこうして手を合わせている人、一人ひとりにきっと失われた大切な命があったのだと思うと、改めてこの震災の大きさに思い至る。

 若林区役所を出て一路東に向かい、沿岸の荒浜を目指す。震災直後、「海岸で200〜300人の遺体が見つかる」などとショッキングに報じられた地区である。あの報道は実は誤報だったが、かなり後まで繰り返し報じられ続けた。

 あの日、津波からの避難を地区住民に呼び掛けるべく、弟が公用車に乗って辿ったであろう道を走る。今日は南東の風が強く、自転車がなかなか前に進まない。冬の時期、いつもは北西の強くて冷たい風が吹く。南東の風は春の風のはずだが、全く暖かさは感じない。冬の冷たさのままの風である。

WP_20180311_14_18_50_Rich 荒浜に行く途中、仙台市地下鉄東西線の東の終点、荒井駅に寄り道する。ここには2年前の2月、「せんだい3.11メモリアル交流館」が開設された。交流スぺ―ス、展示室などからなる施設で、震災やこの地域に関する各種情報を発信していくことを目的につくられた。昨年6月には来場者が10万人に達したとのことである。




WP_20180311_14_38_21_Rich 荒浜に向かう道は今年も渋滞していた。荒浜地区一帯は震災後、災害危険区域となり、人が住むことのできない地域となった。他の地域への移住を余儀なくされた元住民の人たちがこの日は皆、ここに集まってくる。今年も地区唯一の寺院、浄土寺ではこの地区で亡くなった人のための追悼法要が営まれた。また、海岸近くに立つ「荒浜慈聖観音」には今年も焼香所が設けられ、たくさんの人が焼香していた。


WP_20180311_14_42_54_Rich 防潮堤に登って海を見下ろす人、海岸に下りて海を見る人もたくさんいた。今日は風が強く、消波ブロックに打ち付ける波はいつもより高かった。しかし、あの日ここに押し寄せた大津波はこのようなものではなかった。震災前よりも高さが増した7.2mの高さの防潮堤すら超える、平野部を襲った津波としては世界最大級という、およそ10mの高さの津波。上空から撮影された映像はあるが、地上にいてあの日、その大津波がどのように見えたのか、ここでこうして海を見ていても想像することすら難しい。

 そして、午後2時46分。地震発生の時刻である。サイレンが鳴ったり、放送があったりしたわけではないが、手元の時計を見て海に向かって手を合わせた。他の人も皆、同じように手を合わせていた。

WP_20180311_15_24_05_Rich 地区にある仙台市立荒浜小学校。地区が災害危険区域に指定されたことで閉校となったが、震災遺構として保存されることになり、昨年4月から校舎内が開放されている。校舎の1階は被災当時の状態がそのまま残されている。2階にあるひしゃげたフェンスもそのままで津波の大きさと破壊力が想像できる。地震発生からここに避難した住民が救助されるまでの経過、荒浜地区の歴史や文化などがパネルなどで紹介されている。昨年末までの8カ月でおよそ6万人がここを訪れたとのことである。

 仙台平野の一部で延々と平地が広がるこの地域には、津波発生時に避難できる高台が存在しない。あの日大津波に遭遇した住民が避難できる場所はこの荒浜小学校のみであった。小学校の児童、地域住民ら約320名がここに避難して難を逃れたが、一方で192名が津波に飲まれて亡くなった。仙台市の沿岸はどこもこの荒浜地区のように高台が存在しない。そこで仙台市では津波避難施設を沿岸に13カ所整備した。いざという時にはそこに避難することができるようになった。この荒浜小学校も、津波避難施設を兼ねている。

WP_20180311_15_14_43_Pro 今年も荒浜小学校では、荒浜を拠点に「繋がりが失われた街に、もう一度笑顔や思いを共有するプロジェクト」である「HOPE FOR PROJECT」が、花の種を入れた風船を空に飛ばすイベントを行っていた。震災から7年が経って、このイベントもすっかり3月11日の荒浜の風物詩として定着した感がある。




WP_20180311_15_41_29_Rich 私にとっては、午後2時46分よりも午後3時54分の方が重要である。午後3時54分は、この地区に大津波が押し寄せた時刻である。この時刻については、弟と同様にこの地区で避難呼び掛けをしていた若林消防署荒浜航空分署の署員の方の証言で明らかになっている。この時刻に合わせて、南長沼に行ってみる。この地区の方々の遺体の大部分は、自衛隊や消防、警察による懸命の捜索の結果、ここで見つかった。決して2、300人もの遺体が震災当日に海岸で見つかったというような状況ではなかったのである。

 だいぶ埋め立てられて以前より小さくなってしまったが、それでもまだ水鳥が羽を休めるくらいのスペースはある。沼越しに望む海岸沿い、防風林として植えられていた松は、いまだ櫛の歯が欠けたような状態のままである。様々な団体が植林を続けているが、再生にはまだまだ時間が必要である。

 人口100万人を抱える大都市がこれだけの大津波に襲われた事例は、世界的に見ても稀だと思われる。この未曽有の災害から得た知見を発信することは、日本のみならず世界の都市防災にとっても大いに有意義なことである。その意味では、「せんだい3.11メモリアル交流館」や荒浜小学校を多くの人が訪れていることは、そうした情報発信がある程度うまくいっている一例と言えるのではないだろうか。9日には3回目となる「仙台防災未来フォーラム」も開催された。

 よく言われる「風化」をさせないために、こうした不断の情報発信に勝る方策はないと考える。もちろん、それは自治体やメディアがやればよいというのではなく、震災を経験した我々一人ひとりが考えていくべきことである。

anagma5 at 22:52|PermalinkComments(4)clip!