一関市  

2016年08月24日

東北の逸品その26〜南部せんべいじゃない岩手の2つのせんべい

 岩手を代表するせんべいと言えば、誰が何と言っても南部せんべいである。その起源は南北朝時代に遡るという、小麦粉を水で練って円形の型に入れて堅く焼いて作るせんべいである。小麦粉以外に何も混ぜないプレーンの「白せんべい」もあるが、どちらかと言うと、ゴマやピーナッツが練り込まれたものがメジャーである。卵とマーガリン、砂糖を加えたクッキー生地の南部せんべいもあって人気である。最近ではせんべい店間の競争によって、さまざまな味のバリエーションが生まれていて、いったい全部で何種類あるのかさっぱり分からないくらい、数多くの味の南部せんべいがある。

 この南部せんべいが岩手を代表する土産であることは間違いないが、岩手には他にもおススメのせんべいがある。その中でもとりわけおススメの2つのせんべいを紹介したい。

000000002347 一つは「亀の子せんべい」である。岩手の内陸南部、一関市から奥州市江刺区にかけて売られている、その名の通り亀の子の形をしたせんべいである。黒胡麻をペーストにして作った胡麻飴を小麦粉で作った生地にかけた、甘さの中にごまの風味が強く感じられる。小麦粉の生地はカリッとしていて、上にかかっている胡麻ペーストはしっとりとしていて、その2つの食感がまたいい感じである。

 一関市にある「亀の子せんべい本舗 大浪」が元祖とされていて、明治の中頃に青森のせんべい店で修業をしていた大浪とよのが初めて作ったということである。「亀の子せんべい本舗 大浪」の亀の子せんべいは、一ノ関駅内の土産物店など、いろいろなところに置いてあって手に入れやすい。味も元祖だけあって、安定の旨さである。直営店に行くと、金ごまを使った「こがねせんべい」もあり、これもおススメである。

 加えて、奥州市江刺区にある「八重吉煎餅店」の亀の子せんべいがまた絶品である。生地を炭火でじっくり焼き上げ、熱いうちにつまんで、亀の甲羅のような形にして固まるの待ち、砂糖で味付けした黒ごまをたっぷりと付け、さらに炭火の上で約半日乾かす、という完成までにおよそ一日半かかる逸品である。すべて手焼きで、作れる量が限られるため、売り切れのことも多いが、見つけたら即買いである。

img58127382 そしてもう一つ、こちらは岩手の三陸沿岸宮古市にある、いかの形をした「いかせんべい」もおススメである。形がいかであるだけでなく、原材料にもいかが使われていて、せんべい生地のほんのりした甘さの中にいかの旨みが感じられて、これまた美味しいせんべいである。

 こちらの元祖は創業明治14年という「すがた」である。ここの「元祖いかせんべい」が、このせんべいのスタンダードと言える味である。スルメ煮汁とスルメ粉末を使ったせんべいはいかの風味が強く感じられる。硬めの歯ごたえと、本物のスルメ同様噛めば噛むほど味わいが増すような感じである。創業以来の手焼きで作られている。

 宮古市内では、「すがた」以外にも、お母さんと息子さん二人が手焼きしている「はかたや」、「中村屋」など複数の店でいかせんべいを作っている。レシピが店によって違うので、食べ比べてみるのが楽しい。より好みの味のいかせんべいが見つかるかもしれない。宮古市内だけでなく、山田町や田野畑村でもいかせんべいを作っているせんべい店がある。

 「亀の子せんべい」も「いかせんべい」も、どちらのせんべいも元祖ががっちり伝統を守っているが、それだけでなく元祖以外の店がしっかり個性を発揮してすそ野を広げているところがいいと思う。機会があったらぜひ味わってみてほしい逸品である。


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2014年03月14日

私的東北論その53〜藤沢町40年の歩みに見る住民自治(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku-fukko_20 「東北復興第20号が1月16日に刊行された。この号で砂越氏は、「『東北を世界にアピールするプロジェクト』を立ち上げ、東北を活性化し、復興し、再興させよう」と呼び掛け、実際に「東北を世界に!」プロジェクトを募集している。

 世界遺産に登録された平泉の中尊寺金色堂に使用された夜光貝は南洋のもの、紫檀は東南アジア、象牙はアフリカ象のものであるとされる。金色堂を見るとそのまばゆい金に目が行くが、金は東北で産出されたものであるので、実は本当に珍しいのはこれらの材料だったのだが、それらを奥州藤原氏は、北方貿易という京都を経由しない独自の交易ルートで入手していたという。

 奥州藤原氏の頃の東北が当時の中央を経由せずに直接世界とつながっていたことを思えば、今の東北がまた東京を経由せずに世界とやり取りすることも不可能ではないことのように思える。

 さて、この号で私が取り上げたのは、その奥州藤原氏の拠点平泉にほど近い、岩手県一関市藤沢町で40年に亘って取り組まれてきた住民自治についてであった。この仕組み、他地域にとっても大いに参考にすべきものであると思う。


藤沢町40年の歩みに見る住民自治

「地方の課題」に先に直面していた藤沢町
 岩手県南部に藤沢町という町があった。今は合併して一関市の一部となっている、山あいの小さな町である。仙台から行くと、新幹線で一関まで三〇分前後、そこから藤沢町まではバスで約一時間掛かる。だから、一関市中心部に行ったことのある人は多くいても、そこから藤沢町まで足を伸ばした人はそれほど多くないだろう。もっとも、岩手サファリパーク、館ヶ森アーク牧場、キリシタン殉教公園といったスポットがあるので、それらを訪れた人はいるかもしれない。

 しかし実は、藤沢町は知る人ぞ知る、住民自治のモデルケースの一つとしてよく取り上げられる町である。しかもその歴史は四〇年近くに及ぶ。おおよそ地方自治を本格化たらしめるための地方分権が本格的にクローズアップされたのは、一九九五年の地方分権推進法成立以降である。その四半世紀も前に、藤沢町では住民参加による自治が始まっていた。これは特筆すべきことである。

 いったいどうしてそのようなことが可能になったのか。その背景をひも解いてみると、藤沢町には本当に已むに已まれぬ状況があったことが分かる。藤沢町は一九五五年に旧藤沢町と周辺の三つの村が合併して誕生した。当時の人口は一六〇〇〇人を超えていたが、その後急速に過疎化が進み、一九七一年には過疎地域の指定を受けた。一関市と合併する直前の人口は九〇〇〇人を割り込んでいた。現在、多くの地域で高齢化と人口減少が課題となっているが、藤沢町は既に四〇年も前に同様の現実に直面していた。そして、この課題を解決するために始まったのが、住民自治の仕組みであったのである。

町唯一の病院に見る先進性
藤沢町の地域包括ケアの拠点藤沢病院 私がこの藤沢町のことを知ったきっかけは、国民健康保険藤沢町民病院(現・一関市国民健康保険藤沢病院)の存在である。この病院は二〇一一年まで一七年連続黒字決算で、二〇〇八年には自治体立優良病院として総務大臣表彰も受けている。全国の多くの自治体立病院が慢性的な財政赤字に苦しむ中、山あいの五四床の小さな自治体病院がなぜ一七年連続で黒字経営を成し得ているのか、ということに最初に興味を持った。

 藤沢町には、県立病院が一九六八年に廃院して以来、病院がなかった。当時、住民の実に八割が町外の病院に搬送され、そこで最期を迎えるという現実があった。そこで藤沢町は病院建設計画を打ち出した。予想される経営困難を理由に県や国は計画に猛反対し、容易には実現しなかったが、町の努力が実り、県立病院廃院から四半世紀が経った一九九三年に藤沢町民病院が誕生した。いざふたを開けてみたら、経営困難どころか黒字経営を続けて今に至っているのである。

 そのことに大いに注目したのであったが、実際に藤沢病院の病院事業管理者で院長の佐藤元美氏にお会いしてお話を聴いてみたところ、黒字経営はあくまでも結果であって、その取り組みの内容こそが特筆すべきものだということがよく分かった。

 過疎地域にあり、藤沢病院が町で唯一の病院であるという事情から、藤沢病院は保健・医療・福祉を一体化して提供する「地域包括ケア」に先進的に取り組んでいた。毎年夏に開催する、宿泊を伴う「地域医療セミナー」には全国各地から多くの医療関係者が集い、藤沢病院の先進的な取り組みを学んでいく。

 様々な取り組みの中でもとりわけ目を引いたのが「地域ナイトスクール」と呼ばれる、病院職員と地域住民とが直接対話する場づくりである。病院職員はそこで地域住民の病院への意見や要望を聞く。一方、地域住民は病院職員が日々何を考えて医療に取り組んでいるかを知る。そうした相互理解を促進する場であると共に、地域住民の病院運営への参加の場ともなっている。黒字経営の要因は多くあるが、この「地域ナイトスクール」によって、絶えず地域住民のニーズを的確に把握し、それに応える医療を提供してきたこともその大きな要因の一つである。そしてまた、こうした「地域ナイトスクール」のような試みが地域住民に受け入れられる余地があったのは、この町に住民自治が着実に定着していたが故のことであると言える。

藤沢町の画期的な住民自治
 では、藤沢町ではどのような住民自治が行われていたのだろうか。藤沢町ではまず、町内に四三ある行政区すべてに「自治会」を設立した。各自治会には役場から「地域担当職員」を派遣、自治会の住民と地域担当職員は地域懇談会を開催、住民から出された要望やアイディアを「ミニ地域開発計画」としてまとめた。各自治会の「ミニ地域開発計画」は全自治会が参加する藤沢町自治会協議会の場にもちより、議論して優先順位づけなどを行う。町は協議会から提出された案に基づいて総合開発計画を策定し、予算化する、といった仕組みである。

 この仕組みの下では住民は、自分たちの要求だけを主張していればよいというわけにはいかない。同じように出された他地域の要望も見ながら、全町的に見てどの項目の優先順位が高いのかについての判断を迫られる。各自治会から出された計画に基づいて町の計画が策定されて予算も決まるとなれば、自分たちの声が行政に反映されるのと同時に、そこには相応の責任も生じる。

 こうした仕組みを支えるための仕掛けもあった。最初に行ったことは「研修バス」を購入したことであったという。物見遊山の旅行ではない、住民と役場職員が他地域に出掛けて学習するために使うバスである。そもそも住民と役場職員が同じバスに乗って視察に行くという形も珍しいが、それも共通の知識の上で議論をするという土台作りに役立った。また、町内では住民向けの研修会も活発に行われた。人材育成がこの仕組みの肝であったことが窺える。

 話し合いの中では、どこまでを行政が担い、どこまでを自治会が担うかという役割分担も議論された。就職のために町を離れた若者を呼び戻すために企業誘致が図られた際には、企業を誘致する土地の確保が自治会に任され、自治会は候補地の地権者と交渉して用地を確保するという働きもした。住民の主体的な行動が町政の前提にあったわけである。

 他の地域から見ると度肝を抜くような一連の住民自治の仕組みは先述の通り、過疎化という已むに已まれぬ状況から生まれた。こうした住民自治の仕組みを強力なリーダーシップを以て推進した当時の町長、佐藤守氏は言う。

「過疎で怖いのは、人口の流出だけではない。むしろ、住民が地域への誇りや希望を失ってしまう『心の過疎』の方が怖い」

 そうした中で地域再生の基礎をどこに置くかを考えた時に、それは「残った住民を基礎に置いて地域を再生していく以外にない」ということだったのである。

藤沢町方式を一つのお手本に
 藤沢町での住民自治の取り組みは、今この時期、地域にとって大いに参考にすべき事例だと強く思う。道州制下における基礎自治体の役割についてはいろいろと議論がされているところであるが、その大きな役割として道州制基本法案では、「住民に身近な地方公共団体として、従来の都道府県及び市町村の権限をおおむね併せ持ち、住民に直接関わる事務について自ら考え、自ら実践できる地域完結性を有する主体として構築する」とある。

 ここで「住民に直接関わる事務について自ら考え、自ら実践できる地域完結性を有する主体」とあるが、「住民に直接関わる事務について自ら考え、自ら実践」するためには、住民のニーズを把握し、それに基づいた施策を講じることが不可欠である。そのためには、住民のニーズをすくい上げることのできる仕組みが必要となるが、藤沢町での四〇年に亘る取り組みが何よりの参考になると強く思うのである。過疎化に対応したその仕組みは、人口減少時代を迎え、高齢化が進展する現在にもマッチするものであると言える。

 ただしここで、この仕組みを導入したことが即現在の課題解決に直結すると考えることには慎重であるべきである。印象に残った佐藤守氏の言葉を紹介したい。氏はこう言った。

「我々は受益者にはなれない。作った人が受益者になるというのはなかなかないものだ。今、我々は一〇〇年前に作ったもので生かされているのだ。今やっている我々も一〇〇年後の住民に対する負託者となる。そう思ってほしい」

 目先の利益にとらわれることなく、中長期的な視野に立って地域に何が必要かを考えることが、一〇〇年後にも続く地域を作るために必要なことであるのである。

希望のケルン(「まちの総合情報誌ふじさわ」2011年5月号より) 旧町役場の前に、「希望のケルン」と名付けられた記念碑がある。一九九〇年に、当時の全住民と四三自治会が持ち寄った石を積み重ねて造られた四角錐型の碑である。「石」は「意志」に掛けられ、町づくりにさらに挑む全住民の意志を形にしている。この、町づくりに取り組む意志、特に同様の地域を多く抱える東北は、一つの範として見習いたいものである。


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2012年09月12日

東北の歴史のミステリーその29〜骨寺村は平泉の「浄土」の原型か

120825-121645 新聞報道によると、世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」への追加登録を目指す5つの遺産が、日本がユネスコの世界遺産委員会に提出する登録候補一覧表、いわゆる「暫定リスト」に記載されることが決まったという。その後、推薦書を作成・提出して世界遺産委員会の判断を待つ、という手順を踏むことになるらしい(岩手日報記事毎日新聞記事)。

 今回追加登録を目指す5つの遺産とは、前回平泉の文化遺産が世界遺産に登録された際に除外された柳之御所遺跡達谷窟(たっこくのいわや)、白鳥舘遺跡長者ヶ原廃寺跡骨寺村(ほねでらむら)荘園遺跡である。これらが除外された経緯については以前触れたが、要は「仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」としての関連が薄いと見なされたということである。すなわち、これらの遺跡は今回の登録で最も重要な要素である「浄土」を表すものとは解釈されなかったということである。

 その時も書いたが、これら5つの遺産全部が「浄土」という観点から追加登録されるのは現実的には難しい、と私は考えている。日本側の関係者は、仏教徒でないイコモス(ユネスコの諮問機関)の委員に「浄土」を理解してもらうのは難しいということを口にするが、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山が世界遺産に登録されたという事実を見る限り、イコモスの委員はかなり的確に「浄土」というものを表す文化遺産を捉えてくれている、と言える。認められた5つは誰が見ても浄土との関わりが明らかである。

 これに対して、追加登録を目指す5つの遺産は必ずしもそうではない。と言うか、遺産によって「浄土」との関わりには濃淡があるように見える。柳之御所遺跡は奥州藤原氏の居館だったとされるが、現段階では少なくとも「浄土」との関わりが密接とは言えない。もっと厳しいのは白鳥舘遺跡で、安倍一族の白鳥八郎則任の居館跡がなぜ構成遺産となるのか、私にもよく分からない。白鳥舘遺跡が構成遺産に含まれていたのは、登録延期となった「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観−」の段階だが、その白鳥舘遺跡の箇所を読んでも浄土との関わりがやはり分からない。

 一方、達谷窟は発掘調査の結果、かつて浄土庭園があったことが判明しているのだが、肝心の平泉の文化遺産を遺した奥州藤原氏との関連が弱い。一説には奥州藤原氏初代清衡と二代基衡が七堂伽藍を建立した、とも言われるが、その面からの関連性をさらに追求する必要があるのではないだろうか。長者ヶ原廃寺跡に関しては以前も触れたが、浄土庭園はないものの、ここから見える夕陽は春と秋の2回、初代清衡が造営した中尊寺の「奥の院」と伝えられる霊峰月山の山頂に沈むことが分かっている。この意匠が後の、三代秀衡が建立した、やはり春と秋の2回金鶏山に沈む夕陽が見られる無量光院にも引き継がれたとも考えられるので、その面からの関連を追求するのがよいのではないだろうか。

 さて、残る一つが骨寺村荘園遺跡である。これは平泉の中心部から西に約12劼里箸海蹐琉豐愡塰椹地区にある中世の荘園の遺跡である(上写真参照)。中尊寺の経蔵別当の領地であり、中尊寺に残る絵図や文書によって確認できる中世の荘園が、現在もその形を留めているという遺跡で、国内でも貴重なものだそうである。現在国宝となっている、紺の紙に一行毎に金字と銀字で書き分けながら全ての仏典を書写した「紺紙金銀字交書一切経」は、奥州藤原氏初代の清衡が発願し、自在房蓮光という僧が統括し、8年の歳月を掛けて完成させたものだが、その功績によって蓮光は清衡によって中尊寺の経蔵別当に任ぜられ、骨寺村を知行したということである。

 現在史跡に指定されている山王窟(さんのうのいわや)、白山社、伝ミタケ堂跡、若神子社(わかみこしゃ)、不動窟(ふどうのいわや)、慈恵塚(じえづか)、大師堂などは、いずれも中世の絵図にもその位置と名称が描かれており、その遺跡としての価値に疑いはない。ただし、やはり今回のこの世界遺産に登録された平泉の文化遺産との関わりについては、もちろん中尊寺との関係は密接であるものの、肝心の「浄土」との関わりについてはそれほど深くないのではないか、そう考えていた。

 しかし今回、実際に現地を訪れ、地元のガイドの方にお話をお聞きしたところ、立派に(?)浄土との関連がありそうだということが分かった。関連があるどころか、むしろ浄土の原型はこちらだったのではないか、という印象すら持った。以下にそうした骨寺村荘園遺跡の特徴を紹介してみたい。

konoatari この骨寺村、つまり現在の本寺地区のある地域の地形だが、南に磐井川、北に本寺川が流れ、周囲を山に囲まれた平地である。この本寺地区の西方には平泉野(へいせんの)という頂上付近が平らになった小高い台地状の地形がある(左写真の赤字の辺り)。まずこの地名だが、いつ頃からそのように呼ばれていたのかは不明だが、「平泉」の文字が使われており、嫌でも平泉との関連を類推せざるを得ない。そして、江戸時代の安永年間に書かれた「風土記御用書出(ふどきごようかきだし)」という書物には、当時の地元の古老から聞いた話として、なんと、この平泉野には平泉の中尊寺と毛越寺の前身となる寺院があった、という内容の記述があるというのである。

 そこでなるほど、と思ったのは、これら中尊寺と毛越寺の由来についてである。中尊寺の寺伝では、中尊寺は嘉祥三年(850年)に慈覚大師円仁が開山したとされているのだが、一方で中尊寺は藤原清衡が平泉を本拠と定める際に最初に建立した寺として知られているのである。また、毛越寺も中尊寺と同じ年にやはり円仁が開山したと伝えられているが、実際には藤原基衡及びその子秀衡が建立している。現代の発掘調査などの結果からは円仁の開山は裏付けられてはおらず(すなわち平安時代前期の遺構が出土していない)、この、中尊寺や毛越寺に関する、寺伝と吾妻鏡などに残る開基の記録との間の相違をどう解釈するべきか、というのが私の中ではちょっとした疑問だったのである。実際、円仁開山の記録を単なる伝承と捉える見方も少なからず存在していたのである。

 この点に関して、この骨寺村に残る伝承の通りに、中尊寺や毛越寺が元は平泉ではない別のところに円仁が開山した寺院として存在して、それを清衡や基衡が移転させて平泉の地に新たに大伽藍を建立した、と仮定すれば、円仁開山と奥州藤原氏開基の間の齟齬はなくなる。すなわち、現在の場所の発掘調査をして円仁開山の証拠が出てこないとしても、それは元々別の場所にあったのであるから当然のことである。

 ちなみに、この「骨寺村」というちょっとインパクトのある地名の由来だが、慈恵塚に名を残す慈恵大師良源の遺骨が祀られてあるから(発掘調査の結果から慈恵塚からは遺骨は発見されなかったそうであるが)とか、合戦で命を落とした兵の遺骨を埋めた地であるからといった説がある。この「骨寺」がその後「本寺」に変わったのだが、この「本寺」の意味は先に紹介した、中尊寺や毛越寺の元となった寺があったことに由来する、との説もあるのである。

 他に、江戸時代の紀行家菅江真澄も、平泉野について、「大日山中尊寺」の跡があると記している他、このあたりにあった寺院を鳥羽院の治世の頃に関山に遷したということで、そちらも平泉の里になったと記している。この記載からは、現在関山中尊寺として知られる中尊寺は、平泉野にあった頃は大日山中尊寺と号されていたこと、その後移転されたのは鳥羽院の頃だということがわかるが、この移転の時期は以前紹介した有名な中尊寺建立供養願文に残る年代と一致している。

 もう一つ重要な点がある。骨寺村からは西方に中世の頃から霊峰として知られる栗駒山を望めるが、なんと、春と秋の彼岸の中日、骨寺村からは栗駒山の山頂に沈む夕陽が見られるのだそうである。これには長者ヶ原廃寺跡、無量光院跡と同様、この地の浄土との関わりを感じずにはいられない。

 これまで見てきたように、骨寺村は中世の荘園の様子が今も残る貴重な遺跡であるが、決してそれだけではない。「浄土」をキーワードとして平泉の文化遺産との関わりがあると考えられるのである。骨寺村に関しても、荘園遺跡ということよりも、こうした「浄土」との関連から追加登録を目指すのがよいのではないかと思うのである。そのためには平泉野における発掘調査が鍵となる。現在までのところ、まだ平泉野から平泉前史を窺わせる出土はないようであるが、今後に期待したいところである。


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2012年08月25日

東北で地ビールが飲める店 番外編その20〜全国地ビールフェスティバルin一関

120825-155806_m_m 今年も夏の終わりを締め括る全国地ビールフェスティバルin一関、開幕である。第15回となる今年は初めて海外からも3社が参加し、合計72醸造所の100種類以上のビールが味わえる。

 地元の飲食店のブースも充実しており、地元の料理を楽しみながら全国の地ビールを味わえるというスタイルは今回も健在である。ステージでは郷土芸能、マジックショー、ヨーデル、吹奏楽、フラメンコなど、多様な演目がイベントを盛り上げている。

 昨年は3日間でおよそ15、000人が訪れたそうで、今や全国屈指のビールイベントとなったが、会場の人だかりを見る限り、今年も昨年と同等かそれ以上の人が集まっているようである。

 しかし、我ながら、全国の地ビールが飲めるというのに、つい顔馴染みの銀河高原ビール、あくらビール、みちのく福島路ビール、いわて蔵ビール、田沢湖ビール、猪苗代地ビールなどを先に飲んでしまうのはご愛嬌である(笑)。

 それにしても、屋外の飲食イベントとビールは相性がいいようだとつくづく思う。それはワインや日本酒やウィスキーで同じようなイベントがあまりないことからも窺える。会場あちこちで楽しげに盛り上がっているグループを見るにつけ改めてそう思うのである。もちろん、私も同じ顔をしていたのだろが(笑)。

 今日は夜8時で終了だが、終了後一関の街中に繰り出す人も多くいる。折しも、一関市内では7月20日から8月30日まで、市内の多くの飲食店が参加して、各地の地ビールと店の自慢の料理をセットでお得な価格で出す「いちのせき地ビールストリート」を開催中である。それもあって、地ビールフェスティバル終了後の市内の飲食店はどこもいっぱいである。この地ビールフェスティバル、地域の活性化に大いに貢献しているようである。

 最終日の明日もきっとたくさんの人がビールを楽しんでいるに違いない。


追記(2012.8.27):最終的に3日間で約20,000人の人が訪れ、昨年と比べて126%・980L増となる8,780Lのビールが消費されたそうである。すごい!

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2010年08月21日

東北で地ビールが飲める店 番外編その12〜全国地ビールフェスティバルin一関

717442.jpg  いやはや、相変わらずすごい人出である。今年で第13回目を迎えた「全国地ビールフェスティバルin一関」であるが、座れる席など皆無なくらい人、人、人である。

 私が会場に着いたのは午後6時くらいだったが、その頃には東北以外の他地域のビールは軒並み完売で、馴染みの東北の地ビールが、並み居る酔客の注文に追われていた。

 従って結局、他地域のビールは飲めず終いだったが、東北の地ビールも、遠野のズモナビールがメルツェンやアルト、西和賀の銀河高原ビールがGケルシュやホワイトエール(このようなイベントではもはや定番となりつつあるが)、地元一関のいわて蔵ビールが地元の小麦を使った小春ペールエールやパッションエール、秋田のあくらがアメリカンホワイトエールやインディアンペールエール、八戸の八戸シャトービールがヴァイツェンや青森りんごを使ったアップルエール、仙北の田沢湖ビールがダブルチョコレートボック、大崎の鳴子の風がパイナップルの発泡酒など、普段ないようなビールを競い合うように出していたお陰で、「来た甲斐があった感」を感じることができた。

 それにしてもこの混雑ぶりはすごい。こうなったら来年からは、今流行りの「立ち飲み」スペースも追加してはどうだろうか。そうでなければビニールシートかござ持参で来るしかなさそうである(実際そのような人もいた)。しかし、このイベントがこのように夏の終わりの風物詩として定着したのは喜ばしい限りである。

 地元の食材をふんだんに使った各種料理も健在で、飲むだけでなく、食べることでも楽しめるのもいい。全国の地ビールが64種類も一堂に会するのは、全国広しといえどもこのイベントだけだそうで、さすがは「地ビール王国」岩手の面目躍如たるものがある。

 このフェスティバル、明日までだが、明日もきっとまた朝からたくさんの人が詰め掛けて、各地の様々な地ビールを堪能しながら盛り上がるのだろう。

 今回のフェスティバルの詳細はここで紹介されている。

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2009年08月23日

東北で地ビールが飲める店 番外編その9〜全国地ビールフェスティバルin一関

183437.jpg  今年も8月21〜23日の日程で、一関文化センター前広場を会場に、全国地ビールフェスティバルin一関が開催されている。

 今年は全国の地ビール醸造所64社が集まった。各地の地ビールをとことん楽しめる夏のイベントとしてすっかり定着した感のあるこのフェスティバルであるが、今年も昨年同様、同時開催として7月24日から8月23日までの期間、地元食材を使った料理と地ビールのコラボレーションがウリの「地ビールストリート」が開催され、一関市内の16の飲食店でいろいろな地ビールが楽しめる。また、今年初めての取り組みとして、8月22日に「地ビールミュージックパーク」と題して、ジャズの生演奏を聴きながら地ビールを楽しめるイベントも用意された。この3日間、一関市はまさに地ビール一色である。

 私も幸運なことに、22日に一関近くまで行く用事があったので、今年も帰りに寄ってみた。相変わらずかなりの人手で、皆地ビールと地元食材がメインの料理を存分に楽しんでいる風であった。私は箕面ビールのリアルベルジャンレッドエール、銀河高原ビールのG-ケルシュ、鳴子の風のパイナップルBOMBERとアップルブリュー、伊勢角屋麦酒のブラウンエール、サンクトガーレンのゴールデンエール、あくらのビスケットヴァイツェン、田沢湖ビールのあきたモルトなど、普段なかなかお目にかかれない限定の樽生ビールを中心に各地のビールを楽しむことができた。G-ケルシュは銀河高原ビールとして初めてのケルシュだが、頭に銀河高原の「G」がついている通り、銀河高原ビールならではの味に仕上がっていた。

 毎度同じことを書くが(笑)、地元食材を使った料理も大層な人気で、そちらがお目当ての高校生など若い世代や子供連れの夫婦も会場には多く見られた。私も世嬉の一の一関産野菜たっぷりの野菜カレー、一関トマトのトマトピザ、室根総合開発の室根やわらか羊、調理師会一関支部の平泉産ラッキー玉ネギ酢漬けなど、とてもおいしい料理を堪能させていただいた。

 設営されたテントの座席はほぼ満席で、どこの席でも地ビールと地料理で陽気に盛り上がっている人たちの姿が印象的であった。やはり、おいしいビールとおいしい料理は、人をこの上なく幸せな気分にさせるようである。

 このフェスティバルも23日が最終日。きっとまた大いに盛り上がれることだろう。

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2008年08月09日

東北で地ビールが飲める店 番外編その6〜全国地ビールフェスティバルin一関会場

icinosekijibeer  今年も一関市で全国地ビールフェスティバルが開幕した。例年お盆期間中の土日の開催だったが、今年は8月7日から9日の開催である。今年も全国47都道府県から61の地ビール醸造所が出展して盛大に行われている。

 今年もたまたま8日に一関を通る予定があったので、これ幸いとばかりに寄ってみた。昨年と違って早い時間に着いたのだが、既に席はほぼ満席で、例年通りかなり盛り上がっていた。前日の前夜祭では10周年だった前年を大きく上回る710リットルが消費されたそうで、年々規模が拡大しているようである。

 私も各地の地ビールを堪能させていただいた。山梨県の富士桜高原麦酒のヴァイツェンから始まって、以前石垣島に行った時に飲んだことのある沖縄県の石垣島ビールのヴァイツェン、それに薩摩ビールのヴァイツェン、いつもお世話になっている(笑)岩手県の銀河高原ビールペールエールの貴重な生、山口県の萩ビール村塾のヴァイツェン、香川県のさぬきビールのヴァイツェン、北海道の大沼ビールのアルト、地元一関市のいわて蔵ビールの新作、ジャパニーズハーブエール山椒(これはユニーク!)とキャラメルエール、など日本全国北から南まで、普段なかなか味わえないビールを味わわせていただいた。

 地産地消のフードメニューも健在で、今年もビールと実によく合うメニューが所狭しと並んでいた。
 今回のフェスティバルと合わせて、一関市内では昨年に引き続き「いちのせき地ビールストリート」が、7月18日から8月16日までの予定で開催されている。これは市内の飲食店と全国の地ビール醸造所のタイアップによって、地元の料理と各地の地ビールが特別セット価格で味わえるものである。それぞれの飲食店で飲める地ビールは決まっているので、地ビール目当てでハシゴするのも楽しい。タイアップしている飲食店の店先にはそれぞれの地ビールの幟が立っており、さながら街中全体が地ビール一色という印象である。

 11年目を迎えて着実に定着しつつあるこの全国地ビールフェスティバル、一関市を東北の地ビールのメッカへと押し上げる原動力となっている感がある。欲を言えば、行く行くはこのフェスティバルの前後の期間だけでなく、いつでも市内の飲食店でいろいろな地域の地ビールが味わえるようになるともっと素晴らしいと思う。

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2008年04月15日

東北の食べ処その12〜岩手県南地方

f75f737a.jpg直利庵(一関市青葉2丁目9-11、TEL0191-23-2291、11:00〜17:00、日曜祝日定休)
 太打ちの手打ちそばが食べられる。太打ちと言っても、山形のようなものすごくコシのある田舎そばタイプの太打ちではなく、どちらかと言うとうどんに近いような形と歯ごたえである。しかしそれがとてもおいしい。ここでしか味わえないそばである。だから、昼を過ぎても店はいつも人でいっぱいである。1時間待ちなどということもけっこう当たり前にある。

 国道4号線沿いにも同名のお店があるし、盛岡市内にも同名の店があるが、それらと区別するために地元の人は「青葉直利庵」と言っているようである。

 もちもちのそばと揚げたてのかりかりの天ぷらの組み合わせの天ざるがオススメである。


ROYALジャマイ館(奥州市水沢区宮下町22、TEL0197-25-7555、11:00〜22:00、不定休)
 元はその名の通りジャマイカ料理のレストランなのだが、本格的なカレーが食べられる店でもある。カレーの種類は多く、甘い方からベジタブルジャパン、エスニックホワイト、ヨーロピアンポーク、ジャマイカンレッドチキン、スパイシーブラックビーフ、ロイヤルカシミール、カシミールインド、ベンガルタイガーがある。メニューにある「ジャマイ館カレー」はこの中から2種類のカレーを選び、ターメリックライスで食べるものである。

 本業(?)のジャマイカ料理、そしてバリ島の料理も各種ある。ビール好きの私にとって嬉しいのは、ジャマイカのレッドストライプビール、インドネシアのバリハイビール、ビンタンビールが飲めることである。他にもジャマイカのカクテルや、ヤシの樹液と米を発酵させたバリ島の酒アラック、そのアラックのカクテルなど、ドリンク類も豊富で、現地の料理を味わいながらそれらを飲むという楽しみ方ができる店である。


カフェニカイ スマッカーズ(奥州市水沢区中町1-15-2F、TEL0197-51-6030)
 JR水沢駅に程近い水沢駅通り商店街にあるタイ料理店。この界隈では珍しい、本格的でおいしいタイ料理が食べられる店である。

 タイカレーを始め、各種タイ料理が揃っているが、それと同時に特筆すべきは、オリジナルレシピに則したモスコミュールを出すことである。モスコミュールはウォッカとジンジャーエールのカクテルだと思っていたが、正確にはそうではなく、スミノフのウォッカとイギリスのジンジャービアのカクテルを銅製のマグカップで飲むというのが、オリジナルなのだそうである。一般のモスコミュールとは違うキリッとした味わいのモスコミュールが飲める。


本格派手打ちラーメン仙台屋(奥州市水沢区大町152、20:00〜2:30頃、日曜定休)
 夜になると水沢駅通り商店街の一画に現れるバスラーメン(写真参照)である。しかし、バスラーメンと言っても、麺は生卵をふんだんに使った、縮れが少なく腰のある手打ちの平麺、これにあっさり味のしょう油スープを組み合わせたおいしいラーメンを出してくれる。飲んだ後にピッタリの味である。

 この店、確か最初は屋台から始まって、その後普通に店を構えていたはずなのだが、そこからさらになぜバスラーメンにまで発展(?)したのかは謎である。ラーメン、ワンタンメン、ワンタン、マツモラーメン、チャーシューメン、ワカメラーメンが揃っている。


インド料理レストラン Tandooru(タンドゥ−ル)
 北上市内にあるインド料理レストラン。以前は盛岡市内にもあったのだが、そちらは残念ながら閉店してしまった。また、秋田県横手市にオープンしたタンドゥーリキッチンも同じ系列の店だったはずだが、現在サイトを見ると横手店の情報は削除されているので、分かれたのかもしれない。

 メニューのラインナップ、味からすると、秋田市のインド料理レストランピーコックとも同じ系列のようにも思うのだが、少なくとも表向きはそれを窺わせる表記などはない。いずれにせよ、北上市周辺で本格的なインド料理が食べられる貴重な店である。


和風レストラン松竹
 JR一関駅前にある創業68年の老舗和風レストラン。創業以来の看板メニューはうなぎだが、自家製ソースに漬け込んだ柔らかなロースかつを、どんぶりご飯に敷いたキャベツの上に載せたソースかつ丼がおいしい。東北でソースかつ丼と言うと会津若松が有名だが、ここ一関にも何軒かソースかつ丼を出す店があり、地元の味として親しまれている。



追記(2010.9.9):上で紹介した北上市の「タンドゥール」だが、閉店してしまっていた。ただ、さくら野百貨店 北上店の4Fに「ザ・タージ 北上店」ができたので、引き続きインド料理は食べられる。ザ・タージは仙台のさくら野百貨店にもあるが、さくら野あるところにザ・タージあり、なのだろうか。

 それから、何と言っても残念だったのが、「仙台屋」が閉店してしまったことである。去年食べたのが最後になってしまった。確かに、店主もご高齢で、最後に食べた時も「やれる限りはやるけど」というようなことはおっしゃっていた。長い間お疲れ様でしたとお伝えしたい。

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2007年08月26日

東北で地ビールが飲める店 番外編その3〜全国地ビールフェスティバルin一関

f965dbea.jpg 今年も全国地ビールフェスティバルin一関が8月17日から19日の日程で開催され、全国62社の地ビールが勢揃いした。今年は10周年ということもあって、例年以上に力の入ったフェスティバルになったようで、地ビールストリートと称する地元飲食店とのタイアップイベントなどが繰り広げられた。

 たまたま18日に一関を通りかかる予定があったので、これ幸いとばかり寄ってみた。この日は雨まじりのあいにくの天気だったが、相変わらず会場にはたくさんの人が訪れていた(写真参照)。私が一関に降り立ったのは午後7時過ぎで、閉会まで1時間しかなかったが、今回はお得な6枚つづり前売り回数券をゲットしたので、1時間足らずの間に6杯の地ビールを飲み干さなければならないという少々慌ただしい(泡ただしい?)条件だったが、全国の地ビールを十分堪能できた。

 今回は昨年と違い、この時刻に会場入りしても全国各地の地ビールがまだ十分残っていた。お蔭で、山梨の富士桜高原麦酒、岐阜の博石館地ビール、長野のよなよなエール、静岡のベアードビール、北海道のはこだてビールなど、各地のビールを味わうことができた。6杯目の締めには私の地元宮城の伊達政宗麦酒を飲んだ。

 昨年も触れたが、このフェスティバルのもう一つの主役は、地元の食材を中心としたおつまみである。今回も地元の飲食店などが、それぞれの腕を競って地元の味覚を出店していた。一関ミートやスローフード一関、館ヶ森ポークの食材は相変わらず美味であった。いわて蔵ビールを醸造している地元の世嬉の一酒造は、地元の農家が育てた野菜などを使った料理をふるまっていたが、焼いただけのたまねぎや冷やしただけのトマトがとてもおいしいのに驚いた。

 10年の節目を経て、このフェスティバルがさらに継続、発展していくことを期待したい。

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2006年08月25日

東北で地ビールが飲める店 番外編その1〜全国地ビールフェスティバルinいちのせき

d0270a17.jpg 岩手県と言えば、県内に7つの地ビール醸造所を持つ東北最大の「地ビール王国」である。その岩手の南部、以前紹介したいわて蔵ビールのある一関市には、年一回ビール好きにはたまらない素敵なイベントがある。それが「全国地ビ−ルフェスティバルinいちのせき」である。

 毎年お盆明けの土日を使って行われるこのイベントは今年で9回目を迎える。今年は46都道府県57の地ビールが集結した。他の県でも同様のイベントはあるようだが、これだけの規模を誇るのはここ一関だけである。

 今年は初の試みとして金曜日に前夜祭が行われた。ワールドビアカップ、ジャパンビアカップに入賞した地ビールだけを集めての試みである。これも盛況であったようだ。

 私は土曜日の夕方、出張の帰りに訪れたが、大変な盛況であった。お得なシート券はとっくに売り切れ、Mが300円、Lが400円のバラ売りの券しか残っていなかった。地ビールの宿命として、一頃の銀河高原ビールや東京に行くと手に入る長野のよなよなエールや新潟のエチゴビールなどを除くと、多くの地ビールはなかなか他地域で飲める機会がない。この機会に特に西日本の地ビールを味わおうと思っていたが、訪れる皆が同じ考えであったらしく、他地域のビールは夕方の時点でほとんど売り切れであった。ただ、今まで缶でしか飲んだことのないよなよなエールの生や、広島の三次(みよし)ベッケンビールは味わうことができた。

 訪れる人は地元の人がメインのようで、出張の大きな荷物を抱えながら地ビールを味わっているのは私くらいであった(笑)。ただ、外国の人の姿も目立った。もっと知れ渡って、全国から地ビール好きが集まるイベントに成長するとよいと思う。この辺りは東北特有の、奥ゆかしさに由来するPR下手が影響しているのかもしれないが、全国に誇る規模のイベントとして、今後も堂々とPRしてほしいものである。

 このイベント、もう一つ特筆すべきは、おつまみの充実度である。地産地消を推進している東北らしく、このイベントでも、館ヶ森ハム工房一関ミートスローフード一関(TEL0191-31-1124)といった、東北の誇るこだわりの食材を提供する事業者を始め、いわて蔵ビール直営売店や一関市内の飲食店など、地元の出店者がそれぞれ個性的なおつまみを提供していた。地ビールに地元のおつまみという、素晴らしい組み合わせである。

 そう言えば、注ぎをアルバイトと思しき人たちに委ねている地ビール醸造所もあったが、会津麦酒以前紹介したジョン・ケネス・シュルツ氏自らが注ぎを担当していた。その注ぎは泡とビールとのバランスなどが絶妙であって、理想的な状態で地ビールを味わうことができた。

 この日は午後8時で終了だったが、終わって帰る人たちの満足そうな表情が印象的であった。もちろん、私も同じような表情をしていたに違いない。来年は節目の10周年である。どんな企画が飛び出すか、今から待ち遠しい限りである。

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2006年01月30日

東北で地ビールが飲める店その5〜岩手県一関市

a66265cb.jpg 前にも紹介したとおり岩手は東北でも屈指の地ビールの多い県である。そのうち、一関市には「いわて蔵ビール」がある。いわて蔵ビールは、平成7年に一関市にある世嬉の一(せきのいち)酒造を始めとする地元企業5社が協同組合を作って立ち上げた地ビールである。

 他の多くの地ビールと同様、濾過・殺菌などを行っていないビールであるが、いわて蔵ビールの特徴は地元産の原料にこだわり、地元農家・農協と契約してビール用麦の栽培や麦芽の加工を行っているということである。地元産ではまかなえないスペシャルモルトやホップも遺伝子組み換え作物を厳しく制限するEU内、特にドイツ・チェコ・イギリスから産地メーカーを指定して取り寄せているとのことである。また、岩手県一関市原産のブルーベリー、岩手県衣川村産の大麦などの地元特産品を使用したビール・発泡酒なども作っており、本当の意味での「地ビール」と言えそうな注目すべきビールである。

 そのいわて蔵ビールが飲める店は、もちろん地元一関市内にもあるが、それ以外にも盛岡や仙台、さらには東京都内や横浜・川崎などにもあり、着実に販路を広げている。一関市内には世嬉の一酒造の醸造所があり、そこでいわて蔵ビールも醸造されているが、この一画には他に「酒の民俗文化博物館」、「蔵元レストラン世嬉の一」(写真参照)、「石蔵クラストン」などがあり、しかもそれらの建物はすべて日本酒の仕込み蔵を改造したものである。いわて蔵ビールの名前の由来もこの「蔵」で作られていることに由来する。

 ちなみに、「世嬉の一」という名前は、明治天皇の弟、閑院の宮が「世の中の人々が喜ぶようなよいお酒を造りなさい」と命名したものだそうである。その名の通り、昭和30年代に既に純米酒を作り、平成2年に無農薬栽培米を使った日本酒を作った他、「生体エネルギー理論」という理論に基づいた酒作りを行っており、そうしたノウハウがいわて蔵ビールにも活かされているという。

 いわて蔵ビールは、ヴァイツェン、ペールエール、スタウトといった地ビール好きには馴染みのビールの他、「レッドエール」、ブルーベリーを使用した「ブルーダスク」、地場産さくらんぼを使用した「チェリーエール」、衣川産大麦を使用した「はとぽっぽエール」、以前紹介した十和田市の「ブルーオアシス」と同様のクチナシ色素を使った青いビール「サムシングブルー」、沖縄産パッションフルーツを使用した「パッションフルーツ」など、ここだけという種類のビールが多くある。また、これら以外に季節限定の「サマーブロンド」(夏季限定)、「インディアンペールエール」(秋季限定)、「ヴァイツェンボック」(冬季限定)がある。

 これらすべてがいつもあるわけではないが、世嬉の一酒造内の「蔵元レストラン 世嬉の一」では作り立てのいわて蔵ビールが味わえる。私が訪れた時は、通常のヴァイツェンより1.5倍の麦芽を使用し、アルコール度数約7%と高めの「ヴァイツェンボック」の生や、自然に発生する炭酸のみを使った「微炭酸」の「リアルエール」があった。いずれも気持ちよく飲めるいいビールであった。

 このレストランは、郷土料理がメインで、「ハレ」の日の食「もち」と「ケ」の日の食「はっと」を中心に、「健康玄米粥膳」、「自然薯ぞば健康セット」、雪ウサギ豆乳鍋がメインの「雪見膳」、奥州藤原氏時代の食を復元した「奥州平泉膳」、 「酒屋の酒しゃぶ膳」など、特徴あるメニューが揃う。おいしいビールとおいしい食事、最高の組み合わせである

 他に一関市内では、「東北をめぐる鉄道の旅その2」でちょっと紹介した一関駅構内の「こけし茶屋」や駅前の食堂「いわぶちや」、厳美渓近くの道の駅「厳美渓」内の「もち食レストラン・ペッタンくん」、「矢びつ温泉瑞泉閣」でもいわて蔵ビールが飲める。

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2006年01月19日

東北をめぐる鉄道の旅その2〜「青春18きっぷ」による東北縦断の旅

ad324a2f.JPG では、仙台を起点に青春18きっぷを使って実際に函館まで行ってみると、どのような旅になるだろうか。まず仙台6:00発の東北本線一ノ関行に乗る。一ノ関は仙台−盛岡間のほぼ中間であり、1時間半の行程である。

 この列車で7:30に一ノ関着。次に乗る列車の発車まで13分しかないが、改札を出て駅構内をぶらっとする余裕はある。一ノ関駅構内には、食事ができる「こけし茶屋」、焼きたてパンの「エトワール」、東日本キヨスクのコンビニ「NEWDAYS」、地元の土産物を扱う「ぐるっと遊」などがあり、「こけし茶屋」以外は着いた時刻に営業している。駅から外に出ると朝6:30から営業している食堂「いわぶちや」があるが、さすがに13分では食べられないだろう。一関市というと「ソースかつ丼」が有名だが、駅前でこのソースかつ丼を出す「竹」はこの時刻はまだ開店していない(開店していても時間的に食べられないが)。

 続いて7:43発の東北本線盛岡行に乗り換える。盛岡には9:11着でやはり1時間半程度の行程。次に乗る花輪線の大館行は9:43発で30分以上時間があるので、ここで駅構内で朝食を取ってもいいかもしれない。盛岡駅構内は北東北の玄関口だけあり、さすがに施設が充実している。特に改札のある2階はリニューアルしたばかりである。「北出口」の改札を出ると東北の主だった駅弁が揃う「駅弁屋」、洋菓子の「タルトタタン」、土産物の「大地館」、コーヒーショップ「ドトール」、そば処の「こけし亭」、「NEWDAYS」などがある。「北出口」から「南出口」方面にぐるっと回るとカレー&カフェの「GOOD TIMES CAFE」もある。「こけし亭」は立ち食いそば屋だが、「いわての7割そば」がある(ざるそば450円)のが、そば処岩手の面目躍如である。南出口には待合室と一体化した「ドトール」と「ぐるっと遊」、牛丼・麺類の「はやて」がある。

 次に乗る花輪線は1階にあるいわて銀河鉄道の改札口から乗る。1階に下りるとやはりリニューアルしたばかりのショッピングモール「FESAN」があるが、1階部分はこの時刻で既に開店している。中には「さわや書店」があるので、ここで車内で読む本を調達するのもオススメである。パスタ&サンドイッチの「ポールショップカフェ」もある。外に出ると左手に「TULLY'S COFFEE」もある。他に様々な特産品を扱う店が集まっている「おでんせ土産館」もあるが、じっくり見ていると乗り遅れそうになるので要注意である。

 花輪線(ガイドマップ)は奥羽山脈を横切るルートのローカル線だが、そのルートのかつておよそ900年前に奥州藤原氏の初代藤原清衡が整備した白河関(福島県白河市)から外ヶ浜(青森市)までを結ぶ「奥大道(おくたいどう)」のルートに一部(大更−十和田南間)沿った路線でもある。いわて銀河鉄道を経由し、好摩駅から秋田の大館駅までがJRの花輪線である。大規模スキー場で有名な安比、それに湯瀬温泉、大滝温泉といった秋田県北の代表的な温泉を経由し、日本では珍しいアスピーテ(盾状火山)である八幡平や東北屈指の観光地である十和田湖の入り口にも近い。豊かな自然の真っ只中を走る魅力的な路線であり、「十和田八幡平四季彩ライン」の愛称がつけられている。大館には12:43着。ディーゼル列車によるのんびり3時間の旅である。

 大館からは奥羽本線の青森行に乗るが、発車まで25分あるので、駅前のハチ公の銅像を見る時間はありそうである。大館駅には待合室内に売店、駅を出て右手に「NEWDAYS」があり、どちらでも秋田や大館の土産物を買うことができる。大館駅と言えば、60年以上の歴史を誇る駅弁「鶏めし」が有名なので、昼食にいいかもしれない。待合室内の売店でも売っているが、駅のすぐ向かいに製造元の「花善」があって和風レストランと弁当直売所があるので、そちらでも求めることができる。

 13:08発の青森行に乗ると青森には14:40に着く。次に津軽半島の蟹田まで移動することになるが、乗る列車の選択肢は2つ。青森市内に66分とどまって15:46発の津軽線三厩行に乗るか、120分とどまって16:40発の蟹田行に乗るかである。前者に乗ると蟹田で北海道に渡る特急「白鳥」に乗るまで78分待ち、後者は23分待ちである。蟹田駅周辺を散策する時間は帰りにもたっぷりあるので、ここでは後者を選択し、青森市内でゆっくりランチを取る。

 青森駅には「正面出口」に出る途中にある売店「詩季彩」、改札を出ると「ドトール」、「NEWDAYS」、「ぐるっと遊」などここまでですっかりおなじみの店が揃う。「ぐるっと遊」ではその場で焼いている「津軽路せんべい」が目を引く。他に駅弁の店もある。外に出ると「そば処あじさい」や「駅なか食堂つがる路」がある。駅を出て右手前方にある「駅広市場」では青森特産のりんごや魚介類などを安く買える。駅の左手前方にある「駅前銀座」の居酒屋のうちの何軒かはこの時刻もやっている。

 私は、なんと言ってもカレー好きなので、ランチにはカレーを食べたい。青森は、ここ数年で本格的なカレー店が相次いでオープンしている、私の「評価基準」によると成熟した街である。「タンドールアクバル」、「タージマハール」(青森市新町1-8-5、TEL017-775-3113、水曜定休)、「マサラマサラ」(青森市新町1-9-5、TEL017-735-9066、日祝定休)など、私が思わずハシゴしたくなる店が駅近くにできており、嬉しい限りである。

 このうち「タージマハール」はインドカレーと欧風カレーの2系統のカレーがある。インドカレー系の「まぜカレー」は大阪の自由軒のカレーを思わせる、カレーを和えたご飯の上に生卵が乗ったカレーである。辛さは好みに応じて調整してくれる。一方、「マサラマサラ」はカレーとライスだけのAセットからサラダ、ドリンク、インド料理3品がつくDセットまでの中から1つ選び、その日ホワイトボードにある数種類のカレーの中から好きなカレーを選ぶスタイル。豚マドラスカレーは深炒りスパイスの風味が印象的である。パパドやゆで卵、スープなどは自由に食べられるようになっている。ただ、超辛でも辛さはさほどでもないので、私のような辛いもの好きは、置いてある辛みスパイスで辛さを追加した方がよい。「タンドールアクバル」は市内で最も本格的なインド料理店である。

 青森16:40発の蟹田行に乗ると、蟹田には17:25に着く。蟹田で待ち合わせ時間が23分あるが、蟹田駅のキヨスクは17:00で閉店である(日曜定休)。蟹田駅を出ても駅前には商店はない。あるのは「道前」という食堂兼居酒屋、それに「炭び焼きとりやす」である。「炭び焼きとりやす」では、「チキンおむすび」や「チキンクレープ」がいずれも150円で買えるので、小腹が空いたらそれらを買うのもよいかもしれない。

 その後、蟹田17:48発の特急「白鳥19号」に乗る。青森県と北海道を結ぶ青函トンネルは、海底240メートルのところを通る総延長53.85Kmの世界最長のトンネルである。トンネルの上に海があるというのは、何とも不思議な感じがするものである。特急列車の座席はさすがに快適で、そのまま函館まで行きたくなるかもしれないが、「定め」に従って木古内で降りる。木古内には18:37着で、海峡線函館行の発車までは22分ある。「本町方面」の出口から出ると、木古内駅前には軽食&喫茶「タック」、「名代急行食堂」、焼肉「名代富士食堂」がある。「名代富士食堂」の名物「やきそば弁当」が気になるところだが、夕食はやはり函館で取りたいところ。

 木古内18:59発の函館行に乗ると、途中、海の向こうに見える函館の街の夜景がとても綺麗である。夜景を楽しみながら1時間ほど、6:00に仙台を出ておよそ14時間後の20:05、ついに函館に到着である。函館山の夜景(写真参照)はこの時刻からでも見に行ける。


追記(2007.1.13):蟹田駅の近くに「ヤマザキデイリーストア」がオープンした。これで、蟹田駅のキヨスクが閉まっていても、ちょっとした買い物ができそうである。


追記(2011.9.16):上記の一ノ関駅前の「いわぶちや」だが、このところ朝閉まっていることが多いなと思ったら、開店時刻が11時に変わっていた。また、青森市の「タンドール アクバル」は移転して、「亜久葉瑠(アクバル)」(青森市中央1丁目21-12、TEL017-777-3955、11:00〜15:00、17:00〜23:00、第2・第4日曜日定休)となった。また、「タージマハール」は別の店に替わってしまっていた。「マサラマサラ」はそのまま健在である。

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