京都市  

2008年10月16日

東北をめぐる鉄道の旅その6〜「青春18きっぷ」を使った関西方面の旅

7de5ebd7.jpg 帰りであるが、えきねっとの「乗換・運賃案内」で検索してみると、京都が起点の場合、平日は京都6:14発に乗って仙台22:59または仙台23:13着となり、土日祝日の場合は京都を5:30に出て仙台22:09着か、京都を6:39に出て仙台22:59着という行程になるようである。大阪が起点だともっと早く出ることになるだろう。

 しかし、せっかくはるばる関西まで前日16時間以上もかけて来て、睡眠時間も含めた滞在時間が8時間あるかないかというのではちょっともったいない。せめて1日くらいは街中を散策したり、おいしいものを食べたりしたいところである。そうなると問題は宿泊費である。元々それほどお金をかけずに旅できるのが青春18きっぷのメリットの一つなのだが、ここで2泊分もの宿泊費を負担するのはちょっとイタい(そう思うのは私だけかもしれないが)。その解決策として「快速ムーンライトながら」を使う手がある。

 「快速ムーンライトながら」については、いろいろなサイトで解説されているので詳細はそちらを参考にしていただきたいが(例えばここここ)、東京と大垣を1日1往復結んでいる夜行列車である。夜行列車と言っても、全席指定ではあるものの特急や急行ではなく快速なので、指定席券料510円は必要ながら乗車券は青春18きっぷが使える。これを使えば、2泊目の宿泊代を負担することなく、昼間の時間を十分に活用することができる。ちなみに指定席はリクライニングシートになっており、高速バスのシート程度には倒すことができるが、車内灯は一晩中ついたままなので、明るいと眠れない人はアイマスクがあるとよいかもしれない。

 具体的な行程としては、京都21:30発の新快速米原行きに乗って22:23米原着。その後、米原22:31発の大垣行き普通列車に乗ると23:02大垣着で、大垣23:19発の快速ムーンライトながら東京行きに乗る。ちなみに、日付が変わる駅は大府で、京都を起点とした場合乗車券代が2,940円となり、青春18きっぷの1日当たりの金額(2,300円)を上回るので、京都から大垣までの分も青春18きっぷを使用した方がおトクである。東京には5:05に到着する。

 ここから一刻も早く仙台に帰りたければ、上野5:47発の宇都宮行きに乗って乗り継いでいけば12:16に仙台に到着するが、それほど急がないのであればその日は夕方まで東京に滞在することもできる。上野16:23発の宇都宮行きがその日仙台まで帰るための最終列車となるが、これに乗れば23:13に仙台着である。

 まとめれば、青春18きっぷ3日分と1泊の宿泊費、510円の指定席券代で、2泊3日の関西方面旅行(&東京散策)が実現するわけである。ちなみに、青春18きっぷが利用できる期間中のムーンライトながらの指定席はけっこう人気なので(特にお盆、年末年始など)、早めの予約が肝心である。

 さて、「東北で地ビールが飲める店番外編」の続きだが、京都市の街中で飲める地ビールのもう一軒は、キンシ正宗が醸造する京都町家麦酒(「堀野記念館」の「京都町屋麦酒醸造所」をクリック)が味わえる「ダイニングバー堺町ほっこり」(写真参照)である。京都町家麦酒にはケルシュアルト黒ビール、それにエールタイプの「同志社ビール寒梅館」があり、この堺町ほっこりでは隣接している醸造所(写真参照)で作られた出来立てのビールを味わうことができる。毎年お盆期間中は「舞妓と楽しむ京町家ビアホール」と称して、地ビールが90分飲み放題(おつまみ付)で舞妓さんが客席を回って歓談してくれるというイベントもある。要事前予約だが、当日空きがあれば飛び込みで参加できることもある。

 先に紹介した「じろく亭」もだが、どちらの店も京都の食材を活かした和食メニューが豊富で、いずれも日本酒醸造元らしく水にこだわった(京都麦酒は「伏水」、京都町家麦酒は「桃乃井の名水」)地ビールと共に堪能することができる。

 なお、ムーンライトながらで東京に着いたら、まず一風呂浴びたいと思うかもしれない。そのような時は、東京駅から中央線快速で二駅の御茶ノ水駅から徒歩5分の神田アクアハウス江戸遊がオススメである。朝8:00までやっており、「せんとうコース」なら3時間まで450円である。リンスインシャンプーとボディソープは備え付けてあるので、自前のタオルがあれば快適に入浴できる。

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2008年10月15日

東北をめぐる鉄道の旅その5〜「青春18きっぷ」を使った関西方面の旅

95843242.jpg 以前、青春18きっぷで仙台を起点にすると、1日で北は函館、さらにその先の森まで行けることを紹介した。対して、南は姫路までは行けることをその時に少し紹介した。北方面に比べて南方面で移動距離が長く取れるのは、乗り継ぎの便利さ、列車本数の多さ、最終列車発車時刻の遅さなどが関係しているが、今回はこの南方面の実際を見てみたいと思う。

 仙台6:04発東北本線上り郡山行きに乗ると郡山に8:23着、そこから郡山9:06発の黒磯行き(ここで駅構内で朝食を取る時間がある)に乗り換えて10:08黒磯着、黒磯10:14発の宇都宮行きで宇都宮11:05着である(または黒磯10:26発宇都宮11:16着の次列車でも間に合う)。ここで宇都宮11:21発上野行き(上野13:09着)に乗り換えたくなるところだが、これよりも次の宇都宮11:39発の湘南新宿ライン逗子行きに乗る方が東京を通り抜けるのが早い。横浜(13:46着)か大船(14:03着)で東海道本線の快速アクティ熱海行きに乗り換えが出来る(横浜13:58発、大船14:13発)。熱海15:07着で、次の熱海15:16発の沼津行きに乗り換える。三島(15:31着)か終点沼津(15:38)で乗り換えができるが、座席の確保のことを考えると三島乗り換えの方がよいかもしれない。三島15:37発(沼津15:46発)浜松行きに乗り換えて掛川(17:35着)か浜松(18:02着)で乗り換える。掛川17:45発(浜松18:13発)の豊橋行きで豊橋18:47着となる。

 ここから先は平日か土日休日かで異なるが、平日は豊橋18:50の特別快速大垣行に乗り、金山(19:35着)か名古屋(19:39着)か終点大垣(20:12着)で次の快速米原行きに乗り換える(金山19:46発、名古屋19:50発、大垣20:28発)。米原には21:08に着く。一方、土日休日は豊橋19:06の新快速米原行きに乗れば、米原に21:11に着く。ここから米原21:37新快速網干行きに乗れば、姫路には日付が変わった0:02に着く。

 しかし、さすがに姫路まで行ってしまうと着いても何もできずにホテルにチェックインして寝るというようなことになってしまいそうなので、その手前の京都(1本前の米原21:15発普通列車に乗って22:22着)か大阪(22:58着)辺りを目的地にしておいた方がよいように思う。

 ちなみに、東北本線よりも早い仙台5:29発の常磐線上りいわき行きに乗るという方法もある。この列車だといわき8:28着で、その後いわき8:43発水戸行きに乗って勝田(10:09着)か水戸(10:14着)で上野行き(勝田10:14発、水戸10:20発)に乗り換えると上野に12:40に着くことができる。これだと上記の行程よりももっと早く関西方面に着けるように見えるのだが、そのためには東京12:53発の快速アクティに乗る必要がある。その乗り換えがギリギリで、平日だと上野12:42発の京浜東北線快速大船行きに飛び乗らないといけない(東京12:48着)。

 常磐線が到着する上野駅の10番線から京浜東北線が発車する4番線まで2分で乗り換えというのはけっこうシンドいと思うので、万人に勧められる方法ではない。ましてや、土日休日はこの京浜東北線のダイヤに変更があり、上野発が12:41になってしまう。これでは乗り換えはほぼ無理である。次の列車は上野12:46発の快速磯子行きだが、これだと今度は東京着が12:52で、東京発の東海道本線の乗り換えまで1分となってしまう。すなわち、仙台始発の常磐線から東京12:53発の快速アクティへの乗り換えは、平日なら頑張れば何とかなるかもしれないが、土日休日は極めて難しいということになる。ただ、何とかこの東京12:53発の快速アクティに乗ることができれば、京都には21:48、大阪には22:18、姫路には23:22に着ける。

 なお、函館の時と同様、「東北で地ビールの飲める店番外編」として京都を見てみると、京都にも地ビールがあり、京都の街中でそれらを堪能できる店がある。そのうちの一軒は、黄桜が醸造する京都麦酒を味わえる「京おばんざい酒房じろく亭」(写真参照)である。京都麦酒は京都初の地ビールだそうで、ケルシュアルト、そして日本酒醸造元らしい清酒酵母を使用した「蔵のかほり」があるが、最近では古代エジプトのビールを再現したというホワイト、ブルー、ルビーの3種類のナイルシリーズが話題を呼んだ。じろく亭では、常時ケルシュ、アルト、蔵のかほりのうちの2種が飲めるようになっている。もし、22時前に京都に着ければ、ちょっと急ぐがこのじろく亭で飲み食いすることは辛うじて可能である。

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2007年10月13日

東北の歴史のミステリーその16〜首途八幡神社は奥州藤原氏の京都出先機関跡か

7949e581.jpg 以前紹介した大報恩寺(千本釈迦堂)から東に500mほど行った所に、首途八幡神社(かどではちまんじんじゃ)という神社がある。源義経が16歳の時に鞍馬山を抜け出して藤原秀衡を頼って金売り吉次と共に奥州に向けて旅立つ際に、道中の無事を祈願した神社とも言われ、今も旅行安全などにご利益があるとして信仰を集めているそうである。

 この首途八幡神社について、江戸時代初期の貞享元年(1648年)に黒川道祐が著した、京都の地誌学の古典と言われる「雍州府志」という書物には、「西陣五辻南桜井辻子(現在の上京区智恵光院通今出川上ル)に橘次(吉次)が在り。このところ、売金商橘次末春の宅地なり」、「源義経は橘次の東行に従ってここより首途(門出)す」とあり、元々ここは義経にまつわる話には必ず登場する金商人、金売り吉次の屋敷跡だとする説があるのである。

 ところで、金売り吉次という人物についても謎が多い。京都と奥州を行き来した金商人だというのがもっぱらの見方だが、上の「雍州府志」を見ても分かるように、「吉次」を「橘次」と記している文献もある。「橘次」(きちじ)は元々は「橘次郎」(たちばなじろう)という名で、商人ではなく実は侍で、後に義経の家来となったという説もある。源九郎を「げんくろう」と読み慣わすのと同じだというのである。確かに橘姓はこの時代の東北の武士に比較的よく見られる姓である。この説の通りだとすると、吉次は本当は奥州ゆかりの武士だったということになる。

 なお、京都には、「平泉第」(ひらいずみてい)という、奥州藤原氏の出先機関があったと言われている。この出先機関が辺境であった奥州と京都とのパイプを確保し、対朝廷工作などを担っていたというのである。この時代、奥州は半独立国状態であったので、言ってみれば平泉第はその「大使館」だったとも言えるかもしれない。ただ、実際にこの平泉第が京都のどこにあったのかは分かっていない。吉次が金商人ではなく奥州ゆかりの武士であり、かつこの首途八幡神社がその屋敷だったとすると、ここがかつての「平泉第」だったのかもしれない。歴史家の角田文衛氏が既に指摘している通りである。

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2007年08月24日

東北の歴史のミステリーその15〜藤原秀衡の孫が創建した寺院が京都にあった

951a5086.jpg 京都に大報恩寺というお寺がある(写真参照)。千本の地にあるので、地元では千本釈迦堂という名前で親しまれている。その名の通り、釈迦如来を本尊とする真言宗に属するお寺である。この大報恩寺、鎌倉時代初期の1227年に開創されたが、開創時の本堂がいまもそのまま残っている。

 この本堂が実は京都市内では最古の木造建造物とのことで、国宝に指定されているが、今でも自由に堂内を参拝できるのがすごい。開創当時は倶舎、天台、真言の三宗兼学の道場として朝廷に認められ、その後釈迦念仏の道場としても隆盛を極め、その様子は徒然草227、237段にも記述があるそうである。

 本堂以外にも本尊厨子と天蓋、本堂来迎板壁仏画、本堂棟木と棟札が国宝に指定され、本尊の釈迦如来像はじめ、釈迦の十大弟子像や六観音像など多くの鎌倉時代の仏像が重要文化財に指定されている。本尊の釈迦如来像以外は本堂左側の霊宝殿に収められ500円の拝観料で見学することができる。本尊の釈迦如来は秘仏だが、ちょうど訪れた時が精霊むかえ・六道詣りの時期で、貴重なこのご本尊を目にすることができた。

 この大報恩寺を開創したのは、義空上人という僧である。義空上人は19歳で叡山の澄憲僧都に師事し、その10数年後、この千本の地を得て、苦難の末に本堂をはじめ諸伽藍を建立したとのことである。

 ところで、この義空上人は、なんと奥州藤原氏の三代、藤原秀衡の孫なのだそうである。以前紹介したように、藤原秀衡には6人の男子がいたことになっているが、その中の誰の息子だったのか気になるところである。霊宝殿に展示してあった大報恩寺の縁起を記した古文書には、藤原忠明の子とあって、藤原忠明の名の脇に注釈として「秀衡息」と記されてあった。出生は「出羽国雄勝郡千福里」で承安二年、西暦で言うと1172年生まれとのことである。京都では平清盛が権勢の頂点を極めていた頃である。

 この藤原忠明という人物は、これまで知られている秀衡の6人の息子の誰でもない。「忠」の字が共通している三男忠衡のことか、あるいはこれまで知られている以外に存在した男子なのかもしれない。

 また、この義空上人が生まれた千福里という地名は、今の雄勝郡内には見当たらない。ただ、考えられる場所として、一つは旧雄勝町(現湯沢市雄勝町)の下院内に千福寺という寺があり、その近辺か、あるいは雄勝郡を含む仙北三郡の仙北のことを千福とも記したという記述があるので、それが誤って雄勝郡内の地名として伝わったかのいずれかかもしれない。

 もう一つ驚いたのはこの義空上人、文治二年(1186年)、15歳の時に鎌倉の月輪房阿舎利の童子役となったことである。義空上人はその後、19歳で剃髪して叡山に行くが、それまで鎌倉にいたということになる。義空上人が鎌倉に行った時期はまさに平泉と鎌倉が抜き差しならない状況になりつつあった頃である。この時の義空上人の役割はもしかすると、この時期の鎌倉の動向を逐一平泉に伝えるということにもあったのかもしれない。

 しかし、その3年後、文治五年(1189年)に奥州藤原氏は源頼朝によって滅ぼされてしまう。鎌倉にいた義空上人はそれをどのような思いでみつめていたのだろうか。その翌年、義空上人は剃髪し、叡山に向かうのである。奥州藤原氏が滅んだのを目の当たりにして、残りの人生を仏道に捧げ、一族の菩提を弔うと共に、その意思を継いで一切衆生を仏教によって救わんとする道を選んだのではないだろうか。義空上人が苦難の末開創したという大報恩寺を見ると、そのような思いがするのである。

 奥州藤原氏の仏教王国はあえなく滅びたが、その種子は鎌倉を経て遠く京の都まで飛び、そこで新たな花を咲かせたのである。


追記(2007.9.2):義空上人の父親である藤原忠明だが、よく考えてみると藤原秀衡の三男、忠衡とするのは無理があることに気付いた。忠衡は文治五年奥州合戦の直前に兄泰衡によって討たれたことになっているが、その時の年齢は23歳だったと言われている。当時、義空上人は18歳だったので、忠明=忠衡説は死亡時の忠衡の年齢が正しいとすれば成り立たないことになる。

 義空上人が生まれたとされる「出羽国」に関わりがあったと考えられる秀衡の息子は、「出羽冠者」の号を持つ五男の通衡だが、三男の忠衡が文治五年時点で23歳だったとすると、通衡はさらに年少だったことになり、やはり義空上人の父とはなり得ない。

 ちなみに、次男泰衡は死亡時35歳とも25歳とも言われる。泰衡が35歳なら義空上人くらいの息子がいてもおかしくない計算である。ただ、忠明=泰衡とは考えにくい。また、長兄国衡の年齢は分かっていないが、恐らく泰衡よりもかなり年上だったのではないかと思われる。

 まったくの想像だが、出羽国出身の奥州藤原氏の家臣あるいは縁戚にあたる者の中で、秀衡の娘と結婚して婿養子になった者がいて、藤原姓を名乗っていたということは考えられるかもしれない。婿養子に「秀衡息」と記載するかどうかという問題はあるが。


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2005年10月04日

仙台散歩番外編〜京都の「天一」と仙台の「こむらさき」と「○一品」

ced3fbb1.JPG 先日京都に出張した。仕事が終わって帰るまでまだ時間があったので、京都市内で有名なカレー屋さんに行こうと思い、開業20余年母娘2代が切り盛りし、 全国にファンがいるという京都市左京区一乗寺樋ノ口町の「ガラム・マサラ」に行ってみた。20日熟成の後に完成するというカレーももちろんおいしかったが、それよりそこの創業者であるおばあさんのキャラが面白かった。

 その「ガラム・マサラ」の向かいになんと「天下一品総本店」があった。「天下一品」と言えば、仙台のラーメン店主の中で一番有名と思われる千田晃久会長率いる「天下一品こむらさき」(仙台市青葉区国分町2-11- 11、TEL022-214-4040、写真参照)の、これ以上ないくらいのこってりスープが特徴の「天下一品ラーメン」が仙台市民には馴染み深い。

 千田会長がうまいラーメンを求めて全国を歩いていたとき、まず京都の「天下一品」に出会い、ぜひ暖簾分けをと願い出たが、当時天下一品は屋台のラーメンであり暖簾分けが叶わなかった。そこで当時惚れ込んだもう一つの店である熊本の「こむらさき」の暖簾を分けてもらい仙台に店を出した。その後、京都の「天下一品」も店を構え、晴れて暖簾分けされた。そのような経緯もあって、仙台の天下一品ラーメンを出す店は「天下一品こむらさき」という名前になったのだそうである。

 ところで、この仙台市民にとって馴染み深い「天下一品ラーメン」の味が京都の総本店の味とはちょっと異なっているということは、薄々知っていた。一時期全国有名ラーメン店のカップ麺が流行ったことがあったが、あの時京都の「天下一品」のラーメンのカップ麺も登場した。しかし、そのカップ麺は宮城県内では ついに発売されなかった。私は出張先の盛岡で京都「天下一品」のカップ麺をゲットし、食べてみた。が、日ごろ慣れ親しんでいる味とはちょっと違った味であった。もちろんカップ麺ということもあったのだろうが、このカップ麺がなぜ宮城県内で売られなかったのかが何となく分かった気がしたものである。

 今回、偶然京都の「天下一品総本店」を見つけたことで、元々仙台の「天下一品こむらさき」の千田会長が惚れ込んだ天下一品ラーメンの味がどのようなものなのか味わってみたいと思った。そこでカレーを食べたその足で、今度は天下一品総本店の暖簾をくぐった。

 定食などもあってメニューが仙台の「天下一品こむらさき」と違って豊富なのに驚いたが、とりあえず普通の「中華そば」を頼んだら「こってりにしますか? あっさりにしますか?」と聞かれた。仙台の「天下一品」にはない選択である。天下一品に来たらこってりにしなければ意味はないと思い、こってりを頼んだ。

 出てきた「中華そば」は、まず麺が仙台の黄色い縮れた麺とは違い、白っぽくそれほど縮れていない麺であった。スープはもちろんこってりしていたが、麺をすくい上げるとスープが全部ついてくるがごとき仙台の「天下一品」ほどのこってりではないという印象であった。

 この「中華そば」を一口食べて雰囲気が似ていると思ったのは、仙台の「天下一品ラーメン」ではなく、同じ仙台市内にあって取材拒否の店として有名な泉区加茂にある「〇一品」(店名一字伏せる)の「こってりラーメン」である。ここも京都の「天下一品」と同じようにこってりとあっさりのスープのラーメンが選べ、麺も京都で食べ た天下一品ラーメンのものと似た白っぽい麺である。偶然か否か分からないが、「〇一品」のラーメンは「天下一品」総本家の味を、同じ天下一品を標榜する 「天下一品こむらさき」よりも忠実に受け継いでいるのかもしれないと感じた。


追記(2011.9.16):上で挙げた「〇一品」だが、昨年店主の体調不良により閉店してしまった。今年できた「田蛇(デンジャー)」がその味を引き継いでいるという話であるが、未確認である。

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