復興庁  

2017年08月02日

私的東北論その97〜「東北でよかった」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 「東北復興」紙、今年の5月16日に刊行された分で60号に達した。月刊なので足掛け5年ちょうどである。この間、ひと月も休まずに同紙を刊行し続けた砂越豊氏には心から敬意を評したい。5年を一区切りとして完結させる考えもあったようであるが、東北の復興が今に至っても道半ばであることもあって、さらに続ける決意を固められた。
 バックナンバーを見てみると、その時々で課題となっていたことが的確に取り上げられている。その意味で、同紙は東北の復興に関しての貴重な記録の一つである。今後の展開にも期待したい。
 さて、その記念すべき5周年、60回目の原稿は例のアレについてであった。以下がその全文である。


「東北でよかった」

「あっちの方だったからよかった」

 今村雅弘氏が復興大臣を辞任した。自身が所属する派閥のパーティーでの講演の中で、「また社会資本等の毀損も、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております」と発言したことがきっかけとなった。

 恐らく、被災地が東北だったからこれくらいの被害額で済んだのであって、これが首都圏だったらこんなものでは済まないはずだ、ということを言いたかったのだろう。ただ、それにしても、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」はいかにも余計である。災害が起きたのがどこだったからよかった、どこだったらよくないということはない。どこであっても、災害が起きてよかったということはない。

 そして、もう一つ、「あっちの方」という言葉である。むしろ、この言葉の方に今村氏の東北に対するスタンスが表れているのではないかと思った。東北は「あっちの方」、つまり「こっち」じゃない。どこか遠いところ。自分のいる場所とは違うところ。東北に対するそのような今村氏の認識が感じられる。

 今村氏は、「総理からの御指示や内閣の基本方針を踏まえ、現場主義を徹底し、被災者に寄り添い、司令塔の役割を果たしつつ、被災地の復興に全力を尽くしてまいる決意であります」と就任時の記者会見で述べている。「被災者に寄り添って」と言うが、自分だけ被災者と違うところに身を置いていて、どうやって寄り添うつもりだったのだろう。

 前復興大臣が東北の復興に対して、全く無関心であったとは思わない。福島の企業を訪問した時にもらったアニメ柄のネクタイを、「風評対策を含めて、とにかく地元のいろいろ企業を元気にしようという思いで」締めてきたと語っているし、辞任の前日には岩手の三陸鉄道の「三鉄オーナー」にもなっている。ちなみにこれは、岩手県へのふるさと納税「ふるさと岩手応援寄付」で三陸鉄道への支援のために10万円以上寄付した人のことで、「オーナー」は今村氏が5人目であった。JR九州出身の同氏らしい復興支援と言えた。

 ただ、残念ながら、ご自分の発する言葉に対する感度がそれほど高くない方だったのかもしれない。講演後の記者とのやり取りでも、この発言の何が悪かったのか全く分かっていない様子であった。そこの感度は、今村氏の発言についてその後にすぐさま謝罪した安倍首相とは対照的であった。安倍首相は、「まず冒頭ですね、安倍内閣の今村復興大臣の講演の中におきまして、東北の方々を傷つける、極めて不適切な発言がございましたので、総理大臣としてまずもって、冒頭におわびをさせていただきたいと思う次第でございます」と述べた。恐らくその時点で、「この発言はかばい切れない」と思ったのだろう。


「東北でよかった」の劇的転換
 さて、そのような今村氏の「東北でよかった」発言とその後の辞表提出を受けて、私はfacebookに、「生まれ、育って、今も生活している場所が『東北でよかった』と、心底私は思ってます。前復興大臣も一度住んでみたらいいと思う。ホントいいところなんだから。(^▽^)」と投稿した。日が変わって4月26日の0時59分のことだった。普段、飲み食いした店の話や参加した会合の模様を発信するのがほとんどの私の投稿の中では、異例な感じの投稿だったが、お蔭様でいつもの倍以上の「いいね!」やたくさんのコメントをいただいた。

 私の友人も同様に、「僕は生まれたのが『東北で良かった』。音楽を学んだのも『東北で良かった』。僕の街もステキな街だし、死ぬまで東北に住んでいたいゼ。東北の田舎の人たちだから助け合えたし乗り越えられた。東北『が』良かったって言い間違えたんじゃないかな?まあ、関東の爺様の言うことにいちいち腹は立てない。この機会に、みんな東北一度は来て見て。」と投稿していた。

 一夜明けて、私のそのfacebookの投稿へのコメントで、ツイッターのハッシュタグで「#東北でよかった」がすごいことになっていることを教えてもらった。見てみるとそこには予想だにしなかった投稿が並んでいた。東北の美しい景色や美味しい食べ物の画像、心に残るエピソードなどが、「#東北でよかった」のハッシュタグと共に大量に投稿されていたのである。

 どうやら、最初のうちはやはりこの「#東北でよかった」のハッシュタグは、今村氏の発言を批判、非難するものばかりであったらしい。ところがその後、この「#東北でよかった」が、まさに「東北でよかった」という意味で投稿されるように変わり、その意味での投稿が圧倒的な数に上ったのである。なんという鮮やかかつ素敵な切り返しだろう。様々な画像に添えられていたメッセージも印象的なものが多かった。

「#東北でよかった 生まれた場所が」
「#東北でよかった ボクらのふるさとが」
「綺麗な景色 優しい人達 旨い飯…(酒…) 生まれた場所が #東北でよかった」
「私の大好きな、愛すべき地方が #東北でよかった」
「2008年から、震災を経て、2014年まで住んだ宮城・仙台は、私にとって第二の故郷。心から #東北で良かった」
「故郷を離れても忘れない。あの町で育ってよかった。#東北でよかった」
「生まれも育ちも、良かったと思える場所だよ。ご飯が美味しい、素朴な人々、のどかな景色。これだけで東北でよかった、なんだよ いいとこだよ、東北」
「震災後、東北に5回旅行しました。福島、宮城、山形、青森の地元の人たちはいつもあたたかくみんな親切で、東北に遊びに行って良かったなあと思っています。まだ訪れていない所へも旅しようと思います」
「初めて鉄道目的の旅行で、迷った時、優しいおばあちゃんに教えてもらいました。 あの時のことは忘れられない」
「かなしみも よろこびも すべてつつんでくれる #東北でよかった」
「みんな! #東北でよかった ってのは、こういうことを言うんだってことを教えてやろうぜ!」
「失言で終わらせないのは確かにいいな。というわけで、去年の仙台七夕。夏は東北各地で祭りが開催されます。おいでよ東北」
「このハッシュタグがいい意味で使われてトレンドに上がっているのが東北民としては嬉しい。」
「これぞ東北の心意気」
「生まれた場所が #東北でよかった こんなにも強い仲間がいる。おいでよしてる仲間がいる」
「#東北でよかった のタグが素敵な写真でいっぱいで、本当に東北は良いなと思いました」
「ひどい言葉を言われても、ひどい言葉で返さないで、何言ってんの、私たちの住む地の素晴らしさを知ってよって、みんなが笑う、そんな東北でよかった」

 東北に住む人、東北に縁のある人、東北に心を寄せてくれている人によるこれらの投稿、本当に素晴らしいとしか言いようがない。


復興大臣が今村氏でよかった
 そしてまた、これらの東北に関係する人たちによる投稿を見た人たちからも、好意的なコメントがものすごい数投稿されていた。曰く、

「なんて強くて綺麗なタグ…」
「このタグ、なんとなく見てみたら『東北本当にいいところだよ!東北に生まれて良かった!東北に行って良かった!』的なツイートで溢れてたから世界は本当に美しいなおい!ってなった」
「こういう失言を明るく変えていく流れ好きです」
「愛にあふれたタグになっていた」
「すてきな使い方になっていて涙が出た」
「さっそく #東北で良かった  という言葉の『良い東北を広げよう』としてるツイートを発見し、心打たれました…」
「みんな東北のハッシュタグが素敵な方に使ってていいなって思った」
「タグが素敵すぎる」
「不適切発言を裏返すこのタグには感動。震災を経験したからこその団結力」
「震災にも負けない人たちを見ることができた」
「このハッシュタグのお陰でほっこりした」
「美しい国。『よかった』って言葉はこう使うのだね。とても素敵な意味に変わってる、このハッシュタグ」
「ステキなタグになって本当に嬉しい 私  関西人だけど、さんさやはねこを踊った事があるんだわ」
「あぁなんて素敵なタグなんでしょう」
「なんだろうこのタグ…目から水滴が…」
「このタグ泣くよ… 東北は行ったことないけど絶対行きたい土地の一つ」
「変な意味を持ったタグを乗っ取ってオラが町自慢の幸せなタグに変えてしまう東北人の図々しさ大好き」
「失言が、#をつけたことで郷土愛に変わった。失言する人がいる一方で、その失言を『東北の魅力を発信するハッシュタグ』にして、東北を盛り上げよう、応援しようとする人もいる。そんな国でよかった。こんなに泣けるハッシュタグは初めて」

このように、「東北でよかった」という言葉が、発せられた時の意味を離れて、一夜のうちに本来の意味を取り戻したことに対する驚きと称賛の声が溢れていた。

 この「東北でよかった」、同時多発的に起こっているのが興味深い。私のfacebook投稿はこれらツイッターの投稿とは関係なく行ったものだし、友人のも恐らくそうだ。ツイッターだけではなく、インスタグラムでも同様に「#東北でよかった」のハッシュタグでの画像がものすごい数投稿されている。「東北でよかった」と思っている人がそれだけ多数いて、今村氏の発言が引き金となって、ネットに溢れ出たということだろう。

 「東北でよかった」が「東北においでよ」につながっている投稿の多さも特筆に値する。私の投稿も友人の投稿も東北に来てみることを勧めているし、多くのツイッターの投稿も東北の素晴らしい景色や美味しそうな料理の画像を投稿して「東北においでよ」と投稿しているものが多い。

 このように「東北でよかった」のハッシュタグで東北に来ることを勧めている東北人に対して、既に「おいでよ族」という称号(?)も与えられている。こんなツイートがあった。

「『東北で良かった』についた悲しいイメージを払拭するかのように、『#東北でよかった 』とタグ付けしてTLに流れる東北の生命力の強さを現す光景…… さすが、おいでよ族の民たち」

このツイートに対して、

「そう。我らはおいでよ族の民」

と返している人もいた。

 この「おいでよ」という投稿の多さこそ、東北に住んでいる実に多くの人が、自分たちの住んでいる土地に対して愛着を持っていること、誇りを持っていること、心底いいところだと思っていることの何よりの現れであると思う。それが夥しい数の「東北ってこんなにいいところなんだよ、とにかく一度おいでよ」という投稿になっているのである。

 最後に。今村氏のあの発言がなかったら、これら東北を巡る数多くの素晴らしい投稿もなかったわけである。誰も言わないが、私はあえて言おう。復興大臣が今村氏でよかった、と。


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2016年09月29日

私的東北論その85〜東北の観光における復興の現状とこれから(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 6月16日に発行された電子新聞「東北復興」の第49号では、東北の観光の現状とこれからについて取り上げた。震災後、大きく落ち込んだ東北各地の観光客数だが、ここへ来てようやく震災前の水準に回復してきている。東北にはいい場所、いいものがたくさんある。それをぜひ多くの人に確かめに来ていたただきたいと思うものである。

 以下がその全文である。


東北の観光における復興の現状とこれから

過去最多となった仙台への観光客
新しい画像 仙台を訪れた観光客の数が昨年2015年、初めて2,000万人を超えて過去最多になったことが仙台市の調査で分かったそうである(左図は「データで見る仙台の産業 平成28年度」による)。正確には22,293,853人とのことで、仙台市が目標に掲げている2017年度までに2,300万人という数字も現実味を帯びてきたことになる。

 これまでの推移としては、震災前の2009年が1,937万人、2010年が1,979万人で、そのままいけば翌年は2,000万人を超えそうだったが、翌2011年は東日本大震災の影響で1,621万人まで観光客数は落ち込んだ。2012年が1,855万人、2013年も1,867万人と震災前の水準には戻らなかったが、2014年にようやく1,975万人と震災前の水準に戻っていた。

 2015年の2,229万人は、前年の12.9%増という伸びとなったわけだが、その要因としては震災の風評被害が一定程度収まったことや、仙台うみの杜水族館が開業したことなどが挙げられている。

 また、市内の外国人宿泊者数も115,947人で、これも2008年の98,210人を抜き、初めて10万人を超えて過去最多となったそうである。外国人宿泊者数は、震災のあった2011年には24,071人と激減し、その後も2012年57,297 人、2013年55,871人、2014年68,834人となかなか震災前の水準には戻らなかったが、2015年は前年比168.4%という高い伸びとなった。この要因としては、この年の3月に国連世界防災会議が開催されたことが挙げられている。

 外国人宿泊者を地域別に見てみると、アジアが70,996人で最も多く、次いで北中南米が16,392人、 欧州が11,028人、オセアニアが1,894人、アフリカ1,589人などとなっている。国・地域別に見てみると、台湾が37,660人で最も多く、次いで中国が13,787人、アメリカが13,452人、タイが6,967人、韓国が4,124人、香港が3,458人などとなっている。


仙台の観光は仙台だけでは成り立たない
 しかし、仙台だけ観光客が増えたと喜んでいてはいけない。そもそも、仙台の観光は他地域と組まないと成り立たないという側面がある。

 例えば、観光庁は今年3月、「東北6県の観光魅力100件」を選定した。これは、「東北の観光資源について広く国内・海外に情報発信を行い、東北への来訪促進を図るための新しい試み」とのことで、応募のあった1,264件の中から「見るもの」「食べもの」「買いもの」「体験」の各カテゴリで合計100件を選定したものなのだが、この100件の中で、仙台に関する観光資源は実に 「仙台七夕まつり」ただ1件だった。つまり、仙台の観光資源は東北の他地域と比較すると決して多いとは言えないのである。このことから考えても、仙台の観光は仙台だけでは決して成り立たず、むしろ、東北各地の観光情報の発信基地となるべき立場であるのである。

 ちなみに、「100件」を県別に見ると、青森が28件と最も多く、次いで秋田が21件、宮城が18件、岩手が16件、福島が15件、山形が11件となっている(複数県にまたがる観光資源もあるので合計は100を超える)。青森や秋田に「東北のベスト」の観光資源が多いことが分かる。


仙台駅の新たな取り組み
 たまたま仙台駅3階のみどりの窓口で切符を買おうとしたら、壁面のディスプレイで「ヨリ未知 SENDAI」と題した、東北の名所、名産品を紹介するプロモーションビデオを流していた。JRがつくったビデオだけあって、一つひとつ、仙台駅を起点とした場合の経路や所要時間まで図示されて、いざ行ってみようと思った時に役立ちそうな内容だった。キャッチコピーが「冒険しよう、陸(みち)の奥へ。」で、「『ヨリ未知 SENDAI』が目指すのは“どこかへ『寄り道』したくなる情報が集まった駅”」とある。

 まさに、仙台の立ち位置はこれで、JR仙台駅はそれを十分意識しているように思える。この「ヨリ未知 SENDAI」プロジェクト、3月の仙台駅東西自由通路のオープンに合わせて始まったもののようで、「東北の未だ知られざる多くの魅力を仙台駅から発信する」ことが目的だそうである。これは素晴らしい試みである。実際、私が目にしたプロモーションビデオ以外にも、東北のこけしや漆器、民芸玩具が展示してあったり、宮城の80種の食がミニチュアで紹介されていたり、東北の花見スポットや名峰が紹介されていたりといった工夫が駅の中のあちこちにあるようである。

 唯一残念なのは、この「ヨリ未知 SENDAI」、ウェブページにある情報は仙台駅とその周辺のみの情報にとどまり、プロモーションビデオで紹介していたような東北各地の情報がないことである。これは「東北の未だ知られざる多くの魅力を仙台駅から発信する」という趣旨から言えば不十分と言わざるを得ない。せめて、駅の中で流していたプロモーションビデオをウェブ上で公開するだけで もずいぶん違うと思うのだ が、それも今のところないようである。

 そのような残念な点はあるものの、その趣旨には大いに賛同する。他の地域の人によく「仙台って大きな街なんですね」と言われる。「東京から1時間ちょっとで着くんですね」ともよく言われる。 こうした声から分かるのは、とにかく情報が少ない、知られていないということである。仙台駅は言うまでもなく、東北で最も多くの人が利用する駅である。そこでの情報発信の効果はとても大きい。今後も積極的に情報を発信していってほしいものである。


世界に向けて何をどう発信するか
 復興庁の資料によると、外国人宿泊客の数は、全国では2010年の2,602万人から、2014年には4,207万人と、実に161.7%の大幅増となっている。しかし、これを東北に限って見てみると、2010年の51万人から2014年には35万人と、なんと逆に70%に減少している。2010年比で外国人宿泊客が減少している地域は東北だけで、いわば東北の「一人負け」状態なのである。

 その背景にはもちろん、いまだに東日本大震災の影響があることは間違いのないところだろうが、そうした風評を払拭するだけの情報発信ができていないということでもあるわけである。

 こうした状況を受けて、観光庁は今年度、東北六県の観光振興を目指して、全世界を対象にした初めての大規模キャンペーンを行うそうである。震災復興関連予算から10億円を確保して、海外の著名人を起用したテレビ番組の制作、各国のメディアや旅行会社を招くツアーなどを実施して、東北の観光情報を集中的に発信するとのことである。

 国は今年度を「東北観光復興元年」と位置付けているとのことで、それは大変ありがたく心強いことではあるが、一方でせっかくお金を掛けるのであれば、他にも考えておいた方がよいこともありそうである。

 観光庁が今年1月から3月まで訪日外国人を対象に行った調査で注目すべきは、「出発前に得た旅行情報源で役に立ったもの」という質問への回答である。ここでは「日本政府観光局ホームページ」(16.7%)や「旅行会社ホームページ」(16.6%)、「地方観光協会ホームページ」(6.2%)などを抑 えて圧倒的に多かったのが 「個人のブログ」(31.4%)であったのである。

 このことからは、公式な情報よりも、個人の発信した情報を参考にするという傾向が見て取れる。国が予算を確保しての公式なレベルでの情報発信を行ってくれることはありがたいが、 それのみでは決して十分とは言えないわけである。むしろこの領域で影響力のある各国の個人ブロガーを招いて東北に関する情報を発信してもらうこといった取り組みの方が必要なのではないだろうか。また、日本側でも、東北の情報を発信する個人ブログなどを、各国語対応も含めてどう充実させていくかということの方が、効果の面で言っても取り組むべき喫緊の課題であると言える。


東北の強みを活かした観光復興を
 同じ観光庁の資料では、「訪日前に期待していたこと」について、最も多かったのが「日本食を食べること」(70.0%)で、次いで「ショッピング」(53.0%)、「自然・景勝地観光」(43.5%)、「繁華街の街歩き」(37.3%)、「温泉入浴」(35.5%)が多く、ちょっと下がって「旅館に宿泊」(21.4%)、「日本の酒を飲むこと」(20.9%)とな っている。「テーマパーク」(15.3%)、「日本の歴史・伝統文化体験」(14.8%)、「日本の日常生活体験」(13.6%)、 「四季の体感」(12.4%)などはそれほど多くはない(ただし国によってかなり ばらつきはある)。

 東北の得意分野でこうしたニーズに対応することを考えると、まず「ショッピ ング」や「繁華街の街歩き」 などでは他地域をしのぐような対応は難しい。これらについては首都圏など大都市圏に強みがある。

 東北で力を入れるべきは、 何と言っても、「日本食を食べること」、「自然・景勝地観光」、「温泉入浴」であろう。これらに対応することを重点的に考えていくのが東北の観光復興には最も良いのではないかと思われる。東北の食、自然、温泉は、日本の他地域に比べても、かなり良いものを持っている。それを外国人向けに大いに情報発信すると同時に、いざ来てくれた際の受け入れ態勢もしっかりと整えることがこれから必要なことであるのではないだ ろうか。

 食に関して言えば、「最も満足した飲食」で多かったものの中で、「寿司」が一番なのは予想がつくとして、次いで「ラーメン」が来て、その次は「肉料理」で、この3つが圧倒的であった。これらもまた、東北でも美味しい食べ物である。 海外に向けた東北のこれらの料理のマップを作るなどの工夫も必要であろう。


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2014年04月11日

私的東北論その55〜3回目の「3・11」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku-fukko22 「東北復興」の第22号が3月16日に発行された。この号で砂越氏は、「東北二段階復興論」を提言している。

 「とにかく東北を語る会」の案内も載っている。そう言えば、このブログでお伝えするのが遅くなってしまったが、以前このブログにコメントを寄せていただいたげんさんと、このブログを見てメールをくださった砂越さんとは、定期的に会って東北について話し合っていた。その「会」の呼び方も3人バラバラで、私は「東北をどうする会」、げんさんは「とにかく東北を語る会」、砂越さんは「東北を何とかする会」と呼んでいた。すべて同じ会のことを指している(笑)。今年から、東北に関心を持つ他の人にも集まっていただこうということになったのを機に正式名称を検討したが、結局げんさんの呼称に一本化することになった。次は5月25日(日)の予定である。

 私はこの号では、震災後3回目の「3・11」について取り上げた。「東北復興」に掲載された分は、スペースの関係で写真が載せられなかったが、ここでは3月11日に訪れた仙台市若林区荒浜地区の写真も併せて掲載したいと思う。

3回目の「3・11」

復興の現状
 3月11日は言うまでもなく、東日本大震災発災の日である。この日が近づくにつれて、新聞各紙やテレビで震災をテーマにした特集記事・番組が増える。その中では、震災からの復興における課題や問題点などについても数多く取り上げられている。実際に課題や問題点があるのは事実であるのだろうが、それらについてはここでは繰り返さない。
 
 復興の現状については、復興庁が定期的にまとめている。復興に関する客観的なデータが把握でき、有用である。最新のものは1月17日のものであるが、その内容は概ね以下の通りである。

・避難者数は1年で約32万1千人から約27万4千人に減少。
・仮設住宅等への入居戸数は減少しはじめている。
・被災3県における人口は減少傾向にあるものの、社会増減率は沿岸市町村においても震災前の水準に戻りつつある。
・災害廃棄物(がれき)は福島県の一部地域を除き、平成26年3月末までに処理可能な見込み。
・公共インフラの復旧・復興については、海岸対策、海岸防災林の再生は概ね6割弱の着手、1割台の完了。河川対策、水道施設、下水道、災害廃棄物の処理は概ね9割超完了。復興住宅、防災集団移転、土地区画整理、漁業集落防災強化は概ね6割前後の着工、1割前後の完了。医療施設、学校施設等は概ね9割超完了。復興道路・復興支援道路は37%完了。港湾は77%完了。農地は63%完了。漁港は37%完了。養殖施設は84%完了。
・鉄道については被災総延長2350・9劼里Δ繊運行再開区間2079・7辧運休区間271・2辧
・現在の売上げ状況が震災直前の水準以上まで回復していると回答した企業の割合は、36・6%。・平成24年度の被災3県の工場立地件数は、前年度より31件増(+48%)の95件。
・農業・水産業・観光業も改善が見られるが、本格的な復興が今後の課題。
・被災企業の復興に向けた進捗状況は地域格差が顕著。・税制上の特例の適用を受けることができる指定事業者による投資見込額は約1兆1300億円、雇用予定数は約82600人。
・福島県では、避難指示区域等からの避難者数が約10・2万人、福島県全体で約14・2万人。うち福島県外への避難者数約5・1万人。
・除染の進捗状況については、国直轄除染地域では対象11市町村のうち、9市町村の全域又は一部地域において除染の作業中、1市で除染が終了。市町村除染地域では、94市町村において特に子ども空間や公共施設において除染が進捗し、予定した除染の終了に近づきつつあるが、全体が終了するまでには更に数年はかかる見込み。

 一方、株式会社マクロミルは、「震災白書2014」を公表している。全国と岩手・宮城・福島の東北3県在住の20〜69歳の男女を対象に「東日本大震災に関する調査」を実施した結果をまとめたものである。その中では生活の復旧状況についても聞いている。
それによると、日常生活が東日本大震災前の状態に「完全に戻った」と答えた人の割合は、全国で54%、東北三県では39%と差があることが報告されている。復興の現状は概ねそのような状況である。

震災の「風化」をどう捉えるか
 今、頓に震災の「風化」が言われている。先の「震災白書」でも震災に関する情報が減ったと回答した人は7割にも上る。
 
 しかし、情報が減ったから風化が進んでいるのかと言うと、そのせいばかりではあるまい。風化させているのは震災からの「時間」である。それは被災地においては、過酷な体験、悲しい体験に対する痛みを、忘れることで軽減しようとする人間の正常な反応である。

 また、被災地以外の地域に住む人にとっては、震災に関する情報の上に日々、日常の情報が積み重なっていくわけであるから、やはり震災のことが次第に薄れていくのはやむを得ないことであると思う。

 ただ、被災地の人が「風化」によって何を恐れているのかと言えば、いまだ復興していない自分たちが忘れ去られてしまうことであろうと思う。忘れられないためには、まさに「百聞は一見に如かず」と言う通り、実際に他地域から被災地に足を運んでいただいて、その目で現状がどうなっているのか見ていただくのが最良の方法だと思う。

 「震災白書」でも、全国で69%の人が東北地方への観光意向があるとの調査結果が示されている。しかし、その一方で、復興庁の「復興の現状」の中では、観光客中心の宿泊施設の延べ宿泊者数が、震災前の平成22年との比較において、いまだにマイナスとなっている現状が紹介されている。

 このギャップの原因は何なのか。そこには被災地以外の人に躊躇があるようである。「震災白書」の自由記述の欄にも、「観光に行っても良いものか?考えてしまう。被災地では、大変な生活を送っている人も、まだ多くいるのに、その地域に楽しみ目的の旅行は抵抗を感じる…」という声があった。

 これについては、被災地でも「ぜひ現状を見てほしい」という声は少なからずある。足を運んでみれば感じるものが必ずある。実際に現地を訪れて、その目で見て回ることそれ自体も被災地支援であると考えて、ぜひとも東北に出掛けてほしいものである。

決して「風化」させてはならないもの
 震災で直面したことが時間と共に風化していくのはある程度やむを得ないことであるとしても、決して風化させてはいけないものがある。そのうちの一つは防災に対する意識である。これまで風化させてはならない。東日本大震災で被災地が得た教訓、ノウハウ、並びにそうしたものに基づく防災意識は、ぜひこの地域に住まう人にはもちろん、他地域の人にも持ち続けてほしい。それが来たるべき次の災害への何よりの備えとなる。

 もっと根源的には、生かされていることへの意識も風化させてはならない。3年前のあの日、最も強く思ったことは、昨日の次に今日が来て、今日の次に明日が来るのが当たり前と思っていた日常が、いともたやすく崩れるということであった。ある日突然、来るべき明日が奪い去られてしまうことがあり得るということであった。何の前触れもなく、突然命が断ち切られてしまうことが起こり得るということであった。

 こうした意識が、3年を経て、日常の中に埋没して薄らいでしまっていることを私自身、強く感じている。そうして、昨日の次の今日を実に迂闊に生きてしまっていることを思う。

 毎年来る3月11日は、否が応でもあの日のことを思い返させてくれる。3年前の今頃何をしていたか、どんな状況だったか、やはり意識する。

 改めて思う。誰でも、いつ人生を「チェックアウト」することになるか分からない。ならば、今日チェックアウトするとして、果たしてそれを受け入れられるのかどうか。それを日々自分に問い掛けたいと、この日が来る度に思う。

貞観地震からの復興
 今回の地震と類似性が指摘される地震がある。貞観11年(869年)のいわゆる貞観地震である。
この年の5月26日夜、マグニチュード8・4以上とされる巨大地震が陸奧国(現在の岩手・宮城・福島三県)を襲った。この地震によって、家屋が倒壊、土地は地割れし、多賀城内の城郭・倉庫・門・櫓・築地塀なども倒壊した。また、城下に押し寄せた大津波による溺死者が1000人に達するなど、この地が壊滅的な被害を受けたことが「日本三代実録」に記されている。津波堆積物の研究から、貞観地震における津波浸水域が、今回の東日本大震災におけるそれとほぼ重なっていることが明らかになっている。

 この地震における甚大な被害からの復興の様子も一部、同書には記されている。それによると、朝廷はまず9月7日に紀春枝という人物を「検陸奥国地震使」に任命し、陸奥国に派遣した。10月13日には、天皇の詔が出され、税を免除すると共に、独力で生活できない住民に食料を配給している。併せて、各地の神社で祈祷を行わせている。また、当時高い技術を持っていた新羅人10名を「陸奥国修理府」という復興の拠点に派遣している。

 その後、これらの復興策がどのようになったについては同書では触れられていないが、その後元慶2年(878年)に出羽国で起きた元慶の乱の際に、陸奥国から2000もの兵が派遣されていることから、この頃にはある程度復興が成し遂げられていたものと推察される。

今年の「3・11」
140311-142528 3月11日、仙台市の沿岸、荒浜地区に足を運んでみた。がれきこそすべて撤去されたものの、それだけである。







140311-141955この日は猛烈な北西の風が吹いていたにも関わらず、海は波静かで、3年前のこの日、この地で起きたことが信じられないくらいであった。
 






140311-143835 地区内にある浄土寺は津波で本堂始め建物を全て流されてしまったが、現在同じ場所にプレハブの仮本堂を建てている。毎年この日には地区の合同法要を行っているとのことで、今年も普段は別の地域で避難生活を送っている住民が集まり、住職の読経に手を合わせていた。住職はこの地で亡くなった人の名前を一人ひとり挙げて供養していたが、なかなか途切れないその数に、改めてこの地で亡くなった人の多さを改めて実感する。


140311-152456 地区にある仙台市立荒浜小学校。津波が校舎の2階部分にまで押し寄せた痕跡が今も残る。これが証拠となって、あの日仙台平野を襲った津波が、平野部の津波としては観測史上世界一の高さであったことが判明した。









140311-153252その校庭では、地元荒浜の復興・街づくりを中心としたプロジェクト「HOPE FOR project」が、集まった地元の人と一緒に花の種を入れた風船を大空高く飛ばしていた。荒浜から飛ばした花の種が、どこかの地で芽を出し、花を咲かせるかもしれない、と考えると、まさにそれは一つの「HOPE」である。



 1140年前の大地震からも東北は復興を遂げていた。しかし、それは決して2、3年のスパンでのことではなかった。ここからも、復興においては、最低10年のスパンを持って見ていく必要があることが分かる。

 幸い、東北人は地道に取り組むことに長け、粘り強いと評される。腰を据えて復興に取り組んでいくのは得意なはずである。目の前のできることを一つひとつやっていく。その積み重ねの先に、復興の成就はあるに違いない。


anagma5 at 22:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!