東北復興  

2019年03月18日

東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その116

 2月16日刊行の「東北復興」第81号では、「地域元気指数調査2018」の結果から見えてくるものについて書いてみた。47の評価要素を数値化した「地域元気指数」では上位には表れてこないが、個別に見ていくと、東北らしさと言えるものが見えてくる。以下がその全文である。


東北の「元気」はどれくらいか〜全国「地域元気指数調査」2018の結果から

「地域元気指数」とは
 地域のリサーチ・マーケティング、コンサルティングなどを手掛ける株式会社アール・ピー・アイは、1月16日「全国『地域元気指数調査』2018」の調査結果を公表した。同社あはこの調査を2015年から実施しており、今回が4回目となる。全国の20〜69歳の男女約10万人に調査したとしている。

 「地域元気指数」とは同社の造語で、「全国の都道府県別・市町村別の元気度や元気の評価要素を共通のモノサシで測定する」ことを目的に、「地域の総体的な元気度及び、元気の源となる47の評価要素を数値化したもの」である。

 より詳細に見てみると、まず「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合いを10段階で評価した平均値」である「地域元気指数」と、「地域の元気度合いの要因を詳細に分析する」という「地域元気の5つの視点」、その5つの視点それぞれに「地域元気の評価要素」が9〜11要素ずつ、合計47要素が割り振られている。「地域元気の5つの視点」とは、〆J襪蕕靴討い訝楼茲慮悗蠅箘γ紊砲弔い董↓∈J襪蕕靴討い訝楼茲瞭わいについて、今暮らしている地域の住みやすさについて、ずJ襪蕕靴討い訝楼茲侶从儚菷度・安定度について、ズJ襪蕕靴討い訝楼茲離灰潺絅縫謄の充実度について、の5つである。

調査結果から見えてくるもの
 調査結果をざっと見ていくと、全都道府県における地域元気指数トップ10は、沖縄県と東京都が同率(地域元気指数6.17)で第一位、以下神奈川県(6.02)、兵庫県(5.94)、愛知県と石川県(5.91)、福岡県(5.89)、大阪府(5.87)、熊本県(5.81)、滋賀県(5.76)と続く。地域元気指数の全国平均は5.69とのことである。

 続いて、地域元気指数そのものの増減を前年との比較で見てみると、宮崎県がトップ(+0.21)で、次いで熊本県(+0.20)、福島県(+0.18)、宮城県(+0.15)、兵庫県(+0.14)となっている。この点について、調査サマリーでは「復興と特徴を活かした地域づくりが地域元気を上昇させたと考えられる」と考察している。

 市町村で見ていくと、まず市では(605市の平均5.77)、愛知県長久手市(7.60)が3年連続一位で地域元気指数も前年より0.39ポイント上昇。以下、千葉県浦安市(6.97)、沖縄県石垣市(6.94)、兵庫県西宮市(6.87)、神奈川県海老名市(6.81)、東京都武蔵野市(6.79)、沖縄県豊見城市(6.75)、宮城県富谷市(6.72)、石川県野々市市(6.70)、千葉県印西市(6.66)となっている。

 町村では(237町村平均5.50)、一位が沖縄県北谷町(7.35)、次いで福岡県新宮町(7.32)、沖縄県南風原町(7.26)となっており、以下熊本県菊陽町、沖縄県西原町、静岡県長泉町、福岡県那珂川町、沖縄県中城村、北海道倶知安町、沖縄県与那原町という結果だった。トップ10に沖縄県から5町村がランクインしているのが目を引く。

 同調査では、地域元気指数が高い市町村の理由を先述の「地域元気の評価要素」である47の要素に分けて調査し、その秘訣を探ってみている。その結果、地域元気指数が高い市町村では、「新しいものを受け入れる風土がある」「地域に楽しめる場所がある」「地域内で若い人の姿を多く見かける」「地元で買い物をする人が多い」「再開発などで街が変化し地域が魅力的になった」などの割合が高く、そうした要素が地域の元気をつくる秘訣となっているとのことである。調査サマリーでは「総じて、商店街や集客施設等、人が集まる場の活気が、地域の元気を支えている結果となった」とし、「ヒト・モノの流動と人が集まる場所の活気が、地域の元気を支えている」とまとめている。

 ちなみに、見てきたように、東北の都道府県と市町村でトップ5までにランクインしているのは、唯一宮城県富谷市のみである。富谷市は仙台市の北側に位置し、仙台市のベッドタウンとして人口増が続いている。国道4号線沿いに大規模商業施設が相次いでオープンし、県内屈指の集客力を誇る。そうしたところが「元気」と判断されたのだろう。

自己評価と他者評価が一致しない項目に東北の県が現れる理由

自己評価・他者評価が比較的不一致 この調査で面白いのは、都道府県別に自己評価と他者評価についても調べていることである。その結果、「観光客がたくさん訪れている」「交通基盤が整っている」「にぎやかで楽しい」「活力がある」などでは自己評価と他者評価の一致度が高かったが、「食べ物がおいしい」「人が優しい」「地域の人同士のつながりが強い」「子育て環境が整っている」などは自己評価と他者評価の一致度が低いことが分かった。

 確かに、一致度が低いとされた項目は元々主観に左右される要素が大きそうな項目であるように見える。ちなみに、「食べ物がおいしい」の自己評価第一位は断トツで山形県(そう思う75.3%)で、青森県も第五位(68.8%)に入っているが、一方の他者評価での第一位は北海道(93.0%)で、以下福岡県、熊本県と来て、第四位に秋田県がランクインしている。

 「人が優しい」の自己評価では第五位に岩手県(そう思う56.0%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、二位に青森県(70.6%)、三位に福島県(70.5%)、四位に秋田県(68.1%)と、東北が三県もランクインしている。

 「地域の人同士のつながりが強い」では第五位に山形県(そう思う40.6%)が入っているが、他者評価では沖縄県が第一位(78.8%)で、やはり青森県が二位(78.2%)、四位に秋田県(66.2%)、五位に福島県(65.6%)がランクインしている。

 「食べ物がおいしい」の山形県の自己評価はいい意味で非常に好ましいと思う。自分たちの土地の食を極めて肯定的に見ていることがよく分かる。確かに種類豊富な果物、そば、芋煮、伝統野菜、米沢牛、三元豚など、数え上げればきりがないくらい美味しい食がある。他者評価との差は、その魅力がまだ十分他地域の人に伝わっていないということなのだろう。自己評価五位の青森県にも同様のことが言えるに違いない。

  「人が優しい」、「地域の人同士のつながりが強い」の他者評価で上位にランクインしている青森県、福島県、秋田県は、そのような他者評価がされているということを、積極的にPRしてみてはどうだろうか。「人が優しい」などは観光客を呼び込む際のPR材料としてうってつけである。

 「地域の人同士のつながりが強い」は、今国がその実現に向けて施策を立案している「地域共生社会」における重要な要素でもある。他者評価で上位にランクしているやはり青森県、秋田県、福島県の三県は、その強みを再認識し、その実際の姿について積極的に情報発信してみてはどうだろうか。「地方は末端ではなく、国の先端なり」と言ったのは元沖縄県読谷村長で現在参議院議員の山内徳信氏だが、「地域の人同士のつながりが強い」と他者から評価されているこれらの県は、まさに「国の先端」と言うべきだろう。

 五位以下の順位は調査サマリーでは記載がなく不明ではあるが、恐らくは東北の他の三県もこれらの項目についてはさほど順位が下ではないものと考えられる。自己評価と他者評価が一致しないということは、少なくとも東北に住む人自身は、きっとあまりに当たり前過ぎて、自分たちが「優しい」とか「つながりが強い」などとは思っていないということなのだろうが、自分たちの「強み」が何かということは、他の地域からの方がよく見えるものなのかもしれない。

 「その地域に居住している住民が主観的に自らの地域の元気度合い」を評価するという「地域元気指数」において東北の各県、各市町村が上位にランクインしないということは、東北に住む人自身が、自分たちの地域はそれほど元気でないと評価している表れであると言うこともできるが、一方でその自分たちの地域は「優しさ」や「つながり」において他地域から評価される存在であるということは大いに誇るべきことである。

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2019年02月16日

消えた道州制論議(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その113

 昨年12月16日に刊行された「東北復興」第79号では、「道州制」について取り上げた。今は昔の話となってしまった感があるが、10年ちょっと前、道州制導入を目指した取り組みが進んでいた時期があった。その現在までの動きについて振り返ってみた。以下がその全文である。


消えた道州制論議

道州制を巡るこれまでの動き
 首相の諮問機関である第28次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を公表したのは2006年2月のことであった。いわゆる「平成の大合併」で市町村合併が進展したことを踏まえ、また都道府県を越える広域行政課題が増加しているとの認識の下、地方分権改革の確かな担い手として道州を据えた。単に都道府県制度の改革に留まらず、「国のかたち」の見直しにかかわる改革と位置づけ、「国と地方双方の政府を再構築し、新しい政府像の確立を目指す」と謳った。基本的な制度設計としては、現在都道府県が実施している事務を大幅に市町村に移譲すると共に、国とりわけ地方支分部局が実施している事務をできる限り道州に移譲し、同時に適切な税源移譲を実施するものとしていた。その上で、「道州制の導入が適当」と結論していた。

 同じ年の9月には第一次安倍内閣で道州制担当大臣が配置され、3年以内に「道州制ビジョン」を策定するという方針が示され、翌2007年1月に政府の「道州制ビジョン懇談会」が設置された。4月には道州制特区推進法が施行されて、北海道に対して8つの事務が漸次移譲されることになった。同年6月には自民党の道州制調査会が「道州制に関する第2次中間報告」を公表し、その中で「導入時期は、今後8〜10年を目途」とすると明記した。翌2008年3月には「道州制ビジョン懇談会」が中間報告を公表し、「2018年までに道州制に完全移行」するとした。

 振り返ってみると、この時期が最も道州制に向けてのアクションが活発だったように思える。同じ2008年3月には経団連も「道州制の導入に向けた第2次提言」の「中間とりまとめ」を公表、7月には自民党の道州制推進本部が「道州制に関する第3次中間報告」を公表、11月には経団連が第2次提言の最終案を公表するなど、各方面の動きが活発だった。一連の動きからは、確かに近い将来道州制が実現するのではないかと感じられたのも事実である。

 潮目が変わったのは2009年の政権交代と2011年に発生した東日本大震災だったように思える。まず政権交代で政権を握った民主党は道州制導入には反対で、「道州制ビジョン懇談会」も解散された。新たに置かれた「地域主権戦略会議」では、「地域のことは地域に住む住民が決める」という趣旨から、都道府県ではなく市町村の権限強化が主たるテーマとなった。2011年に発生した東日本大震災の後には、道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念も出されるようになった。

 第3次安倍内閣以降は、道州制担当大臣は置かれず、代わって地方創生担当の内閣府特命担当大臣が置かれたが、少なくとも道州制に関して目立った動きは見られない。道州制そのものを扱う部門ではないが、民主党から政権を奪還した第2次安倍内閣の肝いりでつくられた地方分権改革推進本部も、設置された2013年には4回開催されたが、2016年、2017年は1回ずつの開催に留まっている。

 今年はまさに「道州制ビジョン懇談会」が中間報告で「道州制に完全移行」すると明記した2018年であるが、道州制に完全移行どころか、道州制に関するアクションがほとんど見られない年となっている。2012年に「道州制基本法案」の骨子案まで公表した自民党の道州制推進本部も、今年10月ひっそりと廃止された。

道州制に対する批判

 進まない理由は結局のところ、道州制に対する慎重なあるいは批判的な見方が根強いこと、そしてまた先の第28次地方制度調査会の答申に盛り込まれたように、道州制移行には不可欠と見られた事務や税源の移譲が進まないことの2点に集約されるように思われる。福井県知事の西川一誠氏は、2008年に「幻想としての道州制」を中央公論に寄稿している。タイトルで分かる通り、氏は道州制反対論者であるが、そこで指摘されていることは、今後道州制を考える上で重要なポイントがいくつも含まれているように見える。

 氏は、道州制論について、「全体としては理想主義の色彩を帯びていながらも、観念的な期待感に満ちあふれているだけの議論に終始している」として、その例として「経済の活性化については、道州制により区域が自立し、道州間の競争も生まれて、経済活動が盛んになるといった、前提条件を無視した『抽象論』。また、官僚制の弊害の除去については、中央官庁の権限を道州に大幅に委譲できるという極めて単純な『期待論』。行政改革については、ただちに規模の経済が動くという算術的な『効率論』。地方分権について言うと、導入を機に道州の条例制定権や課税自主権が抜本的に見直されるべきという『べき論』に留まっている」と批判している。確かに、道州制を導入するだけで同時に国からの権限移譲も進むという見方はあまりに楽観的に過ぎる。見かけは道州制、しかしその実単なる都道府県合併に過ぎないという形になる可能性も大いにある。そのような道州制では確かに意味はない。

 氏はまた、北海道と九州を比較する。北海道は道州の規模を持つが、北海道全体に占める札幌市の人口比は2005年で約33%、これに対して九州に占める福岡市の人口比は約10%であることを挙げ、「地域が県に分かれ、七つの県都がある九州では福岡市への集中は緩やかである。一方、広大な地域に県都が一つの北海道においては札幌市への集中が著しい」と指摘し、「道州制は結局、道州の中にミニ東京と周辺過疎を作り出すことになろう。それはブロック内の新たな集権化である」と主張している。これもまさにその通りである。東北が一つの州になるとしても州都を仙台にしてはいけない、というのが私の持論だが、それはまさにこうしたことを懸念してのことである。ただでさえ人口が多い仙台が州都になると、まさに札幌のように、一極集中を招くことになるに違いない。

 氏はまたこうも指摘する。「州都の道州首長が、何百キロメートルも離れた各地方の教育や福祉を、日頃の行政や選挙などを通じ、わがこととして理解するには大きな困難が伴う。このような組織を持った道州は、住民にとっても身近な自治体というよりほとんど国と同様な政体となる」。つまり、住民にとって道州は都道府県よりも遠い存在になると指摘しているわけである。こうした懸念があるからこそ、道州制は単なる都道府県合併であってはならないわけである。すなわち、これまで都道府県が担っていた業務を道州が担うのではなく、国が担っていた業務を道州が担い、都道府県が担っていた業務を市町村が担うというようにしていかなければならない。そうした体制が実現できれば、国より近い道州、都道府県より近い市町村ができる。まさにこの部分が道州制の肝であるように思う。

まずは連携の実績を積み重ねる
 権限移譲のない道州制にはさほど意味はないとすれば、その権限を手放そうとしない中央官庁を前にして、道州制を前に進めていくのはかなりの困難を伴うことは火を見るよりも明らかである。権限の委譲に関しては、「二重行政」の批判がつきまとう国の出先機関を廃止し、その業務を都道府県に移管するというのがその端緒となる。しかし、この国の出先機関の廃止についても2007年から延々議論されてきているものの、いまだにほとんど何の成果も上がっていない。今後もすんなり進むようには到底見えない。

 そしてまた問題だと感じるのは、道州制を含む地方分権に関する地方からの発信が、このところ少なすぎるのではないかということである。地方が声を上げないものを中央があえて取り上げることはないに違いない。かつてのように地方からもっと声を上げていかなければならない。それは、自治体にだけ任せていればよいのではなく、地方に住む我々一人ひとりが事あるごとに、あらゆる機会を捉えて声を上げていくことこそが求められる。

 とは言え、声を上げたからといって簡単に実現するものでないことは、これまでの経緯からも明らかである。ひと頃、道州制導入の旗振り役の一角であった経団連は、今年「広域連携」の推進を目指す方向に舵を切った。道州制導入が一足飛びに進まないことを見越してのことである。一見後退に見えるかもしれないが、このアプローチはありだと思う。まず連携できるところから連携して、実績を積み上げることでその先の議論を喚起するということも可能である。東北も、六県で一緒に取り組む機会を増やしていくこと、その中で自治体職員だけでなく、住民同士の交流も活発にしていくことをまずは目指していくのがよいのではないだろうか。そうした中できっと、「やはり同じ東北だ」と実感する機会は多くあるはずである。

 観光や災害時対応など、六県が一緒になることで大きなメリットが得られるテーマは数多くある。そうしたテーマを取っ掛かりにして、六県の連携をまずは進めていばよい。道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念があることを紹介したが、逆に仮にあの時六県の連携体制が確立していたならば、物資の輸送や人員の派遣などでより迅速な対応ができた可能性もある。よく言われることだが、普段できていないことは災害発生時にはできない。平時から、緊急事態発生時にも機能する連携体制を構築しておくべきである。

 道州制に関する動きが活発だった頃の、かなり以前の調査だが、財団法人経済広報センターによる「道州制に関する意識調査報告書」(2008年7月)でも、「道州制の議論を進めること」について「賛成」と答えた人の割合は、東北では43%と、九州・沖縄地方と並んで全国で最も高く、北海道が42%でそれに次いでいた。日本世論調査会の2006年12月の全国世論調査でも、道州制に「賛成」あるいは「どちらかといえば賛成」と答えた人の割合は北海道、東北、四国で多かった。東北を始め、北海道、四国、九州に共通しているのは、地域的に一体感があるということである。

 ここで特筆したいのは、北海道、四国、九州が海で他の地域と仕切られた地域であるのに対し、東北は本州の一部で他地域と陸続きであるにも関わらず一体感があるということである。東北の一体感というのは地理的につくられた一体感というよりは、文化的にあるいは心情的に醸成された一体感であると言えるのではないだろうか。これは東北にとっての何よりの宝であろうと思う。その宝を大事に活用していきたい。

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2019年02月15日

東北の大きな恵み「ホップ」(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その112

 昨年11月16日に発行された「東北復興」第78号では、ビールに欠かせない原料の一つである「ホップ」について取り上げた。このブログでも度々取り上げているが、国産のホップの約96%は東北産である。

 そのことはこれまであまり知られていなかったが、岩手県遠野市や秋田県横手市のように、この「ホップ」をまちづくりに積極的に活かす地域が出てきた。国産ホップを7割を使用しているキリンビールもこの動きを支援しており、官民一体となった取り組みが進んでいる。以下はその全文である。


東北の大きな恵み「ホップ」

秋こそビールのシーズン
 今年もビールのシーズンがやってきた。…と言うと、「ビールのシーズンは夏ではないのか」という意見が出るかもしれない。もちろん、暑い時に飲むビールの美味しさを以て夏をビールのシーズンとする意見にも相応の根拠はあるだろうが、こと原料の面から見てみると、ビールのシーズンは間違いなく秋である。

 ビールの醸造にはいろいろな原料が使われるが、欠かせない原料は麦芽とホップと酵母と水である。このうち、麦芽の原料である大麦は6月くらいに収穫される。一方のホップは8月くらいに収穫される。その年取れたこれらの原料を使ってそこからビールの仕込みを始めると、早くても出来上がるのは9月である。

 オクトーバーフェストなどビールの大きなイベントがこの時期に開催されるのも、その年の新しいビールのお披露目を兼ねていることにもよる。屋外で飲むビールは殊の外美味しいが、それがその年取れた原料を使って造った出来立てのビールであれば、美味しさはひとしおである。

東北産ホップによる地域づくり
 今年4月の第71号でも紹介したが、ビールづくりに欠かせない原料のうち、ホップは国内産の約96%が東北産であり、特に、岩手県、秋田県、山形県、青森県が主な産地である。ただ、シェアは依然高いのだが、ホップ農家の高齢化や後継者不足などにより、栽培面積は年々減少しており、昭和40年代に1,200haあった栽培面積は、平成22年には189haにまで減少している。それに伴い生産量も減少し、その傾向は近年も続いていたが、東北でも最大の生産量を誇る岩手県のデータを見てみると、昨年の生産量は116tと前年の101tより約15%増となり、回復の兆しが見えることは喜ばしいことである。

 第71号ではホップを地域づくりの資源として活用する動きについても取り上げたが、そうした結果、ホップ産地を自任する地域同士の競争も起きつつあるようである。これまでホップ生産量日本一の市町村は長らく岩手県遠野市であったが、昨年これを秋田県横手市が逆転し、「生産量日本一」の地であることを前面に出してPRを行っている。

 今年は遠野のホップを通じたまちづくりに着目して、8月25、26日に開催されたホップの収穫を祝うイベントである「遠野ホップ収穫祭」、10月20日に開催されたその年取れたホップで造ったビールを楽しむイベントである「フレッシュホップフェスト in 遠野」に参加したが、いずれも大いに盛り上がっていた。特に「フレッシュホップフェスト in 遠野」は、昨年までは「遠野産業まつり」の中の一イベントとして開催されていたが、今年は単独のイベントとして別の日程で開催された。そうしたことからもこの、ホップにかける地元の人たちの思いが伝わってきた。

 その折に紹介していただいたが、遠野には昨年2名の若者がホップ栽培を志して首都圏から移住した。横手にも同様の事例があるという。地元だけでなく、遠野や横手という地域、ホップという資源の魅力に惹かれて他の地域から名乗りを上げる人が出てくるのはとてもありがたいことである。とりわけ、昨今クラフトビールが注目を集めるにつれ、その風味や香りに決定的な影響を与えるホップにも関心が注がれている。東北が誇る、華やかな香りを特徴とするホップを作ってみたい、あるいはこのホップを使って独創的なビールを造ってみたい、という人がこれからもどんどん東北に集まってくるといいなと思う。

国内産ホップだからこそできる使い方
 こうした「ホップを通じたまちづくり」にCSV活動の一環として積極的に関与しているキリンビールが主催する「IBUKI BREWER'S MEETING」が今年も10月29日にキリンビール仙台工場で開催された。「IBUKI」というのは遠野や横手などでキリンビールとの契約で栽培されているホップの品種である。同じ東北でも、青森や岩手県北でサッポロビールとの契約で栽培されているホップは「ホクトエース」という別の品種である。ただ、国内全体の生産量のうち、キリンビールはその70.0%を買い入れており、次いでサッポロビールが24.1%、アサヒビールが5.6%、サントリーが1%未満と、国内産ホップに占めるキリンビールの存在は殊の外大きいと言える。

 キリンビールは東北で取れたこの「IBUKI」ホップを100%使ったビールを、毎年秋に「キリン一番搾りとれたてホップ」として限定発売している。そこには国産ホップならではの使い方がある。ホップという作物のうち、ビールに使用するのはその雌花だが、それは放っておくとどんどんしぼんで枯れてしまう。そこで普段は乾燥させて粉末にしたものをペレットと呼ばれる塊にして使用するのだが、乾燥のために熱を用いた時点でホップに含まれる数百と言われる香りの成分のいくつかは揮発してしまう。

 そこで、東北で取れたこの「IBUKI」ホップは収穫と同時に生のまますぐに急速冷凍され粉砕されるのである。こうすることで、新鮮なホップの香りをそのまま閉じ込めることが可能となる。ビール醸造時にはこの凍結・粉砕させたホップを使用するが、そうして出来上がったビールは普通のビールと比べて、非常に香り立つビールとなる。これは、普通の一番搾りと「一番搾りとれたてホップ」とを飲み比べてみると実によくわかる。鼻に抜ける香りが全然違う。こうした収穫して即冷凍という工程が取れるのも、国内で栽培しているホップだからこそで、輸入ホップで同じようなことをやろうとしてもコストの面からとても不可能とのことである。

 国産ホップというと、これまで華やかな香りなど卓越したメリットはあるものの、輸入ホップに比べた場合の価格の高さや安定数量の確保の難しさなど、使用する点で課題とされる面があったのだが、現地でそのよさをフルに活かした加工がしやすいといったメリットに着目することで、これまでにない価値を提供することができるようになったわけである。

ホップに関係する人たちが一堂に会する場
 第47号でも書いたが、キリンビールの偉いところは、この素晴らしい「IBUKI」ホップを自分のところだけで使うことをやめ、東北を中心としたクラフトビール醸造所にも卸すことにしたことである。これは英断といってもよいと思う。同業他社を競争相手として排除するのではなく、共にビールシーンを盛り上げる「協創」相手としてコラボレーションする方向に舵を切ったと見ることもできる。

 「IBUKI BREWER'S MEETING」はこのホップを中心に、生産者、醸造者、提供者、消費者が一堂に会して、「IBUKI」ホップをめぐる取り組みについて共有すると共に、今年取れた「IBUKI」ホップを使って東北のクラフトビール醸造所が腕を競って造ったビールを東北の郷土料理と一緒に味わう、というイベントで、昨年から開催されている。

 今回参加したのは、横手の大雄ホップ農協、遠野ホップ農協、江刺ホップ組合の方々、遠野でホップを通じたまちづくりを手掛ける「BEER EXPERIENCE」、横手でホップを通じたまちづくりを手掛ける「よこてホッププロジェクト」の方々、「いわて蔵ビール」を造る岩手県一関市の世嬉の一酒造、「遠野麦酒ZUMONA」を造る岩手県遠野市の上閉伊酒造、「あくらビール」を造る秋田市のあくら、「仙南クラフトビール」を造る宮城県角田市の加工連、「やくらいビール」を造る宮城県加美町の加美町振興公社、キリンビール系のクラフトビール醸造所であるスプリングバレーブルワリー、仙台市内でクラフトビールを提供する飲食店9店、そして我々のようなビール好きの消費者50名であった。

 このようなビールに関する様々な立場の人が一堂に会する場というのも貴重な場である。ビールのイベントに行けば醸造者とは会えるし、飲食店に行けば飲食店の店主には会える。ホップ畑を訪ねていけば生産者にも会えるかもしれない。しかし、そうした関係する人たちが同時に同じ場所に集って、ビールを飲みながら互いに話ができる機会というのは、考えてみれば今までなかったことである。

 私にとっても、東北のクラフトビールの造り手の方々や仙台市内の飲食店の方々とはお蔭様で顔見知りだが、ホップを作っている方々と直接お話をして、その込められた思いに触れるというのは本当に貴重な機会であった。しかも、つくづく感じたのは、「東北のホップで造ったビールは実にうまい!」ということであった。それはもちろん、東北のホップのよさ、それを最大限に引き出す使い方、ホップの作り手、ビールの造り手の思い、それらが見事に融合した結果の賜物であろう。

 会場では、東北のクラフトビール醸造所5社のビール、スプリングバレーブルワリーのビール、そしてキリンの「とれたてホップ一番搾り」の計7種類の「IBUKI」ホップを使ったビールが味わえたが、どれもそれぞれに個性がありながら、そのどれもがまた美味しかった。こうしたビールを味わえるのは同じ東北にいる者として、本当に嬉しいことである。個人的には、東北のホップ生産量がこれからも上昇に転じて、この素晴らしいホップを使ったビールが秋の一時期だけではなくて、年中飲めるようになれば、そのビールを目当てに各地から東北を訪れるビール好きも増え、まさにホップを通じた地域づくりにも弾みがつくのではないかと期待している。

「IBUKI」ホップを使ったビールを味わう方法
 さて、この「IBUKI」ホップを使ったビールを味わう最も簡単な方法はスーパーか酒屋で「一番搾りとれたてホップ」を缶か瓶で購入することだが、この時期東北の飲食店でキリンビールを扱っているところではこのビールを樽生で提供していることも多い。缶と瓶は全国で購入できるが、樽生で飲めるのは東北だけである。これまた貴重である。

 また、東北の地ビール醸造所が造った「IBUKI」ホップを使ったビールは、全国各地のビアバーなどで飲める。東北では、青森県弘前市にある「デギュスタ」、青森県十和田市にある「奥入瀬麦酒館」、岩手県遠野市にある「遠野醸造TAPROOM」、岩手県平泉町にある「ザ・ブリュワーズ平泉」、秋田県仙北市にある「田沢湖ビールレストラン」、仙台市にある「アンバーロンド」、「クラフトマン仙台」、「クラフトビアマーケット仙台国分町店」、宮城県加美町にある「レストランぶな林」などで味わえる。「IBUKI」ホップを使ったビールは「一番搾りとれたてホップ」も含めていずれも限定醸造であり、なくなり次第終了となる。「東北の恵み」である東北産ホップを使ったビール、ぜひ今のうちに味わってみていただきたい。


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2019年01月30日

東北には住みたくない?(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その111

 昨年10月16日に発行された「東北復興」第77号では、Jタウン研究所の「2018年版・都道府県別調査」のアンケート結果について取り上げた。宮城と福島を除く東北の4県が、軒並み最下位近辺にランクされるという結果だった。
 以下がその全文である。


東北には住みたくない?

 Jタウン研究所が「どの都道府県に住んでみたいですか?【2018年版・都道府県別調査】」と題したアンケート調査の結果を10月5日に公表した。この調査は今年の1月11日〜10月2日までの265日間実施したもので、全国の3,714人が回答した。なお、同研究所は2015年にも同様のアンケートを行っているが、その時の調査期間と今回の調査期間は異なっており、回答を寄せた人数も全く異なっているため、今回は前回の調査結果との比較はしないことにする。

住みたい都道府県の上位は
 今回の調査で、住んでみたい都道府県の第1位となったのは岡山県で、全体の6.6%に当たる245票を獲得してダントツの一位だった。次いで、第2位が沖縄県(188票、5.1%)、第3位が東京都(115票、3.1%)、第4位が北海道(109票、2.9%)第5位が同率で神奈川県と福岡県(107票、2.9%)という結果であった。

 岡山県の人気ぶりは、移住者の多さにも現れている。同研究所の記事の中でも紹介されているが、山陽新聞によると、16年度に県外から岡山県に移住した人は前年度比919人増の1845世帯、2773人であり、これは3年連続で増加しているとのことである。

 岡山県への移住が多い理由については、県内の各市町村窓口が転入者向けに行ったアンケートでは、「災害が少ない」や「気候が温暖」を挙げる回答が多かったという。また、特徴的なのは、県庁所在地である岡山市にだけ移住者が偏るのではなく、他の都市にも分散しているということである。転入者数は岡山市が396人で最も多いが、倉敷市にも307人、井原市にも217人が移住していることが明らかになっている。

 岡山県に次ぐ2位の沖縄県、3位の東京都、4位の北海道は、他の調査でもたいてい上位に顔を出す「常連」の都道府県である。5位には神奈川県と福岡県が同票数で並んでいるが、この両県はいずれも大都市を擁する県の強みが現れているように見える。

東北の4つの県が
 同研究所の記事では上位5つと下位5つの都道府県のみが紹介されているが、逆に住んでみたい都道府県のワーストを見てみると、第42位が和歌山県(22票、0.6%)、第43位が同率で青森県、岩手県、群馬県(19票、0.5%)、第46位が同率で秋田県と青森県(18票、0.5%)というものであった、下位5県の中に何と、東北の4県がランクインしているという残念な結果になっているのである。これはいったいどうしたことだろうか。

 同記事では、「沖縄県や北海道といった自然環境で強みを持ち県が人気を集める一方、都心からの近さや交通アクセスの便利が『住みたい』と思わせる大きな要因なのかもしれない」、「10位までには大阪府や埼玉県、千葉県もあることから、自身の就業状況を踏まえた現実的な考えから、大都市の近郊を選択した読者が多かったのかもしれない」と分析している。回答した3,714人の属性は不明なので、確かにこのように推測するほかはないのだろうし、この3,714人が統計的に日本全国の全人口の忠実なサンプルとなっているわけでもないので、あまり深刻に真に受ける必要もないのかもしれないが、少なくともとある集団が投票した中で、東北六県のうち4つもの県が下位に沈んだというのはやはりそれなりに気になる結果ではある。

福島県の奮闘ぶり
住みたい都道府県2018 残りの2県、宮城県と福島県であるが、記事中ではどこにランクインしているか不明だったので、得票数のデータを基に、全都道府県のランキングを表にしてみた。その結果、宮城県は京都府と並ぶ13位、福島県は新潟県、徳島県と並んで28位にランクインしていることが分かった。

 宮城県が上位にランクインしている理由は、その前後に京都府や兵庫県や愛知県や埼玉県、千葉県がランクインしているのと同じ理由であろう。すなわち、いずれも政令指定都市という大都市を擁する府県であるということである。

 福島県が28位に入っているのは、東北の他の4県が最下位周辺にある中で健闘と言ってよいのではないかと思う。そして、この結果からは、少なくとも今回投票した3,714人の中では、という限定付きではあるが、「住みたい」都道府県を考えた場合に、福島県に対するネガティブな見方は概ね解消していることが窺える。

 言わずもがなのことだが、東日本大震災に伴う福島第一原発事故の負の影響に福島県はこれまで嫌と言うほど苦しめられてきた。その影響はもちろん今も色濃く残ってはいるが、今回の調査結果からはその負の影響がそれほど大きくなくなってきているように見える。これは朗報に違いない。

 もちろん、現在でも福島第一原発の立地していた大熊町、双葉町は依然帰還困難区域である。避難指示が解除された自治体でも住民の帰還が思うように進んでいない現実も厳然としてある。にもかかわらず、福島県に「住みたい」と推す票は、全都道府県の中で中位にあるのである。東北の4県が下位に沈んだのは残念だったが、この福島県のことだけは今回の調査でよかったと言えることである。

 では、何が福島県と他の4県の間を分けたのか。もちろん、福島県は東北では最南端で、関東地方に接していて、東北の中でも首都圏と最も近い距離にあるという「地の利」はあるに違いない。しかし、それだけで原発事故による負のイメージを乗り越えることは不可能だったに違いない。福島県にあったのは、これ以上ない危機意識とそれに基づく具体的なアクションだったのだろう。「まちおこし」どころか「まちのこし」から始めなければならなかった震災後。福島県の人たちは自分たちの故郷を残すために必死の努力をした。そしてそのことを全国に向けて一生懸命発信した。良くも悪くも福島県は震災後注目を集めたが、それはそれだけたくさんの情報が全国に向けて発信されたということでもある。故郷のために粉骨砕身の努力を続ける現地の人々、海の幸、山の幸の豊富な恵み、変化に富んだ豊かな自然、そうした情報が他の都道府県に比べて多く発信されたことによって他地域の人たちの福島県に対する親近感が増し、それが「住みたい」という票の上積みにつながったのではないかと思われるのである。

岡山県の取り組みに学ぶ
 岡山県の取り組みも参考になる。岡山県への移住者の多さは決して、「自然災害が少ない」といった理由から来るだけではない。岡山県はもちろん、岡山市、和気町など県内の自治体のサイトでも移住・定住支援のページがかなり充実している。岡山県は東京都内のみならず大阪市内にも「IJU(いじゅう)アドバイザー」という専門の相談員を常駐させ、岡山県内への移住を検討している人に対してフェイストゥフェイスで相談に乗っている。移住・定住に関するイベントも定期的に開催している。このことに象徴されるように、力の入れ具合が他の都道府県に比べて際立っているように見える。

 そして、先ほども少し紹介したが、岡山県への移住は決して都市部だけで進んでいるのではない。これもすごいところである。例えば山陰地方との境にある山あいの村、西粟倉村などは既に人口の約1割が全国各地からやってきた移住者とその家族で、それによって子どもの数が増えてきているという。

 同村では、周辺自治体との合併をしない選択をし、面積の約95%を占める森林を「誇れる財産」と位置付けて、森に興味を持つ人の移住を募った。移住者の多くは村内で起業し、地域内にお金を落とす仕組みも回り始めた。そのような情報を全国に発信することでさらに移住を希望する人に訴求するという循環もできてきた。

 このような取り組みは、同様の山間地を多く抱える東北各県でも大いに参考にできるのではないかと思われる。この連載で何度も触れてきたことであるが、やはり基本は自分たちの地域の強みは何か、魅力は何か、を探し、見つけ、磨いて、それを果敢に発信していくことである。

移住・定住促進に向けた県の役割の大きさ
 加えて、県の役割も重要であると思われる。岡山県では自らを、県全体で降水量が少なく日照時間が長いことから「晴れの国おかやま」と呼び、それに則って上手にイメージづくりをしている。その「晴れの国おかやま」の下で、それぞれの市町村が特色ある魅力をPRしているという構図である。移住・定住促進を考える際に、個々の市町村の取り組みだけではなく、都道府県が統一された全体のイメージをつくっていくことが求められる。

 もちろん、東北各県は自然環境の豊かな土地柄ではあるが、それだけにイメージをつくるといった場合にも、そのことに頼り過ぎるきらいがある。それはそれとして当然PRしていく必要はあるが、それ以外の魅力をPRすることが必要である。

 例えば、秋田県はよく知られていることだが、小中学校の全国学力テストで1位も含め上位にランクインする常連県である。17年度の調査では小中学生の自己肯定率も全国一高い。また、刑法犯認知件数や重要犯罪認知件数、性犯罪認知件数などはいずれも全都道府県中最も低い。こうしたことから、秋田県は安心して子育てができる、しかも子どもの学力を伸ばせる県だとPRすることもできよう。このように、様々なデータから、他の都道府県にない魅力を抽出することはまだまだ可能なはずである。

 その意味で言うと、東北六県の中で一番心配なのは、実は宮城県である。今回のランキングでも上位にランクインし、実際、震災後東北各県からの移住が増えて仙台圏を中心に人口が増加している。それだけに、東北の他県よりも危機感が薄いのではないかと危惧されるのである。そしてまた、宮城県の弱みは仙台市の知名度頼みの部分が大きいということである。仙台市を除いて考えた場合に宮城県にどんな魅力があるのか、今のうちにもっと真剣に考えた方がよい。そして、仙台市なしでも宮城県の他にない魅力をPRしていけるよう、今のうちから準備しておくべきである。

 当然ながら、宮城県も手をこまねいて見ているわけではない。宮城県でも東京都内にみやぎ移住サポートセンターを設置し、移住を検討している人の相談に乗っている。県のサイトでは、県内各市町村の該当ページにもリンクも張っている。移住・定住推進広報パンフレットや移住定住支援ハンドブックも作成している。ただ、そのキャッチフレーズが、「すべてに『ちょうどいい』と感じられる」いうことでの「ちょうどいい、宮城県。」ではインパクトに欠ける感がある。もちろん、情報発信はやりながら、反応を見ながらブラッシュアップしていくべきものであるわけで、今後に期待である。

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2018年12月28日

世界遺産だけじゃない!ならどこへ行く?平泉観光の穴場スポット(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その110

 9月16日に刊行された「東北復興」第76号では、平泉観光の穴場スポットについて取り上げた。今年は「東北復興」紙でも、このブログでも、東北の旅行ガイドを請け負っている「LINEトラベル.jp」でも、「平泉は世界遺産だけの町にあらず!」という観点から記事を書いているが、第76号ではその中でも特におススメのスポットについて解説してみた。以下がその全文である。


世界遺産だけじゃない!ならどこへ行く?平泉観光の穴場スポット

 ここの連載でも、自分のブログでも、「平泉は世界遺産だけの町じゃない!」ということを再三に亘って主張している。「ほら、ここにも、ここにもあるよ」と紹介した私の「世界遺産以外の平泉オススメスポットマップ」には、現在67箇所ものオススメスポットが記載されている。
 これだけ多いと、「平泉は世界遺産だけの町じゃない!」ということはしっかり示せているとしても、実際にどこに行けばよいのかかえって分かりにくいかもしれない。そこで今回は、その中でも特にオススメの場所を紹介したいと思う。私のオススメは「鎮守社」と「月山」である。

9つある平泉の鎮守社
 鎮守社というのは、その都市を守護する役割を持った神社のことである。通常、国府所在地にしかなかった鎮守社が平泉にあったということは、平泉が国府所在地と同クラスの都市であった証左でもある。その平泉の鎮守社について、鎌倉幕府の公文書「吾妻鏡」には、中央に惣社(そうじゃ)、東方に日吉(ひよし)、白山(はくさん)の両社、南方に祇園(ぎおん)社、王子(おうじ)諸社、西方に北野天神(きたのてんじん)、金峯山(きんぷせん)、北方に今熊野(いまくまの)、稲荷(いなり)等の社があったと記されている。少なくとも平泉には、中央に1つ、東西南北に2つずつ、合計9つの鎮守社があったことが分かる。

 これらの鎮守社があった場所を順に紹介していこう。まず、東方鎮守の日吉社と白山社である。平泉駅を出て二つ目の信号、「毛越寺口」の交差点を右に曲がって県道300号線を300mほど北に行くと、右手に白山妙理堂(はくさんみょうりどう)という古いお堂がある。これがかつての東方の鎮守、日吉社と白山社である。以前はこれら両社が並び立っていたらしいが、現在はその名の通り白山社のみである。周辺の低地はかつてあった「鈴沢の池」という池の跡である。

 続いて、南方鎮守の祇園社と王子諸社である。平泉駅から白山妙理堂に向かった「毛越寺口」交差点を逆に左に曲がって県道300号線を南に1.2kmほど行くと、右手に八坂神社(やさかじんじゃ)がある。この八坂神社があるのは平泉町の祇園地区であるが、実は、この八坂神社が明治時代以前までは祇園宮と呼ばれていた、かつての南方の鎮守社、祇園社である。疫病退散の神として信仰されてきたそうである。

 県道300号線を挟んで八坂神社の向かいに細い路地がある。その路地を80mほど進むと、左手に「王子社跡」という案内板がある。現在はただ小さな祠が2つ残っているだけですが、ここがかつての王子諸社である。2つの祠のうち、大きめの方の祠には木製の神像が祀られているのが外からも見える。

 西方鎮守の北野天神には、平泉駅を背に真っすぐ、毛越寺に向かう県道31号線を行く。毛越寺を通り過ぎて、上を東北自動車道が走るガードをくぐって160mほど行った、駅からだと1.3kmくらい来たところにあるT字路を右に曲がる。そこから300mほど登り坂の道を行くと、正面に長い階段が見えてくる。ここがかつての西方の鎮守社、北野天神社である。歩いて1分弱ほど階段を登っていくと、社殿がある。

 もう一つの金峯山については、世界遺産の一つである金鶏山が金峰山になぞらえていたようである。その山麓に金峯山社があったとされているが、それが平泉文化遺産センターの南側にある花立廃寺跡だと言われている。県道31号線を毛越寺の手前にある観自在王院の角を右に曲がって650mほど坂を登っていくと平泉文化遺産センターがあるが、センターの南側に芝生の公園があって、その一画に石で建物跡が示された花立廃寺跡がある。

 北方鎮守については、この平泉文化遺産センターの向かいに熊野三社という神社がある。これがかつての北方の鎮守社、今熊野社である。かつては今熊野社に加え、子守社と勝手社という末社もあったそうであるが、それらが合祀されて現在の熊野三社となった。

 もう一つの稲荷社だが、実は場所が特定されていない。どこにあったのか話題になることもないようだが、江戸時代の文書などを調べてみると、隆蔵寺というお寺が別当を務める西方鎮守の稲荷社が確かに存在していたことが分かる。ただ、その隆蔵寺は明治になって火災で焼失してしまっている。恐らくその時に、近くにあった稲荷社も一緒に失われてしまったものと考えられる。

 この隆蔵寺のあった場所は分かっている。先ほど北野天神に行ったT字路のもう一つ手前のT字路、東北自動車道のガード下からは90mほどのところを右に曲がって300mほど坂を登っていくと、毛越地区の公葬地(共同墓地)がある。その下には一面に田んぼが広がっているが、この田んぼの一画に隆蔵寺があったとのことである。従って、稲荷社もこの田んぼのどこかにあったのだろう。

 最後に中央の惣社である。惣社というのは、その地域の神をすべて合祀した神社のことだが、実はこの惣社があった場所も分かっていない。いくつかの説があって、今のところ最も有力と思われるのが、金峯山社があった場所に惣社もあったというものである。ただ、金峯山社が惣社も兼ねていたというのではなく、同じ敷地に金峯山社と惣社が併設されていたのではないかと考えられる。金峯山社と見なされている花立廃寺跡の北に隣接する平泉文化遺産センターの玄関付近から、かつて礎石建物跡が出土しているので、それがあるいは惣社跡だったのではないかと推測できる。

 以上が9つの鎮守社である。先ほど江戸時代の文書に稲荷社が西方鎮守として記載されていると書いたが、位置関係から考えてみても、最初に紹介した吾妻鏡にある「西方」の金峯山社と「北方」の稲荷社は、方角が取り違えられている可能性が高い。実際には、北方の今熊野(熊野三社)の向かいにある金峯山社(花立廃寺跡)は西方ではなく北方の鎮守、西方の北野天神の近くにあった稲荷社は北方ではなく西方の鎮守であったのだろうと考えられる。
 これら9つの鎮守社のうち、白山妙理堂、八坂神社、王子社跡、北野天神社、花立廃寺跡は、「見ルベキモノアリ」として国の特別史跡にも指定されている。それぞれに風情のある場所であり、もっともっと知られてほしいスポットである。なお、鎮守社については、前述のマップと別に、「平泉の鎮守社(五方鎮守)マップ」を作成したので、そちらを参照していただきたい。

中尊寺の奥の院・月山
 もう一つのオススメスポットは月山である。と言っても、出羽三山の一つ、夏スキーで有名な山形の月山ではない。中尊寺のある丘陵と衣川を挟んだ向かいにも月山という名前の山があるのである。厳密には平泉ではなく隣の奥州市衣川区であるが、標高120mという小さな山ながら、円錐形のキレイな形をした山である。古来、霊峰として崇敬されており、中尊寺や毛越寺を開山したと伝わる慈覚大師円仁が勧請したという月山神社が山頂に鎮座している。奥州藤原氏初代の清衡が再興し、かつては毎年正月に中尊寺の僧が参拝し、中尊寺の奥の院として栄えたとも伝えられている。

 その月山神社を始め、麓には三峯神社、月山神社へ向かう参道の脇には荒沢神社、月山神社と同じ山頂には和我叡登挙神社と、この小さな山に4つもの神社が祀られている。他に月山神社と三峯神社と荒沢神社には境内社もあり、まさに神の山であることを実感する。

 三峯神社は源頼義、義家が前九年の役で安倍氏に苦戦していた折、日本武尊が東夷征討に際して武州三峰山に登って諾冊二尊を奉祀したという故事にあやかって陣中で諾冊二尊を奉祀し、安倍氏を討った後に祠を立てたというのが事の起こりで、その後、江戸時代の享保元年に秩父にある三峰神社から改めて分霊が勧請されたそうである。一つの山に奥州藤原氏に関係する神社とその敵役となった源氏に関係する神社が共に祀られているというのも興味深いことである。

 山頂の月山神社に向かう道は二つあり、一つは山の東側にあるこの三峯神社の境内を通って登っていく道、もう一つは山の北側にある鳥居をくぐって階段を登っていく道で、後者の方が本来の参道なのだろう。この鳥居の脇にある階段を少し登ったところにある荒沢神社は、かつて月山神社が女人禁制だったことと関係しており、この荒沢神社は女性でも参拝できたということである。

 そして、何より興味深いのは和我叡登挙神社である。月山の山頂にはどちらの道を行ってもおよそ10分もあればたどり着くが、山頂にある鳥居をくぐると正面に月山神社、右手に境内社がある。正面の月山神社を参拝したら「あとは下っていくか」と思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。鳥居の正面にあるのは拝殿だが、その拝殿を回り込んで後方に行くと、月山神社の本殿があるのである。そして、その本殿の前には何気なく巨石があるが、この巨石こそが和我叡登挙神社である。東北の土着の神と言われる荒覇吐(あらはばき、荒吐(あらばき)とも)の神を祀っている。東北で拝殿を持たない巨石を祀った神社は概ね荒覇吐神を祀ったもので、同じ衣川区にある磐(いわ)神社、花巻市東和町にある丹内山(たんないさん)神社などがその代表例である。これらの神社も和我叡登挙神社と同様に拝殿がなく、巨石をご神体として祀っている。

 中尊寺の奥の院として栄えた月山神社と同じ敷地に荒覇吐神を祀った神社があることも極めて興味深い。奥州藤原氏の仏教文化が、実は東北古来の神とも結びついていたことを物語っているとも言える。

 先ほど、山頂に向かう道は2つあると書いたが、せっかくなので登りと下りとで違う道を通ってみるのがよい。三峯神社経由の道の途中には、眼下に衣川や北上川を見下ろせる展望スポットもある。月山とそこにある神社の場所については、先述の「世界遺産以外の平泉オススメスポットマップ」を参考にしていただきたい。


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2018年12月20日

「ファンクラブ」活用のススメ(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その109

 毎度連載している「東北復興」の、5月16日発行の第72号から8月16日発行の第75号までの4回は、東北にあるさまざまなファンクラブについて取り上げてみた。
 私自身、会津ファンクラブや奥会津ファンクラブに入会しているが、会津ファンクラブから届く会報や年一回のファンクラブの集い、奥会津ファンクラブから毎年届く「奥会津歳時記カレンダー」はいつも楽しみである。東北には私が調べた限り、以下のようなファンクラブが存在するが、活用しない手はないと思う。見てみて、面白そうと思うものがあったらまず入会してみることをおススメしたい。
 以下がその全文である。全4回、一挙公開である。(笑)


「ファンクラブ」活用のススメ 訴‥膰編

地域にもあるファンクラブ
 どこかに旅行することが決まった時、旅行先の風光明媚なスポット、美味しい料理が食べられるお店、地域の名産品といった情報について、ガイドブックやインタ―ネット等を使って調べてみることは多いと思われる。
 そうした情報に加えてぜひ調べてみてもらいたいのが、「ファンクラブ」についての情報である。ここ東北にも、各地域に様々なファンクラブが存在している。それらのファンクラブは概ね、その地域に関心があったりその地域がお気に入りだったりする人なら誰でも入会でき、入会金や年会費は無料である場合が多く、かつ会員向けに様々な「特典」が用意されている。
 「特典」の代表的なものとしては、各種施設の入場料の割引、地域内の飲食店を利用した場合の割引や優待サービスの提供、関連イベントの開催、地元の情報が盛り込まれた会報の送付などであるが、こうした地域のファンクラブを有効活用することで、旅行がさらにお得に充実したものとなったり、好きな地域への愛着や理解がより深まったりする可能性がある。ぜひ一度、これから行こうとしている地域やお気に入りの地域にファンクラブがないかどうか、調べてみてほしい。
 ここ東北にも様々なファンクラブが存在する。それらを4回に亘って順次紹介していきたい。今回は福島県である。

ふくしまファンクラブ
 福島県が運営する「ふくしまファンクラブ」は、福島県がふるさとの人や福島県に愛着を持っている人など誰でも入会できるファンクラブである。入会費、年会費は無料で、‐霾麕載のファンクラブ会報が年4回届く、⊇椶幣霾鵑鬟瓠璽襯泪ジンで配信、8内外130の施設・店舗で会員証を提示して割引やサービスを受けられる、じ外開催の福島関連イベント情報が届く、などの会員特典がある。

会津ファンクラブ
 会津若松観光ビューローが運営する「会津ファンクラブ」は、会津が好きな人なら誰でも加入できる、会津をこよなく愛する人のためのファンクラブである。やはり入会金、年会費は無料で、_馗鼎量ノ肋霾麕載の会報誌が年数回届く、会員特製カードを進呈、L50の協賛店舗や施設で割引などの優待サービスが受けられる、げ駟鷸鐺發硫餔限定プレゼントに応募できる、ゲ馗泥侫.鵐ラブ公式フェイスブックにて情報発信といった会員特典がある。
 また、「会津ファンクラブ」では、年に1回「会津ファンの集い」というファンクラブ会員を対象としたイベントを現地で開催している。会津若松市は「産業観光」にも力を入れているが、「会津ファンの集い」でもそうした姿勢を反映して、蔵元の見学や日本酒の仕込みの体験、会津木綿の工場見学、ダムの視察など、様々なイベントが企画される。仕込んだ日本酒は完成後、専用のラベルが貼られて各会員の元に送られてくるなど、手が込んでいる。会津の郷土料理や地酒を楽しみながらの交流会も開催され、会津が好きな者同士、大いに盛り上がる。

奥会津ファンクラブ

 会津地域は全国第3位の面積を誇る福島県のうちの4割を占める広大な地域であるが、会津若松から西の山あいには、奥会津と呼ばれる四季折々の美しい自然を満喫できる地域がある。この奥会津を流れる只見川は全国屈指の水力発電の川として知られるが、只見川電源流域振興協議会が運営する「奥会津ファンクラブ」は、「奥会津を応援したい!!」という人であれば誰でも入会できるファンクラブである。入会費、年会費は無料で、’1回奥会津の四季折々の風景写真が載った「奥会津歳時記カレンダー」が届く、奥会津の旬な情報が載ったメールマガジンが月1〜2回届く、という会員特典がある。メールマガジンは、有料とはなるが冊子での送付も可となっている。
 「奥会津ファンクラブ」で特筆すべきは、この「奥会津歳時記カレンダー」である。奥会津を知り尽くした郷土写真家の星賢孝氏が撮影した奥会津の四季とそこを走るJR只見線の写真が32ページにわたって掲載されているもので、写真の美しさから毎年欠かさず購入するというファンも多いカレンダーである。買えば540円するこのカレンダーが、会員には毎年無料で送られてくるというのも、奥会津ファンクラブの魅力となっている。

喜多方グリーン・ツーリズムファンクラブ「るーらるきたかた」

 会津地域では他に、ラーメンと蔵で有名な喜多方市の喜多方市グリーン・ツーリズムサポートセンターが運営する「喜多方グリーン・ツーリズムファンクラブ『るーらるきたかた』」がある。喜多方が好きな人なら誰でも参加できるファンクラブで、やはり入会金、年会費は無料、入会特典として古代文字名前入りオリジナル会員証(缶バッジ製)が届く。会員特典として、‐霾麕載のメールマガジンが定期的に届くほか、東北最大規模の三ノ倉高原のひまわり畑のひまわり1本のオーナーになれる、という珍しい特典がある。

こおりやまファンクラブ
 「こおりやまファンクラブ」は、郡山市が運営している、郡山市外に住む人を対象に郡山をPRしてもらうことを目的としたファンクラブである。入会費、年会費無料。会員特典は、〃柑鎧堝發鮹羶瓦箸垢詭80の店舗や施設で割引などの優待サービスが受けられる、▲侫.鵐ラブ会報にて、観光、食、イベントなどの情報が届く、7柑海隆儻情報メールマガジンが配信される、づ豕都内を始めとした県外での物産展の情報が届く、である。

天栄村サポーター会員

 天栄村サポーター会員は、天栄村観光協会が運営する「天栄村を支える応援団」の位置付けである。毎年先着500名、年会費3,000円で、特典として4,000円相当の天栄村特産品が送られてくる他、宿泊施設料金が10%割引になるなどの特典付き会員証が進呈される。

福島フードファンクラブ「チームふくしまプライド。」
 「チームふくしまプライド。」は、復興庁が支援し、(一社)東の食の会と(株)エフライフが運営する、「誇りを持った生産者と彼らを応援する人々が集う福島の食のファンクラブ」である。入会費、年会費は無料。会員特典は、\源瑳圓らの直送の商品が会員の中から抽選で当たる毎月開催のプレゼント特典、∪源瑳圓判舒えるツアーに優先して参加できる、旬の食材の情報など、福島の食に関する様々な情報が優先して届く、である。

うつくしま農林水産ファンクラブ

 福島県が運営する、県産農林水産物の良さを広くPRするためのファンクラブが、「うつくしま農林水産ファンクラブ」である。県内に居住するか勤務している人、事業所が対象。入会金、年会費無料。|了の署名が入った「うつくしま農林水産ファンクラブ」会員の「会員証」を発行、∋業所ファンクラブ会員には地産地消推進の取組みを多くの方々に周知・広報できるようPR資材を提供、会員活動の円滑な推進や相互の連携を支援するため情報交換の場を提供、ぁ屬Δ弔しま農林水産ファンクラブ通信」をはじめ地域のイベントやお知らせなどの情報を提供、ゥ侫.鵐ラブ会員の活動を会員本人の了解を得て福島県農林水産部の地産地消ホームページ等で広く紹介、といった会員特典がある。

福島県観光物産館ファンクラブ

 「福島県観光物産館ファンクラブ」は、福島県観光物産館を運営する(公財)福島県観光物産交流協会によるファンクラブである。入会費、年会費無料。入会特典として、県産ジュース「桃の恵み」1本プレゼントされる他、.侫.鵐ラブポイントカードによる割引(福島県観光物産館での買い物の際、1,000円毎に1ポイント押印、20ポイントで500円割引、発行日より1年間有効)、▲ぅ戰鵐箸覆品‥膰観光物産館情報のメール発信、2餔向けに開催する「ファンクラブ交流会」に参加できる、といった会員特典がある。

野岩鉄道ファンクラブ
 栃木県の鬼怒川温泉近くの新藤原駅と会津高原尾瀬口駅を結ぶ野岩(やがん)鉄道が運営する、野岩鉄道に興味を持ち、利用する人のためのファンクラブが、「野岩鉄道ファンクラブ」である。入会金、年会費無料。入会特典として会員限定缶バッジがプレゼントされる。会員特典として、会員証を提示することによって、接続する会津鉄道の沿線にある店舗、施設で優待サービスが受けられる。

SLばんえつ物語ファンクラブ

 「SLばんえつ物語ファンクラブ」は、JR東日本新潟支社が運営する、「SLばんえつ物語」号に乗る人のためのファンクラブである。入会金、年会費無料。(卞撮渦鷯莠嵋茲鵬,気譴SL乗車スタンプの数に応じてSLオリジナルグッズがプレゼントされる、▲瓮鵐弌璽坤ードでSL車内で販売している「SLばんえつ物語」グッズ(ミニプレート、光るキーホルダー)が10%引きで購入できる、が会員特典である。

福島空港ファンクラブ

 「福島空港ファンクラブ」は、福島県が運営する、「福島空港を応援したい!」という人のためのファンクラブである。住んでいる地域に関わらず誰でも入会できる。入会金、年会費無料。(‥膰内外の協賛店で特典サービスが受けられる、▲瓠璽襯泪ジンで福島空港や就航先などについての情報が届く、という会員特典がある。


「ファンクラブ」活用のススメ◆禅楙觚編

気仙沼ファンクラブ

 東北にあるファンクラブの第2回、今回は宮城県のファンクラブについて紹介しようと思う。まず紹介したいのは沿岸北部にある気仙沼市が運営している「気仙沼ファンクラブ」である。市外に住む気仙沼ファンの人が対象で、「気仙沼を応援したいという気持ち」が入会条件となっている。
 会員特典はまず、「会員番号を刻んだ世界に一つだけのオリジナル会員証」である。これは、気仙沼のゆるキャラ「ホヤぼーや」をモチーフにして市民有志が手作りした会員証で、震災が発生した平成23年3月11日時点の気仙沼市の人口74,247人の次の人数である74,248人目からの会員番号が刻印されており、会員が「準」市民であることを示している。また、気仙沼の旬な情報を発信する「気仙沼ファンクラブ通信」もメールで配信している。復興の様子や地元民しか知らない気仙沼の魅力などの情報を発信しているが、会員からの質問やリクエストにも応えてくれる。
 気仙沼市役所の産業部観光課の窓口で会員証を提示すると、「特製ホヤぼーやストラップ」ももらえる他、市内の飲食店での飲食や物販店などでの買い物の際に会員証を提示することにより様々な特典が受けられる。入会金・年会費は無料である。

伊達なわたりファンクラブ

 沿岸南部の亘理町にある亘理町観光協会が運営するファンクラブである。年会費は10,000円掛かるが、入会すると入会プレゼントとファンクラブ加盟店で使える会員証、亘理町の見どころが全て分かる観光ガイドブックが送られてくる他、年2回亘理町の旬の特産品が届き、亘理町の最新の観光情報のダイレクトメールも届くといった会員特典がある。

七ヶ宿ファンクラブ

 内陸南部にある七ヶ宿町の株式会社七ヶ宿くらし研究所が運営するファンクラブである。ー轡宿町が好きな人、町内外に関わらず七ヶ宿町を楽しく応援したい人、七ヶ宿町との交流を大切にしたい人を対象に、まちづくりのサポーターとなって地域行事やイベントを一緒に盛り上げてくれる人を募集している。入会費500円、年会費は個人1,000円、団体10,000円で、町民、町内の団体・企業は無料である。
 会員特典としては、ファンクラブ会員向けイベントへの参加、イベント情報などのいち早いお知らせ、会員限定グッズのプレゼント、裏メニュー的な「なおらい」(神社のお祭りの最後にお供えした食べ物やお酒を参加者皆でいただく行事)等への参加、となっている。

里浜貝塚ファンクラブ

 奥松島縄文村歴史資料館が運営するファンクラブ。「縄文村で遊ぼう!」を合言葉に、会員には縄文村の「村びと」になってもらって、「縄文村」という「村=自治体」を、村びと全員参加型の村政で盛り上げていくという趣旨で会員が気軽にイベントに参加し、縄文村を楽しむことを最大の目標にしている。
 「村びと」になるには一世帯につき、年会費(村民税)500円を払う。一世帯何人でも金額は変わらない。「村びと」になって縄文村発行の会員証を提示すると、一年を通して入館料が無料になる他、イベントの様子や縄文コラムなど縄文村の情報が詰まった「村報 縄文村」が季刊で届く。

松島ファンクラブ

 日本三景の一つ松島を擁する松島町が運営するファンクラブである。松島が好きな人なら誰でも入会できるので、町民も入会できる。年会費は無料で、会員特典は、観瀾亭・福浦橋への無料入場、協賛店でのお得な会員サービス、である。

田の浦ファンクラブ
 NPO法人田の浦ファンクラブが運営するファンクラブ。同法人は「南三陸町歌津地区田の浦において、東日本大震災で被災した地域の再生、コミュニティの再生、生業の再生等まちづくりの推進を目指し、田の浦の歴史、生活文化、生業、自然環境、人財などの地域資源を活かし、つながりを創造し、地域の未来を育むことを目的とする団体」である。
 田の浦ファンクラブは〜換顱∩汗こΔ療弔留坤侫.鵝支援者、田の浦の現地でまちづくり活動を推進する地元の人間で構成された「田の浦チーム」、田の浦チームをサポートする他のNPO法人で構成されている。
 年会費は正会員6,000円、賛助会員は一口3,000円となっている。義援金付き書籍「宮城県南三陸町 田の浦漁師が伝える海と人との暮らしかた」(1,000円)や購入すると賛助会員として登録される「3.11Tanoura(3.11田の浦の記憶)」(500円)などの書籍も刊行されている。

宝の都(くに)・大崎ファンクラブ

 県中央部にある米どころ大崎市が運営するファンクラブである。寄附金額5,000円以上で会員登録され、会員証が発行される他、会員特典として、「広報おおさき」の1年間送付、温泉の無料入浴券(ペア)、市内施設の入場無料券 (ペア)のいずれか1つを選べる。

フィッシャーマン・ジャパン公式ファンクラブ「CLUB MERMAN」
 一般社団法人フィッシャーマンジャパンが運営するファンクラブ。同法人は「漁師とともに漁業を創る」をモットーに、三陸で活躍する若い漁師たちを中心に、未来の世代が憧れる水産業の形を目指している。「CLUB MERMAN」はその活動をサポートするための会員制度である。
 会員制度は、特典の内容に応じた4つのプランと無料会員プランから選ぶことができる。レギュラー会員は年会費5,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン1,000円分、ECクーポン500円分、会員限定バッジ、限定イベント、会報年1回が特典。シルバー会員は年会費15,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン3,000円分、ECクーポン2,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年1回5,000円分、公式牡蠣むきナイフが特典。ゴールド会員は年会費30,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン10,000円分、ECクーポン5,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年1回5,000円分、公式牡蠣むきナイフ、オリジナルTシャツが特典。プラチナ会員は年会費100,000円で、会員カード、魚谷屋クーポン20,000円分、ECクーポン10,000円分、会員限定バッジか会員限定エコバッグどちらか1つ、限定イベント、会報年1回、商品開発会議参加権、魚介セット年4回5,000円分、公式牡蠣むきナイフ、オリジナルTシャツ、名刺、魚谷屋スペシャル特典、漁師体験ツアー招待、年度事業報告会招待が特典となる。無料会員は、クーポンをはじめ、お得な情報が載ったメールマガジンが届く。

南三陸応縁団
 一般社団法人南三陸町観光協会が南三陸町からの委託を受け、運営する事業である。今までの「支援」から「協働」へ、そして「交流」への発展を目指し、支援者と町民をつなぐ架け橋となって様々な「ご縁」を育む交流プロジェクトである。団員特典としては、ウェブサイトとメールマガジンによる団員向けの南三陸町情報の発信、応縁団員を対象とした交流イベントの開催、農業や漁業の「おでって」(お手伝い、ボランティア)、限定ツアーや団員限定のポイントカードなど団員限定コンテンツへの参加、などがある。

さとうみファンクラブ

 南三陸町歌津にある一般社団法人さとうみファームが運営するファンクラブ。同法人では、羊の飼育を手掛けており、「育てること、食べること、活かすこと。『共生』を体験する牧場」を目指している。ファンクラブは、運営方針に賛同する人、南三陸の地域活性化を応援したい人が対象で、年会費は2,000円、会員特典としては、季刊誌「さとうみ通信」による活動報告、各種イベントへの招待などがある。

東北復興支援プロジェクト「希望の環」サポーター
 「希望の環」は、一般社団法人希望の環が運営する、生産者同士、小売店、消費者、その他支援者との東北復興支援の環を広げるプロジェクト。サポーターに登録すると、定期的に「希望の環 通信」として、生産者の日々の活動や復興への想い、また被災された町の復興に関する明るい希望を感じるニュースなどがメールマガジンとして届く。サポーターからの生産者への応援メッセージも届けてくれる。

登米市観光のまちづくり応援団
 内陸北部にある登米市の「観光のまちづくり」を推進するため、全国から登米市のPRと観光物産の振興発展を応援してくれる団員を募集している。対象は‥佇道毀院↓登米市にゆかりのある人、E佇道圓離侫.鵑如活動内容としては、特設サイトによる登米市の情報の発信、団員によるレアな情報や気づきなどの発信、新たな魅力を発見・創設する企画の提案、登米市見学ツアーなどへの参加、講演会・イベントの案内、会報の発行、会員証の発行などである。

日本酒サポーターズ倶楽部・宮城
 宮城県酒造組合が運営する日本酒愛好家の方々の集い。20歳以上なら誰でも入会でき、入会金・年会費も無料。登録すると各種イベントの案内がメールで届く他、会員限定イベントやセミナーにも招待される。


「ファンクラブ」活用のススメ〜山形編

 東北にあるファンクラブの第3回、今回は山形県のファンクラブについて紹介しようと思う。山形県にも多くのファンクラブがある。特に、県南部の置賜地方を中心として、自治体、並びにその関連団体が運営するファンクラブが多いのが特徴である。

西川のまちづくり応援団

 山形県のほぼ中央に位置し、出羽三山のうち月山と湯殿山を擁する西川町が運営している、西川町出身の人、西川町をふるさとと思う人、西川町に関心を持っている人が対象の、「西川町のまちづくりを考えながら、西川町を側面から応援する(応援してもらう)ため」の会である。年会費は3,000円で、加入すると「団員」となって、毎月西川町から応援団会報や町広報誌、資料、観光パンフレット、イベントの案内などが送られてくる。また、毎年「関東ブロック総会」、「東北ブロック総会」、「仙台七夕交流会」、「ふるさと植樹祭・交流会」といった交流イベントに参加できる。
 団員としての活動は、 崋分のふるさと西川町はこんなところです」(友人・知人への西川町のPR)、◆屬海鵑覆海箸鯏垈颪凌佑牢待しています」(都会のニーズ調査)、「こんなことをすれば西川町はもっとよくなるのでは?」(町への提言)、ぁ崟樟酊に住みたい人を知っているので紹介します」(IJUWターン希望者の紹介)、ァ崟樟酊の特産品を友人に贈ろう」(特産品の購入)、Α崟樟酊の特産品はこんな店で扱ってもらえるのでは?」(販売店等の紹介)、А崋分の周りには同郷の人がいます。今度遊びに行ってみよう!」(西川町への観光旅行)、─屬佞襪気叛樟酊へ寄付をします」(ふるさと納税)、をできる範囲内でして、西川町を応援する、となっている。1997年(平成9年)発足という、山形県内はもとより、東北地方全体の同種の会の中でも屈指の歴史を持つ。

ながいファン倶楽部

 山形県の南部にあって、桜、白つつじ、あやめ、萩などの花で知られる長井市の(一財)置賜地域地場産業振興センターが運営する、長井市内に住んでいる人、全国各地の長井にゆかりのある人ほか、誰でも入会できる「山形県長井市を応援するみなさんの交流の場」である。年会費無料の無料会員の他、年会費1,000円の「一般会員」、5,000円の「特別会員」、10,000円の「プラチナ会員」、30,000円の「ダイヤモンド会員」があることが特徴である。
 無料会員は、長井市の旬の話題を届けるメールマガジンの配信、協賛店での会員特典サービス、「道の駅 川のみなと長井 オンラインショップ」での購入のポイント進呈などの特典が得られる。有料会員は入会・更新時にプレゼントがある他、オンラインショップでの進呈ポイントの割増、「道の駅 川のみなと長井」での購入時の割引、プラチナ会員には年1回、ダイヤモンド会員には年4回長井市が誇る特産品が届く。また、交流ツアーなどの催事の案内が届く他、都市圏で行う物販の案内とプレゼント引換券ももらえる。

いいで"Fun"Club

 山形県の南部、飯豊連峰のふもとにある飯豊町の飯豊町観光協会が運営する、「心身をリフレッシュするとともに、そこに住む『いいで人』も活力を見出しながら共に『めざみの里』を体感できる、飯豊町を愛する人たちの組織」。ちなみに、「めざみ」とは、フランス語の"MESAMIES"(「親しい友達・仲間」の意)で、「みんなで仲良く明日への町づくりをめざす、またはめざめるという希望」が込められているとのことである。
 年会費1,000円の「トクトク情報コース」と、年会費3,000円の「特選旬の味コース」がある。5年間有効会員パスポートが発行されて、年4回飯豊町の情報紙が届き、町内の提携施設で特典が受けられる他、年1回会員を対象とした「これぞ飯豊町と言える"お楽しみツアー"」に参加でき、来町に際して目的や季節に応じたモデルコースを提案してもらえる会員相談窓口も利用できる。「特選旬の味コース」はさらに飯豊町の「旬の食材」が届く。

いまっとファンクラブ
 山形県の中部にあって、「隠れそばの里」、鮎、それにホップの産地としても知られる白鷹町の白鷹町観光協会が運営するファンクラブ。「いまっと」は「もっと」や「もう少し」という意味で、「いまっと白鷹を好きになってほしい」「いまっと白鷹に興味をもってほしい」「いまっと白鷹の暮らしを体験してほしい」という願いが込められている。白鷹町外の人が入会でき、ネット会員は年会費無料、一般会員は年会費1,000円である。
 入会すると「特製会員パスポート」が発行され、来町時会員証の提示で協賛店からサービスが受けられる他、白鷹町の旬の情報が毎月郵送で届く(ネット会員にはメールで届く)。年1回、「白鷹町体感の交流会」が開催される他、白鷹町に来町する際には同ファンクラブが相談窓口となるなどの特典がある。

ふながたファンクラブ
 山形県の北部にあって、やはり鮎で知られる舟形町のふながた観光物産協会が運営するファンクラブ。舟形町出身の人もそれ以外の出身の人でも、舟形町に興味がある、暮らしたい、訪れてみたいという人のファンクラブである。入会費・年会費は無料で、舟形の旬の情報やイベント情報などが満載のメールマガジンの配信サービスが受けられる。今後、会員限定イベント、協賛店でのお得なサービスなど様々な企画を展開する予定だとのことである。

鳥海山・飛島ジオパーク八幡ファンクラブ

 山形県の沿岸庄内地方にあって、「平成の大合併」で酒田市と合併した旧八幡町にある酒田市八幡総合支所が運営する、鳥海山やジオパークの魅力を広く伝えるためのファンクラブである。庄内地方と秋田県の県境にある鳥海山と、日本海に浮かぶ飛島を含む地域は「鳥海山・飛島ジオパーク」に指定されている。
 「鳥海山と八幡地域が大好きな方」なら誰でも入会でき、入会するとオリジナル会員バッジが進呈され、そのバッジの提示で協賛店でサービスが受けられる他、ジオパーク関連イベントの情報が届き、ファンクラブミーティングなどジオパークイベントにも参加できる。

川西ファン倶楽部
 山形県の南部にあり、ダリヤで知られる川西町が運営するファンクラブである。登録すると、川西町内の店舗、事業所などの新商品、限定品、割引商品、ランチの情報などがメールで届く。

山形ファンクラブ

 山形県アンテナショップ「おいしい山形プラザ」が運営する、「『山形を知っていただく』『山形県産品を買っていただく』『山形に来ていただく』など、山形の魅力を堪能していただく」ためのファンクラブである。
 年会費は無料で、会員になると、メールマガジンで山形県の旬の情報が届く他、アンテナショップでの購入や飲食の金額によるポイント特典で山形県産品がプレゼントされる。また、協賛店でのサービスや割引がある他、「おいしい山形 料理教室」など会員限定イベントや「ファンクラブ会員限定!モニターツアー」などにも参加できる。

ペロリンファンクラブ

 山形県農林水産部6次産業推進課内にある「おいしい山形推進機構事務局」が運営するファンクラブである。「ペロリン」とは、山形県産農産物などの統一シンボルマークである。山形県産農林水産物のファンなど誰でも入会可能で、入会すると、メールマガジンにて山形県産農林水産物の情報やイベント・キャンペーン情報が届く。

伝国の杜ファンクラブ

 「米沢市上杉博物館」と「置賜文化ホール」を含む「伝国の杜」を運営する(公財)米沢上杉文化振興財団 が運営するファンクラブである。年会費は一般2,500円で、米沢市上杉博物館の常設展示室・企画展示室に何度でも自由に入館でき(同伴者1名は団体割引で入場可)、置賜文化ホール自主事業チケットの先行予約・割引販売(会員1名につき2枚まで)、年7回程度「伝国の杜だより」やファンクラブ会報、各種事業チラシの送付、ファンクラブ会員向けの講座・イベントへの参加、募集制ワークショップへの無料参加(1回無料券の進呈)、ミュージアムショップでの展覧会図録・オリジナル商品10%割引、ミュージアムカフェでの10%割引(同伴者3名まで)などの特典が得られる。

庄内みどりファン倶楽部

 JA庄内みどりが運営するファンクラブ。入会金・年会費とも無料で、ファン倶楽部通信が届く他、厳選した旬の食材の頒布会(定期宅配)の申込ができ、購入時に貯まるポイントを各種商品と交換できるなどの特典がある。

 これらのファンクラブ以外にも、今年度は寒河江市が運営する「寒河江ファンクラブ」が創設される予定である他、小国町にも「小国ファンクラブ」を創設する計画があるとのことである。


「ファンクラブ」活用のススメぁ阻姪賈綿

 東北のファンクラブ、最終回の4回目は岩手県、秋田県、青森県の北東北三県である。三県まとめて一度に紹介できることからも分かるように、これまで紹介してきた南東北三県と比べるとファンクラブの数自体は少ないが、その中にはなかなか個性的なファンクラブがいろいろ存在している。

岩手県

IGR銀河ファンクラブ

 盛岡駅と青森県の目時駅を結ぶIGRいわて銀河鉄道の利用促進、沿線地域の活性化、交流人口の拡大を目的に活動しているファンクラブ。会費は個人会員が年間2,000円、子ども会員が年間1,000円、賛助会員が年間20,000円で、会員への特典も充実している。
 具体的には、。稗韮劼い錣洞箍賄監残庄津絞泙任琉み物などのサービス、個人会員への初回IGRオリジナルキャラクター「ぎんがくん」「きらりちゃん」がプリントされたモバイルバッテリー、IGRオリジナルパスケース、リールクリップ、ストラップのプレゼント(モバイルバッテリーとパスケースはファンクラブ限定品)、子ども会員への初回ハンドタオルのプレゼント、2年目以降更新の会員にはIGR1日フリー乗車券のプレゼント、せ申会員への盛岡駅でのB1判ポスター掲出1か月無料サービス、シ兮廓数に応じた会員証のグレードアップ、Σ餔証の提示による提携施設における各種特典、毎年1回「ファンミーティング(会員の集い)」の開催、─峩箍賄監擦泙弔蝓廚任硫餔限定のプレゼント、年2回会報誌「銀河ファンクラブマガジン」の送付、岩手の鉄道会社ならではの岩手旅、こだわりのIGR沿線旅の会員特別価格での提供、となっている。

三鉄ファンクラブ
 岩手県の沿岸、三陸海岸を走る三陸鉄道を応援するためのファンクラブ。会費は個人会員が1年2,000円、5年9,000円、家族会員(4名まで)が1年4,000円、5年18,000円で、会員特典としては、〇偉ε監擦離ぅ戰鵐函⊂ι覆両霾鵑覆匹鯏舛┐襦屬気鵑討直亟蕕世茲蝓廚稜4回の送付、⇔△三陸鉄道の1日フリー乗車券になっている「三鉄ファンクラブ会員証」の送付がある。

いちのせきファンクラブ「あばいんクラブ」
 岩手県の内陸南部にある一関市が運営する、「一関に行ってみたい・もっと知りたい」という市外在住の一関ファンに一関を知ってもらい、楽しんでもらうためのファンクラブ。会費は年間10,000円で、会員特典として、 屬△个い鵐ラブ会員証」の送付、∋垤報誌や観光パンフレットなど一関市関連情報の情報誌の送付、主要観光施設の特別割引、ぐ豐愡圓僚椶両霾鵑鮠匆陲垢襯瓮襯泪の配信、セ堝盻蒜饂楡瀝用券10,000円分、一関名物の餅料理の食事券2,000円分、選べる特典2,000円分の送付、が提供される。

なかほらファンクラブ

 岩手県岩泉町の北上山地で「山地(やまち)酪農」という、牛舎がなく牛が年間を通して山で自由に過ごすスタイルの酪農を実践している「なかほら牧場」のファンクラブ。年会費は10,000円で、会員特典としては、’2回(誕生日とその半年後)、なかほら牧場の商品(送料込5,500円以上分)の進呈、▲侫.鵐ラブイベント(不定期)の開催、2駟鵝壁堋蟯)、イベント・セールの案内の送付、げ餔証の発行、ゥンライン店舗で使えるお得なクーポンの進呈がある。

遠野ファンクラブ
 岩手県の内陸中部にある、「民話の里」として知られる遠野市で、「遠野を知りたい!遠野に行きたい!遠野に住みたい!という人たちにいつでも遠野を身近に感じてもらい、移住・定住を応援する市民(サポート市民会議)と行政(遠野市)が一体となった定住推進組織」である「で・くらす遠野」が運営するファンクラブ。ファンクラブ会員は、「で・くらす遠野市民」に登録するという形で、年会費(1,000円、5,000円、10,000円)に応じた特典が得られる。
 年会費1,000円の「ちょこっと で・くらす遠野市民」は、,如Δらす遠野市民証の送付、△如Δらす遠野市民限定の情報誌「で・くらす遠野」の送付、「遠野馬の里」での乗馬体験の特別割引、ぜ舁彜儻施設でので・くらす遠野市民だけの特別割引、の特典がある。年会費5,000円の「のんびり で・くらす遠野市民」は、「ちょこっと で・くらす遠野市民」の特典に加えて、遠野ブランド新鮮野菜「農の匠」の年1回発送か、市内で使える宿泊交通利用券4,000円分のいずれか一つを選べる。年会費10,000円の「どっぷり で・くらす遠野市民」は、「ちょこっと で・くらす遠野市民」の特典に加えて、「遠野ジンギスカンと地ビールセット」など「食の匠」8種類のうちの一つか、「農の匠」の年2回発送か、宿泊交通利用券8,000円分のいずれか一つを選べる。

大槌応援団OCHAN'S

 岩手県の沿岸、三陸海岸中部にある大槌町が運営する、「おおつちファン」の交流サイト。「おおつちファン」とは、大槌町民と、大槌に関わりや関心のある人のことで、「大槌応援団 OCHAN'S」は、おおつちファン同士の交流、連携を深めるためのサイトである。おおつちファンによるサイトの活用を通じて、大槌の魅力が全国に発信される仕組みになっている。
 「大槌応援団」としてサイトに登録(無料)すると、さまざまな機能が利用できるが、.汽ぅ汎發法崑臘箸亡悗垢襪海函廚覆蕾燭任OKのブログを開設できる、大槌に関する写真の投稿、閲覧ができる、B臘箸亡悗垢襯ぅ戰鵐箸両霾鵑魴悩椶任、カレンダーにまとめられる、といった機能がメインである。

雫石ファンクラブNet.

 「雫石ファンクラブNet.」は岩手県の内陸北部にある雫石町の観光ポータルサイトの名称である。従って、会員特典などは存在しないが、雫石町内の観光スポットなどについて分かりやすく紹介されている。


秋田県

大館能代空港ファンクラブ
 大館市産業部移住交流課が事務局を務める大館能代空港利用促進協議会が運営するファンクラブ。入会金、年会費は無料で、メール会員になると、空港のおトクな情報や空港周辺のイベント情報などがメールで届く。入会は同協議会のホームページ「大館能代空港どっと混む」から可能。

秋田犬"のの"ファンクラブ
 秋田県大館市の大町商店街にあるゼロダテアートセンターにいる、「あいにいける秋田犬」である「のの」が好きな人のためのファンクラブ。オンラインで会員登録で、イベントでの割引や会員限定の特典が用意されている。


青森県


七戸ファンクラブ
 青森市の東、八甲田山の東麓に位置する七戸(しちのへ)町の商工観光課が運営するファンクラブ。会員にはファンクラブカード「NANAカード」が発行される。「NANAカードポイント加盟店」と「サイモンズ加盟店」、「サイモンズポイントモール」での買い物の金額に応じてポイントが貯まり、貯まったポイントは1ポイント1円で使用できる。ポイントの有効期限は翌年の12月31日で、期限切れのポイントは自動的に七戸町に寄付されて絵本などの児童図書購入費として利用される。
 町内の図書館の図書利用カードも兼ねるが、現在町内に住んでいる町民だけでなく、ふるさとを離れた人でも、七戸町を「心のふるさと」と思っている人でも発行が可能。

青い森の翼ファンクラブ〜A-wing〜
 青森県が運営する、「青森空港と三沢空港、青森県にある2つの空を応援してくださる方々とともに、青森の空を盛り上げていくためのファンクラブ」である。入会金、年会費は無料だが、入会すると会員限定の特典が得られる。
 具体的には、_餔証の交付、搭乗前に使える青森空港有料ラウンジの無料クーポン券の交付(年4回、無料で青森空港有料ラウンジが利用できる)、9匐情報やイベント告知、お得な旅行商品の情報などが載ったメールマガジンの配信、じが主催する航空関連イベントに来場された人などを対象とした会員限定グッズの配付、ゲ餔限定イベントへの参加やツアーへの応募ができる、といった特典がある。

地酒FAN倶楽部
 青森県酒造組合が運営する、1. 青森の地酒を知り、飲み、楽しみ、伝えること!!、2. 青森の文化を知り、飲み、楽しみ、伝えること!!、3. 青森の食を知り、食し、楽しみ、伝える!!、の3つの趣旨に賛同する20歳以上の人であれば誰でも入会できるファンクラブ。
 青森の豊かな自然、移ろいゆく美しい四季、そこに育まれる旬の食と醸し出される旬の地酒といった青森の素晴らしさを楽しみ、広めていくことを目的とする。
 入会すると、青森県内で行われる酒造組合主催のイベントの案内が届く他、倶楽部会員全員を対象としたプレゼント企画「旬の地酒プレゼント」が行われ、毎年10名に旬の地酒が送付される。

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2018年07月31日

ホップとビールでまちを盛り上げる!(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その108

 4月16日に発行された「東北復興」第71号には、「ホップとビールでまちを盛り上げる!」と題して、東北特産のホップを巡る話題を取り上げた。ビールに欠かせない原料で、最近その成分についての研究も進んでいるホップについては、依然東北が国内全体の約96%と圧倒的なシェアを占めるが、その生産量は年々低下しているという現状もある。その一方でこのホップをまちづくりに活かそうという動きも東北各地に見られ、これからの展開が楽しみでもある。以下がその全文である。


ホップとビールでまちを盛り上げる!

減り続ける国内産ホップ
 ビールに欠かせない原料の一つにホップがある。世界最古の食品関連の法律とされるドイツの「ビール純粋令」には、「ビールは大麦、ホップ、水、酵母のみを原料とすべし」とあるが、逆に言えばビールづくりにこの4つは欠かせないものであると見ることもできる。

 このうち、ホップは、ビールの苦みと香りをつけるのに欠かせない原料である。このホップについては、以前書いたことがあるが、国内では東北地方のシェアが極めて高い。東北では宮城と福島を除く4県でホップが栽培されており、2011年時点で、国内産ホップに占める東北産ホップのシェアは98.9%と圧倒的である。最近では、クラフトビール市場が拡大するにつれて、他地域でも栽培が始まっているが、それでも昨年時点で約96%が東北産と聞いているので、いまだに日本でホップと言えば東北、という状況が続いている。

 しかし、大きな問題がある。シェアは依然として高いものの、生産量は年々減少してきているのである。国内全体で見ると、ホップの生産量が過去最大だったのは1968年の3,295トンだが、これが2011年時点で330トンと、実に10分の1にまで減少している。東北の中でも最大のホップ生産県は国内産ホップのうち5割の生産量を誇る岩手だが、その岩手を見ても、平成に入った1989年に647トンだった生産量は、2016年には101トンにまで落ち込んでいる。その理由は生産者の高齢化と後継者不足で、そのために生産者が減少し、栽培面積も減少するという状況に陥っているのである。栽培戸数を見ても、1989年に538戸だったのが、2016年には何と79戸にまで減少しているのである。東北の他県でも概ね同じような状況であり、この状況が続くと、近いうちに東北産ホップを使ったビールが飲めなくなるという大いなる懸念がある。

キリンビールによる地域活性化への取り組み
 こうした現状に危機感を募らせている企業がある。キリンビールである。実は、国内産ホップのうちのおよそ70%をキリンビールが購入している。キリンビールは岩手の中でも最大の生産量である遠野を始め、江刺、秋田県の大館周辺、大雄、山形県南など、東北各地に契約栽培地を持っている。サッポロビールやアサヒビールも東北で契約栽培を行っているが、その購入量はキリンビールに遠く及ばない。

 このキリンビールが、CSV活動の一環として、国産ホップの価値化に取り組み始めた。具体的な取り組みの一つとして、ホップの契約栽培を通じておよそ50年の付き合いがある岩手県遠野市とコラボレートして、共同で地域活性化に取り組んでいる。遠野市とキリンビール、遠野ホップ農業協同組合などが「TK(遠野・キリン)プロジェクト」を立ち上げ、「ホップの里」から「ビールの里」へを合言葉に、単なるホップの栽培地からホップを核としたまちづくりを進めているのである。具体的には、毎年夏に「遠野ホップ収穫祭」を開催すると共に、ホップの収穫体験や農家への民泊体験などを含めた「遠野ビアツーリズム」の実施、「フレッシュ・ホップ・フェスト」というその年に取れたホップを使って造ったビールの解禁を祝うイベントの開催、親子を対象とした「遠野ホップ畑生きもの観察会」の開催など、ホップをキーワードとした交流人口を増やすための様々な取り組みを行っている。同様の取り組みは、やはりホップの契約栽培を行っている秋田県横手市でも行われている。

 キリンビールの取り組みはそれだけにとどまらない。昨年10月末には「IBUKI BREWER'S MEETING」を開催した。東北で栽培されているホップ「IBUKI」をテーマに、ホップ生産者、クラフトビール醸造者、そしてビール消費者が一堂に会しての集まりで、当日はキリンビールの担当者から国産ホップについてのキリンの取り組みについて説明があった後、キリンビールを始め、青森で奥入瀬ビールを造るOIRASE Brewery、秋田であくらビールを造るあくら、岩手でズモナビールを造る上閉伊酒造、いわて蔵ビールを造る世嬉の一酒造、キリンビールのクラフトビール会社であるスプリングバレーブルワリーがそれぞれ「IBUKI」を使って醸造したオリジナルビールを飲み比べできた。同じホップを使っても、多様なビールができるということが、飲み比べをするとよく分かった。

東北産ホップの利用拡大に向けた動き
 実は、東北のクラフトビール各社が東北産のホップを使えるようになったのは、ごく最近のことである。先述の通り、国内では圧倒的なシェアを持つ東北産ホップだが、そのほとんどがキリンビールを始めとする大手ビールメーカーの契約栽培によるものであり、当然納入先はそれら大手メーカーであるので、同じ地元にあるとは言え、東北のクラフトビール各社は、自社栽培するなどごく一部の例外を除けばこの東北産ホップを自由に使うことはできなかったのである。

 それが大きく変わったのは昨年4月、キリンビールが国内のクラフトビール各社を対象に契約栽培の東北産ホップ「IBUKI」を供給することに踏み切ってからである。それまで東北産のホップを使ったビールと言えば、毎年秋にキリンビールやサッポロビールが発売する限定ビールで味わう以外なかったが、これによって東北産のホップを使った東北のクラフトビールが飲めるようになったのである。

 キリンビールが国内産ホップを使用する割合は、キリンビールが使用する全ホップのうちの約9%だという。全体から見ればごくわずかとも言える割合だが、それでもキリンビールが国内産ホップを支援する理由について、「IBUKI BREWER'S MEETING」ではキリンビールの担当者からは「国産のホップの品質は素晴らしい」、「国産ホップでしか味わえないビールがある」、「国産ホップを通じて日本のビール文化をもっと面白くしたい」といった話があった。

 ビールに発泡酒、「第三のビール」を加えたビール系飲料の出荷量は昨年まで13年連続で減少しており、昨年は過去最低を更新している。その一方で、2009年まで年間15,000Lほどでほとんど増減がなかったクラフトビールの出荷量は、その後増加に転じ、2014年には26,824Lとそれまでのおよそ1.8倍にもなっている。こうした状況を踏まえて、大手各社もクラフトビールの醸造に相次いで参入してきているが、中でも特に意欲的なのがキリンビールである。先述のスプリングバレーブルワリーの立ち上げ以外にも、クラフトビール最大手と見られ、「よなよなエール」で知られるヤッホーブルーイングと業務・資本提携をするなど、クラフトビールへの関与を強めている。昨年11月には東北のクラフトビール7社が参加して共同でビールを醸造する「東北魂ビールプロジェクト」にも参画し、キリンビールが「IBUKI」ホップを提供し、スプリングバレーブルワリーが醸造に加わった。

 こうした取り組みを通して、クラフトビールがさらに勢いづけば、ビール市場全体の活性化にもつながる。また、国内産ホップの需要が高まれば、遠野などホップ生産地が活性化して、ホップづくりを志向する人材が増えて生産量が増加に転じることも期待される。

東北各地で始まっているビールとホップによる地域活性化
 昨年仙台には「穀町ビール」ができ、秋田県羽後町には「羽後麦酒」ができた。「穀町ビール」を造る今野さんにも、「羽後麦酒」を造る斎藤さんにも話を聞いたことがあるが、いずれも自分たちの地域の活性化を強く意識していた。今野さんは「ぜひ仙台に来て飲んでほしい」ということで通販などは行わず、一方で市内の飲食店には卸していて、地元密着でビールづくりと販売を進めている。斎藤さんは地元で採れたイチゴやブルーベリー、そして食用菊などを使ったビールづくりを積極的に進めている。

 件の遠野市にも、昨年秋に「遠野醸造」が立ち上がった。既に醸造を始め、今月中にも地元産のホップを使ってビールを造るブルーパブ(醸造設備のあるビアパブ)をオープンさせるとのことである。それ以外にも今年は、私が知る限り、宮城県内に2箇所、福島県内に1箇所、新たにブルーパブが立ち上がる予定である。いずれも「ビールで自分たちの地域を盛り上げていきたい」と志す人たちが立ち上げており、今後がとても楽しみである。

 以前、埼玉に行った折に、さいたま市で初のクラフトビール「氷川ブリュワリー」併設のパブ「氷川の杜」に行ってみた。ちょうど創業者の菊池さんがおられて、いろいろと話が聞けたが、そこでも仙台同様クラフトビールがなかったさいたま市に初めてつくるということで、その意義についていろいろと考えたそうで、その結果、「ビールを通じて人と人とをつなぐ」、「地域への愛着を深めてもらう」、「地域づくりに貢献する」、といったことを重視したいということになったそうである。この考えは、東北各地でビールに携わっている多くの人にも共通する姿勢である。

 ホップそのものの栽培も広がろうとしている。宮城県石巻市では「イシノマキファーム」がホップ栽培を始めた。昨年収穫したホップはいわて蔵ビールに醸造を委託してクラフトビール「巻風エール」として石巻市内で販売された。石巻市ではもう一つ「鈴木ファーム」が栽培したホップを使って向陽ホールディングスがやはりいわて蔵ビールに醸造を委託してできたクラフトビール「石巻日和」もある。当初3種類の展開だったが、今年2月には、地元のゆずを使った第2弾となるビールを発売した。「羽後麦酒」もそうだが、地元産原料の使用というのも今後の東北のクラフトビールを考える上で、一つの重要なキーワードとなるに違いない。最近は以前の「地ビール」という言葉よりも「クラフトビール」という言葉の方が、各地に生まれた小規模のビール醸造所で造られたビールを表現するのに一般的な用語となりつつあるが、恐らく今後「地ビール」は、地元産の原材料を用いて造られたその土地ならではのビールを表す言葉として使われていくようになるのではないかと思う。

 また、福島県田村市では、「ホップジャパン」が地元農家とタイアップしてホップ栽培を始めた。地元で作ったホップを使ったクラフトビールを醸造し、ホップ栽培の6次産業化を目指すという。醸造所は早ければ今年秋、遅くても来年春には開業するとのことで、こちらも楽しみである。宮城と福島という、現在ではホップ栽培が途絶えていた地域でこうした動きが相次いで起きていることは大変興味深い。

 普段ビールを飲む際にホップのことはあまり意識しないが、ビールの苦みも香りも大部分はホップに依っている。このホップに着目した地域づくりが今、東北のあちこちで始まっているのである。今後のさらなる展開に大いに期待したい。

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2018年04月02日

私的東北論その107〜「平泉町観光振興計画(案)」への意見書(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 2月16日に発行された「東北復興」第69号では、「平泉町観光振興計画(案)」について私が平泉町観光商工課に送った意見書について取り上げた。1月下旬に岩手県一関市で開催された「第18回平泉文化フォーラム」に参加するのに合わせて、久々に平泉町内を回ってみて感じたことがいろいろあった。ちょうど平泉町が5年ぶりに新しい観光振興計画案を作成し、それについての意見を求めているところだったので、大きなお世話と思いつつも、その時感じたことなどを基に、意見書をまとめて送ってみたのであった。そしてまた、「東北復興」の連載記事の締切も間近だったので、その意見書を中心に原稿もまとめてしまったというわけである(笑)。

 以下がその全文であるが、意見書の中で言いたかったことは、端的に言えば、\こΠ篁紺奮阿隆儻資源についてもしっかり情報発信を奥州藤原氏時代の遺跡等が残っている自治体と一層の連携をL襪盂擇靴な神瑤、という3点である。特に、が私にとっては重要である(笑)。

DSCN1118 ちなみに、意見書の中で触れている「観自在王院辺りの道」の雰囲気というのはこんな感じである。あと、「ザ・ブリュワーズ平泉」の「夜カフェ」については以前別稿で紹介したことがあったが、このようなものである。

 それと、記事中に出てくる西川雅樹さんのサイトはここである。東北の湯治宿の他に、東北のB級グルメについてもものすごい情報量である。

追記(2019.2.25):公表された「平泉町観光振興計画(本編)」であるが、下記の私の意見書の内容に関係することで「(案)」から追加されたこととしては唯一、P.9の「1−2 主な観光資源」の中の「1−2−1 史跡・名勝等」のところに、私が「平泉は世界遺産だけじゃない!例えば…」として挙げた「白山妙理堂」と「熊野三社」と「照井堰」の写真が加えられたくらいであった。それなら「花立廃寺跡」とか「八坂神社」とか「北野天神社」とか「王子社跡」とか、もっといろいろ例を挙げればよかった。(笑)


「平泉町観光振興計画(案)」への意見書

 1月27日、28日の2日間、岩手県一関市で「第18回平泉文化フォーラム」が開催され、私も参加してきた。毎年基調講演、発掘報告、研究発表が行われ、平泉研究の最先端に触れることのできるイベントである。

 今回、1日目終了後の宿泊は、あえて一関市内ではなく、平泉町内にしてみた。これまで平泉は何度も訪れているが、訪れるのはいつも昼間だけで、夜の平泉がどのような感じか興味を惹かれたのである。また、2日目は午前中で終了だったので、終了後再度平泉を散策した。2日間平泉を訪れて感じたことがいろいろあった。折りしも平泉町が新しく「平泉町観光振興計画(案)」を作成し、それについての意見を募集していた。そこで、今回の平泉散策で感じたことや、以前から平泉観光について考えていたことなどについて意見書としてまとめて、平泉町観光商工課宛に送付した。

 以下がその意見書である。

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 「平泉町観光振興計画(案)」を興味深く拝見しました。その上で考えたことについてお伝えしたいと思います。要点は以下の3点です。

 \こΠ篁紺奮阿隆儻資源の活用について
 ∧神観光において連携すべき相手について
 「夜の平泉観光」の仕掛けについて


\こΠ篁紺奮阿隆儻資源の活用について
 ,砲弔い討任垢、私は今回、一関市内で2日間開催された「平泉文化フォーラム」に出席しました。その折に、1日目の宿を平泉町内に取り、また2日目終了後に久しぶりに平泉町内を散策しました。その際に感じたことは、端的に申し上げれば、平泉観光は現在、あまりに世界遺産に頼り過ぎているのではないかということです。平泉駅内の観光案内所で入手できる町内のマップには、世界遺産の構成遺産5つと追加登録を目指している達谷窟毘沙門堂、柳之御所遺跡、それに高館義経堂などが掲載されています。今回の「平泉町観光振興計画」(案)の「1−2 主な観光資源」のうち「1−2−1 史跡・名勝」として挙げられているのもこれらですし、「資料4 平泉町の観光資源の再確認」で挙げられているのも概ねこれらですが、平泉の観光資源はそれらのみに留まるものではありません。

 白山妙理堂や熊野三社は奥州藤原氏と白山信仰、熊野信仰との関わりが感じられて興味深いですし、照井堰なども高館合戦の折にその名前が登場する照井太郎高春の伝承があり、興味を惹かれます。歴史好きにとっては、芭蕉の「おくのほそ道」にも出てくる泉ヶ城(和泉が城)も目にしたい場所でしょうし、国衡や高衡(隆衡)の館の比定地もあります。四方に配置したという鎮守社跡を巡るのも楽しそうです。

 これらは現在学校であったり民有地であったりと、観光スポットとするには難しい面もあるでしょうが、園地として整備せずとも今の伽羅御所跡のように、可能な場所に案内板を設けるだけでも散策ルートとなり得ることでしょう。

 そうした隠れた観光資源についても積極的にPRしていかなければ、平泉は一度来て構成遺産を一通り見たらそれで終わりで、二度とは訪れないスポットとなってしまいかねません。そうではなく、最初は有名な世界遺産、その次は少しマニアックな、ディープな場所を巡る、というように、次にも来る楽しみがあるようなことが分かる情報提供が必要であると考えます。

 今回、観光案内所におられたガイドの方に「世界遺産と達谷窟、柳之御所、義経堂以外にどこか見るべき場所はありますか?」と尋ねたところ、「それらを見てるんならあとは特にないねぇ」とのお返事で、少し残念な思いをしました。

 私としては、「平泉は単に世界遺産だけの町ではない」ということを強く訴えたいです。他にももっとあまり知られていない、でも魅力的な場所が平泉町内には本当にたくさんあります。まずは地元の方々こそにそのことを再度確認していただければと願います。

∧神観光において連携すべき相手について
 △砲弔い討任垢、「4−1 観光施策の内容」では、「基本方針3 広域連携による平泉町の魅力の向上―多様な交流・連携の促進―」で「広域観光体制の充実」について既存の方向性を踏襲する旨記載されています。そのうち「東北地方との連携強化」では、十和田市や仙台市との広域的連携を強化する方針が挙げられています。

 周知の通り、奥州藤原氏は平泉のみならず、全盛期には現在の東北地方のほぼ全域に影響を及ぼしました。従って、奥州藤原氏に関係する遺跡・史跡も広く東北地方全域に点在しています。広域連携を考える場合、こうした奥州藤原氏に関係する遺跡・史跡を有する自治体とのより一層の連携も考えていただきたいと強く願います。

 平泉の世界遺産の登録名は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」ですが、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は平泉のみならず、東北全域に存在します。最も端的なのは、福島県いわき市にある「白水阿弥陀堂」や宮城県角田市にある「高蔵寺阿弥陀堂」ですが、これら奥州藤原氏の影響下にあって同様に「仏国土(浄土)」を表した遺跡・史跡を持つ自治体との広域連携も進めるべきと考えます。

 他にも、秀衡ゆかりの徳姫が泰衡の子と共に36人の家臣に守られて逃れたという山形県酒田市、泰衡終焉の地である秋田県大館市、泰衡の家臣たちが藤原の姓を名乗って隠れ住んだという伝承がある秋田県鹿角市、その他奥州藤原氏時代の金山があったと考えられる東北各地の自治体も連携の対象となり得ます。また、平泉の柳之御所遺跡で多数出土することから「平泉セット」と名付けられた、平泉型てづくねかわらけや白磁四耳壺が出土する遺跡が、青森から福島まで、平泉以外にも東北地方にはたくさんあります。これらの遺跡を有する自治体とも連携して、平泉遺産の面的な広がりを重視していただければと考えます。

 平泉の歴史遺産は平泉だけのものではなく、かつ平泉の歴史遺産は平泉だけに留まるものではありません。平泉とこれらの地域とをつないで共同で行う観光キャンペーンや情報発信などを通して、平泉と関係する自治体とがWin-Win となるような方策をぜひ講じていただきたいです。

「夜の平泉観光」の仕掛けについて
 についてです。「2−2 町の観光の問題点・課題、可能性」の中で、「多くの観光客が通過型の観光」と指摘されていますが、私も実は平泉町内に宿泊したのは初めての経験でした。平泉にはこれまで何度も足を運んでいますが、いつも昼間のうちに町内を回り、夕方には移動するという形でした。

 その理由を考えてみますと、まず宿泊できる場所の少なさがあります。ツアー以外の個人客が宿泊場所を探す際に利用するのは多くは「楽天トラベル」や「じゃらんネット」などの宿泊予約サイトであると思われますが、平泉町内の宿泊施設は「楽天トラベル」、「じゃらんネット」とも3軒の登録にとどまります。それ以外の宿泊施設については、平泉町観光協会のサイト内で紹介されていて、少なくとも町内には7軒の宿泊施設があることが分かりますが、「平泉町 宿泊」で検索してもこの平泉観光協会のサイトは30番目(つまり3ページ目の一番下)にようやくヒットする状況で、これでは恐らくあまり見てはもらえないことでしょう。町が後押しするなどして宿泊サイトへの登録を進めることや、町内の宿泊情報がより上位にヒットするような対応策を講じることが必要と考えます。

 宿泊できる場所の数を増やす手段として「民泊」の活用も考えられますが、その際にはそれぞれの民泊場所の特色があるとよりよいです。例えば、「平泉の古老から平泉の歴史について話が聴ける民泊」などがあれば、歴史好きの観光客は「ぜひ泊まって話を聞いてみたい」と考える可能性が高いです。

 もう一つ平泉観光が通過型に留まってしまう理由として、夜楽しめる場所がないということが挙げられます。平泉町内の飲食店は多くが夕方までに閉店してしまい、夜は一部の居酒屋や焼肉店が営業するのみだということが今回分かりました。この現状では、夜も平泉で過ごすという行動にはなかなかつながりにくいと考えます。「平泉夕食堂」のパンフレットも入手して、その部分の改善に取り組んでいる様子も窺えましたが、それでも大半の店は19時くらいまでの営業であり、その時間帯であればその後の移動もできてしまうため、滞在することにつながるかどうかは正直微妙なところです。

 昨年できた「ザ・ブリュワーズ平泉」がこの1月から「夜カフェ」を実施し、3日前までの予約が必要ではあるものの、予約客が1人でも「夜カフェごはん」を提供してくれ、+1,500円で地ビールを含む飲み放題もつけられる、という取り組みを始めたことは注目に値します。このような特色のある取り組みをより多くの店が始めれば、夜の平泉の魅力はさらに増します。

 夜の平泉を今回初めて散策しましたが、観自在王院辺りの道は周囲の建物と柔らかな光の街灯とがマッチして、とても風情があるように感じました。このような雰囲気づくりを町内のさらに多くの場所に広げたり、例えば週末の夜は駅から毛越寺に至る道の両側に篝火を焚くなど、夜の平泉散策が楽しくなるような仕掛けを施したりすることによって、平泉に滞在する人はより増えるのではないかと考えます。

 以上3点について意見を述べさせていただきました。平泉を大事に思う同じ東北の一人の意見として、いささかなりとも参考になるのであれば幸いです。今後も平泉が、東北の一つの時代の在りようを伝える貴重な場所として、たくさんの人に知られ、訪れられる場所であり続けることを願っております。

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 この手の意見募集というのは、「広く意見を求めてそれらも取り入れて作りました」という体裁を整えるために、半ば形式的に行われることが多く、今回提出した意見書の内容もどれほど参考にしてもらえるものか不明ではあるが、とりあえず私としては、感じたこと、考えたことについては概ね伝えられたつもりでいる。

 平泉を散策した当日のfacebookに、「ブラブラしてて思ったのが、平泉は世界遺産に頼りすぎじゃないか?ってことでした」と書いたら、友人の西川さんが「黒毛和牛ステーキ屋なんかも黒毛和牛であることに頼り切ってる店が多くて、独自の価値観を訴求できる店がほとんどないんですよね」とコメントしてくれた。平泉が「黒毛和牛であること以外PRできないステーキ店」になってはいけない。それは平泉の魅力を矮小化してしまうことになる。

 西川さんは関西出身で現在仙台で仕事をされているが、東北の湯治宿に魅せられてご自身のサイトでその魅力を余すところなく伝えてくれている。その西川さんはこうもコメントしてくれた。「地元のヒトはえてして地元の魅力に疎いですよね、東北の湯治宿は情けないほど閑散としてるし」、と。まさにその通りである。だからこそ、魅力に気づいたなら、気づいた者の責務として、これからも情報発信をしていきたいと思う。


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2018年02月08日

私的東北論その105〜「玉虫左太夫が見た夢」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 1月16日に発行された「東北復興」第68号では、幕末の仙台藩士玉虫左太夫を主人公に据えた小説「竜は動かず〜奥羽越列藩同盟顛末」について取り上げた。玉虫左太夫の遺した業績については、もっと評価されるべきと思う。


玉虫左太夫を扱った小説
「竜は動かず」 「竜は動かず〜奥羽越列藩同盟顛末」(上下巻、上田秀人、講談社)は、幕末に活躍した仙台藩士、玉虫左太夫を描いた小説である。この歴史の谷間に埋もれてしまった玉虫左太夫という名前を、聞いたことはあるという人は仙台に住んでいる人の中には割と多いのではないかと思うが、彼が為した業績を言い表せる人はそれほど多くないのではないだろうか。

 玉虫左太夫については、本紙第8号で早くも大川真氏が述べている。その中で氏は、「奥羽越列藩同盟の『集議』重視の政治システムは、明治維新の『敗者』=『遅れた』『敗れた』地域である東北にも先進的な政治構想が存在していることの証左と言いうる」と指摘した上で、玉虫左太夫をその奥羽越列藩同盟の「中心的なイデオローグの一人」と位置付けている。そして、玉虫左太夫の書簡にある「人心ヲ和シ上下一致ニセンコトヲ論ス」といった内容を紹介して、「当時としては画期的な内容が盛り込まれている。そしてほとんど看過されていることであるが、こうした先進的な政策が幕末の東北で提言されていることは震災後で大きな意味を持つと私は信ずる」と結んでいる。

小説の中の玉虫左太夫

 本書で描かれる玉虫左太夫は以下のような人物である。――仙台藩の下級武士で、学問を究めるために脱藩して江戸に出奔。苦労を重ねるが、後に幕府直轄の教学機関である昌平坂学問所の長官となる林復斎に見出され、林の紹介で仙台藩の儒学者・大槻磐渓と邂逅し、大槻の推挙で仙台藩主伊達慶邦との目通りも叶う。林の推挙で堀織部正の従者として蝦夷地を視察し、条約の批准に渡米する外国奉行新見豊前守の従者として太平洋を渡ってアメリカに上陸し、その後アフリカ、インドネシアを経由して世界一周して日本に帰国。その際に見聞きしたことの詳細な記録を「航米日録」としてまとめる。勝海舟や坂本龍馬と交流を持ち、松平春嶽や久坂玄瑞とも接触、仙台藩の命で風雲急を告げる京洛の動静を探る。大政奉還後、新政府から会津討伐を命ぜられるに際して、仙台藩を中心に旧幕府に匹敵する総石高260万石の奥羽越列藩同盟結成のために奔走、盟約づくりにも関与する。同盟崩壊、仙台藩降伏後、仙台藩の反佐幕派によって切腹させられる。

 小説の中で玉虫左太夫は、「日本は忠義を芯とし、礼節を重んじ、受けた恩を忘れぬ国でございまする」と主張する。日本では手柄を立てて与えられた禄や庇護は代を重ねて子々孫々まで受け継いでいけるという保障があるおかげで、武士は安心して戦場に赴けたわけで、自分が討ち死にしても、跡継ぎさえいれば家は残り、家族の生活は守られたのである。したがって、アメリカに対しては、「国をまとめた大統領といえども、次の入れ札で負ければ、ただの人に落ちる。本人でさえ、そうなのでござる。子や孫など一顧だにされませぬ。これでは忠義などありませぬ」と最初は否定して見せる。

 しかし、アメリカについては一方で、船上で艦長が一水夫の死を我が子を亡くしたように悲しむのを見て、「亜米利加が強いわけがわかりました。上の者と下の者が相和すれば人々の心は自(おの)ずから良き方向にまとまりまする。建国以来亜米利加で謀反がない理由もここにあるのでは」と、その情の深さに大いに感じ入っている。

 また、元の身分が低いがために、事あるごとにあからさまな嫌がらせを受けたり、足を引っ張られたりしたために、「馬鹿が上にいないという点は、大いにうらやむことである」「血筋と生まれだけで、さしたる学もない連中が、重臣だと幅をきかせる」と嘆く。そうした中で孫ができたことで、「能力さえあれば、男女に変わりなく頭角を現せる世」であるアメリカの姿が玉虫左太夫の中で大きくなっていくのである。

奥羽越列藩同盟の盟約
 玉虫左太夫はそうした中、奥羽越列藩同盟の軍務局議事応接頭取という外交官ともいうべき役職に就いた。奥羽越列藩同盟は会津、庄内への恩赦を要望する嘆願を出し、続いて盟約を作成する。盟約の全文は小説中には出てこないが、実際の盟約は以下の通りである。

今度、奥羽列藩仙台に於て会議し、鎮撫総督に告げ、盟約を以て公平正大の道を執り、同心協力、上王室を尊び、下人民を憮恤し、皇国を維持し、而して宸襟を安んぜんとす。仍て条例左の如し。
一、天下の大義を伸べるを以て目的と為し、小節細行に拘泥すべからざる事。
一、海を渉る同舟の如く、信を以て居し義を以て動くべき事。
一、若し、不慮危急の事あらば、比隣の各藩、速やかに援救し、総督府に報告すべきの事。
一、強きを負み弱きを凌ぐ勿れ、私に利を営む勿れ、機事を泄す勿れ、同盟を離する勿れ。
一、城堡を築造し、糧食を運搬する、止むを得ずと雖も、漫りに百姓をして労役し、愁苦に勝えざらしむる勿れ。
一、大事件は列藩集議、公平の旨に帰すべし。細緻は則ちその宜しきに随ふべき事。
一、他国に通諜し、或ひは隣境に出兵す、皆同盟に報ずべき事。
一、無辜を殺戮する勿れ、金穀を掠奪する勿れ、凡そ、事不義に渉らば、厳刑を加ふべき事。
右条々、違背あるに於ては、則ち列藩集議し厳譴を加ふべき者なり

 崇高な精神が現れた見事な盟約である。これらの中で、玉虫左太夫がその権限を使って入れ込んだものが5番目の「やむをえずといえども、みだりに百姓を労役させて憂い苦しませてはならない」という項目であった。東北の百姓を、アメリカで目の当たりにした奴隷にしてはならないという強い思いだった。

 本紙第11号で紹介した小説「蒼茫の大地 滅ぶ」で、野上青森県知事は奥羽越列藩同盟の敗因として、「三春藩・河野広中の裏切りと、農民の戦争拒否にあった」として、特に「何よりも農民の協力拒否が敗北につながった」と指摘していた。しかし、奥羽越列藩同盟の側には、元々農民を戦争に巻き込まないための盟約が存在していたのである。

 小説中では逆に、勢いづいた会津藩がこの盟約を破って、白河領で密かに農民に食糧を拠出させ、防衛陣を構築するための人夫も徴発するが、そのために恨みを持った農民が新政府軍を手引きして間道を案内した結果、立石山の陣を奪われて形勢が不利になる様子が描かれている。

知られていない理由

 白河の関に差し掛かった玉虫左太夫に、「ここを封じれば……奥州は独立できるか」との思いが脳裏をよぎる。奥羽越列藩同盟については前述の「蒼茫の大地 滅ぶ」でも説明されているが、元々会津、庄内両藩の恩赦を嘆願する同盟だったが、この嘆願が新政府に拒絶された後は、北部政権の樹立を目指した軍事同盟となった。この新しい政権の樹立というのは、新政府とは別の政権を創るということで、いわば新政府からの独立を目指したものと言えるのだが、敗北したこともありこの辺りが過小評価されているのではないかと感じる。輪王寺宮公現法親王を推戴し、「東武皇帝」として即位し、改元も行ったという説もあるのだが、資料が乏しく、統一した見解が得られていない。

 玉虫左太夫らが日本人として初めて世界一周した万延元年遣米使節も、あまり知られていないのではないだろうか。少なくとも、学校教育の中ではいわゆる「岩倉使節団」の方がはるかに著名である。玉虫左太夫自身のこともあまりにも知られていない。

 それは、これらはいずれも「敗者の歴史」であることが理由であるように思える。敗者の歴史は、勝者によって書き換えられるのが常である。とりわけ、新政府にとっては、自分たちとは別の政権が一時的にではあっても存在したという事実は、到底認められないものだったに違いない。

 作者の上田秀人氏は、インタビューの中で、この小説を書いた理由について、「幕末は維新を興した側から語られることが多い。じゃあ私は違う方向から、あの時代を眺めてみようと考えました」と答えている。視点を変えるとまったく違った歴史が見えてくる。この小説はそのまたとない好例であろう。

もし玉虫左太夫が生きていたら

 ところで、この小説のタイトルの「竜は動かず」の「竜」は何を表しているのだろうか。「竜」と言えば「独眼竜」政宗のことがまず思い浮かぶ。「竜は動かず」はこの「独眼竜」政宗の築いた仙台藩が、結局戊辰戦争ではさしたる働きができなかったことを示しているのかもしれない。小説中で仙台藩は、「かつて奥州に覇をはった仙台伊達も、二百六十年をこえる泰平に戦を忘れていた。戦場で討ち死するかもしれないとの恐怖は、実戦経験のなさも加わって勝とうという強固な意思を奪った」と書かれている。奥羽を代表する大藩である仙台藩が、泰平にあぐらをかくことなく軍備や組織の近代化を図っていたとしたら、奥羽越列藩同盟はまた違った展開を見せていたのかもしれない。

 あるいは、時代の変革を「竜」にたとえて、結局奥羽越列藩同盟が目指した「もう一つの日本」が日の目を見なかったことを、このタイトルは伝えているのかもしれない。様々な失策が積み重なって奥羽越列藩同盟は敗れ去ってしまったが、それでも盟約にあるような崇高な精神は、なくならずに今の東北にも伝わり、受け継がれているようにも思う。

 玉虫左太夫、本来は禁固7カ月で済むはずだったが、政敵によって切腹させられてしまった。もし本来の禁固だけで済んでいたら、仙台は、そして日本はどのように変わっただろうか。第14号で取り上げた会津の山本覚馬の業績を見ても、玉虫左太夫ももし生きていたとしたら、相当のことを成し遂げたに違いないと思う。その山本覚馬と玉虫左太夫がもし邂逅していたら、きっと意気投合して、相互に大いに刺激し合ったのではないか、などとも夢想するのである。

 なお、玉虫左太夫が遺した「航米日録」、7年前に「仙台藩士幕末世界一周」(荒蝦夷)というタイトルで玉虫左太夫の子孫である山本三郎氏の現代語訳で刊行されている。併せて読んでみたいものである。

 この「航米日録」にも出てくるが、この世界一周の航海中に玉虫左太夫はビールを飲んでいる。キリンビールのサイトにある「ビールを愛した近代日本の人々」の中に玉虫左太夫も紹介されている。世界を目の当たりにしながら飲むビールが、玉虫左太夫にとってどのような味だったのか、聞いてみたいものである。


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私的東北論その104〜「『地域ブランド調査』から見えてくるもの」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 昨年12月16日に発行された「東北復興」第67号では、「地域ブランド調査」の最新の結果について取り上げた。個人的には東北の各都市、もっと「魅力度上位100市区町村ランキング」にランクインしてよいと思う。


「地域ブランド調査2017」の結果が公表kojin
 ブランド総合研究所の「地域ブランド調査2017」の結果が十月に公表された。この調査は2006年から行われており、全国一、〇〇〇の市区町村と四七都道府県を調査対象として、全国3万人が各地域の「ブランド力」を評価するものである。

 調査はそれぞれの地域に対して魅力度、認知度、情報接触度、各地域のイメージ(「歴史・文化のまち」など14項目)、情報接触経路(「旅番組」など16項目)、情報接触コンテンツ(「ご当地キャラクター」などコンテンツ10項目)、観光意欲度、居住意欲度、産品の購入意欲度、地域資源の評価(「街並みや魅力的な建造物がある」など16項目)などを質問すると共に、出身都道府県に対する愛着度、自慢度、自慢できる地域資源など出身者からの評価など全104の評価項目で各地域の現状を多角的に分析している。

東北の各自治体の動向
魅力度上位100市町村ランキング 詳細な報告書は高額で私の財力では入手できないが(笑)、大まかな結果は公表されている。このうち「魅力度上位100市区町村ランキング」の結果は表の通りである。

 東北の市町村を見てみると、仙台市が前年の25位から大幅に順位を上げて11位になったのを始め、青森県十和田市が前年の74位から58位へ、盛岡市が前年の117位から62位へ、福島県会津若松市が前年の65位から63位へ、それぞれ順位を上げている。青森県弘前市は前年の40位から順位を下げて81位となったが、依然ベスト100にランクインしている。東北で100位までにランクインしているのはこれら5都市である。昨年ベスト100にランクインしていた山形県米沢市、福島県喜多方市、岩手県平泉町は、残念ながら今年はベスト100の圏外となった。

 ちなみに、1位から10位は、京都市、北海道函館市、札幌市、北海道小樽市、神奈川県鎌倉市、横浜市、金沢市、北海道富良野市、鹿児島県屋久島町である。これらの顔ぶれは毎年ほぼ不動である。「地域ブランド」が確立している市町村と言えるのであろう。

他地方における傾向

 特筆すべきはベスト100に占める北海道の都市の割合である。ベスト10に入った函館市、札幌市、小樽市、富良野市を始め、登別市、旭川市、釧路市、帯広市、千歳市、室蘭市、稚内市、石狩市、根室市、夕張市、苫小牧市、美瑛町、ニセコ町と、実に17の自治体がランクインしている。他にランクインしている自治体が多い都道府県としては、東京都が23区のうち9つの区がランクインしており、次いで神奈川県が鎌倉市、横浜市、箱根町、横須賀市、茅ヶ崎市、小田原市、逗子市の7自治体、沖縄県が那覇市、沖縄市、石垣市、宮古島市、与那国町、久米島町の6自治体、兵庫県が神戸市、姫路市、西宮市、宝塚市、芦屋市の5自治体、岐阜県が高山市、下呂市、飛騨市、白川村、鹿児島県が屋久島町、奄美市、鹿児島市、指宿市、静岡県が熱海市、伊豆市、浜松市、伊東市、長野県が軽井沢町、松本市、長野市、安曇野市のそれぞれ4自治体となっている。以前、仙台市との比較で見た金沢市のある石川県はその金沢市、輪島市、加賀市の3自治体が、前橋市のある群馬県は草津町のみがランクインしていた。

「地域ブランド」の確立している自治体とは
 それにしても、である。確かに、ベスト100にランクインしている自治体は名の通ったところが多い。しかし、身びいきかもしれないが、東北の各自治体でこれらランクインしている自治体に勝るとも劣らずに魅力のある自治体はもっと多いように思う。にもかかわらず、東北全体でようやく5自治体、神奈川県や沖縄県一県にも及ばない数の自治体しかランクインしていないという現状は、少なくとももう少し実像に近づけるための努力をしてもよいのではないだろうか。端的に言えば、よく知られていないのである。名前を聞いても具体的なイメージと結びつかないのである。

 ランクインしている東北の自治体を見ると、その辺りの「キャラ」が明確なところが多いように思われる。仙台市は言わずと知れた東北唯一の百万都市、十和田市は恐らく十和田湖、奥入瀬渓流などの自然美、盛岡市、会津若松市、弘前市、そして去年ランクインしていた米沢市はいずれも古くからも建物が残る旧城下町である。昨年ランクインしていた喜多方市と平泉町は、ラーメンと蔵の町、世界遺産の町としてそれぞれ知られている。県庁所在地といえども、それだけではランクインしていない。ランクインした自治体にあるような、よく知られた情報やイメージしやすい特徴などがある自治体が恐らく、「地域ブランド」を確立しているのだと言えるのだろう。

共通する「魅力」の発信も
 東北各地を訪れてみるとよく分かるが、どの自治体にも「らしさ」がある。その「らしさ」が「地域ブランド」につながっていくのだろうが、意外に地元にいると自分たちのまちのよさや個性が見えなかったりすることもあるに違いない。以前も書いたが、そこで自分たちのまちの魅力とは何か、改めて掘り起こす必要があるわけである。その際に外部の目を入れることを意識すれば、地元の目線では思いもよらなかったような「魅力」が見つかるかもしれない。

 さらに言えば、個々の自治体の「魅力」とは別に、東北の自治体に広く共通する「魅力」もあるように思う。具体的に言えば、自然の豊かさ、食文化の豊かさ、郷土芸能や祭りの多彩さ、人と人とのつながりの強さ、などである。

 17自治体がランクインしている北海道の自治体にもそうした北海道全体に共通する「魅力」が色濃く反映されているように見える。東北の各自治体の「魅力」の発信に際しても、個別の「魅力」の探索と発信に加えて、共通する「東北ブランド」の「魅力」についても大いに発信していくべきであろうと思う。


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2018年02月07日

私的東北論その103〜「旧沢内村が教えてくれること」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 昨年11月16日に刊行された「東北復興」第66号では、その夏に皆で訪れた岩手県の旧沢内村について書いた。地域医療の魁となった旧沢内村の取り組みは今も色褪せることなく、しっかりと引き継がれていた。それと、ここで飲む銀河高原ビールのウマさは格別である。


銀河高原ビールと地域医療の故郷
 7月下旬に、医療介護領域の知人友人と、「銀河高原ビールと旧沢内村の地域医療を学ぶツアー」と称して、岩手県の旧沢内村を訪れた。旧沢内村は2005年に隣の旧湯田町と合併して西和賀町となっている。ビール好きには知られているが、ここ旧沢内村は豪雪地帯由来の清冽な天然水を使った地ビール「銀河高原ビール」の故郷でもある。

 醸造所に隣接して「ホテル森の風 沢内銀河高原」という温泉リゾートホテルがあるのだが、ここで飲む銀河高原ビールが殊の外美味しいという話を私がしたことから、それじゃ行ってみようという話になった。しかし、せっかく旧沢内村に行くのに、地ビールだけではもったいないと思った。この旧沢内村、地ビールができる34年も前に全国的に有名になる事業を行っていた。当時、人口およそ6,000人の豪雪地帯の小さな村が、当時全国の自治体がどこもなし得ていなかった老人医療費無料化を打ち出し、実現したのである。医療関係者の間では旧沢内村は「地域医療の故郷」として知られている。そこで、ツアーではビールに加えて地域医療もテーマに加えた。

 本稿では、そのツアーで見聞きした内容を織り交ぜながら、旧沢内村における地域医療の足跡について改めて辿ってみたい。

深澤村長の功績

 一日目に沢内銀河高原でしこたま銀河高原ビールを飲んで大いに語らった翌日、まず足を運んだのは碧祥寺博物館である。寺院併設の博物館で、マタギや雪国の生活に関するおびただしい数の民俗資料が5つの建物に分かれて収蔵されており、大変見応えのある施設であった。

旧沢内村の「三悪」に立ち向かった故深澤晟雄村長(深澤晟雄資料館) 続いて訪れたのは深澤晟雄記念館である。故深澤晟雄(ふかさわまさお)は1957年から65年まで旧沢内村の村長だった人で、先述の通り、全国に先駆けて1960年に65歳以上の医療費を無料化し、翌61年には60歳以上と乳児の医療費無料化を実施した。それまでの旧沢内村は全国でも乳児死亡率が極めて高い地域だったが、一連の施策によって1962年に全国の市町村で初めて乳児死亡ゼロを達成させた。その拠点が当時の沢内村国民健康保険沢内病院であった。沢内病院は2014年に移転新築され、町立西和賀さわうち病院となったが、引き続き地域唯一の病院として、地域の人々の命と健康を守る砦となっている。

 深澤晟雄記念館では、このさわうち病院事務長の高橋光世さんに、深澤晟雄村長と沢内村について説明していただいた。高橋さんによれば、深澤村長は旧沢内村の「三悪」(豪雪・病気・貧困)の克服を目指した。旧沢内村を含む西和賀町は国の特別豪雪地帯に指定されている地域で、年間の累積積雪量は12メートルを超え、最高積雪量も3メートル近くに及ぶ。今でこそ除雪が行き届いているが、当時は除雪などされず、冬は雪に閉ざされていた。そのため、冬は具合が悪くても病院に掛かれず、その結果命を落とす高齢者も多くいたそうである。深澤村長はこうした状況を打破すべく、苦心して工事用のブルドーザーを調達し、まず除雪を成し遂げた。

 しかし、それだけで住民の病院へのアクセスは改善しなかった。当時病院受診は「かまど返し」と言われ、大きな出費を伴うものと捉えられていたのである。当時の医療費自己負担は5割。山間で自給自足で生活してきた村民にとっては重い負担であった。結局、受診しなければいけない患者が受診できずにいる状況は変わらなかった。そこで深澤村長は1960年に医療費の本人負担分5割を村が肩代わりする政策を実施する英断をしたのである。実施に当たり県と当時の厚生省からは「法律違反である」との警告を受けたが、憲法25条の生存権を挙げて、「人命の格差は絶対に許せない。本来国民の生命を守るのは国の責任であり、国がやらないなら私がやる。国は後からついてきますよ」と言って、断行した。

 その言葉通り、旧沢内村に続いて、1969年に秋田県と東京都が老人医療費を無料化し、国も73年に70歳以上を対象に無料化に踏み切った。ところが、これによって医療費が膨張したために、結局無料化は10年で終了し、1983年の老人保健法の制定により、患者の一部負担が復活することとなった。

乳幼児死亡率ゼロの原動力となった保健婦の家庭訪問(深澤晟雄資料館) これに対し、「元祖」の旧沢内村では、老人医療費無料化は、旧沢内村が西和賀町になるまで続けられたのである。旧沢内村の高齢化率は全国平均をはるかに上回る46%だった。それなのになぜ、旧沢内村は老人医療費無料化を続けることができたのであろうか。実は、旧沢内村の老人医療費無料化は、村の保健婦の予防活動とセットであった。「まず病気にならないこと」を重視し、保健婦が村の全戸訪問活動に力を入れていた。その成果があって、旧沢内村の医療費は全国最低水準だった。保健婦の家庭訪問による訪問指導こそが深澤村長の老人医療費無料化に始まる「生命尊重行政」の肝だったのである。

 1960年には「地域包括医療実施計画案」が策定された。保健と医療は一体で行うものとし、医師は病気にならないことにも関与すべきとした。予防活動を担う保健婦は病院に常駐した。予防から医療まで切れ目なく実施される「沢内方式」は、現在の地域包括ケアシステムの先駆けとも言えた。

今も生きる「人間の尊厳・生命の尊重」

 旧沢内村はその冷涼な気候で美味しいそばが取れる。昼に立ち寄った「農家食堂およね」では沢内手打ちそばが食べられた。この日の午後は、旧沢内村、そして現在の西和賀町の保健医療の拠点である町立西和賀さわうち病院内を見学させていただいた。ここでも事務長の高橋さんにご案内していただいたが、その際に聞いた話では、西和賀町では40〜65歳を対象に人間ドックは町から助成され、6,000円台の自己負担で受けられること、そして、合併で医療費無料化はなくなったが、今でも町民は外来月1,500円、入院は月5,000円の定額負担で受診できるということであり、また町民税非課税世帯は入院、外来とも無料であるということであった。自給自足で過ごす町民の割合がかなりを占めることから町民税非課税世帯の割合は高く、実質的に医療費無料化は現在も続いていると見ることもできる、とのことであった。

 病院ではまた歯科保健に力を入れており、回診には歯科衛生士、さらに歯科技工士も同行しているというのも特筆すべきことであった。また、リハビリテーションにも力を入れており、40床の病院でありながらリハビリテーション職員は4名いて、外来、入院、訪問、通所リハを実施しているそうである。病棟のスタッフステーションには深澤村長の言葉が掲げられ、今も深澤村長の思いが院内に息づいていることが窺えた。

 その後、院長の北村道彦先生から「高齢社会の医療を守るための処方箋」とのテーマでご講義をいただいた。

 それによれば、深澤村長の取り組みは住民自治と予防重視で、「広報」と「広聴」で住民との信頼関係を構築したとのことである。自分達で自分達の命を守る「自動」、「自立」を掲げ、「一人ひとりがせい、話し合ってせい、みんなでせい」の「三せい運動」を村づくりの原則の一つとしている。

 高齢化率46%の西和賀町は、岩手県のみならず、日本のモデルと言える。最近よく言われる「ソーシャル・キャピタル」とは北村先生の解釈では「絆力」で、西和賀町のこの高齢社会は行政だけでなくソーシャル・キャピタルが支えている、とのことであった。

 北村先生は2014年に院長に就任してすぐ、病院の対外的な窓口となる医療福祉連携室を立ち上げ、他地域の病院や診療所に出向き、「西和賀町の患者さんはすべて受け入れます」と挨拶したそうである。「顔の見える」関係の構築のためには、自ら足を運ぶことが大事で、さらに「思いの共有」が必要と強調しておられた。それを実践すべく、在宅医療を担う開業医3名、開業歯科医3名と病院、地域包括支援センター職員で月1回ミーティングしており、門前調剤薬局は院内薬事委員会のコアメンバーでもある。他に社会福祉士、栄養士、介護福祉士、看護師、保健師など町内の専門職の組織化もそれぞれ進行中で、病院の枠を超えて、町全体の専門職による「チーム西和賀」を目指しているそうである。

 また、院内にある売店とカフェは町内の障害者授産施設に運営を委託したそうである。現在、施設職員と利用者が2人一組で切り盛りしていて利用者の就労支援にもつながっている。病院単位でなく、地域(コミュニティー)単位で考えることが重要であるとのお話であった。

 最後に北村先生は、「乳児死亡ゼロと医療費削減を成し遂げた深澤村長の取り組みは今も褪せることなく我々の誇りであり希望。沢内村の、深澤村長の医療を学び、進化させたい」とおっしゃっていた。まさに、深澤村長の取り組みは、まさに今も色褪せることなく息づいているのである。

 一緒に行った訪問管理栄養士の塩野淳子さんが、「地域包括ケアは、もう私が産まれるずっと前に、小さな村で実践されていたんですね」と感想を書いていた。まさにその通りだと思った。今、国が進めている地域包括ケアシステムの先駆的事例こそ、この旧沢内村の半世紀以上前からの実践なのである。

 深澤村長は2期目の任期半ば、1965年に食道がんでこの世を去った。深澤村長の亡骸が村に戻ってきた時、猛吹雪の中にも関わらず、2,000人近い村民が沿道で迎えたという。深澤村長は亡くなっても、その「人間の尊厳・生命の尊重」という志はその後も旧沢内村の村民に脈々と受け継がれ、今なおその意思は生き続けているのである。


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私的東北論その102〜「東北・みやぎ復興マラソンが初開催!」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 昨年10月16日に発行された「東北復興」第65号では、初開催された「東北・みやぎ復興マラソン」について書いた。私にとっても初のフルマラソンで、相当シンドい思いもしたが、沿道の温かい声援は本当に力になった。人が誰かを思って発する言葉の持つ力について改めて思い至った。


「復興」の名を冠したマラソン
 10月1日、「東北・みやぎ復興マラソン」が開催された。東日本大震災の大津波で大きな被害を受けた宮城県の沿岸部、名取市・岩沼市・亘理町にまたがるエリアを走る、震災後の宮城県内で初となる公認フルマラソン大会である。津波対策としてかさ上げされた県道塩釜亘理線を走り、岩沼の震災復興のシンボルでかつ災害時の避難場所でもある「千年希望の丘公園」や建設中の防潮堤などを望むコースである。

 この大会の目的として、「被災地復興の”今”をマラソンというスポーツを通じて、日本や世界に伝え」ると共に、「震災を風化させることなく、今なお続く『復興』を走ることによって支援する」ことが挙げられていた。復興への願いを込め、被災地の復興に役立ちたいという想いで「復興マラソン」という名を冠し、その名に恥じない大会にするべく、開催に掛かる多額の費用を、開催場所が被災地である点を考慮して開催自治体には補助金の拠出以外の部分での協力を求め、参加ランナーの参加料と開催趣旨に賛同した企業の協賛金のみで賄うことを目指したという。

 また、マラソン大会運営そのものだけでなく、集まった資金の中から被災地に役立つ復興支援策を実施するとして、「子どもたちの健全な心身と地域への愛情の育成」、「震災の『風化を防止』し、全国・世界の支援者との強固な絆の構築」、「被災地域のにぎわい創出・交流人口や定住人口の拡大」の3つの支援策を揚げ、継続的な復興支援を行っていくとしている。具体的には今回は、12の被災自治体のスポーツ少年団にスポーツ用品を、1つの被災自治体に「防災・減災広報車」を贈呈し、また大会を一過性のものにすることなく、ランニング文化を育むことを目指すとして今回のマラソンコースに距離表示看板を設置した。

いざ、参加!
 そのような趣旨のマラソンであるこの「東北・みやぎ復興マラソン」、「東北」と「復興」という、私にとって重要なキーワードが2つも含まれている。関心は大いにあったのだが、当初参加に関しては迷っていた。理由は何のことはない、私自身がフルマラソンを走ったことがないからである。毎年5月に開催される「仙台国際ハーフマラソン」には、一般参加ができるようになった2012年から毎年参加しているが、ハーフマラソンですら毎回ヨロヨロになりながらゴールする有様であるので、その倍の距離を走り切れるとは到底思えなかったのである。

 そんなわけで気が付いたら応募締切日を過ぎてしまっていたのだが、そうしたらなんと、定員に達せず締切を大幅に延長することになったと聞いた。初開催ということで知名度がまだそれほど高くなかったこと、上記のような趣旨から参加料が14,000円と高額(東京マラソンでも10,800円である)だったことなどが影響したようである。それなら完走できるかどうか分からないけれども参加してみようかと思った。

 私のような人が他にもたくさんいたのだろうか。ふたを開けてみれば、フルマラソンは結局当初予定の12,000人がエントリーして、問題なく開催となった。12,000人が走るので、スタートはウェーブスタートというそうだが、4回に分けて行うことになった。私は第2ウェーブのスタートだったが、10分間隔で3,000人ずつスタートの号砲が鳴った。

 案の定、スタートから20kmくらいまでは何とか走れたが、そこから先の未知の世界では本当にゴールが遠かった。普段通勤で乗っている自転車とは違い、速度が遅いために周囲の景色の移り変わりが遅くじれったくなること、脚を止めたらその先一歩も進まないことなどで正直かなりしんどかった。

 それでもやはり沿道の声援は本当に力になった。仙台国際ハーフマラソンでも聞く、「頑張って!」、「ファイト!」という声に混じって、「ありがとう!」という声が多かったのには驚いた。震災後、人の賑わいが遠ざかっていた沿岸の集落の方々からすると、12,000人ものランナーが大挙して訪れるということに対しては、まさに「ありがとう!」という気持ちだったのかもしれない。

 沿道で声援を送ってくれる方々の中には、大きなざるにたくさんの塩タブレットを入れて、道行くランナーに「どうぞ持って行ってください」と声を掛けてくれたり、後半になると走る脚のトラブルが生じるランナーが出てくるということを見越して、エアーサロンパスを準備して「エアーサロンパスあります!最後まで頑張ってください」と声を掛けてくれたり、単に声援を送るだけでない人も多数見掛けた。こちらこそ「ありがとう!」である。と同時に、この辺りのことが実に東北らしいとも思った。

「BACK TO THE HOMETOWN」
 そう、この復興マラソンの特徴は他にもある。集落の名前を冠したスペシャルエイド「BACK TO THE HOMETOWN」である。今回のコース上には、「閖上」、「小塚原」、「美田園」、「北釜」(以上名取市)、「相野釜」、「藤曽根」、「二野倉」、「長谷釜」、「蒲崎」、「新浜」(以上岩沼市)、「荒浜」(亘理町)の合わせて11の集落があった。しかし、すべての集落が大津波によって甚大な被害を受けた。集落に住んでいた方々は長期の避難生活を余儀なくされた。11の集落のうち岩沼市にあった6つの集落は、災害危険区域となった先祖伝来の土地からの集団移転を決意して、海岸から内陸に3キロ入った玉浦地区の西側に新しい街をつくった。現地再建を選んだ残りの5つの集落でもまだ震災前の状態には戻っていない。これらの集落があった場所に今回、「BACK TO THE HOMETOWN」と名づけられたエイドステーションが設けられた。「BACK TO THE HOMETOWN」には当日、かつての住民が再び集い、ボランティアの人と一緒に水やスポーツドリンクを準備してくれただけでなく、地域に伝わる郷土料理を提供してくれたり、伝統芸能を披露してくれたりもした。

 当日は「はらこめし」(醤油などの調味料で煮込んだ鮭を込んだ煮汁で炊き込んだ鮭といくらの「親子丼」)、「せり鍋」(昆布や鰹節の出汁に鶏肉とせりを根っこの部分まで入れて醤油などで味付けして食べるなべ)、「岩沼とんちゃん」(ジンギスカン用の鍋で焼く豚のモツを用いたホルモン焼き)、「浜焼き」(水揚げされた新鮮な海産物を炭火で焼いたもの)などが振る舞われた。

 フルマラソン開催日に「当時の集落の賑わいを復活させたい」という実行委員会の思いで実現したまさに特別なエイドステーションである。このマラソンは今後も年に1回開催される予定であり、「年に一度、故郷が『BACK TO THE HOMETOWN』として蘇る」という趣旨で今後も設置され、ランナーと地域の人との交流の場となるに違いない。

雄勝石の「Finisher Stone」
18839530_1076395292494506_6791376177430904705_o さて、結局私の方はと言うと、筋肉痛で痛む脚に鞭打ちつつ、沿道の声援に背中を押していただいて、何とかかんとか3時間41分で完走できた。もう二度とやるものかと思ったが、ゴールして嬉しかったのは完走した人がもらえる「Finisher Stone」である。要は、石で造ったメダルなのだが、この石が何と、石巻市雄勝町特産の「雄勝石(おがついし)」だったのである。

 雄勝町は震災前、国内の硯の9割を占める圧倒的なシェアを持っていたが、その理由が町内で産出する「雄勝石」だったのである。硯だけでなく、高級な屋根材や庭石としても珍重されているそうだが、その歴史は古く、室町時代にまで遡るという。

 今回の「Finisher Stone」は、震災の大津波で流失し、地元の方々やボランティアの方々が回収した雄勝石を使っているとのことで、まさに復興の名を冠するマラソンに相応しい素敵な記念品となった。大会事務局では、「大震災を乗り越えた石!復興の象徴の石」として、「42.195kmという通常では考えられない距離に挑戦し、見事に乗越えられた『強い固い、意志=いし』を持つランナーの方々に相応しいメダルを贈りたい」との思いを込めたそうである。

被災地のグルメを堪能できる「復興マルシェ」
 スタートとゴールの会場である岩沼海浜緑地では、「復興マルシェ」も開催された。各ブースでは、宮城県内の30超の市町村、それに福島県、岩手県、熊本県のグルメが味わえた。ランナーだけでなく、会場を訪れたすべての方が楽しめるという趣旨のイベントで、実際たくさんの人で賑わっていた。

 こうして各地域の名物料理が一堂に会する様を見ているとつくづく、東北には豊かな自然の恵みが多くあることを実感する。この時期の亘理町の名物である「はらこめし」など特に人気のある名物料理はあっという間に品切れになっていた。私の好きな宮城県加美町のやくらいビールも、私がゴールする頃には全種類品切れとなっていた。マラソンで走らなくても、被災地各地のグルメを横断的に堪能できる場としても、この「東北・みやぎ復興マラソン」は貴重であると思った。

被災地の今を知り、交流する場に
 今年初開催となった「東北・みやぎ復興マラソン」、シャトルバスの運用などいくつかの点で次年度への課題を残したようであるが、何より全国から(今回全都道府県からエントリーがあったそうである)多数の人が被災地を訪れ、復興の現状をつぶさに見て、また各被災集落の方々とスペシャルエイドステーションである「BACK TO THE HOMETOWN」で交流できるというのは素晴らしい取り組みであると思う。

 毎年継続して開催されることで、その時々の復興の状況をつぶさに見ることもできる。震災の記憶の風化が指摘されるが、毎年のこの復興マラソンの模様が報じられる度に、現地の復興の状況についても触れられたり映像で伝えられたりすることも期待できるわけである。

 5年後、10年後、コースから見える景色はどのように変わっているのだろうか。ぜひ今後の継続的な開催を期待したい。


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私的東北論その101〜「『都市ブランド』と東北」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 8月16日刊行の「東北復興」第63号に掲載された記事を9月29日にこのブログで紹介して以来、「東北復興」の記事の再録が滞っていた。以下は9月16日刊行の「東北復興」第64号に掲載された記事の全文である。


東北は「住んでみたい」都市が少ない?
 「都市ブランド」という言葉を最近よく耳にするようになってきた。決められた定義はないようであるが、例えば後述する秋田県鹿角市の「『都市ブランドの確立』に向けた政策研究報告書」では、「特産品や観光地など、ある特定の地域資源がブランド化されたもの」を「地域ブランド」と呼び、「市全体の地域活性化へと繋がる地域ブランド構築の姿」を「都市ブランドの確立」と位置付けている。

 2014年10月の第29号で、ブランド総合研究所の「地域ブランド調査」のことを取り上げたことがあったが、昨年11月には日経BP総合研究所が「シティブランド・ランキング-住んでみたい自治体編-」を発表した。これは、「都市住民が持つ『住んでみたい』というイメージを『ブランド力』としてとらえ、その指標となるランキングを作成した」というもので、「都市ブランド」力を住んでみたいかどうかという視点で測ったものである。それによれば、「住んでみたい自治体」の1位は札幌市で、2位が京都市、3位が横浜市で、以下神奈川県鎌倉市、那覇市、福岡市、神戸市、沖縄県石垣市、北海道函館市、長野県軽井沢町と続く。東北の各都市では、仙台市の20位が最高で、他は上位100の中には盛岡市が93位、秋田市が97位にランクインしているのみである。

 注意しなければならないのは、この調査、「5大都市(五大都市圏の中心都市:東京23区、大阪市、名古屋市、札幌市、福岡市)の在住者5000人超に『将来、住んでみたい』と思う自治体を選んで」もらったものだということである。仮に仙台市民も調査に加わっていれば、東北各都市の順位はもっと高いものになったのではないかと思われるが、逆に言えば、東北を除く他の都市圏から見た東北各都市への認識というのがこれくらいのものだということは分かる調査結果となっているのではないだろうか。

 各都市圏の傾向についても明らかにされているが、東京23区在住者が将来住んでみたい自治体TOP50の中に東北の自治体は1つのみ、大阪市在住者、名古屋市在住者が将来住んでみたい自治体TOP50の中にも東北の自治体も1つ、札幌市在住者が将来住んでみたい自治体TOP50の中に東北の自治体はようやく2つあるが、福岡市在住者が将来住んでみたい自治体TOP50の中に東北の自治体は皆無である。ちなみに、福岡在住者が選んだ自治体の中に北海道の自治体は4つも入っているので、寒さや雪などが敬遠されているわけではないことが分かる。

 注目すべきは、石垣市や函館市、軽井沢町など県庁所在地ではない都市がベスト10にランクインしていることである。これ以外にも11位に沖縄県宮古島市、14位に沖縄県沖縄市、16位に長野県松本市、17位に千葉県浦安市、18位に北海道小樽市、19位に神奈川県箱根町が入っている。中でも軽井沢町、松本市、浦安市は、それぞれの県庁所在地よりもランキングが上位である。これらの都市は、まさに「都市ブランド」が確立しているところであると言える。すなわち、県庁所在地だけが有利なのではなく、「都市ブランド」を確立したところがランクインしているわけである。

「都市ブランド」発信への取り組み
 このような「都市ブランド」の重要性を認識した自治体が、自分たちの都市ブランドが何かを考え、取りまとめ、発信する事例が増えている。東北でも、例えば秋田県鹿角市は先述のように2015年に「『都市ブランドの確立』に向けた政策研究報告書」をとりまとめている。その中では、「全国」「市民」「転入者」「有識者」から見た鹿角市の地域ブランド形成の課題を抽出すると共に、SWOTクロス分析を行い、「鹿角ブランド」確立のための3つの戦略を立案している。

アジサイをモチーフとした北上市のロゴ また、岩手県北上市の取り組みはより徹底している。北上市では昨年6月に「きたかみ都市ブランド推進市民会議」を立ち上げた。「北上市の魅力を効果的に発信する『ブランドメッセージ』案を検討する」ことを活動テーマに掲げ、「魅力発散ワークショップ」、「魅力共有ツアー」などを開催して「ブランドメッセージ」の素案を作成、素案をベースにコピーライターが磨き上げたブランドメッセージ案を9案の中から4案を選定し、市民が投票する「北上市ブランドメッセージ総選挙」を開催して「ブランドメッセージ」、「KitaComing!北上市」をつくったのである。さらに今年はこのブランドメッセージの「ロゴマーク総選挙」も実施し、アジサイをモチーフに多彩な人や文化が調和する様子を表現したロゴマークを選んだ。コンセプトは「アジサイの花のように咲き誇る、地域コミュニティ」で、市が掲げた、活力ある地域コミュニティーが結び付く姿をアジサイの花に例えた「あじさい都市構想」ともマッチするものとなっている。

 もとより、そこに住む人が支持しない都市ブランドは成立しない。北上市の事例は、「自分たちのウリは何なのか」を行政主導ではなく、市民参加で考え、決めたところに大きな特徴があると言える。

桜と魚をあしらった塩竈市のロゴ また、宮城県塩竈市は、塩竈の都市ブランド・イメージアップ事業として、「『塩竈』を一目で連想・イメージできるお洒落で印象的なロゴマーク」を公募し、全国から集まった391点のロゴマークの中から最優秀賞を選んでいる。これなども全国にロゴマークを公募している点で、塩竈市という都市の認知度向上にもつながることも期待できる取り組みである。ちなみに、この時選ばれたロゴマークは天然記念物でもある「塩竈桜」と港町塩竈を象徴するような「跳ねる魚群」をモチーフとした作品が選ばれている。

 違ったアプローチを見せているのが仙台市である。東日本大震災での被災を踏まえて、「震災と復興の経験と教訓を継承し、市民の防災文化として育てる」ことを掲げ、また2015年に仙台で第3回国連防災世界会議が開催されたことを契機として「世界の防災文化への貢献」と「快適で防災力の高い都市としてのブランド形成」を目指すとして、「防災環境都市・仙台」を「都市ブランド」として打ち出している。

 以前紹介したが、第3回国連防災会議では、2030年までの国際的な防災・減災の指針となる「仙台防災枠組2015-2030」が採択された。この「仙台」の名を冠した成果文書の採択都市として、震災の経験と教訓についての情報を発信すると共に、防災・減災に対する取り組みでも他の都市の先駆けとなるという方向性は、「都市ブランド」としても他にあまり例を見ないということもあり、大いに首肯できるものである。国連防災会議の後も、毎年3月に「仙台防災未来フォーラム」を開催し、今年11月に開催される「世界防災フォーラム」の開催地として名乗りを上げるなど、防災・減災に関する情報の発信を強く意識していることが窺える。一過性の取り組みに終わらず、息の長い取り組みとなることを期待したい。

「都市ブランド」力を磨くには

 さて、やや古いデータとなるが、首都圏居住者に絞って、全国の都市のイメージを測定、数値化した株式会社GAIN(現・株式会社モニタス)の「全国都市ブランド力調査」もある。「住んでみたい」だとハードルは高いかもしれないが、住むことにこだわらず、「行ってみたい」「体験してみたい」都市を自由に挙げてもらったというこの調査は、日経BP総合研究所の調査とはまた違って、しがらみのない、より自由な観点から都市のイメージが捉えられているように思われる。

 自由に挙げてもらったということから、こちらの調査では市町村と都道府県が入り混じっているが、1位が京都市で、2位が札幌市、3位が沖縄県となっている。以下、東京都、那覇市、横浜市、神戸市、北海道と来て、次に9位に仙台市が来ている。大阪市や福岡市、金沢市、長崎市、函館市、名古屋市などを抑えてのベスト10入りである。他に、盛岡市と青森市が30位、弘前市と秋田市が44位にランクインしている。「地域ブランド調査」の結果を合わせて考えてみると、仙台市を始め、東北の各都市は「住んでみたい」とまでは思われないものの、「行ってみたい」「体験してみたい」という点では他の都市と互角以上に渡り合えるポテンシャルを持っている、ということになるだろうか。

 ここに「都市ブランド」力を高めるヒントがあるようにも思える。すぐには「住んでみたい」とまでは思われなくても、「行ってみたい」「体験してみたい」と思われている東北の都市はいくつもあるわけである。

 この調査で「行ってみたい」の理由となっていたものは、最も多く挙げられていたものから「おいしいものや名物の食べ物を食べたいから」、「歴史や伝統があるから/感じたいから」、「今後住んでみたい/暮らしてみたいから」、「自然があるから」、「海、湖、川、港があるから」の順であった。このうち「住んでみたい」は先述の通り、「シティブランド・ランキング-住んでみたい自治体編-」では東北の都市がほとんどランクインしていなかったが、それ以外の理由は東北の各都市にも大いに当てはまる。東北の各都市としてはこれらを基に、「自分たちのウリは何なのか」について再度洗い出しをしてみるとよいのではないだろうか。その際に、北上市の取ったアプローチの方法は大いに参考になると思われる。

 今年5月の第60号で「東北でよかった」騒動について取り上げた際に、「東北においでよ」という投稿の多さについても紹介した。これなども「都市ブランド」にも直結している。なぜなら、それらの投稿は「○○があるから一度おいでよ」とアピールしているものがほとんどであり、この「○○」こそがその都市に固有の要素、他の都市と差別化できるもの、いわば「キャラの立っている」ことであるわけであるからである。

 これらの投稿の大半はそこに住んでいる、あるいは住んだことのある人によってなされていたが、そのことはつまり、「自分たちのウリは何なのか」を一番よく分かっているのは、他ならぬその地に住む人だということを示している。それらの声を集め、束ねることが「都市ブランド」確立の出発点になるのではないだろうか。


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2017年09月29日

私的東北論その100〜「観光とは外向きのことだけではない」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 8月16日刊行の「東北復興」第63号では、前号に引き続いて仙台の観光について、前橋と金沢との比較で考えてみた。それぞれ仙台にとって参考になりそうなことがあり、とても興味深かった。

 それにしてもこのブログの中の「私的東北論」、ついに100本目の記事である。よもや地ビールの話題よりも先に100に到達するとは思ってもいなかった(笑)。東北について毎回好き放題に書いているが、恐らくこれからもそのスタンスは変わらないものと思われる。とりあえず、以下が今回の全文である。


観光とは外向きのことだけではない

仙台のイメージとは

 前回は仙台市の観光について、普段あまり比較されることのない前橋市と金沢市との比較で考えてみた。今回も引き続き、この両市との比較で仙台市の観光を考えてみたい。

 まず、仙台市の観光について考える材料としては、「平成27年度仙台市観光客動態調査報告書」が参考になる。インターネットと仙台市内での聞き取りで仙台市のイメージや観光資源の認知状況、来訪者の動向などを調査したものだが、これを見ると、仙台が外からどのように見えているのかがよく分かる。

 まず、仙台の「情緒イメージ」として多く挙げられているのが、「歴史のある」(52.6%)、「伝統がある」(38.0%)、「文化的な」(25.6%)、「落ち着いた」(20.8%)などである。これらは同じ政令指定都市と比べても仙台が優位なイメージである。例えば、「歴史のある」は名古屋25.8%、福岡21.3%、札幌20.0%、「伝統がある」は名古屋19.1%、福岡18.0%、札幌15.6%、「文化的な」は札幌17.6%、福岡13.4%、名古屋13.2%であるので、仙台はこれらの都市よりもかなり「歴史のある」、「伝統がある」、「文化的な」都市と見られているのである。

 せっかく他の政令指定都市よりもこのようなイメージで仙台を捉えてもらっているにも関わらず、仙台はその強みを活かし切れていないように見える。「歴史のある」、「伝統がある」、「文化的な」仙台に行きたいと思った人が実際に仙台に来たとして、仙台のどこに行けば、これらを体感できるのかと考えてみると、甚だ心許ない気がするのである。

 ちなみに、金沢は「歴史のある」が69.8%、「伝統がある」が64.8%、「文化的な」が45.6%と、いずれも仙台のポイントを上回っており、金沢はこうした情緒イメージが仙台よりも強いことが分かる。金沢の場合、金沢城&兼六園、茶屋街といった観光資源があり、足を運べば歴史や伝統を体感できる。また、金沢には「金沢なんでも体験プログラム」という、加賀友禅、金箔工芸、九谷焼、加賀蒔絵といった金沢の伝統工芸や伝統芸能などを気軽に体験できるプログラムが用意されており、まさに金沢の文化を体感できる体制が整っているのである。このように金沢は、仙台以上に「歴史のある」、「伝統がある」、「文化的な」と評価されたイメージを、実際に体験できるハードやソフトがあるわけである。そのことによってさらにこれらのイメージが強化されるという好循環が生まれているのではないだろうか。仙台が金沢に学ぶべき点はまずここにあると思われる。

海から山までつながっている仙台

 ちなみに、同報告書では、「観光資源イメージ」についても調べている。それによれば、仙台の観光資源イメージとして、「美味しい食べ物・飲み物がある」が53.8%、「美しい自然や景勝地に恵まれている」が43.0%、「伝統的文化がある」が28.5%と高い。

 「美味しい食べ物・飲み物がある」は札幌(71.0%)、福岡(61.5%)よりは低いが名古屋(47.8%)や金沢(47.6%)よりは高い。これは恐らく、牛たんと海産物が牽引しているものと思われるが、こうした明確なイメージを持ってもらえるアイテムがあるのは強みであることが分かる。

 「美しい自然や景勝地に恵まれている」も、金沢(49.2%)や札幌(46.8%)よりは低いが、福岡(12.4%)や名古屋(7.8%)よりは圧倒的に高い。これは「杜の都」のイメージや、実際に自然が多く残されていることによるものと思われるが、このことが体感できるスポットが青葉通りや定禅寺通りだけというのではやはり不十分である。

 あまり普段意識されていないことだが、仙台は太平洋から奥羽山脈までを含む多様な地域である。太平洋沿岸から山岳地帯までが全てある、自然の様々な姿を見ることのできる貴重な地域である。これは大きな強みであると思うのだが、このことを前面に出した観光案内などは今のところないように思う。海も平地も山も、全部の自然を体験できるパッケージができるとよいのではないだろうか。

 「伝統的文化がある」は金沢(55.3%)には比ぶべくもないが、名古屋(19.1%)、福岡(13.6%)、札幌(11.1%)を上回っている。先に紹介した「金沢なんでも体験プログラム」のようなソフトの充実が望まれる。

前橋に学ぶ伝える工夫
 観光に関しては、どう伝えるかも大変重要である。せっかくいい観光資源を持っていても、その存在やそのよさが伝わらなければ観光にとっては意味がない。その点で、前橋に行った時に手に取った観光パンフレットが実に秀逸だった。

およそ観光パンフレットとは思われない「kurun」の表紙 手書き風の文字で「kurun」と書かれ、そばに「まえばし くるん」と小さく書かれているが何のことかよく分からない。表紙は饅頭か何か、あまり見たことのない食べ物らしきものを目のところに持ってきている女性の写真で、下の方にはこれまた手書き風の文字で「Take Free」と書かれているが、表紙だけ見た限りでは、これが何の冊子なのか分かる人はそういないのではないかと思われる。

 中を開いてみると赤城神社、るなぱあく、弁天通り、チーズ工房、前橋の地酒、アーツ前橋などがグラフ雑誌のような感じで紹介されていき、焼きまんじゅうのところに来てようやく表紙のよく分からない食べ物が焼きまんじゅうという前橋の名物であることが分かる。他にも、自転車、まつり、音楽、文学などのことが書かれ、裏表紙まで来てようやく「くるん」というのが「来る?」の群馬方言で、かつ「前橋市に来たくなるように作られた冊子」であることが説明され、「前橋市観光パンフレット」という記載を見てようやくこれが前橋市のつくった観光パンフレットであることが分かるという寸法である。

 通常、パンフレットというのは、その地域の観光資源についての情報をこれでもかというくらいに詰め込んでいて、網羅性はあるもののインパクトに欠ける面がどうしても残る。その結果、読み手の印象に残らず、実際に足も運ばれないということになってしまう恐れがあるわけである。

 この「kurun」はその点を見事にクリアしている。他の地域にはない、前橋ならではの観光資源だけをピックアップし、その魅力をインパクトのあるタイトル、デザイン、写真でこれでもかというくらいに強調しており、それらを読み手に深く印象付けられる構成となっている。

 観光パンフレットというのは、その地域の「名刺」とでも言うべきものである。「私はこういう者です」ということを初対面の相手に伝える役割を持っているものである。ビジネスで初対面の相手にいかに自分のことを覚えてもらうかが大事であるのと同様に、その地域のことを分かってもらい、実際に足を運んでもらうことが観光パンフレットのミッションであるとするならば、その中身については、名刺が様々に工夫されているのと同様にもっと工夫されてしかるべきであると思う。

 なお、「kurun」はウェブ上でも閲覧できるのでぜひ一度見てみていただきたい。

金沢に学ぶ目指す都市像の明確化

 一方の金沢については、観光についての戦略やプランが実に充実している。観光を都市運営の柱にしようという強い意志と意欲が感じられる。金沢市のサイトを見てみると、「金沢魅力発信行動計画」(2012年2月)、「世界の『交流拠点都市金沢』をめざして」(2013年3月)、「金沢市国際交流戦略プラン」(2015年3月)、「金沢市観光戦略プラン」(2016年3月)、「世界の交流拠点都市金沢重点戦略計画」(2017年2月)など、観光や国際交流を強く意識して、そのために金沢として何を重視し、何を実践していくかを折に触れて明確にしているその姿勢がよく表れている。

 これらの文書を見て感じるのが、金沢が目指す都市像が、観光政策というフィルターを通して明確になっているという事実である。自分たちの住む都市がどのようなもので、これから何を目指すのか、ということは、多くの場合、意外に明確になっていないし、そこに住む人たちの間の共通理解にもなっていない。金沢では、観光政策という対外的な対応策の立案という形を借りて、そこの部分を明確にしている。言ってみればこれは、外に向けているようでいて、実は内に向けても発信しているように見えるのである。

 例えば、「金沢魅力発信行動計画」では、「金沢が培ってきた文化の継承・活用・育成」について、真っ先に「歴史遺産・伝統芸能等の文化に対するアイデンティティの形成」を挙げている。「歴史遺産や伝統芸能等の文化による魅力あるまちづくりを進めていくためには、まずその前提として、市民自らが金沢の文化の重要性や固有性を十分認識することが不可欠」と、そこには書かれている。つまり、観光を通じて、自分たちが何者なのか、何を大事にする(しようとしている)住民なのかを明確にしているのである。

 「世界の『交流拠点都市金沢』をめざして」には、世界の交流拠点都市としての機能を高めていくためには、「市民協働によるまちづくりを進めていくことが重要です」とある。してみるとこれは、一見観光政策のように見えて、実はまちづくりのことを謳っているのだということに気づく。この、観光とは結局のところ、自分たちが何者なのかを問い直し、明確にし、発信する一連のプロセスであると規定して、それを実際に実践している金沢の在り方は、大いに参考にすべきであると思う。

 その手掛かりとして、他からどう見えているのかを知り、その強みを活かす、強化することは重要である。その意味で、冒頭に紹介したような調査は有用であると思うが、肝心なのはその結果を踏まえた対応である。すなわち、金沢のように、具体的に何をするかを平易な言葉で内外に伝えようとするアクションである。金沢の「金沢市観光戦略プラン」には「かがやく」、「ひろげる」、「つどう」、「めぐる」、「もてなす」、「そだてる」、「つなげる」という、分かりやすく書かれた7つの基本戦略とそれに伴う主要施策が明示されている。観光を通して、自分たちの目指す都市像を自分たちで描く努力をすることが、自分たちにとっても重要であることに気づくべきである。


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2017年08月18日

私的東北論その99〜「観光都市としての仙台を三都市の比較で考える」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 7月16日刊行の「東北復興」第62号では、観光都市としての仙台について考えてみた。5月に機会があって前橋市と金沢市を訪れた際にそれぞれ印象的だったことがあったので、この2つの都市と仙台との比較の中から何か新しい視点が見出せないかと考えてみた次第である。

 以下がその全文である。


観光都市としての仙台を三都市の比較で考える

前橋、金沢、仙台

 東北における観光については、本連載でも何度か取り上げている。その中では特に、東北各県同士の観光領域における連携の促進について書いて来たように思う。今回は、東北全体ということではなくて、一都市に絞って見てみようと思う。具体的には私の住む仙台市である。

 今年5月に、前橋市と金沢市に足を運ぶ機会があった。観光に関してそれら2都市で感じたことはいろいろとあった。仙台が何かの領域で比較される場合、比較の対象となるのは大抵同じ政令指定都市であることがほとんどである。観光についてもしかりで、都市間比較の対象というのは仙台の場合、同じ政令指定都市、とりわけ札幌市、広島市、福岡市辺りと比較されることが多かった。

 もちろん、前橋市、金沢市と仙台市とでは、人口など都市の規模の面では異なるわけで、それで今まであまり比較されてこなかったわけだが、そうした差異をこの際度外視して見てみると、仙台の今後を考える際に参考になりそうなことが意外に多くあることに気がつく。

 今回はそうしたことについて取り上げてみたい。

三都市の比較
 まず三都市の比較である。前橋市は人口約33万5千人、金沢市は約46万6千人、仙台市は約108万5千人である。面積は前橋市が311.59㎢、金沢市が468.64㎢、仙台市が786.3㎢である。人口は仙台市が最も多く、前橋市が最も少ないが、仙台市は面積も大きく、前橋市は面積も小さいので、人口密度は三都市でそれほど大きな差はない。1平方キロメートル当たり前橋市が1,080人、金沢市が994人、仙台市が1,380人である。

 次に、三都市の特徴を見てみる。三都市とも県庁所在地で旧城下町であることは共通しているが、まず前橋市は赤城山の南麓に位置する内陸の都市で、寒暖の差は大きい。冬は「赤城おろし」と呼ばれるからっ風が吹き下ろし、雪は少ない。市の中心部にあるJR前橋駅は上越新幹線や上越線からは外れており、高崎駅での乗り換えが必要である。この高崎駅のある高崎市は人口で前橋市を上回っており、両市は群馬県内において「ライバル」と見なされることが多いようである。この辺りは福島県における県庁所在地福島市と人口で上回る郡山市の関係に似ているかもしれない。前橋市も仙台市と同様、戦災で市街地が焼けた歴史を持つ。かつ仙台市と同様、ケヤキが街路樹として植えられており、また街中を「広瀬川」が流れている。農業産出額は全国の市町村中16位で、特に畜産業の産出額は全国6位である。豚と乳用牛が突出しているが、前橋市では「TONTONのまち前橋」と銘打って、オリジナル豚肉料理を売りにしている。

 金沢市は、言わずと知れた旧加賀藩百万石の城下町であり、戦災の被害を受けなかったことから今でも江戸時代以来の街並みが残る。国の出先機関や企業の支社・支店が置かれることが多く、北陸三県の中の中心的都市でもある。日本海側気候で冬期の積雪は多い。元々、日本三名園の一つである兼六園や市内に3か所ある茶屋街、長町武家屋敷跡などの歴史的な建造物、加えて金沢21世紀美術館などの観光資源は特に著名だったが、北陸新幹線が延伸したことで首都圏からのアクセスが飛躍的に向上し、観光客増につながっている。伝統野菜である加賀野菜と豊富な海産物を用いた加賀料理、老舗の和菓子、日本酒などの評価も高い。最近では金沢カレーも有名である。加賀友禅、金沢箔などの伝統工芸もよく知られている。

 最後に仙台市である。伊達六十二万石の城下町として栄えたが、戦災によって歴史的建造物はあまり現存していない。江戸時代から防風・防火のための植林が奨励されたために伝統的に街中に樹木が多く、そのために明治時代の終わり頃から「杜の都」と称されている。この伝統は戦災復興の際にも受け継がれた。太平洋側気候で冬期の積雪は東北の中でも少ないが、奥羽山脈から乾燥した北西の季節風が吹き下ろすことが多く体感温度は低く感じる。夏期は海風の影響で気温はあまり上昇せず、真夏日や熱帯夜は比較的少ない。夏の「仙台七夕まつり」を始め、「仙台青葉まつり」、」「SENDAI光のページェント」、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」、「みちのくYOSAKOIまつり」など一年を通して様々なイベントが開催される。主な産業は卸売業・小売業、サービス業で、総生産額の約8割を占める。食では牛たん、笹かまぼこ、ずんだ餅などが有名で、三陸の魚介類、仙台牛、ブランド米も知られる。

 私の理解している範囲では三都市はだいたい以上のようなプロフィールを持っている。

観光に関する三都市の現状
 さて、それではこれら三都市の観光についての現状を見てみよう。

 前橋市の観光入込客数は2015年に668万2千人。群馬県内からが528万9千人で、県外からは139万3千人である。宿泊客数は25万9千人である。群馬県全体の数字しか見つからなかったが、宿泊客のうち東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県の一都三県で全体の約6割を占め、外国人宿泊客の割合は0.8%となっている。この割合を前橋市の宿泊客数に当てはめてみると外国人宿泊客数は3千人弱と際立って少ない。東京が近いことがあって、前橋市に宿泊するという外国人は少ないのであろう。

 金沢市の観光入込客数は北陸新幹線が開業した2015年に1006万4千人と初めて一千万人を超えた。このうち兼六園には308万9千人、金沢21世紀美術館には237万3千人が訪れていて、この2つが金沢市内で最大の観光資源であると言える。一方、金沢市近郊の湯桶温泉には6万4千人と、それほど多くの人は訪れていない。観光客の発地は、石川県内が350万8千人、関東が251万5千人で新幹線開業前の139万人から倍近い伸び、関西からは105万2千人となっている。宿泊客数は約343万6千人である。若干古いデータになるが、2013年の外国人宿泊客数は15万6千人であった。

 仙台市の観光入込客数は2015年で2229万4千人と初めて二千万人を超えた。宿泊客数は575万2千人であり、このうち外国人宿泊客数は11万6千人である。市内の主要観光地への観光客数は、秋保温泉が116万1千人、宮城県総合運動公園に147万3千人、楽天koboスタジアム宮城に141万4千人、仙台城址・瑞鳳殿・仙台市博物館が90万人、定義如来に84万9千人、八木山動物公園等に69万8千人となっている。

 興味深いのはイベントへの参加人数で、最も人が多く集まるイベントは今や「仙台七夕まつり」ではなく「SENDAI光のページェント」で301万人、次いで「仙台七夕まつり」が217万7千人、その次は「みちのくYOSAKOIまつり」で96万7千人、以下「仙台青葉まつり」96万人、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が70万人などとなっている。

 仙台市は前橋市の3.3倍、金沢市の2.2倍の観光客が訪れているわけだが、人口比で見ると前橋市は人口の19.9倍、金沢市は21.6倍、仙台市は20.5倍で、さすがに金沢市が若干高いが、三都市でそれほど大きな違いはない。際立って異なるのは外国人宿泊客数で、前橋市が極めて少なく、仙台市は全体の数の割に金沢市よりも外国人宿泊客数が少ない。金沢市が前橋市、仙台市より明らかに外国人宿泊客数が多いのは、歴史遺産の数の差であるように思われる。戦災で焼け野原となった前橋市と仙台市は、歴史を感じさせる建造物やスポットが金沢市に比べて圧倒的に少ない。その差が外国人宿泊客数の差となって現れているのではないだろうか。

 金沢市を訪れた際に特に印象的だったのは、平日だったにも関わらず、観光客の数が非常に多いということであった。兼六園とそれに隣接する金沢城はもちろん、ひがし茶屋街、近江町市場など、どこに行っても観光客と思しき人たちが大挙して歩いていた。特に目立ったのはやはり外国人観光客であった。

検討に値する四ツ谷用水の復活
 ところで、私が金沢市でいいなと思ったのは、街中に江戸時代からの水路が今も残っていることである。表通りから一本路地に入るとそこには鞍月用水が流れていた。他にも中心部には辰巳用水、大野庄用水という、合わせて3本の水路があり、これが都市景観に文字通り「潤い」を与えている。前橋市でも金沢市ほどの規模ではないが、同様に水路があった。先に書いた「広瀬川」が実は江戸時代に整備された用水で、現在は河畔緑地が整備されてやはり素晴らしい都市景観をつくり出している。

 仙台の広瀬川は街中からはやや外れたところを流れているため、街中でこうした「水のある風景」を見ることはない。実は仙台にも江戸時代に造られた「四ツ谷用水」という用水があり、現在の市街地の至るところを流れていた。ところが、上下水道の整備によって生活用水としての利用が減少したことや、車社会の到来で水路にフタがされたことによって、地上から姿を消す部分が多くなり、今では街中ではほとんどその姿を見ることができなくなっている。

 一度地上から姿を消した用水を復活された事例が仙台市の隣の山形市にある。同じく旧城下町である山形市にもかつて山形五堰と呼ばれる水路があったが、やはり時代の移り変わりと共に暗渠となり、その存在すら知らない市民も多かったという。そうした現状に対して、街中にオアシスのような空間を創造するということで、中心部の七日町商店街の店主らがまちづくり会社「七日町御殿堰開発株式会社」を設立、7年前に五堰の一つ「御殿堰」を「水の町屋七日町御殿堰」として街中に復活させたのである。この御殿堰、新たな観光スポットとして市民や観光客の憩いの場となっている。

 仙台でも昨年、四ツ谷用水の一部である「桜川」を歴史遺産として復活させようという「仙台『桜川』を復活する市民の会」が立ち上がった他、仙台市の環境共生課も6年前から「四ツ谷用水再発見事業」として各種イベントを開催している。こうした官民の動きがうまく合わされば、四ツ谷用水の復活も現実味を帯びてくるのではないだろうか。

 現在、戦災で焼失した仙台城の大手門を復元させる動きも出ているが、合わせて四ツ谷用水も復活させることで、より旧城下町に相応しい歴史を感じさせる街並みとなるに違いない。

 これまで「杜の都」として売ってきた仙台市だが、四ツ谷用水を復活させて旧仙台藩の時と同様、樹木が豊富で水路が巡る「杜と水の都」としてバージョンアップできれば、観光都市としての仙台市の魅力はより高まるのではないかと考える。


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2017年08月03日

私的東北論その98〜斉藤竜也さんのこと(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 6月16日に発行された「東北復興」紙の第61号には、前月の5月に急逝した青森の斉藤竜也さんのことについて記した。生きていればきっと、青森をもっともっと変えていったことだと思う。本当に残念である。しかし、死がすべての終わりでないということをも、斉藤さんは教えてくれた気がする。以下がその時書いた全文である。


斉藤竜也さんのこと

12640273_447731762094105_277118839127586074_o 今回は東北・青森に生きた一人の人について書いておきたい。

 斉藤竜也さんは北海道出身の37歳。大学院を修了した後、青森市の介護事業所へ就職。ヘルパーステーションの管理者として仕事をする傍ら、「Link with」という任意団体を立ち上げて活動していた。

 「Link with」は、青森市内の医療職や介護職つないで仕事でも連携できる関係性を構築する場をつくることで、そこに住む人が医療や介護が必要になった時に切れ目なくよりよい医療や介護を受けられる地域をつくろうとしていた。

 設立は2014年9月、そこからわずか2年8か月の間に、「Link with」は少なくとも15回のイベントを開催し、地域をつくるたくさんの人と人とをつなげてきた。「Link with」は「つなぐ」、「結びつける」、「きずな」の意味だという。青森県はかねてから、団塊の世代が75歳となる2025年に向けて、「保健・医療・福祉包括ケアシステム」を構築しようと取り組みを進めていた。その実現のためには、保健、医療、福祉それぞれの関係者が自らの枠を超えてつながり、連携していくことが必要となる。「Link with」はそうした面においての「つながる機会の創出」を会の目的としていた。

 斉藤さんは「Link with」のブログにこう書いていた。

「同じ職種や分野、職能団体で顔を合わせたり研修をする機会はそれぞれあるしネットワークもないわけではないけれど、それを越えて情報交換をしたり集まる機会はほとんどないよね。だとしたら、飲み会からでもいいからそういう場を作れたら、もっと地域に自分たちができることを探っていけるし自分自身の幅にもなっていくよね。じゃぁ、まずは自分たちのお知り合いに声をかけて、交流会をしてみよう!!」

 北海道から青森に来たということで元々の知り合いが少なかったであろう斉藤さんはきっと、地元の人以上に知らない者同士がお互いがつながることの重要さに気づいていたのだろう。仲間と共に「Link with」を立ち上げ、2014年11月15日に「Link with」として初めての「福祉と医療の情報交流会」を開催した。そこには行政、医療、福祉関係者ら52名が集まった。今までになかったつながりが生まれた瞬間だった。

 実は、斉藤さんが立ち上げた「Link with」と同じような活動をしている団体が仙台にもある。「ささかまhands」という団体である。「ささかまhands」は「Link with」ができる前年の2013年3月に設立された。仙台での地域包括ケアシステムの具現化を目指し、そのために多職種がスムーズに連携できるよう、各種交流会や研修会を企画していた。

 代表の須藤健司さんは、そうした取り組みについて、2014年3月に開催された全国介護事業者協会(民介協)の「第8回全国事例発表会」で発表していたが、その発表を斉藤さんが会場で聞いていて、終了後須藤さんに声をかけて、青森でも同じようなことをやりたいんだと話したそうである。

 翌2015年2月7日、その「ささかまhands」が主催した「自分らしい暮らしが出来る仙台を考えるシンポジウム」が仙台市内で開催され、そこに斉藤さんも参加した。この時のことについて斉藤さんは、自身のfacebookで、「ささかまhands、シンポジウム(総勢250名の参加)と懇親会(総勢100名の参加)と参加させていただきました!いや〜規模がでかい!」と綴っている。私はこの場で斉藤さんと初めてお会いした。自分の住んでいる地域をよりよいものにしたいという思いが言葉の端々から感じられて、初対面ながらすっかり意気投合した。

 その後、斉藤さんは青森でほぼ2〜3ヶ月に1回のペースで多職種が集う会合を企画した。毎回キャンセル待ちが出るくらいの盛況で、青森の多くの専門職がこのような場を求めていたことが如実に表れている。

 青森県内では、こうした様々な専門職による自主的な団体が相互に交流する集い「青森サミット」を2015年から開催し始めた。その第2回の「青森サミット」が2016年9月10日、「Link with」の主催で青森市内で開催された。1年半前、斉藤さんが驚いた「ささかまhands」シンポジウムの2倍もの約500名の参加者が会場に集結した。斉藤さんは三村青森県知事に講演を依頼し、青森県の目指す保健・医療・福祉包括ケアシステムについて話してもらっていた。

 この日のことについて斉藤さんは、「参加総数500名弱、今日の準備のために約1年、でも今日という日はあっと言う間の1日でした。そして一生忘れられない1日になりました。協力いただいた方々に感謝感謝!」と書いている。しかし、斉藤さんは本当は2,000名くらいの人に来てもらうことを目指して準備を進めていた。この「青森サミット」の開催に当たって、斉藤さんは勇美記念財団から助成金を得ていたが、その報告書の中で、参加者数が目標に達しなかったことに触れ、「『地域包括ケア』につて知らない方が多い、興味のある方が少ないという事が言えると考えます。『地域包括ケア』の主役は地域住民ですので、主役無しで専門職だけが地域のために行動しないよう心掛けなければいけません。地域に必要な事・モノを知るために、地域に暮らす住民と対話をする場をつくる事が課題です。そしてその場をつくる事ができる一つのツールとして自主団体がある事を、継続して広めていきたいと考えています」と振り返っていた。

 これはまさに斉藤さんの書いている通りで、人が自分の住み慣れた場所で最期まで暮らしていける地域をつくるためには、専門職だけの力では足りず、何よりその地域に住む人自身が当事者として専門職と一緒に地域づくりを考えていく必要がある。「Link with」の次の展開として、斉藤さんは地域住民を巻き込んだ動きを考えていたようである。

 その前提としてはやはり専門職同士の分野を超えた結束を深めていく必要があり、斉藤さんはその後もそうした人たちが集う場をつくり続けた。2017年4月22日の第11回企画「好きです青森〜あなたのために、私ができること〜」には、小野寺青森市長も駆けつけた。その小野寺市長には、8月19日に第13回企画として「好きです青森!青森市長 小野寺晃彦さんと話そう」のテーマで講演してもらう予定になっていた。人をつなぎ、地域をつくる、そんなみんなの輪の中にはいつも、斉藤さんがいた。

 2017年5月13日、斉藤さんは急逝した。4月に37歳になったばかりであった。その日、出勤せず、連絡もつかないことを心配した職場の上司が斉藤さんの自宅を訪ねたところ、ベッドの中で斉藤さんが既に亡くなっていた。警察による検死の結果、就寝中に心不全を発症したとのことであった。

 5月17日に北海道から来たご両親と一緒に、斉藤さんの遺体はフェリーで故郷に向けて出発した。青森港には、斉藤さんの死を悼む仲間がおよそ50名集まり、「まいける ありがとう」の横断幕を掲げて見送った。斉藤さんは「麺屋まいける」と称しており、仲間たちは彼のことを「まいける」と呼んでいた。「麺屋」はラーメン好きのところから、「まいける」はマイケルジョーダンが好きだったところから考えたらしい。

 設立してから3年弱の間にたくさんの人と人をつなぎ、斉藤さんは、旅立った。青森県内に職種を超えた新しいつながりをつくり続けた。人と人をつなぎ続け、ものすごい速さで人生を駆け抜けていってしまった。

 亡くなるほんの数時間前の5月12日23時32分。斉藤さんは、「ささかまhands」が毎年開催し、私も実行委員として協力している「MEDプレゼン@仙台」への参加を申し込んでいた。私も実は8月19日の「Link with」の集まりには参加するつもりでいた。何もなければ、今年は斉藤さんと二度、仙台と青森で話をすることができたはずであった。そうして話ができたならどんなによかっただろう。しかし、それが叶わなかった現実は何と悲しいのだろう。つくづくそう思った。

 しかし、斉藤さんが亡くなったという事実は消せなくても、斉藤さんがつないだつながりはこれからもずっと決して消えない。斉藤さんが亡くなったという連絡をくれたのは、斉藤さんと一緒に「Link with」の活動を行ってきた仲間の人だった。もちろん、私は面識もないし、話したこともなかった。そのような人と何人もつながれた。斉藤さんが仙台に来るつもりだったということを知って、斉藤さんの仲間が2人、「MEDプレゼン@仙台」に参加してくれ、会って話すことができた。斉藤さんは自らの死を以てすら、人と人とをつなげたのである。

 斉藤さん亡き後の「Link with」がどうなるのか心配だったが、仲間の皆さんが引き続き斉藤さんの思いを引き継いで活動を続けるとのことである。斉藤さんが目指した、大切な一人ひとりがつながってつくる地域。これからも同じ東北の中で、一緒に人をつなぎ、そうした地域をつくることを続けていきたい。人をつなぐ者同士がつながり、さらにそのつながりを広げていきたい。この東北の地に生まれ、育ち、暮らしている人が、「ここで生きてよかった」と感じられる地域を、一緒につくっていきたい。

 「小さな思いを形にするために、何ができるか まずはやってみよう! 私たちの未来のために行動しよう!」

斉藤さんの言葉である。

 昨日の次に今日が来て、今日の次に明日が来るとは限らないのだ、ということは、6年3カ月前に嫌というほど痛感したことであった。いつの間にかまた、そうしたことを忘れかけて、迂闊にもあたかもずっと変わらないかのような毎日を送り続けていたことに思い至った。もし明日が来なかったとしても、今日できることを今日のうちにやっておく。少なくとも今日、自分の目指す方向にちょっとでも向かうことができた、そう思える日々を重ねていくことが、何にも増して大事なことなのだ。斉藤さんからそのことを改めて教えてもらったように思う。


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2017年08月02日

私的東北論その97〜「東北でよかった」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 「東北復興」紙、今年の5月16日に刊行された分で60号に達した。月刊なので足掛け5年ちょうどである。この間、ひと月も休まずに同紙を刊行し続けた砂越豊氏には心から敬意を評したい。5年を一区切りとして完結させる考えもあったようであるが、東北の復興が今に至っても道半ばであることもあって、さらに続ける決意を固められた。
 バックナンバーを見てみると、その時々で課題となっていたことが的確に取り上げられている。その意味で、同紙は東北の復興に関しての貴重な記録の一つである。今後の展開にも期待したい。
 さて、その記念すべき5周年、60回目の原稿は例のアレについてであった。以下がその全文である。


「東北でよかった」

「あっちの方だったからよかった」

 今村雅弘氏が復興大臣を辞任した。自身が所属する派閥のパーティーでの講演の中で、「また社会資本等の毀損も、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております」と発言したことがきっかけとなった。

 恐らく、被災地が東北だったからこれくらいの被害額で済んだのであって、これが首都圏だったらこんなものでは済まないはずだ、ということを言いたかったのだろう。ただ、それにしても、「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」はいかにも余計である。災害が起きたのがどこだったからよかった、どこだったらよくないということはない。どこであっても、災害が起きてよかったということはない。

 そして、もう一つ、「あっちの方」という言葉である。むしろ、この言葉の方に今村氏の東北に対するスタンスが表れているのではないかと思った。東北は「あっちの方」、つまり「こっち」じゃない。どこか遠いところ。自分のいる場所とは違うところ。東北に対するそのような今村氏の認識が感じられる。

 今村氏は、「総理からの御指示や内閣の基本方針を踏まえ、現場主義を徹底し、被災者に寄り添い、司令塔の役割を果たしつつ、被災地の復興に全力を尽くしてまいる決意であります」と就任時の記者会見で述べている。「被災者に寄り添って」と言うが、自分だけ被災者と違うところに身を置いていて、どうやって寄り添うつもりだったのだろう。

 前復興大臣が東北の復興に対して、全く無関心であったとは思わない。福島の企業を訪問した時にもらったアニメ柄のネクタイを、「風評対策を含めて、とにかく地元のいろいろ企業を元気にしようという思いで」締めてきたと語っているし、辞任の前日には岩手の三陸鉄道の「三鉄オーナー」にもなっている。ちなみにこれは、岩手県へのふるさと納税「ふるさと岩手応援寄付」で三陸鉄道への支援のために10万円以上寄付した人のことで、「オーナー」は今村氏が5人目であった。JR九州出身の同氏らしい復興支援と言えた。

 ただ、残念ながら、ご自分の発する言葉に対する感度がそれほど高くない方だったのかもしれない。講演後の記者とのやり取りでも、この発言の何が悪かったのか全く分かっていない様子であった。そこの感度は、今村氏の発言についてその後にすぐさま謝罪した安倍首相とは対照的であった。安倍首相は、「まず冒頭ですね、安倍内閣の今村復興大臣の講演の中におきまして、東北の方々を傷つける、極めて不適切な発言がございましたので、総理大臣としてまずもって、冒頭におわびをさせていただきたいと思う次第でございます」と述べた。恐らくその時点で、「この発言はかばい切れない」と思ったのだろう。


「東北でよかった」の劇的転換
 さて、そのような今村氏の「東北でよかった」発言とその後の辞表提出を受けて、私はfacebookに、「生まれ、育って、今も生活している場所が『東北でよかった』と、心底私は思ってます。前復興大臣も一度住んでみたらいいと思う。ホントいいところなんだから。(^▽^)」と投稿した。日が変わって4月26日の0時59分のことだった。普段、飲み食いした店の話や参加した会合の模様を発信するのがほとんどの私の投稿の中では、異例な感じの投稿だったが、お蔭様でいつもの倍以上の「いいね!」やたくさんのコメントをいただいた。

 私の友人も同様に、「僕は生まれたのが『東北で良かった』。音楽を学んだのも『東北で良かった』。僕の街もステキな街だし、死ぬまで東北に住んでいたいゼ。東北の田舎の人たちだから助け合えたし乗り越えられた。東北『が』良かったって言い間違えたんじゃないかな?まあ、関東の爺様の言うことにいちいち腹は立てない。この機会に、みんな東北一度は来て見て。」と投稿していた。

 一夜明けて、私のそのfacebookの投稿へのコメントで、ツイッターのハッシュタグで「#東北でよかった」がすごいことになっていることを教えてもらった。見てみるとそこには予想だにしなかった投稿が並んでいた。東北の美しい景色や美味しい食べ物の画像、心に残るエピソードなどが、「#東北でよかった」のハッシュタグと共に大量に投稿されていたのである。

 どうやら、最初のうちはやはりこの「#東北でよかった」のハッシュタグは、今村氏の発言を批判、非難するものばかりであったらしい。ところがその後、この「#東北でよかった」が、まさに「東北でよかった」という意味で投稿されるように変わり、その意味での投稿が圧倒的な数に上ったのである。なんという鮮やかかつ素敵な切り返しだろう。様々な画像に添えられていたメッセージも印象的なものが多かった。

「#東北でよかった 生まれた場所が」
「#東北でよかった ボクらのふるさとが」
「綺麗な景色 優しい人達 旨い飯…(酒…) 生まれた場所が #東北でよかった」
「私の大好きな、愛すべき地方が #東北でよかった」
「2008年から、震災を経て、2014年まで住んだ宮城・仙台は、私にとって第二の故郷。心から #東北で良かった」
「故郷を離れても忘れない。あの町で育ってよかった。#東北でよかった」
「生まれも育ちも、良かったと思える場所だよ。ご飯が美味しい、素朴な人々、のどかな景色。これだけで東北でよかった、なんだよ いいとこだよ、東北」
「震災後、東北に5回旅行しました。福島、宮城、山形、青森の地元の人たちはいつもあたたかくみんな親切で、東北に遊びに行って良かったなあと思っています。まだ訪れていない所へも旅しようと思います」
「初めて鉄道目的の旅行で、迷った時、優しいおばあちゃんに教えてもらいました。 あの時のことは忘れられない」
「かなしみも よろこびも すべてつつんでくれる #東北でよかった」
「みんな! #東北でよかった ってのは、こういうことを言うんだってことを教えてやろうぜ!」
「失言で終わらせないのは確かにいいな。というわけで、去年の仙台七夕。夏は東北各地で祭りが開催されます。おいでよ東北」
「このハッシュタグがいい意味で使われてトレンドに上がっているのが東北民としては嬉しい。」
「これぞ東北の心意気」
「生まれた場所が #東北でよかった こんなにも強い仲間がいる。おいでよしてる仲間がいる」
「#東北でよかった のタグが素敵な写真でいっぱいで、本当に東北は良いなと思いました」
「ひどい言葉を言われても、ひどい言葉で返さないで、何言ってんの、私たちの住む地の素晴らしさを知ってよって、みんなが笑う、そんな東北でよかった」

 東北に住む人、東北に縁のある人、東北に心を寄せてくれている人によるこれらの投稿、本当に素晴らしいとしか言いようがない。


復興大臣が今村氏でよかった
 そしてまた、これらの東北に関係する人たちによる投稿を見た人たちからも、好意的なコメントがものすごい数投稿されていた。曰く、

「なんて強くて綺麗なタグ…」
「このタグ、なんとなく見てみたら『東北本当にいいところだよ!東北に生まれて良かった!東北に行って良かった!』的なツイートで溢れてたから世界は本当に美しいなおい!ってなった」
「こういう失言を明るく変えていく流れ好きです」
「愛にあふれたタグになっていた」
「すてきな使い方になっていて涙が出た」
「さっそく #東北で良かった  という言葉の『良い東北を広げよう』としてるツイートを発見し、心打たれました…」
「みんな東北のハッシュタグが素敵な方に使ってていいなって思った」
「タグが素敵すぎる」
「不適切発言を裏返すこのタグには感動。震災を経験したからこその団結力」
「震災にも負けない人たちを見ることができた」
「このハッシュタグのお陰でほっこりした」
「美しい国。『よかった』って言葉はこう使うのだね。とても素敵な意味に変わってる、このハッシュタグ」
「ステキなタグになって本当に嬉しい 私  関西人だけど、さんさやはねこを踊った事があるんだわ」
「あぁなんて素敵なタグなんでしょう」
「なんだろうこのタグ…目から水滴が…」
「このタグ泣くよ… 東北は行ったことないけど絶対行きたい土地の一つ」
「変な意味を持ったタグを乗っ取ってオラが町自慢の幸せなタグに変えてしまう東北人の図々しさ大好き」
「失言が、#をつけたことで郷土愛に変わった。失言する人がいる一方で、その失言を『東北の魅力を発信するハッシュタグ』にして、東北を盛り上げよう、応援しようとする人もいる。そんな国でよかった。こんなに泣けるハッシュタグは初めて」

このように、「東北でよかった」という言葉が、発せられた時の意味を離れて、一夜のうちに本来の意味を取り戻したことに対する驚きと称賛の声が溢れていた。

 この「東北でよかった」、同時多発的に起こっているのが興味深い。私のfacebook投稿はこれらツイッターの投稿とは関係なく行ったものだし、友人のも恐らくそうだ。ツイッターだけではなく、インスタグラムでも同様に「#東北でよかった」のハッシュタグでの画像がものすごい数投稿されている。「東北でよかった」と思っている人がそれだけ多数いて、今村氏の発言が引き金となって、ネットに溢れ出たということだろう。

 「東北でよかった」が「東北においでよ」につながっている投稿の多さも特筆に値する。私の投稿も友人の投稿も東北に来てみることを勧めているし、多くのツイッターの投稿も東北の素晴らしい景色や美味しそうな料理の画像を投稿して「東北においでよ」と投稿しているものが多い。

 このように「東北でよかった」のハッシュタグで東北に来ることを勧めている東北人に対して、既に「おいでよ族」という称号(?)も与えられている。こんなツイートがあった。

「『東北で良かった』についた悲しいイメージを払拭するかのように、『#東北でよかった 』とタグ付けしてTLに流れる東北の生命力の強さを現す光景…… さすが、おいでよ族の民たち」

このツイートに対して、

「そう。我らはおいでよ族の民」

と返している人もいた。

 この「おいでよ」という投稿の多さこそ、東北に住んでいる実に多くの人が、自分たちの住んでいる土地に対して愛着を持っていること、誇りを持っていること、心底いいところだと思っていることの何よりの現れであると思う。それが夥しい数の「東北ってこんなにいいところなんだよ、とにかく一度おいでよ」という投稿になっているのである。

 最後に。今村氏のあの発言がなかったら、これら東北を巡る数多くの素晴らしい投稿もなかったわけである。誰も言わないが、私はあえて言おう。復興大臣が今村氏でよかった、と。


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2017年07月31日

私的東北論その96〜2回目の「仙台防災未来フォーラム」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 4月16日に発行された「東北復興」第59号では、昨年初開催された「仙台防災未来フォーラム」について取り上げた。この取り組み、ぜひ今後も毎年続けてほしいものである。以下がその全文である。


2回目の「仙台防災未来フォーラム」

「仙台防災未来フォーラム」とは
 3月12日、「仙台防災未来フォーラム2017」が開催された。昨年3月の第46号で取り上げたが、一昨年仙台で開催された国連防災世界会議をきっかけに昨年初開催された、地域における防災の取り組みを共有し、これからの防災について考えるためのフォーラムである。

 震災の発生から6年が経過した。この間の震災の経験や教訓を、地域を超えて、世代を超えて、どのように伝えていくかについては、多様な主体、媒体が手探りで様々な取り組みを続けている。そのような中で、この「仙台防災未来フォーラム」は、仙台市が主催し、震災経験の伝承や、地域防災の次代の担い手づくり、人々の多様性と防災といったさまざまなテーマについて、「伝える」ことの大切さや今後の課題について理解を深め、経験や教訓を世界へ、そして将来へどのように受け継いでいけばよいのかを考えるという趣旨で開催されている。

 一昨年の3月に開催された「第3回国連防災世界会議」には、世界185か国から6,500人以上が参加し、成果文書として「仙台防災枠組2015-2030」が採択された。「仙台」の名を冠するこの防災枠組は、防災に関わる新たな国際的な取り組みの指針で、期待される成果と目標、指導原則、優先行動、関係者の役割や国際協力等が規定されている。枠組の策定に当たっては、東日本大震災からの復興を目指すこれまでの取り組みを踏まえて、多様な主体の関与や防災・減災への投資、「より良い復興(Build Back Better)」の重要性などが日本から提案され、その考え方がこの枠組の中には取り入れられている。

 「仙台防災未来フォーラム」は、この国連防災世界会議の仙台開催から1周年となったのを機に昨年3月に開催され、今年が2回目である。仙台市では現在、子供から高齢者まで、性別や国籍の違い、障害の有無などによらず、地域のすべての関係者が自助・共助を担うという地域づくりを進められている。フォーラムは、そうした取り組みを踏まえ、防災の担い手たちが自分たちの取り組みを共有・継承することで、新たなネットワークを生み出し、未来の防災に貢献することが目的とされた。


「インクルーシブ防災」とは

 今回のフォーラムのテーマは「経験を伝える・共有する・継承する」で、6つのテーマセッション、ミニプレゼンテーション、連携シンポジウム、各種関連イベント等が開催された。6つのテーマセッションの一つは「インクルーシブ防災を目指した地域づくり」である。「インクルーシブ防災」とは、障害者や高齢者などを含む、あらゆる人の命を支える防災を目指していこうという考え方である。東日本大震災を機に防災・減災への関心は高まり、日頃からの備えと対策が必須だと言われているが、災害発生時の対応はまさに平時の取り組みの延長であるとされる。そしてまた、災害が発生した際の安心・安全の確保には、普段からの地域住民の相互理解とネットワークの構築が大切である。

 このセッションでは、そうしたことを踏まえて、「仙台防災枠組」に記載されたステークホルダーの役割を問いつつ、インクルーシブ防災をめざした地域づくりについて議論が行われた。その中で、立木茂雄氏(同志社大学社会学部)は、「災害時の当事者力イコール防災リテラシー」で、防災リテラシーは「理解×備え×とっさの行動」と指摘していた。そして、平時のケアプランから個別に災害時ケアプランを作成する『別府モデル』を構築しようとしている取り組みについて紹介した。山崎栄一氏(関西大学社会安全学部)は、法学の専門家の立場から、「インクルージョンとは、排除・除外のない状態」で、そこには「意図的な差別的取り扱い」以外に、「無配慮・無関心によるもの」もあるとした上で、各種の支援制度には、「支援」、「配慮」に「参画」を加えた三要素の連動が必要と指摘した。阿部一彦氏(東北福祉大学総合福祉学部)は、「障害による暮らしにくさは個人の問題でなく、多くは社会環境によって作り出される」と訴えた。

 コーディネーターの三浦剛氏(東北福祉大学総合福祉学部)は、「地域に住む住民を理解し、日頃からの関わりを通してどのような支援が必要か把握していくことが『我がこと・まるごと地域づくり』の推進につながる」とまとめたが、フロアから発言した熊谷信幹氏(柏木西部自治会防災担当)は、「『インクルーシブ』と言うが、そもそも障害者基準で防災システムを作るべき」と主張した。「誰でも年老いたら障害者」であり、「障害者は多数派」なのだから、「『障害者も交ぜてくれ』という話は筋違い」だという論旨で、フロアから拍手が起こっていた。

 他には「"地域のきずな"が生きる防災まちづくり〜仙台市の事例から学ぶ」というテーマセッションもあった。「持続可能な防災まちづくり」を進めていくために、日頃からの“顔の見える”人と人とのネットワークや地域コミュニティづくりがまず大切ということから、「日常的にまちづくり活動が活発で、それが防災の優れた取り組みにもつながっている」という事例を共有し、コミュニティーにおける地域防災の今後の活動や課題解決のヒントを考えるという趣旨のセッションであった。登壇した今野均氏(片平地区連合町内会)の「防災活動はまちづくりの一つ」という言葉に如実にそのことが表れていた。

 また、菅井茂氏(南材地区町内会連合会)は、「自分達のまちは自分達で守る。自分の命は自分で守る。そのために地域で顔の分かる関係の構築が大切」と訴えた。町内会として他の被災地に「押しかけ支援」としてできる範囲の支援・協力を行ってきたを続けてきた福住町町内会の菅原康雄氏は、その秘訣として「できることから始める」を挙げた。その上で、「自助・共助に加えて、自制(見返りを求めない)・他助が大事」として、「自助・共助で助かった命で他を助ける」ことの重要性も強調した。

 こうした発表について、佐藤健氏(東北大学災害科学国際研究所)は、「日常的なまちづくり、ひとづくり、きずなづくりの取り組みが防災力を高め、活動の持続可能性と次世代の人材育成という波及効果ももたらす」として、そこでは「ソーシャルサポート」と「コミュニティ・ソリューション」の2つがキーワードであるとした。


「多様な主体」による防災・減災
 フォーラムのまとめとして、「クロージング」が行われた。ここでは、それぞれのテーマセッションでの議論結果が報告されると共に、それを基に震災の経験や教訓などを伝えることについて、その大切さや課題について考え、多様な主体(マルチステークホルダー)による防災・減災の取り組みの今後の方向性などについて参加者で共有した。

 「ともに考える防災・減災の未来〜『私たちの仙台防災枠組講座』、『結プロジェクト』合同報告会〜」の保田真理氏(東北大学災害科学国際研究所)は、報告会の模様を紹介しつつ、「社会の構成員全てが共に考えることがレジリエントな社会をつくる」と述べた。「もしものそなえ SENDAIと世界のつながり〜伝えよう、共有しよう、継承しよう〜」の秋山慎太郎氏(JICA地球環境部)は、JICAの取り組みを伝えつつ、「伝えていく中で、伝えられる側、伝える側双方の学びが重要。それがもしもの備えにつながる」と指摘した。

 「震災から6年・教訓伝承と防災啓発の未来〜連携と発信の拠点づくりに向けて」と「次世代が語る/次世代と語る〜311震災伝承と防災〜」の武田真一氏(河北新報社防災・教育室)は、「震災だけでなく、地域の過去や未来、希望も併せて伝えることでさらに(震災のことを)伝えられる」と強調した。ミニプレゼン・展示ブースの小美野剛氏(JCC-DRR事務局)は、「教訓を未来の活動につなげる」ことの重要性に言及しつつ、「全ての活動は共感に基づく」こと、そしてこれからは「単なる支援から、新たな価値の創造への移行が必要」であることも併せて主張した。

 コメンテーターの松岡由季氏(国連国際防災戦略事務局)は、一連の発表を踏まえて、「『レジリエント』と『インクルーシブ』が仙台防災枠組のキーワード」であり、「社会全体が『レジリエント』であるためには『インクルーシブ』である必要がある」とまとめた。また、「伝承は人の命を救う力がある」とも述べた。もう一人の立花貴氏(公益社団法人MORIUMIUS)は、「防災は日常の延長線上」にあるとして、「地域の取り組みが有事にも機能」するとした。また、「単なる事実でなく、そこに込められた思いを伝える」ことが震災の伝承においては重要であるとも指摘した。

 会場では、「救州ラーメン」も販売された。東北の被災地での提供食数が10,000食超というプロジェクトで、博多ラーメンの老舗「秀ちゃんラーメン」によるラーメンの炊き出しを通じた復興支援である。また、仙台市内では2月から3月に掛けて、今回のフォーラムに関連して、様々な防災・減災・復興に関するイベントが開催された。まさに「多様な主体」による防災・減災の取り組みである。


六県連携でより幅広い発信を
 仙台市では、11月に「世界防災フォーラム/ IDRC 2017 in SENDAI」の開催が決定した。スイスのダボス2年に1回開催される防災の国際会議「国際災害・リスク会議」(IDRC)で発表されたもので、東北大学、仙台市が中心となって内外の防災関係者が集い、震災の教訓・知見の発信や議論を行いながら連携を強化する場として開催するもので、今年だけでなく、以降も隔年での開催が予定されているという。

 仙台防災未来フォーラムに加え、世界防災フォーラムも開催されることとなり、東日本大震災への対応、そこからの復興に関する情報発信を継続的に行っていく場が着々とつくられていることは実に喜ばしいことである。願わくは、これを仙台市だけの取り組みとするのではなく、宮城県内の他の市町村や東北の他の五県とも連携して、より幅広い情報を発信していってほしい。

 岩手県内の沿岸市町村の復興への動きは仙台市とはまた異なるし、福島県内の沿岸市町村は言うまでもなく原発事故による影響が加わってさらに複雑な課題への対応を余儀なくされている。あまり知られていないが、青森でも津波によって24平方キロメートルが浸水し、死者も出ている。直接の被害が軽微であった秋田・山形両県では、被災地のバックアップという点で重要な役割を果たしており、そこでの知見も大いに伝えられるべきである。せっかくの震災から得た知見を地域や世代を超えて発信していく場である。より多くの知見をより多様な視点から伝えるということに、今後はより力を入れていくべきであると考える。


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私的東北論その95〜震災から6年ということ(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 だいぶ間が空いてしまい、その間、またしても「東北復興」紙に寄稿した記事の再録が滞ってしまっていた。以下は3月16日に刊行された「東北復興」紙第58号に寄稿した原稿の全文である。この時期はどうしてもやはりこの話題である。


震災から6年ということ

6年という歳月

 今年の3月11日で、東日本大震災の発災から丸6年になる。先日、同じ仙台市内に住む知り合いと打ち合わせの日程調整のやり取りをしていて、「3月11日は空いてますか」と聞かれた。その日は静かに故人に思いを馳せる日にしたいので、そのように返事したところ、「そう言えばそうでしたね」という答えが返ってきた。別にその人が無神経というわけではない。震災から6年という年月は、そのような時間だということである。

170310-025005 他人事ではない。私の左手首にはいつも水晶のブレスレットがある。震災で亡くした弟の遺体が地震発生からちょうど49日目に見つかって、これでようやく葬式をあげることができるとなった時に、手元に数珠がないことに気づいた。どれだけそれまで、死から縁遠い日常を送っていたのかと思ったが、ともあれ急いでお気に入りの石である水晶で数珠を作ってもらった。その時余った水晶の玉でブレスレットを作ってもらったのである。

 弟の死を忘れないように、そして、いつ死がやってくるか分からないということを忘れないようにという意図を込めて、その日以来、このブレスレットを肌身離さず身につけてきた。ところが、先日、温泉に行った時に、なんと脱衣所にこのブレスレットを忘れてきてしまった。すぐに思い出して取りに戻って事なきを得たが、我が身にしてそうである。そもそもこのブレスレット、震災から6年が経って、毎日身につけることは習慣になってはいても、これを見て死を意識するということは本当に少なくなってきているのを感じている。


3月11日に行われるイベント
 仙台市内では、2年前に開催された国連防災世界会議をきっかけに昨年開催された「仙台防災未来フォーラム」が、今年も3月12日(日)に仙台国際センターを会場に開催される。フォーラムでは、震災経験の伝承、地域防災の次代の担い手づくり、人々の多様性と防災などのさまざまなテーマから、「伝える」ことの大切さや今後の課題について理解を深め、経験や教訓を世界へ、そして将来へどのように受け継いでいけばよいのかを考えることとなっている。

 このフォーラムには今年も足を運ぶつもりで、恐らく来月のこの欄でその模様を紹介できると思うが、このフォーラムに伴って開催される関連イベントの中に、フォーラムの前日の11日に開催されるものがかなりある。もちろん、震災のその日に震災について考える趣旨のイベントを開催することを否定するものではないが、私としては追悼のための行事ならともかく、先に書いたように震災当日は静かに故人を偲ぶ日にしたいと思っているので、震災当日に開催されるこのようなイベントには、恐らく今年も、これからも、ずっと参加しないだろうなと思っている。

 来年は3月11日が日曜日となる。この「仙台防災未来フォーラム」も来年は3月11日に開催されてしまうのだろうか。願わくは、来年はどうか3月11日以外の別の日曜日の開催となることを。


「カレンダー記事」の功罪
 毎年この時期になると、新聞やテレビで東日本大震災関連の記事や特集番組が増える。このように定期的に報じられる新聞記事のことは「カレンダー記事」、「あれから何年もの」と呼ばれるようである。ジャーナリストの烏賀陽弘道氏や作家の相場英雄氏はこうした「カレンダー記事」を批判している。烏賀陽氏は、カレンダー記事はその日が来たら自動的に記事が発生するので記者の能動性を奪うものとし、「思索を深めるための記事がいつの間にか自己目的化」していると批判する。相場氏も、カレンダーに合わせた取材態勢が継続されることから、関連する報道が逆にその時期まで減ってしまうことを批判する。特に相場氏は「在京の大メディア」にその傾向が強いとして、逆に岩手、宮城、福島の地元紙、テレビのことは、「自らが震災の被害に遭っている上に、身内同然の同胞が苦しんでいる姿を、地元メディアは今も追っているのだ」と、その報道姿勢を高く評価している。

 確かに、岩手日報や河北新報、福島民報、福島民友などは、「カレンダー」によらず継続的に震災関連記事を配信している。ただ、必ずしも地元だけではなく、例えばNHKは「東日本大震災プロジェクト」を組んで、「明日へ つなげよう」を合言葉に6年前から変わらずに震災関連の番組を提供しているし、最近では朝日新聞も「てんでんこ」というタイトルで、東日本大震災を中心に「日本の『いま』と『これから』を見つめ直して」いくという趣旨の連載記事を毎日掲載している。

 考えてみれば、地震発生から6年が経って、多くの地域で復興はまだ道半ばという状況ではあっても、日常押し寄せるたくさんのニュースがそうした東北各地の状況の上に積み重なっていく現状では、自ずと震災関連のニュースは少なくなっていかざるを得ない。その意味では「自動的に記事が発生する」という「カレンダー記事」であっても、毎年定期的に震災のことを多くの人に思い出してもらえるきっかけにはなるのではないかと思う。


復興「てんでんこ」
 「てんでんこ」という言葉については以前この欄でも取り上げたことがあるが、元々は、「てんでんばらばらに」の意味で、地震が来たら一人ひとりが必死で逃げろという三陸沿岸に伝わる教訓である。震災から6年を迎えるに当たり、そこから一歩進めて、一人ひとり震災について考える、一人ひとりこれから先の生き方を考える、という意味での「てんでんこ」があるのではないだろうか。

 震災以後、一人ひとり置かれた状況は全く異なる。衣食住を取り巻く環境も全く違う。仙台市や宮城県岩沼市のように、仮設住宅が全てなくなった地域もあれば、岩手県の釜石市や大槌町、山田町、陸前高田市のようにいまだ3,000人前後の人が仮設住宅での暮らしを続けている地域もある。

 避難指示区域を抱える福島県の浜通り地域の町村では、避難指示区域が昨年9月時点で3分の2にまで減少しており、この春に飯舘村、川俣町、浪江町、富岡町にある地域が解除されればさらに避難指示区域は減少するが、解除イコール復興ではない現状がある。先日、浪江町に行ってきたが、そこで目にした「町おこしから町のこしへ」の文字は胸に突き刺さった。震災前はいかにして町おこしをするかを考えていた。ところが、震災後は「おこす」前にいかにして「のこす」かを考えなければいけない状況に置かれてしまったわけである。

 このように、当然地域によって状況が全く異なるわけで、そうすると当然そこに住む人の心持ちもそれぞれ異なる。その胸の内は、そこに住んでいるその人にしか分からない。十把一絡げにして、「被災地の復興は」などと語ることはもともと不可能なのだ。

 未曽有の大災害を経て、何かを参考にしてということも難しいし、この先どうしていくのがよいのかの答えが見えているわけでもない。だからこそ、「てんでんこ」なのである。一人ひとりがそれぞれ自分のこれからを考える。自分にとってどうなることが復興なのか、そのために今何をしていくのがよいのか。

 一人ひとり、目指すところは違っても、また歩み具合は違っても、少なくても目指すところに向かってちょっとずつでも歩いていれば、その積み重ねが復興になるのではないかと思う。もちろん、疲れたら休めばいい。道のりは長い。飛ばし過ぎれば息切れする。目の前にあることを、一つずつ、少しずつ、である。


忘れることと忘れてはいけないこと
 震災から時が経つにつれて、震災のことが忘れられてしまうことへの懸念がある。しかし、どんな出来事であっても記憶の風化、忘却からは免れ得ない。他地域の人のみならず震災を体験した人であっても、つらい体験をそのままの形で抱えてその先を生きていくことはしんどいことである。忘れることは人間の偉大な能力であるともいう。そう考えれば、冒頭に紹介した知り合いは、3月11日イコール震災という束縛を超えて、すっかり震災前の日常に戻れたのだ、と解釈することもできるかもしれない。

 ただ、忘れることはできても、なかったことにすることはできない。たくさんの人が亡くなったあの震災から得た教訓だけは、しっかりとこの地の次の世代に引き継いで、また他の地域の人にもしっかりと伝えて、二度と同じような被害が起きないようにしていかなければならない。

 その意味では、先に紹介した「仙台防災未来フォーラム」はとてもよい取り組みであると思うし、各地域における震災遺構の整備も本当に意義のあることであると思う。忘れられることを心配するより、本当に忘れてほしくないことを発信し続けること、それこそが大切なのであるに違いない。

 私としても、ここでこの時期にこのように書いていることが「『カレンダー記事』じゃないか」と言われないように、これからも震災のことは折に触れて発信し続けていきたいと思う。


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2017年03月24日

私的東北論その94〜これからのまちづくり、地域づくり(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 2月16日発行の「東北復興」紙では、これからのまちづくり、地域づくりについて、見聞きしたことを基に論じてみた。



これからのまちづくり、地域づくり


「地域包括ケアシステム」から「地域共生社会」へ
3087_001 「地域包括ケアシステム」については、「東北復興」第55号で取り上げた。いわゆる「団塊の世代」が75歳以上となる2025年を目途に、たとえ重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される仕組みを市町村ごとに構築するというものである。

 その実現のための取り組みが現在、全国各地で行われているが、さらに厚生労働省では現在、この「地域包括ケアシステム」を深化させ、「地域共生社会」の実現を目指している。これは「高齢者・障害者・子どもなど全ての人々が、一人ひとりの暮らしと生きがいを、ともに創り、高め合う社会」とのことで、その一環として主に地域の高齢者を想定していた「地域包括ケアシステム」から一歩進めて、これまで高齢者、障害者、子どもなど対象者ごとに「タテワリ」だった福祉サービスを「まるごと」へと転換することが想定されている。

 「一億総活躍社会」づくりが進められる中で、今後は福祉分野においても、「支え手側」と「受け手側」に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、公的な福祉サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる社会づくりが必要だということで、そのために「他人事」になりがちな地域づくりを地域住民が「我が事」として主体的に取り組める仕組みを作るとともに、市町村においてそうした地域づくりの取組の支援と公的な福祉サービスへのつなぎを含めた「丸ごと」の総合相談支援の体制整備を進める必要があるとされる。

介護保険への反省
 さて、長々と国の動向について紹介してきたが、考えておく必要があることは、これからのまちづくり、地域づくりは、単に地域に賑わいを増やす、交流人口を増やす、といったような方策に代表されるような活性化された地域をつくるということではなく、その地域の人が住み慣れた自分たちの地域でこれからも暮らし続けることができる地域をつくる、という方向に舵を切り始めたということである。そしてまた、他ならないその地域に住む一人ひとりが、そのために「他人事」ではなく「自分事」としてそうしたまちづくり、地域づくりの担い手となることが必要である、ということである。

 では、「担い手」として何をすべきなのか。それは、端的に言えば、互いにつながり、支え合うことである。第55号で「第4回 町内・集落福祉全国サミット in 奥会津」の基調講演で、内閣官房の「まち・ひと・しごと創生本部」で総括官を務めた山崎史郎氏が「『地域づくり』と『人の支え合い』は、実は同じことを言っている」と述べていたことを紹介したが、これはまさにそのことを指している。

 山崎氏は厚生労働省時代に介護保険法の成立から実施、改正まで関わり、「ミスター介護保険」との異名を持つ人だが、その山崎氏はこの後の基調鼎談で、「介護保険サービスは、都市部はともかく、地方ではメリットだけではなかったのではないか」とも語った。また、省内の若い職員には、「介護保険のことだけやっていると、介護のことが分からなくなる」とアドバイスしていたというエピソードも披露している。介護保険の「生みの親」自らが、介護保険の下で専門職が提供するサービスについて、自己反省とも取れる見方をしているのである。

 何が反省材料なのかと言えば、それは介護が必要な人への支え合いを全て介護保険サービスに委ねてしまったことが、地域のつながりを切り、お互いの支え合う力を弱めてしまったのではないか、ということである。

 もちろん、そうしたことから年々膨らむ介護給付費が国の財政を圧迫しているという側面もある。このままでは団塊の世代が75歳以上となる2025年には介護保険制度が立ち行かなくなるのではないかという危機感が国にはある。ただ、そうしたことだけではなく、自分たちの住んでいる地域へのコミットメントこそが、人口減少を伴う超高齢社会におけるこれからのまちづくり、地域づくりにおいて重要なポイントだということは、第55号で紹介した奥会津の方々の言葉から如実に窺える。

震災の前からあった助け合い、支え合い

 去る2月2日、仙台市内で「第1回宮城発これからの福祉を考える全国セミナー」が開催された。現在、新しい介護予防・日常生活支援総合事業の創設、包括的支援事業の充実を柱とする新しい地域支援事業への対応に各市町村は追われている。新しい介護予防・日常生活支援総合事業においては、これまで介護保険サービスとして提供されていた要支援1、2の高齢者への訪問、通所といった介護予防サービスの大半が市町村の事業として移管されることになっているが、そのうちの「B類型」のサービスなど、「住民主体の自主活動として行う生活援助等」(訪問型サービス)、「体操、運動等の活動など、自主的な通いの場」(通所型サービス)と規定されているのである。地域の住民主体でお互いの助け合いや居場所づくりを進めるというのである。今後は間違いなくそうしたまちづくり、地域づくりが進んでいく。

 この日の全国セミナーでは、そうした制度変更を踏まえて、今後どのようにまちづくり、地域づくりを進めていくか、各自治体におけるこれまでの取り組み事例などが発表されたが、地域の住民が互いに助け合い、支え合う地域をつくる大きなヒントは、震災からの復興プロセスの中にもある。宮城県保健福祉部長寿社会政策課長の成田美子氏は、「震災支援・支え合いのノウハウを地域包括ケアに活かし、発信していく」と述べたが、宮城県サポートセンター支援事務所長の鈴木守幸氏も、「宮城は震災で多くのものを失ったが、地域力や住民力といった財産を得た」と指摘した。1月21、22日にやはり仙台市内で開催された「第5回日本公衆衛生看護学会学術集会」の基調講演で東北大学大学院医学系研究科教授の辻一郎氏も、地縁・血縁から「知縁」へということで、「共通の興味・関心・利害で結ばれる人間関係が重要」として、「家族でない人が同居・隣居して助け合っていく新しい形の介護・看取りが必要」で、「震災のプレハブ仮設住宅にそのヒントがある」と強調していた。

 ただ、こうした地域における助け合い、支え合いは震災を契機に生まれたものではない。辻氏は震災直後に支援に入った避難所での体験を紹介しながら、「東日本大震災の被災地では、『地獄』の中で人々が『天国』を創出していた」と評しつつ、「それができたのは人と人のつながりがあったため」としていた。そうした元からこの地域にあった「人と人とのつながり」という「ソーシャル・キャピタル」こそが復興・再生を助けてくれるものであったわけである。

 全国セミナーにおいて実際に支援に当たっている当事者の発表からもそのことが強く感じられた。南三陸町社会福祉協議会で生活支援コーディネーターを務める芳賀裕子氏も「つながりづくりがこれからのまちづくり」と強調した。石巻市社会福祉協議会で地域福祉コーディネーターを務めている小松沙織氏は、「地域のチカラは、誰かを想う気持ち、喜びや困りごとに共感する気持ち、そうした想いから生まれる。それは昔も今もこれからも変わらない」と述べた。東北福祉大学総合マネジメント学部教授の高橋誠一氏も、「住民ができることを(専門職が)邪魔しなければいろいろ発展がある」として、そうした地域の「お宝」を探すことが重要であると指摘した。仙台の小松島地域包括支援センターの生活支援コーディネーターである岩井直子氏も、「地域の一人ひとりが『宝箱』を持っていた」として、地域の人々のそれまでの人生経験が地域づくりのアイディアに活かされていることを小松島地域での実例を通して紹介していた。北上市保健福祉部長寿介護課包括支援係主任の高橋直子氏も、「新しい事業に取り組むのではなく、今ある自治・互助を活かしてよりよい形にしていく」と述べた。

地方こそ地域づくりのトップランナー
 高齢者、障害者、子どもなどが自立した生活を営むために必要な支援を実施する団体やそれらの団体のネットワーク組織を支援しているNPO法人全国コミュニティライフサポートセンターの理事長である池田昌弘氏の示した図が、これからの地域づくり、まちづくりのあり方をよく整理していた。地域には、専門職など「支援のプロ」、地域住民など「地域のプロ」、そしてその両者をつなぐ「つなぐプロ」という、「地域づくりを支える『三種のプロたち』」がいる。そして、制度を活用したサービスや制度外で行う生活支援サービスなど「フォーマルな資源」、住民主体の支え合い活動や得意分野のおすそ分け活動などの「インフォーマルな資源」、そして外部の人には見えにくく、内部の人にとっては気づきにくい「ナチュラルな資源」という、「地域での生活を支える『三種の資源』」がある。「ナチュラルな資源」はその地域の伝統や文化、そしてそれまでのつながりや支え合いといった「宝物」から成り立っている。そのような構図である。

 住み慣れた地域での暮らしを支える「三種の資源」いずれでも「つながりをきらない」がキーワードとなる。「三種のプロ」による支え合いは、「つなぐプロ」が接着剤となって切れ目なく連携していく。そうして、豊かな緑を茂らせるどっしりとした大樹のような地域ができるわけである。

 その土台となる根っこの部分はその地域に住む一人ひとりである。時代が変化し、その都度生じる課題に柔軟に対応しつつも、助け合い、支え合いといったこれまでこの地域に大事に受け継がれてきたものについては、揺らぐことなく次の世代に伝えていく。そうした先に、これからのまちづくり、地域づくりがある。

 2月1日に開催された塩釜医師会の在宅医療研修会でも、東京大学恒例社会総合研究機構特任教授の辻哲夫氏は、「地域の中で皆で役割分担すれば、住み心地のいいまちになる」として、そのようにして「できる限り元気で、働けて、住んで、弱っても安心できる地域」があれば、「超高齢社会は決して恐れることはない」と強調した。その上で、「地方は人と人のまとまりがある。大都市は危うい。地方からまちづくりをして日本の未来をつくってほしい。地方は地域包括ケアシステムにより近い距離にある」と、この地域にエールを送ってくれた。

 大都市圏と地方との格差のことばかり話題になるが、ことまちづくり、地域づくりに関しては、地方はトップランナーとしてその先頭を走っていることを我々はもっと誇りに思ってもいい。そして、その上で自分たちの住む地域をもっといいものにしていくための歩みを続けていけばよいのである。


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