沢内村  

2020年04月20日

新旧銀河高原ビール比較〜東北で地ビールが飲める店 番外編その40

 このブログで「銀河高原ビール」のことを書いたのは2005年3月のことだった(当時の記事)。それ以前から飲んでいたことは間違いないが、少なくとも15年以上の付き合いであることは間違いない。

 前回の「さらば!岩手の銀河高原ビール」でも書いたが、そのように思い入れのあるビールだったので、岩手・旧沢内村からの撤退、樽生ビールや限定ビールの製造中止といった一連の措置は返す返すも残念だったが、銀河高原ビールブランドを残すために必要なことだったとするのならばやむを得ない面もあるとは思う。

P1002794 さて、そんな中、現在の親会社であるヤッホーブルーイングのある長野県内で造られ、缶のデザインも変更となった新しい銀河高原ビールがこの4月から出回り始めたので、早速買って、今までのと飲み比べてみた。










P1002795 左が新しい「小麦のビール」、真ん中がかつてのフラッグシップ、熱処理をしていない「ヴァイツェン」、右が3月までの「小麦のビール」である。「ヴァイツェン」は既に昨年9月末で製造を終了しており、手元に残っていたのはちょうど今月中旬が賞味期限のものだったので、飲み比べはギリギリのタイミングであった。






P1002798 飲み比べてみるとよく分かるのだが、味は同じ銀河高原ビールでも違っている。一番濃厚に感じられるのは旧「小麦のビール」で、「ヴァイツェン」はそれよりも少し軽やかでフレッシュな感じ、新「小麦のビール」は「ヴァイツェン」と同じ方向性を目指したようにも思ったが、もっとスッキリ目であっさりしてる感じであった。






P1002797 その辺りは見た目にも現れてて、色合いは旧「小麦のビール」が一番濃くて、次いで「ヴァイツェン」、新「小麦のビール」の順の濃さである。濁り具合はまた差が際立ってて、旧「小麦のビール」と「ヴァイツェン」はグラスを持つと向こう側の指は全然見えないが、新「小麦のビール」はちゃんと指が見えた。







P1002796 新「小麦のビール」はあっさりした味で、「地ビールはクセがあってちょっと…」という人にもあまり抵抗なく飲んでもらえる感じに仕上がっているが、かつての味に慣れ親しんだ人からすると、ちょっとスマートになってよそ行きの顔になってしまったようにも感じた。ただ、では銀河高原ビールではないか、と言われると、いや、これはこれでちゃんと銀河高原ビールの系譜を受け継いでいるようにも感じる。「やまや」の店頭などには今まだ岩手・旧沢内村産の銀河高原ビールが並んでいるので、それがあるうちはそちらを飲むが、それがなくなったらこの新しい銀河高原ビールを飲もうと思う。

 なお、新しい銀河高原ビール、当初、セブンアンドアイグループのスーパー「ヨークベニマル」と一部のファミリーマートにあったが、現在はいずれも品切れ状態で、出足はなかなか好調のようである。現在は、一部のローソンでも販売が始まったので、そちらを探してみるのがよいと思う。


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2020年04月10日

さらば!岩手の銀河高原ビール(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その129

 2月16日発行の「東北復興」第93号では、銀河高原ビールについて書いた。岩手の山あい、屈指の豪雪地帯である旧沢内村(現西和賀町沢内)に1996年に誕生した銀河高原ビールは、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーなどの国内大手ビールメーカーが造るピルスナータイプのビールとは全く違う、ヴァイツェンというスタイルのビールが看板ビールだった。

 私がビールの奥深さを知るきっかけとなったビールでもあり、それだけに思い入れもあるビールだったのだが、今年3月末で発祥の地である旧沢内村での醸造を止めることになった。4月からは現在の親会社であるヤッホーブルーイングのある長野県軽井沢町で「小麦のビール」一種のみが造り続けられることになった。

 以下が寄稿した全文である。


さらば!岩手の銀河高原ビール

「岩手のビール」でなくなる!
 昨年末、衝撃的なニュースが飛び込んできた。銀河高原ビールが、岩手県内にある醸造所での生産をやめ、樽生ビールや瓶ビールの生産も終了する、というのである。

 銀河高原ビールと言えば、岩手県の山あい、旧沢内村(現西和賀町沢内)に醸造所(ブルワリー)を構えるビール会社である。今、クラフトビールと呼ばれるようになった小規模のブルワリーが造ったビールがかつて「地ビール」と呼ばれていた時代からあった。

 全国各地に地ビールブルワリーができるようになったのは、1994年4月の酒税法改正によって、ビールの最低製造数量基準がそれまでの2,000kLから60kLへと緩和されたことがきっかけである。これによって全国各地に小規模の醸造所が相次いで誕生した。大手メーカーのビールと違って地域密着でその地域のみで流通することがほとんどで、また既にあった日本酒における「地酒」呼称になぞらえて、これらは地ビールと呼ばれるようになった。

 全国初の地ビールは1995年2月に誕生した新潟のエチゴビールだったが、銀河高原ビールもその翌年1996年7月に誕生しており、この業界では老舗と言っていい存在である。誕生のきっかけは、旧沢内村の「村おこし」であった。地元岩手県の住宅メーカーである東日本ハウス(現日本ハウスホールディングス)創業者の中村功氏が東日本ハウスの子会社として銀河高原ビール株式会社を設立したのである。

 一時は、大手メーカーに続くビール会社を目指して、沢内の他に、那須、飛騨高山、阿蘇にもブルワリーを設立し、広く全国展開していた時期もあったが、地ビールブームの沈静化などの影響を受けて、次第に規模を縮小させ、ブルワリーは発祥の地沢内だけになった。会社は二度の特別清算を経て、2017年11月からは、クラフトビール業界で最大手と目されている長野のヤッホーブルーイングの完全子会社となっていた。

 それでも経営は上向かず、ブルワリー併設の沢内銀河高原ホテルの休館、生きたビール酵母入りのヴァイツェン缶とスターボトルの一時の値上げを経ての販売終了など、残念なニュースが次々と飛び込んできていた。その最後に最も残念なニュースに接することになってしまったのである。

私と銀河高原ビール
 創業者の中村功氏の銀河高原ビールに掛けた思いについては、例えばウェブ上にある「日食外食レストラン新聞」の233号(2001年8月6日)に掲載されたインタビュー記事でも確認できるが、その中で中村氏は、「日本のビールは、確かにのどが乾いたときの清涼飲料水としてはよいが、食事をしながら飲むビールとしては物足りないと思っていた」、「日本の大手四社が造るビールとは違った、もう一つこんなビールがあるんだという思いで造ったのが『銀河高原ビール』」、「食べ物のメニューは一〇〇種類あってもビールは一種類。これからはビールも選ぶ時代だ」などと述べている。

 その思いはビール好きの私にとっても共感できるものである。そもそも、私がビール好きとなるきっかけとなったビールがこの銀河高原ビールだった。大手メーカーのビールはいずれもピルスナーというスタイルのビールで、しっかりとした苦みとのど越しのよさが特徴である。当時の私は、このスタイルのビールにはまるで馴染めなかったのだが、何かのきっかけで銀河高原ビールを飲んだ時に、大手メーカーのビールとは全く違う、看板ビールであるヴァイツェンというスタイルのビールの、フルーティーな香りと苦みがあまり感じられないまろやかで優しい味に驚いたものである。そこからピルスナー以外に多種多様なビールが存在することを知り、少しずつビールの世界に入り込んでいって今に至るのであるのである。大手メーカーが造るピルスナーだけではないビールの奥深さを教えてくれたビールであり、そしてまた、今も家で飲む晩酌の定番ビールであった。

銀河高原ビールの功績
 銀河高原ビールの大きな功績としては、このピルスナーではないビールの存在を知らしめたことも挙げられるが、もう一つ重要なこととして、ビール酵母が生きたままのビールを初めて全国に流通させたということも挙げられる。ビール酵母というのは、ビールの原料である麦芽(大麦を発芽させたもの)を栄養にして、アルコールと炭酸を生成する、ビールを造るのに欠かせない微生物である。ただ、発酵が終わった後もビール酵母がビールの中に存在するとそこからさらに発酵が進んでビールの味が変わってしまう恐れがあるため、大手メーカーのビールは全てこのビール酵母を完璧にろ過して味が変わらないようにしている。それによって常温での保管や輸送ができるのだが、銀河高原ビールはこのビール酵母をろ過せず、チルドでの輸送とすることでビール酵母が働かないようにして、できたままのビール本来の味を味わえるようにしたのである。銀河高原ビールの味のまろやかさはこのビール酵母のお陰もある。

 大手メーカーはろ過した後の、いわば「産業廃棄物」であるビール酵母を固めて錠剤にしてサプリメントとして販売したりしている。サプリメントとして販売されていることからも分かる通り、ビール酵母は麦芽の栄養をその中に溜め込んでいる。ならば、いっそのこと、ろ過などせずにビールと一緒に摂取すれば栄養面でもいいのではないか、ということも言える。

 そもそも、乳酸菌をろ過したヨーグルト、麹をろ過した味噌がないのに対して、ビールはビール酵母をろ過するのが当たり前のようになってしまっている。そうしたビールを全否定するつもりはないが、そうではないビールも選べるという、ビールの選択肢を限られた地域ではなく全国に広げてくれたという点で、銀河高原ビールの功績は大である。

銀河高原ビールの今後
 この、生きたビール酵母のビールはこれまで、ヴァイツェン缶、スターボトル(瓶)、そして飲食店向けの樽で味わえていたのだが、これらもヴァイツェン缶とスターボトルは昨年9月末で終売となり、残った樽も沢内の醸造所が閉鎖となる3月末の出荷を以て終売となることになった。季節ごとに販売されていた限定ビールも全てなくなる。

 辛うじて残るのはただ1種、「小麦のビール」という缶のみとなる。これはヴァイツェンに熱処理を加えることによってビール酵母の働きを止め(要は「殺菌」して)、常温での輸送を可能にしたもので、もちろんヴァイツェンの味わいも残ってはいるが、熱を加えたことにより、本来あった生ビールならではのフレッシュさがなくなってしまっているように感じられる。今年4月以降は、この「小麦のビール」缶のみが、岩手県内ではない、どこか別の地域の工場で造られることになるということである。

 ただ、銀河高原ビールのホームページには、「ビール造りにおいて、水質はビールの味と品質を決める重要な要素です。銀河高原ビールでは、岩手県和賀岳の伏流水をくみ上げて使用しています。適度なミネラルを含む天然水は仕込み水として最適です」と書いてある。4月以降は、この大きな「売り」だった和賀山系の天然水ではない水で造られることになるので、ひょっとしたら「小麦のビール」自体の味わいも違ってきてしまうことも考えられる。

 それでも、と思う。いろいろと残念な結果とはなってしまったが、「銀河高原ビール」の銘柄自体はギリギリ残ることになったわけである。ここまでしなければいけなかったというのは、状況が傍で見ている以上によくなかったということであろう。最悪、銀河高原ビールそのものがなくなってしまうかもしれなかった状況だったということも考えられる。そう考えれば、もちろん返す返すも残念ではあるが、その名前が辛うじて残ったのはまだよしとするべきなのかもしれない。

 なお、生きたビール酵母が入った銀河高原ビールは、今はまだ飲食店向けの樽が流通しているので、取り扱っている飲食店に行けば、少なくとも3月末までは飲むことができる。例えば仙台であれば、駅近くにある「夕焼け麦酒園」がそうであるし、盛岡と北上にある「アリーヴ」、盛岡の「沢内甚句」、「居酒屋坊ちゃん」、会津若松の「会津葡萄酒倶楽部」などでも飲むことができる。興味ある向きにはぜひ、まだあるうちに飲んでみていただきたい。

受け継がれるその思い

 なくなるブルワリーもあれば、新しくできるブルワリーもある。銀河高原ビールは岩手県内からはなくなるが、一方で、東北各地に新しいブルワリーが誕生し、あるいはこれから誕生する予定になっている。新しく立ち上がるブルワリーの方々と話をすると、何となく共通する思いがあるように感じられる。それは地域への愛着である。ビールを通じて自分たちの地域を盛り上げたい、地元の材料を使ったビールを造って地域をPRしたい、そういった言葉が口々に出てくる。これはまさに、24年前に銀河高原ビールが生まれた時の思いに酷似している。村おこしの起爆剤としていち早くビールに着目した銀河高原ビールの思いは、新たに立ち上がる同じ東北のブルワリーへとしっかり受け継がれているのである。

 そして、銀河高原ビールのこの味わいも、この世から消えてなくなるわけではない。銀河高原ビールで長らく醸造責任者として活躍していた方は、いずれ都内に新しくブルワリーを立ち上げ、そこで銀河高原ビール本来の味のビールを再現させようとしている。これも楽しみな話である。

 また、実はこの銀河高原ビールには「お手本」が存在する。銀河高原ビールを立ち上げる際、主要メンバー3人がドイツに行って、いろいろなビールを飲んでどんなビールを造ろうかと検討したらしいのだが、その時行った3人が一致して「これがウマい」となったのが、世界最大のビールイベント「オクトーバーフェスト」が開催されるドイツのミュンヘンにある、1328年からの歴史を誇る市内最古のブルワリー、アウグスティナーのヴァイスビア(ヴァイツェン)で、銀河高原ビールはこのアウグスティナーのヴァイスビアをお手本に造られているのだそうである。アウグスティナーは残念ながら、国外には出荷されていないのだが、ドイツ・ミュンヘンに行けば、銀河高原ビールの原点となったビールが味わえるわけである。

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2018年02月07日

私的東北論その103〜「旧沢内村が教えてくれること」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 昨年11月16日に刊行された「東北復興」第66号では、その夏に皆で訪れた岩手県の旧沢内村について書いた。地域医療の魁となった旧沢内村の取り組みは今も色褪せることなく、しっかりと引き継がれていた。それと、ここで飲む銀河高原ビールのウマさは格別である。


銀河高原ビールと地域医療の故郷
 7月下旬に、医療介護領域の知人友人と、「銀河高原ビールと旧沢内村の地域医療を学ぶツアー」と称して、岩手県の旧沢内村を訪れた。旧沢内村は2005年に隣の旧湯田町と合併して西和賀町となっている。ビール好きには知られているが、ここ旧沢内村は豪雪地帯由来の清冽な天然水を使った地ビール「銀河高原ビール」の故郷でもある。

 醸造所に隣接して「ホテル森の風 沢内銀河高原」という温泉リゾートホテルがあるのだが、ここで飲む銀河高原ビールが殊の外美味しいという話を私がしたことから、それじゃ行ってみようという話になった。しかし、せっかく旧沢内村に行くのに、地ビールだけではもったいないと思った。この旧沢内村、地ビールができる34年も前に全国的に有名になる事業を行っていた。当時、人口およそ6,000人の豪雪地帯の小さな村が、当時全国の自治体がどこもなし得ていなかった老人医療費無料化を打ち出し、実現したのである。医療関係者の間では旧沢内村は「地域医療の故郷」として知られている。そこで、ツアーではビールに加えて地域医療もテーマに加えた。

 本稿では、そのツアーで見聞きした内容を織り交ぜながら、旧沢内村における地域医療の足跡について改めて辿ってみたい。

深澤村長の功績

 一日目に沢内銀河高原でしこたま銀河高原ビールを飲んで大いに語らった翌日、まず足を運んだのは碧祥寺博物館である。寺院併設の博物館で、マタギや雪国の生活に関するおびただしい数の民俗資料が5つの建物に分かれて収蔵されており、大変見応えのある施設であった。

旧沢内村の「三悪」に立ち向かった故深澤晟雄村長(深澤晟雄資料館) 続いて訪れたのは深澤晟雄記念館である。故深澤晟雄(ふかさわまさお)は1957年から65年まで旧沢内村の村長だった人で、先述の通り、全国に先駆けて1960年に65歳以上の医療費を無料化し、翌61年には60歳以上と乳児の医療費無料化を実施した。それまでの旧沢内村は全国でも乳児死亡率が極めて高い地域だったが、一連の施策によって1962年に全国の市町村で初めて乳児死亡ゼロを達成させた。その拠点が当時の沢内村国民健康保険沢内病院であった。沢内病院は2014年に移転新築され、町立西和賀さわうち病院となったが、引き続き地域唯一の病院として、地域の人々の命と健康を守る砦となっている。

 深澤晟雄記念館では、このさわうち病院事務長の高橋光世さんに、深澤晟雄村長と沢内村について説明していただいた。高橋さんによれば、深澤村長は旧沢内村の「三悪」(豪雪・病気・貧困)の克服を目指した。旧沢内村を含む西和賀町は国の特別豪雪地帯に指定されている地域で、年間の累積積雪量は12メートルを超え、最高積雪量も3メートル近くに及ぶ。今でこそ除雪が行き届いているが、当時は除雪などされず、冬は雪に閉ざされていた。そのため、冬は具合が悪くても病院に掛かれず、その結果命を落とす高齢者も多くいたそうである。深澤村長はこうした状況を打破すべく、苦心して工事用のブルドーザーを調達し、まず除雪を成し遂げた。

 しかし、それだけで住民の病院へのアクセスは改善しなかった。当時病院受診は「かまど返し」と言われ、大きな出費を伴うものと捉えられていたのである。当時の医療費自己負担は5割。山間で自給自足で生活してきた村民にとっては重い負担であった。結局、受診しなければいけない患者が受診できずにいる状況は変わらなかった。そこで深澤村長は1960年に医療費の本人負担分5割を村が肩代わりする政策を実施する英断をしたのである。実施に当たり県と当時の厚生省からは「法律違反である」との警告を受けたが、憲法25条の生存権を挙げて、「人命の格差は絶対に許せない。本来国民の生命を守るのは国の責任であり、国がやらないなら私がやる。国は後からついてきますよ」と言って、断行した。

 その言葉通り、旧沢内村に続いて、1969年に秋田県と東京都が老人医療費を無料化し、国も73年に70歳以上を対象に無料化に踏み切った。ところが、これによって医療費が膨張したために、結局無料化は10年で終了し、1983年の老人保健法の制定により、患者の一部負担が復活することとなった。

乳幼児死亡率ゼロの原動力となった保健婦の家庭訪問(深澤晟雄資料館) これに対し、「元祖」の旧沢内村では、老人医療費無料化は、旧沢内村が西和賀町になるまで続けられたのである。旧沢内村の高齢化率は全国平均をはるかに上回る46%だった。それなのになぜ、旧沢内村は老人医療費無料化を続けることができたのであろうか。実は、旧沢内村の老人医療費無料化は、村の保健婦の予防活動とセットであった。「まず病気にならないこと」を重視し、保健婦が村の全戸訪問活動に力を入れていた。その成果があって、旧沢内村の医療費は全国最低水準だった。保健婦の家庭訪問による訪問指導こそが深澤村長の老人医療費無料化に始まる「生命尊重行政」の肝だったのである。

 1960年には「地域包括医療実施計画案」が策定された。保健と医療は一体で行うものとし、医師は病気にならないことにも関与すべきとした。予防活動を担う保健婦は病院に常駐した。予防から医療まで切れ目なく実施される「沢内方式」は、現在の地域包括ケアシステムの先駆けとも言えた。

今も生きる「人間の尊厳・生命の尊重」

 旧沢内村はその冷涼な気候で美味しいそばが取れる。昼に立ち寄った「農家食堂およね」では沢内手打ちそばが食べられた。この日の午後は、旧沢内村、そして現在の西和賀町の保健医療の拠点である町立西和賀さわうち病院内を見学させていただいた。ここでも事務長の高橋さんにご案内していただいたが、その際に聞いた話では、西和賀町では40〜65歳を対象に人間ドックは町から助成され、6,000円台の自己負担で受けられること、そして、合併で医療費無料化はなくなったが、今でも町民は外来月1,500円、入院は月5,000円の定額負担で受診できるということであり、また町民税非課税世帯は入院、外来とも無料であるということであった。自給自足で過ごす町民の割合がかなりを占めることから町民税非課税世帯の割合は高く、実質的に医療費無料化は現在も続いていると見ることもできる、とのことであった。

 病院ではまた歯科保健に力を入れており、回診には歯科衛生士、さらに歯科技工士も同行しているというのも特筆すべきことであった。また、リハビリテーションにも力を入れており、40床の病院でありながらリハビリテーション職員は4名いて、外来、入院、訪問、通所リハを実施しているそうである。病棟のスタッフステーションには深澤村長の言葉が掲げられ、今も深澤村長の思いが院内に息づいていることが窺えた。

 その後、院長の北村道彦先生から「高齢社会の医療を守るための処方箋」とのテーマでご講義をいただいた。

 それによれば、深澤村長の取り組みは住民自治と予防重視で、「広報」と「広聴」で住民との信頼関係を構築したとのことである。自分達で自分達の命を守る「自動」、「自立」を掲げ、「一人ひとりがせい、話し合ってせい、みんなでせい」の「三せい運動」を村づくりの原則の一つとしている。

 高齢化率46%の西和賀町は、岩手県のみならず、日本のモデルと言える。最近よく言われる「ソーシャル・キャピタル」とは北村先生の解釈では「絆力」で、西和賀町のこの高齢社会は行政だけでなくソーシャル・キャピタルが支えている、とのことであった。

 北村先生は2014年に院長に就任してすぐ、病院の対外的な窓口となる医療福祉連携室を立ち上げ、他地域の病院や診療所に出向き、「西和賀町の患者さんはすべて受け入れます」と挨拶したそうである。「顔の見える」関係の構築のためには、自ら足を運ぶことが大事で、さらに「思いの共有」が必要と強調しておられた。それを実践すべく、在宅医療を担う開業医3名、開業歯科医3名と病院、地域包括支援センター職員で月1回ミーティングしており、門前調剤薬局は院内薬事委員会のコアメンバーでもある。他に社会福祉士、栄養士、介護福祉士、看護師、保健師など町内の専門職の組織化もそれぞれ進行中で、病院の枠を超えて、町全体の専門職による「チーム西和賀」を目指しているそうである。

 また、院内にある売店とカフェは町内の障害者授産施設に運営を委託したそうである。現在、施設職員と利用者が2人一組で切り盛りしていて利用者の就労支援にもつながっている。病院単位でなく、地域(コミュニティー)単位で考えることが重要であるとのお話であった。

 最後に北村先生は、「乳児死亡ゼロと医療費削減を成し遂げた深澤村長の取り組みは今も褪せることなく我々の誇りであり希望。沢内村の、深澤村長の医療を学び、進化させたい」とおっしゃっていた。まさに、深澤村長の取り組みは、まさに今も色褪せることなく息づいているのである。

 一緒に行った訪問管理栄養士の塩野淳子さんが、「地域包括ケアは、もう私が産まれるずっと前に、小さな村で実践されていたんですね」と感想を書いていた。まさにその通りだと思った。今、国が進めている地域包括ケアシステムの先駆的事例こそ、この旧沢内村の半世紀以上前からの実践なのである。

 深澤村長は2期目の任期半ば、1965年に食道がんでこの世を去った。深澤村長の亡骸が村に戻ってきた時、猛吹雪の中にも関わらず、2,000人近い村民が沿道で迎えたという。深澤村長は亡くなっても、その「人間の尊厳・生命の尊重」という志はその後も旧沢内村の村民に脈々と受け継がれ、今なおその意思は生き続けているのである。


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2005年12月13日

東北で地ビールが飲める店その4〜岩手県西和賀町

4a1c6036.JPG 西和賀町とは聞き慣れない地名かもしれない。岩手県の山沿い、奥羽山脈を挟んで秋田県と接する湯田町と沢内村が合併してこの11月1日にできたばかりの新しい町である。

 沢内村と言えば、東北屈指の豪雪地帯であり、無医村だった同村にかつての深澤晟雄村長が苦心の末に国保病院を設置したエピソードは有名である。それと同時に沢内村は名水の里としても知られ、その水を使った東北を代表する地ビールである銀河高原ビール発祥の地である。この銀河高原ビールの工場が今も沢内村にはあり、工場に隣接してビアレストランと宿泊施設がある。「ホテル森の風アネックス 沢内銀河高原」(写真参照)がそれである。

 沢内村と合併した湯田町には湯田温泉郷という一大温泉地があり(参照サイト)、温泉の町として知られている。JRほっとゆだ駅には駅舎の中に温泉がある。豊富な温泉の熱で養殖しているスッポンの料理も有名である。また、湯田町を通る秋田自動車道の錦秋湖サービスエリアには同町が建てた東北では初のサービスエリア上の温泉入浴施設がある。一方の沢内村は湯田町ほど温泉が有名なわけではないが、沢内銀河高原に温泉がある(日帰り入浴も可)。循環式なのが残念だが、加水していないアルカリ性単純泉の湯はしっとりとした湯触りで心地よい。内湯の他に露天風呂もあり、温泉を十分満喫できる。

 地ビールに加えて温泉という、そのどちらも好きな私にとっては沢内銀河高原はまさに極楽のような場所である。以前書いたように、私は銀河高原ビールのヴァイツェンを毎日のように飲んでいるが、このうち、缶の「小麦のビール」より缶のヴァイツェン、缶のヴァイツェンよりは瓶のヴァイツェンの方が、生の銀河高原ビールに近い味がする。

 いずれ紹介する機会もあると思うが、私の住んでいる仙台にも銀河高原ビールを生で飲める店はある。しかし、ここ沢内銀河高原で飲む銀河高原ビールの生は、売られている缶や瓶のヴァイツェンとはもちろん、仙台の店で飲むヴァイツェンの生ともまた違う味がした。作りたてということのためなのだろうが、雑味がないと言うか、他の場所で飲むよりもキリッとした味わいがする。正直、私は銀河高原のヴァイツェンがこれほどキレのある味だとは、ここで飲む前には思っていなかった。仙台で飲む生、あるいは瓶や缶のヴァイツェンは、酵母が生きているが故に、日が経つにつれて発酵がさらに進み、その結果味にも違いが出てくるのだろう。生まれたての銀河高原ビールを味わいたければ、ここ沢内銀河高原はぜひ一度は訪れてみるべき場所である。

 ところで、沢内銀河高原における私の目当ては、もちろんこの銀河高原ビールと温泉だったのだが、実はここは食事もとびきりであることが分かった。料理には月替わりでテーマがあり、私が訪れた12月は「あったか煮物と煮込み料理」ということで、前菜「洋風前菜盛合せ」、造り「鱒、南蛮海老、紋甲烏賊、妻一式」、鍋物「サフラン鍋」、焼物「短角牛ステーキと豚肉のシチューパイ包み焼き」、煮物「郷土料理カスベの煮物」、中皿「白身魚の海藻蒸し煮雲丹ソース」、食事「古代米」、留椀「赤魚の湯引き澄し汁」、香物「三点盛り」、デザート「クレームブリュレ」という、贅を尽くした料理であった。この一つひとつの料理がまた実においしかった。ここは間違いなく料理で人を呼べる宿である。

 私が今まで泊まった中では(当然極端に料金の高い宿は含まれないが)、以前紹介したことがあるが、「料理の鉄人」で鉄人と闘って敗れたという程の実力の料理人のいる秋田県大潟村のサンルーラル大潟の料理と肩を並べるレベルである。そしてまた、地元の食材や料理法にこだわった料理の内容もとても好ましい。部屋の冷蔵庫には「銀河の水」という名のおいしい水、温泉の入り口には「百草水」という多種の草を水出ししたお茶が用意されているなどの心配りも嬉しい。

 そうそう、「光害」のないこの地で見る星空は格別で、まさに「銀河高原」の名にふさわしい。沢内銀河高原では、晴天時は夜8時半から「スターウォッチング」を行っており、天体望遠鏡で星空をつぶさに眺めることができる。

 できたての銀河高原ビールと温泉、そして絶品の料理、満天の星空と、沢内銀河高原はまさに言うことなしの宿である。もちろん、館内はゆったりとしていて快適である。私は一人で泊まったが、ここは願わくば大事な人と一緒に訪れてゆっくりとくつろぎたい場所である。宿泊予約は沢内銀河高原のサイト内からの他、楽天トラベルからもできる。なお、沢内銀河高原は、2006年1月4日から1月31日までリニューアルのため休館するという。山あいの村に忽然と存在するこのリゾートホテルがどのように変わるのか楽しみである。


追記(2011.9.16):沢内銀河高原はリニューアルして、名称も「沢内銀河高原ホテル」となった。もちろん、出来たての銀河高原ビールと温泉は健在である。


追記(2018.11.1):銀河高原ビールと沢内銀河高原が2017年10月末に「よなよなエール」などを醸造している地ビール国内最大手のヤッホーブルーイングに売却された。銀河高原ビールも全国で五指に入る醸造量であるので、両者を合計すると恐らく地ビール醸造所中ダントツの醸造量となると思われる(ヤッホーブルーイングは醸造量を公表していないので正確には不明だが)。
それはともかく、銀河高原ビールは引き続き醸造されているが、沢内銀河高原は2017年11月1日から休館となってしまった。
再開時期は未定で、1年が経った今も再開についてのアナウンスがない。沢内銀河高原が休館していることで、年1回の「銀河高原ビールまつり」も開催されなかった。
ヤッホーブルーイングの親会社はかの星野リゾートである。星野リゾートの宿泊施設再生のノウハウを活かした早期の再開を心から期待したい。


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