蒼茫の大地滅ぶ  

2018年02月08日

私的東北論その105〜「玉虫左太夫が見た夢」(「東北復興」紙への寄稿原稿)

 1月16日に発行された「東北復興」第68号では、幕末の仙台藩士玉虫左太夫を主人公に据えた小説「竜は動かず〜奥羽越列藩同盟顛末」について取り上げた。玉虫左太夫の遺した業績については、もっと評価されるべきと思う。


玉虫左太夫を扱った小説
「竜は動かず」 「竜は動かず〜奥羽越列藩同盟顛末」(上下巻、上田秀人、講談社)は、幕末に活躍した仙台藩士、玉虫左太夫を描いた小説である。この歴史の谷間に埋もれてしまった玉虫左太夫という名前を、聞いたことはあるという人は仙台に住んでいる人の中には割と多いのではないかと思うが、彼が為した業績を言い表せる人はそれほど多くないのではないだろうか。

 玉虫左太夫については、本紙第8号で早くも大川真氏が述べている。その中で氏は、「奥羽越列藩同盟の『集議』重視の政治システムは、明治維新の『敗者』=『遅れた』『敗れた』地域である東北にも先進的な政治構想が存在していることの証左と言いうる」と指摘した上で、玉虫左太夫をその奥羽越列藩同盟の「中心的なイデオローグの一人」と位置付けている。そして、玉虫左太夫の書簡にある「人心ヲ和シ上下一致ニセンコトヲ論ス」といった内容を紹介して、「当時としては画期的な内容が盛り込まれている。そしてほとんど看過されていることであるが、こうした先進的な政策が幕末の東北で提言されていることは震災後で大きな意味を持つと私は信ずる」と結んでいる。

小説の中の玉虫左太夫

 本書で描かれる玉虫左太夫は以下のような人物である。――仙台藩の下級武士で、学問を究めるために脱藩して江戸に出奔。苦労を重ねるが、後に幕府直轄の教学機関である昌平坂学問所の長官となる林復斎に見出され、林の紹介で仙台藩の儒学者・大槻磐渓と邂逅し、大槻の推挙で仙台藩主伊達慶邦との目通りも叶う。林の推挙で堀織部正の従者として蝦夷地を視察し、条約の批准に渡米する外国奉行新見豊前守の従者として太平洋を渡ってアメリカに上陸し、その後アフリカ、インドネシアを経由して世界一周して日本に帰国。その際に見聞きしたことの詳細な記録を「航米日録」としてまとめる。勝海舟や坂本龍馬と交流を持ち、松平春嶽や久坂玄瑞とも接触、仙台藩の命で風雲急を告げる京洛の動静を探る。大政奉還後、新政府から会津討伐を命ぜられるに際して、仙台藩を中心に旧幕府に匹敵する総石高260万石の奥羽越列藩同盟結成のために奔走、盟約づくりにも関与する。同盟崩壊、仙台藩降伏後、仙台藩の反佐幕派によって切腹させられる。

 小説の中で玉虫左太夫は、「日本は忠義を芯とし、礼節を重んじ、受けた恩を忘れぬ国でございまする」と主張する。日本では手柄を立てて与えられた禄や庇護は代を重ねて子々孫々まで受け継いでいけるという保障があるおかげで、武士は安心して戦場に赴けたわけで、自分が討ち死にしても、跡継ぎさえいれば家は残り、家族の生活は守られたのである。したがって、アメリカに対しては、「国をまとめた大統領といえども、次の入れ札で負ければ、ただの人に落ちる。本人でさえ、そうなのでござる。子や孫など一顧だにされませぬ。これでは忠義などありませぬ」と最初は否定して見せる。

 しかし、アメリカについては一方で、船上で艦長が一水夫の死を我が子を亡くしたように悲しむのを見て、「亜米利加が強いわけがわかりました。上の者と下の者が相和すれば人々の心は自(おの)ずから良き方向にまとまりまする。建国以来亜米利加で謀反がない理由もここにあるのでは」と、その情の深さに大いに感じ入っている。

 また、元の身分が低いがために、事あるごとにあからさまな嫌がらせを受けたり、足を引っ張られたりしたために、「馬鹿が上にいないという点は、大いにうらやむことである」「血筋と生まれだけで、さしたる学もない連中が、重臣だと幅をきかせる」と嘆く。そうした中で孫ができたことで、「能力さえあれば、男女に変わりなく頭角を現せる世」であるアメリカの姿が玉虫左太夫の中で大きくなっていくのである。

奥羽越列藩同盟の盟約
 玉虫左太夫はそうした中、奥羽越列藩同盟の軍務局議事応接頭取という外交官ともいうべき役職に就いた。奥羽越列藩同盟は会津、庄内への恩赦を要望する嘆願を出し、続いて盟約を作成する。盟約の全文は小説中には出てこないが、実際の盟約は以下の通りである。

今度、奥羽列藩仙台に於て会議し、鎮撫総督に告げ、盟約を以て公平正大の道を執り、同心協力、上王室を尊び、下人民を憮恤し、皇国を維持し、而して宸襟を安んぜんとす。仍て条例左の如し。
一、天下の大義を伸べるを以て目的と為し、小節細行に拘泥すべからざる事。
一、海を渉る同舟の如く、信を以て居し義を以て動くべき事。
一、若し、不慮危急の事あらば、比隣の各藩、速やかに援救し、総督府に報告すべきの事。
一、強きを負み弱きを凌ぐ勿れ、私に利を営む勿れ、機事を泄す勿れ、同盟を離する勿れ。
一、城堡を築造し、糧食を運搬する、止むを得ずと雖も、漫りに百姓をして労役し、愁苦に勝えざらしむる勿れ。
一、大事件は列藩集議、公平の旨に帰すべし。細緻は則ちその宜しきに随ふべき事。
一、他国に通諜し、或ひは隣境に出兵す、皆同盟に報ずべき事。
一、無辜を殺戮する勿れ、金穀を掠奪する勿れ、凡そ、事不義に渉らば、厳刑を加ふべき事。
右条々、違背あるに於ては、則ち列藩集議し厳譴を加ふべき者なり

 崇高な精神が現れた見事な盟約である。これらの中で、玉虫左太夫がその権限を使って入れ込んだものが5番目の「やむをえずといえども、みだりに百姓を労役させて憂い苦しませてはならない」という項目であった。東北の百姓を、アメリカで目の当たりにした奴隷にしてはならないという強い思いだった。

 本紙第11号で紹介した小説「蒼茫の大地 滅ぶ」で、野上青森県知事は奥羽越列藩同盟の敗因として、「三春藩・河野広中の裏切りと、農民の戦争拒否にあった」として、特に「何よりも農民の協力拒否が敗北につながった」と指摘していた。しかし、奥羽越列藩同盟の側には、元々農民を戦争に巻き込まないための盟約が存在していたのである。

 小説中では逆に、勢いづいた会津藩がこの盟約を破って、白河領で密かに農民に食糧を拠出させ、防衛陣を構築するための人夫も徴発するが、そのために恨みを持った農民が新政府軍を手引きして間道を案内した結果、立石山の陣を奪われて形勢が不利になる様子が描かれている。

知られていない理由

 白河の関に差し掛かった玉虫左太夫に、「ここを封じれば……奥州は独立できるか」との思いが脳裏をよぎる。奥羽越列藩同盟については前述の「蒼茫の大地 滅ぶ」でも説明されているが、元々会津、庄内両藩の恩赦を嘆願する同盟だったが、この嘆願が新政府に拒絶された後は、北部政権の樹立を目指した軍事同盟となった。この新しい政権の樹立というのは、新政府とは別の政権を創るということで、いわば新政府からの独立を目指したものと言えるのだが、敗北したこともありこの辺りが過小評価されているのではないかと感じる。輪王寺宮公現法親王を推戴し、「東武皇帝」として即位し、改元も行ったという説もあるのだが、資料が乏しく、統一した見解が得られていない。

 玉虫左太夫らが日本人として初めて世界一周した万延元年遣米使節も、あまり知られていないのではないだろうか。少なくとも、学校教育の中ではいわゆる「岩倉使節団」の方がはるかに著名である。玉虫左太夫自身のこともあまりにも知られていない。

 それは、これらはいずれも「敗者の歴史」であることが理由であるように思える。敗者の歴史は、勝者によって書き換えられるのが常である。とりわけ、新政府にとっては、自分たちとは別の政権が一時的にではあっても存在したという事実は、到底認められないものだったに違いない。

 作者の上田秀人氏は、インタビューの中で、この小説を書いた理由について、「幕末は維新を興した側から語られることが多い。じゃあ私は違う方向から、あの時代を眺めてみようと考えました」と答えている。視点を変えるとまったく違った歴史が見えてくる。この小説はそのまたとない好例であろう。

もし玉虫左太夫が生きていたら

 ところで、この小説のタイトルの「竜は動かず」の「竜」は何を表しているのだろうか。「竜」と言えば「独眼竜」政宗のことがまず思い浮かぶ。「竜は動かず」はこの「独眼竜」政宗の築いた仙台藩が、結局戊辰戦争ではさしたる働きができなかったことを示しているのかもしれない。小説中で仙台藩は、「かつて奥州に覇をはった仙台伊達も、二百六十年をこえる泰平に戦を忘れていた。戦場で討ち死するかもしれないとの恐怖は、実戦経験のなさも加わって勝とうという強固な意思を奪った」と書かれている。奥羽を代表する大藩である仙台藩が、泰平にあぐらをかくことなく軍備や組織の近代化を図っていたとしたら、奥羽越列藩同盟はまた違った展開を見せていたのかもしれない。

 あるいは、時代の変革を「竜」にたとえて、結局奥羽越列藩同盟が目指した「もう一つの日本」が日の目を見なかったことを、このタイトルは伝えているのかもしれない。様々な失策が積み重なって奥羽越列藩同盟は敗れ去ってしまったが、それでも盟約にあるような崇高な精神は、なくならずに今の東北にも伝わり、受け継がれているようにも思う。

 玉虫左太夫、本来は禁固7カ月で済むはずだったが、政敵によって切腹させられてしまった。もし本来の禁固だけで済んでいたら、仙台は、そして日本はどのように変わっただろうか。第14号で取り上げた会津の山本覚馬の業績を見ても、玉虫左太夫ももし生きていたとしたら、相当のことを成し遂げたに違いないと思う。その山本覚馬と玉虫左太夫がもし邂逅していたら、きっと意気投合して、相互に大いに刺激し合ったのではないか、などとも夢想するのである。

 なお、玉虫左太夫が遺した「航米日録」、7年前に「仙台藩士幕末世界一周」(荒蝦夷)というタイトルで玉虫左太夫の子孫である山本三郎氏の現代語訳で刊行されている。併せて読んでみたいものである。

 この「航米日録」にも出てくるが、この世界一周の航海中に玉虫左太夫はビールを飲んでいる。キリンビールのサイトにある「ビールを愛した近代日本の人々」の中に玉虫左太夫も紹介されている。世界を目の当たりにしながら飲むビールが、玉虫左太夫にとってどのような味だったのか、聞いてみたいものである。


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2012年02月10日

東北に関係する書籍その6〜「東北独立」を扱った小説

イメージ 1 さて、独立を果たした東北地方についてである。小説中では以下のように紹介されている。

国名:奥州国

暫定政府樹立
首相:野上高明青森県知事
60名の国務大臣:5県知事、脱出してきた国会議員からなる
合議制
・暫定政府であることを国民に告げ、完全独立が成り、国情安定後に投票による新政府樹立をすると約束
首都:岩手県盛岡市
・県名は従来通り、元号は廃止、西暦制を採用。

暫定政府の決定事項
国境:福島県、山形県の県境をそのまま指定、北は津軽海峡の中間ラインに設定

奥州国内通過問題:いずれは日本国との条約により相互通行の権利を認め合うことになるが、現時点においても通行の制限は行わない

奥州国内にある日本国の資産の没収:
・全資産を一時的に奥州国国有とすることを決定。
・鉄道は国境以北は奥州国鉄道運営局が運営管理。
・東北電力その他についても同様の処置。電力局が設置、稼働中の三基の原子力発電所、建設中の三基の原子炉も接収。
・このほか鉱山、油田、漁業関係などすべてが接収の対象。それぞれ奥州国鉱山局、漁業局、産業局に組み入れ。
・民間企業であると否とを問わず。

かつての県警の処置:
・県警察官は県が雇用、地元採用のため、警視以下は県が給料を支給。
・警視以上の国家公務員には退去を勧告、残る者はそのまま新警察に雇用。奥州国警察局が統轄。
奥州国の治安維持は東北地方守備隊が受け持つ。「奥州国警備隊」と改称。

立国の基本:「立国の基本は農業」
農業資源
・人口約1,000万人
・水田69万ヘクタール
・収穫できる米290万トン
・主食米としての消費量は年間一人当たり約88キロ、奥州国全体で概算90万トン
・余剰米が200万トン超
・畑30万ヘクタール。麦、野菜は人口に見合う
・大豆と果物など一部に若干の不足が見込まれる→耕地面積の拡大で処理

漁業資源
・漁獲量年間120万トン強(スケソウダラなど肥料用漁獲を含まず)
・消費量一人1日100グラムとして年間40キロとすれば3年分の魚が収穫できる
・貝類、海藻類を入れると数字はさらに上昇
・内水面漁業・養殖漁業で合計約1万トン。鮎、鮒、鯉、鱒、鰻、シジミなど

・余剰食品は日本国との貿易に振り向ける

鉱物資源
・金:376キロ
・銅:53.456トン
・鉄:285.548トン
・鉛:29.510トン
・タングステン:238トン
・亜鉛:111.279トン
・硫化鉄:212.752トン

・粗鋼の日本国内消費量は7000トン、一人当たり年間約690キロ
・奥州国1,000万人で年間700万トン
・生産額28万5千トンでは絶対的不足。

林業資源
・林業産物のうち素材生産量は625万立方メートル(全国の15%)
・人口比、木材需要の傾向から供給は充分。

石油資源
・一人当たり年間平均2.72キロリットル
・奥州国1,000万人で2,720万リットル
・備蓄分60日分で約450万キロリットル
・合計3,000万キロリットル
・原油産出量は年間約20万キロリットル
・極めて不足状況

 以上を踏まえた野上奥州国首相の就任演説は以下の通りである。

「人間の生活基本は農業にある。いかに時代が変化しようと、その基本姿勢は変わらない。大地を耕してそこから食物を得る。そうするかぎり、国も、われわれも、滅びることはない。

 さいわい、わが独立国奥州は広大な山野、沃野を擁している。国民人口は一千万人である。一千万人の国民が潤沢に暮らしていける資源には、こと欠かない。……

 わたしは、奥州国建国に当たって、大自然との調和を第一義に据えたいと思う。それには、まず、土壌の改良をなさねばならない。日本国は農業基本法設定以来、労働生産性のみを考え、作物の専作化がすすみ、大量の化学肥料を使用した結果、いま、土壌は極度に悪化している。土は本来生きものである。微生物による活動が有機物を分解し、作物に養分を与え、通気性を保ち、保水性を強化して、作物を力強く育ててきた。

 ところが、いまの農作物はどうか。弱体化がはげしい。大量の農薬撒布は作物の弱体化だけではなく、人体にも害毒を瀰漫(びまん)させている。

 土壌改良には厩肥(きゅうひ)が必要である。それには家畜を増やさねばならない。とくに牛が必要である。わたしは、向こう五年間に、わが国に乳牛、肉牛あわせて五百万頭の牛を増やす政策を採りたい。飛蝗来襲前には東北六県には乳牛肉牛合わせて五十六万頭、豚百十五万頭を飼育していた。それを十倍まで増やすことが、農業立国の基本方針である。そうすることによって、はじめて、土壌改良もなろう。そして、われわれは、大量に農薬に汚染された食物とは、訣別できる。

 わが奥州国には悠久の大河がある。北上川、阿武隈川、最上川だ。まだまだ、無数の川がある。われらは、この河川を蘇らせる。鮭を放流するのだ。臨時政府は産業再編成に着手している。その主たる目的は河川の汚染厳禁にある。大小無数の河川は一、二年以内に完全に蘇るであろう。清冽な流れが戻るのだ。そこに、鮭や鱒、鮎などが群れをなして遡上することを、わたしは、約束する。鮭の放流は現在回帰率がニパーセントにまで高められている。五億匹を放流すれば、一千万尾の鮭が回帰遡上することになる。

 われわれには、山林も戻った。かつて、日本政府に押さえられていた官有林も、現在は、すべて、国民のものだ。明治以降、われわれは広大な国有林設定に、泣いた。東北地方のひとびとを漂民化し、隷属化させた最大の癌が、この山林国有化であった。

 われわれには製造工業もある。現在、三万六千以上の工場を接収している。ここからは年間四兆五千億以上の製品を出荷している。食糧から、武器まで、あらゆる製造工場が揃っている。

 製鉄、セメントなどの大規模工場もある。

 製造工場では生活必需品と、農業機械、建設機械、トラック、バスその他が生み出されるであろう。

 もちろん、よいことばかりではない。わが奥州国には鉄の絶対量が不足している。しかし、わが国はベトナムなどのように戦火の中から復興するのではない。すでに諸君は家を持っている。鉄道もあれば橋もある。鉄の不足は耐えられないものではない。わが国には地下資源が豊富だ。新たな鉱山の開発に期待をつなげる。

 電力の不足はさほど心配することはない。現在、建設中の三基の原子力発電所が稼働をはじめれば、約二十パーセントの節電で充分に乗り切れる。

 問題は原油にある。産出量は二十万キロリットル。天然ガスが五千五百万立方メートル。これは、日本国が国産を軽視して開発を怠った結果である。われわれは採掘規模の拡大、秋田沖油田の開発などに着手するであろう。アジア諸国の一人当たり消費量は〇・三八キロリットルである。われわれのニ・七ニキロリットルは明らかに使いすぎだといえる。これは、肥料、プラスチック、繊維などに石油を消費しているからにほかならない。われわれは当分の間、石油は燃料以外には消費しないのを原則とする。すでに、衣類などの各種製品は潤沢に行き渡っているはずだ。ニ、三年は、そうしたものに石油を使わなくても不便は感じないであろう。現在、流通経路上に備蓄されている石油で、すくなくとも来年の春までは保(も)つであろう。

 以上が独立国家運営における見通しである。

 つぎにわれわれは、外交における確固たる理念を持たねばならない。わたしは、外交の基本を平和におく。いかなる国とも敵対関係を持たない。これは隣国日本とも同じである。独立はしても、われわれは同胞であることに変わりはない。いずれ、条約で二国間に関するかぎり、通行制限は行なわないことを取り決めたい。ただ、わが国の侵略される懸念のある間は、特定国との安全保障条約は結ばねばならないと考える。

 中立を守る意味で、三沢にある米軍基地および、日本国の陸海空各自衛隊基地は早急なる撤去を要請する。わが国にはいかなる国の軍隊をも駐留させないのが、基本方針である。

 ……

 最後に、国民諸君に独立国家誕生についての充分なる認識と気概を持たれることをお願いする。日本国が、自衛隊による武力行使に訴える可能性がないとは、いいがたい。そうなっても、断じて、屈してはいけない。屈伏は第二の戊辰戦争となるだけである。われらは日本国の奴隷となるよりも名誉ある死を選ぶべきである。二度と、われらは、隷従しない。

 わが国にある無数の石の地蔵をこれ以上、増やさないために、われらは侵略に体を張るべきである。血をもってあがなわねばならぬものなら、そうしよう。

 われらは、永遠の侵略に歯止めをかけるべきときに遭遇している」

 野上首相の下、東北地方が「奥州国」として独立を果たした1978年当時の人口は約1,000万人とあるが、現在では921万2千人となっている(新潟県を含めた7県では1,157万2千人)。今後、少子化の進展でさらに人口減少の度合は加速すると見られる。

 小説では東北六県が独立したことになっているが、これに新潟県も加えた7県で見た場合、域内GDPは41兆7,830億円で、これは北欧のスウェーデンの41兆5,366億円を上回る。「国」としての実力は、欧州の中堅国並といったところである。

 問題は歳入構成比で、全国平均と比べ、東北地方は歳入に占める地方税の割合が低く(全国平均31%、東北地方19.3%)、逆に、地方交付税(全国平均20.0%、東北地方29.0%)と国庫支出金(全国平均15.7%、東北地方17.9%)の占める割合が高い。他地域よりも国の財源に依存する度合いが大きいということである。

 小説の中では「農業立国」を基本としているが、これは独立する、しないに関わらず、今後東北が必ず取り組んでいかなければならない最重要テーマであると私も思う。そして、農業立国のベースとなるのが、農業の成長産業化である。日本では農業は「衰退産業」というレッテルを半ば貼られてしまっている。高齢化の進展、なり手がいない、国土が狭い、高コストで輸入品に太刀打ちできない、などなど、事ある毎に農業の衰退が取り沙汰される。では、なぜ同じように高齢化が進み、国土が狭いヨーロッパの国々の中で農業が基幹産業となっている国があるのだろうか。それらの国の日本との違いは何なのだろうか。

 宮城大学副学長の大泉一貫氏はこの農業の成長産業化について、具体的な方策も含めて主張している。氏の講義を以前聞いたが、なるほどと思うことがいくつもあった。「農業において『余ったら輸出』というのが世界の常識だが、『余ったら生産調整』が日本の常識」、「市場発見、顧客発見の必要が農業にもあるにも関わらず、日本の農業政策は輸出忌避、顧客志向忌避で衰退させるべくして衰退させている」と指摘し、オランダ、デンマーク、スイス、フィンランド、ノルウェーなどの取り組みを紹介する。なるほど、まだまだヨーロッパ諸国に学ぶことはたくさんあるのだなと実感する。

 大泉氏が挙げるのは\こ市場への進出(市場の発見・創造、輸出の推進)∪源裟の向上(重機による分業協業、オートメーション工場、IT化施設の導入)CΓ閏〇唆伐宗蔽工業化社会、情報産業化、サービス産業化、ブランド化、他産業との融合)である。その中で、その通り!と思った氏の発言は「東北は食糧供給県ではない!」というものである。東北と言うと、まさにそのような位置づけで語られることが多い。しかし、発想の大転換が必要である。食糧を供給するのではない、味、品質共に優れた東北の食糧を日本含め世界中に売り込む、そのような意識が「農業立国」には絶対に必要である。そう言えば、以前紹介したが、青森県は三村知事を筆頭に、農産物の積極的な海外進出を図っていた。あの姿勢が必要なのである。そうそう、こうした大泉氏の講演、ウェブ上では全国肥料商連合会での講演の内容が文字になっている。当日の配布資料もPDFデータとなっていてありがたい。

 電力の問題も大きい。小説の中では原子力発電所を接収したことになっているが、東日本大震災後、事故を起こした福島第一原発は言うに及ばず、福島第二原発、女川原発、東通原発がすべて停止したままである。太陽光発電、風力発電など、自然エネルギーによる発電が模索されているが、その不安定さやコスト高がどうしてもネックになる。私が注目しているのは地熱発電である。日本は世界第三位の地熱資源がありながら、その活用は遅れている。その理由の一つが、地熱発電の候補地が温泉地に近く、地熱発電の開発によって温泉の源泉に影響が出るのではないかという懸念である。

 この懸念を払拭するバイナリー発電という方式での地熱発電が現在導入され始めている(参照サイト)。日本の地熱資源の中でも、東北には有望な地域が多い。日本地熱開発企業協議会は昨年9月に東北六県の地熱開発有望地区についての調査結果を発表している(参照PDF)。青森県の下北、八甲田、岩手県と秋田県にまたがる八幡平、岩手県と秋田県と宮城県にまたがる栗駒山、山形県と宮城県にまたがる蔵王、福島県の磐梯山が挙げられているが、中でも福島県の磐梯地域には、なんと原発2基分の地熱が埋まっているということである。八幡平地域もこの磐梯地域に匹敵する「埋蔵量」が見込まれている。確かに、八幡平山麓の玉川温泉だけ見ても、98度という沸騰寸前の日本一高温の温泉が、これまた日本一の毎分約9,000リットルも湧出している。これをバイナリー発電に生かさない手はない。また、風力発電では、洋上風力発電にも期待したい。

 農業以外の産業については、これまた以前紹介したが、「鉱業」を強く推したい。「都市鉱山」の開発は「黄金の国復活の狼煙となるに違いない。この「都市鉱山の開発」=非鉄金属リサイクルは秋田県北部を中心として現在産業化が進んでいる。それを含めた東北の産業創出プロジェクトは現在進行中である。東北地域産業クラスター形成戦略、通称「TOHOKUものづくりコリドー」である。

 この中では自動車関連部材等分野、光産業分野、半導体製造装置関連分野、医歯工連携・健康福祉分野、MEMS(微小電気機械素子)技術分野、非鉄金属リサイクル分野、IT分野の7つの技術・産業分野を、広域仙台地域、北上川流域地域、山形・米沢地域、広域郡山地域の4つの「牽引役」と、青森・弘前地域、八戸地域、秋田北部地域、本荘・由利地域、会津地域、いわき地域の6つの「産業集積地域」において、相互に連携を図りながら重点化することを目指している。このプロジェクトを基に、東北の各地域のさらなる産業発展を図っていくのが、「奥州国」の産業振興の近道であろうと考える。

 そうそう、「奥州国」という名称だが、奥州と言うと、陸奥国、すなわち東北の太平洋側の地域を指すので、もし東北地方が丸ごと独立する場合は別の名称を考えた方がよいと思う。「東北国」が真っ先に思い浮かぶが、この東北という言葉は中央から見た方角しか指し示していない。まあ、世界の国を見渡してみても、意外に「え?そんな意味だったの?」という国名が結構あるので(参照サイト)、「東北国」でもいいと言えばいいのだろうが、歴史的に言えば、小説の中で野上首相も紹介した「日高見(ひたかみ)国」を名乗るのもありだろうし、「蝦夷(えみし)国」「日之本(ひのもと)国」なども考えられる。

 独立国と言えば、以前「ミニ独立国」が流行ったことがあった。現在でも活動している国はあるようだが、どちらかと言うと下火の感がある。とりあえず、東北六県ないしは新潟も含めた7県は、この「ミニ独立国」として独立してみてはどうだろうか。規模から言ってまったく「ミニ」ではない「ミニ独立国」となるが、インパクトは大、地域振興にそのスケールメリットも最大限活かせるのではないだろうか。

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2012年02月09日

東北に関係する書籍その5〜「東北独立」を扱った小説

i_std_bsc_02_1-1a 上巻の白眉が先に紹介した、地方自治についての憲法解釈を巡るやり取りだとすると、下巻、そして本小説全体の白眉はもちろん、野上青森県知事による東北地方の「独立宣言」である。小説の中では、野上知事がテレビとラジオで緊急会見を開き、それを宣言している。首都圏を目指したおびただしい数の東北地方の難民が、難民受け入れ拒否を告げた東京都と荒川で衝突し、多数の死傷者を出した直後のことである。以下がその全文である。

 故郷を捨てた難民のみなさん。

 これから、わたしの述べることを、心して、聴いていただきたい。これは難民となって異郷を彷徨(さすら)うみなさんだけではなく、東北地方の全住民に聴いていただきたい。

 わたしは、昨日、難民受け容れを拒否するとの都知事声明を聴いた。それにつづく、沿道各県県知事の声明も聴いた。わたしは、そのことを予測していた。予測はしていたが、わたしの力では流民、難民となって旅立つひとびとを喰い止めることができなかった。いま、総数で百五十万を超すひとびとが故郷を捨てている。わたしは、都知事声明を聴いて、泪を流した。入都を拒否され、国道以外の通過はならぬと各県から通告されたみなさんは、わが同胞である。

 今日、難民と警視庁との激突も、聴いた。みなさんの攻撃は失敗に終わった。怪我人が二百余人。死者が三十二人。その他、荒川の水に消えた者がかなりある。極秘の警視庁情報だ。

 みなさんの敗北は最初から予想できた。三浦都知事は綿密な計画を樹(た)てていたのだ。すでに入都している六十万人の難民に専門家をまぎれ込ませて、暴徒化を口族(けしか)けた。とうぜん、暴動が起こった。都知事はそれを背景に、難民受け容れ拒否を断行したのだ。

 諸君には死の行進が課されている。現在、五本の国道を埋めた難民の数は約六十万人だ。都知事および、沿道各県知事は、六十万人の難民に死を宣告した。親を、子供を、犬猫を抱いた諸君は、飢えに苦しめられ、妻や娘を売りながら、ふたたび歩いて荒れはてた故郷に向かわねばならない。諸君に死を宣告したのは、なにも都知事、各県知事だけではない。もっとも諸君に無情だったのは、中央政府だ。政府が難民受け容れ対策をたてさえすれば、このような悲惨な状態にはならなかった。

 中央政府の東北蔑視は、いまに、はじまったことではない。

 わたしは、ここで過去に触れざるを得ない。

 わが東北地方は、明治絶対政権誕生前夜に、中央と生存を賭けて戦ったことがある。いわゆる、戊辰戦争だ。一八六七年。将軍徳川慶喜の大政奉還と同時に、薩長土は王政復古の宣言を行なった。時の京都守護職であった会津藩主松平容保が徳川家に味方したのは許せないというのが、口実だった。だが、それは口実だ。本音は東北地方諸藩を武力で叩きのめすことにあった。叩いて、ひれ伏させないかぎり、維新以降の主導権確立が危ないとみたのだ。当時の書簡で木戸孝允は、こう、述べている。<確乎、御基礎の相立候事、戦争より良法ござなく……太平は誓って血をもってのほか買求め相済まざるものと思考仕り候>と。

 薩長土は、松平容保死罪、庄内藩主酒井忠篤は領地没収との方針をたてた。朝廷より奥羽鎮撫総督をいただき、大山格之助、世良修蔵などを参謀として、進軍を開始した。東北諸藩に対しては会津、庄内両藩討伐令が下った。だが、東北諸藩は従うはずがなかった。逆に、明治元年に東北諸藩は奥州白石に集まって同盟を結んだ。

 四月十九日。世良参謀を斬った。そして、五月、仙台で東北二十五藩の大同盟が成った。さらには越後諸藩も加えて、奥羽越大同盟となったのだ。奥羽越大同盟は輪王寺宮法親王を擁立して<東武皇帝>と称し、東北地方の独立を宣言した。年号も、大政元年と改めた。諸外国に独立宣言を発し、ここに敢然と中央政府に独立戦争を挑んだのだ。

 だが、戦いは敗れた。六月にはじまり、十月に終わった。敗因は三春藩・河野広中の裏切りと、農民の戦争拒否にあった。何よりも、農民の協力拒否が敗北につながった。東北地方の自然条件はきびしい。農民は戦争どころではなかった。戦争は階級の争いである。自分たちには無縁だとみた。

 しかし、わたしにいわせれば、当時の農民の戦争拒否は残念だった。戦わねばならなかったのだ。全住民が挙げて、奥羽越同盟軍に馳せ参じるべきだった。戦いを放棄したばかりに、明治政府に隷従する身となった。ここに、中央政府の東北地方蔑視がその芽をふいたのだ。

 明治政府は富国強兵を方針とした。富は関東以南に築き、強兵は東北地方に求めた。

 無数の東北地方の若者が戦いの最前線に送られて、死んだ……。

 たとえば、ここに、一つの資料がある。

 明治二十五年に完成した林野行政による、官有林、民有林の区分だ。例をとる。奈良県の民有林は九十九・七パーセント。官有林は、わずか〇・三パーセントしかない。わが東北地方はどうか。官有林が宮城県で六十六パーセント。山形県八十三パーセント、福島県八十パーセント。秋田県はじつに九十四パーセントだ。そして、青森県。ここは九十七パーセントが官有林に没収されておる。

 農民は完全に山林から締め出された。中央政府によって生活の根拠を断ち切られたのだ。それまでは自由に木の枝や下草を取りに入山したのが、いっさい禁止された。当時の大林区署・小林区署、つまり、営林署の役人が警官と同じ支度であったのは、入山者を取り締まるためであった。東北地方の農業経営には山林原野が最重要であった。そこから飼料肥料の供給をたえず仰いでいたのだ。生活の根を絶たれた農民は、土地を捨てて都会に出るしかなかった。富国を急ぐ政府には、産業を支える低賃金労働者が必要だった。中央政府は東北地方の山林を国有林として農民の生活を奪うことで、労働力を得ようとした。

 幾多の婦女子が売られ、男は戦場にて、死んだ。

 都会に出た学業もなく、技術もない東北県人は、賤民として扱われた。ひとたび恐慌が襲うと、真っ先に馘(くび)を切られた。故郷には水呑み百姓の父母がいる。そこに戻れば喰えるだろうというのが、政府のことばだった。<今日の経済を考えるとき、人間の力で失業者を防ぐことはできやしません。とうぜん不景気は来る。失業者はできるのです。それはもう、わたしは当然だろうと思う。すこしも不思議はない>大蔵大臣井上準之助はそういった。内務大臣安達謙蔵は、こういった。<東北地方人の失業は、失業にあらず、帰村すればそれで済むのだ>と。また、雑誌「改造」の座談会で、こうも述べている。<そこは東洋流の家族制度のおかげで欧米とはよほどちがうのですね><失業手当てなどやると、遊民、惰民を生じるから、そういう弊害を極力防ごうと考えている。いかに日本の政府が民衆政治になったからといって、民衆におもねってそういうことをしたら、百年の禍根を残すと思うのです>と。

 賤民は故郷に追い返された。

 妻の身売り、娘売りがつづき、子供を買う最上婆アがあらわれた。東北地方の歴史はこの身売りにつきまとわれている。

 いまも、諸君は、わが妻や娘を沿道の男たちに売りながら南下している……。

 中央政府は、東北地方住民が貧しいのは土地が狭いからだと、定義した。その定義は満州占領の布石だった。広大な満州へはばたけと、大宣伝をはじめた。そして、若者はぞくぞくと満洲に渡った。政府の真の狙いは現地調達できる兵力にあった。

 話を現時点に進めよう。

 日本の高度経済成長が緒についた昭和三十六年、政府は、農業基本法を制定した。農業従事者と他産業従事者の所得格差をなくするための法律だとある。一戸当たり二・五ヘクタールの耕地があれば、他産業従事者と同じ所得があげられるから、小規模農家はやめろといった。そして、工場を東北地方に大量進出させた。これが、経済成長を遂げさせる基盤になった。その結果が貿易収支の黒字となり、その見返りとして諸外国の余剰農産物が法外な安値でどんどん入ってくるようになった。

 政府は稲作の減反を命じた。

 アメリカ産の飼料を使って家畜を飼えという総合農政がはじまったのだ。


 ――諸君は故郷を捨てた。巨大な難民の群れとなって、南下した。そこに諸君を待ち受けていたものがなんであったか。中央政府の壁だ。抜きがたい東北地方蔑視の壁だ。飛蝗来襲と同時に中央政府は東北地方から備蓄米を運び去ろうとした。そして、六千億の援助で、われわれを見捨てた。諸君の飢えは、だれも考えない。明治以来、中央政府は一貫してその棄民政策を取りつづけている。それでも、諸君は東京にさえ入ればなんとかなるだろうとの、幻想をいだいた。その諸君を待ち受けていたのは、警察力によるシャットアウトだった。諸君は幻想を打ち破られた。いまは、醒(さ)めるべきだ。すでに、その時がきている。

 わたしは、ここに、諸君に要請する。

 北に帰りたまえ。

 歩けない者は協力して連れ戻りたまえ。夫は、妻を沿道の男に差し出すのは、やめることだ。いかに苦しくとも、盗みはするな。犯罪は起こすな。全員で協力し合うことだ。落伍者は出すな。故郷まで、いかに遠かろうとも、自身の足で歩いて戻ることだ。

 わたしは、再度、要請する。

 諸君には東北地方人たる名誉を守ることを、願う。自分の足で大地に立つことを、お願いする。諸君に武器を向けた東京都に未練を抱くな。中央政府に幻想を抱くな。たとえ、飢え死のうと、意地は捨てるな。

 百五十万難民に、要請する。北に帰りなさい。

 諸君の安住の地は、北にしかない。

 故郷に戻りさえすれば、わたしが、諸君の食糧は保証する。

 わたしは、ここに、東北六県知事会を代表して、宣言する。われわれは、日本国から独立する。

 この大演説を聞いた、打ちひしがれた東北地方の難民たちの様子を作者はこう描写している。

「ことばにならない声が、国道を埋めた。透明で巨大な何かが、雨の国道を、難民の間を、走り抜けた。
 どよめきが野上高明の声を掻き消した。
 ボリュームはいっぱいに上げてあるが、それでもどよめきに掻き消された。
 号泣が湧いた。
 だれもかれもが、泣いていた。他人の目をはばかる者はなかった。何万という男女が、闇の底で泣き伏した」


 この野上知事の演説の中では、明治以降東北が置かれてきた状況が浮き彫りにされている。その中で、私もこれまで知らないでいたことがある。官有林と民有林の比率の件である。東北地方と他地域との間にそれほど割合に差があるのだとすれば、それは明らかな不均衡・不平等以外の何物でもない。現代ではどうなっているのか。そこで早速調べてみた。データは「2010年世界農林業センサス報告書」の第7巻「農山村地域調査報告書−都道府県編−」にある。結論から言うと、この小説中で野上知事が挙げているのは明治時代のことであり、現在ではそこまで極端な差ではないが、依然として西日本と比べて東北地方の国有林比率は高い。なるほど、明治維新以降の東北地方の貧しさは単に気候的な問題ではない、そのような政策的な理由もあったのかと勉強になった。

 例えば、演説中で例に挙げられている奈良県では、現在でも現況森林面積283,900ha中、国有林は12,701haで4.5%、民有林は271,199haで95.5%を占める。これに対して、東北各県を見てみると、青森県は615,064ha中、国有林375,903ha(61.1%)、民有林239,161ha(38.9%)、岩手県は1,147,152ha中、国有林360,716(31.4%)、民有林786,436(68.6%)、宮城県は408,510ha中、国有林121,793ha(29.8%)、民有林286,717ha(70.2%)、秋田県は820,640ha中、国有林373,509ha(45.5%)、民有林447,131ha(54.5%)、山形県は643,395ha中、国有林329,653ha(51.2%)、民有林313,742ha(48.8%)、福島県は936,128ha中、国有林372,449(39.8%)、民有林563,679(60.2%)と、明治時代よりは比率が下がっているものの、依然西日本に比べて高い割合を占めている。それが目で見て分かるのは、「私の森.jp」の中にあるこのページの図(上の写真)である。

 震災復興を巡るこれまでの動きを見て分かったことがある。「中央政府」は地方に財源や権限を譲り渡す意思は微塵も持っていない、ということである。未曾有の大震災に際してさえそうなのだから、平時にそうした議論が進むと考えるのは望むべくもないのだろう。

 野上知事の「独立宣言」、フィクションの話でありながら、同じ東北に住む者として、強いメッセージを感じる。

 東北地方人たる名誉を守れ。
 自分の足で大地に立て。
 東京都に未練を抱くな。
 中央政府に幻想を抱くな。
 たとえ、飢え死のうと、意地は捨てるな。


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2012年02月08日

東北に関係する書籍その4〜「東北独立」を扱った小説

蒼茫の大地滅ぶ下 作者である西村寿行は、作品の題材について徹底した調査を行うことには定評があったそうで、本作でもこうした明治以降、東北地方が置かれた状況について、野上知事が事細かに語っている。

 上下巻のうち、上巻についての白眉は、衆議院の地方行政委員会に喚問された野上知事の、自治大臣との応酬にあると言っていいと思う。場面は、衆議院の地方行政委員会。明野和重議員ら東北出身の与党国会議員47名が、東北六県知事に「非常時大権」を与えようという動議を提出しようとするが、先に野党の勝俣議員が、野上知事に対する審決請求の動議を提出する。そこでは野上知事の興味深い憲法解釈が披瀝される。以下にそのやり取りを挙げてみる。

野上青森県知事「宮根自治大臣。畦倉首相。あなたがたの質問に、わたしは同時に答えよう。勝俣委員からあったが、自治大臣は地方自治法にもとづいて行政不服審査法の規定を準用すればよい。また、首相は法一四六条にもとづいて、職務執行命令訴訟を起こし、わたしを罷免に持ち込みたまえ」

宮根自治大臣「野上知事。わたしは、この危機を深く認識しているつもりです。もちろん、明野委員の動議にも意義を認めています。しかしながら、勝俣委員の申請を無視するわけにはいかない。法治国家である以上、地方自治体首長といえども、憲法上の限界に服するのは、とうぜんです。日本国憲法が地方自治に関して一章四カ条を設けて自治権を保障しているのは承知しています。ですが、それは、あくまでも地方自治を国家の基本的統治機構の一環としてであって、<地方自治の本旨>は法律でこれを定めることにしたと、九二条にあります。勝俣委員の審決請求は、あなたの、個人権限への不当介入、個人および国家の財産侵奪――そういう訴えがもとになっているのです。いいかげんな釈明はあなたの立場をよけい不利にすると思いますが」

野上「勝俣委員の審決請求となっているもろもろの件については、あとで答えよう。しかし、自治大臣、わたしは、あなたとは別の解釈に立っていることを、申し上げておく。
 あなたは、憲法が地方自治を、国家の基本的統治機構の一環としてしか認めていないといったが、それは、ちがう。憲法九四条に地方自治の条例制定権が定められてあるが、これは、わたしは確認規定にすぎないと理解しておる。なぜなら、地域団体というものは国家の成立以前から存立していたものだからである。つまりは、自然発生だ。とうぜん、自治権も自然発生的に地方団体に生じていた。この権利を侵すことはならない。それは個人の基本的人権と同じだからだ。国が個人の基本的人権を侵せないのと同様に、国の立法でもって地方自治体の権限をみだりに収奪することは、許されない。
 <武内宿禰(たけのうちのすくね)東国より還(かえ)りまゐきて奏言(まう)さく、東夷(あづまのひな)の中、日高見(ひたかみ)国有り。其の国人男女(をとこめのこ)並に椎髪(かみをあげ)、身を文(もとろ)げて、人と為り勇悍(いさみたけ)し。是を統(す)べて蝦夷(えみし)と曰(い)ふ。亦(また)土地沃壌(こえ)て曠(ひろ)し。撃ちて取るべし>日本書紀にある記述だ。ここにある蝦夷が、かつての地方自治体の姿だといえる。律令国家に、つねに攻められ、国土をかすめとられてきた。現在は日本国家の一部として編入されている。現行憲法の精神はその時点に立ちかえって、地方自治というものをあらためて確認した。ただ、それだけのことにすぎない。わたしは憲法九二条、九四条を、その意味に解釈しておる。とうぜん、九四条にいう条例制定権も、そのことを確認しておるものと解す。地方自治法一四条一項にある<条例は地方公共団体の事務に関するものでなければならない>とする枷は、わたしは、とらない」

宮根「つまり、国の立法に従わないということですか」

野上「いや。

 国の立法を尊重しないわけではない。地方自治体は現に国と折衝をしながら政治を進めてきておる。ただし、あなたがた国家はつねに地方自治体から収奪することのみにつとめて、われわれを尊重しようとしない。現行憲法で自治権を確認したにもかかわらず、財源を抑えている。たとえば国税だ。国税本位の政策を改めようとしない。そのために、地方自治体には財源がとぼしい。政策を国庫補助金にたよらざるを得ない仕組みになっておる。三割自治といわれるゆえんだ。中央官庁の操作に、従わざるを得ない立場に置かれている。立法に従うとか従わないとかを論ずるより先に、憲法の精神を、あなたがたがつかむことが先決ではないのか。国と地方自治体は相互尊重主義で交わるべきだ」

宮根「あなたの論旨が、わたしには、わからない。いったい、あなたは何がいいたいのですか」

野上「地方自治体に対するみだりがましい干渉はやめなさい――わたしは、そう、あなたがたに忠告しておるのだ」

宮根「みだりがましい干渉!

 あなたは、地方自治体首長として、行政の責任を問われているのですよ。国家管掌米搬出を暴力で阻止し、警察の職務執行を妨害し、個人の財産を侵奪し、その上、東北地方守備隊なるものまで創設して、警察権を与え、あげくは暴行殺人までやらかしているのですぞ。にもかかわらず、あなたの論旨は明快だ。国は地方自治体にかかわるな。放っておけ――あなたは、青森県知事として、国家と対立を希(のぞ)み、あるいは革命でも起こそうというのですか」

野上「まだ、おわかりにならない」

宮根「わかりません。これは自治大臣に対する侮辱ですか」

野上「ちがう。

 君は有能な政治家だ。ただし、君が行なう政治と、わたしの行なう政治は、根本的にちがう。もし、君がわたしの立場なら、何をするかね」

宮根「…………」

野上「青森県は飢えておる!

 青森県全体が焼け野原(ローカスト)になっておる。熱風が走り回り、食糧は暴騰に暴騰をつづけておるのだ。このままでは大量の死者が出るのは、目に見えておる。暴騰を抑え、闇物資を扱う死の商人の跳梁(ちょうりょう)を監視し、暴動を抑えるために。東北地方守備隊がどれほど働いているか、ご存じか。あなたがたは、その青森県から、備蓄米を搬出しようとした。なぜだ、なぜ、そのような非人道的なことをする」

宮根「…………」

野上「それが君たちの、地方自治体に対するもののみかただ。つねに中央にしか目が行かない。地方からは、絞れるだけ、絞ろうとする。昔は、地方自治体の長官は国が派遣した。中央政界の収奪機関としてのみの、政治だった。とくに東北地方蔑視はひどかった。たとえば文化四年の北海道斜里海岸の防備に当たった津軽藩。明治三十五年一月の歩兵第五連隊の無謀きわまる八甲田山行軍、旅順攻撃、満蒙開拓団、太平洋戦争――つねに、わが東北地方の若者が最前線に立たされておる。そして、無数に死んでおるのだ。君たちに、われらが怨念がわかるか。
 新憲法ができた。
 憲法は地方自治体の自治権を認めた。いや、認めたのではない。もともとあったものを、確認したのだ。なるほど、たしかに地方自治体と国家とは尊重し合っていかねばならない。わたしとて、国家の権益を尊重しないわけではない。だが、君たちのやり方は、汚すぎる。未曾有の飛蝗禍を前に東北地方から米を搬出しようとした。その米はだれが作ったのだ。米を作れという。いまでも三年に一回は襲ってくる凶冷害に飢饉――それらと闘いながら、東北地方の農民は品種改良にはげみ、日本一の米倉に仕上げた。いまは、国民の基本的食糧である米は作るなという。もっとも、米を作ったところで、機械化攻勢の前に農民はつねに借金に苦しめられているのが現状だ。かつては子供を間引きしては石の地蔵を建て、娘は製糸工員に、売春婦に流れた。男は出稼ぎだ。その出稼ぎは、いまも連綿と続いておる。漂民だ。それでも、東北地方の住民は必死に耐えてきた。君たちはわが青森県にあるとほうもない数の石の地蔵をみたことがあるか。それらにこめられた貧しい県民の願いがわかるか。
 いままた、大飢饉が訪れている。有史以来のものだ。また、無数の石の地蔵が増えようとしているのだ。にもかかわらず、君たちは、わたしの行政を審決にかけようとしている。おそらく、畦倉君はわたしを職務執行訴訟に持ち込み、罷免を狙っているのであろう。やるがよい。わたしの答えは、それだ。わたしは現行憲法を、いま述べたように解釈する。国家の要(い)らざる介入は、許さない。かりに、憲法学者が、法律家が、そして国家が、わたしの解釈をまちがいだというのなら、それもよい。わたしは、そういう憲法には、従わない」

宮根「憲法に、従わない……」

野上「そうだ。人間には生きる権利がある。わが東北地方住民にも、その権利はある。わたしは知事会を招集して、ひとびとが生きのびるためのギリギリの政治を、行なっている。特別の条例を設けたのもそうなら、東北地方守備隊を設けたのも、それだ。生きのびるための戦いが憲法違反、国法違反というのなら、そんな憲法も国法も、わたしには要らぬ」

宮根「…………」

野上「わたしが、憲法だ」

野上「明野委員。

 動議を取り消したまえ。もっと勉強をすることだ。地方自治体首長が、国家から非常時大権をもらう必要は、毫(ごう)もない。政治は対等だ。わたしの権限は、畦倉君にも宮根君にも、また、この地方行政委員会にも、犯させはせぬ。国会だとて、それは、同じだ」

明野「わかりました。動議は取り消します」

 以上である。架空の想定であるが、国と地方、法律と地方自治に関して侃々諤々の議論が行われている。

 小説の中では、この野上知事の発言について、反対、賛成それぞれの立場から「識者」のコメントが挙げられているが、「反対」の立場からは、

・国法無視。
・独善性。
・政府管掌備蓄米が青森県民140万人にとって生命綱なのはわかるが、暴力で抑えるのではなく、話し合いで、あるいは陳情でそうすべきで、それが政治というもの。
・一度も上京をせずに軍隊まがいの隊を創設し、それに警察権を与えるのは重大な法無視。
・国法を超えた県条例を制定するなどはもっての外。
・「このわたしが憲法だ」と言わせたのは危険な思い上がり。

との意見が出されている。一方、「賛成」の立場からは、

・野上の説いた憲法92条の解釈はまったく正しい。地方自治の精神はそうあらねばならない。
・中央官庁が国庫資金給付で締め付け、地方住民の意志を自由に操作するために制定している国税主義のやり方は危険な中央集権主義。
・地方税主義に改め、県財政を豊かにして、地域住民の繁栄を図ってこその地方自治。憲法もその精神に立って地方自治を侵すべからざる権限として確認している。地方自治を国家官僚に踏みにじらせるべきではない。
・この天下非常時に野上知事を糾弾するために地方行政委員会を開くなどは論外。超法律的な強権を付与してこそしかるべき。

といった意見が出されたことになっている。

 ちなみに、ここで挙げられている憲法の第92条と第94条の条文は以下の通りである。

第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 第92条で議論になるのはこの「地方自治の本旨」についてであるが、それについては通常、住民自らが地域のことを考え、自らの手で治める「住民自治」と、地域のことは地方公共団体が自主性・自立性をもって、国の干渉を受けることなく自らの判断と責任の下に地域の実情に沿った行政を行っていく「団体自治」の2点からなるとされる。

 もう一つの第94条では、地方公共団体の特定の地方における行政機関としての役割を定めると共に、地方における「独自立法」としての条例制定権を認めている。ここでは、「法律の範囲内」という制約について、地方公共団体が独自に、条例で法律では規制されていない行為について規制することや、法律よりも厳しい基準で特定の行為を規制することなどについての適法性が議論となるところである。

 宮根自治大臣の主張は、「地方自治は憲法で保障された権利だが、それはあくまでも国家の基本的統治機構の一環としており、地方自治体首長といえども、その制約を受ける」というものである。ただし、「<地方自治の本旨>は法律でこれを定めることにした」と主張しているのは明らかに拡大解釈である。92条では「地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」とある。言うなれば「地方自治の本旨」の方が上であって、その地方自治の本旨に基づいて地方自治に関する法律を定めなければならないと言っているのである。

 宮根自治大臣の指摘するように、日本国憲法は、地方自治についてあえて一つの章を設けてその権利を保障している。それは特筆すべきことである。しかも真っ先に92条で「地方自治の本旨」に基づいて法律を定めなければいけないとしていることは、憲法が地方自治の権利について並々ならないレベルで重視していることが窺える。そこから野上青森県知事の主張は導き出されている。すなわち、92条は「確認事項」であって、憲法で言う地方公共団体は国家の成立以前から自然発生的に存立しており、そこに自治権も自然発生的に成立していた権利であるから、個人の基本的人権と同様に、地方自治の権限を国が立法で制限することは許されない、という主張である。

 私は法律の専門家でも何でもないが、逆に予断を持たずに条文を読んでみると、一見、この92条と94条との間には齟齬があるように思える。92条には「地方自治の本旨に基づいて、これを法律で定める」とあって、法律より先に地方自治の本旨があることを謳っておきながら、一方、94条では「法律の範囲内で条例を制定することができる」として、その地方自治の権能の一つである条例の制定範囲を「法律の範囲内」に制限している。これをどう解釈すべきかということである。その部分で、先ほども挙げた、94条に関連して、条例が法律では規制されていない行為を規制することや、法律よりも厳しい基準で特定の行為を規制することなどについての是非が問われてしまうことにもなるのである。

 94条を文字通り厳格に解釈すれば、法律で定めている範囲にない物事について規制することは許されないように見える。事実、かつてはそのような解釈もまかり通っていたようである。法律先占論と言うそうだが、国の法律が既に規制している事項については、その法律の委任がない限り条例を制定できないとする考え方である。しかし、時代の流れとともに、地域の実情を鑑みずに国が一律に規制をして例外を許さないことの非効率かつ不合理な面も指摘されるようになり、より柔軟な解釈で条例が運用されるようになってきた。

 その先駆けとなったのは1960年代の公害問題で、東京都などの自治体が条例で、国の法律よりも厳しい排出基準を定めたり、既存の法律が規制していない物質についての排出基準を新たに定めたりしたことである。ちなみに、前者のように法律より厳しい基準を課す条例を「上乗せ条例」、後者のように法律が定めていないことについて規制する条例を「横だし条例」と言うそうである。

 これらの条例を是とする解釈としては、「法律というのは全国的に適用される最低基準を定めたもので、それが憲法の言う『地方自治の本旨』に基づいた法律のあり方である」という主張が挙げられる。判例でも、「条例が法律に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するだけでなく、それぞれの趣旨や目的、内容や効果を比較して、両者の間に矛盾抵触があるかどうかによって判断すべきである」とされている(徳島市公安条例事件、最大判:昭50・9・10)。つまり、94条で言う「法律の範囲内」というのは法律が対象としている事項や規定されている文言による制約ということではなく、制定された趣旨・目的・内容・効果が法律と矛盾していないということであるというのが、司法の憲法判断というわけである。

 とは言え、国と地方の間に上下関係があるように見えるのは、議論の中で野上知事が指摘し、現実にも事ある毎に槍玉に挙がる「三割自治」の問題の故である。一方に憲法で認められた「地方自治の本旨」というものがありながら、実際には財源を押さえられているために、国の意向に沿った形でしか自治体はその権限を行使できないという実態があるわけである。「違憲状態」という文言はよく「一票の格差」問題で取り沙汰されるが、それと同様に、もしくはそれ以上に、国と地方を巡るこのような状況が固定化されている現状こそ「違憲状態」なのではないかという気がしてならない。

 「地方は末端にあらず、国の先端なり」という言葉がある(山内徳信・水島朝穂「沖縄・読谷村の挑戦―米軍基地内に役場をつくった」岩波書店)。その言葉に込められた地方の気概、とりわけ地方のことはそこにいる自分たちが一番よく分かっているという自信と確信とに裏打ちされた、単なる国の「沙汰」を待つのではない、それを超えた地方の独自性、自立性を、憲法の趣旨に則って確立していく時期に来ているのではないかと思う。財政の自立が難しいのであれば、まずは精神の自立から。

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2012年02月07日

東北に関係する書籍その3〜「東北独立」を扱った小説

蒼茫の大地滅ぶ上 「蒼茫の大地、滅ぶ」(上下巻)は、西村寿行(にしむらじゅこう)が1978年に発表した小説である。最初、講談社からハードカバーで刊行され(アマゾン該当ページ )、その後1981年に徳間書店の選集に収録されると共に(アマゾン該当ページ)、講談社文庫から文庫版が刊行された( )。1984年には角川文庫としても刊行された( )。また、コミックにもなった(アマゾン該当ページ )。しかし、現在はいずれも絶版となり、古本としてしか手に入らない。しかも、これがなかなか見当たらない。Amazonなどでもかなり高値がついていたりする。私はネット上で奇しくも(そう、この小説の舞台からすると奇しくも、である)青森県にある古書店に在庫があるのを見つけて安く手に入れることができた。

 オビにはこうある。

「豊穣多彩な想像力が未来を予見した―。東北六県壊滅の飛蝗襲来と悲劇の奥州国独立 西村寿行の代表作 感動のパニック・ロマン巨編」

「飛蝗の群団――。幅十キロ、長さ二十キロ 蒼々茫々の大地に 壊滅を す死の群団の来襲。生地獄の東北に明治以来百年の歴史を覆す独立の烽火。日本政府と奥州国の対決。自然の壮絶さと悲劇の独立を謳うバイオレンス、パニック・ロマン巨編。」

 飛蝗(ひこう)というのはトノサマバッタなどの変異種で、大量発生して大集団を作り、植物や作物を食い尽くす蝗害(こうがい)を引き起こすことがある。その飛蝗が中国大陸で大発生して総重量2億トンという想像を絶する巨大な群れとなり、日本海を渡って東北地方に襲来、東北地方はありとあらゆる農作物を食い尽くされ、深刻な飢餓状態に陥るという設定である。

 一見、あり得なさそうな設定であるが、有史以来人類は蝗害に度々襲われている。しかも、過去の災害というわけではなく、特にアフリカでは近現代でも時折被害がある。中国でも2005年に海南省が飛蝗の被害を受けている。2007年にエチオピアで発生した飛蝗は北ソマリアからインド洋を越え、パキスタンやインドにまで到達したということで、中国で発生した飛蝗が日本に到達することもあり得ないことではないことが分かる。日本でも、明治初期には北海道の道南や東南部で、昭和40年代には沖縄県の大東諸島で、昭和60年代には鹿児島県の馬毛島で、それぞれ蝗害が発生している。最近では2007年に開港寸前の関西空港第二滑走路にトノサマバッタが数百万匹という大量発生をしたことが話題になった(参照サイト)。

 この小説は、オビにもあるように、そうした蝗害を取り扱ったパニック小説と捉えることもできるが、話の展開はむしろ蝗害を受けてからの東北地方と中央政府との軋轢や駆け引きといった動きに焦点が当たっており、また明治維新以降東北地方の置かれた立場などについても詳細に語られているので、その意味では社会派小説としても捉えられそうである。

 飛蝗が最初に降り立った青森県では津軽平野の農作物が瞬く間に食い尽くされる。与党の幹事長を務め次の総理とまで言われながら中央政界を引退して青森県知事となっていた野上正明は、東北六県から若者を6,000人集めて「東北地方守備隊」を結成させ、混乱の収拾に努める。一方、政府は被害の拡大に備えて、全国の備蓄米を東北分も含めてすべて首都圏に集めようとするが、食糧難に喘ぐ東北からの備蓄米の搬出は東北地方守備隊に阻止される。その後、飛蝗は岩手県へ南下、さらに宮城県、秋田県、山形県へも広がり、米や野菜は軒並み食い尽くされ、食糧難が深刻になり、治安も悪化する。蝗害の影響で株価が大暴落、円の価値も下がる。政府が決定した被災地支援は6,000億円の救済費割り当てのみ。失業や食糧難で暮らせなくなった東北地方の住民は150万人もの難民となって首都圏を目指すが、東京都は難民の流入を警察力で阻止し、東京都周辺の各県も難民の滞在と国道以外の通行を禁じて締め出しを図る。苦境に立つ東北地方の住民に向けて、野上知事は他の東北の知事と共に、東北六県の日本国からの独立、そして「奥州国」の建国を宣言する、――というストーリーである。

 「独立」と言うと、どこか遠い国の話であって、今の日本にあっては非現実的な話と捉える向きもあるかもしれない。しかし、この小説にあるような、中央政府が自分たちのことばかりが優先で、地方からは収奪することしか頭にない、という状況があった場合、本当に自分たちのことを自分たちで決めることのできる新しい国を自分たちでつくる、という動きが出てきても不思議ではない。

 事実、東北が独立を目指したことが歴史上あったとされる。本書の中でも紹介されているが、明治維新の時である。この時、奥羽越列藩同盟は輪王寺宮公現法親王を推戴した。輪王寺宮公現法親王は「東武皇帝」と称した。年号も「大政」と改元した。諸外国に使者を送り貿易開始の要請も行った。これはもう一つの日本ができたような様相である。当時のニューヨークタイムズは、「日本の東北地方に新帝が立ち、2人のミカドが並立する状況になった」と伝えていたそうで、国際的に見ても日本という国が2つに分かれたという認識があったようである。しかし、奥羽越列藩同盟側の敗戦と同盟自体の瓦解により、この「もう一つの日本」が日の目を見ることはなかったわけである。

anagma5 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!