道州制  

2019年02月16日

消えた道州制論議(「東北復興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その113

 昨年12月16日に刊行された「東北復興」第79号では、「道州制」について取り上げた。今は昔の話となってしまった感があるが、10年ちょっと前、道州制導入を目指した取り組みが進んでいた時期があった。その現在までの動きについて振り返ってみた。以下がその全文である。


消えた道州制論議

道州制を巡るこれまでの動き
 首相の諮問機関である第28次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を公表したのは2006年2月のことであった。いわゆる「平成の大合併」で市町村合併が進展したことを踏まえ、また都道府県を越える広域行政課題が増加しているとの認識の下、地方分権改革の確かな担い手として道州を据えた。単に都道府県制度の改革に留まらず、「国のかたち」の見直しにかかわる改革と位置づけ、「国と地方双方の政府を再構築し、新しい政府像の確立を目指す」と謳った。基本的な制度設計としては、現在都道府県が実施している事務を大幅に市町村に移譲すると共に、国とりわけ地方支分部局が実施している事務をできる限り道州に移譲し、同時に適切な税源移譲を実施するものとしていた。その上で、「道州制の導入が適当」と結論していた。

 同じ年の9月には第一次安倍内閣で道州制担当大臣が配置され、3年以内に「道州制ビジョン」を策定するという方針が示され、翌2007年1月に政府の「道州制ビジョン懇談会」が設置された。4月には道州制特区推進法が施行されて、北海道に対して8つの事務が漸次移譲されることになった。同年6月には自民党の道州制調査会が「道州制に関する第2次中間報告」を公表し、その中で「導入時期は、今後8〜10年を目途」とすると明記した。翌2008年3月には「道州制ビジョン懇談会」が中間報告を公表し、「2018年までに道州制に完全移行」するとした。

 振り返ってみると、この時期が最も道州制に向けてのアクションが活発だったように思える。同じ2008年3月には経団連も「道州制の導入に向けた第2次提言」の「中間とりまとめ」を公表、7月には自民党の道州制推進本部が「道州制に関する第3次中間報告」を公表、11月には経団連が第2次提言の最終案を公表するなど、各方面の動きが活発だった。一連の動きからは、確かに近い将来道州制が実現するのではないかと感じられたのも事実である。

 潮目が変わったのは2009年の政権交代と2011年に発生した東日本大震災だったように思える。まず政権交代で政権を握った民主党は道州制導入には反対で、「道州制ビジョン懇談会」も解散された。新たに置かれた「地域主権戦略会議」では、「地域のことは地域に住む住民が決める」という趣旨から、都道府県ではなく市町村の権限強化が主たるテーマとなった。2011年に発生した東日本大震災の後には、道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念も出されるようになった。

 第3次安倍内閣以降は、道州制担当大臣は置かれず、代わって地方創生担当の内閣府特命担当大臣が置かれたが、少なくとも道州制に関して目立った動きは見られない。道州制そのものを扱う部門ではないが、民主党から政権を奪還した第2次安倍内閣の肝いりでつくられた地方分権改革推進本部も、設置された2013年には4回開催されたが、2016年、2017年は1回ずつの開催に留まっている。

 今年はまさに「道州制ビジョン懇談会」が中間報告で「道州制に完全移行」すると明記した2018年であるが、道州制に完全移行どころか、道州制に関するアクションがほとんど見られない年となっている。2012年に「道州制基本法案」の骨子案まで公表した自民党の道州制推進本部も、今年10月ひっそりと廃止された。

道州制に対する批判

 進まない理由は結局のところ、道州制に対する慎重なあるいは批判的な見方が根強いこと、そしてまた先の第28次地方制度調査会の答申に盛り込まれたように、道州制移行には不可欠と見られた事務や税源の移譲が進まないことの2点に集約されるように思われる。福井県知事の西川一誠氏は、2008年に「幻想としての道州制」を中央公論に寄稿している。タイトルで分かる通り、氏は道州制反対論者であるが、そこで指摘されていることは、今後道州制を考える上で重要なポイントがいくつも含まれているように見える。

 氏は、道州制論について、「全体としては理想主義の色彩を帯びていながらも、観念的な期待感に満ちあふれているだけの議論に終始している」として、その例として「経済の活性化については、道州制により区域が自立し、道州間の競争も生まれて、経済活動が盛んになるといった、前提条件を無視した『抽象論』。また、官僚制の弊害の除去については、中央官庁の権限を道州に大幅に委譲できるという極めて単純な『期待論』。行政改革については、ただちに規模の経済が動くという算術的な『効率論』。地方分権について言うと、導入を機に道州の条例制定権や課税自主権が抜本的に見直されるべきという『べき論』に留まっている」と批判している。確かに、道州制を導入するだけで同時に国からの権限移譲も進むという見方はあまりに楽観的に過ぎる。見かけは道州制、しかしその実単なる都道府県合併に過ぎないという形になる可能性も大いにある。そのような道州制では確かに意味はない。

 氏はまた、北海道と九州を比較する。北海道は道州の規模を持つが、北海道全体に占める札幌市の人口比は2005年で約33%、これに対して九州に占める福岡市の人口比は約10%であることを挙げ、「地域が県に分かれ、七つの県都がある九州では福岡市への集中は緩やかである。一方、広大な地域に県都が一つの北海道においては札幌市への集中が著しい」と指摘し、「道州制は結局、道州の中にミニ東京と周辺過疎を作り出すことになろう。それはブロック内の新たな集権化である」と主張している。これもまさにその通りである。東北が一つの州になるとしても州都を仙台にしてはいけない、というのが私の持論だが、それはまさにこうしたことを懸念してのことである。ただでさえ人口が多い仙台が州都になると、まさに札幌のように、一極集中を招くことになるに違いない。

 氏はまたこうも指摘する。「州都の道州首長が、何百キロメートルも離れた各地方の教育や福祉を、日頃の行政や選挙などを通じ、わがこととして理解するには大きな困難が伴う。このような組織を持った道州は、住民にとっても身近な自治体というよりほとんど国と同様な政体となる」。つまり、住民にとって道州は都道府県よりも遠い存在になると指摘しているわけである。こうした懸念があるからこそ、道州制は単なる都道府県合併であってはならないわけである。すなわち、これまで都道府県が担っていた業務を道州が担うのではなく、国が担っていた業務を道州が担い、都道府県が担っていた業務を市町村が担うというようにしていかなければならない。そうした体制が実現できれば、国より近い道州、都道府県より近い市町村ができる。まさにこの部分が道州制の肝であるように思う。

まずは連携の実績を積み重ねる
 権限移譲のない道州制にはさほど意味はないとすれば、その権限を手放そうとしない中央官庁を前にして、道州制を前に進めていくのはかなりの困難を伴うことは火を見るよりも明らかである。権限の委譲に関しては、「二重行政」の批判がつきまとう国の出先機関を廃止し、その業務を都道府県に移管するというのがその端緒となる。しかし、この国の出先機関の廃止についても2007年から延々議論されてきているものの、いまだにほとんど何の成果も上がっていない。今後もすんなり進むようには到底見えない。

 そしてまた問題だと感じるのは、道州制を含む地方分権に関する地方からの発信が、このところ少なすぎるのではないかということである。地方が声を上げないものを中央があえて取り上げることはないに違いない。かつてのように地方からもっと声を上げていかなければならない。それは、自治体にだけ任せていればよいのではなく、地方に住む我々一人ひとりが事あるごとに、あらゆる機会を捉えて声を上げていくことこそが求められる。

 とは言え、声を上げたからといって簡単に実現するものでないことは、これまでの経緯からも明らかである。ひと頃、道州制導入の旗振り役の一角であった経団連は、今年「広域連携」の推進を目指す方向に舵を切った。道州制導入が一足飛びに進まないことを見越してのことである。一見後退に見えるかもしれないが、このアプローチはありだと思う。まず連携できるところから連携して、実績を積み上げることでその先の議論を喚起するということも可能である。東北も、六県で一緒に取り組む機会を増やしていくこと、その中で自治体職員だけでなく、住民同士の交流も活発にしていくことをまずは目指していくのがよいのではないだろうか。そうした中できっと、「やはり同じ東北だ」と実感する機会は多くあるはずである。

 観光や災害時対応など、六県が一緒になることで大きなメリットが得られるテーマは数多くある。そうしたテーマを取っ掛かりにして、六県の連携をまずは進めていばよい。道州制を導入すると巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力が低下するのではないかといった懸念があることを紹介したが、逆に仮にあの時六県の連携体制が確立していたならば、物資の輸送や人員の派遣などでより迅速な対応ができた可能性もある。よく言われることだが、普段できていないことは災害発生時にはできない。平時から、緊急事態発生時にも機能する連携体制を構築しておくべきである。

 道州制に関する動きが活発だった頃の、かなり以前の調査だが、財団法人経済広報センターによる「道州制に関する意識調査報告書」(2008年7月)でも、「道州制の議論を進めること」について「賛成」と答えた人の割合は、東北では43%と、九州・沖縄地方と並んで全国で最も高く、北海道が42%でそれに次いでいた。日本世論調査会の2006年12月の全国世論調査でも、道州制に「賛成」あるいは「どちらかといえば賛成」と答えた人の割合は北海道、東北、四国で多かった。東北を始め、北海道、四国、九州に共通しているのは、地域的に一体感があるということである。

 ここで特筆したいのは、北海道、四国、九州が海で他の地域と仕切られた地域であるのに対し、東北は本州の一部で他地域と陸続きであるにも関わらず一体感があるということである。東北の一体感というのは地理的につくられた一体感というよりは、文化的にあるいは心情的に醸成された一体感であると言えるのではないだろうか。これは東北にとっての何よりの宝であろうと思う。その宝を大事に活用していきたい。

anagma5 at 17:33|PermalinkComments(0)clip!

2013年07月31日

私的東北論その47〜道州制導入の現状と課題(「東北復興」紙への寄稿原稿)

tohoku-fukko_12 早いもので7月も今日で最後である。気がつけば、と言うか、実は気がついていたのだが、今月はこれまでアップしたものに細々追記をしたくらいで(「東北各地の今年のビールイベント」など)、新しいものはまだ何もアップしていないではないか(汗)。

 この間、「東北復興」紙の第12号が5月16日に、第13号が6月16日に刊行された。本業を抱えつつ、私のような入稿の遅い執筆者を抱えつつ(汗)、東北復興のための情報を発信するために、電子新聞を毎月毎月1日の遅れもなく発行し続けている砂越豊氏の姿勢には本当に頭が下がる。




tohoku-fukko_13 この第12号、第13号では2回に亘って、私は道州制の現状と課題について取り上げた。紹介の遅れを取り戻すためにここで一挙掲載させていただく。しかも、ほとんどどうでもよいことだが(笑)、誌面の都合でカットした部分も復活させた「完全版」である。2回分+追加分ということで、ブログにあるまじきとんでもない字数(9,937字)となってしまっているので、時間に余裕のある時に読んでいただければ幸いである。
 






道州制導入の現状と課題

道州制を巡るこれまでの動き
 民主党政権時代に停滞していた道州制導入に関する議論が、第二次安倍政権に代わって再び動き出しつつある。今回はこの動きについて見ていきたい。

 そもそも、道州制導入に関する議論が最も進展したのは、第一次安倍内閣の時である。元々小泉政権下の二〇〇六年に、第二八次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を出したのを受ける形で、次の第一次安倍内閣では道州制担当大臣が置かれた。

 また、第一次安倍内閣では道州制ビジョン懇談会が設立されたが、二〇〇八年に出されたその中間報告では「道州制は、日本を活性化させる極めて有効な手段であり、その実現に向けて国民全体に働きかけて、邁進すべきものである」として、道州制導入に極めて前向きな姿勢を示している。そして、「『中央集権国家』から『分権型国家』、いわゆる『地域主権型道州制国家』への転換は、画一的企画大量生産から知価社会、グローバル化という時代の転換に対応する歴史的必然である」とまで述べている。

 それに次いで二〇〇八年七月に出された自民党の「道州制に関する第三次中間報告」でも、「二一世紀に羽ばたこうとする日本は、官僚統治による中央集権政治から脱却し、国民の総意と努力による、安全で、安心で、公平な国づくり、地域づくりを推進しなければならない。そしてわが国の存続と発展のためには、抜本的に国のあり方を見直し、中央政府及び地方政府のそれぞれの責任を明確化するとともに、地域の経済力の強化を図ることが必要である」と高らかに謳っている。道州制導入の目的としては、|羆集権体制を一新し、基礎自治体中心の地方分権体制へ移行、国家戦略、危機管理に強い中央政府と、広域化する行政課題にも的確に対応し国際競争力を持つ地域経営主体として自立した道州政府を創出、9顱γ亙の政府の徹底的な効率化、づ豕一極集中を是正し、地方に多様で活力ある経済圏を創出、の四点を挙げている。

 この他、日本経団連も二〇〇七年に「道州制の導入に向けた第一次提言」を、翌二〇〇八年に「道州制の導入に向けた第二次提言」を相次いで公表し、道州制導入を速やかに進めるよう強く要望している。

 こう見てくると、道州制について取り沙汰されるようになったのはつい最近のことのように見えるが、実はそうではなく、例えば行政制度審議会が一九二七年に「州庁設置案」を提言するなど、議論そのものは戦前から続いてきており、その後も地方制度調査会や行政改革審議会などで道州制に関する答申が出されている。すなわち、国と地方の関係や、地方自治の「受け皿」についての問題は、長らく議論の対象になってきている一方、いまだ具体的なアクションがなされていないということが分かるのである。

dousyuusei再び動き出した道州制導入
 自民党の道州制推進本部は既に昨年六月に「道州制のイメージ」を公表、九月には「道州制基本法案」の骨子案を取りまとめていた。昨年一二月の総選挙では自民党が圧勝し、第二次安倍内閣が発足したが、この選挙において道州制導入は公約の一つともなっていた。総選挙での勝利、そして政権奪還を経て、自民党は道州制導入への動きを本格化させてきている。

 自民党が先に取りまとめた「道州制基本法案」は、連立与党である公明党の「道州制導入を前提とした法案ではない」との主張に配慮して「道州制推進基本法案」という名称となり、地方の意見を踏まえて議論を進める旨が盛り込まれた。両党は、この法案を今国会に提出し、早ければ今国会中にも可決・成立させる考えのようである。道州制導入には日本維新の会やみんなの党、民主党も賛成すると見られ、採決されれば成立はほぼ確実な情勢である。

基本法案に盛り込まれた道州制の姿
 では、この「基本法案」とはどのようなものだろうか。最初に押さえておきたいのは、今回の法案は、一飛びに道州制の導入を決定するというものではなく、導入の具体的な検討に入るための基本的方向や手続き、必要な法制の整備について定めるという趣旨のものであるということである。

 法案ではまず道州制の定義について、都道府県の区域より広い区域において設置され、国から移譲された広域事務と都道府県から承継した事務を処理する広域的な地方公共団体である「道州」と、市町村の区域を基礎として設置され、従来の市町村の事務と都道府県から承継した事務を処理する基礎的な地方公共団体である「基礎自治体」で構成される地方自治制度である、としている。

 その上で、導入の基本理念として、
 
 々颪量魍箋擇啜’修硫革の方向性を明らかにする。
 中央集権体制を見直し、国と地方の役割分担を踏まえ、道州及び基礎自治体を中心とする地方分権体制を構築する。
 9颪了務を国家の存立の根幹に関わるもの、国家的危機管理その他国民の生命、身体及び財産の保護に国の関与が必要なもの、国民経済の基盤整備に関するもの並びに真に全国的な視点に立って行わなければならないものに極力限定し、国家機能の集約、強化を図る。
 きに規定する事務以外の国の事務については、国から道州へ広く権限を移譲し、道州は、従来の国家機能の一部を担い、国際競争力を持つ地域経営の主体として構築する。
 ゴ霑端治体は、住民に身近な地方公共団体として、従来の都道府県及び市町村の権限をおおむね併せ持ち、住民に直接関わる事務について自ら考え、自ら実践できる地域完結性を有する主体として構築する。
 国及び地方の組織を簡素化し、国、地方を通じた徹底した行政改革を行う。
 東京一極集中を是正し、多様で活力ある地方経済圏を創出し得るようにする。

の七点を挙げた。一覧すると分かるように、これらは前述の「道州制に関する第三次中間報告」の内容を多く汲んでいる。

 その基本理念を踏まえ、制度化の基本的な方向としては、
 
 ‥堝刺楔を廃止し、全国の区域を分けて道州制を設置する。都の在り方については、道州制国民会議において、その首都としての機能の観点から総合的に検討するものとする。
 道州は、広域的な地方公共団体とし、前述に規定する事務を除き、国から道州へ大幅に事務を移譲させて、広域事務を処理するとともに、一部都道府県から承継した事務を処理する。
 4霑端治体は、市町村の区域を基礎として編成し、従来の市町村の事務を処理するとともに、住民に身近な事務は都道府県から基礎自治体に大幅に承継させて、当該事務を処理する。基礎自治体においては、従来の市町村の区域において、地域コミュニティが維持、発展できるよう、制度的配慮を行う。
 て蚕5擇售霑端治体の長及び議会の議員は、住民が直接選挙する。
 テ蚕の事務に関する国の立法は必要最小限のものに限定するとともに、道州の自主性及び自立性が十分に発揮されるよう道州の立法権限の拡大、強化を図る。
 国の行政機関は整理合理化するとともに、道州及び基礎自治体の事務に関する国の関与は極力縮小する。
 道州及び基礎自治体の事務を適切に処理するため、道州及び基礎自治体に必要な税源を付与するとともに、税源の偏在を是正するため必要な税制調整制度を設ける。

の七点を挙げている。

道州制導入へのプロセス
 道州制導入への具体的な手続きについてはまず、内閣に「道州制推進本部」を置くことを定めている。同本部は、‘蚕制に関する企画及び立案並びに総合調整に関する事務、道州制に関する施策の実施の推進に関する事務、その他法令の規定により本部に属する事務、を司るとしている。

 さらに、内閣府には「道州制国民会議」を置く。同会議は、‘盂嫣輙大臣の諮問に応じて道州制に関する重要事項を調査審議する、↓,僚斗彁項に関し、内閣総理大臣に意見を述べる、その他法令の規定によりその権限に属する事務を司る、とされている。

 と同時に内閣総理大臣は、
 
 ‘蚕制の区割り、事務所の所在地その他道州の設置に関すること
 国、道州及び基礎自治体の事務分担に関すること
 9颪竜々修虜栃塋造咾帽颪瞭蚕5擇售霑端治体への関与の在り方に関すること
 す顱道州及び基礎自治体の立法権限及びその相互関係に関すること
 テ蚕5擇售霑端治体の税制その他の財政制度並びに財政調整制度に関すること
 ζ蚕5擇售霑端治体の公務員制度並びに道州制の導入に伴う公務員の身分の変更等に関すること
 道州及び基礎自治体の議会の在り方並びに長と議会の関係に関すること
 ┫霑端治体の名称、規模及び編成の在り方並びに基礎自治体における地域コミュニティに関すること
 道州及び基礎自治体の組織に関すること
 首都及び大都市の在り方に関すること
 道州制の導入に関する国の法制の整備に関すること
 都道府県の事務の道州及び基礎自治体への承継手続きその他の道州制の導入に伴い検討が必要な事項に関すること

については必ず同会議に諮問しなければならないと定められており、法案成立後はこの道州制国民会議の動向が道州制導入の具体化を図る上で大きな鍵になることが分かる。

 また、同会議は諮問を受けた場合には三年以内の答申を、また政府は答申があった時は二年を目途に必要な法制の整備を実施しなければならないことが定められている。いわば同会議の決定事項がそのまま法制として整備されることになるわけで、ここからも同会議の存在の大きさが見て取れる。

根強い慎重論・反対論
 こうした動きを見ていると、あたかも道州制導入がすぐ現実のものとなりつつあるようにも見えるが、一方で道州制導入には根強い慎重論や反対論もある。

 道州制導入に前向きな知事と政令指定都市市長でつくる「道州制知事・指定都市市長連合」は二月に「地方分権の究極の姿である道州制の早期実現に向けた積極的な取組を求める」との声明を発表しているが、四月一八日に開催された全国知事会では、道州制導入に慎重な立場を取る知事から反対意見が相次いだ。

 全国知事会では今年一月、「道州制に関する基本的考え方」を取りまとめている。その中では、道州制の基本原則、道州制検討の進め方、地方分権改革の推進の三点について詳細に前提条件を提示している。これは実効性ある道州制導入について提言を行っていると見える一方、「このような条件を満たさない道州制の導入は認められない」として道州制導入のハードルを上げているようにも見える。

 結局四月一八日の会合では、全国知事会は、道州制基本法案には「いくつかの懸念がある」として、

 |羆府省等国の行政組織のあり方について、法案骨子案においては、国の行政機関の整理合理化との方向性が示されてはいるが、道州制が中央集権体制を改め、地方分権型国家を構築する、正に国のあり方を根底から見直す改革とするならば、法案骨子案において、国の出先機関の原則廃止、国の中央府省の解体・再編が不可欠であると考える。
 基礎自治体のあり方について、法案骨子案においては、都道府県を廃止してその大部分の事務を基礎自治体に移譲し、残りの一部を道州に引き継ぐとしている。しかし、産業・雇用政策や指定区間外国道、指定区間一級河川の管理、また、警察、環境保全といった広域的事務は道州が自己完結的に担うものと考えられる。仮に、そうした事務を基礎自治体が引き継ぐとするならば、市町村の広域的再編が問題となるのではないかと考える。
 
と指摘、これらの二点について更なる検討を求めた。

 道州制推進知事・指定都市市長連合の共同代表を橋下徹大阪市長とともに務める村井嘉浩宮城県知事は周知の通り道州制導入に極めて前向きだが、道州制導入の暁には同じ「東北州」を構成すると思われる他の東北五県の知事は揃って道州制導入に慎重である。ばかりか、この連合には仙台市長も参加していない。村井知事はもっと他の知事や仙台市長との関係を強化して足元を固めるべきではないかというのが率直な印象である。

 一方、自由法曹団も四月一五日に「住民の声とくらしを切り捨てる道州制を批判する」との声明を出している。その中では道州制の問題点として,びやかされる社会権保障、空洞化する地方自治、8務員の大量解雇による雇用不安の拡大、の三点を挙げている。

 こうした道州制に対する不信や疑心暗鬼も分からないではない。何と言っても北海道の例がある。北海道は二〇〇六年に成立した道州制特区推進法の対象となった。既に道州の規模を持つ北海道に、先行して道州制の「モデル事業」を担わせようとしたのである。ところがである。北海道が提言した三〇にも及ぶ権限移譲項目の中で、認められたのはたったの二項目である。これでは国の道州制導入への姿勢に疑念を抱かれても仕方がないのではないか。すなわち、道州制は導入されても、国は権限を大幅に地方に移譲する考えはないのではないか、ということである。

 ここまで、道州制を取り巻く現状と課題について見てきた。次回はこれらを踏まえて、導入されるべき道州制像についてさらに考えてみたい。(註:ここまで第12号掲載分)


 道州制に対する根強い反対
 前回、道州制を巡るこれまでの動きを振り返ってみた。こうして見てみると、現在の都道府県をどうするかということについての議論は実に長い期間に亘って、何度も取り上げられてきていることが分かる。にも関わらず、いまだ具体的なアクションは起こっていないわけである。その背景には、道州制に関する反対意見が根強いことがある。

 その代表的な意見は「道州になって現在の都道府県がなくなると地方自治が住民から遠くなるのではないか」というものである。確かに一見、そのようにも見える。例えば、東北六県が一つの州となった場合、どこが州の中心になっても、それ以外の地域から見れば、現在の県庁所在地よりも明らかに遠くなることになる。

 ただ、ここで現在の四七都道府県になった頃のことを考えてみたい。一八七一年(明治四年)の廃藩置県から幾度かの変遷を経て四七都道府県となったのは一八九〇年(明治二三年)のことである。ちなみに、その前年の一八八九年に新橋神戸間の鉄道が開通している。この時の新橋神戸間の所要時間は驚くなかれ下りで二〇時間五分、上りで二〇時一〇分である。四七都道府県が定められたのはそのような時代だったのである。翻って今、東京大阪間の所要時間はN700系「のぞみ」で二時間二五分である。時間距離がおよそ一〇分の一近くにもなっている中、道州になって多くの住民からの距離が遠くなるから自治も遠くなるというのは根拠が薄いように思われる。

 そもそも、州の中心から遠くなるから、地方自治も遠くなるという論も、そう単純に結び付けられる話ではないようにも思われる。実際、現在の都道府県による自治は本当にそこに住む住民にとって近いものであるかどうか。それは中心地からの距離の問題ではなく、そこで行われている自治の内容によるのではないだろうか。

道州は「大きい」のか「小さい」のか
 今の都道府県から見ると、それらが集まってできる道州は確かに大きいように見える。しかし視点を転じてみるとどうか。もしそれが従来、国が担っていた権限を大きく移譲されてできたものだとしたら、ということである。その場合、道州はこれまでの国よりもはるかに小さく、身近なものになっていると言えるのではないだろうか。これまで東京都心で全て決められてきたことのうちの相当数の権限が道州に移っていれば、政治はまさに住民から見てより近いものになるのではないだろうか。そのような道州制であるならば、私は道州制に賛成である。その意味でも、道州制の導入は国からの権限移譲とセットでないとうまくいかないに違いない。権限移譲なき道州制は、単なる都道府県合併にしか過ぎないだろう。

 今後導入されようとする道州制が、権限移譲とセットになった実質を伴ったものか、それとも都道府県合併の表面を装う名前だけのものかを判断する端的な手掛かりは、中央省庁の地方支分部局の扱いである。地方に権限を移譲させようとすれば、現在中央省庁の所掌事務を分掌する地方出先機関であるこれらの地方支分部局も、当然道州に統合されなければならないはずである。もし、これら地方支分部局がそのまま温存され、その一方で都道府県が道州となるような事態となれば、それは道州には何の権限も移譲されていない何よりの証左となる。

 逆に言えば、地方支分部局が道州に統合されることになれば、道州にとってこれほど心強いことはない。これまで都道府県は、各々のエリアの大きさで物事を考えていればよかったが、これからはその数倍の大きさのエリアで物事を考えていかなくてはならない。中央省庁の地方支分部局は、まさにこの道州のエリアの大きさでこれまでその職務を遂行してきている。そのノウハウは道州を前に進めるために何よりの力となるはずである。

やはり問題となる「州都」
 ただ、道州制でもたらされる変化はそれだけではない。先般一部週刊誌でも報じられたが、道州制を導入することによって実は地価にも大きな変化が生じることが予測されている。いわば、自分たちの住んでいる土地の価値に直結する問題があるのだというのである。具体的には、県が集まって州になることで行政機能が「州都」に集中し、それによって「州都」やその周辺の地価は上昇する一方、州都以外の都市では大幅な地価下落に見舞われるのではないかと不安視する声が出ているのである。

 現在でも県庁所在地と同じ県内の他地域の都市との格差は厳然としてある。道州制を導入した暁には、それと同様のことが、「州都」とそれ以外の現在の県庁所在地の間で起こるのではないか、という懸念があるのである。

 「東北州」実現の暁に「州都」と目されるのは、東北最大の人口を擁し、経済圏の規模も圧倒的に大きい仙台市だが、だからこそ決して仙台市を「州都」にしてはいけないのである。首都ワシントンと最大都市ニューヨークを持つアメリカや、首都北京と最大都市上海を持つ中国を例に引くまでもなく、なぜ世界で少なくとも三〇以上の国と地域が首都と最大都市とを分けているのかを考えれば、その理由は自明である。すなわち、政治の中枢と経済の中枢とを兼ねることによる首都への一極集中の弊害を避けるためである。

 東北州の「州都」を仙台市とすれば、確かに仙台市には東北のヒト・モノ・カネが集まり、市内及びその周辺の地価も上がり、そこに住む人はそのメリットを最大限享受できるかもしれない。しかし、そのメリットが東北の他地域にもたらされたデメリットの上に成り立っているのだとすれば、そんな道州制には何の意味もない。

 私は、「州都」は仙台市でもなく、またそれ以外の東北各県の県庁所在地でもないところに新たに設けるべきと考える。それで以前、この欄で岩手県平泉町を挙げた。平泉町は歴史的に見ても奥州藤原氏の拠点として東北の中心だったことがあり、地理的にも東北のちょうど中間点にある。最近奥州藤原氏時代の文化遺産が世界遺産に登録されたこともあり知名度もある。また現在の平泉町が面積約六三・五平方キロメートル、人口約八〇〇〇人の小さな町であることもプラスに働く。ここが「州都」になれば、なんでも州都に集中させるということは物理的にも不可能である。経済圏としては一関都市圏に属するが、その人口は合わせて十一万人程度で、仙台都市圏の一四分の一の規模である。地価の上昇も極めて限られた範囲内で収まるに違いない。

 小さな「州都」に加えて、東日本大震災のような大災害が発生した時のバックアップを考えて、「副都」も定めておく必要もあるだろう。こちらに関しては「州都」が太平洋側だとすれば、地理的に離れた日本海側のどこかが相応しいと考える。内陸の平泉を「州都」とすれば、「副都」は沿岸の港町山形県酒田市辺りも考えられる(秋田市も考えられるが現在の県庁所在地であるためここでは除外)。平泉からの距離や日本海側の南北の中間点ということを考慮するならば、秋田県湯沢市辺りも視野に入れる必要があるだろう。

「州都」だけではない難しい問題
 道州制を導入する際に難しいのは、「州都」をどこにするかということだけではない。財源の問題が大きく立ちはだかる。中央省庁の言い分はこうである。「大幅な権限移譲を求めるのであれば、財源も道州が独自に調達すべき」。そうなれば道州は独自に課税をするなどして財源を確保しなければならない。もちろん、権限が大きく移譲されるのであれば、現在の国税と地方税の比率の見直しも不可欠であるから、全て新たな課税で賄う必要はないにせよ、それで足りなかった場合に道州独自に増税することが果たしてそれが可能かどうか。

 また、膨大な国の債務をどうするかという問題も、道州制の行方を大きく左右する。中央省庁はこう主張するに違いない。「国の債務のうちこれまで地方に回すために背負った分は地方で肩代わりしてほしい」。

 これは、ちょうど国鉄の分割民営化の時の債務の処理を連想させる。あの時は三七兆円に上る旧国鉄債務を、国が二二・七兆円、分割民営化されたJR各社が一四・五兆円引き受けるということになった。道州制で国の肩代わりをするのなら、権限だけではなく財源や借金もという議論は、今のところ出てきていないが、今後具体的な議論が行われる中できっと出てくる。

 中央省庁は、地方に権限を渡さないために、この問題を持ち出してくる可能性が高い。その時にどう対応するかで、まさに道州制の成否が決まると言っても過言ではない。肝心なのは、ここで各都道府県が、借金まで背負わされるくらいなら権限など持たなくてもよいという近視眼的な思考に陥らないようにすることである。四七都道府県になって一二〇年余りが経過した。今ここで考えるべきは、これからの一二〇年を託すことのできる国の形、地方自治のあり方とはどのようなものなのかということである。それは決して、見た目ばかりの道州制ではないはずである。

まずは六県がまとまることから
 宮城県は村井知事の道州制に対する積極姿勢を反映して、地方分権・道州制推進本部を設置して、地方分権や道州制に関する情報の共有化を図り、それらを推進するために必要な課題解決や取組方策の検討を行っている。もちろん、それは道州制を進めるために必要なことの一つである。しかし、そのようにして道州制に関して得た情報や検討した結果などを東北の他の五つの県に提供したり、それについての意見交換をしたりという取り組みを、推進本部は十分にしているだろうか。道州制は一つの県だけでできるものではない。ましてや、東北の他の五つの県は、仙台への一極集中を懸念して、道州制そのものに極めて後ろ向きである。そこから一足飛びに道州制導入に持っていくことは困難である。まずは情報のやり取りをする中で信頼関係を構築していくことが必要である。特に、北東北三県は、元々三県での道州制を視野に、協調して検討を重ねてきた実績がある。そこで得られた検討結果について、今後の道州制の進展を念頭に、率直に耳を傾けることも必要であろう。

 他の先行事例に学ぶことも必要である。北海道はかつてイギリスのスコットランドに職員を派遣して、かの地の地方分権の実態について詳細な分析を行っている。スコットランドについては、この紙面でも奥羽越現像氏が何度か取り上げてくれているが、そうした事例についての学びを今後の取り組みに活かしていく努力も欠かせない。(註:ここまで第13号掲載分)

 また、住民に対する情報提供もまだまだ不十分であると言わざるを得ない。いまだ、道州制が何なのか、導入して何が変わるのかについて、住民の理解が十分とはとても言えないのが現状である。例えば、住民を対象にした道州制に関するイベントの開催やパンフレットの作成などを行うなど、住民にも道州制導入についての取り組みや議論に参加してもらう工夫を、これから積極的に進めていく必要があるのではないだろうか。

 そうした取り組みを進めつつ、やはりトップである村井知事に求められるのは、他の5つの県の知事、そして仙台市長との信頼関係の構築である。かつて北東北三県の知事が道州制に関して緊密な連携を取っていた状況を参考に、同じ東北にいる者同士として関係を深めていく努力をしていくべきであろう。その際に最も効果があると思うのは、前にも言ったが、「『州都』は仙台以外に置く」宣言をすることである。道州制導入の目的は、仙台市を「州都」にすることにあるのではないはずである。仙台市の「州都」を諦める、その決断こそが、道州制を前に進めるものと私は考える。


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2010年06月19日

私的東北論その15〜「五郎がびっくり焼」を食べながら考える「『奥州幕府』よ、もう一度」

027b4df1.jpg 「五郎がびっくり焼」の「五郎」って誰?
 岩手県北上市に「五郎がびっくり焼」という和菓子がある。栄泉堂という地元の老舗の和菓子店がつくる、北上を代表する和菓子の一つである。胡麻を練り込んである小豆餡と上に載っている香ばしいクルミの組み合わせが絶妙でとてもおいしい。

 この「五郎がびっくり焼」という名前であるが、北上以外の人には「この、五郎って誰だ?」と思われるに違いない。もちろん野口五郎が北上出身というわけでもない。この「五郎」は、北上の開祖と伝えられる安倍正任(あべのまさとう)、通称黒沢尻五郎正任(くろさわじりごろうまさとう)のことである。

 正任は、前九年の役で源氏と戦った安倍氏の一族で、棟梁貞任の弟、先代の棟梁頼時の五男である。現在の北上市域にある黒沢尻を本拠としていたために、黒沢尻五郎と呼ばれていたようである。

 この「五郎がびっくり焼」は、北上の開祖、黒沢尻五郎正任に捧げるとの趣旨で作られた菓子であったらしい。そして、クルミ、小豆、そば、ごまなど、砂糖以外は正任が生きていた当時にもあった材料でできているにも関わらず、あまりにおいしいので捧げられた正任がびっくりするに違いないということで、この名がつけられたそうである。菓子の出来栄えに対する自信と、五郎正任に対する愛着とが感じられるエピソードである。

 東北の人にとって、古の東北にあって中央からの侵攻に対して抵抗した歴史上の人物にはシンパシーがあるように思える。「五郎がびっくり焼」にはそれがストレートに感じられる。アテルイを始め、この安倍一族、奥州藤原氏などがまさにそうだし、秀吉の奥州仕置に最後まで抵抗した九戸政実もそうかもしれない。幕末の会津藩もそうである。

 これら中央から見れば「逆賊」というレッテルを貼られた人に対して東北の人は総じて温かい気がする。そう言えば「判官びいき」もそうである。平安後期に安倍、清原、藤原と「政権交代」が続いた東北の地で、清原氏だけがあまり人気がないように見えるのは、清原氏が安倍氏と同じ東北の俘囚長でありながら、前九年の役で源氏に味方して安倍氏を滅ぼす側に立ったということに関係があるのではないかという気がする。

 考えてみれば、古の東北というのはこのように中央支配に抵抗する自主独立の気概を持った人の地であった。アテルイしかり、この安倍一族もしかり、奥州藤原氏もしかりである。奥州藤原氏は、鎌倉幕府に先駆けた武家政権であったと言え、そこから「奥州幕府」という言葉を用いる研究者もいる。もちろん、東北地方という、広大ではあるものの一つの地域に限定された政権ではあったが、それが鎌倉幕府に与えた影響も大きかったようである。

 平泉の遺構などを見ると、「都など何するものぞ」という気風が古にはあったように見えるのだが(もちろん「蝦夷」として遠ざけられた結果已むに已まれずという面もあったのだろうが)、近現代はそうでもないようである。東北と言うとちょっと前までは「保守王国」、とにかく自民党が強かったのは歴史の皮肉と言うべきだろうか。


「謙譲の美徳」を地で行く?東北人気質
 もう一つ考えてみると、東北は自ら他の地域に侵攻したことはなかった。アテルイの戦いも、前九年の役も、文治五年奥州合戦も、戊辰戦争も、いずれも攻められたがゆえに戦わざるを得なかった。東北人は自ら外に攻めて出たことがない。戦いは常に侵略から身を守るためのものだった。

 アテルイは朝廷軍を相手によく戦ったし、安倍貞任は源氏を相手に一時は壊滅的な打撃を与えた。奥州藤原氏も全国から動員された圧倒的な兵力の大軍を相手に阿津賀志山で3日間も防戦した。戦えば攻める側にとっては難敵ではあったが、東北人自身は決して戦いを好んだわけではなかった(と思ったが、そう言えば「建武の新政」の折、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏を討つために、陸奥守として下向していた北畠顕家が奥州の兵を引き連れて上京し、尊氏軍を打ち破ったことはあった)。

 してみると、平和・平穏を愛する心優しい気質、それが東北人を表す言葉と言えるかもしれない。また、前にも少し書いたが、決して自分を誇らない、慎み深い。「謙譲の美徳」という言葉がこれほどピッタリ来る地域はそうないのではないか。そのようにも思う。しかし、一方、その気質は裏を返せば、現状に満足する、大きな変化を好まない、多くを望まない、ということにつながるかもしれない。
 だからきっと、奥州藤原氏の「奥州幕府」は全国には広がらなかった。東北の「保守王国」も裏を返せば、まさに古から続くこの東北人気質の表れと言えるかもしれない。

 ただ、文治五年奥州合戦を経て、外が浜(青森)までが「日本」に組み入れられる前までは、東北はまさに自主独立、中央に頼らず、自分たちのことは自分たちでやってきたはずである。その800年後の今の世はまさに乱世。地方は疲弊し、中央はその痛みも知らず、それでもこれまでの「中央集権」的枠組みは強固に維持されたままである。

 地方分権または地方主権、道州制導入といった掛け声はいつまでも掛け声のままで少しも現実のものにならず、かと言って東北から積極的な声が挙がるわけでもなく、結局はやっぱり現状維持のままである。ちょっと前までは北東北三県は将来の合併(まさに今年2010年という予定だった)を視野に連携・協力関係を深めていたが、今や隔世の感がある。


「奥州幕府」をもう一度つくる!
 そう思っていたところに、4月26日、東北6県の県議や市町村議員らが超党派で集まって地域主権型道州制の実現を目指す「東北州政治家連盟」が結成されたという。8月ごろには東北版シャドーキャビネット(影の内閣)として、「明日の東北州政府」を設置し、3カ月に1度、「閣議」を開いて政策の方向性を公表し、道州制が導入された場合を想定した具体的な政策を打ち出していくそうである。代表に選出された宮城の菊地文博県議は「東北から平成維新の狼煙をあげる」と宣言したそうであるが、実際こうした政治家連盟が正式に発足したのは東北が初めてとのことで、他地域に先駆けた取り組みのようである。

 4月27日付の朝日新聞には、地域主権型道州制国民協議会の江口克彦氏のインタビュー記事も載っていた。氏は、「道州制を導入すると、州都以外が寂れる心配はありませんか」との記者の質問に、「今は東京及び近辺だけだが、道州制になれば繁栄の拠点が10倍以上増える。加えて道州内で拠点を多様化すればいい。『東北州』だと仙台がニューヨークとして州都は平泉でもいいと思う。青森を環境州都、秋田を産業州都などにしてもいいかもしれない」と答えている。

 概ね氏の意見に賛成だが、敢えて重箱の隅を楊枝でほじくるようなことを言わせていただければ、州都は「平泉でもいい」ではなくて、以前書いたように「平泉がいい」のである。

 ただ、さすがに長らく地域主権型道州制国民協議会で道州制についての議論を主導してきた江口氏だけあって、重要な指摘をいくつもしておられる。記者の「地方の政治家は必ずしも権限移譲を歓迎していないとの指摘もあります」との指摘についてはこう答えている。

「地方は、キャッチャーばかりやっていてピッチャーをやったことがないから。でも、霞が関よりいい球を投げる人も、地方公務員にはいっぱいいる。日本人の生活レベルが豊かになったころから価値観が多様化し、画一的に政治・行政が行われることに国民が閉塞(へい・そく)感を感じるようになった。霞が関のピッチャーはもう限界。中継ぎというか、リリーフのピッチャーに交代しなければならない」

 その通りである。今の仕組みで立ち行かないのであれば、中央とはまったく違う独自の仕組みを古のように作ってしまえばよいのである。言ってみれば、朝廷の支配が続いていた11世紀末に奥州藤原氏がつくったように、900年後の今、もう一度「奥州幕府」を作るのである。


まず東北全体を見渡せる人材を集めるところから

 そこで提案がある。氏は「霞が関よりいい球を投げる人も、地方公務員にはいっぱいいる」と指摘しているが、それに異論はない。それに加えて、霞が関からも意欲ある人材を引き抜いてくるべきである。氏の言う「いい球を投げるピッチャー」を東北だけでなく中央からもどんどんスカウトしてくるのである。霞が関にも東北出身者は数多くいる。故郷をよりよく変えたいという意欲を持っている人も多いはずである。

 東北出身者に限る必要はない。東北に愛着を持つ人なら他地域の人でもどんどん招聘すればよい。奥州藤原氏も土着の蝦夷ではなく元々は中央の藤原氏に連なる一族であった。

 私がこう考えるには理由がある。以前書いた「古の『黄金の国』東北、復活なるか?」の時に、東北経済産業局のレポートを紹介したが、あれはよくできていた。私があの記事を書くよりはるか前に同様の指摘をしかも緻密な調査と分析を基に行っている。さすが、霞が関の人材は優秀であると思った。

 ここでは紹介しないでしまったが、東北地方整備局がまとめた東北圏広域地方計画もよくできていると思う。「東北圏を取り巻く状況と地域特性」として、東北圏が歩んできた歴史から説き起こし、東北圏の特徴と魅力、東北圏を取り巻く潮流、東北圏発展の課題へと論を進め、その上で「これから10年で東北圏が目指す姿」を提示している。それによれば、

「…東北圏は、美しい太平洋と日本海に面し、南北に貫く脊梁山脈や起伏に富んだ山地と大きな河川や深い森林の中で、豊かな自然と水資源に恵まれ、安全な食料とエネルギー等の資源を供給できる機能を有している。
 また、優れた人材や技術、食文化やものづくり、様々な産業振興に向けた取組を始め、大切に守り続ける伝統的で特徴的な祭り、雪文化や伝統工芸等、独特の歴史・文化が力強く残っており、人情味ある人々が織りなす潤いと豊かさがあふれる多様性ある地域である。
 こうした東北圏の持つ優れたポテンシャルを活かしながら、東北圏を支える人々が持てる力を十分に発揮し、国内外の人々との交流・連携を進め、新たな時代の潮流に対応・貢献できる多様で自立した東北圏を形成することで、美しい自然と様々な国の人や多くの世代が光り輝く、森と海、人の息吹と躍動感に満ちた空間を創り上げていく。これにより、東北圏の人々が、コミュニティの人と人との温かいネットワークを基礎に、自信と誇りを持って安心して住み続けられ、訪れる人々が安らぎと温もりを実感できる「東北にっぽん」というブランドの創造に結びつけていく。
 以上を本計画における東北圏の新しい将来像とし、「美しい森と海、人の息吹と潜在的な力、可能性としての力。躍動感に満ちた『東北にっぽん』の創造」をその理念とする。」

とある。そしてそのための具体策として「戦略的目標と実現のための主要な施策」や「広域連携プロジェクト」を打ち出している。恐らく今、都道府県レベルでこのように東北全域に目を配り、その特徴を的確に押さえながらその先の姿を提示するということができる機関・団体はないのではないだろうか。

 内閣府の地方分権改革推進委員会が出した勧告のうち、第2次勧告では、「国の出先機関の抜本改革」としてこれら経済産業局や地方整備局を含め多くの機関の廃止が打ち出されている。二重行政の無駄を省くためということである。確かにそうした側面もあるだろう。しかし、もし東北6県が一つになったとして、すぐ東北全体のことを考えられる人材が地方にどれだけの数いるのだろうか。そこが心配である。

 地方公務員にいかに優秀なピッチャーがいると言っても、そのピッチャーはこれまで大きな球場で投げたことはなく、面積が6分の1くらいしかない小さな野球場でしか投げたことがないのである。大きな球場でキャッチャーに届く球を投げられるようになるためには時間が必要である。

 そこでである。元々そのような方向性が検討されているようだが、廃止される東北の出先機関を道州政府が人材ごと引き受けてしまえばよいのである。地方の出先機関の人材は、その地域全体を見渡す視野を既に持っている。その力は、6県が合併してできた「東北州政府」にとって大きな力となるに違いない。

 ただ、これにはとにかくスピードが必要である。人材には限りがある。早い者勝ちである。「奥州幕府」成否の鍵は、他地域に先駆けて優秀な人材をいかに集めるか、それにかかっていると言っても過言ではないのではないだろうか。今までは攻められてから初めて戦ってきた。だが、今度ばかりは他に攻められる前に、自らが外に攻めて出なければいけないと思うのである。


追記(2010.9.28):その後「東北州政治家連盟」に関する話題がちっとも聞こえてこないと思ったら、案の定こういうことだったようである。

「『地方発の平成維新』休眠中 東北州連盟、参院選で亀裂」(2010年8月23日付河北新報、閲覧には登録が必要)

 いや、休眠中って、寝てる場合じゃないって(笑)。

 10月から再始動とのことなので、もう一度期待してみましょうかね。

 だいたい、Googleで「東北州政治家連盟」を検索してこのブログが3番目に表示されるような有様(2010.9.28現在)では何をか言わんやである。

 まずはホームページでも作るところから始めなされ。


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2008年08月19日

私的東北論その12〜道州制への道遠し?まずは東北六県の知事が結束を

7da7e5a3.JPG 先月17、18日、全国知事会議が横浜市で開催された。削減された地方交付税の復元や地方消費税の充実などを政府に求めることが決まったそうだが、正直注目されていたとは言い難い。話題を呼んだのはむしろ終了後、秋田県知事で全国知事会副会長でもある寺田典城氏の知事会批判の発言である。7月23日付の朝日新聞によると寺田氏は、「もはや闘う知事会ではなくなった」と知事会のあり方を批判したというのである。寺田氏はまた「交付税復元はお願いしても無理なことは分かっている。国と地方を鳥瞰図的に見て、日本の体制や地方のあり方についてもっと話をしないといけない」とも言ったという。

 「闘う知事会」というのは2003年に全国知事会長に就任した、当時の岐阜県知事の梶原拓氏が掲げたスローガンで、その言葉通り決して一枚岩とは言えない知事会をリードし、いわゆる「三位一体」改革の中で国の補助金の削減案をまとめるなどの成果を挙げたことがあった。この当時の知事会には「いよいよ本当に地方の時代が到来したか」と思わせるような勢いがあった。その当時から比べると、確かに今の知事会はおとなしい印象がある。

 しかし、この寺田氏の発言の反響は大きかった。全国知事会会長の福岡県知事、麻生渡氏は、翌23日「闘う内容が変わってきている。評論家みたいなことを言ってはだめだ」と反論、交付税復元についても「あきらめてどうするのか。何の問題の解決にもならない」と寺田氏の発言を批判した(7月24日付朝日新聞)。また、神奈川県の松沢成文知事は「自ら闘って指摘するなら分かるが、全く闘っていない」と批判、三重県の野呂昭彦知事も「ご自身が闘いたいならもっと先頭に立てばいいのでは」と批判するなど、知事会内から批判の声が相次いだ(7月25日付秋田魁新報)。

 これに対して寺田氏は、同日「(国への)要求だけでは世の中は何も進まないという、もっともな話をしたつもり。申し訳ないが、私の考えの方が正しい」と反論、「(提言の)文言や書き方を変えてみたって、世の中が変わるのか。それより国の地方出先機関を10年間でなくそうなどといった、建設的な案を出すべきだ」と指摘した(7月25日付秋田魁新報)。

 さらに、寺田氏は29日、「このままだと何のための知事会か分からない。地方分権論に突っ込まず、国に要求するだけの知事会では誰も当てにしない」と重ねて主張した(7月31日付秋田魁新報)。
 マスコミの反応を見ていると、どうもこの全国知事会の「場外乱闘」の方が注目を集めている感があるが、寺田氏の一連の発言の背景には、全国知事会のあり方への問題意識、地方分権が遅々として進まないことへの焦りや苛立ちがあるように思える。

 そしてまた、こうした問題意識は寺田氏一人のものではない。政府の地方分権改革推進委員会委員長として地方分権の具体策を検討している丹羽宇一郎氏は、こうした知事会の動きが歯がゆく見えたらしく、件の全国知事会議で全国の知事を前に「地方分権は、霞ヶ関の官僚から恩恵的にもたらされるものではない。地方が中央と戦って確立すべきものだ」と一喝したという(7月29日付朝日新聞社説)。

 道州制実現に向けて最短距離にいると言われる東北も、実は一枚岩とは言えない。知事によって距離感は異なる。これまで北東北三県は足並みを揃えていたが、現在の岩手県知事の達増拓也氏は慎重派だ(参照サイト)。南東北では宮城県知事の村井嘉浩氏は推進派だが、福島県知事の佐藤雄平氏は慎重派である(参照サイト)。

 そこでまず寺田氏に期待したいのは、全国知事会の意思統一ではなく、足元の東北六県の知事の意思統一である。寺田氏の闘う意気込みは買うが、寺田氏だけが闘ってもそれこそ何も変わらない。考えを同じくする者同士が結束してこそ大きな力となる。特に、北東北三県はこれまでにも道州制を見越して三県合同で様々な取り組みを行ってきている。その成果を積極的にアピールしていくことも必要だろう。

 そしてさらに、東北以外の知事で考えが合う知事とも積極的に意見交換、情報交換を進めることである。例えば、宮崎県の東国原英夫知事は、今月9日寺田氏の発言について「よく言ってくれた」と評価する発言をし、「地方主権になるよう、一生懸命頑張りたい」と話している(8月10日付河北新報)。大阪府の橋下徹知事も7月24日、全国知事会について「メッセージ性がないという気がする」と批判している(7月25日付産経新聞)。

 寺田氏を批判した神奈川県の松沢知事も実は「政策技術論のところで議論が終始し、政治的に大きなメッセージ、大胆な方向性を打ち出すのが難しくなっていると感じた」、「知事会が存在感を示すには、ある時には大胆に政治決断し、戦う姿勢を示さなければいけない」と、寺田氏とそっくりのことを言っている(7月19日付読売新聞)。してみると、松沢氏の先の発言は、寺田氏に「もっと前面に立って闘ってほしい」という期待の現われだったのかもしれない。

 こうした考えを持つ他地域の知事との連携が今後重要である。個人的には、埼玉県知事の上田清司氏も寺田氏が組める相手だと思う。このような「新・改革派知事」とも言えるような知事とのタイアップも、かつての改革派知事の一翼を担った寺田氏にはぜひ実現してほしいところである。

 ちなみに、寺田氏の名誉のために言っておけば、寺田氏が「闘っていない」かというと客観的に見て、決してそのようなことはないと思う。例えば、昨年寺田氏が提案した「新時代国土発展制度」と称する一国二制度案は、全国一律の基準や税率の見直しを求めており、地方分権を推進する内容のものだ。寺田氏の働き掛けで、北海道と東北六県と新潟県の知事でつくる北海道東北知事会も昨年末この趣旨に賛同した。ところが、その後の事務レベル協議では異論が相次ぎ、結局今年の全国知事会には提案自体できなかった。総論賛成各論反対といういつもの構図である。

 三県合併まで想定した北東北三県の広域連携のこれまでの取り組みを見ても、寺田氏が闘っていないわけではない。ただ、闘っただけの成果が得られていないだけだ。だからこそ寺田氏にはまず足元の東北六県を固めてほしいと思う。今後の寺田氏の「闘う知事」ぶりに期待したい(写真は夏の田沢湖である)。


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2008年06月17日

私的東北論その10〜東北は食料を自給できる?

bed15965.jpg 5月10日付の朝日新聞の土曜版の連載「意外に強い地域の実力」に、秋田県の食料自給率が北海道に次いで全国第2位であることが紹介されていた。

 実際、3月28日に農林水産省が発表した都道府県別の食料自給率のデータを見ると(参照サイト)、平成18年度のカロリーベースの食料自給率は北海道が195%で第1位だが、秋田が174%で第2位、次いで山形が132%で第3位という結果であった。他にも青森が118%で第4位岩手が105%で第5位であったが、自給率100%を超えているのはこれら5つの道県だけであって、宮城は79%、福島は83%にとどまったものの、全体として北海道・東北地方の食料自給率の高さが浮き彫りとなったわけである。

 昨今、輸入食品の残留農薬の問題や、中国から輸入される食品の安全性の問題がクローズアップされており、農林水産省でも必死に食料自給率の向上を呼び掛けてはいるが、人手不足の問題や後継者問題など、農業を取り巻く環境は依然厳しい。

 そうした中、北海道と東北は全体として、自ら必要な量の食料を自前で調達できる潜在能力を持った地域であるわけである。カロリーベースでは100%に満たない宮城や福島も、生産額ベース(平成17年)ではそれぞれ100%、113%と、「自給ベース」に乗ってくる。

 豊かな自然条件に恵まれた環境と、そこで農業を守り続けてきた農家の方々の努力の賜物であるが、このことが意味するものは大きいと思う。すなわち、「東北州」は少なくとも食料の面においては、どこにも頼らず自立できそうということである。「腹が減っては戦はできぬ」と言う。「衣食足りて礼節を知る」と言う。食料自給というのは、やはり大事なことのように思われるのである。

 それにしても改めて驚いたのは、全国的に見た食料自給率の低さである。東北でも低い部類の宮城や福島を上回ったのでさえ、全都道府県の中でわずかに新潟(99%)と鹿児島(85%)の2県だけなのである。ちなみに、他の国はと言うと、オーストラリアやカナダ、アメリカといった広大な国土を持った国は除外してみても、フランス122%、スペイン89%、ドイツとスウェーデンが84%、イギリス70%、イタリア62%などとなっており、日本が全体で40%であるのとは対照的である。

 ちなみに、東北全体で見ると、平成18年度の数字だが107%と、やはり100%を上回っている(参照サイト)。ただ、個別の項目を見ると東北の食料供給の得手不得手が見えてくる。まず、米が355%(全国94%)と圧倒的なのを始め、魚介類144%(同59%)果実141%(同35%)野菜類107%(76%)と、ここまでは軒並み100%を上回っているのに対し、大豆は72%(同25%)、牛乳・乳製品33%(同28%)、鶏肉45%(同14%)、牛肉20%(同11%)、鶏卵19%(同10%)、豚肉12%(同5%)と、全国平均を上回ってはいるものの、100%には程遠い。小麦に至っては全国平均より低い3%(同13%)である。こうして見てみると、東北全体で食料自給率がカロリーベースで100%を上回っているとは言っても、そのかなりの部分は米に負っており、それを除くと自給できる食料もあるが、自給には程遠いものもある、というのが現状である。

 完全に東北地方内で生産されるものだけで賄った食卓を想像してみると…、カロリーベースで100%を超えているので、毎食お腹いっぱいになるくらい食べられる。ご飯は山盛り3杯魚、野菜、果物類も食卓を賑やかに飾っている。豆腐や納豆など大豆製品も週に5日は食べられそうである。しかし、牛乳など乳製品は毎日取っていた人は3日に1回に、肉料理を毎日食べていた人は週2、3回くらいになるかもしれない。卵料理も5日に1回である。パンなど小麦を使った食べ物は1ヶ月に1回食べられかどうかくらいのご馳走になっているかもしれない。

 それでも、いざとなれば自分たちだけで食べていける、ということの安心感は大きいように思う。先に紹介した「意外に強い地域の実力」では、秋田県について「『あきたこまち』に代表される米はもちろん、山菜や畜産物、日本海の海の幸も豊富の一語に尽きる。北海道に比べれば気候は暖かいし、比内地鶏、しょっつる、いぶりがっこに稲庭うどん。北前船経由で浸透した関西の味文化の影響を感じさせる伝統食材も魅力だ」と評されている。これは食材の違いこそあれ東北全体に言えることのように思う。その素晴らしさを、東北に住む我々は改めて認識しておく必要があるように思う(写真は広大な田園風景が広がる秋田県大潟村の秋の景色である)。

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2008年05月22日

私的東北論その9〜地域の「売り物」を売れるトップの必要性

31473a7f.jpg 日経ビジネスオンラインの連載企画「トップに聞く!大変革の胸の内」の5月8日付に、青森県の三村申吾知事が取り上げられていた(該当サイト)。まったくの不勉強で、この記事を読むまで知らなかったのだが、三村氏は知事就任後「総合販売戦略課」を設立し、「攻めの農林水産業」をキャッチフレーズに青森県産の農産物や魚介類を始め、「人以外のものは何でも」(「総合販売」の名の通り)国内外に売り込んでいるのだそうである。

 特筆すべきは、三村知事の「トップセールス」である。この「総合販売戦略課」という新しい組織をつくってそこにすべてを任せて事足れりとするのではなく、その陣頭に立って様々な売り込みの斬り込み隊長となっているのである。例えば、年2回韓国に行って観光公社や旅行会社に行って、どうすれば青森に来てもらえるかなどいろいろ議論し、その結果をツアー内容に反映させるというようなことを実践した結果、ソウル便の利用者が増加し、青森空港が活性化したという。

 他にも、青森が誇るリンゴの販売額は1年で56億円から72億円へ、これまた青森特産の長芋の販売総量も500トンから908トンへと伸びた。長芋は中国や台湾で精力剤として重宝され、リンゴは中国のみならず遠くドバイでも高値で取引されているそうである。

 三村氏が言うには「ちゃんといい物を持っていって、きちんとしたフェアをやれば、お客はつく」とのことである。確かに、青森には「いい物」がたくさんあると思う。青森のこの成功例は、いい物をトップ自らが「いい」と言って一生懸命売り込んでいることである。

 以前、道州制にはカリスマ性のあるトップが必要と書いたことがあったが、カリスマ性だけではなく、こうした、自分の地方のいいところを隅々まで知り尽くし、それを積極的に各方面に売り込むことのできる、「トップセールスマン」が必要なのだと、三村知事の取り組みを見て強く感じた。

 もう一つ印象的だったのは、「青森の正直」という言葉である。青森の生産者が正直に、生真面目に、一生懸命物を作っている様をこの言葉に込めたそうである。青森に限らず、農林水産業に限らず、この姿勢はいまだ日本の至る所に生きているように思う。

 私自身の経験でも、以前新潟の中越地方で、下請けで質の高い自動車部品を作っていた中小規模の工場が、そのノウハウを生かしてまったく畑違いの福祉分野に進出し、これまでにない素晴らしい車椅子を製作した事例などを取材させていただいたことがある。こうした「ものづくり」に一意専心に取り組んでいる人たちが今も日本の土台を支えているのだと思う。

 道州制の実現には、そうしたかけがえのない人たちが作った「いい物」を、「いい物」として内外に売り込める才覚を持った人材が不可欠なのだと思う(写真は岩木山麓で撮った、青森が誇るリンゴである)。

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2008年02月04日

私的東北論その8〜やはり必要な道州制の明確な「国家像」

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 1月24日付の秋田魁新報によれば、秋田県の道州制ビジョン懇話会は23日、「道州制のイメージ」中間報告素案の内容について大筋で合意したとのことである(該当記事)。

 素案では、「東北州」が実現すれば人口、GDPともベルギーと同程度になるとし、分権だけではなく、経済的側面からも道州制の意義を強調したとのことで、「産業、学術各分野で人や企業のパワーを結集することで一国並みの潜在力を持ち、国内外との競争により経済力を底上げする」としているそうである。

 この経済的側面でのメリットが重要であることは以前、このブログで紹介した大前研一氏の論考に詳しいが、今回この面に初めて触れたことには意義があると思える。なぜなら、これまでは、道州制が主に地方分権の文脈でのみ語られることが多かったからである。

 その意味で、秋田県の道州制ビジョン懇話会の今後出す「道州制のイメージ」には期待したいところだが、地方分権や経済的側面に加えて、もう一点期待したいのは、まさに道州制ビジョン懇話会の名前にある「ビジョン」である。

 1月5日付の河北新報によれば、仙台市民意識調査の結果として、道州制について「あまり関心はない」「関心はない」との回答が合わせて75.3%に上ったそうである。道州制の認知度についても、「知らなかった」が55.9%で最も多かったとのことである。この結果を見る限り、まだまだ道州制についての関心は高くないようである(該当記事)。

 記事には、調査した東日本リサーチセンターの「道州制は具体的にイメージしにくく、関心の低下を招いたのではないか」というコメントが載せられているが、道州制が「具体的にイメージしにく」いのは、道州制が実現した暁にどのような「東北州」が誕生するのかについてのビジョンが欠けているからに他ならないのではないだろうか。

 つまり、道州制成った後の「国家像」を誰かが明確なビジョンと共に声高らかに提示しないことには、「東北州民」の道州制への理解は得られないのではないように思うのである。今回のこの秋田県の道州制ビジョン懇談会の「道州制のイメージ」もその流れに与するものだとは思うが、この、東北州を統合するにふさわしいリーダーシップを持ったリーダーの「顔」が見えないのも、道州制に関する懸念材料の一つである。かつてのアテルイ、安倍貞任、奥州藤原氏に当たるような「カリスマリーダー」が今の東北にいれば、状況も大いに変わると思うのだが、言ってみれば、将来、この一国の大統領にも相当するような地位に就くべき東北のリーダーが、「道州制でこのような東北を創る」と宣言しなければ、道州制への理解と支持はなかなか得られないのではないようにも思う。

 なお、今回の秋田県の中間報告素案では、道州制で懸念される点に関して、「州都への一極集中が生じる」「区域拡大で住民サービスが低下する」などを挙げ、対応策として「一極集中は、州都と経済中心地を分離することで緩和できる」「市町村が住民サービスのほとんどを担うので、住民との距離は近くなる」などと明記したそうである。

 「州都」については、以前このブログでも提案したが、安易に仙台市とすることは絶対に避けるべきである。仙台市への一極集中を警戒する向きは東北の他の県、特に都道府県合併に向けて「最短距離」にあると言われる北東北の各県に根強いと思われる。「地方分権」の流れは、この「東北州」の中でも徹底すべきである。すべてが仙台市に集中し、あたかも東京に一極集中していた今までの日本のミニチュア版ができただけの道州制であっては決してならないと強く思う(写真は私の好きな木の一つである秋田県の旧山内村にある筏の大杉である)。


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2006年12月26日

私的東北論その7〜道州で何を目指すのかのビジョンを

020beca0.jpg 道州制特区推進法が12月13日に成立した。安倍首相の公約の一つでもある道州制推進に向けて、まず北海道を対象とした先行的取り組みとして、国の権限のいくつかを来年度から移譲するというものである。今回移譲されるのは8項目で、移譲に伴う財源は項目ごとに交付金として支給されるという。

 ところで、同法で権限が移譲される8項目というのは、1.開発道路の整備、2.二級河川の整備、3.直轄砂防事業の整備、4.民有林の直轄治山事業の整備、5.鳥獣保護法の麻酔薬を使った危険猟法の許可、6.調理師養成施設の指定・監督、7.公費負担医療を行う指定医療機関の指定、8.商工会議所の許認可の一部、だそうである。ざっと見て、これらが移譲されてどれくらい北海道の権限拡大につながるのかイメージが湧かない。というより、「『麻酔薬を使った危険猟法の許可』というようなことまで、これまでは国が権限を持っていたのだなあ」と逆に思ってしまう。

 ところで、そもそも何のために道州制を導入するのか。その点が今ひとつ明確でない気がする。「平成の大合併」と言われた大規模な市町村合併が一段落したので、次は都道府県が合併して道州にという雰囲気が何となくある気がするのだが、ことはそのような短絡的なものではないようである。

 大前研一氏日経BP社のコラム「『産業突然死』の時代の人生論」で「道州制に移行しなくてはいけない真の理由」について書いていたが、それによると道州制の真の目的は「繁栄を世界から持ってくることだ」という。「納税者の税金で景気を刺激するのではなく、世界に有り余る資金を吸引して繁栄する」単位が道州なのだと大前氏は言っている。

 その分かりやすい例として、大前氏は中国とロシアを比較している。ロシアはいまだに連邦中央政府の強いコントロール下にある地域が多いが、中国は権力を地方に譲渡し、地方は世界中から企業や投資資金を呼び込んでいる。だから、ロシアは停滞しているが中国には勢いがあるのだ、という。大前氏によれば「中国の現在の姿を見れば、道州制が世界からお金を呼び込むための単位であり、外資などに対する特別優遇措置などを定める単位であり、自立経済の単位である」とのことである。

 以前紹介したとおり野田一夫氏は「東北独立論」を主張して東北の地に住む人々の自覚を促したが、このような視点から見ると、まさに一国を運営していくくらいの覚悟がないと道州制はうまくいかないのではないだろうか。実際、東北六県の人口は約963万人で、これはスウェーデンやベルギー、ポルトガル、ギリシャとほぼ同規模である。面積の66,889平方キロメートルは、オランダやスイス、デンマーク(グリーンランドを除く)の約1.5倍である。六県の県民総生産の合計32兆4200億円は、スイスやベルギー、スウェーデン、オーストリアなどのGDPを超えている。つまり、ヨーロッパの名立たる国々と、一つの国として充分渡り合っていけるだけの要素を、東北は既に持っているのである。

 ただ、それだけの規模を持つ「国」のビジョンが定まらなければ、「国」として前には進めない。先に紹介した大前氏は、例として北海道は極東ロシア開発の前線基地として発展し、九州は東アジアの繁栄の真っただ中で黄海経済圏のハブの一つとなるとの予測を示している。こうした中で、では東北はどのような方向に行くのか、何を以って独自に繁栄を築いていくのか、明確に打ち出していかなければならないだろう。

 こうした道州としての「自立」と共に、「自律」も必要だろう。道州の知事は一国の大統領並みの権力を持つことになる(権限が今後大幅に委譲されれば、だが)。昨今相次ぐ知事の不祥事は誠に残念なことである。ヨーロッパ諸国に伍す「国」を運営していかなければいけないというのに、知事がこのような体たらくでは何をかいわんやである。目先の選挙、目の前の金にしか目が行かない人物が、一国を論じられるわけがない。こうした不祥事が重なったことが、「地方になど任せておけない」などと「中央政府」の道州制反対論議につながりはしないかと心配である(写真Google Earthで見た東北地方)。

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2004年09月03日

私的東北論その2〜東北の「首都」は平泉に

a7c38816.jpg 青森、岩手、秋田の北東北三県で、将来の合併を念頭に置いた様々な取り組みが始まっている。三県は、産業廃棄物税の共同導入や三県合同の事務所の設置、三県知事によるサミット、三県の若手職員による北東北広域政策研究会の活動などの実績を積み重ねてきた。

 同研究会は昨年8月に出した最終報告書の中で「2010年に対等合併して『北東北特別県』となり、さらにその後5年から10年をかけて東北六県による『東北州』実現」を提言しており、恐らく将来の道州制の実現に一番近い位置にいるのがこれら三県だと思われる。

 野田一夫氏という高名な経営学者がいる。若かりし頃はP.F.ドラッガーの著書を日本で初めて翻訳して紹介し、最近では多摩大学宮城大学など、既存の枠にとらわれない大学を作ったことで話題を呼んだ。

 野田氏は宮城大学学長の職を辞した後も、社会開発研究センターの理事長として、仙台にとどまり、週の半分は仙台にいる。というのも野田氏の生まれは岩手の盛岡であり、かつては岩手の野田村の有力者だった家柄だそうで、東北には殊のほか思い入れが強いからなのだそうである。その野田さんがここ数年主張しているのが、「東北独立」である。中央権力に依存せず、東北が独立して自主的な開発をすべきだとしている(参考サイト)。

 独立国というのは一つの比喩で、独立するくらいの気概を持って東北は一体となって進めというメッセージだと私は思っており、それには大賛成である。ただ、野田氏は東北が独立した際には仙台はその「首都」となれと言っている。確かに、人口、都市機能など見ても仙台はそれにふさわしい要件を備えているように思える。

 しかし、私はあえて「首都」には、仙台でない地を選ぶべきと思っている。具体的には、私は東北が独立した暁の「首都」、あるいは東北が一つの州になった際の「州都」として、岩手県の平泉町を推したい。以下そう考える理由を述べたい。

 まず、地域全体のバランスである。仙台は東北全体を考えた際に南に偏り過ぎている。北三県から見て遠い「首都」は、「国土」の均等な発展を考えた際に果たしてふさわしいかどうか。今ですら仙台への一極集中が言われている。その状態がそのまま引き継がれるようでは、一つになった後の状況が心配である。仙台がそのまま「首都」になると、東京にすべてが集中している今の日本をそのまま「縮小コピー」したような変わり映えのしない「国」ができてしまう公算が高い。

 ましてや、先に触れたように、現在統一への動きは北三県で盛んである。北東北三県が合併した後に、南三県がそれに合流するという形で東北が一つになる可能性もある。そうした時に、合併した後の「首都」が南の仙台というのでは、北三県としては「今までの自分たちの苦労をよそに後から来た仙台がおいしいところを取っていってしまう」というような思いを抱くのではないだろうか。

 それに対して、平泉は岩手にある古都である。藤原清衡がここを本拠と定めたのにはもちろん理由がある。東北の南端の白河の関(現在の福島県白河市)から北端の外ヶ浜(現在の青森市)までのちょうど中間に位置していたのである。現在の地理的条件を見ても、平泉から北80kmに盛岡市があり、南83kmに仙台市がある。そして、その盛岡市の北129km先に青森市、西90km先に秋田市があり、仙台市の西46km先に山形市、南66km先に福島市がある(いずれも直線距離)。

 こうして見ると、実に絶妙の位置に平泉はある。平泉を「首都」と定め、仙台、盛岡が南北から平泉を支えつつ、それぞれ福島・山形、青森・秋田と平泉とをつなぐ役割を果たせば、北東北三県も「疑心暗鬼」に陥ることなく、一つとなった東北について一緒に考えていけるはずである。

 もう一つ、平泉を「首都」とするメリットは、平泉の「小ささ」である。三方を山に囲まれた平泉の土地には限りがある。さらに、平泉は現在世界文化遺産登録を目指しており(参考サイト)、重要な史跡なども数多く、安易に開発できない。それがよいのである。地域を元気にするためには、それぞれの地域の裁量を増やすことが必要である。今地方分権の論議が活発なのもそれが理由だが、東北州(あるいは東北国)においても「大きな政府」はいらない。平泉の町に収まる規模の「小さな政府」があればよいのである。

 平泉は早晩世界文化遺産に登録されるだろうが、その世界文化遺産を抱えた「首都」の誕生に期待したい。(写真は平泉にある毛越寺の浄土庭園のもみじ)

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2004年08月27日

私的東北論その1〜東北は六つで一つ

7ec442d9.jpg 夏の高校野球が終わった。今年は南北海道の駒大苫小牧が北海道勢として初めて優勝した。ベンチ入りした18人全員が道内の中学校の出身とのことで、お見事と言う他ない。優勝旗が白河の関(福島県白河市;東北と関東の境界)を越え、そこにとどまらず津軽海峡も越えていったことで、東北の人たちの悲願だった「真紅の優勝旗の白河越え」は実現されたのやらそうでないのやら、よく分からない状況になっている。

 東北の人は、自分の県以外の他の東北の県の高校も応援する。例えば、私は仙台に住んでいるから私の周りはもちろん東北高校を応援したが、それ以外にも青森の青森山田、岩手の盛岡大附属、秋田の秋田商業、山形の酒田南、福島の聖光学院の勝ち負けも話題に上り、その結果に一喜一憂するのである。

 仙台育ちの私はそうしたことはごく自然なことだと思っていたが、私の職場の上司によれば他の地方では決してそうではないと言う。私の上司は静岡の中部の出身である。静岡は伊豆を含む東部、静岡市を中心とする中部、浜松市を中心とする西部の3つの地域に分かれるが、上司のところでは、静岡代表が中部以外の東部や西部の高校だとそれほど熱心に応援しなかったし、ましてや他県の高校など応援しなかったそうである。

 たまたま私の上司の周りには心の狭い人しかいなかったのか、それとも一般的にそういう傾向があるのか詳しく調べたわけではないが、確かに東北という地方は他の地方よりも「一体感」のようなものがあるような気はする。

 例えば、静岡県のある中部地方は、面積という点では東北に匹敵する広さを持つが、その中にさらに東海、甲信越、北陸という異なる風土、文化を持つ3つの地域が含まれ、地域としてそれほど一体感があるようには見えない。東北では「東北六県」という言葉が日々ニュースや新聞に登場するが、中部九県(愛知・岐阜・静岡・山梨・長野・福井・石川・富山・新潟)という言い方はあまり聞いたことがない。近畿地方は二府五県からなるが(京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重)、その中で三重は愛知や静岡と共に東海に入れられることもあり、線引きは必ずしも明確ではない。

 それに対して、東北はもちろん県によって言葉や文化に差異はあるが、それでも全体としては「東北の一部」であるという意識が強いように思われる。これには歴史的な経緯も関係しているのだろう。その昔、東北は陸奥(太平洋側)と出羽(日本海側)の二国しかなく、どちらの国にも朝廷にまつろわぬ人々(=蝦夷)が住んでいた。いずれ書こうと思うが、12世紀には奥州藤原氏が陸奥、出羽二国を実効支配し、事実上独立国のようになっていたし、近世でも明治維新の折に奥羽越列藩同盟が結ばれ、新政府軍と対峙した。

 最近、地方分権の論議と共に道州制の導入が話題となっている(第28次地方制度調査会)。道州制実現の暁には、他の地域ではどの県とどの県が一つになるか議論になるかもしれないが、恐らく東北では東北六県が一つとなった「東北州」が誕生するに違いない。それは、奥州藤原氏以来、800年を超える年月を隔てて再び東北が一つになることでもある。

 しかし、懸念もある。東北が一つとなってしまったら、夏の高校野球の出場枠は一つに減らされるか、よくても北東北と南東北の二つになってしまうだろう。そうしたら、確率的に東北の高校の優勝の可能性は減ってしまう。東北の高校球児には、ぜひとも東北が一つになる前に優勝してほしいものである。

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