鹿角市  

2007年05月08日

東北で地ビールが飲める店その22〜秋田県鹿角市

img433 鹿角市は秋田県の北東端に位置する市である。日本三大ばやしに数えられる花輪ばやしや、毛馬内盆踊り大日堂舞楽などの祭りで有名である。

 私が初めて鹿角を訪れた時に不思議に思ったのは、NTTのタウンページである。その頃秋田のタウンページは、大館市や能代市などの秋田県北版、秋田市を中心とする秋田中央版、横手市や湯沢市などの秋田県南版などに分かれていたが、鹿角だけ別にタウンページとハローページが一緒になった鹿角版だったのである。鹿角は元々江戸地代は南部藩(岩手県、青森県東部)の領地で明治になってから秋田県に組み込まれたので、その影響なのかもしれない。確かに祭り一つ見ても隣の大館市とも異なる独自の文化が感じられる。

 さて、この鹿角で地ビールの飲める店はあるかどうか、以前新庄で聞いたように地元商工会にまず聞いてみたが、「鹿角では地ビールも作っていないし、ビールのおいしい店も特にない」との話であった。

 実際、鹿角市の中心部花輪地区を隈なく歩いてみたが、ビールをウリにしている店は残念ながら見つからなかった。ただ、花輪には全国に名の知れたホルモン焼き屋幸楽」(上写真参照、鹿角市花輪字堰向5、TEL0186-23-3736、10:00〜23:00、無休)がある。秘伝のタレに漬け込んだ豚のホルモンをキャベツや豆腐などと一緒にジンギスカン鍋で焼くというスタイルで、鍋に載せた途端に食欲をそそる匂いが広がる。これがまた1人前500円と安い。ライス200円と合わせて700円で満足が得られるので、とてもリーズナブルである。なぜ鹿角でホルモンかと問うことなかれ。仙台の牛タンや遠野のジンギスカンのように、地元の人に受け入れられ、かつおいしい店があれば立派にその土地の名物となるのである。

a5a3a0a2.jpg さて、話が本筋から離れてしまったが、結局鹿角にビールのおいしい店はなかったのか、と言うとさにあらず。鹿角から十和田湖方面に向かって北上すると大湯温泉郷がある。近くには大湯環状列石黒又山などの「不思議系」の観光スポットのある温泉だが、ここにあるホテル鹿角左写真参照)のレストラン「ヴィラージュ」とバー「K's BAR」には、十和田八幡平麦酒があった。これは田沢湖ビールを醸造しているわらび座によるOEMのビールだが、観光地にふさわしいオリジナルのビールを出したいという意欲を買いたい。

 十和田八幡平麦酒には鹿角(ヴァイツェン)十和田(ピルスナー)八幡平(ケルシュ)の3種があり、例えばりんごや山ぶどうなどの果物が取れる鹿角はフルーティーな香りのヴァイツェンなど、それぞれの地名のイメージと近い種類のビールが充てられている。K's BARでは、この十和田八幡平麦酒を地元の焼物で作られたジョッキで味わうことができる。また、締めには比内地鶏のガラで取ったあっさりスープが特徴の秋田比内地鶏ラーメンを味わうことができる。

 ちなみに、この十和田八幡平ビール、ホテル鹿角以外にも、隣の小坂町から十和田湖に向かう途中の七滝近くにある「滝の茶屋 孫左衛門」でも味わうことができる。十和田湖の青森県側には以前紹介した奥入瀬ビールがあり、秋田県側にはこの十和田八幡平麦酒があるという構図である。


追記(2009.7.8):鹿角市の中心部花輪地区に、昨年3月「びいる亭 KAZUNO」がオープンした。他のびいる亭同様、ヴェデット・エクストラ・ホワイトの生を始め生ビール6種、それに世界各国のビールが飲める。上記のように、これまで花輪地区にはこうしたビールが飲める店が皆無だったので、これは実に嬉しいことである。


111015-183313追記(2011.10.15):「びいる亭 KAZUNO」のヴェデット・エクストラ・ホワイトの樽生、びいる亭の中でも飲めるのはここだけだそうである。私が知る限りでも、それ以外と言うと、東北では以前紹介した仙台の「RED HOT」くらいしかないのではないかと思う。ヴェデットの他にも海外のビールが84種類、瓶で揃っていて、安心して好きなビールが飲めるのがよい。

 なお、昼間は「カレーな時間(とき)」という名前の、カレーやパスタが食べられる店として営業している。以前、大館の「cafe shokudo 山舘」で食べられた薬膳カレーやスパイシーカレーが食べられるようである。

anagma5 at 21:13|PermalinkComments(0)clip!

2006年07月05日

東北の歴史のミステリーその8〜実際にあった?さだ六とシロの悲劇

5880cab9.jpg 子どもの頃、毎週土曜の夜欠かさず見ていたTBS系のアニメ「まんが日本昔ばなし」が、今水曜の夜に再放送されている。主題歌なども当時のままで、懐かしさのあまり時たま何気なく見てみたりするが、半年くらい前に「さだ六とシロ」(アマゾン該当ページ )という話をやっていた。この話、秋田の北部、鹿角での話だとのことで興味深く見た。

 話のあらすじはこうである。鹿角の山奥に、さだ六という鉄砲打ちの名手がいた。さだ六は他国の領地でも自由に猟をすることを許された将軍さまの証文を持っている。冬のある日、愛犬のシロと一緒に猟に出かけたさだ六は、他国の領地で珍しい青猪を仕留めた。ところが、関所の役人に将軍さまの証文を見せようとして、さだ六はそれを家に忘れてきたことに気づく。証文がなければ、明日、処刑される。主人の危機を察したシロは、証文を取りに家に駆け戻るが、シロが戻ってみると既にさだ六は処刑された後だった。シロは亡き主人の遺体を口にくわえて幾日も運び、山の中に埋めた。そうして毎晩毎晩山中で空に向かって悲しげに吠えていたが、やがてシロはその姿のまま岩になってしまった、という。

 太宰治の「走れメロス」の「間に合わなかったバージョン」とでも言うような、悲しい話である。なんとなく印象に残った話だったので調べてみたところ、鹿角の隣の大館の葛原という集落の山中に、この忠犬シロを祀った老犬神社という神社があることが分かった(写真参照)。人ではなく、動物が神社に祭神として祀られるのはとても珍しい例である。いかにも忠犬ハチ公を輩出した秋田らしいと言えばそうであるが。現実に神社として祀られているくらいであるから、このさだ六とシロの話は単なるつくり話ではなく、それに類するような出来事がかつて実際にあったのかもしれない。

 そこで、実際に老犬神社に行ってみた。神社の入り口にある案内板によれば、この話は江戸時代の中ごろの話で、南部領の草木というところにさだ六(「定六」と記されていた)という又鬼(マタギ=猟師)がいた。定六の先祖は、源頼朝が富士で巻狩を行った際、目覚しい働きをしたということで全国通用の「子孫永久又鬼免状」を頼朝より拝領し、それを代々相伝している家柄であったという。

 定六を襲った悲劇については、概ね「まんが日本昔ばなし」で紹介された通りのことが書かれていたが、案内板では、定六が追いかけた獲物がカモシカであったこと、シロ(案内板には犬の名は記されていない)は定六の妻と一緒に葛原に移り住んだ後、食を一切取らずに定六の後を追って死んだことなどが紹介されており、これらの部分が異なっていた。また、定六が入り込んだのが三戸領内(現在の青森県三戸町周辺)だったことも記されていた。そして、村人はシロの忠義の心に感じて現在の地にシロの遺骸を葬って祀ったとあった。

 この話は他にも、大館にある社団法人秋田犬保存会のサイト内(該当ページ)や大館市のサイト内(該当ページ)、鹿角市のサイト内(該当ページ)でも確認することができ、地元では有名な話であるようである。

 秋田犬保存会のサイトでは、さだ六は「佐多六」と記され、シロは「白」と記されている。そして、佐多六を埋めて毎晩白が山中で咆哮を続けた後間もなく、この地に地震が起こり、佐多六を殺した人々は何れも死んだと書かれている。

 また、大館市のサイトでは、さだ六は「貞六」と記され、定六の妻とシロが葛原に移った後、シロの姿が見えなくなり、ある日白骨化した死骸が近くの丘で発見されたとされている。それから後、武士が馬でこの丘を通りかかると突然馬が暴れだし、落馬して大けがをする、ということが幾度となく繰返されたため、村人は主を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れ、供養しようと山腹に神社を建ててシロを祀ったと書かれており、神社にあった案内板とはシロを祀った動機が異なって紹介されている。

 一方、鹿角市のサイトでは、さだ六は「左多六」と記され、シロが三戸城に向かって恨みの遠吠えを幾夜も続けた森が今でも「犬吠森」と言われていることや、左多六の死後、三戸には地震や火事など良くないことばかり続き、町の人が左多六の崇りだと噂したということ、左多六の罪のために左多六の妻とシロは所払いとなって南部領の草木から秋田領の葛原に移ったこと、災難にあった葛原の村の人を何度も助けたシロがいつからか「老犬さま、老犬さま」と呼ばれるようになったこと、あるとき村人の乗った馬が村外れでまったく歩けなくなり、不思議に思ってその辺りを探してみたらシロが死んでいたこと、村人はシロを哀れに思って南部領の見える丘にシロを埋めたこと、などが紹介されている。

 それぞれのサイトで語られている内容は少しずつ異なっているが、いずれもさだ六とシロにまつわる悲劇をそれぞれの語り口で伝えている。私にとってもう一つ印象的だったのは、さだ六が持っていた「他国の領地でも自由に猟をすることを許された将軍さまの証文」の将軍さまというのが、このブログで何度も登場している、かの源頼朝だったということである。とすると、さだ六の祖先がこの証文をもらったのは1200年頃、そこから江戸時代の中ごろというのだから1700年代とすると、さだ六の代まで延々500年くらいにわたってさだ六の家は猟師を続け、その間この頼朝の証文を後生大事に持っていたということになる。ちなみに、秋田犬保存会のサイトによると、この「又鬼猟師免状証文」は、宝物として今も老犬神社に残っているという。

 この老犬神社、毎年4月17日に祭典が行われるということだが、その日は地元はもとより遠方からも愛犬家がたくさん訪れるとのことである。また、社殿には全国から奉納された「犬の絵馬」が所狭しと飾ってある。昔も今も変わらない人間と犬との関わりを、この老犬神社は物語っているようである。

 この老犬神社のある場所は非常に説明しにくいが、老犬神社からそう遠くないところにある松下酒店のサイトの中にある案内が分かりやすい(該当ページ)。

anagma5 at 22:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2006年05月26日

東北の歴史のミステリーその6〜泰衡は本当に凡愚の将だったのか?

7e24cb1d.jpg 子どもの頃、私は泰衡が大嫌いだった。小学6年の頃、学校で歴史を勉強したが、中でも源平合戦での義経や弁慶らの活躍に心躍らせていた。親に平泉中尊寺に初めて連れて行ってもらって、そこでねだって買ってもらったのが「平泉ものがたり 秀衡と義経」という当時中尊寺で出していた小冊子であったというくらい、義経が好きだった。

 となると当然、兄頼朝と不仲となって窮鳥の如く東北に落ちてきた義経を温かく迎え入れた秀衡は偉大な人物で、それに対して「義経を大将軍として鎌倉に対抗せよ」という父の遺言を守らずに義経を討ち、あげくに頼朝に攻められて東北の黄金の一世紀を終焉に導いた泰衡はどうしようもない馬鹿者だということになる。そして「あの時泰衡が義経を討たなかったら…」、と800年も前の出来事に対して、子供心に地団駄踏む思いでいたものである。

 その後も泰衡に対する私の評価はやっぱり芳しいものではなかった。奥州藤原氏を描いた高橋克彦の「炎立つ 伍」(講談社文庫、アマゾン該当ページ )を最初に読んだ時も、「泰衡のことを無理やりよく書きすぎじゃないか」と抵抗を覚えたくらいである。私に限らず、東北人の泰衡に対する評価というのは、だいたい似たようなもののような気がする。端的に言ってしまえば、「偉大な父親の跡を継いだボンボンのバカ息子」というイメージなのではないだろうか。

 その最も手厳しい意見は、松田弘洲氏が「津軽中世史の謎〜虚構の"津軽安東氏"を切る」(あすなろ舎、津軽共和国文庫ぁ砲涼罎能劼戮討い襪發里任△蹐Α松田氏は泰衡のみならず奥州藤原氏そのものを批判する。「"平泉文化"というのは、平泉藤原氏が陸奥・出羽の庶民を酷使して、しぼりあげ、自らのために造営した"仏教文化"のことである」として、「泰衡は平泉から北上川の上流に向かって逃亡したわけだが、その地はもと安倍一族の根拠地である。平泉の藤原氏が、己れの栄華のためだけに富を集積せず、地方豪族が成長するための余地を残していたとしたら、北上川の上流にいくらでも頼るべき柵、頼るべき軍勢は存在したはずなのである」、「平泉軍が北上川の上流に退却したのち、再び押し出して来れなかったのは、平泉藤原氏の治政(原文ママ)がいかなるものであったかを、そのまま物語っているのである」と述べている。

 実際に、奥州藤原氏の治世がどのようなものであったかを知るすべはないので、この松田氏の見解が是か非かは判断できかねる。ただ、後で書くが、首のない泰衡の遺体を里人が丁寧に錦の直垂で包んで埋葬したという錦神社、それから泰衡の後を追ってきた泰衡の妻北の方が夫の死を知って自害したのを憐れんで里人が建立したという西木戸神社の存在を考えると、奥州藤原氏はそこまで庶民を「しぼりあげ」てはいなかったのではないかという気がする。

 さて、泰衡を嫌いだった私だが、最近少しずつ泰衡に対する見方が変わってきた。実は泰衡はそれほど暗愚な君主ではなかったのではないか、と思うようになってきたのである。そう思うようになってきた理由はいろいろある。それを少しずつ書いていきたい。

 秋田県の北東端に鹿角市がある。その鹿角市の中心部花輪から山間の方へ、直線距離にして9kmくらい南下していくと、桃枝(どうじ)という集落がある。戸数は20戸に満たない、目立たない小さな集落であるが、この集落は非常に興味深い。実は、この集落、ほとんどの人が藤原姓なのである。この地域に伝えられている話によると、昔源頼朝に追われて落ちてきた泰衡は、この地に宿陣した際、つき従ってきた家臣に「自分が戦死したら藤原の姓を継ぐように」と言い残したのだという。泰衡の家臣の一部は泰衡の死後もこの地に残り、それでこの地に住む人々は皆、藤原姓なのだそうである。

 この逸話は先に挙げた「炎立つ 伍」でも取り上げられていて、自分の一命と引き換えに奥州を救おうと死を覚悟した泰衡が家臣たちに藤原の姓を与え、後を追って死のうとする家臣に対して「藤原を名乗るからには生き延びよ」と諭したことになっている。その巻の中でも印象的な場面の一つである。

 実際、桃枝集落の一角には墓地があるが、墓のほとんどが藤原姓である。他には綱木姓の墓が2、3あるだけである。そして、藤原姓の墓に刻まれた家紋はすべて、奥州藤原氏と同じ「下がり藤」の紋である。それらの墓の一つに墓誌が刻まれていた。それには「我が藤原家の先祖は、今を去る事七百九十余年の昔、平泉を落ち給う泰衡公に属従し、此の地に至り、浪人して山深く隠れ住み、千古不斧の大森林に開拓の鍬を振っていた。(以下略)」とあった。

 この桃枝のある場所は、実は泰衡が蝦夷地に向けて落ち延びようとした道からは外れている。蝦夷地に向けて落ち延びようとしたのであれば、清衡が整備した奥大道を北上したものと考えられるが、桃枝はそのルートからかなり外れているのである。周囲を山に囲まれた地であるから、実際には泰衡自らここを訪れたのではなく、泰衡の死後、その遺言をおしいだいた家臣たちがひっそりと移り住んだ地なのだろう。

 ただ、泰衡が本当にどうしようもない凡愚の将であったなら、その藤原の姓を800年もの間桃枝の人々が大事に名乗り通してくるというようなことはなかったのではないかという気がするのである(写真は桃枝集落の入り口)。

anagma5 at 21:03|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

2004年10月13日

東北の食べ処その3〜秋田県北地方

75f92317.jpg  秋田県の北部も個性的でおいしい店の多い所である。特に、大館市は秋田の代表的な郷土料理であるきりたんぽの店が多い。きりたんぽ発祥の地は隣の鹿角市だそうだが、店の数や知名度で言えば大館の方が上である。

 大館と言えば、かのハチ公の故郷でもある。それにちなんで、実はJR大館駅前にも渋谷駅前と同様にハチ公の銅像が立っている。しかし、JR大館駅が街中から少し外れていることもあって、こちらのハチ公前で待ち合わせをする人はほとんどいない(笑)。
 

昔のきりたんぽや写真大館市大館75-5、TEL0186-43-4040、11:30〜14:00、17:00〜20:00(9月中旬〜5月中旬のみ営業)、月曜定休)
 ここのご主人は、漫画「美味しんぼ」にも実名で登場して、「本物のきりたんぽ」について熱く語っている。事実、比内地鶏と野菜から何時間もかけてつくるスープ、手作りで炭火で焼くきりたんぽなど、敢えて手間をかけてつくるここのきりたんぽ鍋は、文句なくおいしい。

 私はそれまできりたんぽは好きではなかったが(仙台でも出す店があるがおいしいと思わなかったのである)、ここのきりたんぽを一たび食べて、今や大好物へと変わったくらいである。

 運がいいと、栽培ものではない天然ものの舞茸が入ってくることもある。きりたんぽを出す店の多い大館市内でも、きりたんぽだけを出す専門店はここともう一軒くらいしかない。

 夏になるときりたんぽを作る米の味が下がるからと言って、夏の間は店を閉め、新米が出る季節になるとまた店を開く。一日に作る量が決まっているので、予約してから行った方が確実。

おすすめ:もちろん、きりたんぽ鍋


飛騨ラーメン
大館市片山町3-5-38 、TEL0186-49-4254、11:00〜19:30、不定休)
 大館にはひそかにラーメンのおいしい店が多いが、ここはその代表格。手打ちの麺に魚のダシが効いた濃い色の醤油のスープがよく合う。元はフランス料理のシェフをしていたというご主人のコック帽がチャームポイント。

 飛騨は奥さんの実家なのだと言う。確かに、飛騨に行った時に食べたラーメンも醤油味で魚の旨みが効いたあっさり味のラーメンだった。

 元々評判はよかったが、最近では「行列のできる店」となってしまった。東京などに行くと行列のできる店は数多いが、人口5万人の町で行列ができるこの店の方がすごいと思う。

おすすめ:中華そば


安好る
(あんこうる)(大館市清水1丁目1-76-1、TEL0186-42-0306 、11:30〜15:00、17:00〜19:00、月曜定休)
 大館では比較的新しいお店だが、やはりあっさり醤油味のおいしいラーメンを食べさせてくれる。カレーも素朴な味でおいしいのでどっちも頼みたくなる。

 ただし、両方頼む場合は、味の濃いカレーは後に出してもらうのがよいと思う。先にカレーを食べてしまうと、ラーメンの方の微妙な旨みがよく分からなくなる可能性が大なので。

おすすめ:中華そば、カレーライス


十八番
能代市追分2-50、TEL0185-52-7535、11:00〜14:00、土日祝日定休)
 平日の昼の間しか営業していないのでなかなか行きづらいが、ここでは他のどこのとも違うラーメンが食べられる。「トッピング」のレモンの切れ端やスープに浮かぶ大小のナッツ類、「調味料」としてテーブルに置かれたアルカリイオン水など、すべてがどこのラーメンとも似ていないここだけのオリジナル。そして、おいしい。

 ここも昼は地元の人が行列を作っている。ガイドブックなどにはほとんど出てこないが、実に味わい深い。

おすすめ:みそラーメン、しょうゆラーメン、しおラーメン、どれもおいしい


切田屋
鹿角市花輪下花輪168、TEL0186-23-2083、11:00〜18:30、月曜定休)
 鹿角市は江戸時代は今の岩手県と同じ南部藩だった。そのせいかどうか、鹿角地方の「タウンページ」は大館や能代の「秋田県北版」とは別になっていて、とても薄いのでハローページも一緒になっている。

 岩手県は現在山形県や福島県の会津地方と並ぶ東北のそば処だが、鹿角市の中心部花輪にあるこの店でもその岩手県と同じような細打ちの手打ちそばが食べられる。狙い目は限定の10割そば。デザートにはそばシャーベットもおいしい。

おすすめ:手打ち十割そば、そばシャーベット


追記(2005.10.18):ショック!大館の飛騨ラーメンがこの8月末で店を閉めたらしく、今月久々に行ってみたら既に別の店になっていた。新しい店はいろんな地域のラーメンが食べられるというありがちな店だったので、入らなかった。

 安好るは健在で、あっさり味の中華そばはやっぱりおいしい。ただ、能代の十八番の影響か、レモンのかけらが入るようになっていた。口に残るような木の実は入っていないが、何かがスープに浮いていた。これも十八番の影響かも。

 その十八番は長らく休業中だったが、今月行ったら店を開いていた。ただし、休日がこれまでの土日祝に水曜も加わったので注意。相変わらずおいしかった。


追記(2007.4.3):大館市にあるカレー&パスタ専門店「cafe shokudo 山舘(やまだて)」(大館市山館字田尻197-2、TEL0186-43-5828、11:00-15:00、17:00-21:00、水曜定休)は、恐らく秋田県北で本格的なカレーが食べられる唯一の店である。以前紹介した(ココココココ)「びいる亭」に「名刺」が置いてあったので、「びいる亭」の関連店なのだろう。

 中辛の「山舘カレー」(印度カシミールカレー)、辛口の「薬膳カレー」(ひき肉&20種類のスパイス)、甘口の「昔のカレー」(三種の刻み野菜入)の他、「チキンとじゃがいものカレー」、「オムレツカレー」、「ラムカレー」(いずれも中辛)の6種のカレーがある。辛さ指定もできるが、辛さの度合いに応じて追加料金がある。

 私はカレーしか食べていないが、パスタはスパゲッティだけでなく、ペンネやらせん状の形のフスィリなどのショートパスタも含めて47種類もある。中でも「大館名物パスタ」と銘打った「漬物あんかけパスタ」、「ネバずるパスタ」(多分納豆)、「いぶりガッコの和風クリーム」が気になるところである。でも、多分次もカレーを食べてしまうに違いない。

 同じ建物内には他に、「名所居酒屋 はずれ」(大館のはずれにある新名所というのがネーミングの由来だそうである)がある。「はずれ」に対してやはり同じ建物内には最初七輪焼きの店でその後予約貸切宴会場となった「あたり」があったが、この4月5日からは「御食事居酒屋 馬肉×蒸し料理 うまが、会う」として新装オープンすることになったそうである。一連のネーミングのセンス、何とも言えない味がある。

anagma5 at 12:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!