2021年04月15日 

「大阪都構想」での議論をヒトゴトと思わずに(「東北再興」紙への寄稿原稿)〜私的東北論その137

 またまた間が空いてしまったが、昨年11月16日に発行された「東北再興」第102号では、否決に終わった2度目の大阪都構想に関する住民投票について取り上げた。他地域のこととは言え、もし可決されれば地方行政の大きな変革となることから、その推移については大いに注目していた。

 大阪都構想は否決されたが、では東北はどうするのか、大阪での議論を他人事と思わずにいたい、という思いで書いたのが下記の寄稿文である。


「大阪都構想」での議論をヒトゴトと思わずに

否決された「大阪都構想」
 大阪市を4つの特別区に分割する「大阪都構想」が去る11月1日に行われた住民投票の結果、反対多数で否決された。今回の住民投票は5年前の2015年5月に行われたのに続いて2回目であったが、今回も前回同様、賛成と反対が僅差(前回ほどではないが)であり、大阪市の世論が都構想を巡って二分されたことが窺える。

 大阪都構想は、大阪府と大阪市による「二重行政」を解消し、大きすぎる市が持つ権限を住民により近い区役所に移管し、公選による区長と区議会によって地域の実情に応じた政策を遂行していけるようにすることを目的としていた。大阪維新の会が推進してきたものだが、大阪維新の会の発案というわけではない。

 その議論の端緒は、遡ると1953年の「大阪産業都建設」に関する大阪府議会の決議に行き着く。ここから大阪府と大阪市における行政のあるべき姿を巡る議論は今に至るまで何度も繰り返されてきた。


法制度の整備により実現に道
 今回の大阪都構想が現実味を帯びた政策としてクローズアップされたのは法制度が整ったことも大きい。2012年8月に「大都市地域における特別区の設置に関する法律」(大都市地域特別区設置法)が超党派の議員立法として提出・可決された。この法律によって、これまで地方自治法で東京都のみに限定されていた特別区の設置が、道府県の区域内においても設置できるようになった。

 同法の第1条にはその目的がこう記されている。「この法律は、道府県の区域内において関係市町村を廃止し、特別区を設けるための手続並びに特別区と道府県の事務の分担並びに税源の配分及び財政の調整に関する意見の申出に係る措置について定めることにより、地域の実情に応じた大都市制度の特例を設けることを目的とする」。すなわち、その目的は「地域の実情に応じた大都市制度の特例を設けること」で、まさに大阪都構想の実現には欠かせないものだったわけである。

 ただし、全国のすべての都府県が自由に特別区を設置できるわけではなく、そこにはかなり高いハードルが設けられている。第2条にその規定が記されているが、第1条にある「関係市町村」とは、人口200万以上の政令指定都市、または一つの政令指定都市とその政令指定都市に隣接する同一道府県の区域内の一つ以上の市町村とでその総人口が200万以上のものでなくてはならない。

 大阪市は人口274.0万人であるので単独でこの要件を満たすが、日本全国で他に同様の要件を満たす都市は、横浜市(人口374.9万人)と名古屋市(同232.8万人)があるだけである。もう一つの隣接市町村との合計で200万人を超える都市としては、札幌市、さいたま市、千葉市、川崎市、京都市、堺市、神戸市がある。仙台市は残念ながら隣接市町村を足し合わせても200万人には到底達しない(同法では認められていないが「隣接市町村」として山形県内の3市を加えたとしてもようやく150万を超えるくらいである)ので、対象外である。逆に、千葉市や堺市などは仙台市よりも単独での人口は少ないが、隣接自治体の人口が多いために要件を満たしている。


虚実入り乱れた議論
 大阪都構想の反対派の主張には、そうであるかどうか分からないことをあえて引っ張り出して住民に不安や不満を抱かせて都構想への反対を引き出すことが狙いだったと思われるような記載が数多く見られる。自由民主党・市民クラブ大阪市会議員団が作成した「新今さら聞けない大阪都構想」には、「『都構想』は、借金の少ない大阪市の税収を、借金の多い大阪府に吸い上げる仕組み」、「『特別区』は水道や消防などの権限がなく『一般市』以下」、「大阪市が独自の財源で行っている『敬老パス』や『こども医療費助成』などは都構想で特別区になると、財政悪化に伴って、特別区長が『止める判断』をする可能性」、「都構想になると、『特別区』の住民は、二重に税金を負担する可能性」などの文言が並ぶ。これらが事実なら、大阪都構想の推進派が参考にした東京特別区はものすごい劣悪な地方自治が行われていることになる。

 しかし一方で、推進派の主張、例えば大阪維新の会が作成した「なんで!?都構想が必要なん?」も、都構想のメリットのみを強調しすぎ、メリットとデメリットを比較して明らかにメリットが上回るという角度からの説明は必ずしも十分でなかったように見える。もちろん、実際にやってみないと分からないという側面も少なからずはあったのだと思う。その未確定、不透明な部分も含めて、やってみる方に踏み出すか、現状に踏みとどまるかという選択が今回の住民投票で、僅差ながら大阪市民は現状維持を選択した人が過半数ということだったのだろう。

 なぜ反対派が上回ったのかを、塩野七生氏の大長編「ローマ人の物語」を引いて解説する人もいた。ユリアヌス帝の改革とその挫折である。ユリアヌス帝は既得権者に対する優遇政策を廃止してローマ再建を目指すが、志半ばにして挫折、最後はペルシア遠征中に戦死する。ユリアヌス帝の改革が挫折した理由として作者の塩野七生氏は、「改革がむずかしいのは、既得権層はそれをやられては損になることがすぐわかるので激しく抵抗するが、改革で利益を得るはずの非既得権層も、何分新しいこととて何がどう得するのかがわからず、今のところは支持しないで様子を見るか、支持したとしても生ぬるい支持しか与えないからである」と分析しているそうである。ひょっとすると、今回の大阪都構想も同様の構図が見られたのかもしれない。


地方自治を巡る議論を前へ
 私は大阪とは縁もゆかりもないが、この大阪都構想の行方には関心を持っていた。反対した人の中には、「新型コロナで大変なこの時期にやることではない」という意見もあったが、この先の自分たちの地域をどうするのかというのは極めて重要な選択である。このままではよくないという問題意識があって出てきた構想であるし、それはこの先の自分たちの地域をどう作っていくかにも直結することであるので、後回しにすべき問題ではなかったと思う。

 実際に県と政令指定都市とを一緒に再編するというアイディアは大阪だけではなく、新潟や愛知や静岡でも出ている。それだけ、今回大きく取り上げられた道府県と政令指定都市との間の「二重行政」という問題が、各地で課題となっているということだろう。

 地方自治を取り巻く課題はそれだけではない。国と都道府県との関係、いわゆる「3割自治」の問題なども手つかずのままである。今回の大阪都構想が弾みとなって、こうした地方自治を巡る議論も再び動き出すのではないかという期待を持ってその推移を見ていたのである。

 残念ながら現状維持となったことで、議論の再始動の取っ掛かりはなくなった感じだが、だからと言って、これが、このままの体制がすべて是認されたことを示しているわけではない。少子高齢化と人口減少が進む中で、どのような体制が望ましいのか。2050年には日本の人口は1億人を大きく割り込んで9,515万人となり、高齢化率は40%近くに達すると予測されている。その頃までには既に維持が困難な自治体が出ているかもしれない。課題解決を先送りにしている時間はないのである。


東北が取るべき道
 東北に翻って考えれば、先に仙台市は特別区設置の要件を満たさないと書いたが、仮に仙台市が特別区設置の要件を満たしたとしても、それを目指すことが仙台市にとって必要であるとは思わない。二重行政の問題の解決は必要だが、特別区設置によって仮に仙台市が東京23区のようになり、ヒト・モノ・カネがさらに仙台に集まるような体制になるのだとしたら、それは全く望ましい姿に反するように思える。

 仙台市が東北の中で果たすべき役割は、仙台市に集まってくるヒト・モノ・カネを再び東北各地に配分することである。その循環を東北エリア内に確立することこそが、今の東北にとって最も必要なことである。東京の抱える「一極集中」という課題はそこである。日本全国から集まるヒト・モノ・カネが東京の力の源泉だが、それは同時に地方衰退の原因でもある。

 仮に東北六県がこの先道州制を敷いて、「呉越同舟」ならぬ「奥羽同州」となるとしても、決して州都あるいは州庁所在地を仙台市としてはいけない。それは、東京の一極集中の縮小コピーを東北に作り出すだけである。そうではなく、なるべくコンパクトな州都あるいは州庁所在地を東北の真ん中に置いて、既存の都市圏が複数の拠点としてゆるやかに、かつ有機的に連携するような仕組みをつくるべきである。

 国土交通省の定義では、東北には青森、弘前、八戸、盛岡、仙台、石巻、秋田、山形、鶴岡、酒田、福島、会津若松、郡山の一三の都市圏があるとされている。都市圏にはカウントされていないが、他にも地域の拠点となっている都市が複数ある。これら相互の連携や役割分担、協働を増やし、域内交流を活発化させて、ヒト・モノ・カネが域内で循環する仕組みを作ることが必要である。


まずは個人レベルから
 しかし、そうは言っても、現状では東北全体で議論が進んでいるわけではない。東北は地域全体に共通の課題を持っている。六県と各都市圏がもっと交流する機会が増えていけばよいのだが、そうした仕組みができない限りは一足飛びに進みそうにはない。

 大阪都構想でも「民間にできることは民間へ」ということが推進派によって強調されていたが、行政ベースで進まないなら、ここは民間の出番である。もっと言えば、個人個人の出番である。まずは我々東北に住む人が同じ東北の他の地域にお互いに行ってみることから始めてはどうだろうか。

 幸いにも、東北エリア内を巡る高速交通網は着実に整備されている。新幹線は六県全てにつながり、高速道路も「復興道路」と位置づけられる「三陸沿岸道路」、「宮古盛岡横断道路」、「相馬福島道路」は震災から10年を迎える来年3月までにほぼ開通予定である。ひと頃よりも東北エリア内の移動に掛かる時間が大幅に短縮されている。これを利用しない手はない。

 折しも停滞している日本経済の再始動を図るために立ち上げられた「Go To トラベル」事業が展開中で、低コストで旅ができる。お互いを知らなければ交流はできないし、ましてや連携ははるか先である。交流はそこに行って見ることから始まる。

 東北には素晴らしい自然、素晴らしい食、素晴らしい文化があり、素晴らしい人がいる。にもかかわらず、同じ東北同士であってもお互いに知らないことはまだまだ多い。まずは知らないところに出掛けていくことから東北の活性化を図ってみてはどうだろうか。


anagma5 at 17:49│Comments(0)clip!私的東北論 

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